送りし背には 灯を託し
残りし袖には 夜が迫る
宗玄が刀を持っている。
いや、持っているのはいつものことだ。副隊長なのだから、腰へ差していない日の方が少ない。ただ、俺の部屋へ来る時には、だいたい片手に紙がある。今日はそれがないので、先に腰の方へ目が行ってしまう。
「お出掛けですか、隊長」
「うん。西の方で、また黒腔が開いたって。七番隊から援けを頼まれてる」
「こちらにも来ています。東の巡回から、大虚を確認したと」
机へ広げた地図を、宗玄が指す。
俺の行く方とは、随分と離れていた。同じところから知らせが来たなら、まとめて見て回れるのだけど。近頃の虚は、こちらの都合を聞いてくれない。前から聞いてくれたことなど、一度もないのだが。
「そっちも俺が行こうか」
「まず西へお願いします。七番隊には、負傷者が出ているのでしょう」
「そう聞いてる。東は?」
「まだ接触していません。千鳥が先へ出ていますので、私も隊士を連れて合流します。残っている魂を送ってから、交戦するか判断いたします」
宗玄の指が、街道へ沿って動く。巡回の者は山側。魂が集まっているのは、その下の村だ。大虚はもっと向こうへ出たらしい。今なら、こちらが顔を見せる前に、村から離してやれる。
「大きいのを、追いかけなくていいからねぇ。送ったら一度下がって。俺も西が済んだら、そっちへ回るよ」
「はい。現地へ着き次第、場所をお知らせします」
「何かあったら、その前でも呼んで。俺がまだ戦ってるかも、とかは考えなくていいから」
宗玄が顔を上げる。
何度も言ってきたことだ。だからといって、今日も言わずに済ませる気にはならなかった。皆、こちらへ気を遣うのが上手くなっている。そこだけは、あまり上手くなってほしくないのだけど。
「承知しております。隊長こそ、負傷者を運ぶ際には四番隊へ先にお知らせください。前回は、受け入れる部屋を急いで空けていただくことになりました」
「……ああ。あったねぇ。今日は先に言うよ」
こちらも言われてしまった。
刀を腰へ戻して立ち上がると、宗玄が地図を畳む。俺の分まで持っていこうとするので、西の場所だけもう一度見せてもらった。川を二つ越えた先。巡回の者がいる霊力も、向こうへ着けば分かるだろう。
廊下で、出掛ける隊士とすれ違う。その中に佐伯がいた。肩へ袋を掛け、俺を見るなり立ち止まるので、手を上げて先へ行ってもらう。
「お前さんも、東?」
「はい。負傷者を運ぶ組を任されました」
「そっか。担がれる方には、ならないでねぇ」
「今度は、担ぐ方で戻ります」
頼もしい返事だ。
宗玄もその隣へ並び、門の方へ歩いていく。今日は見送る側ではないらしい。俺は二人の背を見てから、西へ向けて道を繋いだ。
*
七番隊の隊士は、崩れた土塀の陰にいた。
一人が仲間の肩を押さえ、もう一人がこちらへ刀を向けている。俺だと分かって刃が下がったところへ、頭上から赤い光が落ちてきた。
「縛道の八十一⸺
壁の向こうで、土塀が吹き飛ぶ。
ああ、そこへ隠れていたのか。俺が来る前にもう一度撃たれていたら、この高さでは足りなかっただろう。刀を抜きながら、三人を後ろへ寄せる。
「動ける?」
「私は。こちらの二人が、まだ」
「じゃあ、そのままいて。すぐ戻るから」
白い顔が、屋根の向こうに三つ。真ん中の一体が口を開く。先ほど撃ったものとは別だった。交代で撃たれていたらしい。こちらが顔を出すのを待つくらいの知恵はあっても、出てきた相手が何なのかまでは、見てくれない。
その仮面へ、刃を通す。
隣の顔が俺を追う頃には、二つ目も割れていた。最後の一体は黒腔へ戻ろうとしたので、肩の上へ降りて、額から斬り下ろす。
逃げるなら初めから出てこなければいい、とは言ってやれない。こいつらにも、腹が減るくらいの理由はあるのだろう。ただ、あの三人を置いて帰る理由にはしてやれなかった。
地面へ戻り、肩を押さえていた隊士の隣へ膝をつく。傷が深い。指の間から血が出ているので、まずそこへ掌を添えた。
「押さえててくれて、ありがとう。ここからは俺がやるよ」
「……はい」
手が離れる。
傷を塞ぎながら、もう一人の顔を見る。腹へ巻いた布が赤い。こちらも、早く運んだ方がいい。
「四番隊へ知らせてくれる? 二人、今から連れていくって。俺からだと言ってくれていいからねぇ」
頼むと、無傷の男がすぐ立ち上がる。
よし。今日は宗玄に叱られずに済みそうだ。そんなことを考えているうちに、肩の傷から流れる血が止まった。全部をここで治すより、腹の方を先に見たい。
掌を移すと、背後へ伝令が降りる。
「十番隊から、増援要請です」
俺は顔を上げる。
「場所は」
「先に報告された村の南です。魂の退避中、新たな黒腔が二つ開きました。榊庭副隊長と篠目三席が、現地で対応されています」
宗玄の指が辿った街道を思い出す。南なら、村を出て帰る方だ。
「分かった。すぐ行く」
腹の傷へ添えた手は、まだ離せない。俺は伝令へ近くの七番隊を呼ぶよう頼み、血の流れを押さえたまま、空いた手を地面へ向ける。
「
四番隊の前まで、道を繋ぐ。向こうにいた隊士がこちらを見る。受け入れる者が出てきてくれたので、俺は負傷者を抱き上げた。
東へも行く。二人も運ぶ。
どちらかを諦める相談など、今はしていられなかった。
*
「佐伯。橋へ集めず、下の浅いところを使ってください」
宗玄の声を聞き、佐伯が振り返った。
川の向こうには、先に渡った魂がいる。こちらには負傷した隊士が二人と、まだ村から出てきていない者たち。橋は狭く、一人が転べば後ろも止まる。
「歩けない方は、先に運びます。向こうへ下ろしたら、こちらへ戻ってきます」
「戻る時は岸を変えてください。同じ場所へ並ぶと、上から狙われます」
林の向こうで、木が揺れる。
千鳥が枝の間を抜け、白い仮面の前へ出ていた。大虚の目が村へ向くより先に、刀を頭上へ掲げる。
「降り敷け、
刀身が細く伸びた。
振り下ろした刃から、淡い光が離れる。二つに分かれた尾を引き、燕の姿を取ったそれが、弧を描いて大虚の顔へ向かった。
仮面へ傷が走る。
白い顔が千鳥を追う。その口へ赤い光が集まり始めると、千鳥は刀を横へ払った。新たな燕が頬の脇を抜け、開きかけた顎へ下から当たる。
光は木々の上を越えていった。
その間に、村から三人が出てくる。千鳥はそちらへ背を向けたまま、林の奥へ移った。大虚も身体を引きずり、彼女を追う。
「副隊長!」
川上から声がした。
宗玄が顔を上げる。空に開いた三つ目の黒腔から、黒い身体が二つ降りていた。大虚ほど大きくはない。地面へ着くなり四本の脚を広げ、村へ向けて走り始める。
「絡め、
抜いた刀の刃が、幾つもの節へ分かれる。
宗玄が腕を振ると、鉄の鞭となった刀身が川岸を走った。先頭の虚の前脚へ巻きつき、その身体を横へ引き倒す。後ろから来た一体が、倒れた仲間を跳び越えた。
宗玄は柄を引いた。
巻きついた刃が脚を断ち、戻りながら節を噛み合わせていく。長い一振りへ固まった鉄葛を両手で持ち直し、飛び込んできた仮面へ叩き込む。
白い顔が砕けた。
倒した一体が、残る脚で地面を掻く。宗玄へ口を向けたところへ、林から飛んできた燕が、その目を貫いた。
「こっちへ来ましたね」
戻ってきた千鳥が、宗玄の隣へ降りる。
頬に土がついていた。袖の端も焼けている。宗玄はそちらを一度見てから、木々の向こうへ目を戻した。
「向こうは」
「まだ動けます。脚は一本落としましたが、村へ戻ろうとするので、置いては来られませんでした」
「では、ここで止めましょう。隊長へは増援を要請しました」
「分かりました。……皆、援けは来ます。川を渡ったら、そのまま南へ!」
千鳥の声に、足の止まっていた男が動く。
隣の女へ手を貸し、浅い流れへ入っていく。佐伯は負傷者を背負い、その先で待っていた隊士へ声を掛けた。
林の木が倒れる。
大虚が顔を出した時には、宗玄はもう川岸を離れていた。口へ赤い光が灯る。千鳥が刀を振り上げると、二羽の燕が左右から仮面へ向かった。
大虚は腕で顔を覆う。
その手首へ、鉄葛が巻きついた。
「千鳥、顔を」
宗玄が腰を落とす。
地面を踏んだ足が土を削り、張り詰めた刀身の節が鳴った。腕が引き下ろされ、仮面が露わになる。
千鳥は、既に刀を振っていた。
一羽が額へ、もう一羽がその下へ。続けて飛んだ光が白い顔を深く切り、口に集まっていた赤が散った。
宗玄が鉄葛を引き戻す。
崩れ始めた身体を確かめてから、千鳥は村へ顔を向けた。
「あと、何人ですか」
「六人。北の家から、今こちらへ来ています」
そこまで来れば、まとめて送れる。
川の向こうへ行った隊士も戻り始めていた。佐伯が負傷者を下ろし、今度は空いた両手で渡ってくる。その背後へ、黒い影が落ちた。
川の上に開いた黒腔から、長い腕が伸びている。
指先が向こう岸を掻き、並んでいた魂が一斉に退く。下がる先にも、人がいた。
「千鳥、こちらをお願いします!」
宗玄が川を越える。
腕を伸ばすより先に、鉄葛がその手首へ届いた。刃を巻きつけ、南へ向けていた指を川の中へ引き落とす。
水が跳ねた。
黒腔から出てきた白い顔が、宗玄へ口を向ける。その奥には、既に赤い光があった。宗玄は柄を両手で握り直し、巨大な腕をさらに引く。
肩が傾き、顎が上がる。
赤い光は岸を越え、離れた山へ突き刺さった。
「今のうちに、先へ!」
背後の魂へ声を掛けながら、宗玄は鉄葛を解いた。虚が腕を引き上げる。それを追って跳び、固めた刃を仮面へ打ち込むと、鼻の横から亀裂が広がった。
もう一撃。
柄を返しかけた宗玄へ、反対の手が迫る。
腹の前で刃を戻した。指を一本落としたものの、その隣の爪までは止まらない。脇腹を裂かれ、着物から血が噴いた。
宗玄の身体が、川へ落ちかける。
残った指へ鉄葛を巻き、空中で踏みとどまった。柄を引き寄せ、腕へ足を掛ける。そのまま白い顔の横へ上がり、亀裂へ刀を振り下ろす。
仮面が割れた。
川岸へ降りると、膝が僅かに折れる。宗玄は柄を支えに立ち直り、走ってきた佐伯へ手を上げた。
「歩けない方を、先へ。ここで集まらないでください」
「ですが、その傷は」
「自分で押さえられます。お任せした方は、まだ一人残っていますね」
佐伯の目が川へ戻る。
向こう岸では、千鳥が刀を左右へ振っていた。低く飛んだ燕が虚の脚を切り、もう一羽が隊士の背後へ迫った爪を断つ。その隙に、六人の魂が川へ入っていく。
宗玄は腹へ布を当て、帯へ挟んだ。握っていた鉄葛を伸ばし、川上から近づく虚へ向ける。
「全員が渡るまで、こちらを空けておきます。佐伯、途中で振り返らなくて結構です。千鳥も私も、ここにいますから」
佐伯が唇を結ぶ。
それから頭を下げ、川へ戻っていった。
*
最後の魂が渡った時、千鳥の袖から血が落ちていた。
刀を握る手までは伝っていない。宗玄がそちらへ目を向けると、彼女は先に川上を指した。
「二体。下にも来ています」
白い顔の下に、幾つもの虚がいた。川へ入ってくるものと、岸に沿って回るもの。宗玄が鉄葛を振ると、伸びた刃が先頭の首へ巻きつく。
柄を引いて倒す。
その背を越えようとした虚へ、千鳥の燕が飛んだ。仮面を切り、向こう岸で開いた別の口へ、もう一羽が滑り込む。
「皆は、どこまで行きました?」
「佐伯が先導しています。あの坂を越えれば、村からは見えなくなります」
宗玄の答えを聞き、千鳥は肩越しに南を確かめた。
「では、そこまで行かせましょう。追ってくる方を、私が見ます」
「私も残ります。向こう岸から回るものを通せば、途中で挟まれますから」
「……その腹で、走れますか」
「走れます。追いつく先を決めておけば」
千鳥が小さく息を吐く。
「隊長なら、怒りますよ」
「でしょうね。戻ったら、聞きます」
宗玄が鉄葛を払った。
川へ踏み込んできた脚が切れ、大きな身体が水へ倒れる。跳ねた水の上を燕が抜け、その仮面へ届いた。千鳥は刀を引き、次に放つ軌道を変える。
岸へ沿って走る一体。
その前脚を切ったところで、頭上が赤く染まった。
「離れてください!」
宗玄の声に、千鳥が地面を蹴る。
二人の間へ虚閃が落ち、川岸が抉れた。千鳥は着地と同時に刀を振る。光へ隠れて近づいてきた虚が、胸を切られて倒れ込む。
宗玄はその隣へ戻り、南へ声を投げた。
「佐伯!」
坂の途中で、隊士が振り返る。
「そのまま行ってください! 隊長が来られたら、こちらだと伝えて!」
返事が届く。
千鳥はそちらへ手を上げ、それから雨燕を構え直した。背後で足音が遠ざかっていく間、川の向こうには新たな白い顔が現れていた。
「戻ったら、あの俵、もう少し重くしましょうか」
「佐伯が嫌がりますね」
「今日、二人運べましたから。まだ持てますよ」
宗玄の口元が、僅かに緩む。
南へ続く道から、最後の背が見えなくなった。鉄葛の節が開き、千鳥の刀の先へ淡い光が集まる。
二人は川へ向き直る。
今度は、虚の方から渡ってきた。