東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~   作:幻想入りしたガンサー

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第八話:鉢合わせ

~中央会館 受付~

 

――依頼票の朱の判は、まだ乾ききっていない。

 

 朝の中央会館は、いつもより静かだった。広間の掲示板の前には人がまばらで、受付の机では、小鈴が一枚の依頼票を両手で押さえている。その向かいで、霊夢が欠伸を噛み殺していた。

 

「――で、雌火竜ですって?」

「はい。少なくとも、依頼人さんはそう仰ってます」

 

 小鈴は依頼票を霊夢の方へ向けた。

 

依頼:東の溜池を荒らす大型一頭

目標:討伐

地点:人里の東の外れ 養魚の溜池と周りの畑

被害:池の鯉の食害。番小屋の板壁が焼ける被害。逃げた牛に、子供一人が撥ねられ脚を挫く

備考:明け方と夕暮れに、雌火竜に似た鳴き声あり

 

 霊夢は依頼票の下の欄を指で叩いた。朱の判の横に、慧音の字で『人に害あり。討伐とする』と書き添えてある。

 

「慧音はどこに?」

「東の尾根です。昨日から、火竜の巣の卵のことで、理香子さんと里香さんと一緒に。……ですから、この判は昨日の夕方に押していかれたものなんです」

「ふぅん」

 

 霊夢は依頼票を取り上げ、もう一度、備考の欄を読んだ。

――雌火竜に似た鳴き声。

 東の境の外で巣を探していた、あの雌火竜の姿が頭に浮かぶ。草の上を低く滑っていった、緑の翼。

 

「似た、ってのが引っかかるのよねぇ」

「……霊夢さんも、そう思います?」

 

 小鈴が身を乗り出した。

 

「依頼人さん、溜池の番をしているお爺さんなんですけど。声は確かに雌火竜だった、でも姿は見ていない、と。それに、番小屋の焼け方が、火の玉が当たったようには見えなかったそうなんです。……あちこちに、小さく焦げているだけで」

「火竜が火を吐いて、小さく焦げるだけ、ってことはないわね」

「ですよね」

 

 霊夢は依頼票を畳み、懐に入れた。

 

「いいわ。その依頼、私が請ける。東は神社の庭みたいなもんだし」

「承ります」

 

 小鈴が受注の帳面に霊夢の名を書き込む。筆を置いてから、小鈴は少しだけ声を落とした。

 

「……あの。もし本当に雌火竜だったら、お一人じゃ」

「本当に雌火竜だったら、一回戻ってくるわよ。そのくらいは考えてる」

 

 霊夢はひらひらと手を振り、広間を出ていった。

 背中で、太刀の鞘の房飾りが揺れる。

 


~人里の東の外れ 養魚の溜池~

 

――溜池の水面に、鯉の鱗が一枚、白く浮いていた。

 人里の東の外れ、畑の向こうに、細長い溜池がある。山から引いた小川を堰き止めて作った池で、周りを葦が囲んでいる。池の端には板葺きの番小屋が一つ。その先は、博麗原野の草地へなだらかに続いていた。

 溜池の番をする爺さんは、霊夢の姿を見るなり、腰を上げた。

 

「おぉ、巫女さんかい。助かった」

「見せてもらえる?焼けたっていう小屋」

「あぁ、こっちだ。……それより、先客が居るんだがね」

「……先客?」

 

 爺さんが、困ったように番小屋の方を顎で示す。

 番小屋の焦げた板壁の前に、二つの人影がしゃがみ込んでいた。

 一人は、紅魔館のメイド長――咲夜だった。片手に銀のナイフを持ち、板壁の焦げ跡を、刃の先でそっと削っている。

 もう一人は、霊夢にはあまり馴染みがない顔だった。腰まで届く赤い髪の、頭の両脇と背中に、小さな蝙蝠の羽が生えている。白いシャツに黒いベスト、腰には膨らんだ調査鞄と、地図の筒と、標本の瓶を詰めた革帯。背中には、手入れの行き届いたライトボウガンを負っていた。

 紅魔館の研究室の現地担当にして、『パチュリー・ノーレッジ』の助手――『小悪魔』だ。

 小悪魔は焦げ跡に鼻を近付けて、くんくんと匂いを嗅いでいる。

 

「……咲夜?」

「あら、霊夢」

 

 咲夜が立ち上がり、ナイフを袖に戻した。

 

「奇遇ね。あなたも、この声の主を追って?」

「奇遇じゃないでしょ。こっちは依頼よ。会館の判も貰ってる」

 

 霊夢は懐から依頼票を出して、ひらりと見せた。咲夜は目を細め、目標の欄で目を止める。

 

「――討伐、ね」

「そ。そっちは?」

「捕獲よ」

 

 咲夜は、エプロンの内側から、折り畳んだ紙を一枚取り出した。

 

捕獲届:人里東の外れに出る鳴き真似の大型一頭

届け出:特別独立猟団『紅魔館』

目的:魔導生態研究室の研究のため、生け捕りを望む

受付:本日朝、中央会館受付にて受理。ギルドマスターの判断を待つ

 

「……ギルドマスターの判断を待つ、ね」

 

 霊夢が最後の行を読み上げる。

 

「つまり、まだ誰も良いって言ってないってことじゃない」

「あなたの討伐も、昨日の夕方の判でしょう。今朝、私が届けを出したことは、慧音さんはまだご存じないわ」

「先に判を貰った方が先よ」

「先に来た方が先、という考え方もあるわね」

 

 二人の間に、短い沈黙が落ちた。

 その沈黙を、小悪魔の明るい声が破る。

 

「――あ、霊夢さん!少し、お久しぶりですね」

「ん、そうね」

 

 霊夢は焦げた板壁の前にしゃがんだ。

 

「で、あんた達、どこまで分かってるの。……先に言っとくけど、譲る気は無いわよ」

「私達も譲る気は無いわ。でも、獲物が何かも分からないうちに揉めても仕方がないでしょう」

 

 咲夜も、霊夢の隣に膝を付いた。

 

「――お嬢様は、ご自分で来ると仰ったのだけれど」

「来ればいいじゃない」

「この空よ」

 

 咲夜が見上げた空は、雲一つなく晴れていた。

 

「日傘の下で、大変ご不満そうだったわ。それで代わりに私とこの子を遣わした訳」

 

 小悪魔が、えへへ、と頭の羽をぱたつかせた。

 


~溜池の畔 番小屋~

 

――焦げ跡は、一つではなかった。

 番小屋の板壁には、拳ほどの黒い焦げ跡が、点々と散っていた。十、二十。どれも縁がぎざぎざと荒く、真ん中だけが深く炭になっている。焦げ跡の周りには、乾いて艶の出た、黄ばんだ汁の跡がこびりついていた。

 

「火の玉が当たったなら、壁ごと吹き飛んでるわね」

 

 霊夢は焦げ跡の一つを指でなぞった。指先に、炭と一緒に、ねっとりとした何かが付く。鼻に近付けると、油を焦がしたような、甘く饐えた匂いがした。

 

「……油?」

「多分、体の中で作る汁です」

 

 小悪魔が鞄から小瓶を出し、焦げ跡の汁を匙で掻き取った。それから咲夜を見上げる。

 

「咲夜さん、ナイフを一本貸してください。それと、火打石を」

「火打石は持っていないわ」

「じゃあ、ナイフを二本」

 

 咲夜は黙って、袖から銀のナイフを二本抜き、小悪魔に渡した。小悪魔は掻き取った汁を板の切れ端に塗り、その上でナイフの峰と峰を、カチン、と打ち合わせる。

 小さな火花が一つ、汁の上に落ちると――ボッ、と火が立った。

 掌ほどの炎が、一瞬で板の切れ端を舐める。小悪魔は慌てて切れ端を地面に落とし、靴で踏み消した。

 

「……ほら。よく燃えます」

「燃えますじゃないわよ。危ないでしょ」

「パチュリー様にも、毎回言われます」

 

 小悪魔はけろりと笑い、ナイフを咲夜に返した。

 

「火の玉じゃなくて、燃える汁を撒いて、火花で火を付けた。……そういう竜です、きっと。焦げ跡が小さいのは、一つ一つの火花が小さいからです」

 

 霊夢は立ち上がり、番小屋の裏手へ回った。

 池の縁の泥に、足跡が残っていた。

 三本の指。爪の先だけが深く刺さり、踵の跡は浅い。歩幅は霊夢の一歩半ほどで、左右の足跡が、妙に跳ねるように並んでいる。右へ跳ね、左へ跳ね、また右へ。

 

「……雌火竜の足じゃないわね」

 

 霊夢は呟いた。

 雌火竜の足跡なら、一つで霊夢が寝転べるほど大きい。それに、跳ねて歩いたりはしない。

 

「鳥竜の足ね。二本足で、跳ねるように歩く」

 

 咲夜が、足跡の列を目で追う。

 

「大きさは……そうね。この前、湖で狩ったゲリョスと同じくらいかしら」

「でも声は雌火竜。小屋の焼け方は火竜じゃない。足跡は鳥竜。……痕跡がバラバラじゃない」

「バラバラじゃないですよ」

 

 小悪魔が、池の縁の葦の根元から、何かを摘み上げた。

――一枚の羽根だった。

 手のひらほどの長さで、根元は鮮やかな黄緑、先の方へいくほど青みがかっている。陽に透かすと、羽根の縁が、虹のように赤く光った。

 

「……綺麗な羽ね」

「はい。こんなに派手な羽の竜は、この辺りには一種しか居ません」

 

 小悪魔は羽根を標本の瓶に入れ、蓋を閉めてから、霊夢に向き直った。

 

「霊夢さん。その竜、雌火竜の声で鳴いたんですよね」

「依頼人はそう言ってるわね」

「鳴いたのは、雌火竜じゃないんです。――雌火竜の声を、真似したんです」

「……真似?」

「はい。他の竜の声を真似して、仲間を呼んだり、追い払ったりする竜が居るんです。パチュリー様は、ずっとその喉を調べたがってて」

 

 小悪魔の目が、キラキラと光る。

 

「三日前、霧の湖の西岸で、明け方に一度だけ雌火竜の声がしたんです。前哨所の見張りが真っ青になって、妖精メイドが十二人もお休みして。でも、雌火竜はどこにも居なかった。……それで私が足跡を探したら、この羽が一枚だけ落ちてて」

「それを追ってきたら、ここに居たってわけね」

「はい。人里の東の外れで雌火竜の声がするって、会館の掲示板に噂が貼ってあったので」

 

 霊夢は腕を組んだ。

 池の向こうの葦が、風もないのに、さわさわと揺れている。

 

「――で、何でそいつを生かして捕まえたいのよ」

「喉です」

 

 小悪魔は、自分の喉を指で押さえた。

 

「その竜は、聞いた声を覚えて、真似するんです。だから、その竜が何の声を真似できるかを調べれば、その竜がどこで何を聞いてきたか分かるんです。……あの子の喉は、あの子が聞いた声の帳面なんです。死んだら、帳面は開けなくなってしまう」

「帳面、ねぇ」

「パチュリー様が仰るには、『喉の袋と嘴の仕組みは、死んだ体からでも分かる。でも、何の声を覚えているかは、生きて鳴いてくれないと分からない』、と」

 

 咲夜が静かに言葉を継いだ。

 

「雌火竜の声を覚えている、ということは、どこかで雌火竜の声を聞いた、ということよ。……貴女も、東の境で雌火竜を見たのでしょう」

 

 霊夢は答えなかった。

 代わりに、池の水面へ目をやる。鯉の鱗がまた一枚、白く浮いて、ゆっくりと岸へ寄ってきた。

 

「……依頼人の小屋が焼けて、子供が一人、怪我してるのよ」

「知っているわ」

「次は、本物の雌火竜を呼ぶかもしれない」

「ええ。だから、捕まえて遠くへ連れていくの。ここからも、湖からも」

「討伐の判は討伐の判よ。勝手に捕獲に変えたら、それこそ会館の規則違反じゃない。……前にも、それで揉めてたでしょ。逆さまの依頼票」

「ええ。だから、勝手には変えないわ」

 

 咲夜は霊夢を真っ直ぐに見た。

 

「慧音(ギルドマスター)が判を押し直すまで、どちらも勝手はしない。その代わり、獲物を見つけるまでは一緒に追う。見つけて、どういう竜か見てから、もう一度話しましょう。……それなら、どう?」

 

 霊夢は少しの間、咲夜の顔を見ていた。

 それから、面倒臭そうに頭を掻いた。

 

「……いいわ。共同戦線は見つけるまでよ」

「えぇ、見つけるまで」

「やったぁ」

 

 小悪魔が小さく手を叩き、咲夜に睨まれて首を竦めた。

 


~博麗原野の西の縁 小川の葦原~

 

――足跡は、小川に沿って上っていた。

 溜池に水を引いている小川は、博麗原野の西の縁を、葦に隠れるように流れている。幅は大股で跨げるほどで、底の砂利が透けて見えた。足跡はその岸辺を、右へ跳ね、左へ跳ね、時々水の中へ入っては、また岸へ上がっている。

 

「魚を探しながら歩いてるのね」

 

 咲夜が、水の中の足跡を覗き込んだ。

 

「池の鯉の味を覚えるまでは、こうやって川の魚を獲っていたのでしょう」

 

 半町ほど上ったところで、霊夢が足を止めた。

 岸の平たい岩の上に、魚の骨が山になっていた。頭だけを噛み切られた小魚が、十、二十。身はきれいに食べられて、背骨と尾鰭だけが、日に干されて白くなっている。

 小悪魔が岩の傍にしゃがみ、骨を一本摘み上げた。

 

「頭を噛み切って、身だけ食べてます。……骨はまだ乾ききってません。今朝のです」

「頭は嫌いなのかしら」

「好き嫌いがあるんですよ、きっと。パチュリー様もああ見えてニンジンがお嫌いで――」

「それは関係ないでしょう」

 

 咲夜がぴしゃりと言い、小悪魔は口を噤んだ。

 霊夢は二人のやり取りを聞き流し、葦原の奥を見ていた。

 

――静かすぎる。

 

 この辺りは、いつもなら葦の中でガーグァが鳴き、水辺に小鳥が群れている。それが、今日は一羽も居ない。風が葦を撫でる音と、小川の水音だけが聞こえる。

 

「――近いわね」

「勘?」

「そう、勘」

 

 咲夜は何も言わず、腰の後ろの双剣の柄に手を添えた。

 さらに少し上ると、葦が丸く踏み倒された場所に出た。

 小さな広場ほどの円だった。真ん中の草は根元から寝かされ、その周りを囲むように、三本指の足跡がぐるぐると幾重にも重なっている。右へ回り、左へ回り、時々大きく跳ねて、また回る。

 

「……何よ、これ」

「踊った跡です」

 

 小悪魔が、円の縁に巻尺を当てながら、嬉しそうに言った。

 

「その竜は、踊るのが好きなんです。仲間を呼んだ後とか、機嫌がいいときとか。……ほら、ここ。踵の跡が深くなってます。クルッと回って、大きく跳んで、ここで着地」

「機嫌のいい竜に、人の子供が撥ねられたって訳か」

 

 霊夢の声が、少しだけ低くなった。

 円の縁を一周したところで、咲夜が足を止めた。

 

「――霊夢。これを」

 

 咲夜がナイフの先で示した泥に、別の足跡があった。

 鳥竜の足跡より一回り小さく、指の先に鋭い爪の跡がある。それが三つ、四つ、五つ。円の外から慌てたように散って、原野の東の方へ逃げていた。

 

「ランポスね」

 

 霊夢は眉を寄せた。

 東の尾根の巣の辺りで、慧音と理香子がランポスの群れを見たという話を、霊夢は小鈴から聞いていた。

 

「群れが、ここまで下りてきてるのね」

「足跡の向きは、逃げているわ」

 

 咲夜が言う。

 

「何かに追い払われたように。……踊りの円から、離れるように」

「追い払ったんですよ、きっと」

 

 小悪魔が、ランポスの足跡と鳥竜の足跡を見比べた。

 

「あの子は、強い竜の声を真似して、他の竜を追い払うこともあるんです。雌火竜の声を聞いたら、ランポスは逃げますよね」

「……逆も出来るんでしょ。呼ぶ方も」

「はい。ランポスの長の声を真似したら、群れは寄ってきます」

 

 霊夢は、背の太刀の柄を一度だけ握り直した。

 

「巧みな声真似で状況を動かす――厄介な鳥ね」

 


~小川の中洲~

 

――葦の向こうで、水が跳ねた。

 三人は葦の根元に身を伏せ、土手の陰から、そっと頭を出した。

 小川が二股に分かれる所に、砂利の中洲があった。その真ん中に、一頭の竜が立っていた。

 

――鳥竜にしては珍しく、背を立てて、すっくと二本の脚で立っている。体は人の背丈を軽く越え、霊夢の倍ほどもあった。全身を覆う羽毛は、目が痛くなるような黄緑色。翼の縁と尾の先だけが青く、尾は扇のように大きく広がっている。

 胸元には、熟れた果実のような、真っ赤な袋が垂れていた。

 竜は首を捻り、嘴の先で、その赤い袋の周りの羽毛を丁寧に梳いていた。片方の翼を持ち上げ、脇の下を梳き、また袋の周りを梳く。翼の先には、黒く硬そうな爪が一対、石のように光っていた。

 

「……毛繕いしてるわね」

「喉を大事にしてるんです。それこそがあの子の武器ですから」

 

 小悪魔が声を潜めて説明する。目は竜から離さないまま、膝の上の帳面に何かを書き付けている。

 竜は毛繕いを終えると、ゆっくりと胸を反らし――赤い袋が、膨らむ。

 鞠ほどの大きさだった袋が、見る間に人の頭ほどに膨らんでいく。同時に、嘴の先が、朝顔の花が開くように、ぱかりとラッパの形に広がった。

 

〈クルルル……クルッ、クルル……〉

 

 竜は小さく、喉を鳴らした。

 それから、少しだけ首を傾げ――もう一度、袋を膨らませた。

 

〈グォ……グォォ……〉

 

――雌火竜の声だ。

 霊夢は思わず息を止めた。

 まだ小さく、途中で掠れている。それでも、東の境で聞いたあの声と、喉の奥の唸り方がそっくり同じだった。

 竜は首を傾げ、掠れた所が気に入らなかったように、もう一度、小さく鳴き直した。

 

「……練習してる」

 

 小悪魔が、ほとんど泣き出しそうな声で呟いた。

 

「練習してますよ、咲夜さん……!初めて見た!パチュリー様に見せたい……!」

「静かになさい」

 

 咲夜の声は小さく、鋭かった。

 竜は鳴き真似に満足したのか、袋を萎ませ、中洲の縁から首を伸ばした。嘴が水に突っ込まれ、次の瞬間には、銀色の小魚を一匹咥えて上がってくる。竜は小魚の頭を嘴で器用に噛み切り、ぺっと吐き捨ててから、身だけを呑み込んだ。

 

――『彩鳥:クルペッコ*1』

 

 彩鳥は、温かい水辺に棲む鳥竜である。胸の鳴き袋とラッパのような嘴で、聞き覚えた他の竜の声を真似る。翼の先の硬い爪は火打石と呼ばれ、打ち合わせれば火花が散る。

 

「……で、どうするの」

 

 霊夢は、クルペッコから目を離さずに言った。

 

「狩るにしても、捕まえるにしても、まずは弱らせないと話にならないでしょ」

「そうね。弱らせるまでは、どちらも同じよ」

 

 咲夜が頷いた。

 

「気を付けるべきは、あの鳴き真似ね。ドスランポスの声で呼ばれたら、群れが来るわ」

「鳴く前に、止めます」

 

 小悪魔が、鞄から丸い玉を二つ取り出した。粘土を固めたような、灰色の玉だった。

 

「クルペッコを相手するなら、[音爆弾*2]です。袋を膨らませたら、すぐ投げます。大きな音で、鳴き真似が途切れるんです」

「嘴も狙うわ」

 

 霊夢が言った。

 

「ラッパの形が崩れたら、鳴くのも遅くなるでしょ」

「詳しいのね」

「今見て思っただけよ」

 

 霊夢は膝を立てた。

 

「私が前。咲夜は脚。あんたは後ろで、鳴きそうになったら[音爆弾]。いい?」

「いいわ」

「はいっ」

 

 小悪魔が背のライトボウガンを下ろし、腰の高さに抱えて構えた。黒い銃身に、赤い蝙蝠の羽を模した飾り。銃床には、パチュリーの研究室の紋が刻まれている。

――小悪魔軽弩『インプズ・アーカイブ』。狩るためではなく、調べて、守って、生かして持ち帰るための弩だ。

 霊夢は、背の太刀の柄を肩越しに掴んだ。

 


~小川の中洲~

 

――霊夢が、土手を蹴った。

 葦が割れる音に、クルペッコが顔を上げる。

 鳴き袋が、一瞬で膨らんだ。

 

〈クワァアアアッ!!〉

 

 クルペッコ自身の声だった。ラッパの嘴から放たれた甲高い声が、小川の水面を震わせる。霊夢は耳の奥が痺れるのを堪え、中洲の砂利へ飛び込んだ。

 背から抜き放った太刀が、陽を受けて薄紅に光る。

 クルペッコは跳ねた。

 右へ、左へ。踊るような足取りで霊夢の刃を外し、外した勢いのまま、嘴を突き出してくる。霊夢は身を捻り、嘴を肩の外へ流した。

 

――速い。

 

 予備の動きが、ほとんど無い。跳ねたと思ったら、もう嘴が来ている。

 霊夢は浅く斬りつけ、すぐに跳び退いた。黄緑の羽毛が数枚、宙に舞う。

 その脇を、銀の影が駆け抜けた。

 咲夜だった。腰の後ろから抜いた二振りの双剣が、クルペッコの脚の付け根を、続けざまに斬りつける。瑠璃色の刃が走った後に、うっすらと霜が光った。クルペッコが煩わしそうに脚を蹴り上げ、咲夜はその爪先を、身を沈めて躱す。

 

「――翼!」

 

 小悪魔の声が飛んだ。

 クルペッコが、両の翼を大きく広げていた。翼の先の黒い爪――火打石が、左右から振り上げられる。

 霊夢は横へ転がった。

 カチィン、と石を打つ音がした。

 火花が散る。火花は砂利の上に落ちて、小さく弾けた。一つ一つは豆粒ほどの火花なのに、弾けるたびに、ボン、ボン、と拳ほどの火が立つ。

 

「……あれが小屋の焦げ跡の原因ね」

 

 霊夢は転がった勢いで立ち上がり、袖に飛んだ火の粉を払った。

 クルペッコは、跳ねながら火打石を打ち合わせ、中洲の上を回る。カチン、ボン。カチン、ボン。踊っているような、祭りの太鼓のような拍子だった。

 霊夢は拍子の切れ目を待った。

 カチン、ボン――跳ねる。カチン、ボン――跳ねる。三拍目で、クルペッコの体が着地する。その一瞬だけ、脚が止まる。

 

――今。

 

 霊夢は踏み込み、着地したばかりの脚を斬り払った。刃が羽毛を裂き、その下の皮に食い込む。クルペッコが甲高く鳴いてよろめき、咲夜の双剣が、反対の脚へ続けて入った。

 クルペッコは、大きく後ろへ跳んだ。

 中洲の端で、首を反らす。

 鳴き袋が、膨らんでいく。

 

「――鳴きます!」

 

 小悪魔が音爆弾を振りかぶった。

 けれど、それより早く、ラッパの嘴が開いた。

 

〈グォオオォォォッ!!〉

 

――雌火竜の声だった。

 さっきの練習とは違う。掠れもせず、喉の奥から腹の底まで響く、本物と寸分違わぬ咆哮。小川の水面が震え、葦原の奥で、何かが慌てて逃げ出す音がした。

 霊夢は思わず空を見上げていた。

 雲一つない青い空。東の尾根の方角。

 

――何も、来ない。

 

 雌火竜の声に、応える声は無かった。空を滑ってくる緑の翼も無い。風が葦を撫でる音だけが、元のように戻ってくる。

――東の尾根の巣は、今、空っぽだ。卵だけを残して、番は戌亥の方へ飛んでいったと、小鈴は言っていた。

 

「……応えないわね」

 

 霊夢は小さく呟いた。

 クルペッコは、応える声が無いのを不思議がるように、首を傾げた。そして――もう一度、鳴き袋を膨らませた。

 今度は、短く、刻むような声だった。

 

〈クァッ、クァッ、クァーッ!〉

〈ギャッ、ギャウッ!〉>

 

 原野の東の方から、甲高い声が応えた。一つ、二つ、三つ。葦を掻き分ける足音が、こちらへ近付いてくる。

 

「ドスランポスの声です!」

 

 小悪魔の音爆弾が宙を飛んでクルペッコの頭の傍で弾ける。

――キィィンッ、と耳を劈く音が響き渡る。

 クルペッコの鳴き袋がしぼみ、体がびくりと竦んだ。けれど、もう遅い。土手の上の葦が割れ、青と黒の縞の小さな竜が三頭、中洲へ跳び込んできた。

 

「霊夢はあの鳥を。――ランポスは私が」

 

 咲夜が、霊夢とランポスの間へ滑り込んだ。

 一頭目のランポスが、咲夜に跳びかかる。咲夜の姿が、一瞬だけ、ふっと掻き消えた。

 次の瞬間、咲夜はランポスの背後に立っていた。双剣の一振りが首の後ろを打ち、ランポスは砂利の上を転がっていく。

 

「……っ」

 

 咲夜が、小さく息を吐いた。額にうっすらと汗が滲んでいる。

 

――止めたのね、時間を。ほんの一瞬だけ。

 

 霊夢は咲夜から目を離し、クルペッコへ向き直った。

 音爆弾に竦んでいたクルペッコが、中洲の真ん中で、くるりと回った。

 踊っている。

 翼を広げ、扇の尾を振り、跳ねながら、喉を鳴らす。さっきまでの鳴き真似とは違う、節のある、歌のような声だった。

 

「――歌は駄目です!」

 

 小悪魔の声が、悲鳴に近かった。

 

「歌うと、呼んだ竜達が元気になるんです!袋を撃ちます!」

 

 小悪魔は土手の上に膝を付き、ライトボウガンを腰だめに構えた。乾いた音が三つ続き、通常弾が、膨らんだ鳴き袋に立て続けに当たる。

 クルペッコの歌が、裏返った。

 袋が萎み、竜はよろけて、嘴から何かをぽとりと落とした。砂利の上で跳ねたのは、半分齧られた鯉だった。

 

「……依頼人の鯉じゃない」

 

 霊夢は、その鯉を跨いで踏み込んだ。

 歌を潰されたクルペッコが、霊夢を睨む。ラッパの嘴が、霊夢の顔の高さまで下りてくる。

 霊夢は太刀を引き絞り、嘴の付け根を、下から斬り上げた。

 

――バキン、と乾いた音がした。

 

 ラッパの縁が欠け、黄色い破片が宙に散る。クルペッコが首を振り、甲高く鳴いた。鳴き声は、どこか調子が外れている。

 尾が、ぱっと開いた。

 扇の尾の羽が一枚残らず逆立ち、黄緑の羽毛の縁が、燃えるように赤く色付いていく。鳴き袋が、さっきより一回り大きく、真っ赤に膨らんだ。――怒り状態だ。

 クルペッコは、その場で独楽のように回った。

 尾が鞭のように撓り、霊夢の脇腹を打つ。霊夢の体が浮き、砂利の上を二度、三度と転がった。

 

「……ったく」

 

 霊夢は膝を付いたまま、腰の袋から[回復薬]を出して呷った。苦い液が喉を通り、脇腹の痛みが少しずつ引いていく。

 その間にも、クルペッコは止まらなかった。

 嘴を地面すれすれまで下げ、黄ばんだ汁を、霊夢の周りの砂利へ撒き散らす。油の焦げたような、甘く饐えた匂い。

 

――燃える汁だ。

 

 霊夢は顔を上げた。

 クルペッコが、両の火打石を高々と振りかぶっている。

 霊夢の足元は、一面、汁で濡れていた。

 

――届かない。

 

 立ち上がって跳ぶには、半拍、足りない。

 カチィンッ、と石が鳴った。

 その音と同時に、霊夢の体は、後ろへ引かれていた。

 襟首を掴まれた感触があった。気が付くと、霊夢は中洲の端の、汁の届いていない砂利の上に座り込んでいた。

 

――ドォン!

 

 さっきまで霊夢の居た場所が、炎に包まれた。

 熱い風が頬を叩く。中洲の砂利が焦げ、小川の水が湯気を上げた。

 

「……咲夜」

 

 霊夢の襟首から、咲夜の手が離れた。

 咲夜は霊夢の後ろに立ち、肩で息をしていた。額の汗が、こめかみを伝って落ちる。

 

「――手が掛かるわね、あなたは」

「頼んでないわよ」

「えぇ。頼まれてないわ。――でも、ここで更に被害が広がる方がもっと手がかかるわ」

 

 咲夜は息を整え、もう一度双剣を構えた。

 炎の向こうで、ランポス達が悲鳴を上げて散っていく。仲間を呼んだはずの声の主が、自分達まで焼こうとしたのだ。三頭は振り返りもせず、原野の東へ逃げていった。

 


~小川の中洲~

 

――火打石が鳴らなくなった。

 炎が収まった頃には、クルペッコの動きが、目に見えて鈍っていた。

 霊夢の太刀と咲夜の双剣が、何度も脚を捉えた。小悪魔の弾が、鳴き袋を撃ち続けた。クルペッコはそのたびに跳ねて逃げ、翼を広げ、火打石を振り上げる。

 カチッ。

 カチッ、カチッ。

 石は鳴る。けれど、火花が出ない。

 

「……疲れてます」

 

 小悪魔が、土手の上から言った。

 

「尾を見てください。色が」

 

 扇の尾は、もう逆立っていなかった。燃えるような赤も、鮮やかな黄緑も、どこかくすんで、苔のような鈍い緑になっている。嘴の端から、涎が一筋、垂れていた。

 クルペッコは、ふらりと首を巡らせた。

 中洲の向こう、小川の下流の方を見る。

 そして、低く翼を広げ、地面すれすれを滑るように飛んだ。

 

「――逃げる!」

「違います、魚です!」

 

 小悪魔が土手を駆け下りる。

 

「疲れたら、水辺へ魚を食べに行くんです!この下流は――」

「――溜池ね」

 

 霊夢は太刀を背に納め、走り出した。

 


~人里の東の外れ 養魚の溜池~

 

――溜池の真ん中で、黄緑の首が水に突っ込まれていた。

 クルペッコは、池の浅瀬に脚を浸し、夢中で鯉を漁っていた。嘴の欠けたラッパで、器用に鯉を咥えては、頭を噛み切って吐き捨てる。番小屋の陰で、爺さんが鍬を握り締めて震えていた。

 霊夢は池の縁で足を止めた。

 

――ここからなら、一息で届く。

 

 疲れ切って、腹を満たすことしか頭にない竜の首は、無防備に水面へ垂れている。太刀を抜いて、踏み込んで、首の付け根へ一太刀。それで終わる。依頼票の通りに。

 後ろで、咲夜と小悪魔の足音が止まった。

 咲夜は、何も言わなかった。

 小悪魔が何か言いかけて、咲夜に袖を引かれ、口を噤んだのが、気配で分かった。

 

「……止めないの?」

 

 霊夢は振り向かずに訊いた。

 

「ここは、あなたの依頼の場所よ」

 

 咲夜の声は、静かだった。

 

「決めるのは、あなた。……私は、あなたが決めた後で、慧音に頭を下げに行くだけ」

 

 霊夢は、池の中のクルペッコを見ていた。

 鳴き袋が、鯉を呑み込むたびに、小さく上下する。

 

――あの子の喉は、あの子が聞いた声の帳面なんです。

 

 あの竜は、雌火竜の声を知っていた。掠れた所を、何度も練習し直すほどに、よく知っていた。どこかで、何度も、その声を聞いていたのだ。

 東の尾根の、空っぽの巣。卵を温め続けている妹紅と理香子。番の行き先を、まだ誰も知らない。

 そして、さっき程の声真似で――本物は、応えなかった。

 霊夢は、長く息を吐いた。

 

「……捕まえるわよ」

 

 背中で、小悪魔が息を呑む音がした。

 

「ただし。書類は、あんた達が全部書きなさい。慧音への言い訳も。それから、小屋の板代と、鯉の代金」

「えぇ、全部」

 

 咲夜が、迷いなく答えた。

 

「それと、捕まえたら、ここからも湖からも、ずっと遠くへ連れていくこと。人里の東には、二度と戻さないこと」

「約束するわ。……紅魔館の名に懸けて」

「名前に懸けなくていいから、ちゃんと連れてって」

 

 霊夢は振り返り、小悪魔を見た。

 

「罠、ある?」

「――はい!」

 

 小悪魔が、鞄の底から平たい金具の包みを引っ張り出した。[シビレ罠]だった。咲夜が腰の袋から、丸い玉を二つ取り出す。[捕獲用麻酔玉]だ。

 

「罠は、池の縁に。あの子が上がってくる所に」

 

 小悪魔は浅瀬の泥を見回し、クルペッコの足跡が一番多く残っている岸辺を選んだ。泥を手で均し、罠を埋めるように据える。それから、砂利の上で拾ってきた、さっきの齧りかけの鯉を、罠の真ん中に置いた。

 

「……餌まで置くの」

「お腹が空いてるときは、罠より餌の方が効果的です」

 

 三人は、葦の陰に下がった。

 池の中のクルペッコが、首を上げた。

 浅瀬の鯉を、あらかた食べ尽くしたらしい。ゆっくりと首を巡らせ、岸辺に置かれた鯉に気付く。

 一歩。二歩。

 跳ねる元気もなく、ぺたぺたと水を掻いて、岸へ上がってくる。嘴が、鯉へ伸びる。脚が、泥の上の罠を踏んだ。

 

――バチィッ。

 

 青白い火花が、罠から弾けた。

 クルペッコの体が硬直する。翼が中途半端に開いたまま固まり、鳴き袋が小刻みに震えた。

 

「霊夢!」

 

 咲夜の声と同時に、霊夢は麻酔玉を一つ受け取り、投げていた。

 玉はクルペッコの顔の前で割れ、白い煙がふわりと広がる。続けて咲夜の投げた二つ目が、首の付け根で割れた。

 煙が、黄緑の羽毛を包み込む。

 クルペッコは、二度、三度と瞬きをした。嘴がゆっくりと下がり、膝が折れる。罠の痺れが解ける頃には、竜はもう、泥の上に横倒しになっていた。

 小悪魔が、そっと近付いた。

 鳴き袋に耳を当て、それから瞼を指で持ち上げ、もう一度、袋に耳を当てる。

 

「……寝てます」

 

 小悪魔は顔を上げ、泣きそうな顔で笑った。

 

「ちゃんと、息してます。袋も、ゆっくり動いてます」

「そ。よかったわね」

 

 霊夢は葦の陰から出て、太刀の鞘に付いた泥を払った。

 番小屋の陰から、爺さんが恐る恐る顔を出す。

 

「……死んだのかい」

「寝てるだけよ。この人達が、遠くへ連れてってくれるって」

 

 爺さんは、横倒しの竜を見て、それから霊夢を見た。

 

「狩らなかったのかい」

「……狩るより面倒なことになったのよ」

 

 霊夢は肩を竦めた。

 

「小屋の板代と、鯉の代金は、そこのメイドが払うから。遠慮なく吹っかけなさい」

「霊夢」

「何よ。全部って言ったでしょ」

 

 咲夜は小さく溜息を吐いたが、否定はしなかった。

 


~溜池の畔 夕暮れ~

 

――日が、原野の向こうへ沈みかけていた。

 紅魔館の搬送班が着いたのは、夕暮れの少し前だった。

 妖精メイドが八人がかりで、太い丸太を組んだ荷車を牽いてくる。荷台には藁が厚く敷かれ、上から幌が掛けられるようになっていた。妖精メイド達は、眠ったクルペッコを見るなり、きゃあきゃあと騒ぎ出す。

 

「派手だ!すっごい綺麗!」

「羽、一本もらっていい?」

「駄目よ。数を数えてあるわ」

 

 咲夜の一言で、妖精メイド達はぴたりと静かになった。

 小悪魔は荷車の周りを駆け回り、竜の体を藁の上に寝かせる段取りを指図している。鳴き袋の下には、柔らかい布を何重にも重ねた。

 

「袋は潰さないでくださいね。翼は畳んで、火打石同士がぶつからないように、布で巻いて。……そう、そっと」

「研究室の現地担当って、ああいうことなのね」

 

 霊夢は番小屋の縁に腰掛け、小悪魔の背中を眺めていた。

 

「パチュリー様の目と足、だそうよ」

 

 咲夜が、霊夢の隣に立った。手には、老爺から受け取った鯉の勘定書きがある。咲夜は書きつけの数字を一度だけ眺め、黙って懐に仕舞った。

 

「……高かった?」

「霊夢が吹っかけろと言ったからでしょう」

「言ったわね」

 

 霊夢は、悪びれずに笑った。

 荷車に竜が積み終わる頃、日が沈んだ。

 空の色が、橙から紫へ移っていく。最後の光が原野の端から消えた、その時だった。

――溜池の上を、小さな影が一つ、横切った。

 蝙蝠だった。一匹の蝙蝠が、ひらひらと荷車の上を回り、幌の上に止まる。その後ろから、日傘を畳みながら、小さな人影が歩いてきた。

 

「――あら。もう終わったの?」

 

 紅魔館の主、レミリアだった。

 レミリアは荷車の上の竜を覗き込み、少しだけ唇を尖らせた。

 

「つまらないわね。鳴いているところを見たかったのに」

「お嬢様。日が沈みきるまで、お待ちくださいと」

「沈みきったわ。たった今」

 

 咲夜が小さく溜息を吐く。レミリアは構わず、番小屋の縁に座る霊夢に目を向けた。

 

「霊夢、あなたが捕まえたの?珍しいじゃない。いつもなら、面倒だから狩る、って言うでしょう」

「今日も面倒だったわよ。斬るより、ずっとね」

「ふぅん」

 

 レミリアは、霊夢の顔をしげしげと眺めた。

 

「――運命かしら」

「勘よ」

 

 霊夢は立ち上がり、背の太刀の革帯を締め直した。

 

「慧音に報告しに行くわ。あんたのメイド、借りてくわよ。書類を書かせるから」

「あら、それは困るわ。今夜の紅茶は誰が淹れるの」

「妖精メイドにでも淹れてもらいなさい」

 

 レミリアは、くすくすと笑った。

 

「咲夜。行ってらっしゃい。――私の言葉は、格好良く書いておくのよ」

「事実とお嬢様のご意見は、分けて書いておきます」

 


~中央会館 ギルドマスターの部屋~

 

――机の上に、二枚の紙が並んでいた。

 夜も更けた頃、慧音は東の尾根から戻ってきた。上着の裾には草の種が付き、指先は藁の屑で汚れている。慧音は椅子に腰を下ろすと、霊夢の依頼票と、咲夜の捕獲届を、並べて机に置いた。

 その前に、霊夢と咲夜が並んで立っている。小鈴は戸口の脇で、帳面を胸に抱えていた。

 

「……成程な」

 

 慧音は二枚の紙を交互に見て、それから、咲夜が書いた報告書に目を落とした。報告書は三枚。字は細かく、行は真っ直ぐで、見出しの横に『お嬢様のご意見は別紙』と小さく書き添えてある。

 

「討伐の依頼を、受けた者が現地の判断で捕獲に変えた。そういうことだな」

「捕獲に変えたんじゃないわよ。捕獲で終わったの」

「同じことだ」

 

 慧音の声は平らだった。

 

「霊夢。依頼の区分は、依頼人と会館が決める。受けた者が現地で勝手に変えれば、規則としては、討伐は果たされていない。――分かっているな」

「分かってるわよ。だから、勝手には変えてない。ここで変えてもらいに来たの」

 

 慧音は、霊夢をじっと見た。

 霊夢は目を逸らさなかった。

 

「……咲夜。報告書の最後に、差額を紅魔館が持つ、とあるな」

「はい。討伐の報酬と捕獲の報酬の差額、それから、番小屋の修繕と鯉の代金を」

「差額の方は認めん」

 

 慧音は、報告書の最後の一行に、筆で線を引いた。

 

「金で依頼を買い取る形は、ギルドでは認めていない。前に、依頼票を逆さに貼った一件があったろう。あれと同じように穴が開く」

「……確かに」

「修繕と鯉の代金は、紅魔館から依頼人へ直接払ってもらう。それは構わん」

 

 慧音は筆を置き、霊夢の依頼票を手に取った。

 

「その上で。――この依頼の区分を、討伐から捕獲に改める」

 

 小鈴が、戸口の脇で小さく息を呑んだ。

 

「依頼人が望んだのは、溜池が荒らされなくなることだ。竜が死ぬことではない。捕獲した竜を遠くへ移すなら、依頼の目的は果たされる。紅魔館の捕獲届は、この依頼と一本にまとめる。報酬は、会館の決まりの捕獲の額だ」

「最初からそう言ってるじゃない」

「言っていない。お前は、討伐の判は討伐の判だ、と言ったと書いてあるぞ」

 

 慧音は、咲夜の報告書を指で叩いた。

 霊夢は咲夜を横目で睨んだ。咲夜は涼しい顔で、窓の外を見ている。

 

「……事実は、事実として書いておきましたので」

「あんたねぇ……」

 

 慧音は、ほんの少しだけ口元を緩めた。それから、依頼票の目標の欄に線を引き、横に『捕獲に改む』と書き入れて、朱の判を押し直した。

 

「小鈴。帳面を直しておいてくれ」

「承ります」

 

 小鈴が、ぱっと顔を明るくして帳面を開いた。

 

「――それから、霊夢」

 

 部屋を出ようとした霊夢の背に、慧音の声が掛かった。

 

「なぜ、捕獲にした」

 

 霊夢は、戸口で足を止めた。

 少しの間、何も言わなかった。

 

「あの鳥、雌火竜の声で鳴いたのよ。練習までして、そっくりに」

「あぁ、報告書で読んだ」

「でも、本物は応えなかった」

 

 霊夢は、振り返らずに言った。

 

「……だから、あの鳥がどこで雌火竜の声を覚えたのか、誰かが調べた方がいいと思っただけ。勘よ」

 

 慧音は答えなかった。

 ただ、机の端に積んだ、東の尾根の観測の帳面に、そっと手を置いた。

 


~中央会館 受付~

 

――掲示板の端に、一枚の依頼票が貼り直されていた。

 夜の広間には、もう誰も居ない。小鈴は灯りを一つだけ残して、受付の机を片付けていた。

 掲示板の『完了』の欄に、霊夢の依頼票が一枚、留めてある。目標の欄には線が引かれ、その横に、慧音の字があった。

 

捕獲に改む

 

 その下に、紅魔館の小悪魔の、丸っこい字で書かれた小さな紙が、もう一枚、留めてあった。

 

捕獲個体 鳴き真似の記録(現地にて確認したもの)

一、自分の声

二、雌火竜の声。練習を重ね、本物とほぼ同じ

三、ランポスの長の声。呼ばれて群れが来るのを確認

四、節のある歌。鳴き袋を撃って中断

続きは、研究室にて聞き取る予定

 

 小鈴は、最後の一行を指でなぞった。

 

――続きは、研究室にて。

 

 あの竜の喉の中には、まだ、誰も聞いたことのない声が眠っているのかもしれない。

 小鈴は灯りを吹き消した。

 窓の外の草むらで、虫が鳴いている。どこか遠くで、それに似た声を、誰かが真似ているような気がした。

 

*1:
別名"彩鳥"。派手な羽を持つ鳥竜種の大型モンスター。ほかのモンスターの鳴き声を真似て、仲間を呼び寄せたり追い払ったりする。

*2:
大きな音を立てて弾ける玉。音に敏感なモンスターを怯ませ、鳴き声を途切れさせる。




『小悪魔』
所属:特別独立猟団『紅魔館』
役職:フィールドワーカー。紅魔館魔導生態研究室の現地担当で、『パチュリー・ノーレッジ』の助手
武器:小悪魔軽弩『インプズ・アーカイブ』(ライトボウガン)
防具:調査装【使い魔】
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