卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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絶えたる声に 名は残り
継ぎゆく袖に 灯は移る




73. 残灯の継ぎ手

 

 

 部屋へ入る前に、袖の泥を払っておくべきだった。

 

 気づいたのは、並んだ白い羽織を見てからだ。俺の裾には川辺の土がついているし、袖には乾いた血まである。自分のものではないから怪我を心配されることもないだろうけど、これから座る畳には、少し申し訳ない。

 

「戻ったばかりかい?」

 

 入口の近くにいた女が、俺の袖へ目を向ける。

 

 曳舟桐生(ひきふねきりお)。十二番隊を預かるこの人は、会うたび、俺が飯を食ったかどうか聞いてくる。今日は先生の前だから流石に聞かれまいと思っていたら、顔を覗かれた。

 

「顔色がよくないね。何か食べた?」

「向こうで少し。俺の顔、そんなに酷いかねぇ」

「腹が空いた顔とは、違うけどね。座りな。話はもう始まるよ」

 

 なら、食っても直らない顔をしているのだろう。

 

 俺は頷いて、自分の場所へ入る。向かいには六番隊の朽木銀嶺(くちきぎんれい)がいた。こちらを見て一度だけ顎を引き、そのまま先生の方へ向き直る。

 

 前にも、同じように挨拶を交わしている。

 

 ただ、この人の名を初めて聞いた時には、何故かもう一度聞き返してしまった。どこかで聞いたことがある。曳舟の名も、そうだった気がする。今は顔を知っているし、話したこともあるから、昔の曖昧なものを探すより、こちらの方が先に浮かぶ。

 

 先生が杖を置く。

 

 座る場所を探していた俺も、そこで顔を上げた。

 

「西の討伐で、二名を失った」

 

 もう、聞いている。

 

 それでも、先生の声で聞けば、また蓮見の顔が浮かぶ。転がされた肩を押さえながら、次はどちらへ足を出せばよいかと尋ねてきた。あの時、俺は何と返しただろう。

 

 刀の方ばかり見なくていい。

 

 確か、そんなことを言った。

 

 先生の前に置かれた紙へ、目を戻す。二人の名があるのだろう。ここからは字まで読めないのに、そこだけ、いつまでも見てしまう。

 

「残った者から報告を取っておる。詳しい経緯は、それを待て。今日は、同じことを繰り返さぬための配置を決める」

 

 部屋の中央へ、現世の地図が広げられる。

 

 赤い印が、随分と増えていた。

 

 俺が今日歩いてきた川も、その中にある。寺は、ここか。女のいた渡し場は、もう少し下だろう。見たばかりの場所を探していると、先生の指が別の印へ置かれる。

 

「これまでの巡回では、間に合わん。魂葬へ向かった者が虚と遭遇し、その討伐に掛かっておる間に、別の場所へ魂が残る。援けを出せば、そちらの持ち場が空く。今は、空いたところへ次の任を入れておるだけじゃ」

 

 それなら、俺も何度もやっている。

 

 帰ってきた奴を休ませたいから、自分が代わりに出る。戻れば別の奴が疲れていて、今度はそちらへ行く。俺の身体は保つけれど、これを隊の全員へやらせるわけにはいかない。

 

「魂葬と討伐の人員を、分けられませんか」

 

 銀嶺が、地図へ目を落としたまま言う。

 

「魂葬を担う者まで虚を追えば、留まる魂は増える一方です。討伐に当たる者を近くへ置き、そちらへ引き継がせる方がよいでしょう」

「遠くへ呼びに行くなら、その間に喰われるよ」

 

 曳舟が地図の端を押さえる。

 

「引き継ぐまで、誰が守る? 魂葬へ回せる人数を増やしても、その子たちを弱いまま外へ出すわけにはいかない」

「無論、護衛はつけます。ただ、皆が同じ虚を追う必要はありません」

 

 俺は二人の間にある、赤い印を見る。

 

 今日の畑で、二人が虚を止めていた。一人は肩を斬られ、もう一人は倒れた魂へ声を掛け続けている。千鳥が着くまで俺が残らなければ、あの二人にまた守ってもらうことになっただろう。

 

「近くにいる奴を、呼べるようにはしたいねぇ」

 

 先生が、こちらを見る。

 

「俺も、川を渡って初めて別の隊に会ったよ。同じ村を回ってても、お互いにどこへいるか知らなかった。先に分かっていれば、あっちの人を休ませてから、残った場所を分けられたと思う」

 

 地図へ手を伸ばし、川の両側を指す。

 

 片方を回り終えたから帰る。もう片方では、まだ刀を抜いている。同じ帰り道を歩くなら、一声掛けてくれれば俺も見に行けるのだ。

 

「隊ごとの持ち場を決めるのは要るけど、境目まで来てから、これは誰に聞くんだろうってなるのは減らしたいな。俺なら勝手に入っちゃうけど、若い奴には言いにくいだろうから」

「お前は、入った後の報告を忘れるでな」

 

 それは、宗玄がやってくれている。

 

 言ってしまうと帰ってから叱られそうなので、俺はそこだけ頷いておく。先生も今は追及せず、川辺に置かれた印を隣へ動かす。

 

「近隣へ出す者には、互いの配置を知らせる。日ごとに変わる分は、現世で纏める者を置け。隊を跨いだ増援の要請も、そこへ通す」

「要請を待つ間に危ない時は、先に助けていいんだよねぇ」

「当然じゃ。助けた後で知らせよ」

 

 なら、その通りに教えよう。

 

 頭を下げてからでなければ手を出せないと思う奴が、一人でも減ればいい。俺を呼ぶ時にも、報告の言い方など考えず、まず場所を言ってほしい。

 

 地図の上で、印が幾つも動く。

 

 俺は自分の隊から出せる顔を数えながら、それを見ていた。皆を現世へ出せば、流魂街の巡回が空いてしまう。向こうから送ってきた魂が、こちらでも安心して歩けないのでは、俺たちは何をしているのだろう。

 

「先生。十番隊からは、俺も出るよ。明日は帰ってきた連中を休ませたいから、それが済んでからになるけど」

「お前が出れば済むと思うな。後を預ける者も決めておけ」

「うん。千鳥に任せる組と、俺が見る組で分ける。ただ、ほかの隊からも、合わせて動く人を出してほしい。次に俺が違う場所へ呼ばれても、残った人同士でやれるように」

 

 先生の目が、俺からほかの隊長へ移る。

 

 誰も、その場で返事を急がなかった。自分の隊にも、休ませたい者がいるのだろう。俺が顔を思い浮かべている間、向こうも同じことをしている。

 

 やがて銀嶺が、自分の前へ紙を寄せる。

 

「六番隊からも出しましょう。候補を選び、明日までに知らせます」

「うちからもね。ただ、怪我の残ってる子まで数に入れないでおくれよ」

 

 曳舟が先生へ言う。

 

 八千流は、先ほどから黙って座っていた。怪我人を診る方へどれだけ人が要るのか聞かれると、手元の紙を開いて答える。治った者の名前と、まだ動かせない者の名前。隊が違っても、あの人はちゃんと覚えているらしい。

 

 俺は膝の上で、指を開く。

 

 向こうで塞いできた肩は、今頃痛んでいないだろうか。

 

 明日、顔を見てから出よう。

 

        *

 

 隊長会を終えると、曳舟が廊下で待っていた。

 

 俺より先に出たはずなのに、行く手へ立っている。少し離れたところでは銀嶺が長次郎と話していた。もう明日の人員を決めるつもりらしく、こちらへ気づいても足を止めない。

 

 仕事が早いなぁ。

 

 俺も見習いたいところだけど、先に曳舟の持っている包みが気になっていた。

 

「これ、持っていきな」

「……俺に?」

「ほかに誰がいるのさ。帰ってから食べな。話してる間も、何度かぼうっとしてたよ」

「聞いてたんだけどねぇ」

「聞いてるから、そうなることもあるだろう」

 

 包みを受け取る。

 

 重い。開けずとも、握り飯だけではないことが分かる。持って帰れば宗玄が数えてくれるだろうと思い、それから、そういうことまで人任せにしている自分へ少し笑ってしまう。

 

「部下と分けてもいいかい」

「あんたの分までなくさなければね。足りないなら、今度は連れておいで」

「それ言うと、本当に来るよ。うちの三席、土産の話は忘れないから」

「いいじゃないか。忘れられるより」

 

 曳舟が、俺の袖を軽く払う。

 

 乾いた泥が落ちる。部屋へ入る前に、自分でやるつもりだったことを思い出す。随分と面倒を見てもらってしまった。

 

「……ありがとねぇ」

「うん。まず着替えな」

 

 それには、すぐ頷ける。

 

 帰ったら羽織を脱いで、傷を診て、それから飯だ。宗玄の報告がまだあれば、食いながら聞こう。蓮見のことも、もう少し尋ねたい。

 

 廊下を曲がる前に振り返ると、曳舟は別の隊長へ声を掛けていた。

 

 俺だけが、包みを持っているわけではなかった。

 

        *

 

 庭へ出ていたのは、千鳥と、見覚えのない若い男だった。

 

 俺が門から入っていくと、二人とも刀を下げる。千鳥は先に俺の手元を見てから、男へ顔を向け直す。

 

「こちらが、隊長です」

「ああ。お前さん、どこの人?」

 

 うちの隊士ではない。千鳥と知り合いなのかと思ったが、こちらを見る顔が硬い。俺が近づくと、両手を脇へ揃え、頭を下げた。

 

「蓮見六席に、教えていただいていた者です」

 

 包みを持つ手が、止まる。

 

 千鳥が、こちらへ歩いてきた。

 

「以前、こちらの稽古へ来たことがあるそうです。蓮見六席が、また伺うとお話しになっていたと」

「……そっか。俺と会ったことはある?」

「いえ。前に来た時は、隊長はお留守でした」

 

 なら、あいつは俺のいない日にまで来ていたのか。

 

 宗玄が何度か話してくれた気もする。別の隊から稽古へ来た者がいる。千鳥が相手をした。俺はよかったねぇと返し、そのまま紙へ名前を書いていたかもしれない。

 

 俺の覚えていない日に、あいつもここを歩いていた。

 

「今日は、どうしたの」

「教わっていたものの続きを、千鳥三席にお願いできないかと。あの時、二人で退く稽古をしたのですが、私が先に出ると、後ろを見る方が遅れてしまって」

 

 男が、自分の刀を見る。

 

 そこから先は、少し声が小さくなった。

 

「蓮見六席には、まだ分かっていないところを、次に確かめようと言われておりました」

 

 次は、もう来ない。

 

 俺は包みを千鳥へ渡し、腰の刀へ手を添える。今朝まで振っていたものなのに、柄を握ると、また男の肩から転がった蓮見の姿が浮かぶ。

 

 あいつも、初めから教えるのが上手かったわけではないのだろう。

 

 俺に尋ね、千鳥へ尋ね、それを自分の隊で試していた。その続きを確かめたい奴が、今ここへ来ている。

 

「うん。やろうか。お前さんの隊には、話してある?」

「はい。夕方までには戻るようにと」

「じゃあ、そこまでね。次に来る日も、帰る前に決めとこう。俺が留守なら、千鳥に見てもらえばいいから」

 

 千鳥が、包みを脇へ置く。

 

 男はすぐ刀を構えようとしたので、先に名前を聞いた。口に出して確かめると、ようやく顔から少し力が抜ける。

 

「それじゃ、俺が後ろから追うよ。千鳥と二人で、門まで行ってみて」

「刀は、抜いたままでよろしいですか」

「うん。ただ、振り向く時は隣も見てねぇ。自分の刀で千鳥の袖を斬ると、結構怒られるよ」

「隊長も、気をつけてください」

 

 俺もかい。

 

 千鳥はもう男の隣へ立ち、どちらが先に出るか尋ねている。返事を聞いてから場所を譲り、刀の向きまで確かめていた。

 

 俺は庭の端へ回る。

 

 蓮見には、もう教えられない。

 

 そう考えたところで、足が少し止まりかける。けれど、門の前には、こっちを待っている二人がいた。男の握る刀は、まだ肩より上へ来ている。背後を見る時に隣へ当たりそうだ。

 

「もう少し、下げようか。それだと、後ろを見た拍子に振っちゃうから」

 

 男が、刀を下げる。

 

 よし。それなら始められる。

 

 俺は二人が頷くのを待ってから、庭へ踏み出した。

 

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