卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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焼け落つ門に 名は残り
絶えざる道に 影は増す




72. 野火の帰途

 

 

 今日は、刀を抜かずに済むはずだった。

 

 そう思って来たのだから、腰を落として柄へ手を掛けた時には、もう少し働かせてくれるなよと口の中で呟いている。俺の願いを聞いてくれる相手なら、そもそも家の壁を破ってまで入ってこないだろうけど。

 

 白い顔が、崩れた梁の向こうから覗く。

 

 口の端が耳まで裂け、その下から長い舌が垂れていた。家の奥には、まだ送っていない魂が三人。俺の袖を掴んだ子供の手へ自分の手を重ね、そこから外してもらう。

 

「ちょっと、離しててねぇ。すぐ戻るから」

 

 踏み込むと、舌が首へ巻きつこうとしてくる。刃を立てて受け、切り落とした向こうへ手を伸ばす。仮面を抜けた刀を返す頃には、虚(ホロウ)の爪が俺のいた床へ刺さっていた。

 

 家まで壊さなくてもいいのに。

 

 もう屋根は半分焼けている。残っていた柱へ爪が入ったので、そちらを支えながら刀を抜いた。白い顔が崩れ、窓を塞いでいた身体も薄れていく。その下から現れた戸口に、千鳥が立っていた。

 

「こちらにも来ましたか」

「一体だけ。お前さんの方は?」

「二体。皆で斬れました。ただ、北へ回った者から、まだ返事がありません」

「じゃあ、そっちを見てくるよ。この柱、持ってもらえる?」

 

 千鳥が近づく前に、俺の後ろから男が手を伸ばす。

 

「俺が支えよう。こういう仕事は、やってたんだ」

「助かるけど、お前さんも送るところだったんだよねぇ」

 

 男は俺の刀を見て、そうだったな、と苦笑いを浮かべる。

 

 さっきまで、自分が死んだことを認めようとしなかった。今は立ち上がった妻へ手を貸し、子供の肩を抱いている。三人が揃うまで柱を支え、千鳥へ後を頼んだ。

 

 抜いた刀は、まだ腰へ戻さない。

 

 外にも、いる。

 

        *

 

 現世の増援へ初めて出た年から、四十余年が過ぎていた。

 

 終わったと思って帰れば、違う土地の名が届く。そこへ行っている間に、前に送った者の村でもまた戦が始まる。俺も長く生きてきたけれど、これほど同じ道を行き来することになるとは思わなかった。

 

 旅なら、今日は通らずにおこうと決められる。

 

 今は、そういうわけにもいかない。

 

 北の畑へ出ると、隊士が二人、焼け残った塀を背にしていた。一人は刀を握っている。もう一人は、その後ろで膝をつき、肩を押さえているようだ。爪に掻かれた塀の前へ、獣に似た虚が首を突き出していた。

 

 俺が歩いていくと、その首がこちらを向く。

 

 足元には、倒れた魂。

 

 刀を持った隊士が声を上げる。俺へ向けたものではなかった。起きてくださいと何度も呼びながら、虚の爪を受け、押し戻している。

 

 虚が喰いつくより先に、俺はその頭へ刃を入れた。

 

 大きな口が閉じる。

 

 倒れていた魂へ膝をつき、腕を取る。まだいる。千鳥がこちらへ来るまで、彼には俺の後ろで待っていてもらおう。

 

「よく止めてくれたねぇ。肩、見せて」

「隊長。私はまだ動けます。こちらの方を先に」

「うん。その人は千鳥に任せる。お前さんの肩は、俺が診るよ」

 

 座っていた隊士の袖を開く。

 

 傷は深いが、骨までは届いていない。血を拭き、傷の上へ掌を翳すと、男が唇を噛んだ。痛いなら言ってほしいのだけど、今は我慢する方へ気が向いているらしい。

 

「刀は、握れる?」

「はい。左も使えます」

「じゃあ、肩が治るまでは左で持ってて。右は今日は休ませよう」

「……それでは、退く時に担げません」

「今は、お前さんが担がれる方だよ。必要になったら、俺が運ぶから」

 

 顔を上げた男へ頷く。

 

 昔の俺なら、動けると言われれば、そうかと返していたかもしれない。自分でも同じことを言った覚えがある。今は、立たせた後にどれだけ血が落ちるか、先に考えるようになった。

 

 少しは、先生へ近づいたのかねぇ。

 

 そんなことを思いながら傷を塞いでいると、もう一人が隣へしゃがむ。刀を離さず、畑の向こうを見ていた。あちらを気にするのは分かるけど、息まで止めていたら苦しくなるよ。

 

「ほかにも見た?」

「いえ。ただ、先ほどのものが、家の方から来ましたので」

「そう。じゃあ、そっちも見よう。俺が先に行くから、千鳥が来たら、今のことを話しておいてくれる?」

 

 返事を待ってから、掌を離す。

 

 包帯を巻く間も、男の目は畑から戻らなかった。

 

        *

 

 虚は、村の外にもいた。

 

 道に残っている魂を探し、家の奥へ潜り、あるものは戦場になった河原へ下りている。二体を斬って川を渡ると、向こうでは別の隊の死神が刀を振っていた。

 

 こちらへ気づいて頭を下げようとするので、手を上げて止める。

 

 今は、俺を見るより前を見ていてほしい。

 

 相手は一体。刃を受けた虚が腕を引き、今度は身体ごとぶつかってくる。死神はそれを横へ避け、振り向いた顔へ刀を入れた。

 

 崩れる身体を見届けてから、俺のところへ来る。

 

「十番隊の烏有隊長ですね。増援へ来ていただけたのでしょうか」

「こっちの村を回ってたら、出くわしてねぇ。そちらは、いつから?」

「昨日からです。西の道にも散っております。あちらを終えた者から、こちらへ回すようにと」

 

 男の足袋には、乾いた泥がついていた。

 

 今朝ついた分だけではないだろう。尋ねれば、昨日も夕方から動いていると言う。休む場所を見つけるより先に、次の魂を見つけてしまったらしい。

 

 よくある話になっているのが、困る。

 

「ここから先は俺が見てくるよ。戻って、交代してもらいな」

「しかし、まだお送りできていない方が」

「その人たちを迎えに行く。場所だけ教えてくれる?」

 

 男は川沿いの道を指した。

 

 寺があるという。生きている時に通っていたからか、死んでからもそこへ来る者がいるらしい。俺は礼を言い、男が戻るのを見てから道へ下りる。

 

 途中に、女が一人いた。

 

 焼けた杭の前へ座り、川の向こうを見ている。背後へ声を掛けても顔は動かない。隣へ回れば、胸の鎖が足元へ続いていた。

 

 ここから離れられなくなっている。

 

 俺は刀を納め、少し離れた石へ腰を下ろす。

 

「誰か、待ってるの?」

「息子を」

 

 女の視線が、川へ戻る。

 

「ここで舟を出す人がいたんです。息子は向こうへ渡って、私も来るようにって。荷を取りに戻ったら、もう舟がなくて」

「その時、向こうにはいた?」

「分かりません。名前を呼んだけど、返事がなくて。それから、道へ兵が来て……」

 

 袖の下で、手が重なる。

 

 続きを聞くことは、やめておいた。川辺へ座っている理由はもう分かる。ここにいたら会えると思って、この人は動かずにいるのだ。

 

 俺だって、会いたい相手が戻ってくる道なら、そこで待ちたくなる。

 

 けれど、川は越えられる。

 

 息子がまだ向こうへいるなら、迎えに行ける。

 

「名前を教えて。向こうで、探してみようか」

「……見つかりますか」

「探すところまでは、約束できるよ。渡った先の道も見てくる」

 

 女が俺を見る。

 

 そこで初めて、俺の腰へ目が向いた。死神だと話すと、しばらく顔を見つめられる。俺が見えているのだから察しているものと思ったけれど、自分のことより息子の行った先を考えていたのだろう。

 

「私は、死んだんですね」

「うん」

「それでも、あの子を待っていたんですね」

 

 俺は、頷いた。

 

 女は足元の鎖へ触れ、それから、息子の名を教えてくれる。

 

 声に出して繰り返し、顔も聞く。眉の横に、小さな傷があるそうだ。子供の頃に転んでつけたものだと言いながら、女が自分の眉へ指を添えた。

 

 覚えているんだなぁ。

 

 俺も、そこを確かめてから戻ってこよう。

 

        *

 

 息子は、寺にいた。

 

 生きていた。

 

 片腕を吊り、僧から渡された椀を飲んでいる。女に聞いた傷もある。こちらの声は聞こえないようで、話している相手の顔だけを見ていた。

 

 近づいて、しばらく耳を傾ける。

 

 母親を迎えに戻ろうとしていた。まだ渡れる場所があるなら教えてほしいと、川のことを尋ねている。僧は首を振り、その腕では無理だと答えていた。

 

 そこへ俺が立っている。

 

 死んだ母親から、言葉を預かることもできた。けれど、こちらが見えない息子へは、伝えられない。義骸を用意して話したところで、初めて会った男が持ってきた知らせを、そのまま信じられるだろうか。

 

 母親がここまで歩いてきたなら、そうは言わなかったはずだ。

 

 俺は息子の姿を覚え、川へ戻る。

 

 女は、同じ場所にいた。

 

「見つかったよ。生きてる。腕を怪我してたけど、飯も食ってた」

「本当に?」

「うん。眉のところの傷も、ちゃんと見た。お前さんを迎えに戻りたいって話してたよ」

 

 女が立とうとする。

 

 足元の鎖が引かれ、そこで身体が止まった。俺は近づき、差し出された手を取る。

 

「会いに、行けますか」

「歩けるようにするところまでは、俺にはできない。ごめんねぇ」

 

 その手を、ゆっくり下ろす。

 

 刀を抜けば斬れる。川までなくしていいのなら、そんなこともできる。今この人が欲しいものへ手が届かないのは、俺に力がないからではない。

 

 息子の傍へ、この人を連れていきたい。

 

 そう思うたび、胸の鎖が目に入る。

 

「……生きてるんですね」

「うん」

「なら、よかった」

 

 女は川を見たまま、何度も同じことを言う。

 

 俺もそこへ座って、頷いていた。

 

 やがて、こちらへ向けられた額へ柄頭を添える。送ってくれと言われてからも、俺は少しだけ手を止めてしまった。

 

 光が広がる。

 

 足元から鎖が消え、川を見ていた顔も薄れていく。向こうで息子が歩き出す前に、ここへいた母親は、もういなくなっていた。

 

 俺は刀を腰へ戻す。

 

 寺へ戻って、もう少し見ていようか。

 

 そう考えてから、まだ行っていない家のある方へ顔を向けた。

 

        *

 

 瀞霊廷へ帰ると、宗玄が門にいた。

 

 迎えに出ている時は、報告を待っている。俺の怪我を探す視線もいつも通りで、こちらが手を振ると、頭が下がる。

 

「千鳥たちは、帰った?」

「はい。負傷した者も休ませております。隊長、お先に一番隊へお寄りください」

「先生に呼ばれてるのか」

「現世の配置について、隊長方へお話があるそうです」

 

 刀を外すのは、帰ってからになりそうだ。

 

 宗玄へ頷き、門を抜ける。並んで歩いてくれるので、俺も向こうで見たことを話した。虚の数と、魂の残っている場所。寺にいた人間のことは、途中でやめておく。

 

 報告のために聞いてくれているのに、母親の顔まで覚えさせることはない。

 

「こちらでは、何かあった?」

「……西へ出ていた他隊の者に、戦死者が出ました」

 

 宗玄の声が、低くなる。

 

 俺も足を止めた。

 

「誰」

「六席の蓮見(はすみ)様と、隊士がお一人。救援へ向かった者が着いた時には、既に」

 

 蓮見。

 

 合同の稽古で会ったことがある。俺に斬り込んで、肩から転がった男だ。起き上がるなり、もう一度と言ってきた。飯の時まで、その転がり方を聞いていた顔が浮かぶ。

 

 覚えている。

 

 この前会った時には、隊の若い者を連れていた。

 

「……亡骸は、戻ってる?」

「はい。お二人とも」

「そっか」

 

 それだけ言って、また歩く。

 

 宗玄も、隣へついてきた。一番隊へ向かう道は、帰ってきた時と同じように人が通っている。誰かが俺へ頭を下げ、こちらも手を上げて返す。

 

 蓮見を教えたのは、俺ではない。

 

 俺の部下でもなかった。

 

 それでも、あいつにもう一度と呼ばれることはないのだと、歩いているうちに分かってくる。

 

『お前様』

 

 ゆめの声へ、小さく頷く。

 

 今夜は、話すことが多くなりそうだった。

 

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