卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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閉ざせし戸に 春は巡り
預けし袖に 道は残る




91. 留袖の五十年

 

 

 先生の胸へ巻かれた布が、襟の下から見えている。

 

 そこを見ていると、話の途中でも目が下がる。斬った時には、あの人が退いてくれればいいと思っていた。今は座り直すたびに着物が擦れるだけで、傷へ響いていないか気になってしまう。気にしたところで、俺がつけた傷なのだけど。

 

「五十年じゃ」

 

 先生が置いた紙へ、目を戻す。

 

 禁錮五十年。隊長としての職務は停止。斬魄刀は預けたまま、外へ出ることも許されない。皆へ刀を向け、総隊長の命に背き、止めに来た者まで斬った。その一つずつを読み上げる声に、俺は頷く。

 

 五十年なら、長くない。

 

 山を歩いているうちに過ぎたこともある。湯へ浸かり、鬼道を作っていたら、倍も経っていたことだってあった。なのに今は、その間に十番隊へ何人入るだろうと考えている。

 

 俺を知らない子が来る。

 

 知っている奴も、いなくなるかもしれない。

 

「……皆の怪我は?」

「命に別状はない。任務へ戻るには、まだ日を要する者もおる」

 

 先生の腕へ、また目が向く。

 

「先生も?」

「儂のことより、自分が何をしたか考えよ」

 

 顔を上げる。そう言った口元へ、疲れが残っているように見えた。俺を止め、皆を運ばせ、爺さんのところへも行ってくれた。その後には、俺の処分を決める話まである。

 

 この人の用事を、俺が増やしている。

 

「厳十斎は、送ったぞ」

 

 指が、膝の上で止まる。

 

 先生は紙を畳まず、俺が顔を戻すのを待ってくれた。佐伯たちが立ち会い、帰ってきた者も顔を見たという。伏見は、最後まで傍へいたらしい。

 

「……俺も、行きたかったな」

「行かせるわけにはいかんかった」

 

 頷いてから、息を吐く。

 

 分かっているよ。あの夜、先生が言ったことは何も聞かなかった。今になって爺さんを送りたいと頼んだところで、また自分の頼みだけ通してもらうことになる。

 

「一人じゃ、なかった?」

「皆がおった。お主が連れて帰った者もな」

 

 膝へ置いた指を、ゆっくり開く。

 

 爺さんなら、何人も集まっておる暇があるなら飯を食えと言っただろうか。それとも、伏見の怪我を見て、まだ立つなと座らせたかもしれない。

 

 そんなところばかり、よく覚えている。

 

「佐伯に、会えるかな」

「何を話す」

 

 先生の目へ、顔を向ける。

 

 皆は元気か。伏見は歩けるか。台所で、まだ俺の分まで炊いていないか。聞きたいことは幾つもあった。けれど、それより先に、言わなければならないことがある。

 

「謝りたい。帰ってきた子たちへ、俺、何も言わずに出てきちゃったから」

「ほかには」

「隊のこと。……誰が、見てくれるの?」

 

 先生が紙から手を離す。

 

「佐伯を副隊長に据える。お主が戻るまで、隊長代行も任せるつもりじゃ」

「佐伯に、五十年も?」

 

 思ったより大きな声になる。

 

 先生は、答えなかった。

 

 俺も口を閉じる。長いねぇ、と言おうとしたのだ。五十年も一人で預かるなんて、大変だろうと。そうして預けなければならなくした本人が、向かいに座っている。

 

「本人とは、話したの」

「話した。引き受けると申しておる」

 

 佐伯なら、そう言うだろう。

 

 爺さんが帰ってこなかった夜にも、俺へ部屋を用意してくれた。担架が入れば道を空け、誰かが怪我をすれば四番隊へ走らせる。俺が庭を出ていく間も、あいつは残った者を見ていた。

 

 そこでまた、頼もうとしている。

 

 あいつなら大丈夫だと、思いかけている。

 

「先生。佐伯が困ったら、話を聞いてあげて」

「お主に言われずとも、聞く」

「……うん。そうだねぇ」

 

 返事をすると、先生が立つ。俺も腰を上げかけたが、格子の向こうへ行く用事はない。膝へ手を戻すまで見届けてから、先生は廊下へ足を向ける。

 

 その背へ、声を掛けた。

 

「俺が戻るまで、隊長は替えないの?」

「戻ったお主を、そのまま座らせるとは言っておらん」

 

 先生が、振り返る。

 

「五十年、考えよ。何を預かっておったのかをな」

 

        *

 

 佐伯は、二冊持ってきた。

 

 隊の報告だと思ったら、片方は席官の名簿だった。格子の手前へ座り、こちらからも読めるところへ広げてくれる。見慣れた名前の脇へ、今までと違う数字がある。

 

 副隊長、佐伯。

 

 三席、槇島宗親(まきしまむねちか)。四席、榛名時継(はるなときつぐ)。五席、鷺坂清弦(さぎさかせいげん)。六席、伏見小夜(ふしみさよ)。

 

 槇島が三席か。

 

 俺が留守の間には、佐伯の代わりに若い子の荷を見てくれるのだろう。榛名も、あの顎の傷は塞がったかな。伏見の名前へ来たところで、谷から戻った時の顔が浮かぶ。

 

「伏見は、もう動ける?」

「歩いております。ただ、任務へはまだ出していません。四番隊からも、もう少し休ませるようにと」

「うん。……佐伯、お前さんは?」

 

 こちらを見る顔が、僅かに強張る。

 

 俺が動いたからかと思い、膝へ手を置き直した。佐伯はそれに気づいたらしい。目を下げ、何か言おうとしてから、名簿の端を揃える。

 

「私は、戻っております。傷も問題ありません」

「そっか。よかった」

 

 あの庭で、こいつも地面へ伏せた。

 

 俺が声を掛けるたび、また同じ霊圧が来るのではないかと思うのだろうか。そう思われても仕方がない。今はもう大丈夫だと言って、信じてもらえるようなことをしていない。

 

「佐伯。帰ってきた皆にも、伝えてくれるかな。俺が怖い思いをさせたって。……すまなかったって」

「隊長」

「爺さんのことを、皆のせいにはしてないよ。伏見も、ちゃんと帰ってきてくれた。あの人が頼んだ通りに、俺へ知らせてくれたんだから」

 

 佐伯が頷く。それを見て、ようやく少し息が入る。

 

「でも、帰ってきてよかったって、言ってやれなかった。俺があんな顔をしてたら、戻るんじゃなかったと思う子も、いるかもしれないねぇ」

「……伏見は、副隊長の最後のお言葉を、何度も話しておりました。ほかの者も、覚えているところを聞かせてくれています」

「そう」

 

 俺には、まだ聞いていない話がある。

 

 爺さんが最後に何を言ったか。谷へ出る時に、誰の荷を持たせたか。顔を見ていたくないなどと思わず、座って聞けばよかった。

 

「今度、教えて。お前さんが聞いた分だけでも」

 

 佐伯は返事をして、もう一冊を開く。

 

 巡回へ出す人数と、戻ってきた組の報告だった。東の範囲を狭め、隣の隊へ一部を頼んでいる。槇島を西から戻し、代わりに鷺坂が出た。榛名は隊に残して、任務へ加える子たちの稽古を見てもらうという。

 

 俺なら、東へ自分で行っただろう。

 

 それから西にも顔を出し、帰りに北を見てきたかもしれない。そこまで考えて、紙へ伸ばしかけた指を止める。

 

 今、行くのは佐伯たちだ。

 

 俺が歩けば済んだ道を、同じように歩かせてはいけない。

 

「東を減らす話、向こうは聞いてくれた?」

「はい。ただ、交代する日を揃えてほしいと。こちらだけ先に戻ると、その間の集落を見る者がいなくなるためです」

「じゃあ、帰りを半日ずらそうか。合流するところで一緒に動けば、置いてく区間が減るよ。……お前さんは、どうするつもりだった?」

 

 佐伯が、別の紙を出す。

 

 そこには、同じ道を通る二組の時刻が並んでいた。半日早く出る方と、遅く戻る方。俺が今思いついたことを、既に向こうの隊と話している。

 

「それでいいねぇ」

 

 紙を眺めながら、口元へ手をやる。

 

 俺に聞かなければ分からないと思っていたわけではない。けれど、こちらが口を開く前に話が済んでいると、少し寂しい。助かるよ、と言うべきところで、自分の出番まで探してしまう。

 

 困った隊長だねぇ。

 

「このまま、進めて。返事を待たせなくていいよ」

「承知しました。では、明日のうちに⸺」

「佐伯」

 

 呼び止めると、筆を持つ手が止まる。

 

 俺は名簿へ、もう一度目を落とす。副隊長と書かれた名前の下に、皆が並んでいる。五十年、あいつはこの顔を見て送り出すのだ。

 

「俺がいない間、皆を頼むよ」

 

 言い終わる前に、爺さんの声が浮かんだ。

 

 あの人にも頼んだ。俺のいないところを見て、皆を連れて帰ってほしいと。引き受けてもらって、安心して、自分は別のところへ出た。

 

 佐伯が頭を下げる。

 

「はい。必ず⸺」

「待って」

 

 顔を上げてもらう。

 

 必ず帰します、と言わせたくなかった。言うつもりではなかったかもしれない。それでも、今の俺はそこまで聞くのが怖い。

 

「お前さんも、人数に入ってるからねぇ。最後に残って、皆が戻れば済んだなんて思わないで」

 

 佐伯が俺を見る。

 

 爺さんだって、自分だけ死ぬつもりで出たのではないだろう。生きて帰るために斬って、傷を戻して、その分がなくなるまで戦った。ここで言葉を足せば防げたなどと、俺には言えない。

 

 それでも、言わずに任せることはできなかった。

 

「迎えを呼ぶなら、お前さんがまだ刀を振れるうちに。怪我したら、槇島でも榛名でも、隣の奴へ渡して。隊長代行になったからって、全部自分で持たなくていいよ」

「……はい。皆にも、同じように伝えます」

「うん。俺にも、教えて。どうやって帰ってきたか」

 

 佐伯が頷き、報告を閉じる。

 

 それで立つのかと思ったが、今度は薄い紙を取り出した。細かな字で幾つも書いてある。任務の話ではないらしい。上にあるのは、使える鬼道の名前だった。

 

「総隊長から、許可をいただいております。こちらで、お教えいただける範囲のことを」

「……稽古?」

「はい。隊長から習っておきたいことが、まだありますので」

 

 まだ、習いたいのか。

 

 あの夜、俺を見て立てなくなった奴が。怖かったですと話してくれた時のように、今もこちらへ紙を出してくれる。

 

 受け取ろうとして、格子へ手が当たる。

 

 佐伯が寄せてくれたので、指の間へ通してもらう。紙の真ん中に、白縫(しらぬい)と書かれていた。

 

「これ、最初にやろうか」

「拘束する術を、ですか」

「縛るだけじゃないよ。落ちかけた奴を引く時にも、担架を支える時にも使える。お前さん、両手が塞がってから困ることが多いだろう」

 

 佐伯が、自分の手へ目を落とす。

 

 袋を結び直し、負傷者を担ぎ、俺が戻るまで傷を押さえていてくれた手だ。もう一本あればと思うなら、その代わりになるものを教えられる。

 

「卍解も、やろうねぇ」

 

 顔が上がる。

 

「五十年、それだけで終わらせるつもりはないけど。お前さんが誰かを待つ時、少しでも余裕ができるように。刀のことも、鬼道も、教えられる分は全部教えるよ」

「ですが、ここでは」

「刀を振る場所は外にあるだろう。試して、分からなかったところを持ってきて。俺は、聞くから」

 

 すぐにできるなどとは言わない。佐伯の刀は、佐伯が向き合わなければならない相手だ。俺が九つ願って済ませてやるようなものでもない。

 

 ただ、一人で迷わせずにいることはできる。

 

「戻ったら、俺も一緒に振るよ。それまでに、先生にも見てもらってねぇ。あの人の稽古は、逃げ方も覚えないと大変だから」

「……存じております」

 

 佐伯の口元が、少し動く。

 

 笑ったのか、困ったのか。どちらでも、さっきより顔が見えた。

 

        *

 

 最初の糸は、帰り際に切れた。

 

 廊下へ置いた湯呑を持ち上げ、こちらへ寄せるところまではできたらしい。けれど、佐伯が立った途端に白い輪が緩み、湯呑が傾いた。慌てて自分で受け止め、持ってきた盆へ戻している。

 

「動く方を、忘れてたねぇ」

「はい。持ち上げたところで、止めてしまいました」

「次は歩いてみて。お前さんが歩いても、湯呑が揺れないくらいに。中へ湯を入れるのは、それが済んでからでいいよ」

 

 頷いた佐伯が、紙へ何か書き足す。

 

 俺は格子へ寄りかけた身体を戻した。今のところを手で直してやることはできない。指の曲げ方を見て、力を収めるところを話して、あとは本人が試すのを待つ。

 

 ずっと、待つ方になるのだな。

 

 帰ってきた子の顔を数えた日も、戻らない名前を消した日も、待つのは嫌だった。自分で行けば早い。自分で斬れば負傷者が減る。そうして出ていった先から戻るたび、別の報せが机にあった。

 

 佐伯は、明日もそこへ座る。

 

 俺の代わりに。

 

「次は、いつ来られる?」

「三日後に伺う予定です。それまでに、こちらも試しておきます」

 

 白縫の紙を示してから、名簿をしまう。

 

 俺は、気をつけてねぇと声を掛けた。任務へ出る話はしていないのに、そう言ってしまう。佐伯も問い返さず、いつものように頭を下げてくれた。

 

 足音が遠ざかるまで、廊下を見ている。

 

『お前様。ようお話しになりんしたな』

「うん。怖がらせちゃったのにねぇ。まだ、教えてくれってさ」

 

 膝へ、佐伯の書いた紙を広げる。

 

 白縫の下には、幾つも名前があった。俺が使うところを見て、覚えておいてくれたのだろう。昔は何をしているのか分からず、刀を抜くところだけ追っていた子が。

 

「俺、あいつに教えたいこと、随分あったんだね」

 

 使える術を増やしてやりたい。誰かの刀を受ける時に、もう一つ選べるものが欲しい。下がる道へ爪が届くなら、その手前で止められるように。

 

 考えていると、次から次へ出てくる。

 

 それでも、これを全部覚えれば死なないとは、もう言えなかった。

 

『お戻りになるまでに、紙が足りなくなりんしょう』

「そうだねぇ。佐伯に、持ってきてもらおうかな」

 

 返事をしてから、指で紙の端を伸ばす。

 

 三日後には、またここへ来るという。

 

 その時、俺はここにいる。どこへも行かず、あいつが持ってくる話を聞く。うまくできたところも、まだできないところも。隊で誰が何を言ったかも。

 

 爺さんに話を聞いてもらった日を、思い出す。

 

 石ばかり眺めていた俺へ、芋でも食うかと声を掛けた人だ。急いで答えを教えるより、隣へ座らせてくれた。俺がまた聞きに来るまで、山で待っていてくれた。

 

 俺にも、それができるだろうか。

 

 まだ、分からない。

 

 けれど、次に佐伯が来た時に話すことなら、今夜のうちに用意できる。

 

 白縫と書かれたところへ指を置き、俺はゆめと、糸の結び方から話し始めた。

 

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