卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

80 / 81


古き袖にも 名は増えて
残りし庭に 根は伸びる




80.老松の寄り処

 

 

 爺さんの荷は、俺が抱えていた。

 

 着替えと、椀と、昨日抜いた大根。刀は本人が腰へ差している。家を出る前に忘れ物はないか尋ねたら、忘れたら取りに帰ればよかろうと返された。

 

 俺が言ったら、宗玄には叱られた返事だ。

 

 けれど、今日は俺も頷いてしまった。爺さんが家を離れる支度をしている。それだけで、持っていくものを増やしてほしいような、帰る理由も残しておいてほしいような気になる。

 

「その大根、台所へ持っていくよ」

「葉も食えると伝えろ。捨てる奴がおるからな」

「うちの連中は食べると思うけどねぇ。よく動くから」

 

 道を抜けると、十番隊の庭へ出た。

 

 軒の下で待っていた者が頭を下げる。俺の荷へ目を向けてから、隣の爺さんを見る。聞いていた客と、目の前にいる人を結びつけているところなのだろう。

 

「隊長、お部屋は整えてあります。こちらのお荷物を」

「ありがとう。こっちは着替え。大根は俺が持っていくから」

 

 包みを渡す間に、爺さんは庭へ歩き出していた。

 

 俵の前で止まる。

 

 新しく巻いた縄へ指を掛け、持ち上げるでもなく、少しだけ傾けている。近くで素振りをしていた隊士が、それを見て刀を下げた。

 

「これは何に使う」

「負傷した者を運ぶ稽古です。担いで、あちらの塀まで」

「担いだ者を残りが守るのか」

「はい。途中で代わることもあります」

 

 爺さんが塀を見る。

 

 隊士は俺へ目を向けた。説明が合っているか、確かめたい顔だ。頷いてやると、今度は自分から、俵を担ぐ時の手の掛け方まで話し始める。

 

 昨日、会ってほしい人が来ると伝えた。

 

 俺へ剣を教えてくれた人だとも。

 

 それを聞いていた奴らは、もう少し大きな身体を想像していたかもしれない。目の前にいるのは、細い腕で俵の縄を触っている爺さんだ。俺と斬り合っていたところを見なければ、畑で会った時の方が似合って見えるだろうなぁ。

 

「後で、やっておるところを見せてくれ」

「承知しました」

 

 返事をした隊士が俵を元へ戻す。

 

 爺さんはその手を見てから、俺の隣へ帰ってきた。

 

「先に部屋か」

「うん。荷を置いて、先生のところへ行こう。昨日、話は伝えてあるから」

 

 大根を台所へ預ける。

 

 葉も食えると俺が言い終わる前に、爺さんが後ろから刻んで飯へ混ぜてもよいと付け足した。受け取った男は包丁の置いてある方を見て、では昼に、と頷く。

 

 爺さんはそれで満足したらしい。

 

 部屋へ案内すると、まず窓を開けた。

 

        *

 

「逆瀬川厳十斎じゃ」

 

 爺さんが名乗る。

 

 先生はその顔を見てから、俺へ目を向けた。昨日も名前は伝えてある。聞き違いではないと確かめているのか、それとも、よく山から連れ出したなと思われているのか。

 

 どちらでも、今日は帰ってもらうつもりがない。

 

「副隊長を頼みたい人だよ。まず、隊を見てもらうことになってる」

「そう聞いておる」

 

 先生は爺さんへ向き直る。

 

「烏有が世話になったことは、以前より聞いております。今回も、足を運んでいただいた」

「こいつが来てくれと言うたからのう。お前のところで、どんな暮らしをしておるかも気になった」

 

 俺は横から先生の顔を見る。

 

 この人が、相手へそんなふうに話すのは珍しい。爺さんの方も、先生を見たまま座っている。二人とも刀へ手は伸ばさない。それだけは、来る前に少し心配していた。

 

「儂は、隊の用事を知らん。副隊長というものへ、何を任せる」

「隊長の補佐と、隊士の指揮を。ほかにも隊ごとの役割がありますが、まずは烏有と、実際の任務を見ていただくのがよろしいでしょう」

「そいつは、こいつへ聞く。お前に尋ねたいのは、儂が人を連れて出た時じゃ」

 

 爺さんの手が、膝へ置かれる。

 

「戻る判断も、儂へ任せるか」

 

 先生は俺を見なかった。

 

「現場で指揮を執る者に、判断を求めます。ただし、下がれば残した者が襲われることもある。退くことだけを、先に決めてはおれません」

「ならば、連れて出た者へも、退かねばならん時には退かせる。儂がそこへ立っておるからといって、最後までつき合わんようにとな」

 

 先生が頷く。

 

「烏有も、そう教えております」

「知っとる。庭で、俵を使うておったわ」

 

 爺さんが俺へ顔を向ける。

 

「お前が教えたことは、残っておるぞ」

 

 急にこちらへ話が来て、返事が遅れた。

 

 昨日も庭へ出ていた。皆が走り、教え合っているところを、自分で見た。残っているのは分かっていたはずなのに、爺さんの口から聞くと、もう一度頷かねばならなかった。

 

「……うん」

 

 先生は机へ手を置く。

 

「任官については、改めて話しましょう。隊を見る間も、何かあれば一番隊へお知らせください」

「分かった。儂の名を、そこの者へ伝えておいてくれ。門で止められると、こいつが迎えに来るまで待たねばならん」

 

 先生の口元が、僅かに動いた。

 

「長次郎へ伝えておきます」

 

 俺も、十番隊へ帰ったら伝えよう。

 

 爺さんが一人で出掛けて、門で待っている姿は、どうも想像しにくかった。

 

        *

 

 昼の飯には、大根の葉が入っていた。

 

 爺さんは一口食ってから、台所の方を見る。作った奴を呼んで叱るのかと思ったら、自分で育てたものが、いつもと違う味になったのが気になるらしい。

 

「何を入れた」

「塩と、少し油を。葉だけでは、若い者が物足りないかと」

「なるほど。家でも、やってみるかのう」

 

 そう言って、また食い始める。

 

 俺は隣で汁を飲んだ。今日は向かいにも人がいる。席を空けていた連中へ、いつものところで食ってくれていいと伝えたら、二人ほど座ってくれた。

 

 それでも、食堂は前より静かだった。

 

 誰かが話しても、長くは続かない。笑いかけてから箸へ目を落とす奴もいる。俺が明るくしてやれば済むのなら、何か一つくらい話せばいい。

 

 そう考えて、何も浮かばなかった。

 

「爺さん。飯が済んだら、庭を見てもらえる?」

「さっきの俵か」

「うん。今日は、怪我してない奴らだけでやる。佐伯も見てる方だけ」

 

 少し離れた席で、佐伯が顔を上げる。

 

 名前が聞こえたからだろう。こちらへ頷いてから、隣の男へ何か話した。そいつは肩の包帯を指し、佐伯が首を振る。

 

 爺さんが、そのやり取りを見ていた。

 

「本人は、やりたいようじゃな」

「まだ駄目。俺が治した分だから、そこは俺が決めるよ」

 

 言い切ると、爺さんが俺を見る。

 

「ならばそう言うてやれ。こっちで話しても、あやつらは聞き耳を立てねばならん」

 

 もっともだった。

 

 俺は椀を置き、佐伯へ顔を向ける。呼ばれるのを待っていたらしく、すぐに目が合った。

 

「お前さん、今日は見ててねぇ。肩が治るまでは、俵も人も担がないこと。明日、もう一度俺が見るから」

「……はい」

「その代わり、外から気づいたところを教えて。走ってる奴らには、見えないところもあるだろう」

 

 佐伯が隣の男を見る。

 

 今度は男の方が頷いた。

 

 爺さんは何も言わず、飯の残りを食っている。俺も箸を持ち直す。こいつらへ教えることを、俺が横から教わってしまった。

 

 初日から忙しい人だ。

 

        *

 

 俵が落ちたのは、三度目だった。

 

 受け取る男が先へ動き、渡す方が手を離す。持ち上がったはずの端が滑って、藁を詰めた身体が地面へ転がった。

 

 俺は刀を下げる。

 

 男たちがすぐ拾いに戻ろうとしたところで、爺さんの声が掛かった。

 

「そのままじゃ。落とした者は、拾え。残りは、追うてくる奴を見ておれ」

 

 隊士の一人が、こちらへ向き直る。

 

 次に、もう一人。

 

 俺は俵へ近づこうとしていた足を、少し止めてやった。拾う役の男が膝をつき、今度は胸へ抱えるように持ち上げる。隣の奴が片側を支え、そのまま二人で塀へ向かう。

 

 刀が、俺の前へ出た。

 

 追わせないつもりだ。

 

 うん。それなら、こちらも少し追ってやろう。

 

 刃を避け、脇へ回る。次の男がそこへ入ってきたので、今度は反対へ。俵を持つ二人が塀へ着いた頃には、こちらへ残った連中も、ゆっくり下がり始めていた。

 

「そこまで」

 

 声を掛けると、刀が下がる。

 

 息を整えながら、皆が爺さんの方を見た。言われたことを、もう一度聞きたいのだろう。本人は縁側へ座り、膝に置いた手を動かさない。

 

「落とした後、どうすればよかったのでしょうか」

 

 俵を拾った男が尋ねる。

 

「拾うたじゃろう」

「はい。ただ、落とさないように運ぶ稽古でしたので」

「落とさんようには、次もやれ。落とした時は、今日みたいに拾え。その間、あとの者が守る。怪我人を落としたくらいで、全員が敵から目を離してどうする」

 

 男たちが顔を見合わせる。

 

 俺も、爺さんの隣へ腰を下ろした。

 

 落とさずに運べた時は褒めた。しくじった時には、もう一度やってもらった。けれど、俵が地面へついたところで俺が止めれば、その後を試す暇はない。

 

 今日の三度目は、最後まで運べた。

 

「爺さん、もう一回付き合ってくれる?」

「追う方も、少し遅うなれ。あれでは、儂が言わんうちに皆終わってしまう」

「さっき、待ったよ」

「最初の二度じゃ。見ておったら、落とす前に触っておったぞ」

 

 後ろで、誰かが息を漏らす。

 

 佐伯だった。顔へ手をやりかけて、俺と目が合う。笑っていいものか、まだ迷っているらしい。

 

「お前さんも見てたんなら、言ってよねぇ」

「隊長が遅くされるかと思っておりました」

「爺さんに頼んどけば、言ってくれるよ。俺が速すぎる時は」

 

 今度は、隣にいた男も笑った。

 

 爺さんが俵を指す。

 

「もう一度やるなら、縄を締め直せ。片方が緩んでおる」

 

 二人がすぐに庭へ戻る。ほかの連中も集まり、持ち上げる前に縄を引いて確かめていた。

 

 俺はそれを見ながら、膝へ手を置く。

 

 宗玄の机はまだ空いている。

 

 千鳥の代わりに呼んでしまう奴も、明日またいるかもしれない。それを今日、なくしてやることはできなかった。

 

 けれど、今は俵を囲んで相談する声が聞こえる。

 

「儂は、あそこへ座らん方がよさそうじゃな」

 

 爺さんが言う。

 

 俺が顔を向けると、廊下の奥へ目をやっていた。昼に見せた部屋のことらしい。宗玄の机も、紙を読む者たちも、見てもらっている。

 

「机?」

「儂の分は、ほかへ置け。紙を探す時に、椅子を退けるのも面倒じゃろう」

「……うん。そうするよ」

 

 爺さんは庭へ目を戻した。

 

 俺も隣で、皆が縄を締め終わるのを待つ。

 

『お前様。今度は、待っておいでになる方が増えんしたな』

「そうだねぇ」

 

 胸の内へ返す。

 

 庭の男がこちらを向き、準備できましたと声を上げた。爺さんへも聞こえるよう、前より少し大きな声だった。

 

 俺は腰を上げる。

 

 今度は急いで触りに行かずに済みそうだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。