古き袖にも 名は増えて
残りし庭に 根は伸びる
爺さんの荷は、俺が抱えていた。
着替えと、椀と、昨日抜いた大根。刀は本人が腰へ差している。家を出る前に忘れ物はないか尋ねたら、忘れたら取りに帰ればよかろうと返された。
俺が言ったら、宗玄には叱られた返事だ。
けれど、今日は俺も頷いてしまった。爺さんが家を離れる支度をしている。それだけで、持っていくものを増やしてほしいような、帰る理由も残しておいてほしいような気になる。
「その大根、台所へ持っていくよ」
「葉も食えると伝えろ。捨てる奴がおるからな」
「うちの連中は食べると思うけどねぇ。よく動くから」
道を抜けると、十番隊の庭へ出た。
軒の下で待っていた者が頭を下げる。俺の荷へ目を向けてから、隣の爺さんを見る。聞いていた客と、目の前にいる人を結びつけているところなのだろう。
「隊長、お部屋は整えてあります。こちらのお荷物を」
「ありがとう。こっちは着替え。大根は俺が持っていくから」
包みを渡す間に、爺さんは庭へ歩き出していた。
俵の前で止まる。
新しく巻いた縄へ指を掛け、持ち上げるでもなく、少しだけ傾けている。近くで素振りをしていた隊士が、それを見て刀を下げた。
「これは何に使う」
「負傷した者を運ぶ稽古です。担いで、あちらの塀まで」
「担いだ者を残りが守るのか」
「はい。途中で代わることもあります」
爺さんが塀を見る。
隊士は俺へ目を向けた。説明が合っているか、確かめたい顔だ。頷いてやると、今度は自分から、俵を担ぐ時の手の掛け方まで話し始める。
昨日、会ってほしい人が来ると伝えた。
俺へ剣を教えてくれた人だとも。
それを聞いていた奴らは、もう少し大きな身体を想像していたかもしれない。目の前にいるのは、細い腕で俵の縄を触っている爺さんだ。俺と斬り合っていたところを見なければ、畑で会った時の方が似合って見えるだろうなぁ。
「後で、やっておるところを見せてくれ」
「承知しました」
返事をした隊士が俵を元へ戻す。
爺さんはその手を見てから、俺の隣へ帰ってきた。
「先に部屋か」
「うん。荷を置いて、先生のところへ行こう。昨日、話は伝えてあるから」
大根を台所へ預ける。
葉も食えると俺が言い終わる前に、爺さんが後ろから刻んで飯へ混ぜてもよいと付け足した。受け取った男は包丁の置いてある方を見て、では昼に、と頷く。
爺さんはそれで満足したらしい。
部屋へ案内すると、まず窓を開けた。
*
「逆瀬川厳十斎じゃ」
爺さんが名乗る。
先生はその顔を見てから、俺へ目を向けた。昨日も名前は伝えてある。聞き違いではないと確かめているのか、それとも、よく山から連れ出したなと思われているのか。
どちらでも、今日は帰ってもらうつもりがない。
「副隊長を頼みたい人だよ。まず、隊を見てもらうことになってる」
「そう聞いておる」
先生は爺さんへ向き直る。
「烏有が世話になったことは、以前より聞いております。今回も、足を運んでいただいた」
「こいつが来てくれと言うたからのう。お前のところで、どんな暮らしをしておるかも気になった」
俺は横から先生の顔を見る。
この人が、相手へそんなふうに話すのは珍しい。爺さんの方も、先生を見たまま座っている。二人とも刀へ手は伸ばさない。それだけは、来る前に少し心配していた。
「儂は、隊の用事を知らん。副隊長というものへ、何を任せる」
「隊長の補佐と、隊士の指揮を。ほかにも隊ごとの役割がありますが、まずは烏有と、実際の任務を見ていただくのがよろしいでしょう」
「そいつは、こいつへ聞く。お前に尋ねたいのは、儂が人を連れて出た時じゃ」
爺さんの手が、膝へ置かれる。
「戻る判断も、儂へ任せるか」
先生は俺を見なかった。
「現場で指揮を執る者に、判断を求めます。ただし、下がれば残した者が襲われることもある。退くことだけを、先に決めてはおれません」
「ならば、連れて出た者へも、退かねばならん時には退かせる。儂がそこへ立っておるからといって、最後までつき合わんようにとな」
先生が頷く。
「烏有も、そう教えております」
「知っとる。庭で、俵を使うておったわ」
爺さんが俺へ顔を向ける。
「お前が教えたことは、残っておるぞ」
急にこちらへ話が来て、返事が遅れた。
昨日も庭へ出ていた。皆が走り、教え合っているところを、自分で見た。残っているのは分かっていたはずなのに、爺さんの口から聞くと、もう一度頷かねばならなかった。
「……うん」
先生は机へ手を置く。
「任官については、改めて話しましょう。隊を見る間も、何かあれば一番隊へお知らせください」
「分かった。儂の名を、そこの者へ伝えておいてくれ。門で止められると、こいつが迎えに来るまで待たねばならん」
先生の口元が、僅かに動いた。
「長次郎へ伝えておきます」
俺も、十番隊へ帰ったら伝えよう。
爺さんが一人で出掛けて、門で待っている姿は、どうも想像しにくかった。
*
昼の飯には、大根の葉が入っていた。
爺さんは一口食ってから、台所の方を見る。作った奴を呼んで叱るのかと思ったら、自分で育てたものが、いつもと違う味になったのが気になるらしい。
「何を入れた」
「塩と、少し油を。葉だけでは、若い者が物足りないかと」
「なるほど。家でも、やってみるかのう」
そう言って、また食い始める。
俺は隣で汁を飲んだ。今日は向かいにも人がいる。席を空けていた連中へ、いつものところで食ってくれていいと伝えたら、二人ほど座ってくれた。
それでも、食堂は前より静かだった。
誰かが話しても、長くは続かない。笑いかけてから箸へ目を落とす奴もいる。俺が明るくしてやれば済むのなら、何か一つくらい話せばいい。
そう考えて、何も浮かばなかった。
「爺さん。飯が済んだら、庭を見てもらえる?」
「さっきの俵か」
「うん。今日は、怪我してない奴らだけでやる。佐伯も見てる方だけ」
少し離れた席で、佐伯が顔を上げる。
名前が聞こえたからだろう。こちらへ頷いてから、隣の男へ何か話した。そいつは肩の包帯を指し、佐伯が首を振る。
爺さんが、そのやり取りを見ていた。
「本人は、やりたいようじゃな」
「まだ駄目。俺が治した分だから、そこは俺が決めるよ」
言い切ると、爺さんが俺を見る。
「ならばそう言うてやれ。こっちで話しても、あやつらは聞き耳を立てねばならん」
もっともだった。
俺は椀を置き、佐伯へ顔を向ける。呼ばれるのを待っていたらしく、すぐに目が合った。
「お前さん、今日は見ててねぇ。肩が治るまでは、俵も人も担がないこと。明日、もう一度俺が見るから」
「……はい」
「その代わり、外から気づいたところを教えて。走ってる奴らには、見えないところもあるだろう」
佐伯が隣の男を見る。
今度は男の方が頷いた。
爺さんは何も言わず、飯の残りを食っている。俺も箸を持ち直す。こいつらへ教えることを、俺が横から教わってしまった。
初日から忙しい人だ。
*
俵が落ちたのは、三度目だった。
受け取る男が先へ動き、渡す方が手を離す。持ち上がったはずの端が滑って、藁を詰めた身体が地面へ転がった。
俺は刀を下げる。
男たちがすぐ拾いに戻ろうとしたところで、爺さんの声が掛かった。
「そのままじゃ。落とした者は、拾え。残りは、追うてくる奴を見ておれ」
隊士の一人が、こちらへ向き直る。
次に、もう一人。
俺は俵へ近づこうとしていた足を、少し止めてやった。拾う役の男が膝をつき、今度は胸へ抱えるように持ち上げる。隣の奴が片側を支え、そのまま二人で塀へ向かう。
刀が、俺の前へ出た。
追わせないつもりだ。
うん。それなら、こちらも少し追ってやろう。
刃を避け、脇へ回る。次の男がそこへ入ってきたので、今度は反対へ。俵を持つ二人が塀へ着いた頃には、こちらへ残った連中も、ゆっくり下がり始めていた。
「そこまで」
声を掛けると、刀が下がる。
息を整えながら、皆が爺さんの方を見た。言われたことを、もう一度聞きたいのだろう。本人は縁側へ座り、膝に置いた手を動かさない。
「落とした後、どうすればよかったのでしょうか」
俵を拾った男が尋ねる。
「拾うたじゃろう」
「はい。ただ、落とさないように運ぶ稽古でしたので」
「落とさんようには、次もやれ。落とした時は、今日みたいに拾え。その間、あとの者が守る。怪我人を落としたくらいで、全員が敵から目を離してどうする」
男たちが顔を見合わせる。
俺も、爺さんの隣へ腰を下ろした。
落とさずに運べた時は褒めた。しくじった時には、もう一度やってもらった。けれど、俵が地面へついたところで俺が止めれば、その後を試す暇はない。
今日の三度目は、最後まで運べた。
「爺さん、もう一回付き合ってくれる?」
「追う方も、少し遅うなれ。あれでは、儂が言わんうちに皆終わってしまう」
「さっき、待ったよ」
「最初の二度じゃ。見ておったら、落とす前に触っておったぞ」
後ろで、誰かが息を漏らす。
佐伯だった。顔へ手をやりかけて、俺と目が合う。笑っていいものか、まだ迷っているらしい。
「お前さんも見てたんなら、言ってよねぇ」
「隊長が遅くされるかと思っておりました」
「爺さんに頼んどけば、言ってくれるよ。俺が速すぎる時は」
今度は、隣にいた男も笑った。
爺さんが俵を指す。
「もう一度やるなら、縄を締め直せ。片方が緩んでおる」
二人がすぐに庭へ戻る。ほかの連中も集まり、持ち上げる前に縄を引いて確かめていた。
俺はそれを見ながら、膝へ手を置く。
宗玄の机はまだ空いている。
千鳥の代わりに呼んでしまう奴も、明日またいるかもしれない。それを今日、なくしてやることはできなかった。
けれど、今は俵を囲んで相談する声が聞こえる。
「儂は、あそこへ座らん方がよさそうじゃな」
爺さんが言う。
俺が顔を向けると、廊下の奥へ目をやっていた。昼に見せた部屋のことらしい。宗玄の机も、紙を読む者たちも、見てもらっている。
「机?」
「儂の分は、ほかへ置け。紙を探す時に、椅子を退けるのも面倒じゃろう」
「……うん。そうするよ」
爺さんは庭へ目を戻した。
俺も隣で、皆が縄を締め終わるのを待つ。
『お前様。今度は、待っておいでになる方が増えんしたな』
「そうだねぇ」
胸の内へ返す。
庭の男がこちらを向き、準備できましたと声を上げた。爺さんへも聞こえるよう、前より少し大きな声だった。
俺は腰を上げる。
今度は急いで触りに行かずに済みそうだ。