待ちたる門に 影は伸び
帰りし袖に 灯は宿る
十番隊の庭で、葱が育っている。
最初は隅の一畝だけだった。台所で使う分を育てると言われ、それくらいならと頷いた覚えがある。ところが翌年には隣へ大根が入り、その次には茄子まで並んだ。今では稽古の最中にそちらへ踏み込むと、刀を受けるより先に叱られる。
隊長の俺も、例外ではない。
「副隊長は、裏へいらっしゃいます」
居場所を尋ねたら、紙を抱えた隊士がそう教えてくれた。言われなくても鍬の音は聞こえるのだけど、庭で働いているからといって、何もかも畑の用事とは限らない。前には、稽古で踏み荒らされた地面を隊士と一緒に均していたこともある。
あの時は俺も手伝わされた。
お前が投げた者の落ちたところじゃろうと言われてしまえば、逃げようがない。
廊下を回ると、爺さんは畝の間へしゃがんでいた。隣にいる若い隊士が、小さな葉を摘まもうとして手を止める。
「こちらも抜いてよろしいですか」
「そいつは残せ。昨日、お前が種を蒔いたところじゃ」
「……もう出たのですか」
「出るように世話をしたじゃろう。何のために水をやっとった」
若いのが、そっと手を引っ込める。
俺は笑いそうになりながら、縁側へ腰を下ろした。刀を握る時にはあれほど思い切りよく振るくせに、畑へ入ると指先まで慎重になる。爺さんの前だから、というだけでもないらしい。自分で蒔いたものを抜きかけたと気づいてからは、隣の葉まで一つずつ眺めている。
「爺さん。明日の組、決まったよ」
「佐伯が持ってきた。川沿いを回って、二日で戻る分じゃな」
「うん。向こうの巡回と合流して、残ってる魂を送ってほしい。俺は北へ行くから、何かあったらそっちへ知らせて」
「分かった。帰る時は、こっちへも知らせろ。先に戻るとは限らんからのう」
爺さんが膝を伸ばす。若いのも立とうとしたが、残った草を指され、またしゃがみ直していた。
正式に副隊長になってから、もう十年になる。
最初のうちは、隊士が何か尋ねるたび俺の方を見ていた。爺さんが答えていいことか、こちらへ持ってくるべきか。爺さん自身も、紙を渡されるとまず俺を呼んだものだ。それが今では、任務の組まで俺より先に知っている。
俺を飛ばして決まる用事が増えた。
少し寂しい、などと言えば、では紙も全部お持ちしますと返されるだろう。そこは黙っておく方がいい。
「庭の組も、佐伯へ任せてあるよ。お前さんが帰るまでに、また転ばされる奴が増えるかもしれないねぇ」
「見ておったが、あやつは運ぶ者をよく選ぶ。腰を痛めた者へ、無理に持たせん」
「自分が担がれたからね。どこを掴まれると痛いか、よく覚えてるんだって」
あの肩も、今では普通に動く。
けれど、運ぶ時には相手の顔を見る。腕を回せるか、息が苦しくないか。急いでいても一度声を掛けるので、初めの頃はそこで遅いと言われていた。
今は、そう言う奴の方へ説明している。
俺が教えたこともある。千鳥に言われたことも、宗玄と出た日に覚えたことも。その全部を使っているのだろう。聞いている若い連中が、誰から教わったのか知らないことまで含めて。
「明日は、俺も門へ出るよ」
「出る時はよい。帰る時まで待っとらんで、用事を済ませておれ」
「帰る頃には、戻ってると思うけどねぇ」
「ならば、飯を残しておけ。あやつらも腹を空かせて戻るじゃろう」
爺さんが畑の若いのへ顔を向ける。
「お前もじゃ。草を抜き終えたら、荷を見ておけ。出てから忘れたと言われても、ここへは戻らんぞ」
返事が大きい。
その声を聞いてから、俺は腰を上げる。明日の朝、この若いのも門へ並ぶ。爺さんの後ろへついていく顔を、俺はまた一つ数えることになる。
*
北での用事は、予定より早く済んだ。
川岸へ残っていた魂を送り、近くの虚を斬る。別の村にも寄ってほしいと言われたのでそちらへ回ったが、先に来ていた六番隊が既に送り終えていた。手を貸せることを尋ねると、倒れた木を退けてほしいとのことだった。
刀を抜くより、持ち上げる方が早い。
皆に脇へ寄ってもらい、道を空ける。礼を言われて帰ってきたところまではよかったのだが、これで夕方までの用事がなくなってしまった。
門へ行くには、まだ早い。
紙を二枚読み、返す分を分け、三枚目へ目を落とす。途中で廊下を歩く音がして、顔が上がる。台所の者だった。俺の部屋へ湯を置いてくれたので礼を言い、また紙へ戻ったところで、さっき読んだ場所が分からなくなる。
困ったねぇ。
同じところを二度読めば、返事もよくなるだろうか。宗玄なら、そんなことを考えている暇に次を読みますとでも言った気がする。
『お前様。お茶が冷めてしまいんすよ』
「うん。今、飲むよ」
『先ほども、そう仰せでありんした』
ゆめにまで言われてしまった。
椀を持つ。まだ温かい。廊下へ顔を向けた分だけ飲むのが遅れていたらしい。俺は一口飲んでから紙を置き、帰ってくる組の顔を思い浮かべる。
爺さんと、佐伯と、畑にいた若いの。それから六人。
出る前には全員と話した。怪我はないか、荷は重くないか。佐伯には笑われたが、訊けばちゃんと答えてくれる。そういうところまで宗玄に似なくてもいいのに、などと思ってしまう。
『今日は、随分お早いお帰りでありんしたな』
「向こうの用事が済んだからねぇ。六番隊も来てくれてたし」
『では、お戻りになる方々へ、そうお話しなんし。まだかまだかと待っておいででしたと、わっちから申し上げる前に』
「それは、言わなくていいよ」
笑い声が胸へ響く。
俺も少し笑ってから、紙を引き寄せた。夕方までにこれを返しておけば、爺さんが戻った時に任務の話を聞ける。待つ間にも、やることはある。
そうして三枚目を読み終えた頃、門の方で声が上がった。
椀を置くより先に、足が動く。
*
佐伯が、若い隊士を背負っていた。
朝、畑へしゃがんでいた奴だ。顔は見える。こちらへ気づいて頭を下げようとしたので、手を上げて止める。帯の下から出た足には布が巻かれ、その端に血が滲んでいた。
爺さんは、最後尾にいる。
俺は先に佐伯へ近づいた。
「足?」
「はい。左の脛を。出血は止めてあります」
「下ろさなくていいよ。そのまま、ここで見せて」
布の上へ掌を添える。骨には届いていない。けれど、深く開いた傷を抱えて歩けば、止めた血がまた流れ出す。背負われるのを嫌がらなかっただけでも、今日は褒めてやりたい。
本人は、俺より爺さんを気にしていた。
「隊長、申し訳ありません。私が踏み込みすぎて……」
「その話は後で聞くよ。痛かったねぇ。よく戻ってきた」
脛へ霊力を通すと、強張っていた足から力が抜ける。佐伯の肩を掴む指も緩んだ。俺は布の端を外し、傷が塞がるところを確かめてから、残る顔へ目を向ける。
一人、二人。
門を閉める者まで数えて、ようやく息が出た。
「爺さんは?」
「傷はない。こやつが刀を落とした時に、拾うたくらいじゃ」
「……刀も?」
「脚を斬られて、握っておれなんだ。先に運ばせたからのう」
爺さんが、もう一本の刀を佐伯へ渡す。
若いのが受け取ろうとしたところへ、佐伯が自分の帯へ差してしまった。両手は肩を掴んでいろ、ということらしい。後で返しますと言われ、背中の奴も頷いている。
「四番隊へは、途中で知らせてある。こいつのほかに、肩を痛めた者が一人じゃ。お前がここで治すなら、診てもらう分だけ伝え直せ」
「うん。ありがとう。二人とも俺が送るから、残りは荷を置いて休んでねぇ」
声を掛けると、隊士たちが動き始める。
ほとんどの奴が爺さんへ一礼し、門を抜ける。畑の若いのは佐伯に背負われたまま、その前で少し止まった。
「副隊長。明日の畑は、私も行ってよろしいでしょうか」
「脚を診てもらってからじゃ。しゃがめん者へ草を抜かせても、残すものまで掴みそうじゃからな」
若いのが、困ったように笑う。
それから、ありがとうございましたと頭を下げた。爺さんは早く行けと手を動かし、佐伯がこちらへ歩いてくる。
俺は四番隊へ道を繋いだ。
「
向こうで待っていた者へ声を掛け、二人を渡す。佐伯も付き添ってくれるらしい。診てもらったら一緒に帰りますと言うので、俺は頷いて道を閉じた。
門の前には、爺さんが残っている。
「何体、いた?」
「初めは三体。送る途中で、もう五体来た。大虚も一つ混じっておったが、村から離して斬れた」
「新しく開いたの?」
「ああ。皆が下がる道を空けてから、そちらへ出た。佐伯がよく動く。あやつが担ぐ組を決めておったから、儂も前へ出られた」
爺さんが、俺の顔を見る。
「帰るたびに、そんな顔をされても困るぞ」
「どんな顔?」
「今にも、自分で迎えに出る顔じゃ。門の外まで来ておった」
足元へ目を落とす。
確かに、俺は門を抜けている。佐伯のところへ行ったのだから当たり前だ、と返せば済む。けれど爺さんは、俺が最初に誰を見て、その後で何を数えたかまで分かっているのだろう。
「……戻ったって声が聞こえたからねぇ」
「ならば、飯を用意して待て。帰った者へ最初に怪我を訊くのもよいが、腹が減ったと言える暇もくれ」
思わず、顔が上がる。
「そっちも減ってたの?」
「昼から何も食っとらん。佐伯は歩きながら食えるが、儂へまで握り飯を渡そうとするから、後にしろと言うた」
「渡してくれた時に、食べればよかったのに」
「両手が塞がれば、刀を拾えんじゃろう」
そう言って、爺さんが門へ入る。
俺も隣へ並んだ。歩きながら台所へ声を掛けると、人数分の飯は既に用意されているという。帰る予定を伝えておいたからだ。俺が紙から顔を上げていた間にも、こちらは支度をしてくれていたらしい。
「お前の分もあるか」
「あると思うよ」
「では、先に座れ。儂は手を洗ってくる」
袖口に、乾いた血がついていた。
誰のものか訊きかけて、口を閉じる。爺さんには傷がないと聞いた。今、訊いていないことまで一度に確かめなくても、飯を食ってから話せる。
食堂へ入ると、先に戻った連中が席を空けてくれた。
隣へ一つ。
俺はそこへ椀を置き、爺さんが来るのを待つ。
*
夕食の後で、報告をまとめた。
爺さんが話し、佐伯が書く。俺は隣で地図へ印をつける。負傷した若いのも戻っていたが、今日は寝ていろと言われ、部屋へ帰っていった。明日は畑の前に俺へ顔を見せること。それも念を押してある。
新しい黒腔が開いた場所へ、筆先を置く。
前の報告にも、近いところへ印があった。同じ場所ではない。けれど、巡回の者が集まり、魂を送り始めてから開いたという順番は似ている。
「佐伯。村へいた虚は、逃げた?」
「一体は、林の方へ。副隊長が追わず、先に魂葬を進めるよう指示されました」
「戻ってきたかは?」
「分かりません。後から来たものには、見覚えのない仮面が多かったので」
爺さんも頷く。
「儂が斬った分にも、おったかもしれん。初めの三体とは、顔が違うたがな」
それ以上は、紙へ書けない。
逃げた虚が何をしたか。後から出たものと繋がりがあるか。知らないまま決めつければ、次に出る連中へ、間違ったことを教えてしまう。
俺は印の隣へ、開いた時の状況だけを書き添える。
「先生にも、これを持っていくよ。ほかの隊から来てる報告も、見せてもらおう」
佐伯が紙を揃える。
その一番下から、別の知らせが出てきた。俺が北へ出ている間に届いたものらしい。西方の巡回が、大虚を複数確認したという。
白い仮面の絵が、添えられている。
長い鼻の顔ではなかった。獣に似た顎と、短い角。身体の大きさについては、見た者によって違う数字が並んでいる。
俺はその顔を、少し長く眺めた。
「爺さん。こっちも、後で一緒に見てくれる?」
「今でもよい。何が気になる」
「この顔と、大きさ。大虚の中にも、もっと小さい奴がいるからねぇ」
爺さんが椅子を寄せる。
佐伯も筆を持ち直した。今夜のうちに伝えておく方がいいことは、まだありそうだ。
食堂の方から、椀を片づける音が聞こえる。
先ほど帰ってきた者の声も混じっていた。俺は一度そちらへ耳を向け、それから仮面の絵を二人の前へ置いた。