東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~ 作:幻想入りしたガンサー
~妖怪の山 茨華仙の屋敷~
――霊夢は、縁側で正座をさせられていた。
膝の前には、浅い木の盆が一つ。盆の上には、掌ほどの大きさの黒っぽい板切れが一枚。その脇に、目の粗い砥石と、目の細かい砥石、油を染み込ませた布と、乾いた布。それから、湯気の立つ湯呑みが一つ。湯呑みだけは、霊夢の分だった。
「……で。これを、どうしろって?」
「磨くのよ」
縁側の奥、開け放した障子の向こうの座敷で、華扇が茶を淹れながら答える。
「磨いて、どうなるのよ」
「磨けば分かります」
「……それ、答えになってないわよ」
「なってなくて結構です。今日の修行は、それだけですから」
霊夢は、盆の上の板切れを指で摘まみ上げた。
――重い。
見た目は薄い木の皮のようなのに、指に掛かる重さは鉄の板のそれだった。表は、焦げ茶と黒の混じった、ザラザラした錆に覆われている。指で擦ると、赤茶色の粉が指先に付いた。縁は、何かから剥がれたように少し反っている。
――鱗だ。
霊夢は、それが何かの鱗だと気付いた。だが、こんなに重くて、こんなに錆びた鱗を持つモンスターを、霊夢は知らない。
「……何の鱗よ、これ」
「磨けば分かります」
「同じことしか言わないわね」
華扇は答えずに、湯呑みを二つ盆に載せて、縁側へ出る。一つを霊夢の膝の脇に置き、もう一つを自分の手に持って、霊夢の隣に腰を下ろす。
――縁側の先には、小さな庭が広がっていた。苔むした石と、手入れの行き届いた松。その向こうに、霧の掛かった山の斜面が見える。屋敷の周りだけ、風がやけに静かだった。
この屋敷は『妖怪の山』の中にある。だが、山の地図のどこにも載っていない。華扇が招いた者だけが辿り着ける、仙界に構えられた仙人の屋敷だ。
霊夢は今朝、神社の鳥居の下で待ち構えていた華扇に襟首を掴まれ引き摺られるように連行され、気付いた時にはこの縁側に座らされていた。
「……あのね、私、昨日まで聖域の報告書を書いてたのよ。あうんがまた聖域に行った分の報告書も。手が痛いの」
「それはそれは。お疲れ様」
「だから今日くらい」
「だから今日は、字を書かなくていい修行にしてあげたの。優しいでしょう?」
霊夢は何か言い返そうとして、結局、溜め息だけを吐いた。それから目の粗い砥石を手に取り、鱗の表に当てて、ゴシゴシと擦り始めた。
ガリ、ガリ、と嫌な音がした。赤茶色の粉が、盆の上に落ちる。
「――力を入れすぎ」
華扇が湯呑みを口に運びながら言った。
「錆を削るんじゃないの。錆の下にあるものを、起こしてあげるの。力で削ったら、下のものまで削れてしまうわ」
「……起こすって、何をよ」
「磨けば――」
「分かるのよね。はいはい」
霊夢は溜息を吐きながら、砥石を持つ手の力を少しだけ抜いた。
ガリ、ガリとした乱雑な音が、ザリ、ザリと比較的丁寧なそれに変わった。
――庭の松の枝に、大鷲が一羽、音もなく降りた。
茶色の翼を畳み、黄色い目で縁側の二人を見下ろす。華扇の屋敷に暮らす、空の見張り役――久米だ。
久米は一声だけ短く鳴くと、首を北へ向けた。それを見た華扇の湯呑みが、口の手前で止まった。
「……どうしたのよ」
霊夢が、砥石を止めて顔を上げる。
「……北の方の空に何か居た、って」
「何かって」
「何か、よ。この子は、鳥の言葉でしか話さないから。――でも、怖がってはいないわ。ただ、変な風が吹いている、って」
華扇は湯呑みを盆に戻す。そして、縁側から少しだけ身を乗り出して、庭の向こうの空を見上げた。
屋敷の周りは、風が静かだ。華扇がそう仕向けている。だが、その静けさの外――山の稜線の上では、雲が北から南へ、かなりの速さで流されていくのが見えた。
華扇は目を閉じて、スウッと鼻から息を吸った。
――冷たい。乾いている。雪の匂い。それから、ほんの微かに、鉄の匂いがした。古い釘を、雨の後に握った時の匂い。
華扇は目を開けた。そして、霊夢の手の中の錆びた鱗を見た。
「……霊夢」
「……何よ」
「あなた、その鱗が何の鱗か、本当に知りたい?」
「さっきから聞いてるじゃない」
「なら、手を止めずに聞きなさい。――少し、長い話になるから」
華扇はそう言って盆の上の湯呑みを、もう一度手に取った。中の茶はまだ温かい。
「――五年前の春よ。私は、北の峰へ登ったの。――『氷霧連峰』の先、ずっと奥の方へ」
~五年前 氷霧連峰 北の岩棚~
――今が春とは思えない吹雪だった。
麓の『妖怪の山』では、もう梅が咲き終わっていた。だが、『氷霧連峰』の奥の尾根には、まだ真冬が居座っている。風は横から吹き付け、雪は降るというより、斜めに飛んでいく。踏み出した足の跡は、振り返る前に消えていた。
――華扇は、そんな尾根を一人で登っていた。
背には、『人里』の工房で借りた鉄の片手剣と、小さな丸い盾。腰には、薬と道具を詰めた袋。右腕の包帯の上から、毛皮の手甲を巻いている。肩の上には、大鷲の久米が、羽を膨らませてしがみついていた。
――狩りに来たのではなかった。
この冬、北の峰の麓の集落から、守矢ギルドに妙な話が届いていた。
――『尾根の上で、夜な夜な何かが鳴いている。獣の声ではない。笛のような、細く長い音。風のない夜にも聞こえる』
守矢の会所は、哨戒の天狗を二度出した。二度とも、猛烈な吹雪で尾根の手前から引き返した。三度目を出す前に、居合わせて話を聞いていた華扇が『見てくるだけなら』と名乗り出た。動物の声を聞き分けるのは、仙人の得手だったからだ。
――その音は、尾根の肩を越えたところで、聞こえてきた。
確かに、笛のような音だった。細く、長く、少しずつ高さを変えながら、吹雪の唸りの下で途切れずに鳴っている。
久米が華扇の肩の上で首をすくめる。
「……大丈夫。生き物の声じゃないわ」
華扇は久米の首を撫でた。
「これは、風の音よ。――風が、何かの中を通り抜けている音」
華扇は音が聞こえる方へ、雪を踏みしめて進んだ。
尾根の北側は、切り立った崖になっていた。その崖の中ほどに、張り出した岩棚がある。人が十人並んで寝転べるほどの広さの、平らな岩の棚。
その岩棚の上に――龍が、寝ていた。
華扇は思わず足を止めた。
――黒ずんだ、鉄のような色の巨体だった。四本の脚を折り、長い首を岩棚の上に投げ出し、大きな翼を半ば畳んでいる。頭の後ろからは、二本の角が、後ろへ反って伸びていた。長い尾は、岩棚の縁から崖の下へ垂れ下がっている。
だが――龍は動かなかった。
息をしていない。雪がその背の上に、何の抵抗もなく積もっている。
そして――その背中が、首の付け根から尾の付け根まで、一直線に大きく裂けていた。
裂け目の内側は、空っぽだった。
――大妖怪でも相対する事を躊躇う、生きた自然の猛威の一種。その、抜け殻だった。
クシャルダオラは、鋼のような鱗と甲殻に全身を覆われた古龍である。身の周りに風の鎧をまとい、嵐を連れて空を渡る。その鋼の殻は、時が経つと錆びて、重く脆くなる。故に鋼龍は、甲殻や鱗が錆び切る前に古い殻を脱ぎ捨てる。
脱ぎ捨てられた殻は、こうして龍の形のまま残される。
笛の音は、その抜け殻が鳴らしていたのだ。背の裂け目から吹き込んだ風が、伽藍堂の胴を抜けて、首の中を通り、口の隙間から細く吹き出している。さながら龍の形をした、大きな笛だった。
「……あなた、だったのね」
華扇は小さく呟いた。
夜な夜な尾根で鳴いていたもの。集落の者を怯えさせ、天狗を二度追い返したもの。それは、中身が居ない龍だった。中身は――殻を脱いだ鋼龍は、もうどこか遠くの空を、新しい鋼の鱗で渡っているのだろう。
――その笛の音に、別の音が混じった。
短く、甲高い鳴き声。吹雪の向こうから、岩棚の上へ。一つ、二つ、四つ、六つ。
――抜け殻の陰から、白い影が次々に跳び出してきた。
人の背丈ほどの、細身の二本脚の獣だった。白い鱗に、青い縞。前脚の先には、鉤のように曲がった爪。頭の上には、小さな鶏冠が揺れている。
――『ギアノス*1』の群れだった。
ギアノス達は、抜け殻の背の裂け目に頭を突っ込んでいた。殻の内側に、まだ剥がれ残った薄い皮や肉の滓が、こびり付いているのだ。それを爪で掻き出して、奪い合うように齧っている。
そして――群れの奥。抜け殻の首の陰から、一回り大きな影が、ゆっくりと立ち上がった。
同じ白い体だが、背丈は倍近い。頭の上には、群れのものよりずっと大きな、緑色の鶏冠が、扇のように広がっていた。前脚の爪も、緑を帯びて長く鋭い。
ドスギアノスが、首を伸ばして華扇を見た。
そして、喉を膨らませて甲高く吼えた。
――群れが一斉に華扇の方を向いた。
華扇は、背の鉄の片手剣を左手で抜いた。丸い盾は右腕の手甲に括り付ける。剣を握る手と盾を構える腕が、普通の片手剣使いとは左右逆だった。
「――久米、上へ。でも、高く上がりすぎないこと」
久米が華扇の肩を蹴って、吹雪の中へ舞い上がった。
ギアノスが二頭、左右から跳びかかってきた。
華扇は、右の盾で一頭目の爪を受け流し、その勢いのまま体を回して、左の剣で二頭目の脚を払った。ギアノスが雪の上に転がる。だが、すぐに起き上がって、間合いを取り直した。
浅い。敢えて、浅くしか斬っていない。
――殺すほどの相手じゃない。
華扇は、群れの動きを見ていた。
――どの個体も、痩せていた。脇腹に肋の浮いているものもいる。冬の終わりの雪山は、餌が一番少ない。そんな状況で、尾根の上に大きな
――ギアノス達は華扇を狩りに来たのではない。
「……そう。お腹が空いてるのね」
ドスギアノスが、口を大きく開けた。喉の奥から、青白い液が霧のように噴き出す。
華扇は盾を斜めに掲げた。凍える液が盾の表に当たり、白く凍り付いていく。盾がみるみる内に重くなる。
その隙にドスギアノスが跳んだ。
緑の爪が上から振り下ろされる。華扇は、凍った盾でそれを受けた。凍った盾の表が、爪の一撃で砕け、氷の欠片が吹雪の中に散る。
ドスギアノスは着地するなり、華扇の右腕に噛み付こうと首を伸ばした。包帯の巻かれた右腕に。
――そこは、駄目。
華扇は右腕を引かなかった。代わりに、腰の袋から、小さな玉を一つ、剣を握ったままの左手の指で摘まみ出していた。
――片手剣は、剣を抜いたまま道具が使える。
華扇は、玉をドスギアノスの鼻先へ放った。
白い光、吹雪の中で弾けた。[閃光玉]の閃光が視界を白く染め上げる。
ドスギアノスが、目を灼かれて仰け反った。群れのギアノス達も、一斉に目を閉じて、雪の上でよろめく。
華扇は斬り込まなかった。
代わりに、腰の袋からもう一つ、包みを取り出した。――油紙に包んだ、干し肉の塊だった。登山の間の、自分の食料だ。
華扇はその包みを解いて、干し肉を岩棚の端の方へ――抜け殻から離れた、崖の下へ降りる獣道の方へ、力一杯放り投げた。
干し肉が吹雪に煽られながら雪の上を転がっていく。
目が眩んだドスギアノスの鼻が、ヒクリと動いた。群れのギアノス達の鼻も、一斉に同じ方へ向く。
――餌の匂いだ。抜け殻の滓よりも、ずっと濃い、獣の肉の匂い。
ドスギアノスが、よろめきながら首を巡らせ、干し肉の転がった方へ、一歩、二歩と歩き出した。群れがその後に続く。長が干し肉の塊を咥えると、群れはその周りを囲んで、獣道を崖の下の方へゾロゾロと下りていった。
最後の一頭が、岩棚の縁で一度だけ振り返り、華扇を見た。そして、吹雪の中へ消えていった。
――崖の下から遠く、群れが鳴き交わす声が聞こえた。
華扇は凍った盾を手甲から外して、雪の上に置いた。それから、ほうっと、白い息を一つ吐いた。
「……私のお昼、なくなっちゃったわね」
久米が吹雪の中から降りてきて、華扇の肩に止まった。そして、華扇の頬をくちばしで軽く突く。
「分かってるわよ。――帰りの分は、ちゃんと残してあるわ」
~妖怪の山 茨華仙の屋敷~
――ザリ、と霊夢の砥石が止まった。
「……干し肉、投げたの?」
「投げたわよ」
「自分のお昼を?」
「えぇ、自分のお昼を」
霊夢は呆れたように華扇の横顔を見た。だが華扇は、涼しい顔で茶を啜る。
「斬れば早かったでしょうに。痩せたギアノスなんて、あんた程の実力者なら」
「えぇ、斬れば早かったわね。――でも、斬る理由がなかったもの」
華扇は湯呑みを膝の上に下ろした。
「あの子達は、私を襲いに来たんじゃない。餌場を守りに来ただけ。痩せて、お腹を空かせて、少しでも餌を確保して冬の終わりをどうにか越えようとしていた。――そういう群れの長を斬ったら、残った群れは春まで
「……それで、餌を投げてどかしたってこと」
「えぇ。――お腹を空かせた子には、もっと美味しそうな匂いを嗅がせてあげればいいの。目が眩んでいる間なら、なおさらね」
華扇は、霊夢の手元の砥石にチラリと目をやった。
「霊夢。狩りで一番大事なのは、
「……説教が始まった」
「始まってません。手が止まってるわよ」
霊夢は渋々、砥石を動かし始めた。ザリ、ザリと研ぎ音が響く。
「――で?その後、どうなったのよ。その抜け殻」
「その後はね――」
~五年前 氷霧連峰 北の岩棚~
――群れが去った岩棚には、また、抜け殻が鳴らす笛の音だけが残った。
華扇は抜け殻の側へ歩み寄った。
近くで見ると、それは思っていたよりもずっと大きかった。脚を折って伏せた姿でも、背の高さは華扇の背丈の倍を超える。首だけで、人里の荷車ほどの長さがあった。
華扇はその脇腹に、そっと左手を当てた。
――冷たかった。雪よりも、氷よりも冷たい、金属の冷たさだった。
表はすっかり錆に覆われていた。焦げ茶と黒と、ところどころに赤茶の混じった、ザラザラとした錆。鱗と鱗の継ぎ目には錆が厚く盛り上がって、鱗の形が分からなくなっている所もある。指で押すと、錆の表面が、カサリと崩れて落ちた。
――これが、鋼龍が脱ぐ理由。
華扇は崩れた錆の下を覗き込んだ。
錆の下にも、まだ錆があった。その下にも。鋼の鱗が、外から内へ、少しずつ、少しずつ錆に食われていったのだ。鋼龍は、それに耐えられなくなる前に――錆が鱗の芯まで届いて、殻が自分の重さで砕ける前に、殻を脱ぐ。
華扇は背の裂け目の縁へ回った。
裂け目の縁は、内側から押し開かれたように、外へめくれ返っていた。そのめくれた縁の内面。
華扇はそれ覗き込んで息を呑んだ。
――内側は錆びていなかった。
鱗の裏の、殻の内側の面。龍の肉に、ついこの間まで触れていた面。そこだけは、錆に食われずに、鈍い銀色を残していた。吹雪の薄明かりの中で、ぼんやりと、白っぽく光っている。
――外から錆びていく。内側は、最後まで錆びない。
華扇はその銀色に、指先でそっと触れた。
錆の下にこれが眠っている。鋼龍は、これが錆に食われきる前に、全部を脱ぎ捨てていったのだ。
――その夜。華扇は岩棚の陰に雪の洞を掘って、一晩を明かした。
吹雪の中を下りるのは、登るより危ない。久米を懐に入れ、毛皮の外套にくるまって、雪の壁に背を預ける。洞の入口の向こうには、抜け殻の黒い影が、横たわっていた。
笛の音は、一晩中鳴り止まなかった。
ヒュウゥゥ――……と、細く、長く。風の強さが変わるたびに、音の高さも変わる。時々、音が二つに割れて、和音のように重なることもあった。
華扇は、その音を眠らずに聞いていた。
中身が居ない龍が、中身が居ないまま鳴いている。脱ぎ捨てた本人は、もうここにはいない。それでも殻は龍の形のまま、龍の声に似た音を、誰に聞かせるでもなく鳴らし続けている。
「……寂しい音ね」
懐の中で久米がモゾリと動いた。
――夜明け前には吹雪が止んだ。
洞の入口から差し込む光が、青から灰色へ、灰色から白へと変わっていく。華扇は洞から這い出して、岩棚の縁に立った。
尾根の向こう、北の空が晴れていた。
何日ぶりかの晴れ間だった。雪を被った峰々が、朝日を受けて、薄紅色に染まっている。その峰々のさらに向こう、空の高い所を――何かが、飛んでいた。
華扇は目を細めた。
遠すぎて形は分からない。鳥よりはずっと大きく、雲よりはずっと小さい。ただ、朝日を受けて、それは白く、鋭く光っていた。磨き上げた刃物のような、鏡のような光だった。
光は北の空の高い所をゆっくりと、東から西へ横切っていった。その光の通る後ろで、峰々の雪が、風に巻き上げられて、白い煙のように舞い上がっていく。
華扇は、その光が見えなくなるまで、岩棚の縁に立っていた。
――新しい鱗の輝きだ。
錆の欠片一つない、生まれたての鋼の鱗。十年かけて錆びていく前の、最初の朝の光。
足元の抜け殻と、空の高い所の光。同じ龍の、昨日と今日だった。
「……行ってらっしゃい」
華扇は誰に言うでもなく、そう呟いた。
背後で抜け殻の笛の音が、朝の風を受けて、ヒュウ――と一度だけ、高く鳴った。
――華扇はその日のうちに尾根を下りた。
抜け殻には、何も手を付けなかった。剥がれかけた鱗の一枚さえ、持ち帰らなかった。
古龍のものだ。たとえ抜け殻でも、古龍が残していったものを、一人の仙人が勝手に持ち帰っていいとは、華扇は思わなかった。
守矢の会所で、華扇は見たものを全部話した。尾根の笛の音の正体。岩棚の抜け殻。錆の様子。内側の銀色。ギアノスの群れが、殻の滓を漁っていたこと。
話を聞いた神奈子は、長いこと黙っていた。
『……鋼龍が、脱いだか』
障子の向こうからそれだけが聞こえた。
会所の帳場の奥には、守矢ギルドと、守矢神社が幻想入りする前から天狗達が代々付けてきた、古い観測記録の帳面がある。山を渡る古龍が、いつ、どこで、どんな姿を見せたか。その帳面を、華扇は神奈子の許しを得て、見せてもらった。
あの尾根の鋼龍が、前に殻を脱いだと記されていたのは十年と少し前だった。その前は、さらに十年前。
――十年に一度。鋼の殻が錆に食われきるまで、それだけの時が掛かる。
最後に、会議の答えが届いた。
――『抜け殻は、見つけた者が持ち帰ってよい。ただし、狩りで得たものではないことを、記録に残すこと』
「……持ち帰ってよい、と言われてもね」
華扇は会所の帳場で、神奈子が持ってきたその書付を読みながら呟いた。
「アレを全部は、持って帰れないわよ。荷車十台でも足りないわ」
結局華扇が持ち帰ったのは、脇腹の鱗を十数枚と、胸の辺りの甲殻を一枚、それから、背の裂け目の縁の、内側が銀色を残している殻の欠片を、いくつか。それだけだった。
残りの抜け殻は、今もあの岩棚の上にある。
春になれば雪が解け、夏には錆がさらに進み、秋には鱗が一枚ずつ剥がれ落ちていく。何年か経てば、殻は形を失い、錆の粉になって、風に吹かれて尾根のどこかへ散っていくのだろう。
あの笛の音は、もう誰の耳にも届かない。華扇が下山した後、守矢の天狗が背の裂け目に布を詰め、風の通り道を塞いだからだ。
~妖怪の山 茨華仙の屋敷~
――霊夢が、砥石を持つ手を止めずに口を挟んだ。
「会議が揉めたって、何を揉めたのよ。抜け殻なんて、ただの殻でしょう」
「ただの殻、と思う人ばかりじゃないのよ」
華扇は庭の松を見ながら答えた。
「古龍が自分で脱いでいったものを、人が持ち去っていいのか。持ち去ったら、龍が怒って取り返しに来るんじゃないか。――そう言う人もいたの。それに、抜け殻だって、山のものだと言う人もいたわ。山で死んだ獣の骨は、山へ還すものだって」
「……で。結局、持って帰っていいことになったんでしょ」
「ええ。最後に決めたのは、神奈子だったそうよ」
華扇は少しだけ笑った。
「『龍は、自分で脱いだものを惜しんだりしない。惜しむような龍なら、脱ぎはしない』って。――あの神様らしい言い方よね」
「……ふぅん」
霊夢は気のない返事を返す。だが、砥石の音は、さっきより少しだけ丁寧になっていた。
「ただし、こう付け加えた。『持ち帰った者は、それを狩りの手柄にしないこと』――だから、私の記録には、こう書いてあるの。『鋼龍の抜け殻。拾得』って。狩猟の欄じゃなくて、拾得の欄にね」
「拾得って。落とし物じゃないんだから」
「落とし物よ。古龍の、ね」
華扇は湯呑みの茶を飲み干した。
「――それから、半年。私は、ずっとこの縁側で鱗を磨いていたわ」
~五年前 茨華仙の屋敷~
――持ち帰った鱗を、華扇は縁側に並べた。
十数枚の鱗と、甲殻が一枚。欠片がいくつか。どれも錆に覆われて、焦げ茶色の塊にしか見えない。並べた縁側の板の上に、赤茶色の粉が、すぐに薄く積もった。
華扇はその一枚を手に取った。そして、目の粗い砥石を、その表に当てた。
最初の一月は、何も起きなかった。
錆は、削っても削っても、その下からまた錆が出てきた。力を入れれば、錆と一緒に鱗まで欠ける。力を抜けば、錆は少しも落ちない。華扇は、毎朝の修行の後と、毎晩の食事の後に半刻ずつ、一枚の鱗を擦り続けた。砥石を当てる角度を、少しずつ変えながら。力の掛け方を、少しずつ変えながら。
二月目に、砥石を替えた。目の粗いものから、少し細かいものへ。
三月目に、油を使い始めた。植物の種から絞った油を布に染ませて錆の表に塗り、一晩置いてから擦る。錆が、ほんの少しだけだが、柔らかくなった。
屋敷の庭の動物達は当初、縁側で鱗を擦る華扇を遠巻きに眺めていた。ガリガリと嫌な音が聞こえるからだ。だが、一月もすると慣れて、華扇の膝の脇で昼寝をするようになった。雷獣は、擦るたびに飛ぶ赤茶色の粉が気に入らないらしく、毛を逆立てて庭の隅へ逃げていった。
そして――磨き始めてから四ヶ月目の、ある朝。
華扇の砥石の下で、錆の色がほんの少しだけ変わった。
焦げ茶の中に、針の先ほどの白い点が一つ、現れた。
華扇は砥石を止めた。そして、その白い点を、じっと見つめた。
――居た。
錆の下に、本来の鋼が居た。
華扇は目が細かい砥石に持ち替えて、その白い点の周りをそっと、そっと擦り広げた。焦げ茶色が少しずつ退いていき、白い点が、小指の爪ほどの大きさの白銀の円になった。
朝の光がその円に当たって、縁側の天井に小さな光の点を映した。
華扇はしばらく、その光の点を見上げていた。それから、ほうっと息を吐いて、また砥石を動かし始めた。
――梅雨の頃には、一度だけ手が止まった。
長雨が十日続いた。縁側に吹き込む湿った風が、磨きかけの鱗に、一晩で薄い赤茶色の膜を張らせた。せっかく起こした白銀の上に、また錆が浮いてきたのだ。
華扇はその鱗を手に取って、しばらく黙って見ていた。
四か月かけて起こしたものが、たった十日の雨で、元に戻ろうとしている。
――
当たり前のことだった。鋼龍が十年ごとに殻を脱ぐのも、同じ理由だ。どれほど硬い鋼でも、風と雨と時に晒されれば必ず錆びる。止めることはできない。できるのは、錆びる前に手を入れることだけ。
華扇は油の壺を引き寄せた。そして、白銀になった鱗の一枚一枚に、薄く、薄く油を引いていった。錆を落とすだけではなく、錆びないように守ること。磨くことと、守ること。その二つで――ようやく一枚になる。
その夜から、華扇の日課に、もう一つ仕事が増えた。磨き終えた鱗に毎晩、油を引くこと。
それは、剣と盾になった今も、変わらずに続いている。
――夏の盛りに、珍しい客が来た。
その日は、朝から蒸し暑かった。華扇が縁側で三枚目の鱗を擦っていると、庭の松の枝の上に、薄い霧が一筋、フワリと集まった。霧は見る間に濃くなって形を取り、松の枝に腰掛けた、小さな鬼の姿になった。
頭の左右に伸びた長い二本の角。片手には紫の瓢箪。
「――よぉ、華扇。何してんだい、そんな顔して」
「見て分かるでしょう。磨いてるのよ」
「磨いてるのは見りゃ分かるさ。何を、って聞いてんだよ」
萃香は松の枝からヒョイと飛び降りて、縁側に腰を下ろした。そして、華扇の膝の脇に並べられた鱗を一枚、勝手に摘まみ上げる。白銀になった一枚目だ。
「……へぇ。コイツが鋼龍の鱗かい。また、えらく綺麗に磨いたもんだねぇ」
「四か月掛かったわ、それ一枚で」
「……四か月?」
萃香は目を丸くした。それから、瓢箪の酒を一口あおってカラカラと笑った。
「あんたなら、もっと早く済むだろうに。――ちょいと本気出して擦りゃあ、錆なんざ一晩で全部落ちるだろう?」
華扇の砥石が止まった。
萃香は笑ったまま、華扇の右腕の包帯をチラリと見た。
「……それをやったら、鱗まで粉になるわ」
華扇は静かに言った。
「錆だけ落として、下のものを残すには、こうするしかないの。――力の加減を覚えるのも、修行のうちよ」
「修行、ねぇ。相変わらず真面目なこった」
萃香は白銀の鱗を光にかざした。鱗の表に、萃香の顔が映り込む。萃香は、その中の自分に向かって、ベーッと舌を出してから、鱗を華扇の膝の脇に戻した。
「ま、いいさ。あんたがそれで納得してんなら、私が口出すこっちゃない。――それより、何か甘いもんないかい?酒の肴にさ」
「ありません」
「あるだろう、その戸棚の奥に。羊羹の匂いがするよ」
「……ありません」
「あるね」
萃香は勝手に座敷へ上がり込んで、戸棚を開けた。華扇は砥石を握ったまま、深い深い溜め息を吐いた。
その日、華扇が擦り進めたのはいつもの半分だった。羊羹は、三分の二を萃香に食べられた。
だが、萃香は帰り際に縁側の鱗を一枚ずつ指で弾いて、その音を聞いていった。そして、最後の一枚――まだ錆に覆われたままの、背の裂け目の縁の欠片を弾いた時だけ、少し長く、耳を澄ませていた。
「……その欠片、いい音がするね」
「そう?」
「ああ。――中が、生きてる音だ」
萃香はそれだけ言うと、また霧になって、松の枝の上から消えていった。
――夏が過ぎた。
一枚目の鱗が、全部白銀になった。華扇はそれを縁側の柱に立て掛けて、二枚目に取り掛かった。
二枚目は、一枚目より早かった。どこに力を入れればいいのか、手が覚えていたからだ。三枚目は、さらに早かった。
秋の終わりに、最後の一枚――背の裂け目の縁の、内側だけが銀色を残していた甲殻の欠片に取り掛かった。
その欠片の外側の錆を落とし終えた時、華扇はふと手を止めた。
外側も、内側も、同じ白銀になっていた。
だが、外側の白銀には細かい無数の傷が残っていた。錆が鱗の表を食い進んだ跡だ。どれだけ磨いても、その跡は消えなかった。錆に食われた分だけ、鱗は薄くなっていたのだ。
そして、内側の白銀には傷が一つもなかった。
華扇はその欠片を両手で持って、光にかざした。
外側の傷だらけの白銀と、内側の傷ひとつない白銀。同じ一枚の殻の、表と裏。
――十年。
鋼龍は十年かけて、外側から錆びていく。錆びきる前に脱ぐ。そして、また十年。新しい鋼の鱗が、また外側から錆びていく。それを何百年も、何千年も繰り返している。
華扇はその欠片を、膝の上にそっと置いた。
「……あなたは、ずっとこれを繰り返しているのね」
誰に言うでもなく、華扇は呟いた。
庭の松の枝で、久米が一声だけ短く鳴いた。
――冬の初め。華扇は、白銀になった鱗と殻を全部、布に包んで人里の工房へ運んだ。
工房の主である鍛冶職人の小傘は、包みを開けて目を丸くした。そして、一枚一枚を手に取って、指で弾いて音を聞き、光にかざして傷を見て、最後に、包みの一番底にあった、内側の傷のない欠片を見つけて、しばらく黙っていた。
「……これ、全部磨いたの?一人で?」
「えぇ」
「何か月?」
「半年と少し」
小傘はふーん、と鼻を鳴らして、それからニカッと笑った。
「――びっくりしたよ。わちき、こういうの一番好き」
小傘はその鱗で細身の剣を一振り打ち、殻で盾を一枚仕立てた。盾は華扇の注文通り、握らずに右腕へ括り付ける形に誂えた。そして、盾の面には、あの内側の傷のない欠片を、鏡のように嵌め込んだ。
出来上がった剣と盾を受け取った日。華扇は、盾の鏡に映った自分の顔を、しばらく眺めていた。
――翌年の春。華扇はその剣と盾を携えて、初めて人里ギルドの依頼に出た。
畑を荒らす『ブルファンゴ』の群れを山へ追い返すだけの、小さな依頼だった。華扇は一頭も斬らずに、群れを山へ帰した。盾の鏡に朝日を受けて、その照り返しで群れの目を眩ませ、向きを変えさせたのだ。
依頼を受け付けた小鈴は、報告書の『討伐数』の欄が『零』になっているのを見て、首を傾げた。
「……あの、これ、書き忘れじゃないですよね?」
「書き忘れじゃないわ」
華扇はそう言って笑った。
~妖怪の山 茨華仙の屋敷~
――ザリ、ザリ、と、霊夢の砥石が鳴っている。
話の間、霊夢は一度も手を止めなかった。止めると華扇に叱られるから、というのもある。だが途中からは、叱られるからではなく、ただ手が勝手に動いていた。
盆の上には、赤茶色の粉が小さな山になって積もっている。
「……それで、その剣と盾が、あんたが帯びてるやつ、ってわけね」
「えぇ」
華扇は、座敷の奥の刀掛けへちらりと目をやった。
細身の片手剣が一振りと、腕に括り付けるための革帯の付いた盾が一枚、掛けてある。剣の刀身も、盾の面も、磨き込まれた冷たい白銀だった。盾の縁には、茨の文様が彫り込まれている。――鋼龍剣盾『風導』の盾の鏡に、縁側の二人の姿が、小さく映り込んでいる。
「で、これは?」
霊夢が手の中の鱗を持ち上げて尋ねる。
「残りの一枚よ。――一枚だけ、磨かずに取っておいたの」
「なんでよ」
「忘れないために」
華扇は湯呑みの茶を一口飲んだ。茶は、もうすっかり冷めていた。
「錆びたものを元に戻すのに、どれだけ時間が掛かるか。命を奪わずに手に入れたものが、どれだけ重いか。――それを忘れそうになった時に、一枚だけ、取り出して磨くの」
「……で、今日は私に磨かせてるわけ」
「今日は、あなたが忘れそうになっていたから」
「何をよ」
「聖域の猪の長を、捕まえて外へ返したでしょう。ネムノの見立てを聞いて、群れを殺さずに済む道を探した。――その報告書を書くのが面倒で、昨日、会館で小鈴に『次からは全部狩った方が楽』って言ったそうね」
霊夢の砥石がピタリと止まった。
「……誰に聞いたのよ」
「さぁ、誰だったかしらね?」
華扇は澄まし顔で茶を啜った。霊夢は、口を開きかけて閉じ、それから黙って砥石を動かし始めた。
ザリ、ザリ。
ザリ、ザリ。
――霊夢の手が、また止まった。
「……あ」
霊夢は砥石を盆に置いて、鱗を目の前に持ち上げた。
焦げ茶色の錆の真ん中に、針の先ほどの白い点が一つ、現れていた。
霊夢はその白い点を、じっと見つめた。半日擦り続けて、出てきたのはそれだけだった。だが、その白い点は縁側に差し込む昼の光を受けて、確かに白く光っていた。
「……居た」
霊夢は自分でも気付かないうちに、そう呟いていた。
華扇は何も言わなかった。ただ、少しだけ目を細めて、霊夢の横顔を見ていた。
――日が傾く頃。霊夢はようやく縁側から解放された。
鱗の白い点は、半日で米粒ほどの大きさになっていた。焦げ茶色の錆の海に、白い小島が一つ浮かんでいるようだった。
「――はい、お疲れ様。今日の修行は、ここまで」
「……やっと終わった」
霊夢は正座を崩して、縁側の上に仰向けに転がった。膝から下が痺れて感覚がない。手のひらは、砥石を握り続けたせいで赤くなっていた。
「手が痛い。脚が痛い。腰も痛い」
「報告書を書くよりは、楽だったでしょう?」
「……これじゃ、どっちもどっちよ」
華扇は盆の上の鱗を、油を染み込ませた布で丁寧に包んだ。そしてそれを――転がっている霊夢の胸の上に、ポンと置いた。
「はい。持って帰りなさい」
「……は?」
「続きは神社でやりなさい。毎晩寝る前に、半刻ずつ」
「なんでよ。あんたの鱗でしょう、これ」
「あなたの鱗よ。今日から」
霊夢は胸の上の包みを持ち上げて、華扇の顔を見た。華扇は澄ました顔で、湯呑みを片付けていた。
「全部磨き終わったら、持っていらっしゃい。――その時に、何か一つ、教えてあげるわ」
「何を」
「磨き終わったら、分かります」
「……またそれ」
霊夢は包みを胸に抱えたまま天井を見上げて、長い長い溜め息を吐いた。
それでも、包みを突き返しはしなかった。
「――ねえ」
包みを抱えたまま、霊夢が天井を見上げて言った。
「あんた、さっき言ってたじゃない。出来上がった盾の鏡に映った自分の顔を、しばらく眺めてたって。――何を見てたのよ」
華扇の手が、湯呑みを片付ける途中で、ほんの一瞬だけ止まった。
「……さて、何だったかしらね」
「忘れたの?」
「えぇ、忘れたわ」
華扇は湯呑みを盆に載せて立ち上がる。包帯を巻いた右腕が夕陽を受けて、縁側の板の上に長い影を落とす。
「ただ――錆びていない顔だったのは、覚えてるわ」
霊夢は何か聞き返そうとして、やめた。華扇の背中が座敷の奥へ消えていくのを、黙って見送った。
――庭の松の上で、久米がまた北を向いた。
北の稜線の上を、雲が流れていく。さっきよりも、さらに速い。屋敷の周りの静けさの外で、風が低く唸り始めていた。
座敷から戻ってきた華扇が縁側の端に立って、もう一度北の空を見上げた。
そして、目を閉じて息を吸った。
――冷たい。乾いている。雪の匂い。
それから、鉄の匂い。古い釘を、雨の後に握った時の匂い。
さっきより、それは少しだけ濃かった。
華扇は目を開けた。
霊夢の胸の上の包みの中には、錆びた鱗がある。五年前に、あの尾根の岩棚で拾った鱗。十年かけて錆びて、脱ぎ捨てられた殻の、一枚。
――十年に一度。
あの尾根の鋼龍が殻を脱いだのは、五年前の春だった。次に錆に覆われるのは、早くても、あと五年は先のはずだ。
なのに今、北から吹いてくる風には、錆の匂いが混じっている。
「……ねえ、霊夢」
「何よ。今、脚の痺れがもう少しで取れるところなのよ」
「あなた、その鱗、何日で磨き終わると思う?」
「一年は掛かるわよ。半日で、これっぽっちなんだから」
「そうよね」
華扇は小さく笑った。そして笑ったまま、北の空から目を離さなかった。
「――鋼の鱗は、本来ならそんなに早くは錆びないものよ」
霊夢は華扇の顔を、横から見上げた。だが、華扇はそれ以上は何も言わなかった。
屋敷の静けさの外で北の風が、いつまでも低く唸り続けていた。