東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~   作:幻想入りしたガンサー

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第十二話:三日の証人

~博麗神社 縁側~

 

――縁側に、見慣れない大剣が立て掛けてあった。

 

 朝の掃除を終えた霊夢は、箒を手にしたまま足を止める。

 厚く幅の広い刀身は、鉈をそのまま大きくしたような形をしていた。刃は赤く、背には青い殻が鎧のように並んでいる。鍔元には注連縄が巻かれ、紙垂が朝の風に揺れていた。

 その隣、縁側の真ん中に、一人の少女が座っている。

 腰まで届く青い長髪。桃の実と葉を載せた黒い丸帽子。白い上衣に青いロングスカートを合わせ、胸と腰には大きなリボンを結んでいる。肩と脛には、大剣の背と同じ青い殻が当ててあった。

 人里ギルド所属のハンターにして、天界に住む天人――『比那名居天子』。

 

 天子はさも当然のように霊(・)夢(・)の(・)湯呑みで、霊(・)夢(・)の(・)茶を飲んでいた。

 

「遅いわよ、霊夢。お茶が冷めちゃったじゃないの」

「それ、私のお茶なんだけど」

「知ってるわ。だから文句を言ってるのよ」

 

 天子の足元には、一頭の大きなガルクが伏せている。黒い毛並みに、青みがかった灰色が混じっていて、首には鋼の牙を連ねた輪を下げている。天子のオトモ『カナメ』だ。カナメは霊夢をチラリと見上げ、それきりまた前を向く。尻尾は一度も振らない。

 

「……で、何しに来たのよ」

 

 霊夢は箒を柱に立て掛け、天子の隣に腰を下ろした。

 

「今日から三日、ここに居るから」

「……は?」

「三日よ。三日。寝床は母屋の奥の部屋でいいわ。ご飯は朝と晩。昼は自分で何とかする」

「何とかしなくていいから、帰りなさい」

「嫌よ」

 

 天子は湯呑みを置き、境内を見渡した。

 

「理由は言わないわ。天人には、地上の者に言えない事情があるの」

 

 霊夢は、天子の横顔をじっと見た。

 天子は何も言わない。言わないまま、もう一度霊夢の湯呑みに茶を注ぎ足した。

 

――面倒なのが来たわね。

 

 霊夢は溜め息を吐いて立ち上がった。

 境内の向こうから、あうんが箒を引きずって駆けてくる。

 

「霊夢さん!あの、天子さんが朝一番に鳥居をくぐって……私、お止めしようとしたんですけど、カナメさんが、その……」

「睨まれた?」

「……はい。すごく、真っ直ぐに」

 

 あうんの視線の先で、カナメは相変わらず前を向いている。睨んでいるつもりはないらしい。ただ、退く気配が欠片もない。

 

「いいわよ、あうん。この天人、どうせ言っても聞かないから」

「失礼ね。聞いてるわよ。聞いた上で、居るの」

 

 霊夢は返事をしなかった。

 軒先を見る。いつもなら、そこには貧乏神の紫苑とオトモのオコゲが丸まって眠っている。だがこの数日、一人と一匹は女苑に引っ張られて、里の反対側の依頼に出ていた。

 

――紫苑が居ないのに、天子が来た。

 

 霊夢は首を傾げた。天子が地上に降りてくるのは、たいてい紫苑と連れ立ってのことだ。

 

「紫苑なら居ないわよ」

「知ってるわ」

 

 天子は、それ以上何も言わなかった。

 


~博麗神社 母屋~

 

――日が暮れても、本当に天子は帰らなかった。

 夕飯の膳には、天子が勝手に持ち込んだ、人里で買ったか貰ったかしたと思しき干物が一枚、多く載っている。霊夢は黙って箸を動かし、天子は黙って三杯目の飯をよそった。

 縁側の方から、カラカラと瓢箪を振る音がする。

 

「いやぁ、珍しい客が居るねぇ」

 

――障子が開き、萃香が顔を出した。頬はもう、いつものように赤い。片手に瓢箪を下げたまま、勝手に膳の前に腰を下ろす。

 

「天人様が神社で夕餉とは。また神社を壊しに来たのかい?」

「壊してないわよ。今回はね」

「今回は、ねぇ」

 

 萃香はケラケラと笑い、天子の湯呑みに勝手に酒を注いだ。天子は眉を寄せたが、黙って受けた。

 

「霊夢、コイツ何しに来たのさ」

「知らないわよ。三日居るって」

「三日?」

 

 萃香は瓢箪を傾けたまま、天子の顔を横目で見た。それから、フッと笑った。

 

「……あぁ、成程ねぇ」

「何が成程よ」

「いや、何も。でも鬼は嘘が嫌いだからねぇ。聞いたら、あんたが嘘を吐くだろう?」

 

 天子は湯呑みを置いた。

 しばらく黙っていたが、やがて、つまらなそうに口を開いた。

 

「……昨日、衣玖が会館に来たのよ」

 

 霊夢の箸が止まる。

 

「空模様の知らせでね。『三日のうちに、博麗神社の辺りで地面が揺れます。地震ではありません』――ですって。それだけ言って、帰ろうとしたの」

「衣玖らしいわね」

「――受付が、シーンとしたわ」

 

 天子は湯呑みの縁を指でなぞった。

 

「それで、慧音がね。――私の顔を見たのよ。何も言わずに、じぃっとね」

 

 霊夢は、ようやく事情を察した。

 

――『博麗神社の辺りで、地面が揺れる』

 それを聞いた中央会館の誰もが、真っ先に思い浮かべたのは、過去に起きたとある異変の犯人であり、暇潰しという動機で、気を惹く為に神社を地震で倒壊させた、史上稀な、境界の賢者をも目に見えて怒らせた天人の顔だった。

 

「だから、ここに居るのよ」

 

 天子は霊夢を真っ直ぐに見た。

 

「三日の間、私はずっと霊夢の目の前に居る。揺れた時に、私がどこで何をしてたか、霊夢が見てる。――それなら、誰も私のせいだって言えないでしょう」

「……私を、証人にするってこと?」

「そうよ。博麗の巫女の証言なら、慧音も文句は言えないでしょう」

 

 萃香が腹を抱えて笑い出した。

 

「あっはっは!天人が、自分の濡れ衣を晴らすために、先回りして神社に居座るとはねぇ!」

「笑い事じゃないわよ!」

「いやぁ、笑い事さ。前の地鳴りの時は、あんたが怒鳴り込んで、慧音が頭を抱えてたじゃないか。今回は怒鳴る前に動いた。あん時と比べりゃ大人になったもんだ」

 

 天子はそっぽを向き、黙って酒を呷った。

 霊夢は、溜め息を一つ吐いた。

 

「三日よ。三日経ったら、帰りなさいよ」

「言われなくても帰るわよ」

「あと、ご飯代は払いなさい」

「……天人から取るつもり?」

「取るわよ。神社の柵の修理代も、まだ全部は貰ってないし」

 

 天子は答えなかった。

 


~博麗神社 母屋の奥の間~

 

――夜半、湯呑みが鳴った。

 カタ、と小さな音。続けて、カタカタと、膳の上の湯呑みが細かく震える。

 霊夢は布団の中で目を開けた。

 揺れは長くない。下から突き上げるのではなく、遠くで誰かが地面を叩いているような、鈍い震え。三つ、四つ。それきり、止まった。

 隣の部屋の襖が、すっと開いた。

 

「――今の、私じゃないわよ」

 

 暗がりの中で、天子が言った。寝間着の上に上衣を引っ掛け、目はしっかりと開いている。

 

「分かってるわよ。あんた、そこで寝てたでしょう」

「寝てないわ。起きてたの。揺れたら、すぐ霊夢に言おうと思って」

「……ずっと起きてたの?」

「天人は三日くらい寝なくても平気なのよ」

 

 霊夢は、黙って天井を見た。

 縁側の方から、カナメが低く唸る声がする。唸り声は、裏山の方角へ向いていた。

 

――地面の下じゃない。

 

 霊夢は、衣玖の言葉を思い出した。

 

――地面の上が、揺れている。

 


~博麗神社 境内~

 

――二日目の朝、鳥居の下に女性が立っていた。

 紫がかった青い髪に、黒い帽子。帽子から垂れた長いリボンが、触角のように揺れている。白いブラウスに黒いロングスカート、肩には縁が緋色に光る長い羽衣。背が高く、霊夢が見上げるほどだった。肩と脛には、青緑の鱗の防具を当てている。

 天子の付き添いとして人里ギルドに登録した竜宮の使い――『永江衣玖』だ。

 

「おはようございます。総領娘様、こちらにおいででしたか」

「おいでだったわよ。何しに来たの」

「会館より、お届け物です」

 

 衣玖は、懐から一枚の紙を取り出し、霊夢に差し出した。中央会館の依頼票だった。

 

依頼:博麗神社裏山 地鳴りの調査

目標:原因の特定。大型の場合は撃退

地点:博麗神社 裏山の斜面

受注:博麗霊夢(神社の主として)

 

「昨夜の揺れは、会館でも茶碗が鳴りました。慧音さんが、霊夢さんに調べてほしいと」

「……私が受けたことになってるじゃない」

「発生源は神社の裏山ですので。霊夢さんに任せるのが妥当かと」

 

 衣玖は、それ以上説明しなかった。

 天子が、縁側から身を乗り出した。

 

「衣玖。慧音は、何か言ってた?」

「何も。ただ――」

 

 衣玖は、天子の方へ顔を向けた。表情は動かない。

 

「『天子は神社に居るのか』と、お聞きになりました。私は『居ります』とだけ、お答えしました」

「……それだけ?」

「それだけです。慧音さんは、少しだけ笑っておいででした」

 

 天子は口を開きかけ、閉じた。それから、縁側に立て掛けた大剣に手を伸ばした。

 

「――霊夢。その依頼、私も行くわ」

「来なくていいわよ」

「行くわ。私の名誉の問題よ」

「前にも聞いたわね、それ」

 

 天子は大剣を背負い、縁側から降りた。カナメが、音もなく立ち上がる。

 それから天子は、霊夢の前で足を止めた。少しだけ顔を背け、帽子の桃の葉を指で弄る。

 

「……それと。神社の近くで狩るなら、霊夢の了解を取る約束なのよ。慧音との」

 

 霊夢は、天子の顔を見た。

 

「だから――いいかしら。裏山に入っても」

 

 天子が、天人が人に許しを乞うている。霊夢は、それを初めて見た。

 

「……好きにしなさい。ただし、参道と社には近付けないこと」

「当然よ」

 

 天子は顔を上げ、いつもの高飛車な笑みを浮かべた。

 衣玖が、霊夢にだけ聞こえる声で言った。

 

「総領娘様が約束を守っておいでなのは、珍しいことです」

「あんたも大変ね」

「いえ。とうに慣れたことですので」

 


~博麗神社 裏山の登り口~

 

――本殿の脇を抜け、祠の前を過ぎると、道は急に細くなる。両側から笹と灌木が迫り、その上を杉の枝が覆っていた。神社の裏手は、境内の明るさが嘘のように薄暗い。

 萃香は登り口の石段に腰を下ろし、瓢箪を傾けていた。

 

「私は留守番だよ。霊夢が居ない間、神社に誰か居ないとねぇ」

「飲んでるだけでしょう」

「飲みながら番をしてるのさ。鬼が居る神社に、小物は寄ってこないよ」

 

 萃香はそう言って、フッと体の輪郭をぼやけさせた。手足の先から、薄い霧がほどけていく。霧は杣道に沿って山の奥へ流れ、すぐに見えなくなった。残った萃香の体は、半分透けたまま石段に座っている。

 しばらくして、霧が戻ってきた。萃香の輪郭が、元の濃さに戻る。

 

「……ざわついてるねぇ。中腹の、杉が途切れる辺り。土の匂いが濃い。何かが、地面をひっくり返してる」

「種類は?」

「分からないよ。私の霧は、そこまで便利じゃない」

 

 萃香は瓢箪の栓を締め、石段の脇に置いてあったハンマーの柄を、ぽんと叩いた。

 

「危なくなったら、霧を一筋飛ばしな。――すぐ行く」

 

 霊夢は頷き、背の太刀の革帯を締め直した。

 天子は、もう杣道を登り始めている。カナメがその少し前を歩き、衣玖は天子の少し後ろを、足音も立てずについていく。

 


~博麗神社 裏山の中腹~

 

――杉林の中に、ポッカリと穴が開いていた。

 斜面の一角が、ごっそりと抉られている。人が三人並んで入れそうなほどの、大きな穴だった。穴の縁には掘り出された土が小山になって盛り上がり、まだ湿って黒い。土の上には、拳ほどの石から、人の頭ほどの岩まで、砕けた欠片が散らばっていた。

 

「……何よ、これ」

 

 天子が穴の縁に立ち、中を覗き込む。

 穴は斜めに地中へ潜り、奥は暗くて見えない。湿った土と、根の千切れた青臭い匂いが、穴の底から立ち上ってくる。

 霊夢は、穴の縁にしゃがんだ。

 土の山に手を差し込む。中は、まだほんのりと温かい。

 

「昨夜ね。掘ってから、まだ半日も経ってない」

「温かいだけで分かるの?」

「掘り返した土は、日が当たると上から乾くものよ。これは中まで湿ってる」

 

 霊夢は、穴の壁に目を移した。

 壁には、上から下へ、二本の深い溝が平行に走っている。溝と溝の間は、霊夢が両腕を広げたほどもある。溝の底は滑らかで、鋭い何かが土を削った跡のようだった。

 

「爪じゃないわね。二本だけで、間が広すぎる」

「角かしら」

「角なら、上から下へは削らないでしょう。――下から、掘り返すみたいに掬い上げてる」

 

 霊夢は溝の一番下に指を当て、上へなぞった。溝は穴の底から始まり、縁へ向かって浅くなっていく。何かを地中に突き立て、そのまま上へ抉り上げた跡だ。

 衣玖が、穴の向こうの斜面を見上げていた。

 

「霊夢さん。あちらにも」

 

 斜面の上に、同じような穴がもう一つ。その上に、もう一つ。三つの穴が、杉林の斜面を段々に上っていく。

 

「三つも……」

 

 天子が呟く。

 カナメが、穴と穴の間の地面に鼻を付けていた。低く唸り、鼻先を左右に振りながら、斜面を少しずつ登っていく。

 霊夢はカナメの後を追った。

 穴と穴の間の柔らかい土に、足跡が残っている。

 大きい。霊夢の両足を並べても、まだ足りない。指は太く短く、先に鋭い爪の跡がある。踵の跡は浅く、指の付け根の方が深く沈んでいた。足跡は四つ一組で、前の足跡と後ろの足跡の間が、異様に広い。

 

「四つ足ね。……でも、歩いてない」

「歩いてない?」

「足跡の間が開きすぎてるのよ。一歩ずつ歩くんじゃなくて――跳ねてる」

 

 霊夢は、足跡の列を目で辿った。

 四つの足跡がひと固まりになり、その先、大人が三人寝転んだほどの間を空けて、また四つの足跡。間の土には何の跡もない。四本の脚で地面を蹴り、ひと跳びで間を越え、また四本の脚で着地している。

 

「跳ねる獣……兎、じゃないわよね」

 

 天子が冗談めかして言うが誰も笑わない。

 カナメがまた唸った。今度は、足跡の脇の大きな岩に鼻先を向けている。

 岩の表面に、緑色の液体らしきものがベットリと付いていた。

 粘り気のある、濁った緑の液。指先ほどの泡が混じり、岩の窪みに溜まって、まだ乾いていない。生臭い、沼の底の泥のような匂いがした。

 

「……触らない方がいいわね」

 

 霊夢が呟く。天子は構わず指を伸ばしかけ、その手首を、衣玖の指がそっと押さえた。

 

「――なりません、総領娘様」

「何よ。ちょっと触るだけじゃないの」

「触れたら、しばらく腕が上がらなくなる類のものかと存じます」

「……分かるの?」

「いいえ。ただ、そういう空気を感じます」

 

 天子は不満げに手を引っ込めた。

 霊夢は岩の周りを一周した。

 岩の反対側の地面に、大きな窪みがある。岩と同じくらいの大きさの、えぐれた跡。その窪みから岩まで、地面を引きずった跡が続いている。

 

「この岩、元はここに埋まってたのよ」

「埋まってた岩を、掘り出したってこと?」

「掘り出して、ここまで運んで、置いた。――あの二本の溝と同じもので、掬い上げて」

 

 天子が、岩を見上げた。

 岩は、天子の背丈ほどもあった。

 

「……これを、運ぶの?」

「そうとしか言えない。そういうモンスターが居るんでしょう」

 

 霊夢は立ち上がり、斜面の上を見た。

――足跡は、上へ続いている。萃香が言った、杉が途切れる辺りだ。

 


~博麗神社 裏山 杉林の切れ目~

 

――杉林を抜けると、地面が割れていた。

 林の切れ目は、斜面が一段平らになった草地だった。その草地の真ん中から、細い地割れが一本、斜面の下の方へ走っている。幅は指が入るほど。長さは十歩ほどで、先へ行くほど細くなり、杉林の手前で消えていた。

 地割れの始まりの所に、足跡が二つ、深々と沈んでいる。

 さっきの足跡と同じ形だった。ただ、深さが違う。周りの土を押し退けるほど深く、足跡の縁から放射状に、細いひびが何本も走っていた。

 天子が、地割れの前で足を止めた。

 その場にしゃがみ込み、掌を地面に当てる。

 しばらく、何も言わない。

 

「……私じゃないわ」

 

 小さな声だった。

 

「分かってるわよ」

「違うの。そういうことじゃなくて」

 

 天子は、地割れを指でなぞった。

 

「地面の下は、何ともないの。揺れた跡がない。地脈も、岩盤も、ちっとも歪んでない。……これは、上から叩いて割ったのよ。足で、思いきり」

 

 天子の声には、いつもの高飛車な響きがなかった。地面に触れたまま、静かに言葉を選んでいる。

 

――大地を操る、天界の天人。

 霊夢は、天子の背中を見た。地面の下のことなら、この天人は、誰よりもよく分かる。

 

「衣玖の言った通りね」

「えぇ。地震ではありません」

 

 衣玖が、天子の後ろに立っていた。

 

「地面の上が、揺れているだけです」

「……衣玖。この先、居る?」

 

 天子が、振り向かずに訊いた。

 衣玖は、草地の向こうの斜面を見た。帽子から垂れたリボンが、風もないのに、ふわりと揺れる。

 

「――居ります。重いものが、この上に。……苛立っていますね。何かを、探している空気です」

 

 カナメが、草地の端で立ち止まった。

 耳を伏せ、尻尾を低く下げる。唸らない。ただ、斜面の上を、じっと見ている。

 霊夢は、背の太刀の柄に手を掛けた。

 その時、足の裏が震えた。

 

――ズン。

 

 低く、腹に響く音。草の葉先が、一斉に震える。

 

――ズン……!

 

 二度目。斜面の上の方で、何か重いものが、地面を踏み鳴らしている。

 三人と一頭は、草地の端の岩陰に身を伏せた。

 


~博麗神社 裏山 崩れた斜面~

 

――岩陰から覗くと、斜面が一面、掘り返されていた。

 

 杉林の切れ目の上、裏山の中腹から頂へ向かう斜面は、かつては低い笹に覆われていたはずだった。それが今は、土と岩が剥き出しになり、あちこちに大きな穴が口を開けている。

 その真ん中に――一頭のモンスターが居た。

 

 大きい。霊夢の背丈の三倍はある。

 体は、ずんぐりと低い。四本の脚は短く太く、指の先には黒い鉤爪が生えている。全身を覆う外殻は、熟れた柿のような朱色。ごつごつとした瘤が背中一面に並び、頭から尻尾の先まで、岩を積み上げたような輪郭をしていた。

 だが何より目を引くのは、その顔だった。

 平たく大きな頭。上顎は短く、下顎が前へ大きく突き出している。そして下顎の両脇から、一対の巨大な牙が、天へ向かって反り返るように生えていた。牙の一本一本が、霊夢の背丈ほどもある。

 短い尻尾の先には、金棒のような小さな棘が並び、黒ずんでいた。

 モンスターは、斜面に頭を突き込んでいた。

 牙を地面に突き立て、首を振る。土が抉れ、根が千切れる。モンスターは顎を大きく開き、そのまま上へ、ぐいと首を跳ね上げた。

 地面から、岩が一つ引き剥がされた。

 天子の背丈ほどの岩が、牙と顎の間に挟まれて、宙に持ち上がる。モンスターは岩を咥えたまま首を傾げ、しばらく眺めてから――興味を失ったように、ポイ、と脇へ放った。

 岩は斜面を転がり、杉の幹にぶつかって止まった。

 モンスターはまた、別の場所に牙を突き立てる。

 

「……探してるわね、何か」

 

 霊夢が、声を潜めて言う。

 

「巣穴を掘る場所かしら。それとも、餌?」

 

 天子が、岩陰から身を乗り出しかける。その帽子の後ろを、衣玖の指が摘まんで引き戻した。

 

――『鬼蛙:テツカブラ』*1

 

 テツカブラは、岩場や洞窟、寒い土地から火山まで、幅広い場所に棲む両生種である。下顎の骨が伸びた一対の巨大な牙で地面を掘り、遠くへ移るときは地中を掘り進む。岩を噛み砕くほど顎の力が強く、動くものには何にでも襲い掛かる。

 テツカブラは顔を上げ、また地面を踏み鳴らした。

 後ろ脚で立ち上がるように上体を起こし、両の前脚を高く掲げ――そのまま、地面へ叩き付ける。

 

――ズン……!

 

 岩陰まで震えが届き、斜面の土がパラパラと崩れ落ちた。テツカブラの前脚の下から、細い地割れが、蜘蛛の巣のように走る。

 

「……四股を踏んでるみたいね」

 

 天子が、低く呟いた。

 

「あれが、昨夜の揺れの正体ね」

 

 霊夢は、テツカブラの動きを目で追い続けた。

 踏み鳴らした後、テツカブラはしばらく首を巡らせ、耳を澄ますように静止する。それから、また別の場所に牙を突き立てる。

 

――掘る。持ち上げる。放る。踏む。

 

 何かを、地面の中から追い出そうとしているようにも見えた。あるいは、ただ苛立って、地面に八つ当たりしているだけなのかもしれない。

 

「どうするの、霊夢」

 

 天子が訊いた。

 

「依頼は撃退よ。このまま神社の方へ下りてきたら困るから、山の上へ追い返す」

「追い返すだけ?」

「追い返すだけ」

 

 天子は不満げに唇を尖らせたが、何も言わなかった。

 

「あの牙が厄介ね。あれで岩を掘り出して、投げてくるんでしょう」

「牙を折ればいいのよ。私の大剣なら、一太刀で――」

 

 天子が、背の大剣の柄を握る。

 

「それと、総領娘様」

 

 衣玖が、静かに口を挟んだ。

 

「あのモンスターからは、火の気配が感じられません。むしろ、湿った空気です。総領娘様の剣の熱は、あまり通らないかと」

「……何ですって?」

「さあ。そういう空気を感じます」

 

 天子は、背の大剣を振り返った。それから、テツカブラの朱色の外殻を睨んだ。

 

「火が効かないなら、叩き割るだけよ」

「では、そうなさるのがよろしいかと」

 

 霊夢は、テツカブラの尻尾を見ていた。

 岩を持ち上げる瞬間、短い尻尾が、プクリと膨らんだ。黒ずんでいた尻尾が、白っぽく色を変え、並んでいた棘が膨らみの中に隠れる。岩を放ると、尻尾はまた萎んで黒く戻った。

 

――あそこなら、刃が通る。

 

 変化は短いが、柔らかそうだ。

 

「岩を持ち上げた時、尻尾が白くなるわ。狙うならそこね」

「尻尾?牙じゃなくて?」

「両方よ。牙は天子。尻尾は私。衣玖は――」

「総領娘様の斜め前に立ちます」

 

 衣玖が、当然のように言った。

 

「いつも通りに」

 

 霊夢は頷き、背の太刀の柄を肩越しに握った。

 


~博麗神社 裏山 崩れた斜面~

 

――天子が、岩陰から飛び出した。

 

 背の大剣を肩越しに抜き放ち、そのまま斜面を駆け上がる。

 

――鋼鎚大剣『気炎万丈』。鋼鎚竜の赤い顎を叩いて伸ばし、研ぎ上げた、天子の大剣だ。

 テツカブラが顔を上げた。

 牙の間から、低い唸りが漏れる。平たい頭がゆっくりと天子の方を向き――次の瞬間、大きく口を開けた。

 

〈グゥオオォォォォッ!!〉

 

 腹の底を揺さぶる咆哮だった。杉の枝から鳥が一斉に飛び立ち、斜面の小石がカラカラと転がり落ちる。

 天子は、咆哮の中を構わず突っ込んだ。

 

「――遅いわ!」

 

 大剣を振りかぶり、テツカブラの牙を目掛けて振り下ろす。

 ガギィン――と硬い音が響いた。

 刃は牙の付け根を打ち、火花を散らして弾かれた。天子の腕が痺れ、大剣の先が地面に食い込む。

 

「……っ、硬いわね」

 

 テツカブラが、首を振った。

 牙が横薙ぎに振るわれ、天子の脇腹を狙う。天子は大剣を盾のように立てて受けたが、受け止めきれずに体ごと斜面を滑った。

 

「総領娘様!」

 

 衣玖が天子とテツカブラの間に滑り込んだ。

 背のランスを下ろし、盾を構える。細く長いランスの穂先は、ねじれた爪を重ねたような螺旋を描き、柄には皮膜が羽衣のように巻き付けてあった。

――飛雷槍『龍魚』。飛雷竜の爪と皮膜で組んだ、衣玖のランスだ。

 テツカブラの牙が、二度目の横薙ぎを放つ。衣玖は盾で受け、受けた瞬間にはもう、穂先を突き出していた。螺旋の穂先が牙の根元の外殻を抉り、パチリと白い火花が散る。

 テツカブラが、怯んだように首を引いた。

 

「……雷は、通るようですね」

 

 衣玖が淡々と推測を零す。

 その間に、霊夢は斜面を回り込んでいた。

 テツカブラの横腹へ。背の太刀を抜き、薄紅の刀身を低く構える。テツカブラの注意は、正面の天子と衣玖に向いている。

 

――尻尾は、まだ黒い。

 霊夢は踏み込まず、間合いの外で待った。

 カナメが、霊夢とは反対側から回り込んでいく。首に下げた鋼の牙の輪が、走るたびに小さく鳴った。

 テツカブラが、首を地面に突き込んだ。

 牙が土を抉る。顎が開き、首が跳ね上がる。斜面の岩盤が、大きな板のように剥がれて持ち上がった。

 その瞬間――短い尻尾が膨らんだ。

 黒ずんでいた尻尾が、見る間に白く膨れ、棘が隠れる。

 

「――今!」

 

 霊夢は踏み込んだ。

 白く膨らんだ尻尾に、太刀を斬り下ろす。刃は、さっきまでの外殻が嘘のように、柔らかく沈んだ。

 

〈グオオッ!?〉

 

 テツカブラが悲鳴を上げ、咥えていた岩盤を取り落とす。

 岩盤は地面に落ち、テツカブラの目の前で、壁のように突き立った。

 

「霊夢、岩が――」

 

 天子の声と同時に、突き立った岩盤に罅が走った。

 ピシリ、ピシリと罅が広がり――

 

――ドガァンッ!

 

 岩盤が、内側から弾けるように崩れた。

 砕けた岩の破片が、四方へ飛び散る。霊夢は太刀を立てて顔を庇い、斜面を転がった。こめかみを掠めた破片が、背後の杉の幹に突き刺さる。

 

「……盾にもなるし、崩れても危ないって訳ね」

 

 霊夢は起き上がり、こめかみから垂れた血を袖で拭った。

 カナメが、崩れた岩の向こうから飛び出した。

 首の輪の鋼の牙――[鋼鉄牙*2]を剥き出しにして、テツカブラの後ろ脚に食らい付く。テツカブラが脚を振り、カナメを振り払おうとする。それでもカナメは離れない。振り回されながら、牙を外殻の継ぎ目に食い込ませていく。

 

「カナメ!離れなさい!」

 

 天子が叫んだ。

 だが、カナメは離れなかった。テツカブラが脚を地面に叩き付け、ようやく振り落とされる。カナメは土の上を転がり、すぐに起き上がって、また牙を剥いた。

 退く気配が、欠片もない。

 

「……全く。随分主人に似たものね」

 

 霊夢が呟いた。

 テツカブラが、口を開いた。

 喉の奥から、濁った緑色の塊がせり上がってくる。

 

「――吐き出します!」

 

 衣玖の声が飛んだ。

 テツカブラが首を振り、緑の粘液を吐き散らした。粘液は弧を描いて飛び、立ち上がりかけた天子の足元に降り注ぐ。天子は横へ跳んだが、間に合わない。粘液の飛沫が、天子の腕と大剣の柄にべっとりと付いた。

 

「何よ、これ――」

 

 天子が大剣を振り上げようとして、顔をしかめた。

――腕が、重い。

 粘液が付いた所から、力が抜けていく。大剣を持ち上げる腕が、鉛を括り付けたように重い。息が上がる。まだ一太刀しか振るっていないのに、肩で息をしている。

 

「……体が、重い……なんで?」

「だから、触らない方がいいと申し上げました」

 

 衣玖が、天子の前に盾を構えた。

 テツカブラが、跳んだ。

 四本の脚で地面を蹴り、巨体が宙に浮く。跳躍は高く、低い体からは想像もできないほどだった。テツカブラは天子と衣玖の頭上を越え、二人の背後へ着地する。

 

――ズシン!

 

 着地の衝撃で、地面が揺れた。

 テツカブラは着地ざまに振り返り、牙を振り上げる。狙いは、粘液で動きの鈍った天子だった。

 

「――総領娘様」

 

 衣玖の羽衣が、閃いた。

 縁を緋色に光らせた羽衣が、意思を持ったように伸び、天子の腰に巻き付く。衣玖が羽衣を引くと、天子の体が後ろへ引き戻された。牙が、天子の鼻先を掠めて空を切る。

 

「ちょっと、衣玖!私は自分で――」

「存じております」

 

 衣玖は羽衣を解き、また盾を構えた。

 天子は荒い息を吐きながら、大剣を地面に突き立てて体を支えた。腕に付いた粘液を、草で乱暴に拭う。まだ腕は重い。だが、少しずつ力が戻ってきている。

 


~博麗神社 裏山 崩れた斜面~

 

――テツカブラの外殻が、赤く染まり始めた。

 朱色の外殻の継ぎ目から、湯気のようなものが立ち上る。背中の瘤が膨らみ、牙の根元が脈打つように震えた。口の端から、緑の泡がブクブクと溢れ出す。――怒り状態だ。

 テツカブラは、斜面の上へ跳んだ。

 霊夢達から距離を取り、斜面の上の平らな場所に着地する。そして、後ろ脚で立ち上がるように上体を起こした。

 両の前脚が、高く掲げられる。

 

「――四股よ!」

 

 天子が叫んだ。

 テツカブラの前脚が、地面に叩き付けられた。

 

――ズゥン!

 

 さっきまでとは比べ物にならない震えだった。斜面全体が揺れ、霊夢の足が浮く。テツカブラの前脚の下から、地割れが走った。

 一本ではない。幾筋もの地割れが、斜面を下へ向かって、稲妻のように枝分かれしながら伸びていく。

 その先には、杉林がある。杉林の向こうには――

 

「――神社の方よ!」

 

 霊夢が叫んだ。

 地割れは、杉林の切れ目の草地を越え、杉林の中へ潜り込んでいく。このまま伸びれば、裏山の麓、本殿の裏の祠まで届く。

 天子が、地割れを見下ろしていた。

 大剣を握る手が、震えている。

 霊夢は、天子が何を考えているのか分かった。天子の腰には、小さな袋が一つ下がっている。注連縄を巻いた、拳ほどの石が入っているはずの袋。

 

――要石。

 

 一本挿せば、地割れはそこで止まる。前の地鳴りの時も、天子はそれで止めた。

 天子の手が、腰の袋に伸びかけ――止まった。

 

「……ダメ。挿さない」

 

 天子が、低く言った。

 

「約束したもの。地面を動かしていいのは、救助と足場作りまで。――要石は、一本たりとも」

 

 天子は、袋から手を離した。

 その代わりに、大剣を両手で握り直す。

 

「衣玖。あれを、もう一回踏ませなければいいのよね」

「左様でございます」

「霊夢。尻尾、もう一回お願い」

「……言われなくても」

 

 霊夢は、斜面を駆け上がった。

 テツカブラが、二度目の四股のために上体を起こす。前脚が掲げられ、白く膨らんだ尻尾が、地面を支える。

 

――今なら、尻尾が白い。

 

 霊夢は、テツカブラの背後へ回り込んだ。白く膨れた尻尾に、太刀を横薙ぎに叩き込む。刃が深く沈み、テツカブラが悲鳴を上げて体勢を崩した。掲げた前脚が、地面を踏み損ねて空を掻く。

 テツカブラの巨体が、横倒しになった。

 

「――衣玖!」

「見えております」

 

 衣玖が、倒れたテツカブラの頭へ駆け寄る。ランスの穂先を牙の根元に当て、体ごと押し込むように突いた。螺旋の穂先が外殻を抉り、白い電光が牙を伝って走る。テツカブラが、苦しげに首を振った。

 カナメが[陽動の巻物]を咥えて駆け回り、テツカブラの目の前を何度も横切る。起き上がりかけたテツカブラの視線が、黒い犬に釘付けになった。

 その間に、天子は斜面を駆け上がっていた。

 テツカブラの頭の真正面。大剣を肩に担ぐように構え、両足で地面を踏みしめる。

 天子の足の下で、土が、ほんの少しだけ盛り上がった。

 揺れる斜面の上に、天子一人分の、平らで固い足場ができる。

 

――足場作りまでなら、約束の内よ。

 

 天子は大剣を担いだまま、力を溜めた。

 刀身が、熱を帯びていく。赤い刃がさらに赤く染まり、刀身の周りに陽炎が立った。刃の輪郭が揺らいで、形が定まらない。

 テツカブラが、起き上がった。

 怒りに満ちた目が、天子を捉える。牙を振り上げ、天子目掛けて突進する。

 天子は、動かなかった。

 溜めて、溜めて、溜めて――牙が目の前に迫った、その瞬間。

 

「――叩き割るって、言ったでしょう!」

 

 気迫と共に大剣が振り下ろされた。

 赤熱した刃が、テツカブラの右の牙の付け根に叩き込まれる。

――バキィン!と乾いた音が裏山に響き渡った。

 巨大な牙が、根元から折れた。

 天子の背丈ほどもある牙が、グルグルと宙を舞い、斜面に突き刺さる。テツカブラが、悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げて、のけぞった。

 


~博麗神社 裏山 頂近く~

 

――テツカブラは、山の上へ逃げていった。

 折れた牙の跡から体液を垂らしながら、四本の脚で地面を蹴り、斜面を跳ねるように登っていく。一度だけ振り返り、残った一本の牙を振り上げて唸ったが、それきり、頂の向こうの杉林へ姿を消した。

 霊夢は、太刀を背の鞘に納めた。

 

「……撃退成功、ね」

 

 衣玖が、テツカブラの消えた方角を見ていた。帽子のリボンが、ゆっくりと垂れ下がる。

 

「空気が変わりました。山の上へ、遠ざかっていきます。……もう、苛立った空気は感じられません」

 

 天子は、大剣を地面に突き立て、その柄に寄り掛かっていた。

 息が荒い。腕にはまだ、緑の粘液の跡が残っている。だが、その顔は満足げだった。

 

「ほら見なさい。一太刀だったでしょう」

「三太刀目でしょう、あれ」

「一太刀よ。最後の一太刀が、本物の一太刀なの」

 

 霊夢は、何も言い返さなかった。

 斜面に突き刺さった牙の傍に、カナメが座っていた。牙の匂いを嗅ぎ、それから天子の方を振り返る。尻尾が、一度だけ、ぱたりと振れた。

 

「……何よ、カナメ。褒めてほしいの?」

 

 カナメは、何も答えない。天子は大剣から手を離し、カナメの頭を乱暴に撫でた。

 

「あんたも、退かなかったわね。――よくやったわ」

 

 衣玖が、天子の腕を取った。

 

「粘液を落としませんと」

「平気よ、これくらい」

「腕が上がらないまま、神社の夕餉の箸を持てますか」

 

 天子は、黙って腕を差し出した。

 衣玖は懐から布を出し、天子の腕の粘液を丁寧に拭った。天子は顔を背けたまま、されるがままになっていた。

 霊夢は、斜面の上の地割れを見た。

 幾筋にも枝分かれした地割れは、杉林の中ほどで、ぷつりと途切れていた。神社までは、届いていない。

 

――要石は、使っていない。

 

 霊夢は、天子の腰の袋を見た。袋の口は、固く閉じられたままだった。

 


~博麗神社 裏山の登り口~

 

――三日目の朝、杣道の穴が埋められていた。

 霊夢が様子を見に行くと、登り口の石段で、天子が鍬を握って座り込んでいた。顔には泥が付き、青い髪には杉の葉が絡まっている。その周りで、小さな萃香が何人も、土を運んで穴を埋めていた。

 

「……何してるの」

「見て分からない?穴を埋めてるのよ」

「あんたの能力なら、一瞬でしょう」

 

 天子は、鍬の柄で地面を突いた。

 

「約束でしょう。地面を動かしていいのは、救助の時と足場作りまで。――穴を埋めるのは、どっちでもないわ」

 

 霊夢は随分素直な不良天人を見つめて言葉に詰まった。

 石段の上で、本物の萃香が瓢箪を傾けていた。

 

「いやぁ、天人様が鍬を握るとはねぇ。私の分身を貸してやったんだから、今夜の酒は奢りだよ」

「分かってるわよ。うるさいわね」

 

 霊夢は溜め息を吐き、狩具小屋から鍬をもう一本持ってきた。天子の隣の穴に、黙って土を落とし始める。

 天子が、横目で霊夢を見た。

 

「……何よ」

「あんた一人に任せてたら、日が暮れるでしょう」

「……ふん」

 

 天子はそっぽを向き、鍬を振るった。

 日が高くなる頃、鳥居の下に衣玖が現れた。

 

「総領娘様。慧音さんから、言伝です」

「……何よ」

「『報告書は、紙で出すように』とのことです」

 

 天子は鍬を放り出した。

 

「口で言ったじゃないの!会館で、全部!」

「小鈴さんが、それを紙に、と」

「……衣玖。あんたが書いて」

「私の報告書は、簡潔すぎると阿求さんに叱られますので」

「知ってるわよ!『撃退。怪我人なし。以上』でしょう!」

「左様でございます。……それ以上、何を書く必要があるのかと思うのですが、それが会館の決まりですので」

 

 萃香が、石段の上で腹を抱えてゲラゲラ笑った。

 


~博麗神社 縁側~

 

――三日目の夕暮れ、天子は縁側で帰り支度をしていた。

 大剣を背負い、帽子の桃の葉を整える。カナメが、その足元に伏せている。

 霊夢は、縁側の端で茶を啜っていた。

 

「三日、経ったわね」

「経ったわね」

「慧音、何か言ってた?」

 

 天子は、少し黙った。

 

「……『神社に居たのは知っている』って。それだけよ」

「そう」

「それだけよ。本当に」

 

 天子は、帽子の鍔を指で下げた。顔が、少しだけ隠れる。

 霊夢は、何も言わなかった。

 天子は縁側から降り、鳥居の方へ歩き出した。数歩進んで、立ち止まる。振り返らないまま、言った。

 

「……霊夢。ご飯代、いくら」

「三日分。干物の分は引いといてあげるわ」

「柵の修理代も、まとめて払うわ」

 

 霊夢は、湯呑みを置いた。

 

「……珍しいわね」

「天人は、借りを作らないのよ」

 

 天子は、そのまま鳥居をくぐっていった。カナメが、その後ろを音もなくついていく。鳥居の向こうで、衣玖が待っていた。

 三人分の影が、夕暮れの参道に長く伸びていく。

 霊夢は、縁側に残された湯呑みを見た。天子が使っていた、霊夢の湯呑みだ。底に、茶が少しだけ残っている。

 

――結局、三日間、ずっと私の目の前に居たわね。

 

 霊夢は、残った茶を、庭の土にそっと撒いた。

 地面は、もう揺れなかった。

 

*1:
両生種の大型モンスター。下顎から伸びる一対の牙で岩盤ごと地面を抉り、岩を盾にしたり投げつけたりする。

*2:
ガルクが首に付ける猟犬具の一つ。鋼の牙で、大型モンスターに噛み付いて傷を負わせる。




『比那名居天子』
所属:人里ギルド
役職:ハンター。天界に住む天人
武器:鋼鎚大剣『気炎万丈』(大剣)
防具:鋼鎚装【極光】
オトモ:『カナメ』(ガルク)

『永江衣玖』
所属:人里ギルド
役職:ハンター。竜宮の使い。空模様の知らせ役
武器:飛雷槍『龍魚』(ランス)
防具:飛雷装【緋衣】
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