東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~   作:幻想入りしたガンサー

35 / 36
キャラ付けが解釈違いだったらごめんなさい


第二十話:蒼い火竜の崖

~博麗神社 本殿裏 祠の前~

 

――本殿の裏手の古い石段を下りると、小さな祠がある。

 

 苔むした石の台座に、古びた木の扉が一枚構えられている。人ひとりがやっと通れるほどの大きさしかない。『博麗神社』への参拝客は、その存在すら知らない。

 

――その扉の前を、一人の少女が竹箒で掃いていた。

 背筋の伸びた、物静かな佇まいの少女だ。落ち葉を一枚ずつ丁寧に掃き寄せ、時々手を止めては、扉の木目を指でなぞる。扉の脇の石には、鉄の盾斧が一振り立て掛けてあった。

 博麗神社の本殿裏の祠――『魔界*1』と『地獄』の両方へ通じる『分かれ門』の門番『シンギョク』である。

 扉の奥は乾いた石の下り道になっている。しばらく下ると天井の高い広間に出て、そこで道が二本に分かれる。片方は進むほど暑くなる『地獄』の道、もう片方は進むほど空気の静まる『魔界』の道だ。

 シンギョクの務めは、幻想郷の側から扉をくぐろうとする小さな生き物――小型のモンスターや、その卵や、虫や胞子――を、扉の手前で止めることだった。『魔界』にはモンスターが一頭も居ない。一頭でも入れば『魔界』始まって以来の大事になる。

 故にシンギョクは毎朝、扉の前を掃く。落ち葉の下に、何かの卵が紛れていないか。扉の隙間に、虫が巣を作っていないか。一枚ずつ確かめるように掃いていく。

 シンギョクは、箒を止めて空を見上げた。

 祠の真上には、切り立った崖がそびえている。高さは本殿の屋根の三倍ほど。崖の上の縁に、何本かの松が斜めに張り出していた。

 

――その松の向こうを、蒼い影が横切った。

 翼を広げ、ゆっくりと輪を描いている。朝日を受けて、背中の甲殻が空の色に光った。翼の膜だけが、体と違う深い緑色をしている。

 

――『蒼火竜:リオレウス亜種』*2

 

 リオレウス亜種は蒼い体躯を持つ火竜の亜種だ。原種より長く空に留まり、空から縄張りを見張って、入り込む者を追い払う。

――今朝も、居る。

 影は崖の上を二度、三度と回り、それから崖の縁の松の陰へ降りていった。

 

「……三日目ね」

 

 シンギョクは小さく呟き、箒を祠の脇に立て掛けた。

――石段の上から、足音が下りてきた。

 

「――シンギョク。居るんでしょ」

 

 霊夢だった。寝癖の付いた髪を手櫛で押さえながら、面倒そうに石段を下りてくる。手に、会館の判を押した依頼票を一枚持っている。

 

「おはよう、霊夢」

「おはよう。……あんた、今日はそっちの姿なのね」

「えぇ。門の前を掃くのは、こちらの方が向いているから」

 

 霊夢は肩を竦め、依頼票をシンギョクに差し出した。

 

依頼:蒼火竜一頭の撃退

目標:博麗神社本殿裏の崖からの撃退

地点:博麗神社本殿裏、祠の上の崖

受託:博麗神社、および分かれ門の番

 

「慧音から。三日前の件、ようやく正式な依頼になったわ」

 

――三日前の朝、シンギョクは祠の扉を開けて外へ出たところを、空から襲われた。

 崖の上から真っ直ぐに降りてきた蒼い影が、扉の前の石畳を爪で抉った。シンギョクはチャージアックスの盾で受け、扉の中へ転がり込んで難を逃れた。その日の昼には、同じ影が参道の石灯籠の上に降り、参拝に来た里の老夫婦が目撃して腰を抜かした。

 

「撃退、ね」

「若いのを追い払ったばかりなのに、今度は空の上よ。この神社、モンスターに好かれる呪いでも掛かってるのかしら」

 

 霊夢は崖を見上げ、大きく溜め息を吐いた。

 

「――『リオレウス亜種』。理香子が言ってたわ。目撃例が少なくて、『出会った者の運命を変える』なんて言い伝えまであるとか」

「運命なら、もう変わっているわ。――三日前から、私は門の外へ出るたびに空を見ている」

 

 シンギョクは、チャージアックスを手に取った。

 工房から借りた鉄の盾斧だ。分厚い鉄板の盾に、片刃の剣を差し込んで納める。飾り気のない、新人のハンターが最初に握るような得物だった。シンギョクが前に使っていた盾斧は、去年の冬に地獄道を上ってきた溶岩獣の群れを押し返した時に、盾が割れてしまっていた。

 

「その盾斧で大丈夫なの?」

「門番は、盾があれば十分よ」

「……前の時みたいに、玉になって転がるだけ、とか言わないでよ」

「前の時?」

「ほら、あんたと最初に会った時よ。転がってきて、ぶつかってきたじゃない」

 

 シンギョクは、少しだけ目を細めた。

 

「――覚えていたのね」

「何をよ」

「いいえ。何でもないわ」

 

 霊夢は首を傾げたが、それ以上は訊かなかった。

 

――その時、石段の上で、小さな羽音がした。

 二人が振り返ると、石段の一番上に、白い影がちょこんと座っていた。

 金色の長い髪。赤い帯の付いた白いとんがり帽子。赤い縁取りの白い服に、透き通った羽。背には、桜色の甲殻を張った狩猟笛――桜火笛『春告げ』を負っている。

 春を告げる妖精のハンター――『リリーホワイト』だ。

 

「……リリー?あんた、こんな時期に何してるのよ」

 

 霊夢が石段を見上げて言った。

 リリーは答えなかった。帽子の鍔の下で、眠たげな目を瞬かせている。羽は畳んだまま、少しも動かない。春の盛りなら、目にも留まらぬ速さで飛び回っている筈の妖精だ。だが今は、桜もとうに散って、季節は初夏に差し掛かっている。リリーの力は、半分ほどしか戻っていない。

 リリーはゆっくりと腕を上げた。

 小さな指が崖の上を指している。蒼い影が降りていった、松の陰を。

 

「……向こうに飛んで行った、あの子?」

 

 シンギョクが柔らかく訊くと、リリーはこくりと頷いた。

 それから背の狩猟笛を胸の前に抱え、桜色の胴をそっと撫でる。

 霊夢が、ハッとしたように笛を見た。

 

「――あんたの笛。桜火竜の素材だったわよね。早春に『霧の湖』の北の崖に巣を作って、討伐された」

 

 リリーはまた頷いた。

 

「霊夢。桜火竜と蒼火竜は、番になることがあると聞くわ」

「……まさか」

 

 シンギョクは、崖を見上げた。

 松の陰から、蒼い首がもたげられている。こちらを見下ろすでもなく、遠くの空を見ている。北西の空――霧の湖の方を。

 

〈グォォ……〉>

 

 低い声が崖の上から降ってきた。

 誰かを呼ぶような声だった。一声鳴いて、しばらく待つ。返事が無いと、また一声聞こえる。

 リリーが帽子の鍔をキュッと引き下げた。

 

「……春の間、ずっと」

 

 か細い声だった。

 

「湖の北の崖の上を、回ってました。ずっと、ずっと……呼んでました」

 

 霊夢は黙って崖を見上げた。

 

〈グォォ……!〉>

 

 蒼火竜の声がまた一度、空に響いた。返す声は、どこからも聞こえなかった。

 


~博麗神社 本殿裏の崖 上の縁~

 

――崖の上へは、本殿の脇の獣道を回って登る。

 

 霊夢が先に立ち、シンギョクが続く。リリーは少し遅れて、シンギョクの袖の端を摘まんでついてくる。羽を使う気力は無いらしく、木の根に足を取られるたびに、シンギョクがそっと腕を支えた。

 崖の上に出ると、風が強くなった。

 崖の縁は、岩盤が剥き出しになった平らな台地だった。縁に沿って松が並び、その向こうに博麗原野が一望できる。足元の岩盤には、所々に枯れた草がこびり付いていた。

 霊夢は、台地の手前の岩陰で足を止めた。

 

「……居ないわね」

 

 松の陰には、何も居なかった。蒼い影は、いつの間にか台地を離れていたらしい。

 

「狩りに出たのかしら。空から見張ってるなら、どこかで――」

 

 霊夢は空を見回したが、雲の多い初夏の空には、鳥の影一つ無かった。

 

「今の内よ。見ておきましょう」

 

 シンギョクが、台地の上へ歩み出た。

 足元の岩盤に、深い爪痕が刻まれている。三本の太い筋と、その後ろに一本。前へ三本、後ろへ一本の、鳥の足に似た形だ。爪痕の縁は鋭く、岩の欠片がまだ脇に散らばっていた。

 

「着地の跡ね。ここへ何度も降りているわ」

 

 シンギョクは爪痕の一つにしゃがみ、指で深さを測った。指の第二関節まで沈む。

 

「重いわ。でも――爪痕が、浅い所と深い所で揃っていない。片方の脚を、少し庇っている」

「怪我?」

「古傷かもしれないわね」

 

 霊夢は、台地の端の松に近付いた。

 松の幹が、黒く焦げている。地面から人の背丈ほどの高さまで、幹の片側だけが炭のように焼けていた。焦げた跡の周りの草も、輪の形に焼け落ちている。

 

「火球の跡ね。ここで吐いたんだわ」

「何に向かって?」

「さぁ」

 

 霊夢は焦げた幹を見上げた。焼け跡の上の方の枝に、小鳥の巣が引っかかっていた。黒焦げで、中は空だった。

 リリーが、台地の奥を指差した。

 松の根元の、崖の縁に近い窪み。そこに、枯れ枝が山のように積み上げてあった。

 霊夢とシンギョクは窪みに近付いた。

 枝はただ積み上がっているのではなかった。太い枝を外側に、細い枝を内側に、丸く編むように組んである。真ん中は浅く窪み、柔らかい枯れ草が敷き詰めてあった。

 

「……巣」

 

 霊夢が呟いた。

 

「火竜の巣よ。雄が場所を選んで、雌が卵を産む。――でも」

 

 シンギョクは巣の真ん中を覗き込んだ。

 枯れ草の上には何も無かった。卵も、卵の殻も、雌の鱗の一枚も。

 ただ枯れ草の上に、蒼い鱗が一枚だけ落ちていた。

 シンギョクは鱗を拾い上げ、朝日に翳した。空の色を帯びた硬い鱗の縁が少し欠けている。

 

「この三日で作ったのね。一頭で」

 

 霊夢は巣の周りを一回りする。

 巣の脇の岩の上に、ケルビの骨が転がっていた。肉はほとんど残っていない。だが骨の折れ方が奇妙だった。噛み砕かれたのではなく、高い所から落とされて砕けたように、細かく割れている。

 

「上から落としたのね。掴んで飛んで、ここへ落とした」

「巣に餌を運んだのね」

 

 シンギョクが骨の横にしゃがんだ。

 

「雄の火竜は、雌が卵を抱いている間、餌を運ぶ。巣の傍へ獲物を落として、雌に食べさせる。――でも、これは食べていない。ほとんど手を付けずに、落としただけ」

「……誰も食べる相手が居ないのに?」

「えぇ」

 

 霊夢は骨から目を逸らし、崖の縁から下を覗いた。

 崖の真下に、祠の屋根が小さく見える。そこから石段が本殿の裏へ続き、本殿の脇を回って参道へ出る。参道の石灯籠が、一列に並んでいた。三日前老夫婦が腰を抜かした灯籠は、手前から四つ目だ。その笠の上の石が欠け、爪の跡が白く残っているのが、ここからでも見えた。

 

「祠の扉は、巣の真下ね」

「えぇ。巣から見下ろすと、扉を出入りする者が、真っ先に目に入る」

 

 シンギョクは立ち上がり、崖の縁に並んで下を見た。

 

「だから、私を襲ったのよ。あの子から見れば、私は巣の真下から出てくる侵入者だもの」

「とばっちりじゃない」

「門番は、いつもとばっちりを受けるものよ」

 

 シンギョクは少しだけ笑い、霊夢は何も言わなかった。

 リリーが巣の縁にしゃがみ込んだ。

 懐から小さな枝を一本取り出す。白い花の付いた、野茨の枝だ。初夏の野原で摘んできたのだろう。リリーはそれを、巣の縁の枝の間にそっと差し込んだ。

 花は咲いたままだった。

 リリーが触れても、花は増えもしなければ、散りもしなかった。

 

「……春じゃ、ないから」

 

 リリーは、帽子の鍔の下で小さく言った。

 

「私にはもう、咲かせられません」

 

 霊夢は、リリーの帽子を見下ろした。それから、頭を掻いた。

 

「――あのさ。慧音の依頼は撃退よ。追い払えって言われてるの。ここに居座られたら、シンギョクは門の外へも出られないし、参拝客は腰を抜かすし」

「……はい」

「だから、追い払う。でも――」

 

 霊夢は、巣を見下ろした。

 

「どこへ追い払うのかは、あの子次第ね」

 

 シンギョクが、霊夢の横顔を見た。

 

「門番と同じことを言うのね」

「何がよ」

「通るか戻るかは、通る者が決めること。門は、決めるまでの間を守るだけ」

 

 霊夢は鼻を鳴らした。

 

「私は門じゃないわよ」

 

――その時、頭の上から影が差した。

 同時に風が上から叩きつけて来る。台地の枯れ草が一斉に舞い上がり、リリーの帽子が飛びかける。霊夢が咄嗟にリリーの肩を掴み、岩陰へ引き込んだ。

 見上げると、蒼い翼が空を覆っていた。

 リオレウス亜種が、台地の真上で羽ばたいている。翼を大きく打ち下ろすたびに、風が地面を叩く。緑の翼膜が陽を透かし、蒼い甲殻の縁が金属のように光った。両脚の爪が、ゆっくりと開き、閉じる。

 蒼火竜は、巣を見下ろしていた。

 それから、巣の傍に居る三人を見た。

 

〈グォオオオオオオオッ!!〉

 

――咆哮が崖の上を震わせる。

 霊夢は耳当てを押し込み、リリーを背に庇った。シンギョクは盾斧の盾を前に構え、咆哮の圧を盾の面で受け止める。

 蒼火竜の口の端から炎が漏れた。

 

「――来るわよ!」

 

 霊夢の叫びと同時に、空から火球が降ってきた。

 一つ、二つ。地面に当たって弾け、炎が岩盤の上を舐める。霊夢はリリーを抱えて横へ転がった。シンギョクは盾を斜めに構え、火球の一つを盾の縁で受け流す。弾けた炎が盾の鉄を舐め、シンギョクの袖の端を焦がした。

 蒼火竜は降りてこない。

 台地の上を、低く輪を描いて飛ぶ。巣の上に影を落としながら、隙を窺うように三人を見下ろしている。

 

――空から降りてこないつもりだ。

 

 また一つ、火球が降ってきた。

 霊夢は懐から御札を二枚抜き、宙へ放った。札が淡く光って薄い壁を作り、火球がその壁にぶつかって向きを変える。逸れた火球は台地の縁の松に当たり、枝を一本、炎ごと崖の下へ叩き落とした。壁は、それだけで砕けて消えた。

 

――止めるのではなく、逸らす。それで精一杯だ。

 蒼火竜は、高さを変えながら飛び続けている。霊夢達の真上へは来ない。巣の上で輪を描き、時々、巣に近付いた者へ向けて火球を吐く。

 

「――巣を守ってるのね」

 

 シンギョクが、盾を構えたまま言った。

 

「番も居ない、空っぽの巣を」

 

 霊夢は唇を噛み、リリーを岩陰に下ろした。

 

「リリー、ここに居て。動かないで」

 

 リリーは、笛を抱えたまま首を振った。

 

「……吹けます」

「春じゃないでしょ」

「半分なら、吹けます」

 

 霊夢はリリーの顔を見た。それから、短く頷いた。

 

「――無理はしないで。息が切れたら、すぐやめること」

 

 霊夢は懐から[閃光玉]を一つ取り出した。空を飛ぶ竜を地に落とすなら、これしかない。

 問題は、空の上の竜の目の前にどうやって投げ込むかだった。

 リリーが、岩陰から一歩踏み出した。

 桜色の狩猟笛を両手で構え、吹き口に唇を当てる。息を吸い込み――吹いた。

 低く、柔らかな音が流れた。

 春の盛りの、花びらが舞うような響きではない。息は細く、音はところどころ途切れる。それでも、旋律は崖の上の風に乗って、霊夢とシンギョクの背中に届いた。

 霊夢は自分の足が軽くなるのを感じた。

 

――効果量は半分だけの、春の旋律。

 霊夢は地を蹴った。

 フワリと宙へ浮き、蒼火竜の描く輪の内側へ飛び込む。空は飛竜の縄張りだ。高く飛べば、真っ先に狙われる。それを承知の上で、霊夢は蒼火竜と同じ高さまで上がった。

 蒼火竜の首が、霊夢の方へ向いた。

 口の端の炎が、膨れ上がる。

 

――今。

 

 霊夢は[閃光玉]を、蒼火竜の顔の真ん前へ投げた。

 同時に、自分は目を瞑り、体を真下へ落とした。

 瞼の裏が、真っ白に灼けた。

 

〈ギャオォォッ!?〉

 

 悲鳴のような声と、翼が空を叩く乱れた音。霊夢が目を開けると、蒼火竜が宙でもがいていた。目を焼かれ、翼の打ち方が乱れ、体が傾いでいく。そのまま、台地の上へ落ちてきた。

 岩盤がズシンと鳴る。

 蒼火竜は横倒しに落ち、翼をばたつかせて起き上がろうとしている。目は閉じたまま、首を振り回していた。

 霊夢は着地しざまに、背の太刀を抜いた。

 その脇を、シンギョクが駆け抜けた。

 鉄の盾斧の剣で、蒼火竜の脚を斬りつける。一太刀、二太刀。斬るたびに、剣から盾へ力が流れ込み、盾の中のビンが鈍く光った。剣で斬って溜めた力を、盾に込めていく。

 蒼火竜が目を閉じたまま尾を振り回す。

 シンギョクは盾を構えて受ける。重い尾が盾を叩き、シンギョクの体が半歩下がった。だが、崩れない。受けた瞬間に、剣で尾の付け根を斬り返した。

 

――門番は先に斬らない。受けた瞬間に、斬り返す。

 

 霊夢は蒼火竜の頭の側へ回り込み、太刀で首筋を斬った。蒼い甲殻は硬く、刃が滑る。それでも、甲殻と甲殻の継ぎ目に刃が食い込み、鱗が何枚か剥がれ落ちた。

 蒼火竜が、目を開けた。

 焼けた目で、霊夢を睨む。前脚の代わりの翼を突いて体を起こし、首を大きく引いた。

 

「霊夢、下がって!」

 

 シンギョクの声が飛んだ。

 霊夢が跳び退いた瞬間、蒼火竜が地面を蹴って跳び上がった。

 跳び上がりざまに、体を縦にグルリと回す。後ろ脚の鋭い爪が、宙に弧を描いて振り下ろされた。爪の先から、紫がかった液が飛沫になって散る。

――毒の爪だ。

 爪は霊夢の鼻先を掠め、岩盤を抉った。飛び散った毒の飛沫が、霊夢の袖に一滴かかり、白い布がジュッと黒ずむ。

 

「――っ!」

 

 霊夢は袖を払い、さらに跳び退いた。

 蒼火竜は宙で羽ばたき、また台地の上に浮き上がった。目は完全に開いている。閃光の効き目が切れたのだ。

 口の端から、炎が溢れ出している。息を吐くたびに、黒い煙が混じっていた。――怒り状態だ。

 

「……空に戻られたわね」

「えぇ。なら、もう一度落とせばいい」

 

 シンギョクは盾斧を構え直した。盾の中のビンが、さっきより強く光っている。

 シンギョクは、ひと呼吸、目を閉じた。

 その一瞬、シンギョクの体の輪郭が揺らいだ。

 ユラリと、陽炎のように。次の瞬間、霊夢の隣に立っていたのは、もう少女ではなかった。

 

――烏帽子を被った、陰陽師風の男だった。

 背丈も肩幅も、先程までの女の姿より一回り大きい。防具の紐が、男の体に合わせてきつく張っている。男は盾斧を一振りし、盾と剣を合わせた。ガチリ、と金具の噛み合う音がして、盾斧が大きな斧の形に変わる。

 

「――よし。斧で行く。霊夢、あれを地へ落とす手立てを、もう一つ考えろ。[閃光玉]は二度目以降は効きが悪い。目を慣らすだけだ。それに、あれは今怒っている。怒った竜は、地へ降りる回数が増える。つまり、降りた所を狙えばいい」

「早口ね。……つくづく、さっきと同じ存在とは思えないわね」

「我らは同じだ。中身は一つ、記憶も同じ。性別など些事――来るぞ」

 

 蒼火竜が空から突っ込んできた。

 翼を畳み、真っ直ぐに急降下してくる。狙いは、斧を構えたシンギョク。毒の爪を前へ突き出し、獲物を掴み取ろうとするように。

 シンギョクは――動かなかった。

 斧を肩に担ぎ、爪が届く寸前まで待つ。そして――爪が触れる刹那、半歩だけ横へ踏み込み、斧の刃を下から振り上げた。

 ガギン――と鈍い音がした。

 斧の刃が、蒼火竜の脚の付け根を打つ。蒼火竜の体が宙で傾き、爪がシンギョクの肩を掠めて岩盤に突き刺さった。勢いのまま、蒼火竜は台地の上を転がる。

 シンギョクが、斧を振りかぶった。

 盾の中のビンが、眩しいほどに光っている。剣で溜めた力のすべてを、斧の刃へ流し込む。

 

「――解き放つ!はぁぁっ!!」

 

 気を吐いて斧を振り下ろす。

 刃が蒼火竜の背に食い込んだ瞬間、溜め込んだ力が一気に弾けた。属性解放斬り*3だ。

 

――ドォン!

〈ギャオォォッ!?〉

 

 炎の帯が蒼火竜の背で弾けた。

 蒼い甲殻が割れ、破片が台地に散る。蒼火竜が悲鳴を上げ、翼をばたつかせて跳ね起きた。

 そのまま蒼火竜は――空へ逃げた。

 翼を必死に打ち、台地から離れていく。崖の縁を越え、博麗原野の上へ。片方の脚を、だらりと垂らしたまま。北西の空へ。霧の湖の方へ。

 

 霊夢は太刀を下ろした。

 シンギョクも斧を下ろし、肩で息を吐く。肩当てが毒の爪に裂かれ、その下の布が黒く滲んでいた。

 

「……撃退、ね」

 

 霊夢は呟いた。

 岩陰で、リリーが笛を下ろしていた。息が切れて、肩が大きく上下している。それでも、目は蒼い影が消えた空の一点を見つめていた。

 

「――帰ってきます」

 

 リリーが小さく言った。

 

「あの子、また帰ってきます。巣が、ここにあるから」

 


~博麗神社 本殿裏 祠の前~

 

――昼過ぎ、玄爺が空から戻ってきた。

 甲羅に括り付けた文箱を霊夢が開けると、慧音の几帳面な字の書き付けが一枚入っていた。

 

――『撃退を確認した。ただし、巣を残したまま追い払ったモンスターは、まず戻る。戻ってきた場合は区分を討伐に改める。祠の門と参道を守ることを優先せよ。――上白沢慧音』

 

「……やっぱり、そうなるわよね」

 

 霊夢は書き付けを畳んだ。

 縁側の端では、男の姿のままのシンギョクが、裂けた肩当ての下の傷に[解毒薬]を塗っていた。傷は浅いが、毒で周りが紫に腫れている。

 

「巣を壊せば、戻ってこないかもしれないわね」

 

 霊夢が言うと、シンギョクは首を振った。

 

「巣を壊しても、あれは戻るだろう。巣のためではない。――あの崖の上が、あれの選んだ縄張りだからだ。雄の火竜は空から縄張りを見張り、入る者を追い払う。追い払われたのは、こちらの方だと思っている」

「じゃあ、どうするのよ」

「戻ってきたら、狩る――慧音の言うとおりだ」

 

 シンギョクは、薬の壺の蓋を閉めた。

 

「門番は先に斬らない。だが、門そのものが危うい時は斬る。あれが参道に降りれば、次は人が死ぬ」

 

 霊夢は、黙って空を見上げた。

 それから、シンギョクの方へ向き直った。

 

「で、あんた。今は男の方だけど、夕方までに女の方へ戻れるの?」

「戻れない」

 

 シンギョクは、あっさりと言った。

 

「姿を変えるのは、一日に何度もできることではない。変わる瞬間は、ひと呼吸だけ隙ができる。体も重くなる。今日は既に一度、変わったばかりだ。夕方にもう一度変われば――明日は無力な玉のまま転がるしかなくなる」

「玉のまま、って……」

「冗談だ」

「……あんたの冗談、分かりにくいのよ」

 

 霊夢は額を押さえた。

 シンギョクは、借り物の盾斧を膝の上に置き、盾の縁の焦げを指でなぞった。昼間の火球を受け流した跡だ。鉄が黒く煤け、ところどころ熱で歪んでいる。

 

「この盾は、あと二、三度なら火球を受けられる。それより多く受ければ、割れる」

「なら、受けさせなきゃいいわ。空から火球を撃たせる前に、地へ降ろす」

「どうやって降ろす?」

「降りてくる場所は、分かってるでしょ」

 

 霊夢は、祠の方を顎で示した。

 

「あの子は、あんたが扉から出てくるのを侵入者だと思って襲う。巣の真下だから。――なら、あんたが扉の前に立ってれば、向こうから降りてくるわよ」

 

 シンギョクは、しばらく霊夢の顔を見ていた。

 

「……私を囮にするのか」

「門番でしょ。門の前に立つのが仕事じゃない」

「――ふむ。理屈は通っている」

 

 シンギョクは、借り物の盾斧を背中に担ぎ直した。

 縁側の柱にもたれて、リリーが眠っていた。笛を胸に抱いたまま、小さな寝息を立てている。半分の春の旋律を吹いただけで、力を使い果たしたのだ。

 霊夢は、自分の羽織を一枚、リリーの肩に掛けた。

 リリーが、うっすらと目を開けた。

 

「……霊夢さん」

「起こしちゃったわね。寝てていいわよ」

「……あの子のこと、話してもいいですか」

 

 霊夢は、リリーの隣に腰を下ろした。

 リリーは、途切れ途切れに話した。

 

――早春、まだ雪の残る『霧の湖』の北の崖で、桜色の雌火竜が巣を作り始めた。リリーが最初に気付いて会館へ知らせ、街道が閉じられ、上位のハンター達が集められた。巣ごと移らせようと撃退を試みたが果たせず、雌火竜は討伐された。卵は生態研究室に引き取られた。

 その狩りの日、空の高い所にはもう一つの影があった。

 

「蒼い子が、上から見てました。降りてこなかった。ずっと、ずっと、上で回ってて……」

 

 リリーは、笛の胴をきつく抱いた。

 

「あの日から、春の間ずっと、湖の北の崖の上を回ってました。桜が散っても。私が、春の終わりで眠くなっても」

「……それで、追いかけてきたの?」

「北の崖から、居なくなったから。どこへ行ったのか、知りたくて」

 

 リリーは、霊夢を見上げた。

 

「私が、最初に知らせたんです。桜色の子の巣のこと。――私が知らせなかったら、あの子達は、今も一緒に居たのかなって」

 

 霊夢はすぐには答えなかった。

 しばらく黙って空を見上げ、それから言った。

 

「知らせなかったら、街道を通った誰かが襲われてたわよ。卵を抱えた雌火竜は、近付くもの全部を襲うんだから」

「……はい」

「だから、あんたが知らせたのは間違いじゃない。――間違いじゃないけど、それであんたの気が晴れるわけでもないのよね」

 

 リリーは、何も言わなかった。

 霊夢はリリーの帽子を、上から軽く押さえた。

 

「寝てなさい。夕方には、多分、また吹いてもらうことになるから」

 

――夕暮れ。シンギョクは、祠の扉の前に立っていた。

 割れた石畳を掃き清め、倒れかけた石灯籠を起こし、扉の五歩前で、扉を背にして盾斧を地に立てている。男の姿のまま、烏帽子の縁を夕陽に染めて、じっと北西の空を見ていた。

 霊夢は、石段の途中の岩陰に身を伏せていた。太刀の柄に手を掛け、息を殺している。リリーは本殿の縁側で、玄爺の甲羅の陰に寝かせてあった。

 

「……来ないわね」

「来る」

 

 シンギョクは、空から目を離さずに言った。

 

「日が沈む前に。火竜は夜目が利かない。暗くなる前に、塒へ戻る」

 

――その言葉どおり、蒼い影は戻ってきた。

 

 北西の空から、片方の脚を垂らしたまま、ゆっくりと飛んでくる。翼の打ち方が重い。背の割れた甲殻から、時々、黒い煙が漏れている。

 蒼火竜は、崖の上の巣へは降りなかった。

 崖の上を一度回り、真下の祠の前に立つ烏帽子の男を見下ろした。巣の真下に立つ、侵入者を。

 蒼火竜は翼を畳み、真っ直ぐに降りてきた。

 石畳が割れ、起こしたばかりの石灯籠が、また倒れる。蒼火竜はシンギョクの十歩先に降り立ち、首を低く下げた。口の端から炎が溢れ、喉の奥で低い唸りが続いている。

 

〈グルルルル……〉

 

――扉の前を、自分の場所にしようとしている。

 門番の居場所を奪い、門の前で翼を広げている。

 シンギョクは、盾を前に構えた。

 

「――そこは、世界を隔てる門の前だ」

 

 シンギョクの声は、低く静かだった。

 

「通る者が選ぶ場所だ。お前の巣にしていい場所ではない」

 

〈グォオオオオオオッ!!〉

 

 咆哮と同時に、蒼火竜は低く跳んだ。翼を半ば広げ、毒の爪を前に突き出して、シンギョクへ飛びかかる。

 シンギョクは盾で受けた。

 爪が盾の鉄を掻き、火花が散る。シンギョクの足が石畳を削って下がる。一歩、二歩。背の扉まで、あと三歩。そこで――シンギョクは止まった。

 

「――霊夢!」

「分かってる!」

 

 霊夢は蒼火竜の側面へ回り込んだ。

 背の割れた甲殻。昼間、シンギョクの斧が叩き割った傷だ。黒い煙が、そこから漏れている。

 

――狙うのは、背の傷。

 

 霊夢は地を蹴り、フワリと浮いた。蒼火竜の背の高さまで上がり、太刀を大上段に振りかぶる。刀身の薄紅の縁から、泡が幾つも散った。

 浮いたまま――斬り下ろした。太刀の刃が、割れた甲殻の隙間へ深く入る。

 

〈ギャアアッ!〉

 

 蒼火竜の体が、大きく仰け反った。

 翼をばたつかせ、首を振り回し、尾を薙ぐ。霊夢は太刀を引き抜いて跳び退いた。尾が霊夢の足元の石畳を叩き割る。

 

――その時、本殿の方から、細い笛の音が流れてきた。

 霊夢が振り返ると、石段の一番上にリリーが立っていた。玄爺の甲羅に寄りかかるようにして、桜色の笛を構えている。羽織を肩に掛けたまま、頬は白く、息は昼より更に細い。

 

「リリー!本殿に居なさいって――」

 

――吹けます!まだ……!

 

 リリーは笛から唇を離さずに、目だけで答えた。

 旋律が祠の前の石畳に降りてくる。途切れ途切れの、半分の春の旋律。それでも霊夢の体に、ほんの少しだけ力が戻った。毒の爪に掠められたシンギョクの肩の腫れが、僅かに引いていくのが見えた。

 玄爺が、甲羅の上からのんびりと言った。

 

「御主人様。この子は止めても聞きませぬ。儂が傍に居ります故、どうぞ前を」

「……分かったわよ」

 

 シンギョクが盾を構えたまま踏み込んだ。

 剣で脚を斬る。昼間の傷が開き、蒼火竜の体が傾ぐ。もう一太刀。蒼火竜の片脚が、崩れた。

 蒼火竜は翼を突いて体を支えた。

 口から炎が漏れる。だが、火球を吐く力はもう残っていなかった。炎は口の端で燻り、煙だけが上がる。

 霊夢は太刀を構えた。

 蒼火竜の首が、ゆっくりと霊夢の方を向く。焼けた目が、霊夢を見た。それから、霊夢の肩越しに空を見上げる。

 北西の空。夕焼けの赤が、霧の湖の方へ沈んでいく。

 蒼火竜の喉の奥で、小さな声が鳴った。

 

〈グォ……ォォ……〉

 

 何かを――番を呼ぶような声だった。

 霊夢は瞑目し――目を開くと太刀を振り下ろした。

 

――蒼い火竜は、祠の前の石畳に静かに伏した。

 


~博麗神社 本殿裏の崖 上の縁~

 

――夜。崖の上の巣の傍に、小さな白い影が座っていた。

 リリーだった。笛を膝の上に置き、巣の縁に差した野茨の枝を見つめている。白い花は、夕方と同じまま咲いていた。

 霊夢は、少し離れた岩に腰を下ろした。

 

「……リリー」

 

 リリーは振り返らなかった。

 

「あの子、北西の空を見てました。最期まで」

「えぇ」

「あっちに、桜色の子が居たから」

 

 リリーは、膝の上の笛を撫でた。桜色の甲殻が、月明かりの下で淡く光っている。

 

「――吹いても、いいですか」

「……好きにしなさい」

 

 リリーは笛を構え、吹き口に唇を当てた。

 細い音が夜の崖の上に流れた。

 息は昼よりもっと細く、旋律は途切れ途切れだった。春の歌でも、狩りの旋律でもない。ただ、誰かを呼ぶような、短い節を何度も繰り返す。

 

 霊夢は黙ってそれを聞いていた。

 石段の方から、足音が近付いてきた。シンギョクだった。男の姿のまま、烏帽子を脱いで小脇に抱え、もう片方の腕に蒼い甲殻の欠片を幾つか抱えていた。

 

「剥ぎ取りは終わった。素材は会館へ届ける。慧音の判断で、一部は私とリリーに回るそうだ」

「……あんた、それで盾斧を作るの?」

「あぁ。小傘の工房に頼む。借り物は返さねばならん。全体が焦げて歪んでいるがな。これでは一から造る方が安いだろう」

 

 シンギョクは甲殻の欠片を一枚、月に翳す。空の色の甲殻の縁に、緑の翼膜が少しだけ付いていた。

 

「『出会った者の運命を変える』――か」

「言い伝えのこと?」

「あぁ。私の運命は、盾が一枚変わる程度で済んだ。あれの運命は、桜色の番を失った春に、とうに変わっていた」

 

 シンギョクは甲殻を胸に抱えた。

 

「門の前を選んだのだな。あれは」

「祠の扉の前に降りたこと?」

「あぁ。崖の上の巣ではなく、門の前に。……門は、選ぶまでの間を守るだけだ。行き先を決めるのは、通る者の方だ。――だが、あれには、もう行き先が無かった」

 

 霊夢は、何も言わずに夜空を見上げた。

 門番の言うことは、いつも少し回りくどい。それでも今夜は、その回りくどさが、少しだけありがたかった。

 

 リリーの笛の音が、ふっと途切れた。

 息が切れたのだろう。リリーは笛を膝に置き、巣の縁の野茨の枝に、そっと指で触れた。

 その時――白い花の隣で、小さな蕾が一つ、ほんの少しだけ綻んだ。

 

 リリーが、目を瞬いた。

 霊夢も、シンギョクも、何も言わなかった。

 

――初夏の夜風が、崖の上を吹き抜けていく。北西の空には、星が一つ、二つと瞬き始めていた。

 

*1:
サラが守る扉とは別ルート

*2:
飛竜種の大型モンスター。火竜リオレウスの亜種で、蒼い甲殻と緑の翼膜を持つ。原種より空を飛ぶことが多く、目撃例は少ない。

*3:
チャージアックスを斧に変え、ビンに溜めた力を刃から一気に解き放つ大技。




『シンギョク』
所属:人里ギルド(博麗神社の祠の傍に住む)
役職:『分かれ門』の門番。当番と報告の取りまとめ役
武器:工房から借りた鉄の盾斧(チャージアックス)

『リリーホワイト』
所属:人里ギルド
役職:春を告げる妖精のハンター。季節によって受けられる依頼の重さが変わる
武器:桜火笛『春告げ』(狩猟笛)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。