東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~ 作:幻想入りしたガンサー
~玄武の沢 河童の工房~
――バチン、と工房の奥で金物が弾けた。
小さな鉄の輪が宙を跳ね、天井の梁に当たって土間に落ちる。コロコロと転がった先で、茶色の毛並みのアイルーが前脚でそれを押さえた。前掛けには油の染み、耳の先は焦げて縮れている。にとりのオトモ、ネジだ。
「にとりさん。また折れたニャ」
「……見れば分かるよ」
作業台の前で、にとりが額の汗を拭った。
『玄武の沢』の岸辺に建つ工房。沢の水を引いた水車が壁の外でゴトゴトと回り、その力で土間の奥の砥ぎ車と鞴が動いている。壁一面に工具が掛かり、棚には歯車や発条や、用途の分からない部品がぎっしりと詰め込まれていた。
作業台の上には、太い筒を何本も束ねたような無骨なヘビィボウガンが一挺、銃身を開いたまま寝かせてある。にとりの試製重弩『玄武工廠式・河童筒』だ。ただ、今朝のそれは見るたびに少しずつ違う姿の中でも、一段と様子が違っていた。銃身の付け根に、真鍮の箱が一つ、無理やり押し込むように取り付けられている。箱の中では、細い発条と歯車が幾重にも噛み合っていた。
「引き金を引いてる間は、弾が途切れずに出る。――理屈の上では、ね」
にとりは独り言のように呟き、真鍮の箱の蓋を指で叩いた。
ヘビィボウガンには、[機関竜弾*1]というカスタム方式がある。引き金を引き続けるかぎり、雨のように弾を浴びせ続ける。その代わり、撃っている間は銃身が暴れ、足を踏ん張っていなければ自分ごと後ろへ持っていかれる。山の工房でも、偶然流れてきた外の世界の古い図面の切れ端と、よその土地のハンターの話から、仕組みの見当を付けている最中だった。
にとりの見立てでは、肝心なのは発条だった。弾を一発ずつ送り込む腕を、休まず押し戻し続ける発条。それが鉄ではもたない。三十発も撃たないうちに、熱を持って伸び、最後には今のように弾け飛ぶ。
工房の裏手の岸辺には、沢の大岩を的にした試し撃ちの場がある。岩の表には、この半月でにとりが撃ち込んだ弾の跡が、蜂の巣のように散らばっていた。十発で止まった跡。二十発で止まった跡。一番長く続いた弾の列でも、二十九発目で途切れている。どの日も、最後は今朝と同じように、真鍮の箱の中で発条が弾ける音で終わった。
「鉄じゃ駄目だ。もっと粘りのある金物じゃないと」
「じゃあ、どうするニャ?」
「たかねに頼んである。虹龍洞から上がった石で打った、とびきりのやつをね。今朝届く筈なんだけど……」
――工房の戸が、勢いよく開いた。
「よう、にとり!邪魔するぜ!」
朝の光を背負って、大きな黒い魔女帽子が戸口に立っていた。魔理沙だ。背には継ぎ足しだらけのヘビィボウガンを負い、足元にはオトモのクスネが、前脚を後ろ手に組んで澄まし顔で控えている。
「……魔理沙。邪魔するなら、せめて戸を閉めてからにしてよ」
「固いこと言うなって、盟友。――で、聞いたぜ。河童の工房で、引き金を引いてる間中弾が止まらないヘビィボウガンを作ってるってな」
にとりの手が、真鍮の箱の上で止まった。
「……誰に聞いたのさ」
「山の天狗の新聞屋さ。会所の待合で、誰かが話してたってな」
「文か。……いや、あいつは書かないか。はたてか、典か」
「出所なんかどうでもいいだろ。――その仕組み、私の『
魔理沙は背のヘビィボウガンを下ろし、作業台の端に置いた。銃身、弾倉、照準器。どれも出どころの違う素材を継ぎ足した、色もばらばらな得物だ。銃床の脇には、小さな八卦炉が嵌め込んである。
にとりは、それを横目で見て眉を寄せた。
「付けられるわけないだろ。まだ試してもいないんだ。三十発で発条が弾け飛ぶ代物を、人様の得物に付けられるもんか」
「三十発撃てりゃ、十分だぜ」
「十分じゃない!試作品っていうのはね――」
にとりが言いかけた時、作業台の端で、カチャリと小さな音がした。
クスネが、いつの間にか作業台に登っていた。棚から転がり落ちた発条の一本を、前脚でそっと自分の袋に仕舞い込もうとしている。
「……クスネ」
「借りてるだけ、ニャ」
「それは――」
「返せニャー!」
にとりが叫ぶより早く、ネジがクスネの尻尾に飛び付いていた。茶色のアイルーと黒いメラルーが作業台の上で揉み合い、工具が一本、二本と土間へ落ちる。魔理沙はそれを見て、愉快そうに笑った。
「――毎度!『山童商隊』だよ!河童の工房は、朝から賑やかだねぇ」
開いたままの戸口に、もう一つ影が差した。
緑の迷彩柄の帽子を目深に被り、同じ柄の作業着の袖をまくっている。緑の髪を肩の辺りで揃え、胸元には鍵の形の飾り。その紐が、腰の茶色い横長の鞄に繋がっていた。にとりと似た作りの服を、森の色に染め直したような出で立ちだ。戸口の外には荷車が一台停まっていて、筵を掛けた荷が山のように積んである。
山の品を幻想郷中へ運ぶ『山童商隊』の頭にして、商売上手な山童――『山城たかね』だ。
「たかね、遅いよ!――頼んでたやつは?」
「挨拶より先に品物の話とは、
たかねは鞄の留め金を外し、油紙に包んだ小さな包みを取り出した。作業台の上で包みを開くと、細く巻かれた発条が一本、窓からの光を受けて青く鈍く光った。
鉄の発条とは色が違う。表に、細かな青い斑が浮いている。
「――『虹龍洞』から上がった[カブレライト鉱石*2]を、山童の鍛冶場で打ち延ばしたやつだよ。鉄の倍は粘る。熱を持っても伸びない。――ただし、一本きり」
「……一本?予備含めて三本頼んだ筈だよ」
「坑道の奥の、良質な石が出る筋が崩れてね。百々世の親分が掘り直してるとこさ。それに北の尾根の道も、この前の風の倒木で止まってる。今月はこれでおしまい」
にとりは発条を摘まみ上げ、目の高さに掲げて巻きを確かめた。指で押し、離す。発条はピンと元の形に戻り、少しも癖が付かない。にとりの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
――その横から、魔理沙が身を乗り出した。
「――おい、たかね。それ、いくらだ?」
「……これはにとりの注文の品だよ、魔理沙」
「注文の品ってことは、まだ代金は払ってないんだろ?なら、私が倍出すぜ」
「ちょっと!横から何言ってるのさ!」
にとりが発条を胸に抱え込む。たかねは二人の顔を見比べ、それから鞄から帳面を取り出して、パラパラと頁をめくった。
「……倍、ねぇ。――魔理沙、先月の弾薬の材料代、まだ半分しか貰ってないんだけど」
「あれは借りてるだけだぜ」
「うちは貸し出しはやってないよ。売るか、売らないか。それだけ」
たかねは帳面を閉じ、作業台の縁に腰を預けた。にとりと魔理沙と、一本きりの発条とを順に見る。商人の目だった。値の付く物を前にして、いちばん高く、いちばん長く売れる道筋を探している目だ。
河童が『作れるか』を考えるなら、山童は『どこへ、いくらで、どう運ぶか』を考える。にとりとたかねは、互いの仕事が無ければどちらの商売も回らない間柄で、だからこそ顔を合わせれば必ず一揉めする。
「――よし。こうしよう」
たかねは指を一本立てた。
「実は、もう一つ困り事があってね。沢の上の雑木林を抜ける商隊の荷道に、三日前から厄介なのが出てる。荷車の干し柿を食い荒らして、荷運びの子が一人、毒を浴びて寝込んだ。会所に依頼を出すつもりだったんだけど――」
「ハンターなら、ここに二人居るってわけか」
「話が早いねぇ。追い払ってくれたら、運び賃の分は値を引いてあげるよ。にとりはそこで、その仕組みを試せばいい。試しの相手が見付からないって、前に愚痴ってたでしょ?」
「……愚痴ってないよ」
「言ってたよ。胡瓜を齧りながら」
にとりは何も言い返せず、口を尖らせた。たかねは構わずに続ける。
「試してみて、使い物になったら、発条はにとりの注文通りに納める。使い物にならなかったら――その時は魔理沙に売る。もちろん、現金でね」
「乗った!」
「乗らないでよ!」
にとりは叫び、それから真鍮の箱と発条とを見比べた。試作品は、試さなければ試作品のままだ。試すのはハンターの仕事で、今日のハンターは自分しか居ない。
「……分かったよ。乗る。その代わり、私の河童筒が三十発より先まで撃てたら、魔理沙は文句を言わないこと」
「撃てたらな」
「撃てるとも!――ネジ、荷造り!」
「了解ニャ。……爆弾は、何個持っていくニャ?」
「今日は要らない」
「一個も、ダメニャ?」
「一個もダメ」
ネジの焦げた耳が、しょんぼりと垂れた。クスネはその隙に、たかねの荷車の筵の端を、そっと持ち上げようとしていた。たかねは振り返りもせずに、荷車の縁をトンと叩いた。
「そこの泥棒猫。荷に触ったら、その分も魔理沙の帳面に付けとくよ」
「……触ってないニャ。見てただけ、ニャ」
背に負った細身のライトボウガンが、たかねの肩でカタリと鳴った。
――山童軽弩『森気行商』。『天狗獣:ビシュテンゴ』の青緑の羽毛を銃身に重ね貼りした、旅の荷を邪魔しない軽い弩だ。銃口の脇には赤い天狗の鼻のような飾りが突き出し、銃床には尾羽が扇のように畳んである。商隊の荷を守るための、自衛の得物だった。
~玄武の沢の上 山童商隊の荷道~
――沢沿いの道を半刻ほど上ると、荷道は雑木林へ入っていく。
楢と山桜と、ところどころに柿の木が混じる明るい林だ。秋の日差しが黄色く染まった葉を透かして、荷車の轍の上に斑な影を落としている。道の脇には山葡萄の蔓が木々に絡み、黒紫の房がたわわに垂れていた。胡桃の木も多い。落ちた実が、荷車の車輪に踏まれて道の上で割れている。
たかねの荷車は、道の凸凹を知り尽くした車輪の音で、ゴトゴトと規則正しく進んでいく。荷車の轍は二本の浅い溝になって、何年分もの往き来を土に刻んでいた。たかねは歩きながら、道端の木の一本一本を顎で示して、どの木の実がいつ熟れるか、どの曲がり角で荷が崩れやすいかを、聞かれもしないのに喋った。商隊の頭にとって、この道は帳面と同じくらい大事な商売道具なのだ。
北の尾根の道が、この前の風の倒木で塞がっている。だから今月は、山の北側へ回る荷も、全部この沢の上の道に集まっていた。荷道が一本止まれば、山の品の半分が止まる。たかねが自分で依頼の話を持ち出したのは、そのためでもあった。
山童の商隊が、山の幸を運ぶために長い年月をかけて踏み固めた道だった。干し柿も、山葡萄も、胡桃も、秋のこの道は荷の宝庫だ。
――その宝庫が、荒らされていた。
「……酷いもんだね」
たかねが荷車を止め、道の先を見て呟いた。
――道の真ん中に、別の荷車が一台、横倒しになっていた。荷台の筵が剥がれ、積んであった干し柿の連が地面に散らばっている。干し柿は、一つ残らず喰い荒らされていた。吊るし紐だけが、地面の上で蛇の抜け殻のように伸びている。
にとりと魔理沙が先に立ち、ネジとクスネがその後に続く。たかねは荷車の番に、自分の荷車の車輪に輪止めを噛ませてから歩き出した。
荷車を引いていたのは、商隊に入って二年目の若い山童だという。毒を浴びた腕が赤く腫れ、熱を出して、今は沢の下の山童の小屋で寝ている。たまたま山道を回っていた永遠亭の薬売りの兎が置いていった薬で、腫れは引き始めたらしい。
「命に別状はないけど、あの子はしばらくは荷を引けないよ。……秋の稼ぎ時だってのにね」
たかねは淡々と言った。だが帳面を握る指先に、少しだけ力が入っていた。
「寝込んだ荷運びの子は、この荷車を引いてた子だよ。夕方にここを通ったら、木の上から紫の霧みたいなのを吐き掛けられたって。気付いたら荷車ごと倒されてて、干し柿が無くなってた」
「紫の霧、か」
魔理沙が帽子の鍔を押し上げ、倒れた荷車の脇にしゃがみ込んだ。
荷台の板の上に、紫色の染みが点々と残っていた。乾いて固まっているが、顔を近付けると、ツンと鼻を刺す甘酸っぱい匂いがする。熟れすぎた葡萄を潰したような匂いの奥に、舌が痺れそうな苦みが混じっていた。
「……毒だな。キノコの毒とは違う。果物の匂いがする毒だ」
「果物?」
「――山葡萄だ。山葡萄を潰して、何か別の苦い汁と混ぜたみたいな匂いだぜ」
キノコと毒にかけては、魔法の森で暮らす魔理沙の鼻の方が利く。にとりは巻尺と手袋を取り出し、荷車の周りの地面を調べ始めた。
足跡は、すぐに見付かった。
荷車の脇の柔らかい土に、三本の太い指が前へ開いた跡が並んでいる。指の先には鋭い爪の穴。鳥の足跡を、うんと大きくしたような形だ。にとりが巻尺を当てると、指先から踵までが、にとりの肘から指先ほどもあった。
「二本足で歩く鳥竜の足跡だね。大きさからすると、小型じゃない」
「ランポスの親分みたいなやつか?」
「いや、歩幅が狭い。ドスランポスなら、もっと大股で跳ねるように歩くよ。これは、のそのそ歩いてる」
――その時、ネジが頭上を指差した。
「にとりさん。あの木、皮が剥けてるニャ」
道の脇の柿の木だった。人の背丈の倍ほどの高さまで、幹の皮が何か所も、細長く削り取られている。削り跡は一本の溝ではなく、濡れた布で何度も擦ったように、表面だけが薄く剥がれていた。
にとりは幹に手を当て、一番低い削り跡を指でなぞった。指先が、ヌルリと滑る。
「……濡れてる。唾だね、これ」
「唾?木を舐めたってのか?」
「舐めたんじゃない。巻き付けたんだ。――ほら、ここ」
にとりが指したのは、柿の木の高い枝だった。実の付いていた枝先が、何本も無理やり引き下ろされたように折れて垂れ下がっている。折れた枝の付け根にも、ヌルヌルとした削り跡が輪になって残っていた。
長い何かを枝に巻き付け、ぐいと引き寄せて、実ごと毟り取ったのだ。
「舌、だね。長い舌で、手の届かない枝から実を取ってる」
魔理沙が口笛を吹いた。たかねは黙って、柿の木の根元を見下ろしている。
根元には、鳥の羽根が一枚落ちていた。たかねはそれを拾い上げ、日に透かした。黄緑色の、柔らかい羽毛だ。羽の根元だけが、紫がかっている。
「……毛がある鳥竜なんて、そう多くないよ。うちの商隊で、この羽根を一度だけ扱ったことがある。森の奥に棲むモンスターの羽毛だってことで、高値で売れた」
柿の木から少し離れた藪の陰に、糞が落ちていた。にとりは木の枝で突いて崩してみる。中から出てきたのは、山葡萄の種と、柿の種と、砕けたドングリの殻ばかりだった。肉や骨の欠片は一つも無い。
――獲物を襲って喰う竜ではない。木の実だけを食べて、ここまで太った竜だ。
糞の表面はまだ湿っていて、蝿もたかっていない。今朝か、せいぜい昨夜のものだ。
――クスネが、鼻をひくつかせた。
黒い鼻先を地面すれすれに這わせ、荷道を少し先まで進んで、胡桃の木の下で止まる。前脚で落ち葉を掻き分けると、割れた胡桃の殻が山のように出てきた。
殻は、車輪に踏まれて割れたものではなかった。内側から弾けたように、縁がギザギザに裂けている。中身は綺麗に無くなっていた。
「……胡桃、いっぱい食べてるニャ。殻ごと呑んで、中で割って、殻だけ吐いてるニャ」
「よく分かるな、クスネ」
「食べ物の匂いなら、分かるニャ。……あと、こっちは干し柿の匂いがするニャ」
クスネは鼻先を、林の奥の方へ向けた。胡桃の殻の山から先、落ち葉の上に、三本指の足跡が点々と続いている。その足跡の脇に、山葡萄の潰れた房と、柿の種が、零れるように落ちていた。
たかねは、羽根を指先で摘まんだまま、目を細めて林の奥を見た。
「――森の気が、あっちでざわついてる。食べ物を抱え込んで、腹がいっぱいの奴の気だよ」
森の気を操る山童には、林の木々の息遣いが分かる。何かが葉を揺らし、実を毟り、土を踏めば、その乱れが気の流れになって伝わってくる。もっとも、分かるのは乱れのある方角までで、そこに何が居るかまでは分からない。そこから先は、足跡と鼻と、経験の仕事だ。
にとりが巻尺を巻き戻しながら、指を折った。
「二本足の大きな鳥竜。羽毛がある。長い舌で木の実を毟る。胡桃を丸呑みにして、山葡萄の毒を吐く。……ここまで揃えば、私でも分かるよ」
「――『毒妖鳥:プケプケ』だね。あれが犯人か」
たかねが、羽根を鞄に仕舞いながら言った。
――山の森ではあまり見られない。もっと温かく湿った深い森に棲み、木の実やキノコを好んで食べる鳥竜だ。食べた物を喉と尻尾の袋に溜め込み、体の中の毒と混ぜて吐き出す。そして、食べた物によって吐く毒の性質が変わる。
「山葡萄を食べてるなら、毒の霧が広がる。……それに、胡桃を食べてるなら」
「弾けるな。――昔、魔法の森で一度見たぜ。木の実を溜め込んだやつが吐くと、毒が玉になって飛んできて、地面で弾けるんだ」
「両方食べてるってことは」
「――両方来るってことだ」
魔理沙は背のヘビィボウガンを揺すり上げ、ニヤリと笑った。
「面白くなってきたじゃないか。試しの相手には、うってつけだぜ」
~雑木林の奥 胡桃の木の窪地~
――足跡は、林の奥の小さな窪地へ下りていた。
風は沢の方から吹き上がっている。三人と二匹は窪地の風下へ回り込み、倒れた楢の幹の陰に身を伏せた。にとりが背嚢を下ろし、たかねが鞄の口を手で押さえて音を殺す。ネジとクスネは、それぞれの主人の脇で腹這いになった。
窪地は、林の中でそこだけ空が広く開けていた。真ん中に立つ一本の胡桃の大木が枝を大きく張り、その下だけ下草が少ない。地面には胡桃の殻と山葡萄の皮が、敷物のように散らばっている。枝の高い所には、実ごと毟り取られて白い折れ口を見せる枝があちこちにあった。この窪地が、あの足跡の主のここ三日の食卓だったのだろう。
その胡桃の木の根元に、そいつは居た。
――緑と紫の、ずんぐりとした鳥竜だった。
大きさは荷車より一回り大きい。黄緑の羽毛に覆われた体に、紫がかった翼。顔は蜥蜴のように平たく、丸い目が左右に離れてギョロリと動く。尻尾は太く、黄緑と紫の甲殻が縞模様に連なっていて、先へ行くほど瓢箪のように丸く膨らんでいた。
プケプケは、食事の最中だった。
胡桃の木を見上げ、口を開ける。そこから、桃色の長い舌がスルスルと伸びていった。人の背丈の倍、いや三倍はある。舌は高い枝に巻き付き、実の付いた枝ごとグイと引き下ろした。プケプケは垂れ下がった枝に顔を寄せ、胡桃の実を殻ごと一つずつ口へ放り込んでいく。
噛み砕かない。呑み込むだけだ。そのたびに、顎の下の喉袋がポコリ、ポコリと膨らんでいった。
「……喉が、葡萄みたいな色になってるニャ」
ネジが、ヒソヒソと囁く。
確かに、プケプケの喉袋は、ただ膨らんでいるだけではなかった。薄い皮の内側が、熟れた山葡萄の色に透けている。胡桃を呑み込むたびに、その紫の中に、ゴツゴツとした丸い影が一つずつ増えていった。
尻尾の膨らみも、同じ色に染まっている。山葡萄は尻尾に、胡桃は喉に。食べた物を、分けて溜めているのだ。
時折、プケプケは食べるのをやめて、長い舌で自分の翼の羽毛を舐めた。羽毛に付いた果汁や木屑を、丁寧に舐め取っていく。それが済むと、尻尾を左右にゆっくりと振った。瓢箪のような膨らみの中で、溜め込んだ山葡萄の汁が、タプン、タプンと揺れる音がする。風下に伏せた三人の所まで、熟れすぎた葡萄の甘い匂いが流れてきた。
――倒れた荷車の干し柿は、もう腹の中に消えている。
それでもまだ、プケプケは食べ続けていた。冬に備えているのかもしれない。山の秋の実りは、この鳥竜にとって尽きない食卓に見えているのだろう。
「……温かい森の竜が、なんで山まで上がってきたんだろうね」
たかねが小声で言った。
「この辺りで見たのは、商隊を始めてから初めてだよ。下の森で何かあったのか、それとも……ここの秋の味覚が美味しすぎたのか」
「後者だろ。見ろよ、あの食いっぷり」
「魔理沙に言われたくないと思うよ、あいつも」
にとりは二人の軽口を聞き流しながら、背嚢から河童筒を引き出していた。
銃身を一本ずつ組み立て、真鍮の箱の留め金を確かめ、たかねから受け取った青い発条を、箱の奥へ慎重に嵌め込む。最後に、細かい弾がぎっしり詰まった帯を、箱の口へ噛ませる。
「作戦は?」
「私が撃つ。ずっと撃つ。止まらずに撃つ。――それだけ」
「それ、作戦って言わないぜ」
「試験はそういうものなの。……ただ、撃ってる間は動けないし、反動で狙いが上に逃げる。だから狙いは低めに。まずは喉袋だ」
にとりは窪地のプケプケを顎で示した。
「あの喉に胡桃が溜まってる。毒が弾ける前に、溜まってる所を撃ち抜けば、吐く物を減らせる」
「なら、私は頭を狙う」
魔理沙は背のヘビィボウガンを下ろし、銃身を開いて弾倉を検めた。[徹甲榴弾]を三発、一つずつ込める。銃床の脇の八卦炉に、魔理沙が指先で触れた。炉の中に、小さな火がぽうっと灯る。弾倉を温め、湿気を払うための火だ。
「にとりが撃ってる間に、私が頭を撃ち抜く。たかねは?」
「私は荷の番。――と言いたいとこだけど、今日はそうもいかないね」
たかねは背のライトボウガンを外し、銃床の尾羽を扇のように広げた。弾帯から、黄色い印の付いた弾を一発取り出し、銃身に込める。
「[麻痺弾*4]を三発だけ持ってきた。商隊の守り用の取っておきだよ。……使った分は、運び賃から引いておくから」
「そこは引く方なのかよ」
「商売は商売さ」
にとりは河童筒を腰だめに抱え、低く膝を折った。真鍮の箱の中で、青い発条が、キリキリと巻き上げられていく。
クスネが、魔理沙の袖をクイと引いた。
「魔理沙。あいつ、こっちを見たニャ」
窪地の真ん中で、プケプケが食事の手を止めていた。左右に離れた丸い目の片方が、グルリと回って、倒木の陰を見ている。長い舌が、口の中へスルスルと巻き戻っていった。
――プケプケが、首を高く伸ばして吼えた。
羽毛の生えた翼を大きく広げ、窪地の真ん中で胸を張る。その喉袋が、ググッと持ち上がった。
「――来るよ!伏せて!」
にとりの声と同時に、プケプケが首を振り下ろした。
口から、紫の玉が三つ、弧を描いて飛び出してくる。胡桃ほどの大きさの、ぬらぬらと光る毒の塊だ。玉は倒木の手前と、左右の落ち葉の上に落ち――
地面に触れた瞬間に弾けた。胡桃の殻の欠片と紫の飛沫が、四方へ飛び散る。飛沫を浴びた落ち葉が、ジュッと音を立てて縮れた。
倒木の陰から、三人と二匹は散った。魔理沙とクスネは右へ、たかねは左の楢の陰へ。にとりはその場で膝を突いたまま、河童筒を腰だめに構え直した。ネジがその背に張り付く。
「――ネジ、数えて!」
「了解ニャ!」
にとりは、引き金を引き絞った。
――ダダダダダダダダッ!
河童筒の束ねた銃身が、火を噴いた。一発、また一発ではない。弾が、途切れずに出ていく。真鍮の箱の中で歯車が唸り、青い発条が腕を押し戻し、押し戻し、押し戻す。銃口から吐き出された弾の列が、窪地を一直線に走っていった。
「一、二、三、四……十、十一、十二……!」
ネジが早口で数える。
弾の雨が、プケプケの胸元から喉袋へ吸い込まれていく。黄緑の羽毛が千切れて舞い、喉袋の薄い皮が、弾の当たる所から波打つように震える。プケプケが堪らず首を振り、後ろへたたらを踏んだ。
にとりの体も、後ろへ引っ張られていく。撃っている間中、河童筒が腰を蹴り続けるのだ。膝を突いた足が、落ち葉の上をズルズルと滑る。銃口が、少しずつ上へ、上へと逃げていく。弾の列が、喉袋から顔へ、顔から頭の上の空へ抜けていく。
「二十六、二十七、二十八……にとりさん、上に逸れてるニャ!」
「分かって、る……っ!」
――三十。
にとりの見立てでは、鉄の発条ならここで弾け飛んでいた所だった。真鍮の箱の中で、青い発条は、まだ腕を押し戻し続けている。
「三十一!三十二!まだ回ってるニャ!」
だが、銃口はもう、プケプケの頭より高い空を向いていた。弾は胡桃の木の枝を撃ち抜き、葉を散らすばかりだ。にとりは歯を食いしばって銃身を押さえ込もうとしたが、小さな河童の体では、跳ね上がる束ね筒を抑え切れない。
その隙を、プケプケは見逃さなかった。
大きく開けた口から、桃色の舌が鞭のように伸びた。
〈ニ゛ャッ!?〉
舌はにとりの脇を薙ぎ、背中に張り付いていたネジを横殴りに打ち据えた。ネジが落ち葉の上を転がり、にとりも体勢を崩して、引き金から指が離れる。弾の雨が、ピタリと止んだ。
「ネジ!」
「……だ、大丈夫ニャ。吹き飛ぶのは、慣れてるニャ……」
ネジは焦げた耳を振りながら、どうにか起き上がった。
プケプケは、まだ止まらなかった。
上体をグッと起こし、舌を前へ突き出したまま、こちらへ駆け出してくる。二本の脚でドタドタと落ち葉を蹴り散らし、長い舌を振り回しながら、にとりとネジの方へ一直線に突っ込んでくる。
「――クスネ!」
「分かってるニャ!」
右の藪から、黒い影が飛び出した。クスネは突っ込んでくるプケプケの脇へ回り込み、すれ違いざまに、背中の袋から取り出した小さな筒を、膨らんだ尻尾の付け根へ突き立てた。メラルーの得意技、[起爆竜弾]だ。
――ボンッ、と尻尾の付け根で筒が弾けた。
プケプケが飛び上がり、突進の向きが逸れる。舌がにとりの頭の上を掠め、プケプケの体はそのまま胡桃の木の根元に突っ込んで、ようやく止まった。
「……借りは、返したニャ。発条の分ニャ」
「最初から借りてないでしょ、それは」
窪地の真ん中で、プケプケの顔が見る間に赤く染まっていった。平たい顔の皮が充血し、離れた目の周りまで血の色が上っていく。胸の羽毛が逆立ち、翼が小刻みに震えていた。――怒り状態だ。
プケプケが、くるりと体を回した。こちらに尻を向け、瓢箪のように膨らんだ尻尾を、高く持ち上げる。
「尻尾だ!――風上へ逃げろ!」
魔理沙の叫びと同時に、尻尾の先の穴から、紫の霧が噴き出した。
山葡萄の毒だ。霧は窪地の底をゆっくりと広がり、落ち葉の上を這うように、にとりの方へ流れてくる。にとりは河童筒を抱えて立ち上がりかけ、毒を吸い込んで咳き込んだ。
「にとり、こっち!右の楢の方は気が澄んでる!」
楢の陰から、たかねが叫んだ。森の気を読む山童の目には、霧が木々の間をどう流れていくかが見えている。にとりはネジを抱え上げ、たかねの指した方へ転がるように逃げた。それでも、右の腕がジンジンと痺れて、指先が冷たい。
たかねが鞄から小瓶を放った。にとりが受け止め、栓を噛み切って一息に呷る。[解毒薬]の苦みが、痺れた舌の上に広がる。
「……試験は、ここからが本番だね。こっちの都合なんか、モンスターは聞いてくれないや」
「当たり前さ。――で。どうする、にとり?」
魔理沙が、いつの間にかにとりの隣に来ていた。自分のヘビィボウガンを背に負い直し、にとりの河童筒を見下ろしている。
「発条は保ってる。三十二発、回ってたぜ。止まったのは、お前が持っていかれたからだ」
「……分かってるよ。分かってるけど、私の体じゃ、これ以上は抑えられない」
「なら、二人で持てばいい」
魔理沙はにとりの背後に回り込み、膝を突いた。にとりの肩越しに両腕を伸ばし、河童筒の束ね筒を、上からがっしりと抱え込む。
「にとりは引き金と照準。私は銃身を下に押さえる。――ヘビィボウガンの反動なら、私の方が慣れてるぜ」
「……魔理沙。これ、試験なんだけど」
「試験に、使い手が二人居ちゃいけないって決まりがあるのか?」
にとりは一瞬だけ黙り――それから、真鍮の箱の留め金を指で弾いた。
「……無いね。――ネジ、また数えて!」
「了解ニャ!」
霧の向こうで、プケプケが再びこちらへ向き直った。赤い顔の下で、喉袋がまだ紫に膨らんでいる。胡桃の影が、喉の中で幾つもゴロゴロと転がっていた。プケプケが胸を張り、喉袋がググッと持ち上がる。
――吐く前に、撃ち抜く。
「――撃て、にとり!」
――ダダダダダダダダダダダッ!
河童筒が、再び火を噴いた。
今度は、銃口が逃げなかった。跳ね上がろうとする束ね筒を、魔理沙の両腕が上から押さえ付けている。にとりの腰を蹴る反動を、背中に回った魔理沙の体が受け止めている。二人で一挺のヘビィボウガンになって、弾の列が一本の線のように、プケプケの喉袋へ吸い込まれていった。
「三十三、三十四、三十五……四十!四十一!」
喉袋の皮が、弾の雨に打たれて伸び、薄くなっていく。その中で、溜め込まれた胡桃の影が、一つ、また一つと揺れた。
「五十!……五十五!」
――プツリ、と。
喉袋の皮が、裂けた。
吐き出される筈だった毒の胡桃が、喉の中で一斉に弾けた。パパパパンッ、と喉の奥で破裂する音が続き、プケプケの口から紫の飛沫と胡桃の殻が噴き出す。プケプケは自分の毒にむせ、首を激しく振りながら後ろへよろめいた。
「――今だよ!」
楢の陰から、たかねのライトボウガンが二度、三度と鳴った。黄色い印の弾が、よろめくプケプケの脇腹と脚に突き刺さる。三発目が当たった瞬間、プケプケの体が、ビクンと強張った。脚が棒のように突っ張り、翼が半開きのまま固まる。麻痺だ。
にとりの指が、引き金から離れた。真鍮の箱の中で、歯車が熱を持ってカラカラと空回りしている。
「……六十二ニャ!」
ネジが叫ぶのと同時に、魔理沙はにとりの背から離れて立ち上がっていた。
背の『恋色彗星』を引き下ろし、腰だめに構える。銃床の脇の八卦炉が、ゴウッと赤く燃え上がった。温められた薬室の中で、[徹甲榴弾]が一発、静かに出番を待っている。狙いは、麻痺で固まったプケプケの、赤く充血した頭。
――『溜めて、一気に撃て』
「――ぶちかますッ!」
徹甲榴弾がプケプケの額に突き刺さり、一拍置いて炸裂した。
爆風が窪地の霧を吹き払い、胡桃の木の葉が雨のように舞い落ちる。プケプケの首が大きく仰け反り、そのまま横倒しに地面へ崩れた。離れた両目が、それぞれ別の方向へグルグルと回っている。目を回したのだ。
――しばらくして、プケプケが、のろのろと身を起こした。
赤かった顔の色が、少しずつ引いていく。裂けた喉袋はしぼみ、口の端から紫の涎が垂れていた。プケプケは三人と二匹の方を、片方の目でじっと見た。それから、もう片方の目で、沢の下の方を見た。
尻尾を引きずるようにして、プケプケは窪地から出ていった。林を抜け、斜面を下りていく。山の秋の食卓よりも、温かい下の森の方が、今は恋しくなったらしい。黄緑の背中が、楢の幹の向こうに見え隠れしながら、やがて見えなくなった。
窪地に静けさが戻った。胡桃の木の枝から、撃ち抜かれた実が一つポトリと落ちた。
~雑木林 商隊の荷道~
――倒れた荷車を三人で起こした頃には、日はもう西の尾根に傾いていた。
荷車の車輪は無事だった。荷台の板に残った紫の毒の染みを、たかねが沢の水で洗い流す。魔理沙とクスネは、道に散らばった吊るし紐を拾い集めた。干し柿は一つも残っていなかったが、紐は来年もまた使える。山童の商隊は、紐一本も無駄にしない。
たかねは洗い終えた荷台を手で撫で、それから林の奥の、プケプケが下りていった斜面の方を一度だけ見た。
「……これで、荷道は明日から通せる。寝込んだあの子にも、いい土産話ができたよ。河童と魔法使いが、一挺のヘビィボウガンを二人で抱えて撃ってたってね」
「それ、話すの?」
「話すよ。商隊の話の種は、売り物と同じくらい大事だからね」
にとりは、荷道の脇の切り株に腰掛けて、河童筒の真鍮の箱を開けていた。
箱の中は、まだ熱かった。歯車の縁が焼けたように色を変え、油が焦げた匂いがする。にとりは手袋をはめた指で、青い発条をそっと摘まみ出した。
日に透かして、巻きを確かめる。指で押し、離す。
発条は、ピンと元の形に戻った。
「……伸びてない。六十二発撃って、少しも伸びてない」
にとりの声が、少しだけ震えていた。ネジがその膝に前脚を掛けて、発条を覗き込む。
「にとりさんの勝ちニャ」
「勝ち負けじゃないよ。……でも、うん。勝ちだね」
にとりは腰の袋から煮しめたような帳面を引っ張り出し、煤だらけの指で書き付けた。
発条:虹龍洞のカブレライト鉱石製(山童の鍛冶場)
結果:六十二発まで途切れずに撃つ。発条の伸び、無し
所見:反動で銃口が上へ逃げる。一人では抑え切れず。二人で一挺なら可
課題:銃床に腰を受ける当て物と、地面に据える脚を要す
最後の『二人で一挺なら可』の一行を、にとりは少しだけ眉を寄せて見つめた。それから、そのまま帳面を閉じた。試験の記録に、嘘は書かない。
――荷車の脇で、たかねが帳面を開いていた。
「さて、と。試験の結果、使い物になった。だから発条は、にとりの注文どおりに納める。――お代は、追い払いの運び賃と、私の麻痺弾三発の分を差し引いて、これだけ」
たかねが帳面の数字を指で叩くと、にとりは身を乗り出してそれを覗き込み、唸った。
「……[麻痺弾]の分、高くない?」
「取っておきって言ったでしょ。取っておきは高いの」
「河童の弾なら、半値で作れるよ」
「じゃあ次からは、河童の弾を持ってきて自分で撃つことだね。山童は、運んだ物の値しか付けないよ」
にとりは口を尖らせたが、それ以上は言い返さなかった。言い返せばたかねがまた別の値を付けてくることを、長い付き合いで知っているのだ。
たかねは帳面の頁をめくり、今度は魔理沙の方へ向き直った。
「それで、魔理沙。発条は約束通りにとりの物だよ。……悪いね」
「別に悪くないぜ」
魔理沙は、あっさりと言った。にとりとたかねが、揃って魔理沙の顔を見る。
「……あれ、欲しかったんじゃないの?」
「欲しかったさ。でも、撃ってみて分かった。――あれは、私の撃ち方じゃない」
魔理沙は、背の『恋色彗星』を肩越しに振り返った。銃床の脇の八卦炉は、もう火を落として冷えている。
「にとりのは、弾を雨みたいに降らせて、相手を削っていく仕掛けだ。それはそれで、すごいと思うぜ。……でも私のは、溜めて、溜めて、これ以上は無理だってとこで、一気に撃つ方が性に合ってる。――教わった撃ち方を、途中で変える気はない」
誰に教わったのか、魔理沙は言わなかった。にとりも訊かなかった。
「……じゃあ、私の河童筒を押さえてくれたのは、何だったのさ」
「面白そうだったからだぜ」
にとりは呆れて、それから小さく吹き出した。
「ま、いいや。押さえてもらったのは確かだし。――魔理沙。次に発条が入ったら、恋色彗星用に、溜め撃ちの方の仕掛けを考えてみるよ。薬室の熱を逃がさない部品とか。八卦炉の火を、もっと長く保たせる仕掛けとかさ」
「お、いいな。それなら欲しいぜ」
「試作品だから、最初に試すのは魔理沙だよ。試すのはハンターの仕事だからね」
「望むところだ」
たかねが、帳面の新しい頁に何か書き付けた。
「――はい、注文一件。魔理沙の分の発条と部品、来月の仕入れで。もちろん、現金でね」
「……まだ頼むって言ってないぜ」
「言ったよ。『それなら欲しいぜ』って。商人の前で欲しいって言ったら、それは注文だよ」
魔理沙は帽子の鍔を引き下げて、何か言い返そうとした。だが、その前に、たかねが荷車の筵の端をめくっていた。
筵の下から、黒い前脚が一本、慌てて引っ込んだ。
「……クスネ」
「……見てただけ、ニャ」
「口の周りに、干し柿の粉が付いてるよ」
クスネは前脚で口の周りをゴシゴシと擦り、何事も無かったように魔理沙の足元へ戻った。荷車の奥には、商隊の売り物の干し柿の連が一つ、端から一つだけ欠けていた。
たかねは、黙って魔理沙の帳面の頁に、もう一行書き足した。
「干し柿、一つ。――毎度」
「……借りてるだけだぜ」
「うちは、貸し出しはやってないよ」
――夕暮れの荷道を、荷車がゴトゴトと下っていく。
先頭はたかねの荷車で、その後ろを、起こした荷車をにとりとネジが引いている。魔理沙とクスネは、そのまた後ろを並んで歩いていた。秋の日が楢の梢を赤く透かし、荷車の轍の上に長い影を落としている。
ネジは荷車の縁に掴まりながら、指を折って何かを数えていた。
「……六十二発撃てるなら、六十三発目に、小タル爆弾を入れたら――」
「入れない」
「……一個だけでもダメニャ?」
「一個だけでもダメ」
にとりの声が、荷道に響いた。魔理沙が笑い、たかねが振り返らずに肩を竦める。
荷車の上の真鍮の箱は、もうすっかり冷えていた。その中で、青い発条が一本、夕日を受けて静かに光っていた。
『山城たかね』
所属:守矢ギルド
役職:山童商隊の代表格。行商人。登録ハンター兼任
武器:山童軽弩『森気行商』(ライトボウガン)