卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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夢見る者よ その先を望め
水面を覗けば 知らぬ己が映る




9.夢路の水鏡

 

 

 川へ手を入れると、指の間を冷たい水が抜けていった。

 

 街道から外れた河原だった。宿を出てから山沿いの道を歩き、日が高くなる頃にここへ下りた。対岸には葦が茂り、その向こうに畑が見える。腰の刀を外して傍らへ置き、濡れた手で顔を洗った。

 

 顔を拭ってから、刀へ目を向けた。卍解。前世では、その二文字だけで次のページを捲りたくなった。どんな姿になるのか。何が出来るのか。始解であれだけ強かった刀が、もう一段先へ進む。名前が明かされる場面まで、何度読み返したか分からない。だからこそ、気になっていたことがある。その先はないのか。

 

 ウルキオラが帰刃の第二階層を見せた時は驚いた。あそこからまだ変わるのかと嬉しくなって、その後に死神のことを考えた。敵がさらに先へ進むなら、卍解にも続きがあっていいじゃないか。どんな名前で、どんな姿になるのだろう。作中に答えが出るのを待ちながら、勝手に想像していた。まさか、自分で探すことになるとは思わなかったが。

 

「ゆめ。卍解した時のこと、覚えてるか」

「忘れるはずもありんせん。あれほどお喜びになって」

「そりゃ喜ぶよ。ずっと使ってみたかったんだから」

 

 初めてその名を呼んだ時のことは、今もよく覚えている。口にするだけで浮き立ち、解放した後もしばらく笑いが収まらなかった。山本に何を笑っておると聞かれても、上手く答えられなかったくらいだ。

 

 願っていた力を、自分の手で使える。前世で読んでいた頃の俺に見せてやれば、きっと羨ましがる。今の俺だって、何度使おうと楽しい。それでも、刀を収めるたびに思った。ゆめと俺は、ここまでなのか。

 

「お前と出来ることが、まだある気がするんだよな」

「それを探しに、お出になったのでありんしょう」

「ああ。先生のところじゃ、見つからなかったからな」

 

 山本の下で過ごした百年は、長いようで短かった。覚えたい鬼道も、試したい剣の振り方も幾らでもあった。稽古をつけてもらい、ゆめと話し、卍解も繰り返した。使えることは増えたが、その先へ進む手掛かりは掴めなかった。

 

 なら、ほかの場所へ行ってみようと思った。五百年歩いていた時には、ここが何の世界かさえ知らなかった。今なら同じ道を通っても、違うものに気づけるかもしれない。時間ならある。急いで帰れと言う者もいない。ただ、何を探せばいいのかは考える必要があった。

 

 川の水を掬い、一口飲んだ。掌に残った滴が陽を受けて光っている。これも霊子で出来ているのだと、山本は言っていた。足元の石も、岸の土も、俺の身体も同じだという。

 

 掌へ白い糸を一本作った。何百年も使ってきたものだ。太くも細くも出来る。相手の腕へ巻きつけ、地面へ打ち込むことも出来る。それなのに、この糸を作る時、自分が何をしているのか説明しようとすると困った。

 

 霊力を使って、霊子を糸にする。覚えた言葉で言い直せばそうなる。けれど、その二つがどう違い、どう関わっているのかまで分かったわけではなかった。

 

「ゆめ。まず、こっちからだな」

「糸でありんすか」

「いや。霊力って何なのか。霊子って何なのか」

 

 糸を指へ巻きつけた。軽く引けば指の腹へ食い込む。隣に置いた刀も、俺の指も、同じ霊子で出来ている。そのうち俺が糸にして操れるのは、どれなのだろう。

 

「使い方は知ってるんだけどな。何を使ってるのか、ちゃんと考えたことはなかった」

 

 糸をほどき、平らな石の上へ置いた。手を離しても残るようにしながら、普段は意識せずに済ませている力の使い方を、一つずつ確かめた。

 

 糸は石の上に残った。指を引いても、白い輪は崩れない。いつもなら、そのまま相手の方を見る。今日は糸を眺めながら、もう一本を作った。今度は細く伸ばす前に止めた。指先に白い光が集まり、丸く膨らむ。

 

 そこから糸にすることも、穿月(せんげつ)として撃つことも出来る。使い慣れた方へ変えるのは簡単だった。だが、まだ何にもしていないこの状態を、俺は何と呼んでいたのだろう。

 

「力を集めてる、か」

「何か分かりんしたか」

「普段、どう考えてるのかは分かった。集めて、細くして、固める。それだけだ」

 

 指先の光を消し、もう一度作る。力を使う感覚はある。剣を振るために腕へ力を入れるのと同じくらい、身体に馴染んでいた。どこから出しているかなど考えずとも、掌へ向ければ掌へ、指先へ向ければ指先へ集まる。だから、この光も自分の中から出しているつもりだった。

 

 けれど、力を出すことと、糸を作ることは同じなのか。俺の中にあったものを外へ出しているのか。それとも外にある霊子へ、自分の力を働かせているのか。使っている時の感覚だけで、その違いまで言い切れるだろうか。

 

「ゆめ。俺が糸を作ってるところ、そっちからはどう見える」

「お前様の力が動くのは、よう分かりんす」

「その後は?」

「糸がお出来になる。お前様が見ているものと、変わりんせん」

 

 俺は笑った。

 

「二人で眺めてても、分からないもんは分からないか」

「わっちがお前様の刀だからとて、何でも知っているわけではありんせんよ」

「いや、聞いてよかった。見えてるものが違ったら、それも手掛かりになるからな」

 

 石の上の糸を持ち上げた。最初の一本と、指先に作ったばかりの一本を並べる。どちらも同じ白さで、触れた感じにも違いはない。ここから何かを調べるなら、まず作る時に何が変わっているのかを見なければならなかった。

 

 周りへ目を向ける。石と砂と水。幾らでも試せる場所にいるが、今の俺には、何が変われば答えになるのかさえ決められていない。五百年も使って、百年教わってきた。少しくらいは分かったつもりだったが、言葉にしようとすると、随分と穴がある。

 

 荷から紙と筆を取り出した。

 

「書いておくか。忘れて、また同じことで悩みそうだ」

 

 石を机代わりにして、まず二つの言葉を書いた。霊力。霊子。その下へ、自分の身体から何を出しているのか、と続ける。答えを書く場所を空けたまま、筆を置いた。風に紙の端が持ち上がったので、石を一つ載せた。

 

 こんなことで紙を使うなら、もう少し持ってくればよかった。山本のところでは、必要な時に貰えば済んでいたのだ。

 

「次の街では、紙も買わないとな」

「お酒より先に、お忘れなく」

「両方買うよ。長い旅になるんだから」

 

 墨が乾くのを待つ間、川の水をもう一度掬った。掌から零れる水を眺め、今度は糸を作る時と同じように、その水へ力を向けた。掌から落ちかけた水が止まった。小さな球になって浮き、陽を映して揺れる。

 

 そこへ指を入れた。冷たい。指を曲げれば水の形が崩れ、抜けばまた丸くなる。薄い殻で包んで浮かせているだけだから、中身は掬った時のままだった。

 

 今度は細く伸ばそうとしてみた。水の球を包む殻が伸び、その中で水も細長くなる。白縫(しらぬい)に似た形にはなったが、触れば指が濡れる。

 

「……こっちは、包んでるだけだな」

 

 殻を消すと、水は石の上へ落ちた。細く残ることもなく、窪みに溜まっていく。その隣に置いた白い糸は、まだ同じ形をしていた。

 

 物を動かす時と、糸を作る時。どちらも掌から力を向けているが、やっていることは違う。水を包んだのと同じように石を包めば、石を持ち上げられる。その力を強めれば砕くことも出来る。だが、砕いた石が白縫になるわけではなかった。

 

「水や石に力を掛けるのは、前から出来る。けど、それを糸の材料にしてるかは別か」

「お前様が糸をお作りになるたび、足元の石が減るわけではありんせんものな」

「目に見えるほど減ってないだけかもしれないぞ。糸一本なら、使う分も少ないだろうし」

 

 言ってから、周りの石を眺めた。どれだけ作れば違いが見えるだろう。大きな網でも張ってみるかと思い、やめた。減ると決めつけて作れば、変わっていないところまで変わったように見そうだった。

 

 まずは、自分の方を確かめる。両手を膝へ置き、力を外へ出さずに集めた。腕へ、指へ、それから掌へ。力を込めたところが、周りよりはっきり感じられる。そこから白い糸を伸ばすと、掌に集めた分が糸の方へ移っていくように感じた。これが、自分の中から作っていると思った理由だった。

 

「ゆめ。今のは?」

「お前様の掌から、糸の先まで力を感じんした」

「だよな。俺もそう感じる」

 

 糸を消した。今度は、消す直前まで意識を向けていた。掌へ引き戻したつもりはない。白い輪郭が薄れ、そこにあった力の気配も周りへ紛れていく。

 

 何度か作っては消した。同じことを繰り返すほど、普段は気にも留めなかったところが気になった。糸の形がなくなった後、その霊子はどこへ行った。使った霊力は。

 

 手を止め、紙へ書き足した。糸を作る時に掌から力を出していること。その力は、出来た糸からも感じられること。消した後に、同じものを追えてはいないこと。書けたのはそこまでだった。

 

「何も分からない、よりは進んだか」

「明日もお試しになりんすか」

「明日も、その次も。歩いてる間にも出来るしな」

 

 石の上の糸を拾い、紙の束へ巻いた。結び目を作ると、ほどけない程度に締める。荷へ収めてから刀を腰へ戻し、河原を上がった。

 

 街道へ出る手前で振り返った。水を零した石は、まだ濡れている。荷を縛った白い糸へ指を掛けた。どちらも今は形がある。その違いを確かめるために、今日はこのまま持って歩くことにした。

 

            *

 

 日が暮れて宿を取る頃にも、糸は紙を縛ったままだった。

 

 部屋へ荷を置き、結び目に指を掛ける。河原で作った時と比べて、細くなった様子はない。途中で何度か引っ張ってみたが、紙の束が抜けることもなかった。

 

 これくらいなら、歩きながらでも保っておける。以前からやっていたことだ。わざわざ確かめるまでもないと思いかけて、筆を取った。長く使っていることほど、知っているつもりで飛ばしてしまう。今日からは、それも書いておこう。

 

 糸を残したまま飯を食い、風呂へ入った。戻ってから手拭いで髪を拭いていると、腰へ戻した刀から声がした。

 

「お前様。その糸は、いつまで残しておくおつもりで」

「寝てる間はどうなるか、見てみようと思って」

「紙を縛るのに、随分と手間を掛けなんすな」

「普通の紐なら、結んで終わりなんだけどな」

 

 紙を縛っている力は、自分のものだと分かる。部屋の隅に置いても、そこにある。糸を強くするのも、ほどくのも容易い。だったら寝ている間はどうか。

 

 今までにも、術を残して眠ったことはある。戸を押さえたり、荷を盗まれないようにしたり。朝まで残っていた日もあった。あれも、その間ずっと俺が力を使っていたのだろうか。

 

「寝てても、息はするしな」

 

 口に出してから、自分の胸へ手を置いた。意識しなければ止まる、というものではない。術だって長く使えば、似たように扱えるのかもしれない。ただ、それで霊力の使い方まで呼吸と同じだと決めるのは早かった。

 

 紙の束を枕元へ置き、その横に刀を寝かせた。

 

「寝てる時の俺の力、ゆめには分かるか」

「ええ。お休みになっても、お前様がおいでなのは分かりんす」

「じゃあ、この糸の方も見ておいてくれ。何か変わったら、明日教えてほしい」

「承知いたしんした」

 

 灯りを消して横になった。旅の宿で布団へ入るのも久しぶりだったが、天井を眺めるうちに山本の塾で使っていた部屋を思い出した。毎晩、同じところへ刀を置いて眠っていた。あの百年の間も、俺が寝ている横でゆめは起きていたのだろうか。

 

「ゆめ」

「何でありんす」

「お前は、眠らないのか」

 

 返事まで、少し間があった。

 

「お前様がこちらへお越しの時は、起きておりんすよ」

「俺が寝て、そっちへ行く時か」

「ええ」

 

 俺は枕元の刀へ顔を向けた。身体はここで眠っている。なのに俺は、ゆめの座敷で酒を飲み、話をし、時には刀を取ってきた。夢だからと済ませていた頃なら、それでよかった。今は、ゆめと本当に会っているのだと知っている。それなら、あそこで動いている俺は何なのだろう。

 

 寝る前にもう一行書きたくなったが、暗がりで筆を探すのはやめた。今夜は向こうで、自分の手をよく見てみようと思った。

 

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