卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

89 / 93


抱きし骸に 声は失せ
閉ざせぬ胸に 夜は荒ぶ




89. 哭天の夜

 

 

 佐伯が、爺さんの足へ手を添えた。

 

 いつものように怪我人を受け取るつもりで来たのだろう。背中へ回そうとした腕が途中で止まり、俺の顔へ目が戻る。何か聞こうとしているのに、声が出てこない。

 

「部屋を、空けてくれる?」

 

 佐伯が頷く。その後ろで一人が走り、別の奴が廊下へ置いてあった荷を退け始める。俺が通るところだけ、いつもより広くなった。

 

 爺さんは、自分の部屋へ窓を開けていた。

 

 今日も開いている。朝、出ていく前にそうしたのだろう。机には読みかけの紙があり、隣へ椀が置かれていた。帰ってきたら、続きを読むつもりだったはずだ。

 

 布団へ寝かせる。

 

 肩から腕を抜く時、爺さんの頭が少し傾いた。枕を寄せ、顔が真っすぐになるよう直してやる。そこまでしてから、膝へ置かれていた刀を傍へ下ろした。

 

「隊長。四番隊へ、知らせております」

 

 佐伯の声が、戸口から聞こえる。

 

「うん。頼むよ」

 

 まだ治療を頼むのだと思われたかもしれない。俺も、そういうことにしておきたかった。烈が来れば、俺の知らないやり方で目を開けさせてくれるんじゃないかと、ほんの少し考えてしまう。

 

 そんな術があれば、宗玄にも千鳥にも使っている。

 

 胸へ掛けた布を直し、立ち上がる。

 

 佐伯が道を空けた。俺が庭へ出ると、戻ってきた連中が縁側へ集まっている。伏見もそこにいた。包帯を当てられながら、こちらへ顔を向ける。

 

「隊長、私が……」

 

 そこで、声が詰まった。

 

 俺は頷いてやろうとした。

 

 帰ってきてくれてよかった。爺さんの言う通りにしてくれたんだねぇ。いつも話していたことを、今日もちゃんとやってくれた。

 

 どれも、本当だ。

 

 けれど、口へ出そうとすると、爺さんの声まで聞こえてくる。

 

 儂がそこへ立っておるからといって、最後までつき合わんように。

 

 そう言っていた人が、あの岩へ一人で座っていた。

 

「……お前さんたちは、休んでて」

 

 それだけ返して、庭の向こうへ歩く。

 

 今、皆の顔を見ていたくなかった。帰ってきた奴へ、帰らなかった人の話をさせたくない。俺が何を聞いても、爺さんが戻る道は見つからないのだから。

 

 ならば、別の道を開けばいい。

 

『お前様』

 

 ゆめの声がする。

 

 分かっているよ。向こうへ行けば、今夜だけでは済まない。砂原を回り、虚圏中に蔓延る虚を皆殺しにする。その先にも、そのまた先にもいるだろう。

 

 全部、回ればいい。

 

 俺には時間がある。今まで、そう思って旅をしてきた。どれだけ遠くへ行っても、帰れば爺さんがいた。

 

 もう、いない。

 

「どこへ行く、烏有」

 

 門の前に、先生が立っていた。

 

 俺は歩くのをやめる。白い羽織の向こうへ長次郎も見えたが、先生の顔から目を離す気にはなれなかった。

 

「虚圏だよ。今なら、まだ今日の群れの続きがいるかもしれない」

「厳十斎のことは、聞いた」

「うん。連れて帰ってきた。部屋にいるから、顔を見てあげてよ」

 

 先生は、道を空けなかった。

 

「お主は、ここへ残れ」

「……何で?」

 

 自分の声が、少し大きくなる。

 

 残る用事なら、佐伯へ頼める。烈が来れば、爺さんを見てもらえる。俺があの部屋へ座っていても、もう何も治せない。

 

「今、向こうへ行って、何をする」

「斬るよ。出てくる前に」

「どこまでじゃ」

「いなくなるまで」

 

 先生の目が細くなる。

 

「それを許すわけにはいかん」

「許してもらうために、ここへ帰ってきたんじゃないよ」

 

 俺は左手を上げる。

 

 指を開くより先に、先生の声が庭へ落ちた。

 

「ならん。道を繋ぐな」

 

 手が止まる。

 

 先生は、俺を見ている。

 

 止めるのか。

 

 今日も、俺をここで止めるのか。

 

「……また、待てって言うの?」

 

 喉の奥が痛かった。大きな声を出したせいではない。言おうとしていることが、胸の内側へ引っ掛かって、なかなか出てこない。

 

「報せが来るまで待って、場所を聞いて、向こうへ行って。着いたら、もう死んでる。先生、それをあと何回やればいいんだよ」

 

 爺さんの血が、指へ残っている。

 

 その手を、先生へ見せてしまった。

 

「今日、朝には話してたんだよ。帰ったら飯を残してって。あの人、俺が食わないからって、漬物まで取ってさ」

 

 こんな話をするつもりじゃなかった。

 

 先生へ聞かせたところで、何になる。

 

「それが、もう喋らないんだよ。俺が治しても、名前を呼んでも。先生、俺は……」

 

 息を吸う。

 

 吸った分だけ、胸が苦しくなる。

 

「もう、連れて帰るだけなんて嫌なんだよ!」

 

 足元の土が裂けた。

 

        *

 

side:佐伯

 

 隊長の声を、あんなふうに聞いたことがない。

 

 怒鳴られたのだと思い、身を縮めた。誰へ向けられた声かを考えるより早く、膝が折れる。手を地面へついても、腕が身体を支えてくれなかった。

 

 息ができない。

 

 顔を上げなければ。そう思うのに、庭の土しか見えない。縁側から椀の割れる音がして、誰かが伏見八席を呼んだ。

 

 そちらへ行こうとしても、指が動かない。

 

 これは、隊長の霊圧なのか。

 

 隣にいた男の刀が、鞘ごと地面へ落ちる。拾おうとした手が途中で止まり、そのまま額まで下がった。庭へいた者が、誰も立っていない。

 

 私も、立てない。

 

 隊長が刀を抜くところなら、何度も見てきた。虚の群れへ入っていき、こちらを追ってきたものを斬り、怪我人を抱えて戻ってこられる。

 

 その方へ、私たちは任務の報告をしていた。

 

 怖かったです、と話しても、笑われなかった。次はどうするか一緒に考えてくださり、明日また教えていただけると思っていた。

 

 今、あの方の前へ行けない。

 

 名前を呼ぶことさえ、できない。

 

 苦し紛れに顔を上げると、隊長は総隊長を見ておられた。刀は腰へ差したまま。髪も服も、いつもの姿である。

 

 解放すら、していない。

 

 庭を横切る風が、途中から土を巻き上げた。塀へ亀裂が走り、屋根から瓦が滑り落ちる。それでも霊圧は収まらず、遠くで別の建物が軋む音まで聞こえてくる。

 

 隊長、と呼ぼうとした。

 

 声の代わりに、喉から息が漏れる。

 

 あの方がこちらを向いたら、何を言えばいい。

 

 大丈夫です。皆、帰ってきました。

 

 そう伝えたかった。

 

 副隊長のいない人数を、隊長へ報告する勇気が、私にはなかった。

 

        *

 

side:山本重國

 

 厳十斎を失った。

 

 門へ来た伝令から聞いた時、まず烏有の居場所を尋ねた。十番隊へ戻っていると知り、長次郎を連れてこちらへ来たが、まだ遅かったかもしれん。

 

 庭の者が、次々と伏せていく。

 

 儂は一歩進み、烏有と隊士の間へ霊圧を張った。近くの者が息を吸い直す。その音を聞きながら、こちらへ向いた顔から目を離さずにおく。

 

 これほど怒りながら、まだ刀へ手を掛けておらん。

 

 ならば、言葉を聞くうちは止められる。

 

「烏有。後ろを見よ。お主の隊士がおる」

「だから、向こうへ行くんだよ」

 

 返事は、すぐに来た。

 

「こいつらが次に襲われる前に、俺が斬ってくる。先生、それなら誰も送り出さずに済むだろう。もう、帰ってくるかどうか、待たなくていい」

 

 その後ろで、三席が地面へ手をついておる。

 

 儂は長次郎へ顔を向けずに命じた。

 

「負傷者を下げよ。厳十斎の部屋へも、四番隊の者を通せ」

「承知しました」

 

 長次郎が庭を回る。

 

 儂の張った霊圧の内側へ入った者から、少しずつ身体を起こし始めた。じゃが、烏有の力はまだ増しておる。これ以上は、下がる者へも届く。

 

 無間で見た時には、これを向ける先が決まっておった。

 

 今は、あやつ自身が行く先を決めかねておる。目の前に仇はおらず、腕の中にあった者も、もう返事をせん。

 

 その怒りを、虚圏のすべてへ向けるつもりじゃ。

 

「お主が虚を斬り尽くせば、三界の均衡はどうなる」

「それは、後で考えるよ」

「後で済む話ではない」

「じゃあ、今考えてよ、先生。俺が斬っても大丈夫なように。俺、もう待ちたくないんだよ」

 

 声が掠れておる。

 

 その顔を見ながら、儂は杖を地面へついた。

 

「通すわけにはいかん。お主が何と言おうと、ここから先へは行かせんぞ」

 

 烏有の右手が、僅かに動く。

 

 まだ柄へ届いてはおらん。

 

 儂は庭へ伏せる者たちへ、声を掛けた。

 

「聞け、十番隊の者ども」

 

 三席が顔を上げる。その隣の者も、震える腕で身体を支え直した。

 

「他隊から侮られておる、お主らの隊長じゃがな。護廷十三隊の全戦力を合わせても、あやつ一人には及ばん」

 

 烏有の目は、儂から動かん。

 

 隊士へ向けて話しておることも、耳へ入っているはずじゃ。それでも、止めてくれとは言わん。

 

「その力は、王属特務(おうぞくとくむ)すら凌ぐ」

 

 三席の口が開く。

 

 名を知っておるだけでも、その言葉の重みは分かろう。分からぬ者も、今ここで頭を上げられん理由なら、嫌というほど知ったはずじゃ。

 

「動ける者は、直ちに全隊長を呼んでこい。任務へ出ておる者も、戻せ」

 

 儂は杖を握り直す。

 

「烏有を、虚圏へ行かせてはならん」

 

 返事をした三席が、立とうとして膝を滑らせた。それでも隣の者へ腕を掛け、二人で身体を起こす。別の席官も壁へ手をつき、門へ向かっておった。

 

 儂は、そちらへ届く圧を押し返す。

 

 この者たちを潰してしまえば、烏有へ残るものまで奪うことになる。

 

「先生」

 

 あやつが、儂を呼ぶ。

 

「そこ、どいてよ」

 

 長い付き合いじゃ。

 

 こんな頼み方を、教えた覚えはない。

 

        *

 

side:京楽春水

 

 伝令が来る前から、誰の霊圧かは分かっていた。

 

 分かっていたから、聞き直したくなった。

 

 烏有隊長が、虚と戦っているんじゃないのか。十番隊へ侵入されたとか、誰かが襲われたとか。そういう話なら、まだ急いで刀を持つだけで済む。

 

 逆瀬川さんが戦死した。

 

 伝令がそこまで言ったところで、僕は庭へ下りていた。

 

 鳴瀬隊長の顔が浮かぶ。

 

 あの人を連れて帰ってくれたのも、烏有隊長だった。布を掛ける前に顔を見せてもらい、僕が動けずにいる間も、隣へ立っていてくれた。

 

 今度は、その人が連れて帰る番になった。

 

 僕は瞬歩で屋根を渡る。

 

 十番隊へ近づくにつれて、足へ掛かる重さが増した。遠くからでも分かるほどの霊圧なのに、近づけば更に先がある。屋根へ下りようとした膝が沈み、そのまま落ちそうになって、隣の壁へ手を掛けた。

 

 前の隊首会で、烏有隊長の霊圧に皆が膝をついたと聞いた。

 

 それを聞いた時には、この人を怒らせてはいけないと思った。刳屋敷さんだって、後から自分の言葉を詫びている。

 

 あれで、全部わかったつもりになっていたのか。

 

 僕は壁を蹴り、門の内側へ入った。

 

 山爺が立っている。

 

 その向こうに、烏有隊長。

 

 刀を抜いていない姿を見て、背中が冷えた。あの人が怒っているのは分かる。分かるけれど、僕の知っている声へどう繋がるのか、顔を見るまで想像できなかった。

 

 今は、見ても言葉が出ない。

 

 いつもなら僕に気づき、来てくれたんだねぇと片手を上げる。その手が、血に濡れていた。

 

「春水。奥へ行け」

 

 山爺が言う。

 

「負傷者を下げる者へ手を貸せ。ここには儂がおる」

「……山爺、一人で大丈夫なの?」

 

 言ってから、聞き方を間違えたと思った。

 

 大丈夫なわけがない。

 

 山爺が力で負けるところなんて、僕は見たことがない。それでも、目の前の人を止めるために全隊長を呼んだのは、山爺本人だ。

 

「卯ノ花が来る。厳十斎のところへ通してやれ」

 

 返事をして、廊下へ回る。

 

 そこで佐伯三席とすれ違った。伝令を出して戻ったところらしく、まだ呼吸が整っていない。彼は僕へ頭を下げようとしたが、途中で庭へ顔を向けてしまう。

 

「隊長は……」

 

 続きを待った。

 

 けれど、彼も何を聞けばいいか分からないらしい。

 

 僕が知っている烏有隊長なら、優しい人だと答えられる。皆を無事に帰すことを考えて、他隊へまで手を貸してくれる。

 

 だからこそ、今のあの人へ何を言えばいい。

 

「僕らも、ここにいるよ」

 

 それだけ伝えて、奥へ進む。

 

 部屋へ入ると、逆瀬川さんが寝ていた。

 

 窓が開いている。

 

 風で机の紙が動いたので、近くの椀を載せて押さえた。そうしてから布団へ目を戻すと、もう一度、自分が何をしに来たか分からなくなった。

 

 肩を斬られても、次に見た時には傷がなかった人だ。

 

 副隊長でこの霊圧は反則でしょう、と僕が言ったら、烏有隊長は助かっていると笑っていた。

 

 その人が、こうして寝ている。

 

 庭から、声が聞こえた。

 

「俺が行けば、終わるんだよ!」

 

 僕は窓へ顔を向ける。

 

 浮竹が門へ入ってきたところだった。いつものように声を掛けようとして、山爺と烏有隊長の間へ目をやる。その後ろに銀嶺さん、別の屋根から刳屋敷さんの姿も見えた。

 

 誰も、すぐには刀を抜かなかった。

 

 相手が虚なら、それでよかった。

 

 僕らが止めなければならないのは、今まで隣で刀を振ってくれた人だ。

 

        *

 

side:烏有

 

 皆が来る。

 

 京楽、浮竹、銀嶺。門へ入ってくる顔を見れば、誰かは分かる。先生が呼んだから来たのだろう。俺を向こうへ行かせないために、任務の途中から帰ってきた奴もいる。

 

 そんなことに、人数を使わなくていいのに。

 

 虚を斬りに行くのは、俺一人で済む。

 

「烏有隊長」

 

 浮竹が呼ぶ。

 

 返そうとして、喉が動かなかった。あいつも隊長を亡くしている。京楽もそうだ。それなのに、俺へ声を掛ける時には、まだいつものように顔を見てくれる。

 

 俺は今、その顔に腹を立てそうになっていた。

 

 どうして、止める側へ立てるんだ。

 

 あいつらのことだって、忘れていないだろう。

 

 先生の後ろで、隊士が二人、負傷した男を運んでいく。片方の足がもつれ、もう一人が腰を落として支えた。落とさなかった。そこを過ぎるまで、横にいた奴が庭の方を見ている。

 

 爺さんに教わったことを、今もやっていた。

 

 俺から、怪我人を守るみたいに。

 

 目を逸らす。

 

 先生は、まだ門の前に立っている。あの人を抜ければ、道を開ける。ここからでも虚圏へは行けるのだから、門へ向かう必要さえなかった。

 

 俺が手を上げれば、それで済む。

 

「烏有」

 

 先生が呼ぶ。

 

「儂を見よ」

 

 顔を戻した。

 

 杖が地面から離れ、先生の手の中で僅かに傾く。刀を抜くつもりなら、俺にも分かる。ここまで来て、まだ言葉で止めようとしてくれるのだから、待っているのだろう。

 

 俺が、やめると言うのを。

 

「先生」

 

 腰の刀へ、指を添えた。

 

 近くにいた隊長たちの霊圧が変わる。先生も、杖を持つ手へ力を込めた。

 

 俺はその顔を見たまま、口を開く。

 

「先生まで、俺の邪魔をするの」

 

 誰も、返事を挟まなかった。

 

 先生だけが、一歩近づく。

 

「するとも」

 

 その足が、俺の前で止まる。

 

「今のお主を止めるためなら、儂はここから動かん」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。