東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~   作:幻想入りしたガンサー

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第十六話:三つの屋台

~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――街道の脇に、大きな榎が一本立っている。

 人里の東の木戸を出て、『博麗原野』へ下っていく道の途中だ。榎の根元には苔むした道祖神が座り、その脇に古い釣瓶井戸が一つ。旅人も荷運びも、ここで一度は足を止めて水を飲む。里の者はここを『榎の休み場』と呼んでいた。

 休み場に朝の光が、榎の葉の隙間から斑に落ちている。

 

 その斑の下を、一台の屋台がゴロゴロと上ってきた。

 車輪の付いた小さな屋台だ。屋根には橘色の暖簾が掛かり、白く抜いた字で『鈴瑚屋』とある。屋台の脇には、団子の串を何本も挿した藁苞が揺れている。

 屋台の柄を握っているのは、茶色いハンチング帽を被った少女だった。帽子の上から、垂れ気味の長い兎耳が二本はみ出している。金のボブに、赤い眼。橘色のシャツは丈が短く、黄色と白の縞の膨らんだ袴の下は裸足だった。口には団子の串を一本咥えて時折上下に動かす。

 永遠亭を拠点とする猟団"イーグルラヴィ"の代表にして、月から降りてきた兎――『鈴瑚』だ。

 

「よし、と」

 

 鈴瑚は屋台を止め、咥えた串を指で摘む。

 

「今日はここがいいかな。会館から出たハンター達の見回りの組が、朝から東の丘へ何組も出てる。帰りは皆、喉が渇いて腹が減ってるからね。ここで水を飲んで、ついでに団子を――」

 

――言いかけて、鈴瑚の耳がピクリと動いた。榎の向こう側に、もう一台屋台が見えた。

 

 荷車を改造した屋台だ。紺の暖簾に、赤い字で『夜雀亭』と記されている。屋台の柄の先には、丸い体に大きな嘴の鳥竜――『ガーグァ』が一羽、繋がれたまま首を羽の下に埋めて眠っている。屋台の屋根からは、細い煙がまだ一筋立ち昇っていた。

 炭の匂いと甘辛いタレの焦げた匂いが鼻をくすぐる。

 

「……あーっと」

 

 鈴瑚は団子の串を咥え直した。

 屋台の陰から、羽飾りの付いた帽子が覗く。背には夜雀の羽。屋台の前掛けを腰に巻いたままの少女が、大きな欠伸をしながら顔を出した。移動屋台"夜雀亭"の女将『ミスティア』だった。

 

「……あら」

 

 ミスティアは目をパチクリ瞬かせて鈴瑚を見る。それから鈴瑚の屋台を見、暖簾の字を見、もう一度鈴瑚を見た。

 

「……おはよう、団子屋さん」

「……おはよう、夜雀の女将さん。泊まり込み?」

「昨夜は見回りの組が三つも夜番に出てたのよ。夜明けに帰ってくるっていうから、ここで炭を落とさずに待ってたの。お陰様で八目鰻が十二本、汁物が鍋で二杯、全部売れたわ」

 

 ミスティアは得意げに胸を張る。

 

「――だから、ここは私の場所」

「夜の間はね」

 

 鈴瑚は屋台の柄を下ろす。

 

「もう朝だよ。夜雀は寝る時間でしょ。朝からの見回りは私が引き受けるからさ」

「何言ってるのよ。朝帰りの組がもう一組残ってるの。それに、昼からの組も来るって会館の受付が言ってたわ。今日は一日、ここに居るつもりよ」

「うーん……それは困るなぁ」

 

 鈴瑚は口ではそう言いながら、本当に困った表情は浮かべない。帽子の鍔を少し上げ、榎の休み場をグルリと見回す。

 井戸、道祖神、榎の木陰、日の当たる草地。屋台を二台並べるには、木陰が少し狭い。

――ミスティアの屋台は、木陰の一番いい所に据えてあった。

 

「……木陰を半分、譲ってくれない?」

「嫌よ。タレが日に当たると傷むもの」

「団子だって乾くんだよ」

「乾いた団子なんて、焼けばいいでしょ」

「焼き団子はうちの品書きにないんだよねぇ」

 

 一歩も譲らない二人の間を、榎の葉が一枚ヒラヒラと落ちていく――

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――そんな膠着状態の最中。街道の下の方から、もう一台の屋台が駆け上がってきた。

 否、駆け上がって、という言い方が一番近い。屋台の柄を両手で握り、ほとんど走るような速さで必死に坂を上ってくる。浅葱色の暖簾には『清蘭屋』と記されている。屋台の荷台には団子の串がぎっしりと積み上がり、坂の揺れで今にも崩れそうだった。

 

「鈴瑚ーっ!ずるいじゃーん!」

 

 屋台を引いてきたのは、浅葱色の髪を二本のおさげにした少女だった。髪と同じ色のワンピースに、白いフリルの靴下。長い兎耳の片方に、黄色い札が付いている。背には、身の丈ほどもある巨大な杵を背負っていた。

 猟団"イーグルラヴィ"のもう一人のメンバー、鈴瑚の同僚『清蘭』だ。

 清蘭は鈴瑚の屋台の横で自分の屋台を急停止させ、荷台の団子が三本跳ねて地面に転がる。清蘭は慌ててそれを拾い、フーフーと土を吹いて荷台に戻す。

 

「今朝、何も言わずに出てったでしょ!東の丘の見回りが増えたって話、私も聞いてたんだからね!抜け駆けはなしだよ!」

「抜け駆けじゃないよ。早起きしただけ」

「それを抜け駆けって言うの!」

 

 清蘭は頬を膨らませ、それから木陰の奥の『夜雀亭』に気付いて目を丸くした。

 

「……あれ?夜雀も居るじゃん」

「居るわよ。一(・)番(・)最(・)初(・)からね」

 

 ミスティアが屋台の上で腕を組む。

 三台の屋台が、榎の休み場で向かい合う形になる。木陰に『夜雀亭』。日向の手前に『鈴瑚屋』。その横に、少し傾いて停まった『清蘭屋』。

 鈴瑚は咥えた串を指で回しながら、三台を見比べた。

――木陰は一台分。水場は一つ。客は、見回りの組が一つ帰るごとに五、六人程度。

 団子が売れる数を頭の中で勘定する。

 

――三台で分ければ、どの屋台も半端な数しか売れない。

 

「――ねえ、清蘭。今日はうちに任せて、竹林の入り口に回ったら?」

「やだ。鈴瑚が回ればいいじゃん」

「私は情報も拾わなきゃいけないんだよ。お師匠様に、東の丘の様子を聞いてこいって言われてるんだから」

「私だって聞いてくるもん。団子を売りながら」

「清蘭が聞くと、話が全部『すごかった』になるでしょ」

「すごかったものは、すごかったんだもん!」

 

 ミスティアが、二人のやり取りを見ながら、屋台の炭を火箸で掻き起こした。パチ、と炭が爆ぜて、甘辛い匂いがまた一筋休み場に広がる。

 

「月の兎同士で揉めてるなら、二人共帰ればいいでしょ。団子は里の通りで売れるけど、八目鰻は狩り場の外でしか売れないのよ」

「それはそっちの都合でしょ――」

「そうよ!」

 

「「――団子だって、狩り場の外の方が売れるもん(しね)」」

 

 鈴瑚と清蘭が同時に言う。

 ミスティアは呆れて息を吐き、清蘭は自分で言っておいて顔を顰める。鈴瑚だけが平気な顔で串を咥え直す。

 

――場所の取り合いは、これで三度目だった。

 一度目は、去年の秋の竹林の入り口。

 二度目は、雪が降る前の霧の湖の岸。

 どちらも、ミスティアと鈴瑚屋・清蘭屋がにらみ合ったまま、日が暮れて有耶無耶になった。

 今度こそ――と三人ともが思っている表情で膠着していた。

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――その時、榎の梢がガサリと揺れた。三人が揃って見上げる。

 枝の上に、誰かが逆さまにぶら下がっていた。

 

 金の長い髪が逆さまに垂れている。紫の水玉の、玉の三つ付いた道化師の帽子。首元にひだ襟を巻き、青地に白い星を散らした上着と、赤と白の縞の裾。左右で柄の違うタイツの片足を枝に引っ掛け、背には白く透き通った妖精の羽が揺れている。

 左手には、赤紫の炎を灯した松明。その背中には、青い鱗に覆われた大きな銃槍を背負っていた。

 

「――きゃはは!いい匂いがすると思ったら、屋台が三つも並んでるじゃーん!」

 

 地獄から来て、『博麗神社』の裏の大木に入り浸っている妖精のハンター――『クラウンピース』だ。

 クラウンピースは枝から手を放し、クルリと宙で回って草地に降りた。松明の炎が、宙で赤紫の輪を描く。

 ミスティアの顔が、サッと強張った。

 

「クラウンピース。その松明――」

「Yeah!分かってるって。屋(・)台(・)の(・)周(・)り(・)で(・)照(・)ら(・)さ(・)な(・)い(・)、でしょ?」

 

 クラウンピースは松明を腰の吊り具に差し込み、炎を下に向ける。それから、ミスティアの屋台を覗き込む。

 

「夜雀、八目鰻ある?」

「……もう売り切れよ。今、仕込み直してるところ」

「なんだ。じゃあ団子でいいや」

 

 クラウンピースが振り返って、鈴瑚と清蘭を見て、一瞬だけ動きを止めた。

 鈴瑚の兎耳と、清蘭の兎耳を交互に見る。それから、口の端をニヤリと吊り上げた。

 

「――おや。月の兎じゃないか」

「……うげ」

 

 清蘭が、思わず一歩下がった。

 

「……地獄の妖精じゃん。何でこんな所に居るの」

「神社の裏に住んでるからさ。見回りの組が増えたって聞いたから、あたいも東の丘を見に行くとこだったんだ」

 

 クラウンピースは、清蘭の顔を面白そうに覗き込んだ。

 

「月の都は大丈夫かい?」

「……元気だよ。あんたのご主人様がひっくり返してった時よりは、ずっとね」

「Wonderful!そりゃ良かった」

 

 クラウンピースはケラケラと笑い、清蘭は杵の柄を握り直した。

 

――月の都が滅び掛けた、あの異変。

 復讐に燃え続ける仙霊と共に、地獄の女神の手先として月の都に生命力を純化された妖精と共に攻め込んだ地獄の妖精。生命力という恐るべき穢れを前に都が滅びに瀕し、遷都計画の為に幻想郷へ降りた月の兎。異変が終わった今も、互いの顔を見ると思い出すものがある。

 鈴瑚は二人の間に入らなかった。団子の串を咥えたまま、黙ってクラウンピースの松明と、腰の銃槍を見ている。

 

――松明の火は下を向いている。屋台の約束は覚えている。

 

 それなら、今のところは客だ――鈴瑚はそう判断する。

 

「団子は一本四文ね」

 

 鈴瑚が言った。

 

「三色と、みたらしと、胡麻があるよ」

「お、商売上手だね、月の兎。……じゃあさ」

 

 クラウンピースは、三台の屋台をグルリと指差す。

 

「何で三つも並んでるんだい?しかも、さっきから睨み合ってるじゃないか」

 

 鈴瑚が答えるより先に、ミスティアと清蘭が同時に口を開いた。

 

「この場所は私が先に――」

「鈴瑚が抜け駆けして――」

 

 二人の声が重なり、クラウンピースは目を輝かせた。

 

「――場所の取り合い!?」

 

 クラウンピースは両手を打ち合わせる。

 

「いいね、いいね。退屈しない!――じゃあさ、あたいが審判やってやるよ!」

「……審判?」

 

 ミスティアが眉をひそめる。

 

「勝負だよ、勝負。今日一日、ここで店を開いて、日が暮れるまでに一番売った奴がこの場所を取る。負けた奴は二度とここに屋台を出さない。分かりやすいだろ?」

「何で、あんたが決めるのよ」

「だってさ、誰も決められないから睨み合ってるんでしょ?」

 

 ミスティアは言い返そうとして、言葉に詰まった。清蘭も口を開けたまま固まる。

 鈴瑚だけが串の先を軽く噛む。

 

――悪い話じゃない。

 

 前回のように有耶無耶になるよりは、決まった方がいい。だが、審判が気紛れで悪戯好きな地獄の妖精だということが引っかかる。

 

「審判の取り分は?」

 

 鈴瑚が訊くと、クラウンピースは心底意外そうな表情を浮かべる。

 

「取り分?」

「審判って、ただじゃやらないでしょ」

「……あ、そっか。じゃあ、各屋台から一品ずつ、ただで食わせてもらうぜ。公平にね」

「一品ずつね」

「Yes!一品ずつ」

 

 クラウンピースは真面目な顔で頷いた。

 鈴瑚は清蘭とミスティアを見た。

 清蘭はもう杵を下ろして袖をまくっている。ミスティアは火箸を握り直し、屋台の炭を勢いよく掻き起こしていた。

 

――二人共、乗り気だ。

 

 鈴瑚は小さく息を吐き、屋台の暖簾を掛け直した。

 

「――分かった。乗るよ」

「Good!」

 

 クラウンピースは榎の根元の道祖神の頭に、勝手に腰を下ろした。

 

「イッツ、ショータイム!さあ、店を開けな!」

「そこ、道祖神様の頭よ」

「きゃはは!固いこと言いっこなし!」

 

 ミスティアの言葉を聞き流し、クラウンピースは足をブラブラと揺らす。

 


~博麗原野 東の街道 鈴瑚屋~

 

――鈴瑚は屋台の板の上に、白い団子粉の袋を開けた。

 永遠亭の井戸の水を詰めてきた水筒を傾け、粉に少しずつ水を落とす。指で掻き混ぜ、捏ねる。掌の付け根で押し、折り返し、また押す。耳たぶくらいの柔らかさになるまで、手を止めない。

 捏ねた生地を、指で千切って丸める。一つ、二つ、三つ。同じ大きさに揃えて、板の上に並べていく。

 

「……十二、十三、十四」

 

 数えるのは癖だった。団子を丸める数も、食べた数も、残りの数も、鈴瑚はいつも数えている。数が合っていれば、物事はだいたい上手くいっている。

 丸めた団子を茹で、冷たい井戸水に放す。三つずつ串に刺し、三色の串には桜色と白と蓬色を、みたらしの串には焦がした醤油の餡を、胡麻の串には擦った黒胡麻の餡を。

 

 隣の『清蘭屋』では、清蘭が大鍋で団子をまとめて茹でていた。

 丸め方が速い。速いが、大きさが揃っていない。大きいものと小さいものが同じ串に刺さり、串によっては四つ刺さっている。清蘭は気にせず、出来た串を荷台の藁苞にどんどん挿していく。

 

『団子 四文 一本で四つの時あり』

 

 清蘭屋の暖簾の脇に、清蘭が書き足した札が下がった。

 

「……清蘭。それ、損してない?」

「損してないよ。いっぱい食べてもらえたら、また来てくれるじゃん」

「四つの串を取った客は来るだろうけど、三つの串を取った客は損した気になるよ」

「えー」

 

 清蘭は札を見上げて首を傾げ、それから『一本で四つの時あり』の字の横に、『当たり』と書き足した。

 鈴瑚は何も言わずに自分の団子に戻る。

 

 榎の木陰では、ミスティアが八目鰻を捌いている。

 まな板の上に鰻を寝かせ、目の後ろに目打ちを打つ。包丁の背でヌルリとした体を押さえ、腹から開いていく。動く手が迷いなく速い。開いた身を串に打ち、炭火の上の網に並べる。皮目がジュッと音を立て、脂が炭に落ちて白い煙が上がった。

 ミスティアは煙の中で、壺のタレに串をくぐらせ、また網へ戻す。くぐらせては焼き、焼いてはくぐらせる。三度目で、タレが照りを帯びて飴色に変わった。

 甘辛い匂いが休み場を包む。

 

「……ずるいなぁ、あの匂い」

 

 清蘭が、鍋の湯気の向こうで鼻をひくつかせた。

 

「団子は、匂いで呼べないもんね」

「呼べるよ。やりようによってはね」

 

 鈴瑚はみたらしの餡の鍋を火に掛ける。醤油と砂糖が煮詰まり、鍋の縁で焦げる。香ばしい匂いが、八目鰻の煙とは違う向きに流れていった。

 道祖神の頭の上で、クラウンピースが鼻をクンクンと鳴らした。

 

「おお、どっちもいい匂い!審判の腹が鳴ってきたぞ」

「まだ一本も売れてないわよ」

 

 ミスティアが煙の中から言った。

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――最初の客は、日が少し高くなった頃に来た。

 東の丘の方から、四人連れのハンターが街道を上ってくる。夜番明けで帰路に就いた見回りの組だ。皆目の下に隈を作り、足を引き摺るように歩いている。先頭の大剣を背負ったハンターが、榎の木陰を見て、ホッとした顔をした。

 

「おお、夜雀の屋台がまだ居る……!」

「はい、いらっしゃい!」

 

 ミスティアの声が、パッと明るくなった。

 

「八目鰻、焼き立てよ。夜番明けなら目にいいわ。汁物も温かいのがあるから」

「団子もありますよー」

 

 鈴瑚が、のんびりと声を掛ける。

 

「甘い物は、疲れた頭に効くからね。三色、みたらし、胡麻。一本四文だよ」

「当たりもあるよ!四つ刺さってたら当たり!」

 

 客寄せが遅れた清蘭が、身を乗り出して叫ぶ。

 四人のハンターは三台の屋台を見比べて、顔を見合わせた。

――結局、四人は井戸で水を飲み、大剣使いが八目鰻を、片手剣使いが清蘭の団子を、残りの二人が鈴瑚のみたらしを買った。

 道祖神の頭の上で、クラウンピースが帳面に何かを書き付けている。どこから出したのか分からない、小さな帳面だった。

 

「夜雀、一。清蘭、一。鈴瑚、二……よし、鈴瑚の勝ち!」

「まだ一組目でしょ」

 

 ミスティアが言い返す。

 鈴瑚は、ハンター達が団子を齧っている間に、その傍へ寄っていった。

 

「どうも、見回りご苦労様です。東の丘、どうでした?」

「どうもこうもねぇよ」

 

 みたらしを頬張ったまま、弓を背負ったハンターが首を振る。

 

「北の岩場の辺りに、でかい爪痕があるって話だろ。『魔界』から来た猟団が見つけたってやつ。夜通し岩場の手前で張ってたけど、何も出ねぇ。出ねぇのはいいんだが――」

「――静かすぎる、ですか?」

 

「そう、それだ。ジャギィの群れが一つも居ねぇ。いつもなら夜中に一度は鳴き声がするんだがな」

 

 鈴瑚は、ふんふんと頷いた。それから片手剣を佩いたハンターに向く。

 

「アプトノスは?」

「群れは居たよ。ただ、丘の南の窪地に固まってた。北の草の方がよく伸びてるのに、そっちへ行こうとしない」

「ふーん……」

 

 鈴瑚は、新しい団子の串を一本咥えた。

 ハンター達が里の方へ去っていくと鈴瑚は屋台の陰に戻り、懐から一枚の紙を取り出した。幻想郷の地図を、自分で写したものだ。『人里』、『博麗原野』、『博麗神社』、『霧の湖』……あちこちに、細かい字で書き込みがある。

 鈴瑚は咥えていた串を口から抜き、串の先で地図をなぞった。

 東の丘の北、岩場。そこに小さく印を付ける。

 

――『ジャギィ 不在』。その南の窪地に『アプトノス 北を避ける』

 

 串の先が少しだけ北へ動いて、止まった。

――岩場の、もっと北。

 そこには、博麗神社の裏山がある。

 鈴瑚は串を地図から離し、また口に咥えた。地図を畳んで懐へ戻す。

 

「……鈴瑚。団子、茹ですぎてるよ」

 

 清蘭が鍋の方を指差して声を掛け、鈴瑚は我に返る。

 

「あ、ヤバ」

 

 鈴瑚は慌てて鍋の団子を掬い上げた。少しだけ柔らかくなりすぎている。鈴瑚は一つ摘んで食べて首を傾げ、残りを自分の分の皿に除けた。

 

「……十五。十六」

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――昼を過ぎると、休み場は混み始めた。

 昼からの見回りの組が、里から東の丘へ向かって街道を下っていく。朝の組が、丘から里へ上っていく。そのどちらも、榎の休み場で足を止めた。

 

 ミスティアの屋台には、狩りの前に力を付けたいハンターが並ぶ。八目鰻と、肉と根菜の汁。ミスティアは汁を椀によそいながら、客の顔色を見て『あなたは汁を多めに』『あなたは鰻を一本足しなさい』と勝手に品を足していく。足された客は、文句を言いながらも払っていった。

 清蘭の屋台には、若いハンターが群がった。『当たり』の札のおかげだ。四つの串を引き当てた客が声を上げるたびに、次の客が手を伸ばす。清蘭は茹でては刺し、刺しては売り、鍋の湯が足りなくなって井戸と屋台を三度往復した。

 

 そして――鈴瑚の屋台は、静かだった。

 静かだが、客が途切れない。一本買っていった客が、帰り道にもう一本買いに来る。鈴瑚は客の一人一人に『どちらまで』『どうでした』声を掛け、団子を渡しながら話を聞いた。

 

――東の丘の北で、ケルビが一頭も見えない。

――神社の参道の脇の藪で、ブルファンゴの足跡が南へ向かっていた。

――裏山の麓の小川で、何かが水を飲んだ跡があった。足跡は岩の上で見えなくなっていた。

 

 一つ一つは、どれも大したことのない話だった。鈴瑚は、それを全部、懐の地図に書き込んでいった。

 その間、道祖神の頭の上では、審判が忙しくしていた。

 

「夜雀、五。清蘭、七。鈴瑚、六。……あ、今のは当たりだから清蘭は八!」

「当たりは数に入らないでしょ!」

 

 ミスティアが、汁物の椀を置きながら抗議する。

 

「入るよ。当たりは当たりだもん」

「何の当たりよ……」

 

 クラウンピースは、帳面に正の字を書き足しながら、片手で清蘭の団子を齧っている。その足元には、八目鰻の串が二本と、鈴瑚のみたらしの串が三本、転がっていた。

 鈴瑚はその串をサッと数える。

 

「……審判。一品ずつって言ったよね」

「Yes.言ったよー?」

「鰻が二本、みたらしが三本、清蘭の団子が今ので四本目」

「一品ずつだよ。鰻って一品、みたらしって一品、団子って一品。ほら、三品だ」

 

 クラウンピースは得意げに指を三本立てた。

 鈴瑚はしばらく黙ってクラウンピースを見て、それからフッと笑った。

 

「……そりゃ面白いや」

「でしょ?」

「勝負が終わったら、全部まとめてお勘定するからね」

「えっ」

 

 クラウンピースの手が止まった。

 ミスティアが、屋台の中で吹き出した。清蘭も、鍋の湯気の向こうでケラケラと笑う。

――言い合っていたはずの二人が、揃って笑っている。

 鈴瑚はそれを横目で見て、みたらしの餡をもう一度火に掛けた。

 


~博麗原野 東の街道 夜雀亭~

 

――日が傾き始めた頃、ミスティアの炭が足りなくなった。

 朝から焼き続けて、炭の袋が空になっている。ミスティアは屋台の下を覗き込み、舌打ちしかけて、やめた。網の上の八目鰻は、まだ半分しか焼けていない。

 

「……どうしよう」

 

 ミスティアが呟くと、道祖神の頭の上から、クラウンピースがひょいと降りてきた。

 

「火が要るのかい?」

「要るけど、あんたの松明は駄目よ。屋台の周りじゃ照らさない約束でしょ」

「照らさないって。……でもさ、これならいいだろ?」

 

 クラウンピースは、背中から大きな銃槍を外し、自身の身の丈より長い得物を展開する。

 青い鱗に覆われた、長い銃槍だ。槍の穂先は、反り返った大きな刃の形をしている。盾には、クラウンピースが自分で塗った星条旗の柄が躍っていた。

――斬竜銃槍『星条の灯火』。斬竜の尻尾の刃を穂先に据えた、クラウンピースのガンランスだ。

 クラウンピースは穂先を地面に向け、柄の引き金を二度、軽く引いた。

 ドン、ドン、と鈍い音がして、穂先の根元から熱い風が吹き出す。青い刃の芯が、内側からジワジワと赤く染まっていった。

 

「……何それ」

「砲撃の熱を溜めてるの。――この銃槍の素材になったモンスターはね、尻尾を研いで、熱で真っ赤に焼いてから振り回すんだ。だから、こいつも熱を溜めると赤くなる」

 

 クラウンピースは、赤くなった刃を、網の下の燃え残りの炭へ近付けた。炭が赤く熾り、網の上の八目鰻が、ジュウッと音を立てて焼け始める。

 

「ほら。松明じゃない。ただの熱だよ」

 

 ミスティアは、しばらく呆然と網の上を見ていた。

 

「……あんた、こういうことには頭が回るのね」

「あたいは地獄育ちだからさ。火の扱いには慣れてるんだぜ」

 

 クラウンピースは、赤い刃を網の下に差し入れたまま、得意げに胸を張った。

 ミスティアは串を返しながら、クラウンピースの顔を横目で見た。

 

「……ねえ。何で、場所の取り合いなんかに口を出したのよ」

「退屈だったから」

「それだけ?」

「それだけ。……あとさ」

 

 クラウンピースは、網の上の煙を目で追った。

 

「神社の裏、最近うるさいんだよね」

「……うるさい?」

「夜中にさ。裏山の方から、岩が転がるみたいな音がするんだ。ゴロゴローって。一回じゃない。三妖精も怖がって、昨夜は皆、大木のうろの奥で丸まって寝てた。サニーなんか、あたいの羽の下に潜り込んできてさ。あたいのは鳥の翼じゃないのに」

 

 クラウンピースは笑ったが、目は笑っていなかった。

 

「だから、こっちで騒いでる方が気楽だったのさ」

 

 ミスティアは、何も言わなかった。黙って焼き上がった八目鰻を一本、クラウンピースの前の皿に置く。

 

「……これは?」

「炭代よ。勘定には入れないわ」

 

 クラウンピースは、目を瞬かせた。

――屋台の向こうで、鈴瑚が団子の串を咥えたまま、二人の話を聞いていた。

 鈴瑚は懐の地図を取り出し、串の先で、博麗神社の裏山の上に小さく書き付けた。

 

『夜、岩の転がる音。三妖精が怯えた』

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――夕方の光が、榎の影を街道の上に長く伸ばしている。

 見回りの組の行き来も、ひと段落していた。清蘭は空になった藁苞を数え、ミスティアは鍋の汁の残りを覗き込み、クラウンピースは道祖神の頭の上で帳面の正の字を指でなぞっている。

 鈴瑚は、屋台の板を拭いていた。

 拭きながら、耳だけが北を向いている。

 

――さっきから、原野の鳥が鳴かない。

 

 昼の間は、榎の梢で小鳥がうるさく鳴き交わしていた。それが、いつの間にか一羽も居ない。街道の脇の草むらで跳ねていた虫も、静まり返っている。

 ミスティアの屋台の柄に繋がれたガーグァが、羽の下から首を出した。きょとんとした目で北を見て、首を伸ばし、それから嘴を半開きにしたまま固まる。

 

〈グワ……?〉

 

 鈴瑚は、布巾を置いた。

 北の原野の向こう、草の丈の高い所が、一筋だけ揺れている。風ではない。風なら、原野の草は一面に波打つ。揺れているのは一筋だけで、その一筋が、真っ直ぐにこちらへ伸びてくる。

 地面が、かすかに震え始めた。

――ドドド、ドドド、と重い足音が、草の向こうから近付いてくる。

 

「……清蘭」

「何?」

「――団子、仕舞って」

 

 鈴瑚の声は、いつも通りのんびりしていた。だが清蘭はその声を聞いた途端に顔を上げ、背の杵の柄に手を掛けた。

――草むらが、割れた。

 

〈〈〈〈ブギィッ!ブギィィッ!〉〉〉〉

 

 茶色い剛毛に覆われた、猪のような獣が飛び出してくる。口の両脇から、反り返った白い牙が突き出ていた。一頭、二頭――四頭。鼻息を荒く吐き、目を剥いて、原野を街道の方へ一直線に駆けてくる。

 大きな牙を持つ猪のモンスター――『ブルファンゴ』だ。

 

「――えぇ?!何、何?!」

 

 驚くミスティアに清蘭が叫ぶ。

 

「ブルファンゴ!四頭!真っ直ぐ来る!」

「屋台の後ろに下がって!ガーグァの綱、解くわよ!」

 

 ミスティアが屋台の柄に駆け寄り、ガーグァの綱を解いた。ガーグァは〈グワワッ!〉と鳴いて、榎の幹の陰へ転がるように逃げ込む。

 鈴瑚は、屋台の陰から弓を引き出した。

 青緑と白と橙の羽毛を、弓幹に重ねて巻いた弓だ。両端には、くるりと巻いた獣の尾の甲殻。握りの脇には、団子の串を思わせる飾りが三本、並んで揺れている。

――天狗獣弓『月見三色』。『天狗獣:ビシュテンゴ』の羽毛と尾で組んだ、鈴瑚の弓だ。

 清蘭は背の杵を下ろした。

 餅つきの杵を、そのまま大型のモンスター用に作り直したような巨大なハンマーだ。槌頭は瑠璃色の甲殻を何枚も重ねて固め、その縁に、氷の結晶のような透き通った棘が並ぶ。打ち面には、満ちた月の形の金の飾りが嵌め込まれていた。

――氷狼槌『蒼月ノ杵』。『氷狼竜:ルナガロン』の甲殻を延べた、清蘭のハンマーだ。

 道祖神の頭の上で、クラウンピースが跳ね起きる。

 

「きゃはは!いいねいいね、こっちの方が面白い!」

 

 クラウンピースは腰の松明に手を伸ばしかけ――その手が、止まった。

 松明の柄を握ったまま、クラウンピースは街道を見た。里の方から、荷を背負った里の者が二人、坂を下ってくるのが見える。

 

「……っ、街道の近くじゃ照らさない。あたいの決まりだ」

 

 クラウンピースは松明から手を離し、代わりに銃槍の柄を握り直した。盾を前に構え、ブルファンゴの前へ飛び出していく。

 

「おーい、そこの二人!坂の上で止まってな!」

 

 クラウンピースが叫ぶと、里の者が慌てて足を止めた。

 鈴瑚は駆けてくる四頭を見る。

――目を剥いている。涎を垂らしている。それなのに、匂いのする屋台の方を向いていない。

 ブルファンゴは突進しかしない獣だ。腹を空かせて屋台の匂いに寄ってきたのなら、匂いの方へ鼻先を向ける。だが四頭は、匂いも何も構わず、北から南へ、ただ真っ直ぐに走っている。

 背後を、一度も振り返らずに。

 

「――あれ、腹を空かせて来たんじゃないよ」

 

 鈴瑚は矢を番えながら口を開く。

 

「――逃げてきたんだ。北から」

「逃げてきたって、何から?!」

「分かんない。でも、ここで暴れたいわけじゃない。――進む向きを、逸らすだけでいい」

 

 鈴瑚は弓を引き絞った。

 狙うのは獣ではない。先頭の一頭の、少し前の地面だ。

――ヒュッ、と矢が飛んだ。

 矢は先頭のブルファンゴの鼻先の土に深く突き刺さり、羽が震える。ブルファンゴは目の前に突然生えた矢に驚き、四本の脚を突っ張った。土を蹴立てて、わずかに右へ逸れる。

 二の矢。三の矢。鈴瑚は続けざまに地面へ矢を打ち込み、四頭の進む先に、斜めの一本の線を引いていく。矢の線は、屋台を避けて、街道の東の空き地へ向かっていた。

 

「清蘭、右端の一頭!線からはみ出す!」

「了解っ!」

 

 清蘭が杵を担いで駆け出す。

 右端のブルファンゴが、矢の射線を嫌って、清蘭屋の屋台の方へ鼻先を向けている。荷台には、まだ茹でかけの団子の鍋が載っていた。

 

「私の団子に、何するのよーっ!」

 

 清蘭は屋台の前に滑り込み、杵を大きく振りかぶった。

 ブルファンゴが、頭を下げて突っ込んでくる。牙が、清蘭の膝の高さで迫る。

 清蘭は一歩だけ横へ跳び、突進をやり過ごした。すれ違いざま、振りかぶった槌頭を、ブルファンゴの頭へ真上から振り下ろす。

 

「――ぺったん!」

 

――ゴンッ!

 

 鈍い音がして、ブルファンゴの頭が地面にめり込んだ。四本の脚が、てんでばらばらの方へ突っ張り、目がグルグルと回る。ブルファンゴは、その場でフラフラと二、三歩よろけ、横倒しにひっくり返った。

 清蘭は杵を肩に担ぎ直し、ふうっと息を吐いた。

 

「……やっちゃった。また『ぺったん』って言っちゃった」

「言うと思った」

 

 鈴瑚は次の矢を番えながら言った。

 残る三頭が、矢の線に沿って東へ流れていく。だが、そのうちの一頭が、途中で急に向きを変えた。――夜雀亭の方へ。

 ミスティアの屋台の網の上には、焼き上がったばかりの八目鰻が並んでいた。

 

「ちょっと、こっちに来ないでよ!」

 

 ミスティアは屋台の下から、暗い赤の笛を引き抜いた。

 眠鳥の甲殻を胴に張った狩猟笛だ。ミスティアは笛を両手で構え、突っ込んでくるブルファンゴを正面から待った。

 牙が届く寸前――横から、星条旗柄の盾が割り込んだ。

 ガンッ――と重い音がして、クラウンピースの盾がブルファンゴの突進を真正面から受け止める。クラウンピースの裸足が、地面の土を削って半歩だけ下がった。

 

「おっと……!重いね、コイツ!」

 

 クラウンピースは盾を押し返し、ブルファンゴの頭を横へ逸らした。そのまま、銃槍の穂先を地面に向けて、引き金を引く。

 ドンッ、と砲撃の爆ぜる音がして、土が跳ね上がった。ブルファンゴは足元の爆音に驚いて飛び退き、鼻先を東へ向け直す。

 

「夜雀、今だよ!」

「言われなくても!」

 

 ミスティアが、笛を大きく振り回した。

 笛の胴が、ブルファンゴの横腹を打つ。赤い羽毛から、甘く重い粉がフワリと舞った。ミスティアは返す勢いでもう一打ち、さらに一打ち。三打ち目で、ブルファンゴの脚がもつれた。

 ブルファンゴは、二、三歩よろめき――そのまま、草の上に崩れるように伏せた。鼻息が、ゆっくりとした寝息に変わる。

 

「……眠らせただけよ」

 

 ミスティアは、笛を下ろして言った。

 

「この子は焼かない」

 


~博麗原野 東の街道 東の空き地~

 

――残る二頭は、鈴瑚の矢の線に沿って、街道の東の空き地へ抜けていった。

 空き地の先は、なだらかに下って、博麗原野の南へ続いている。二頭はそのまま草の中を走り続け、やがて原野の向こうで小さくなった。

 鈴瑚は弓を下ろし、残りの矢を数えた。

 

「……十一本撃って、拾えるのが九本、かな」

 

 地面に刺さった矢を、一本ずつ引き抜いていく。鏃に付いた土を払い、矢筒に戻す。その間に、清蘭が叩いて目を回させた一頭が、のそのそと起き上がった。頭を振り、きょとんとした顔で辺りを見回す。

 清蘭が、杵を構えかけた。

 

「――待って」

 

 鈴瑚が止めた。

 ブルファンゴは、清蘭を見て、鈴瑚を見て、屋台を見た。それから鼻を北へ向けて、一度だけ、ヒクヒクと匂いを嗅ぐ。

 そして、ブルリと身を震わせた。

 ブルファンゴは北に背を向け、先に逃げた二頭を追うように、南の原野へ駆けていった。

 

「……北に、何が居るんだろうね」

 

 清蘭が、杵を下ろして呟いた。

 鈴瑚は答えなかった。

 夜雀亭の前では、ミスティアの眠らせた一頭がまだ寝息を立てていた。ミスティアはその傍にしゃがみ込み、横腹の毛に付いた甘い粉を手で払ってやっている。

 

「起きたら、南へ帰すわ。群れが居るでしょ」

「起きた途端に、また突っ込んでこない?」

「来たら、もう一回眠らせるだけよ」

 

 ミスティアは、当たり前のように言った。

 クラウンピースは、銃槍を肩に担いで、北の原野を眺めていた。松明は腰に差したまま、炎は下を向いている。

 鈴瑚は、その横顔を見た。

――照らさなかった。

 照らせば、四頭はもっと速く、もっと滅茶苦茶に暴れただろう。暴れた獣が、坂の上の里の者の方へ向かったかもしれない。この妖精は、それを分かっていて手を止めた。

 

「……ねえ、クラウンピース」

「ん?」

「さっきの、助かったよ」

 

 クラウンピースは、ぽかんと口を開けた。

 それから、頬をカアッと赤くして、そっぽを向いた。

 

「……別に。屋台が壊れたら、審判の飯が食えなくなるだろ」

 


~博麗原野 東の街道 榎の休み場~

 

――日が、西の山の端に掛かった。

 榎の休み場に、三台の屋台の灯りが点る。

 四人は、夜雀亭の前の長椅子に並んで座っていた。ミスティアの眠らせた一頭は、目を覚ますと大人しく南の原野へ帰っていった。坂の上で足を止めていた里の者も、何度も頭を下げて里へ戻っていった。

 清蘭の膝の上には、最後の団子の皿。ミスティアの前には、焼き直した八目鰻。鈴瑚は、自分の分に除けておいた茹ですぎの団子を齧っている。

 

「……で、審判さん」

 

 ミスティアが、横目でクラウンピースを見た。

 

「勝負は、誰の勝ちなのよ」

 

 クラウンピースは帳面を開き、正の字を指でなぞった。

 

「えーと……夜雀、二十三。清蘭、三十一。当たりを入れて三十八。鈴瑚、二十九」

「当たりは入らないって言ってるでしょ」

「じゃあ、清蘭の勝ちだ」

「やったーっ!」

 

 清蘭が、団子の皿を掲げて叫んだ。

 

「でも清蘭、串に四つ刺したのが十二本あったから、団子の数で言うと赤字だよ」

 

 鈴瑚がのんびりと指摘する。

 

「……え」

「あと、ブルファンゴが来た時に、茹でかけの鍋を引っくり返してたでしょ。あれで二十本分の団子粉が駄目になってる」

「……ええーっ」

 

 清蘭は掲げた皿をそろそろと膝の上に下ろした。

 ミスティアが、肩を震わせて笑いをこらえている。クラウンピースは、帳面と清蘭の顔を見比べて首を傾げる。

 

「じゃあ、誰の勝ちなんだい?」

「――いっそ、決めなくていいんじゃない?」

 

 鈴瑚がそう言うと三人が彼女を見る。

 

「見回りの組は、朝と昼と夜に出る。朝帰りと昼帰りの組は、甘い物を欲しがる。夜番に出る組と夜明けに帰る組は、温かい物を欲しがる。今日一日見てて、そう感じた」

 

 鈴瑚は団子の串を口から抜き、串の先を、ミスティアの屋台と自分の屋台に順に向けた。

 

「だから、日が出てる間は団子。日が暮れたら夜雀亭。場所を取り合うより、その方が両方とも売れるよ」

 

 ミスティアは、しばらく黙っていた。

 それから、焼き直した八目鰻の串を一本取り、鈴瑚の皿の上に置いた。

 

「……夜番の組が、帰りに団子を欲しがったら、どうするのよ」

「朝一番に、私が団子を持ってくる。夜雀は、その時間まで炭を落とさずに居ればいい」

「じゃあ、夜番に出る組が、団子を持っていきたいって言ったら?」

「夕方、店じまいの前に、夜雀に団子を預けとく。売れた分だけ、次の朝にお代を貰う」

 

 ミスティアは、鈴瑚の顔をじっと見た。

 

「……あんた、最初からそのつもりだったでしょ」

「ううん。今日一日、見てて決めた」

 

 鈴瑚はミスティアの置いた八目鰻を一口齧った。

 

「……美味しいね、これ」

「当たり前でしょ」

 

 ミスティアはぷいと横を向き、それから小さく笑った。

 

「――で、私は?!」

 

 清蘭が身を乗り出した。

 

「清蘭は、竹林の入り口と永遠亭の門前。あそこは清蘭の団子の方がよく売れるでしょ。量があるから、兎達がいっぱい買ってく」

「……それって、褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」

 

 清蘭はむうと唸ったが、やがて団子を一つ口に放り込んで、それで納得したようだった。

 クラウンピースが長椅子の上で足をブラブラさせた。

 

「なんだ。結局、あたいの勝負は要らなかったんじゃないか」

「いや、必要だったよ」

 

 鈴瑚が言った。

 

「審判が居なかったら、一日ここに三台並んで、客の話を聞くこともなかった。……それに」

 

 鈴瑚は懐の地図に手を当てた。

 

「――裏山の音の話、聞けたからね」

 

 クラウンピースは、鈴瑚の顔を見た。それから、ニヤリと笑った。

 

「――じゃあ、あたいのおかげってことだな!」

「そういうことにしとくよ」

「よーし!じゃあ審判の取り分、全部無料(タダ)だな!」

「それは別」

「えーっ!」

 

 クラウンピースの叫びが、夕暮れの原野に響いた。

 


~博麗原野 東の街道 鈴瑚屋~

 

――屋台を畳む前に、鈴瑚は一枚の紙を書いた。

 会館と、永遠亭の師匠宛てだ。団子の串の先を墨に浸して、細い字で書き付けていく。

 

覚え書き:博麗原野 東の街道 榎の休み場

夕刻、ブルファンゴ四頭、北の原野より南へ駆け抜ける

屋台の匂いに寄らず。背後を振り返らず。追われる獣の走り方と見る

東の丘の北、ジャギィ不在。ケルビ見えず。アプトノス、北の草を避ける

神社の裏山の麓の小川に、水を飲んだ跡。足跡は岩の上で途切れる

神社の裏の大木より、夜半に岩の転がるような音を聞くとの話。三妖精、怯える

いずれも噂の域。照らし合わせを要す

 

 書き終えて、鈴瑚は地図を広げた。

 今日一日で書き込んだ印が、東の丘の北から、神社の参道、裏山の麓まで、ぽつぽつと散っている。鈴瑚は串の先で、その印を一つずつ繋いでいった。

 

――北へ。もう少し北へ。

 

 串の先が、博麗神社の裏山の、中腹の辺りで止まる。

 そこには、サラの守る魔界の扉の洞窟がある筈だった。

 鈴瑚は串の先を地図から離し、口に咥えた。団子は、もう付いていない。

 

「……鈴瑚ー。早く帰ろうよ。暗くなる前に竹林に入らないと、また迷うよ」

 

 清蘭が、空の屋台の柄を握って呼んだ。

 

「今行く」

 

 鈴瑚は地図と覚え書きを懐に仕舞い、屋台の暖簾を下ろした。

 榎の木陰では、ミスティアが夜の仕込みを始めている。炭の熾る匂いと、八目鰻のタレの匂い。道祖神の頭の上には、帳面を抱えたまま居眠りを始めたクラウンピースが、器用に腰掛けていた。

 腰の松明の炎だけが、下を向いたまま、小さく揺れている。

 鈴瑚は清蘭と並んで、坂を里の方へ上り始めた。

 背後の原野から、夜の風が吹き上がってくる。北から吹く風だった。

 

――その風の中に、ほんの一瞬だけ、獣の匂いが混じった気がした。

 




『鈴瑚』
所属:人里ギルド、および猟団"イーグルラヴィ"(拠点は永遠亭)
役職:猟団"イーグルラヴィ"代表、情報担当。月の都から永遠亭へ派遣された月の兎。副業は団子屋『鈴瑚屋』
武器:天狗獣弓『月見三色』(弓)
防具:天果装【月見】

『清蘭』
所属:人里ギルド、および猟団"イーグルラヴィ"(拠点は永遠亭)
役職:先行・近接担当。月の都から永遠亭へ派遣された月の兎。副業は団子屋『清蘭屋』
武器:氷狼槌『蒼月ノ杵』(ハンマー)
防具:氷狼装【蒼月】

『クラウンピース』
所属:人里ギルド
役職:上位ハンター。地獄の女神『ヘカーティア・ラピスラズリ』に仕える妖精(博麗神社の裏の大木に入り浸っている)
武器:斬竜銃槍『星条の灯火』(ガンランス)
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