去りたる影に 袖は揺れ
残りし声に 道は続く
御影から届いた紙へ、まだ返事を出していなかった。
次の合同巡回では、十三番隊から二組出せる。うちにも一組頼みたい。足の速い者だけで揃える必要はないが、負傷者を担いだまま動ける者がいると助かる。そう書かれていたので、佐伯へ相談したところまでは覚えている。
出せるよ、と返すだけで済んだはずだ。
伝令が御影の戦死を告げた時、俺はその紙を探してしまった。引き出しへしまったか、ほかの報告と重ねたか。目の前に報せを持ってきた者がいるのに、先に返すものが残っているような気がして、手が止まらない。
「隊長」
佐伯に呼ばれ、ようやく顔を上げる。
伝令は、俺が聞くのを待っていた。十三番隊の隊長が現世で戦死したこと。大虚の群れを討伐する最中、別の黒腔が開き、避難させていた者の方へ虚が回ったこと。負傷した隊士は、四番隊へ運ばれている。
そこまで聞いてから、俺は紙を机へ置いた。
「分かったよ。先生のところへ行ってくる。戻ったら、巡回の組み方を変えよう」
「十三番隊と、ご一緒の分ですね」
「うん。向こうも、今は人を出せないだろうから」
佐伯が頷き、机へ寄せてあった紙を受け取る。俺が探していたものも、その中にあった。
御影の字は、読みやすい。
こいつが書いたものなら、あとで読めば分かると思ってしまう。廊下で会った時に返事をすればいい、とも。
鳴瀬を連れて帰ってから、十年になる。
その間にも隊士は死んだ。知らない名前が紙へ増え、知っている名前も混じる。それでも、隊長の名前を聞くと、俺はまた顔を上げてしまう。
そいつまで、と思う。
そいつなら大丈夫だと、どこかで思っていたからだろう。
*
浮竹が十三番隊を継いだ日の隊首会で、俺は御影のいた場所を見ていた。
任官の審査は済んでいる。羽織を着た浮竹も、そこへ立つ理由を皆に説明する必要はない。先生から紹介されると、よく通る声で挨拶し、こちらへも頭を下げてくれた。
俺は頷いて返す。
白い髪が肩へ落ちるところを見ながら、前にいた男は、そこを低く結んでいたなと思い出す。羽織の襟もきちんと揃えていた。浮竹だって乱しているわけではないのに、別の顔が重なってしまう。
京楽は、もう隊長の顔で立っている。
鳴瀬の代わりに話す姿を見慣れるまで、何度か会議が必要だった。今日も浮竹の返事を聞いてから、一度だけ目を伏せた。こいつにも、同じように思い出す顔があるのだろう。
「十三番隊の配置について、浮竹」
「現世へ出していた者を一部戻しております。負傷者の復帰には、まだ時間が掛かりますので、当面は巡回の範囲を狭めたいと考えています」
先生の問いへ、浮竹が答える。後ろへ控えた者に紙を持たせるでもなく、場所も人数も自分で話していた。御影がいた頃から見ていたのだから、用事の中身は知っている。
「西の担当は、十番隊で受け持つよ。前に一緒に回った連中もいるからねぇ」
「ありがとうございます。ただ、そちらも余裕はないでしょう。こちらから出せる組は残しますので」
「慣れた子を一人つけてくれると助かるよ。全部交代すると、道を教えてもらうところからになるから」
浮竹が頷く。そこを決めてから、六番隊の報告へ移った。担当を動かし、足りないところを埋め、また次の足りないところを聞く。顔が替わっても、その話は続く。
会議の終わりには、白い槍の虚についても報告があった。
現世の東で、目撃が一件。向かった隊には群れだけを残し、本人は黒腔で逃げたらしい。別の土地では、西へ追った者が、背後で開いた黒腔から襲われている。
鳴瀬を殺した奴だ。
京楽が、相手の姿と攻撃をまとめてくれた。背中の六つの突起。枝分かれする槍。空間から放たれる虚閃と虚弾。報告へそのどれかがあれば、いつもの人数で討伐へ行かせないよう、先生からも命が出ている。
ただ、人数を増やすために待たせている間にも、喰われる者はいる。
俺が現世へ出ている時に現れてくれればいいのだけど、そういう都合のいい出迎え方は、まだ一度もしてくれなかった。
「確認した者は、速やかに知らせよ。群れを追う間も、退路の警戒を怠るでないぞ」
先生の言葉を聞いて、浮竹が静かに頷いた。京楽も、こちらを見てから前へ向き直る。
俺も、分かったよと返した。
分かったと答えることだけは、随分と上手くなっている。
*
十三番隊へ寄ったのは、巡回へ出す者の顔合わせのためだった。
庭では隊士が集まり、浮竹の説明を聞いている。西の道へ慣れた者を一人、うちの組へつける。その話だけで済むと思っていたが、俺が着いた時には、復帰した隊士が次の任務へ加わりたいと頼んでいた。
「腕は、もう動きます。刀も振れますので」
「そうか。では、今日は庭で振ってみてくれ。任務へ戻るのは、四番隊の許可が出てからにしよう」
「ですが、私の分をほかの者が⸺」
「その分は俺が行く。お前には、戻った時に任せたいところがあるからな」
明るく言われた男が、申し訳なさそうに頭を下げる。
浮竹は肩へ手を添え、今日は自分の腕を確かめるのが仕事だと伝えていた。言われた者が刀を持って庭へ戻るまで見送り、それからこちらへ気づく。
「烏有隊長。お待たせしました」
「今来たところだよ。お前さん、自分で行く分まで増やしたのかい」
「まだ、その場所を受け持てる者が少ないので。戻ったばかりの者を急がせるよりは、俺が出た方がいいかと」
言うと思った。
俺も、何度か同じことを言っている。誰かを休ませるたびに、その分へ出ればいいと思っていたし、今でも出られるところには行く。
浮竹の方は、こちらが聞く間に小さく咳をした。袖へ口を寄せ、声を整えてから、同行する者を呼ぼうとしている。
「ちょっと座ろうか。道を知ってる子にも、そこで話してもらえばいいよ」
「お気遣いなく。これくらいは、いつものことです」
「いつものことなら、なおさら座って話す方がよさそうだけどねぇ。俺も、立って聞くより楽だし」
浮竹が苦笑する。
縁側へ移ると、近くにいた隊士がすぐ湯を持ってきた。言われる前に動いたのだから、こちらも見慣れているのだろう。浮竹は礼を言い、受け取った椀を膝へ置く。
「俺が先に休んでいては、戻った者へ無理をするなと言いにくくなると思っていたんですが」
「言いやすくなるんじゃないかな。隊長も座るんだから、お前さんも座っていいよって」
向こうの庭で、さっきの男が刀を振っている。三度ほど振り下ろしてから腕を下げ、握り直す。隣にいた隊士が何か話し、今度は二人で動きを確かめ始めた。
見てくれる奴がいる。
浮竹が出ていかなくても、あの子の稽古は続いている。
「お前さんまで倒れたら、帰ってきた子が困るよ。任せたいところがあるなら、任せられるようになるまで待ってあげないと」
「……ええ。それは、そうですね」
浮竹は庭を見たまま、椀へ手を添えた。
「御影隊長にも、よく同じようなことを言われました。俺が出ようとすると、先に行ってしまわれるので、結局こちらで待つことになるんですが」
「御影も、そういうことをしてたんだねぇ」
「はい。置いていかれたつもりでいましたが、残した者を見る役も必要でした。今になって、よく分かります」
呼ばれた隊士が、地図を持ってこちらへ来る。浮竹は隣を空け、俺にも見えるよう紙を広げてもらった。
道の説明を聞きながら、御影へ返すはずだった言葉を思い出す。
一組なら出せるよ。
今はそれを、浮竹へ伝えている。
*
白い槍の報せが来たのは、その巡回が戻ってから三日後だった。
知らせに来た者の袖は裂け、肩から胸へ血が乾いている。手当てを受ける前に、こちらへ走ってきたらしい。佐伯を呼び、場所を聞き取ったところで、俺は現世へ道を繋ぐ。
今度こそ、と思った。
そう思わずに出ていくのは、もう難しい。
道の向こうへ出た時、黒い裂け目の端が閉じていくのが見えた。地面には白い槍が残り、その先でギリアンが口を開いている。虚閃の狙いは、倒れた隊士を引きずって下がる男へ向いていた。
そちらへ入り、掌を上げる。
「縛道の八十一⸺
壁へ光がぶつかる間に、男へ怪我人を運ぶよう声を掛けた。ギリアンの顔へ刀を通し、隣の一体にも踏み込む。いつもなら最後の背を送り出すまで確かめるところだが、今日は視界の端で、閉じてしまった裂け目のあった場所を探していた。
もう、いない。
残した虚を斬り終えれば、あいつを追う時間が作れると思っていた。けれど、追い掛ける背そのものがない。
「隊長、こちらにまだ一人おります!」
呼ばれて、倒れた木の方へ顔を向ける。
下敷きになった隊士がいた。幹を持ち上げると、近くの者が身体を引き出す。息はある。腹へ手を当て、傷を確かめながら、俺は閉じた黒腔へ向けかけた足を戻した。
今、俺の手を待っているのは、こいつだ。
「大丈夫。動かなくていいよ。先に血を止めるからねぇ」
男が目を開き、こちらを見る。返事をしようとしたので、それも後でいいと伝える。傷へ回道を施す間、周囲へ逃げた虚の気配も確かめたが、あの白い身体へ繋がるものは拾えなかった。
残された槍が、すぐ傍にある。
折るのは簡単だった。
これを生んだ奴へ、その刀を届かせたかった。
*
隊へ帰ると、爺さんは報せを持ってきた男へ包帯を巻いていた。
肩の傷を確かめ、動かせるか尋ね、返事を聞いてから最後の端を留める。俺が戸口へ立つと、まず連れて帰った人数を聞いてきた。
「五人。二人は四番隊へ運んだよ。残りは、少し休めば戻れると思う」
「そうか。こちらも診てもらう。走ってきた時は、袖で押さえとったからな」
男が頭を下げる。
「申し訳ございません。先にお伝えせねばと」
「伝えてくれて助かったよ。次は、押さえてくれる奴にも一緒に来てもらってねぇ。途中で倒れたら、お前さんを探すところからになるから」
頷いた男を、佐伯が四番隊へ連れていく。爺さんは使った布を片づけながら、俺へ目を向けた。
「白いのは、おったか」
「着いた時に、道が閉じてた。もう少し早ければ、顔くらい見られたと思うんだけど」
口にしてから、閉じる裂け目を思い出す。
半歩も届かないところなら、追いつける。相手がどれだけ速くても、見えていれば前へ出られる。
それなのに、今日は姿を見るところまで行けなかった。
「俺が戻ったすぐ後に報せが来たんだよ。向こうへ出る前から聞けてれば、そのまま行けたのにねぇ」
「その時に知らせる者がおらねば、聞けんじゃろう」
「うん。分かってるよ」
爺さんは布を置き、俺の方へ向き直る。
「分かっとるなら、帰した者の話も聞け。今日は何を見た。どこへ下がった。次に同じことが起きた時、先に知っておけば動ける者がおる」
「……そうだね。戻った子たちにも聞いておくよ」
俺が追い掛けられなかった話ばかりしても、次に出る者は困る。白い槍を見たら下がれ、と言ってある。それで下がってきた奴が、今日は五人いるのだから。
部屋へ戻り、聞くことを紙へ並べる。槍の出た位置。虚閃が放たれた順。白い虚が退く前に、ほかの虚へ何か伝えていたか。
筆を持ったまま、最後の問いへ線を引こうとしたところで、ゆめの声が聞こえた。
『お前様。今宵は、わっちにもお話しくださりんすか』
「うん。今日は、ちょっと嫌な顔をしてると思うけど」
『よう存じておりんす。先ほどから、こちらの空まで曇っておいでで』
筆を置き、刀を膝へ寄せる。
御影の話も、浮竹の話も、閉じていく黒腔の話もある。どれから話すかは、ゆめの顔を見てから決めよう。
「雨、降ってる?」
『まだ。お越しになるのでしたら、お早う』
「そっか。じゃあ、今行くよ」
目を閉じる前に、廊下から佐伯の声がした。
四番隊へ連れていった者は、今日はそこで休ませるらしい。明日の任務から外してありますと聞き、ありがとうと返す。
帰ってきた奴の分は、明日、俺が受け持とう。
その場所へあの白い虚が現れるなら、今度は逃げる道を開く前に会いたい。