卍解のその先を追い求めて。   作:lalaland

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守りし手にも 弓はあり
下りし命に 影は差す




第八章  白弓の挽歌
93.白弓の行方


 

 

「……山爺、やっぱり話し合いは決裂かい?」

 

 京楽の声で、紙から目を上げる。

 

 先生は杖へ両手を重ねたまま、皆が揃うのを待っていた。遅れて来る者はいない。俺も今日は、呼ばれた刻限より少し早く着いている。廊下で京楽に会って、珍しいねぇと笑われたくらいだ。

 

 あいつも、今は笑っていない。

 

「先方からの返答は、昨日届いた。虚の滅却を止める意思はないとのことじゃ」

「共同で受け持つ話も?」

「退けられた。死神の到着を待つ間に誰が人間を守るのか、と」

「……そこを言われると、痛いね」

 

 京楽が笠の縁へ触れる。外すつもりも、被り直すつもりもないらしい。そのまま指を離し、先生へ目を戻した。

 

 俺の手元にも、交渉の記録がある。

 

 虚を見つけた時には知らせてほしい。死神が向かう。人の住むところへ近づけないよう、こちらも巡回を増やす。何度か読んだ文面だ。その隣には、知らせたが来なかった場所と、来るまでに死んだ者の数が並ぶ。

 

 向こうは、ちゃんと覚えている。

 

 こちらで任務を終えたことになっている日にも、誰が間に合わなかったのか。

 

「滅却師の活動は、確認できている地域だけでも増えております」

 

 報告を続けた隊長が、紙を一枚めくる。俺が牢から戻った頃には、あの場所へ別の男が立っていた。今の顔も、もう随分と見慣れたものだ。こういう時に数字を間違えず話してくれるので、余計な聞き直しをしなくて済む。

 

 聞き直さずに済む話ばかりなら、助かるのだけどねぇ。

 

「現世へ派遣する人数を増やしても、滅却された魂魄は戻りません。既に出ている偏りを、これ以上広げるわけにはいかないかと」

「増援を出すとして、その分はどこから取る」

 

 銀嶺が尋ねる。

 

 答える声が少し低くなる。別の土地から。今、虚が少ないところから。言い方を変えても、そこへ行く者を減らすことには変わりない。

 

 俺も何度か、同じ紙へ名前を書いた。

 

 ここから二人。向こうから三人。その間に何も起きなければ、明後日には戻せる。何も起きない方へ賭けるのが、だんだん上手くなる。上手くなったところで、外れた日の報告まで薄くなるわけではない。

 

「総隊長。実施の決定が下りた、ということでよろしいのですね」

 

 烈の問いへ、先生が頷く。

 

「滅却師殲滅作戦を決行する」

 

 紙を持つ指が、止まる。

 

 隣で誰かが息を吸った。京楽は笠へ手を戻さず、浮竹も前を向いている。先生の声はいつもと変わらなかった。明日の配置を告げる時も、巡回を増やす時も、あの人は皆へ聞こえるように話す。

 

 今回は、殺す相手が人間だった。

 

 懐へしまえば見えなくなる小さな十字。その持ち主が、今までこちらの紙へ書かれてきた。虚を滅却した者。交渉へ出てきた者。家へ戻った者。

 

 この後に配られる紙には、そいつらのいる場所が載る。

 

「先生」

 

 呼ぶと、こちらへ顔が向く。

 

「どこまでが、討伐の対象なの?」

 

 先生はすぐには答えなかった。俺が何を聞きたいか、続きを待ってくれている。

 

「弓を引いた奴だけなのか、滅却師として名前が載ってる奴なのか。家族と一緒に暮らしているところへ、うちの子たちも行くんだろう。そこは、先に聞いておきたいねぇ」

「作戦の対象は、虚の滅却を続ける滅却師と、それを支える戦力じゃ。血縁があるだけの者まで、討伐の対象とはせん」

「弓を置いたら?」

「拘束し、以後の活動を監視する。じゃが、降伏を装う者もおろう。判断は各隊長が負え」

「……分かったよ」

 

 そこまで返すと、先生の目が俺の手元へ落ちる。

 

 紙の端を、少し折ってしまっていた。

 

 伸ばしても、筋が残る。佐伯なら重ねる前に気づくだろう。読み終えた紙まで綺麗に揃えてしまう奴だから、俺のところへ来るものは、いつも角が合っている。

 

 これも、あいつへ渡す。

 

「烏有。お主には西の一帯を任せる。複数の集団が連絡を取り合っておる地域じゃ。十番隊だけで抱え込むな。他隊との合流地点は、長次郎から受け取れ」

「うん。そちらへ逃げた者がいた時も、先に知らせるよ。追う方と待つ方で、違うことをしても困るからねぇ」

 

 先生が頷き、次の隊へ命じていく。

 

 浮竹が担当の境を確かめ、銀嶺が現世で動く刻限を聞く。烈は負傷者を運ぶ先と、各隊へつける四番隊の人数を伝えていた。

 

 ちゃんと話しておかないと、怪我をした奴が困る。

 

 そう思って聞く俺の前へ、討伐対象のいる場所が広げられる。川沿いに家がある。少し離れて、別の集落。逃げるならこちらの橋を渡るだろう、と誰かが指した。

 

 俺も、そこを見る。

 

 橋を押さえる者が要る。

 

 向こうへ渡った者を逃がさないために。

 

        *

 

 廊下へ出ると、京楽が隣へ並んだ。

 

「先に聞いてくれて、助かったよ」

「お前さんも聞くつもりだった?」

「うん。ただ、どこから聞こうかと思ってね。もう決まってる話を、どこまで戻せるのか」

 

 後ろから浮竹も来る。俺たちへ追いつくと、手にしていた紙を懐へ入れ、門の方を見た。

 

「交渉を担当した者とは、会っておきたいですね。相手の返答を直接聞いたのなら、記録に残していないこともあるでしょう」

「俺も行こうか。向こうへ着いてから、話が違うって言われるのは困るしねぇ」

「では、都合がつき次第お知らせします」

 

 いつもなら、そこから飯の話になる。

 

 京楽がどこかへ寄ろうと言い、浮竹が午後の用事を思い出す。俺が二人とも戻ればいいじゃないかと口を挟んで、結局、近くで済ませる。

 

 今日は京楽も、隊へ戻ると言った。

 

「下の連中に話しておかないとね。山爺の声で聞くのと、僕が伝えるのとじゃ、随分違うだろうから」

「そうだねぇ」

「烏有隊長。……何かあったら、声を掛けてよ」

 

 あいつの顔を見る。

 

 俺が何かしそうに見えたのかもしれない。昔、一度やっているからねぇ。黙っていたところで、大丈夫だと片づけてもらえる付き合いでもない。

 

「うん。お前さんにも頼むよ。八番隊で気になったことがあれば、こっちにも聞かせて」

「そうする」

 

 京楽は片手を上げ、浮竹と途中まで一緒に歩いていく。

 

 俺も十番隊へ足を向けた。懐に紙があるせいか、いつもより袖の収まりが悪い。直そうとして手を入れたところで、腰の刀へ指が当たる。

 

『お前様。お帰りになったら、少しお座りなんし』

「そんなに変な顔してる?」

『お顔より、先ほどから握っておいでの手が』

「ああ」

 

 開いてみれば、掌に爪の跡がある。

 

 気づかなかったな。

 

 先生に止められた夜も、俺は均衡の話を聞いた。今それを思い出して、先生を責める言葉を探すのは簡単だろう。あの時は駄目だと言ったのに、今度は皆で殺しに行くのか、と。

 

 けれど、あの人が俺を止めたから、俺は今日ここにいる。

 

 戻ってきた奴の話を聞き、出ていく奴へ声を掛ける。百三十年、それを続けてきた。途中で休みもしたし、勝手に山へ足を向けて、帰る日を知らせるのが遅れたこともある。

 

 それでも帰れば、佐伯がいた。

 

 今、あいつに何を言おう。

 

「ゆめ」

『はい』

「俺、これをうちの子たちにやらせるんだねぇ」

 

 返事を待ちながら、門を曲がる。

 

 向こうで箒を持った子が俺に気づき、頭を下げてくれた。朝もそこを掃いていた気がする。俺が落とした葉まで集めてくれたのだろう。

 

 お疲れ、と声を掛ける。

 

 ゆめの声は、その子が顔を上げてから聞こえた。

 

『お前様が、どうお命じになるか。皆様は、それをお待ちでありんしょう』

 

 うん。

 

 待たせておくわけにはいかないねぇ。

 

        *

 

 佐伯は、俺が戻る前に机を空けていた。

 

 隊首会から帰れば、何かしら持ち帰る。今日もそう思っていたのだろう。隣の机へ普段の報告を寄せ、俺が紙を広げるところへ、湯だけ置いてくれていた。

 

「現世への派遣でしょうか」

「うん。今回は、滅却師のところへ行く」

「交渉に同行する者を選びますか」

 

 顔を上げる。

 

 そう聞いてくれたのが、少し嬉しかった。まだ、あいつの中ではそれが仕事の続きなのだ。

 

「交渉は、打ち切りになったよ。掃討の命が下りた」

 

 佐伯の目が、紙へ落ちる。

 

 すぐには手を伸ばさない。俺も湯へ触れず、あいつがもう一度こちらを見るまで待つ。

 

「……承知しました。対象と、担当の範囲を伺ってもよろしいでしょうか」

「座って。少し長くなるから」

 

 向かいへ腰を下ろした佐伯に、会議で聞いたことを伝える。

 

 西の集団。隣接する他隊の担当。合流する場所と、四番隊へ負傷者を運ぶ道。最後に、弓を置いた者は拘束することと、その判断を俺が負うことを話した。

 

 佐伯は途中から、紙へ書き込んでいる。

 

 いつもと同じ字だった。俺が話す順番を少し戻しても、どこへ書けばいいか迷わない。あの五十年に、こういうことも随分覚えてしまった。

 

 俺が帰ってきてからも、よく助けてくれる。

 

「席官を集めます。各組へ伝える際には、隊長にもいていただけますか」

「もちろん。俺から話すよ」

「ありがとうございます。それと、拘束に使う鬼道を、出発前に確かめさせてください。虚を相手にする時と同じ力で使えば、人間には」

「うん。そこは俺も見ておく。白縫を使う子も、締める方ばかり練習しないようにねぇ。止めた後に、ちゃんと緩められるかまで」

 

 佐伯が頷く。

 

 部屋の外で、稽古へ向かう足音がする。二人か、三人。話しながら通り過ぎたので、誰か一人が遅れているのだろう。俺もたまに捕まって、一緒に走る羽目になる。

 

 今日は、呼び止めなかった。

 

「隊長」

 

 佐伯が筆を置く。

 

「抵抗を受けた時には、討ち取る。その指示も、伝えなければなりませんね」

「……そうだね」

 

 俺が言わずに済ませていたところへ、あいつが筆を置いてくれた。

 

 拘束する。退路を塞ぐ。こちらの負傷者を運ぶ。その話だけをして送り出せば、弓を向けられた子が迷う。斬っていいのか。まだ待つべきなのか。俺の顔を思い出している間にも、矢は来る。

 

 命は大事にしないとだからねぇ。

 

 何度も言ってきた。

 

 今度はそれを、どちらへ向けて聞かせる。

 

「佐伯。皆には、弓を向けられたまま待てとは言わないよ。拘束できるならそうする。でも、間に合わない時には斬る。お前さんたちを死なせるために、向こうへ行くわけじゃない」

「はい」

「その代わり、抵抗をやめた者へ、続けて刀を振らないでほしい。追い詰めた時も、一人で決めずに呼んで。俺が近くにいなければ、お前さんか、その組を預かってる席官に」

 

 そこまで言ってから、佐伯を見る。

 

「……頼める?」

「お引き受けします」

 

 あいつは、目を逸らさなかった。

 

「ただ、私も迷うと思います。現世で人間へ刀を向けることには、慣れておりませんので」

「慣れなくていいよ。俺も、慣れてほしいとは思ってない」

「では、迷った時には隊長をお呼びします」

「うん。俺も呼ぶから、来てねぇ」

 

 佐伯の口元が、僅かに動く。

 

「隊長がお呼びになるのでしたら、足を鍛えておかなければなりませんね」

「今日は、そんなに遠くへ行かないよ」

 

 言ってから、湯を持ち上げる。

 

 もう熱くはなかった。二人で話している間に、飲みやすくなっている。佐伯にも勧めると、自分の椀を手元へ寄せてくれた。

 

 廊下を通った足音が、今度は戻ってくる。

 

 槇島が戸口へ顔を出し、俺たちの前へある紙を見た。

 

「お戻りでしたか。次の派遣について、こちらで人を揃えてよろしいでしょうか」

「うん。皆を呼んでもらえる? 出掛ける前に、俺から話しておきたいことがあるんだ」

 

 槇島が返事をして、庭へ向かう。

 

 俺は紙を広げ直した。折ってしまった端を佐伯が押さえ、こちらへ向きを合わせてくれる。

 

 帰ってきてほしい。

 

 それは今も、変わらない。

 

 これから俺は、その顔を一人ずつ見ながら、人を斬れと命じる。

 




今章は原作から約200年前の滅却師掃討戦です。
ストック吐ききれるまではどんどん出します。
今章もご愛読くださいませ。
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