逃れゆく足に 影は添い
留まりし影に 刃は降る
木の枝が鳴った。
顔を上げると、夕月が道へ降りてくる。着地の前に羽織を引き寄せ、俺の隣へ足を揃えた。後ろにいた平子が立ち止まり、蒼純もそちらへ頭を下げる。
「ここにいたか」
「夕月。橋ならもう通れるよ」
「そちらは聞いた。山側に道がある」
夕月が木々の向こうを見る。川沿いから離れる細い坂があり、低い枝の下に二番隊の者が待っていた。こちらへ来るよう指で呼ばれると、音もなく坂を下りてくる。
「荷を運んだ跡が続いております。上で弓を持つ者を五人確認しました」
「ほかは?」
「奥の小屋に人影が。数はまだ確かめられておりません」
夕月が頷く。
報告した者はすぐに木の陰へ戻った。俺も坂を見てから榛名を呼び、川沿いへ残す者を選んでもらう。佐伯が傍へ来ると、夕月は指を二本立てた。
「上へは二組で入る。お前たちは道を使え。俺は脇を通る」
「途中で会おうか」
「上で会う。途中まで追ってくるなよ」
「お前さんの道、枝が多いからねぇ」
夕月が俺の顔を見る。
「前に通った時もそう言ったな」
「そうだった?」
「その後、庭の木を一本折った」
「あれは俺のせいじゃないよ。お前さんが先に蹴ったんだから」
「折ったのはお前だ」
平子がこちらを見ていた。夕月へ目を移し、何か言いたそうに口を開く。けれど、夕月が手を上げたところで閉じた。
「では上で」
羽織が枝の間へ消える。
揺れた葉が一枚落ち、俺の肩へ触れた。払って道へ入ると、平子が横へ来る。
「四楓院隊長の庭で何してたんです」
「少し身体を動かしてたんだよ」
「庭で?」
「広いからねぇ。蒼純のところじゃ、銀嶺がいい顔しないだろう」
蒼純は坂の上を見ていた。
こちらへ顔を戻し、少し困ったように頷く。
「木だけでは済まないかと」
「池もあるしね」
「池は動きませんが」
「俺たちが入っちゃうかもしれない」
平子が鼻で笑う。
坂はすぐに狭くなった。前へ出た榛名が枝を押さえ、後ろの者を通している。俺もその下を抜けると、川の音が遠のいた。踏み固められた土に車輪の跡が二筋続き、途中から斜めに崩れている。
木の幹へ白い光が走った。
榛名を引き寄せ、抜いた刀で矢を払う。折れた枝が頭上から落ちる間に、道の先へ足を入れた。岩の脇に二人。片方が次を引き、もう片方は俺の後ろへ狙いを残している。
白縫で弓を横へ引く。
男の肩が傾き、その隣へ刀を通した。抜いた刃を返すと、引かれた弓を取り戻そうとしていた手が止まる。二人を道の外へ倒し、岩の上を見る。
そこにいた三人目が走った。
「そっちへ行ったよ」
声を掛けると木々の間で枝が揺れた。
男の足が地面を離れる。夕月の手が襟を掴み、そのまま土へ叩き伏せた。弓を持つ腕が背へ回され、顔が枯葉へ沈む。
「手を開け」
短い声が届いた。
男が指を離す。夕月は弓が消えるまで腕を押さえ、傍へ降りてきた二番隊の者へ渡した。俺が岩の向こうを見ていると、夕月も顔を上げる。
「残りは上だ」
「うん。こっちはそのまま行くよ」
榛名たちの足音が戻ってくる。
俺は刀を下げて待ち、揃ったところで坂を上がった。背後では平子が枝を踏み越えながら、見張りへ回る二人を呼んでいた。
*
小屋の前で荷車が傾いていた。
片輪が溝へ落ち、積まれた箱が地面へ転がっている。屋根には苔が厚くつき、軒から下がる縄が風に揺れていた。戸口へ立つ男が俺たちを見つけ、奥へ何か叫ぶ。
白い弓が二つ現れた。
「止まれ!」
男の声に榛名たちが足を止める。
俺はそのまま前へ出た。戸口の男が弦へ指を掛ける。その後ろを人が横切り、反対側の戸が開いた。
夕月の刀が黒く染まる。
〈踏み留めよ、
地面へ刺さった刀から黒い帯が伸びた。
戸口の男の影を踏み、その奥へ続く影にも絡む。弓を引いた肩は動いたが、足が出ない。俺が刀を振ると、放たれた矢が頭上へ逸れた。その下を抜けて男へ斬り込み、身体を横へ倒す。
奥の一人が夕月へ弓を向けた。
その腕へ横から手が入る。肘を押し上げられ、矢が屋根を貫いた。夕月が男の腹へ拳を入れる。身体が折れたところで後ろから隊士が押さえ、弓を持つ手を土へ伏せた。
小屋の中にはまだ三人いた。
一人は箱へ腰を下ろしている。立とうとした隣の者が戸口の男を見て、そのまま膝をついた。残る一人が奥へ下がり、壁へ掛けられた弓に手を伸ばす。
「それ、取らないで」
俺の声で肩が止まった。
手が宙に残る。刀を下げずに見ていると、やがて指が曲がり、胸の前へ戻ってきた。
「そのまま出ておいで。座ってる人は歩ける?」
「足を……」
隣の者が答えた。
箱に座る男の足元に赤い布が見えた。蒼純を呼ぶと戸口へ来て、俺の刀を避けて中へ入る。腰を落とした膝へ男の目が向き、伸ばされた手から身体を引いた。
「布を解きます。痛むところがあれば、おっしゃってください」
蒼純の声を聞いてから外へ戻る。
夕月が刀を地面から抜いていた。黒い帯が縮み、土の上に人の影だけが残る。押さえられた男が一度腕を動かしたが、二番隊の者に手首を掴まれると止まった。
「後ろは?」
「うちのが見てる。抜けた者はいない」
夕月が顎で木々を示す。
枝の間に黒い袖があった。目を向けると片手が上がり、また葉の陰へ戻る。平子も小屋の裏から出てきて、夕月へ頭を下げた。
「奥に道はありません。薪が積んであるだけです」
「分かった。こちらで受け取る」
「ほな、残した連中も呼びます」
平子が踵を返す。
俺は小屋の脇へ寄り、傾いた荷車へ手を掛けた。持ち上げると落ちていた車輪が溝から抜ける。反対側で夕月が車体を支え、二人で道へ戻した。
「それも運ぶのか」
「歩けない人がいるからねぇ」
「底が抜けている」
覗くと板が一枚割れていた。
夕月が落ちていた箱を寄せ、俺がその横へもう一つ並べる。上へ座らせるには少し硬そうだったが、歩いて下りるよりはいいだろう。
「昔、お前さんのところで借りた車は丈夫だったねぇ」
「あれは荷を運ぶものだ。お前が寝るために貸したわけじゃない」
「揺れるとよく眠れるんだよ」
「引いていたのは俺だ」
夕月が車輪を蹴って確かめる。
俺が笑うとこちらを見たが、もう何も言わなかった。
*
坂を下り終える頃には、川の向こうが赤くなっていた。
荷車から降ろされた男は四番隊へ渡され、捕らえた者たちも別の組に連れられていく。榛名が道へ戻ってきて、最後の見張りも合流したと佐伯へ伝えた。
平子のところへ五番隊の者が来る。
差し出された紙を開き、目を通すと俺へ顔を向けた。
「うちはここで戻ります。向こうの組が揃うたんで」
「そっか。今日は助かったよ」
「こっちもですよ。せやけど、次は先に知らせください。追いついたら屋根の上、言うんは困ります」
夕月が俺を見る。
何か言われる前に、俺は平子へ頷いた。
「次は会ってから行こうか」
「そうしてください。ほな、朽木。またな」
「はい。お気をつけて」
蒼純へ片手を上げ、平子が隊士を連れて道を戻る。少し先でこちらへ振り返った。
「隊長。帰ったら十番隊へ顔出してもええですか」
「いいよ。佐伯に声を掛けてくれたら、俺も呼んでもらえる」
「呼ばんでもおってくださいよ」
声が遠のいていく。
蒼純にも六番隊の者が来ていた。銀嶺のもとへ戻ると聞き、俺は手に掛けていた布を差し出す。もう殆ど乾いているが、端に薄い赤が残っていた。
「やっぱり、ちゃんと洗って持っていくねぇ」
「そのままでも」
「俺が持っていきたいんだよ。お前さんも銀嶺もいる日にさ」
蒼純が布から俺へ目を戻す。
しばらくして頷き、いつでもお待ちしておりますと頭を下げた。夕月にも挨拶し、六番隊の者と川沿いへ歩いていく。
俺は布を畳んで懐へ入れた。
隣で夕月が刀を納める。道に残ったのは十番隊と二番隊の者たちだった。佐伯がこちらへ来て、紙を一枚差し出す。
「川沿いと山側、こちらへ割り当てられた範囲は確認できました。残した組からも知らせが来ています」
「皆、戻れる?」
「交代の見張りが入れば。先に集まれる者は後方へ向かわせます」
「うん。じゃあ、俺たちも行こうか」
佐伯が頷く。
榛名へ声を掛けると、隊士たちが道へ並び始めた。俺もその先へ歩こうとして夕月を見る。まだ立っていたので、肩を並べられるところを空けてやった。
「お前さんも戻るんだろう?」
「ああ。うちの組も集まる」
「なら、一緒に行こうよ」
夕月が歩き出す。
暫くは川の音だけが聞こえた。道から見える家々には、まだ戸の閉まったものが多い。夕月が一軒へ目を向けると、その軒下にいた二番隊の者が頷いた。
「今日、帰ってからも働くの?」
「報告がある」
「終わったらお前さんのところへ行っていいかな」
「今夜か」
「遅くなるなら、別の日でもいいよ」
夕月がこちらを見る。
「酒は出さんぞ」
「お茶でもいいよ。京楽とは別の日に飲む約束したから」
「なら茶にしておく」
返事を聞いて頷く。
坂の向こうから四番隊の者が二人来た。空の担架を持ち、俺たちへ道を空けようとするので端へ寄って通す。その先では白い布を張った場所に灯りがついていた。
夕月が歩調を緩める。
布の下に烈がいた。
腰を下ろした隊士の腕を取り、巻かれた布を解いている。傍らの盆へ赤くなったものを置き、別の者へ手を差し出した。新しい布がそこへ渡るまで、目は傷から離れない。
俺たちが近づくと顔が上がった。
「戻りましたか」
「うん。こっちは一区切りついたよ」
烈が俺と夕月を順に見る。
その目が俺の肩から手元へ下り、もう一度顔へ戻ってきた。
「お二人とも、こちらへ」
「俺たちは怪我してないよ」
「では、その確認をいたします」
夕月が先に座った。
俺も隣へ腰を下ろす。刀を腿から外すと、烈の手が俺の腕へ触れた。川の水より温かい指が手首を取り、袖を少し持ち上げる。
後ろでは佐伯が隊士の名を呼んでいた。
返事が一つずつ、灯りの下へ集まってくる。