卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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群れたる影に 牙は並び
帰りの道に 鐘は鳴る




82.暮鐘の獣影

 

 

 紙へ描かれた顔より、実物の方が愛想は悪かった。

 

 短い角に、横へ裂けた顎。そこまでは合っている。ただし、口の両端から生えた牙が抜けていた。描いた奴も、そこまで眺めている暇はなかったのだろう。あれを前にして筆を持ち出すくらいなら、俺だって先に刀を抜く。

 

 丘の上からこちらを見下ろしているのは、獣の姿をした大虚だった。その後ろに、長い鼻の白い顔が三つ並ぶ。足元では小さな虚が散り、林へ入ったものまでこちらへ向き直っていた。

 

 随分と、よく揃っている。

 

 俺たちを歓迎するつもりなら、別の並び方にしてほしかった。

 

「来てくれたか。小さいのが一体いると聞いて、先にこいつを寄越しておいたんだがな」

 

 鳴瀬巌堂(なるせがんどう)が、隣の京楽へ顎を向ける。俺たちが着くまでに合流したらしく、隊長羽織の裾には土がついていた。

 

「三つも連れてくるとは聞いてないよ。村の連中は?」

「南へ移している。春水が道を空けた。残っているのは、向こうの小屋に三人だ」

「四人です。戻ったら、一人増えてました」

 

 京楽が、林の端を指す。

 

 木の間に小さな屋根が見えた。その手前には八番隊の隊士が二人。片方が虚を牽制し、もう一人は戸口へ呼び掛けている。

 

「家の下に隠れてたそうで。出てきてくれたのはいいんですが、脚が動かないらしくてね。今、運ぶ支度をしてます」

「じゃあ、あそこから先に出そう。爺さん、京楽と一緒に頼める?」

「分かった。お前は、どれを斬る」

「角がある奴。話が通じそうだから、こっちを見てもらうよ」

 

 丘の上で、牙が覗く。

 

 聞こえていたらしい。気に入らないなら、自分で降りてきてくれてもいいのだけど。

 

 爺さんが、刀へ手を掛ける。

 

 小屋へ走ろうとしていた京楽の足が止まった。肩を僅かに落とし、踏ん張り直してから爺さんを見る。足元の草が寝て、その向こうでは、近づいていた虚まで腹を地面へ伏せている。

 

 俺は爺さんの袖を見た。

 

 腕章がついている。今朝、台所で葱の切り方を教えていた時にも、確かについていた。

 

「……副隊長で、この霊圧は反則でしょ。僕らと同じ腕章をつけてていい人じゃありませんよ」

「俺も、そう思うよ。引き受けてくれて助かってるけどねぇ」

 

 京楽がこちらを見る。褒めたつもりではなかったらしい。

 

「烏有隊長。その人に教わったあなたが言うと、余計に困るんですけど」

「春水。お前のところにも、刀を抜けば怖い爺が一人おるじゃろう。眺めておらんで、道を教えろ」

 

 爺さんに促され、京楽が苦笑する。

 

 先生のことだろうなぁ。今の話まで聞かれたら、怖いのは刀を抜いた時だけでは済まない。

 

 二人が林へ向かうのを見届け、俺も丘へ足を向けた。

 

        *

 

「お前が、一番強いな」

 

 獣が言った。

 

 丘へ上がると、爪を立てた前脚がこちらへ向く。俺よりずっと大きいが、後ろに並ぶギリアンと比べれば、随分と小さい。その身体へ詰まった霊力は、三体のどれよりも濃かった。

 

 中級大虚(アジューカス)。

 

 虚圏では幾度も見ている。こんなところまで出てきた理由は、腹が減っただけで済むのだろうか。

 

「そう思うなら、俺だけ見ててくれると助かるよ。下には、帰りたい人がいるからねぇ」

「帰して、何になる」

「待ってる奴が喜ぶ。俺も喜ぶよ」

 

 牙の間へ赤い光が集まる。

 

 返事はそれらしい。俺は刀を抜き、獣の正面へ立った。こちらへ撃てば、下にいる者へは向かない。そう思っていたのだが、こいつは口を開いたまま首を振る。

 

 光の先が、小屋へ向いた。

 

 ああ。そういう話し方をする奴か。

 

 踏み込み、顎の横へ刃を入れる。仮面ごと上へ押し上げると、虚閃が空へ抜けた。俺の袖を焦がしながら伸びていく赤い光を、獣は最後まで見ない。前脚を振り上げ、こちらの肩へ爪を落としてくる。

 

 刀で受ける必要もなかった。

 

 その脚を掴み、丘の向こうへ投げる。白い腹が空を向き、離れた地面へ背中から落ちた。土が噴き上がったところへ降りると、もう口がこちらを向いている。

 

「俺を見ててって、言っただろう」

「そちらを向けば、お前は来る」

 

 獣が笑う。

 

 なるほど。俺を呼ぶために、あっちへ撃ったのか。

 

 気に入らないことを、よく考える。

 

「来たよ。今度は、よそ見しないでねぇ」

 

 爪を避け、牙の付け根へ刃を通す。白い欠片が飛び、獣の頭が横へ振れた。そのまま喉まで抜くつもりだったが、地面を蹴った後ろ脚が腹へ迫る。

 

 半歩退いて躱すと、相手も距離を取る。

 

 逃げるためではない。丘の上へ残した三体が、同時に口を開いていた。

 

 面倒な合図まで、覚えてきたらしい。

 

        *

 

 鐘の音が、林を越えた。

 

 鳴瀬の刀が地面を叩く。その刃の背へ並ぶ鐘が震え、放たれた衝撃がギリアンの顎を跳ね上げる。赤い光は小屋の上を通り過ぎ、遠くの空で散った。

 

「烏有! そいつは任せたぞ!」

 

 返事の代わりに、獣の鼻先へ刀を向ける。

 

 視界の端では、爺さんが小屋の前へ立っていた。京楽は中から男を抱き上げ、待っていた隊士へ渡している。後ろの三人も戸口へ出た。南へ向かうには、爺さんの脇を通らねばならない。

 

 そこへ、林の虚が集まってくる。

 

 長い腕をした一体が木の上から飛び、隊士の背へ爪を伸ばした。

 

 爺さんが、左手を上げる。

 

 爪は届かなかった。

 

 飛び掛かったはずの虚が、元の枝にいる。脚で木を掴み、腕を伸ばしたまま、下へ目を向けていた。自分でも何が起きたか分からないらしい。もう一度跳ぼうと腹を浮かせたところで、爺さんの刃が仮面を割る。

 

 続く一体は、足元から来た。

 

 爺さんは横へ退き、その頭を斬り落とす。京楽が背後から声を掛けた。

 

「逆瀬川さん、こちらは出せました! 先の道まで連れていきます!」

「そうせい。儂の分まで空けておかんでよい。歩ける者を先へ出せ!」

 

 爺さんの袖を、刃が掠める。

 

 別の虚が小屋の横から回っていた。肘の上で布が裂け、血が滲む。その顔へ刀を叩き込んだ爺さんが腕を下ろすと、袖にはもう裂け目がない。

 

 京楽がそれを見ていた。

 

 けれど、足は止めない。抱えた男を隊士と交代し、道の脇へ寄った女へ手を貸す。爺さんが後ろを受け持つと分かったらしい。そのまま四人を連れ、林の向こうへ消えていく。

 

 俺も獣へ向き直った。

 

 こいつは、ずっと俺を見ている。

 

「仲間を斬らせて、平気なの?」

「先に喰われるくらいなら、後ろへ置く。死神がそちらへ集まれば、俺は別のところへ行ける」

「今日は、行けそうにないけどねぇ」

 

 獣の耳が伏せられる。

 

 話している間に、後ろへ道を開いていた。黒い裂け目が口を広げ、その奥へ片脚が入る。俺の方へ虚閃を撃ってから帰るつもりなのだろう。仲間を置いていくことには、初めから困っていないらしい。

 

 俺は裂け目との間へ入った。

 

 獣の目が見開かれる。振り向くより先に首の下へ刃を差し込み、顎から額まで斬り上げた。

 

 角が二つに分かれる。

 

 開きかけた口から光が零れ、黒い裂け目の縁を焼いた。俺は刀を引き、崩れ始めた頭から離れる。足元へ踏み込もうとした爪も、もう動かない。

 

『お前様。お袖が焦げておいででありんす』

「うん。今度は、ちゃんと自分で持っていくよ」

 

 洗って済む方ならよかったのに。

 

 獣が消えたところを確かめ、丘へ戻る。残ったギリアンの一体が、鳴瀬へ腕を振り下ろしていた。

 

 手首を斬り、そのまま肩へ上がる。

 

 鳴瀬がこちらへ気づき、刀を横へ引いた。次の鐘で白い顔が俺の方を向く。礼を言うのは後だ。その仮面へ刃を通してから、最後の一体へ向かった。

 

        *

 

 京楽が戻ってきた時、爺さんは小屋の戸を開けていた。

 

 床の下まで確かめている。さっきまで隠れていた者がいるのだから、ほかにもと思ったのだろう。俺も残った霊力を探したが、人の気配はない。

 

「南の巡回へ引き渡しました。あちらで送ってもらいます。こっちへいた隊士も、全員揃ってます」

「助かるよ。怪我した奴は?」

「二人ほど。歩けますが、戻ったら診てもらうつもりです」

 

 鳴瀬が、刀を納めながらこちらへ来る。

 

「そいつらは先に帰す。春水、お前もついていけ。俺は烏有と、この周りをもう一度回る」

「分かりました。……逆瀬川副隊長、あなたは?」

「儂も残る。小屋の向こうへ逃げた分が、二つおるからな」

 

 京楽が小屋へ目を向ける。

 

 それから、爺さんの袖を見た。さっき斬られたところだ。血も、裂け目も残っていない。

 

「腕、斬られてましたよね。さっき」

「今はない」

「見れば分かるんですが、どうやったかが分からなくて」

「その話は帰ってから聞け。肩を痛めた者が待っとるぞ」

 

 振り返った京楽の向こうで、隊士が二人、木へ寄り掛かっている。

 

 彼は頷き、そちらへ歩き出しかけてから、俺へ顔を戻した。

 

「あれが、ほかの場所にも出てくるんでしょうか」

「出てこないとは言えないねぇ。虚圏にはもっといるから」

「……今日みたいに、隊長が二人来られるとは限りませんよね」

 

 俺は、斬った獣のいた場所を見る。

 

 逃げる道まで自分で開けた。ほかの虚を置いていくことも、帰る者へ撃てば俺が動くことも知っていた。

 

 同じ相手へ会った時、先にそれを知っているだけでも、選べることは増える。

 

「今日のこと皆にも話しておいて。小さいからって、先に近づかないようにねぇ」

「ええ。うちの隊長にも念を押しときます」

 

 鳴瀬が、京楽を見る。

 

「聞こえてるぞ」

「聞こえるように言いました。来た途端、あの丘へ上がろうとなさったでしょう」

「お前を下に残すつもりだったんだ」

「それなら、先に言ってくださいよ」

 

 京楽が苦笑し、隊士へ声を掛ける。

 

 今度は鳴瀬も止めなかった。肩を押さえた者を間へ入れ、残る連中がその左右へ並ぶ。俺は帰る先へ道を繋ぎ、八番隊の門が見えるところまで通してやった。

 

 最後の背が抜ける。

 

 道を閉じて振り返ると、爺さんは既に小屋の裏へ向かっていた。

 

「爺さん。そっちは俺が先に見るよ」

「ならば儂は林じゃな。逃げた二つを斬ったらここへ戻る」

 

 待たずに行ってしまう。

 

 鳴瀬も丘の方へ歩き出した。俺は二人の行く先を確かめ、小屋の裏へ回る。

 

 帰りの道は空いた。

 

 残る虚を斬ってから、俺たちも帰ろう。

 

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