群れたる影に 牙は並び
帰りの道に 鐘は鳴る
紙へ描かれた顔より、実物の方が愛想は悪かった。
短い角に、横へ裂けた顎。そこまでは合っている。ただし、口の両端から生えた牙が抜けていた。描いた奴も、そこまで眺めている暇はなかったのだろう。あれを前にして筆を持ち出すくらいなら、俺だって先に刀を抜く。
丘の上からこちらを見下ろしているのは、獣の姿をした大虚だった。その後ろに、長い鼻の白い顔が三つ並ぶ。足元では小さな虚が散り、林へ入ったものまでこちらへ向き直っていた。
随分と、よく揃っている。
俺たちを歓迎するつもりなら、別の並び方にしてほしかった。
「来てくれたか。小さいのが一体いると聞いて、先にこいつを寄越しておいたんだがな」
「三つも連れてくるとは聞いてないよ。村の連中は?」
「南へ移している。春水が道を空けた。残っているのは、向こうの小屋に三人だ」
「四人です。戻ったら、一人増えてました」
京楽が、林の端を指す。
木の間に小さな屋根が見えた。その手前には八番隊の隊士が二人。片方が虚を牽制し、もう一人は戸口へ呼び掛けている。
「家の下に隠れてたそうで。出てきてくれたのはいいんですが、脚が動かないらしくてね。今、運ぶ支度をしてます」
「じゃあ、あそこから先に出そう。爺さん、京楽と一緒に頼める?」
「分かった。お前は、どれを斬る」
「角がある奴。話が通じそうだから、こっちを見てもらうよ」
丘の上で、牙が覗く。
聞こえていたらしい。気に入らないなら、自分で降りてきてくれてもいいのだけど。
爺さんが、刀へ手を掛ける。
小屋へ走ろうとしていた京楽の足が止まった。肩を僅かに落とし、踏ん張り直してから爺さんを見る。足元の草が寝て、その向こうでは、近づいていた虚まで腹を地面へ伏せている。
俺は爺さんの袖を見た。
腕章がついている。今朝、台所で葱の切り方を教えていた時にも、確かについていた。
「……副隊長で、この霊圧は反則でしょ。僕らと同じ腕章をつけてていい人じゃありませんよ」
「俺も、そう思うよ。引き受けてくれて助かってるけどねぇ」
京楽がこちらを見る。褒めたつもりではなかったらしい。
「烏有隊長。その人に教わったあなたが言うと、余計に困るんですけど」
「春水。お前のところにも、刀を抜けば怖い爺が一人おるじゃろう。眺めておらんで、道を教えろ」
爺さんに促され、京楽が苦笑する。
先生のことだろうなぁ。今の話まで聞かれたら、怖いのは刀を抜いた時だけでは済まない。
二人が林へ向かうのを見届け、俺も丘へ足を向けた。
*
「お前が、一番強いな」
獣が言った。
丘へ上がると、爪を立てた前脚がこちらへ向く。俺よりずっと大きいが、後ろに並ぶギリアンと比べれば、随分と小さい。その身体へ詰まった霊力は、三体のどれよりも濃かった。
虚圏では幾度も見ている。こんなところまで出てきた理由は、腹が減っただけで済むのだろうか。
「そう思うなら、俺だけ見ててくれると助かるよ。下には、帰りたい人がいるからねぇ」
「帰して、何になる」
「待ってる奴が喜ぶ。俺も喜ぶよ」
牙の間へ赤い光が集まる。
返事はそれらしい。俺は刀を抜き、獣の正面へ立った。こちらへ撃てば、下にいる者へは向かない。そう思っていたのだが、こいつは口を開いたまま首を振る。
光の先が、小屋へ向いた。
ああ。そういう話し方をする奴か。
踏み込み、顎の横へ刃を入れる。仮面ごと上へ押し上げると、虚閃が空へ抜けた。俺の袖を焦がしながら伸びていく赤い光を、獣は最後まで見ない。前脚を振り上げ、こちらの肩へ爪を落としてくる。
刀で受ける必要もなかった。
その脚を掴み、丘の向こうへ投げる。白い腹が空を向き、離れた地面へ背中から落ちた。土が噴き上がったところへ降りると、もう口がこちらを向いている。
「俺を見ててって、言っただろう」
「そちらを向けば、お前は来る」
獣が笑う。
なるほど。俺を呼ぶために、あっちへ撃ったのか。
気に入らないことを、よく考える。
「来たよ。今度は、よそ見しないでねぇ」
爪を避け、牙の付け根へ刃を通す。白い欠片が飛び、獣の頭が横へ振れた。そのまま喉まで抜くつもりだったが、地面を蹴った後ろ脚が腹へ迫る。
半歩退いて躱すと、相手も距離を取る。
逃げるためではない。丘の上へ残した三体が、同時に口を開いていた。
面倒な合図まで、覚えてきたらしい。
*
鐘の音が、林を越えた。
鳴瀬の刀が地面を叩く。その刃の背へ並ぶ鐘が震え、放たれた衝撃がギリアンの顎を跳ね上げる。赤い光は小屋の上を通り過ぎ、遠くの空で散った。
「烏有! そいつは任せたぞ!」
返事の代わりに、獣の鼻先へ刀を向ける。
視界の端では、爺さんが小屋の前へ立っていた。京楽は中から男を抱き上げ、待っていた隊士へ渡している。後ろの三人も戸口へ出た。南へ向かうには、爺さんの脇を通らねばならない。
そこへ、林の虚が集まってくる。
長い腕をした一体が木の上から飛び、隊士の背へ爪を伸ばした。
爺さんが、左手を上げる。
爪は届かなかった。
飛び掛かったはずの虚が、元の枝にいる。脚で木を掴み、腕を伸ばしたまま、下へ目を向けていた。自分でも何が起きたか分からないらしい。もう一度跳ぼうと腹を浮かせたところで、爺さんの刃が仮面を割る。
続く一体は、足元から来た。
爺さんは横へ退き、その頭を斬り落とす。京楽が背後から声を掛けた。
「逆瀬川さん、こちらは出せました! 先の道まで連れていきます!」
「そうせい。儂の分まで空けておかんでよい。歩ける者を先へ出せ!」
爺さんの袖を、刃が掠める。
別の虚が小屋の横から回っていた。肘の上で布が裂け、血が滲む。その顔へ刀を叩き込んだ爺さんが腕を下ろすと、袖にはもう裂け目がない。
京楽がそれを見ていた。
けれど、足は止めない。抱えた男を隊士と交代し、道の脇へ寄った女へ手を貸す。爺さんが後ろを受け持つと分かったらしい。そのまま四人を連れ、林の向こうへ消えていく。
俺も獣へ向き直った。
こいつは、ずっと俺を見ている。
「仲間を斬らせて、平気なの?」
「先に喰われるくらいなら、後ろへ置く。死神がそちらへ集まれば、俺は別のところへ行ける」
「今日は、行けそうにないけどねぇ」
獣の耳が伏せられる。
話している間に、後ろへ道を開いていた。黒い裂け目が口を広げ、その奥へ片脚が入る。俺の方へ虚閃を撃ってから帰るつもりなのだろう。仲間を置いていくことには、初めから困っていないらしい。
俺は裂け目との間へ入った。
獣の目が見開かれる。振り向くより先に首の下へ刃を差し込み、顎から額まで斬り上げた。
角が二つに分かれる。
開きかけた口から光が零れ、黒い裂け目の縁を焼いた。俺は刀を引き、崩れ始めた頭から離れる。足元へ踏み込もうとした爪も、もう動かない。
『お前様。お袖が焦げておいででありんす』
「うん。今度は、ちゃんと自分で持っていくよ」
洗って済む方ならよかったのに。
獣が消えたところを確かめ、丘へ戻る。残ったギリアンの一体が、鳴瀬へ腕を振り下ろしていた。
手首を斬り、そのまま肩へ上がる。
鳴瀬がこちらへ気づき、刀を横へ引いた。次の鐘で白い顔が俺の方を向く。礼を言うのは後だ。その仮面へ刃を通してから、最後の一体へ向かった。
*
京楽が戻ってきた時、爺さんは小屋の戸を開けていた。
床の下まで確かめている。さっきまで隠れていた者がいるのだから、ほかにもと思ったのだろう。俺も残った霊力を探したが、人の気配はない。
「南の巡回へ引き渡しました。あちらで送ってもらいます。こっちへいた隊士も、全員揃ってます」
「助かるよ。怪我した奴は?」
「二人ほど。歩けますが、戻ったら診てもらうつもりです」
鳴瀬が、刀を納めながらこちらへ来る。
「そいつらは先に帰す。春水、お前もついていけ。俺は烏有と、この周りをもう一度回る」
「分かりました。……逆瀬川副隊長、あなたは?」
「儂も残る。小屋の向こうへ逃げた分が、二つおるからな」
京楽が小屋へ目を向ける。
それから、爺さんの袖を見た。さっき斬られたところだ。血も、裂け目も残っていない。
「腕、斬られてましたよね。さっき」
「今はない」
「見れば分かるんですが、どうやったかが分からなくて」
「その話は帰ってから聞け。肩を痛めた者が待っとるぞ」
振り返った京楽の向こうで、隊士が二人、木へ寄り掛かっている。
彼は頷き、そちらへ歩き出しかけてから、俺へ顔を戻した。
「あれが、ほかの場所にも出てくるんでしょうか」
「出てこないとは言えないねぇ。虚圏にはもっといるから」
「……今日みたいに、隊長が二人来られるとは限りませんよね」
俺は、斬った獣のいた場所を見る。
逃げる道まで自分で開けた。ほかの虚を置いていくことも、帰る者へ撃てば俺が動くことも知っていた。
同じ相手へ会った時、先にそれを知っているだけでも、選べることは増える。
「今日のこと皆にも話しておいて。小さいからって、先に近づかないようにねぇ」
「ええ。うちの隊長にも念を押しときます」
鳴瀬が、京楽を見る。
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言いました。来た途端、あの丘へ上がろうとなさったでしょう」
「お前を下に残すつもりだったんだ」
「それなら、先に言ってくださいよ」
京楽が苦笑し、隊士へ声を掛ける。
今度は鳴瀬も止めなかった。肩を押さえた者を間へ入れ、残る連中がその左右へ並ぶ。俺は帰る先へ道を繋ぎ、八番隊の門が見えるところまで通してやった。
最後の背が抜ける。
道を閉じて振り返ると、爺さんは既に小屋の裏へ向かっていた。
「爺さん。そっちは俺が先に見るよ」
「ならば儂は林じゃな。逃げた二つを斬ったらここへ戻る」
待たずに行ってしまう。
鳴瀬も丘の方へ歩き出した。俺は二人の行く先を確かめ、小屋の裏へ回る。
帰りの道は空いた。
残る虚を斬ってから、俺たちも帰ろう。