東方竜狩郷 ~幻想郷の狩人少女達~ 作:幻想入りしたガンサー
~博麗神社 参道~
――鳥居の上に、大きな鷲が一羽とまっていた。
秋晴れの朝だ。参道の石段の両脇で、楓の葉が赤く色づき始めている。掃き清めたばかりの石畳に、早くも一枚、二枚と葉が落ちてくる。
あうんは竹箒を持ったまま、鳥居の上の鷲を見上げて固まっていた。
茶色の翼を畳んだ大きな鷲。金色の眼が、じっと境内を見下ろしている。あうんはこの鷲を知っていた。この鷲が鳥居にとまる朝は、決まって、その主がもうすぐ石段を上がって来る。
「……あうん」
背後で、ヒソヒソ声が聞こえた。
振り返ると、母屋の縁側の障子が細く開いていた。隙間から、赤いリボンと、片方の目だけが覗いている。
「霊夢さん?」
「しーっ!……あれ、久米でしょ」
「はい、久米さんですね。ということは――」
「来るわよね。……いい、あうん。
「えっ」
「頼んだわよ」
障子がぴしゃりと閉まった。
あうんは竹箒を握りしめて、閉まった障子と鳥居の上の鷲を、交互に見比べた。
――霊夢さんは、居ない。人里へ行ってる。夕方まで帰らない。
口の中で三回繰り返す。嘘は苦手だ。神社を守る狛犬が、神社の主の居場所を偽るなんて。だが、現実として頼まれた。霊夢に頼まれたのだ。
――石段の下から、ツカツカと足音が上がってきた。
規則正しい、迷いのない足音だった。一段ずつ、きちんと踏みしめて上がってくる。やがて、鳥居の下に人影が現れた。
桃色の髪を二つのお団子にまとめ、それぞれに布のカバーを被せている。白いブラウスの胸元に花の飾り。緑の上衣とスカートには、茨の文様。右腕は肘から指先まで包帯でぐるぐると巻かれ、左手首には、鎖の切れた枷が光っていた。
左肩と胸当ての外側、脛には、鏡のように磨かれた白銀の鱗が重ねてある。腰の左に吊るした細身の剣と、包帯の右腕に括り付けた小さな盾も、同じ白銀。
妖怪の山に屋敷を構える仙人『茨木華扇』である。
「おはよう、あうん。今日も精が出てるわね」
「お、おは、おはようございます、華扇さん……!」
声が裏返った。華扇がらしくない声色に小さく首を傾げる。鳥居の上の鷲が、ばさりと翼を広げて華扇の左肩へ舞い降りる。
「霊夢は居る?今日はいい修行日和だし、山へ連れて行こうと思って」
来た。案の定。
あうんは背筋を伸ばした。三回繰り返した言葉を、喉の奥から押し出す。
「れ、霊夢さんは!居ません!朝から人里へ行ってて、夕方まで――」
そこまで言って、あうんの目が、勝手に母屋の縁側の方へ泳いだ。
ほんの一瞬だ。すぐに戻した。戻したが――もう遅かった。
華扇は、あうんの目が泳いだ先を、ゆっくりと見た。閉まった障子。その脇の沓脱ぎ石の上に、赤い鼻緒の草履が一足、きちんと揃えて脱いである。
それから、華扇はあうんを見た。ニッコリと笑っていた。当然ながら、目は笑っていない。
「――人里へ、ね。草履を置いて、かしら」
「あっ」
あうんの一本角の付け根まで、カアッと赤くなった。
「す、すみません……!」
「あなたが謝ることはないわ、あうん。嘘をつかせた方が悪いのだから」
華扇は穏やかに言うと、母屋の方へ向き直り、少しだけ声を張った。
「――霊夢、居留守を決めるには隠蔽が甘過ぎるわよ。出てきなさい」
返事はない。
障子の向こうで、何かがガタンと倒れる音がした。続いて、ばたばたと遠ざかっていく足音。母屋の裏手の方へ。
華扇は、小さく溜め息をついた。
「……逃げたわね」
「はい。逃げましたね」
あうんは正直に答えた。彼女にはもう嘘をつく理由がない。
母屋の屋根の上から、カラカラと笑う声が降ってきた。
屋根の棟に、小柄な人影が胡座をかいていた。長い薄茶の髪から、二本のねじれた角が天を突いている。袖のない白い上衣に、紫のスカート。手首と腰から垂れた鎖の先で、丸と三角と四角の分銅が揺れていた。腰には、大きな瓢箪。朝からもう、頬がほんのりと赤い。
博麗神社に入り浸る鬼『伊吹萃香』だ。
「華扇も懲りないねえ。霊夢が修行なんて、素直に行くもんかい」
「……萃香。あなた、霊夢を匿っているんじゃない?」
「匿ってなんかないさ。私はここで飲んでただけだよ。……ただ、裏の小屋の戸が開く音は、聞いたかもしれないねぇ」
萃香は瓢箪を傾けて、ニヤリと笑った。
――その隣に、もう一つ、ふわりと影が浮かび上がった。
緑の長い髪に、青い魔女の帽子とローブ。帽子には三日月の飾り。ローブの裾から下は、足の代わりに、霊体の尾がゆらゆらと揺れている。肩から羽織った黒ずんだ外套が、朝の光の中で妙に重たく見えた。
神社に居着く悪霊『魅魔』が華扇達を見下ろす。
「なんだい、朝から騒がしいと思ったら。小煩い仙人様のお出ましか」
「魅魔。あなたも萃香と同じかしら」
「私は何も知らないよ。……ああ、でも、小屋の中は狭いからねぇ。三人も入ったら息が詰まるだろうさ」
「三人?」
華扇の眉が、ぴくりと動いた。
魅魔は「おっと」と口を押さえ、萃香が屋根の上で腹を抱えて笑い転げた。
あうんは、竹箒を抱えたまま、三人の顔を順番に見比べていた。嘘を吐かずに済んで、少しだけほっとしていた。
~博麗神社 狩具小屋~
―――狩具小屋の中は、薄暗く、狭く、油と革の匂いが漂っている。
霊夢は戸の内側に背中を押し付けて、息を殺していた。
壁にはすっかり馴染んでいる己の太刀と防具が掛けてある。棚には砥石、罠、救難符、薬の瓶。床には洗い損ねた泥の跡。昨日脱ぎっぱなしにした籠手が一つ、隅に転がっている。
――二人よ。三人じゃない。
表から聞こえてきた魅魔の声に、霊夢は心の中で言い返した。あの悪霊は適当だ。物を覚えていられない。数も『忘れちまったよ』覚えていられない。その癖余計なことだけは覚えている。
「……ちょっと霊夢。足、どけてくれる?帳面が踏まれてるんだけど」
足元から、小さな声が聞こえる。
棚の一番下の段に、手のひらに乗るほどの少女が胡座をかいていた。紫がかった髪に、お椀を逆さにしたような帽子。薄紅と淡い青の端切れを縫い合わせた前掛けを着け、針と糸巻きをポケットに挿している。膝の上には、自分の体ほどもある帳面が広げてあった。
神社の虫籠に暮らす小人『少名針妙丸』。昼の間は、この狩具小屋の棚の一段を自分の仕事場にしている。
「あ、ごめん」
霊夢が足をどけると、針妙丸は帳面の皺をぺたぺたと伸ばした。
「全く……居留守を使うなら、せめて小屋は散らかさないでよね。今、在庫を数えてたんだから。……砥石が四つ。回復薬が六本。救難符が十枚。閃光玉が二つ。[シビレ罠*1]が一つ。それから――」
針妙丸は小さな指で、帳面の一行をなぞった。
「――[捕獲用麻酔玉*2]が、二つ。……ねえ霊夢、これ、先月は五つあったはずなんだけど」
「知らないわよ」
「知らないわけないでしょ。使ったなら使ったって言いなさいよ。帳面が合わないじゃない」
霊夢は答えなかった。先月の捕獲で、三つ投げて二つ外したことは、言わなくていいことだと思った。
表で、足音が近付いてきた。
規則正しい、迷いのない足音。霊夢は身を固くした。足音は小屋の前で止まり、戸を叩く代わりに、穏やかな声がした。
「霊夢。開けるわよ」
「……居ないわよ」
「居ない人は返事をしないでしょう」
しまった――そう思った時には、戸が外から引き開けられていた。
朝の光が、狭い小屋の中に差し込む。逆光の中に、華扇が立っていた。左肩には大鷲の久米。その後ろに、困り顔のあうん。屋根の上からは萃香と魅魔が、逆さまになって小屋の中を覗き込んでいる。
霊夢は、観念して溜め息を吐いた。
「……山には行かないわよ。座禅も、早起きも、動物の観察も、今日はお休み」
「ええ、今日は山には行かないわ」
華扇はあっさりと言ってのける。
霊夢は眉をひそめた。――厳しいあの華扇が、あっさりと引き下がるはずがない。
華扇は懐から、一枚の紙を取り出した。四つ折りにされた紙を開くと、中央会館の朱の印が押してある。
「今朝、久米が会館まで飛んで、これを持って帰ってきたの。今日の修行は――これよ」
霊夢は紙を受け取った。
場所:博麗神社の裏の森
内容:森から参道脇へ出て、参拝の者の荷車を蹴り倒す。里の子一人、蹴りを受けて気を失う(命に別状なし)
条件:捕獲。討伐は認めない。捕獲した個体は生態研究室へ移送、引渡しのこと
依頼主:幻想郷中央狩猟会館
「……うちの裏手の森じゃない」
「ええ。あなたの神社の裏の森よ」
華扇は頷いた。
「誘導は、過去に会館所属の若いハンターが二度試している。でも、二度とも森へ戻ってきた。森の奥に寝床があるのでしょう。それに、子供が蹴られているわ。放っておけば、次は参拝に来た人が怪我を負いかねない」
「だったら、倒せば早いじゃない」
「――そう言うと思ったわ」
華扇はニコリと笑った。笑ったまま、目だけが笑っていなかった。
「倒すのは、他に取り得る道が全部塞がってから。この子は人を襲いに来たのではない。人の荷物にちょっかいを出しただけ。それなら、捕まえて、人の来ない所へ移せばいい。理香子さんも、跳ぶ脚の仕組みを調べたいと言っていたしね」
「捕獲って、面倒なのよねぇ」
「知っているわ。だから修行なのよ」
霊夢は、依頼票の端の報酬の欄に目をやった。捕獲の報酬は、討伐より少しだけ高い。今月の賽銭箱の中身を思い浮かべた。思い浮かべるまでもなかった。
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
屋根の上で、萃香が手を叩いた。
「そりゃいい。――私も行くよ。神社の裏で暴れてる奴がいるなら、酒が不味くなる」
「萃香、あなたは討伐しかしないでしょう」
「失礼だねぇ。手加減くらいできるさ。……多分」
「んじゃ、目付けがてら私も行こうかね」
魅魔が、フワリと小屋の前に降りてきた。
「毎度のことだが暇だし。それに、仙人様が霊夢に捕獲を教えるところなんて、見物だろう?」
「見物は要らないわ。手伝うなら素直に手伝ってくれる?」
「はいはい」
あうんが、背負った大盾を揺すって一歩前に出る。
「わ、私も行きます!参道の近くなら、私の持ち場ですから!」
結局、出るのは全員だった。
霊夢は小屋の壁から防具を下ろし、袖を通していく。赤白の巫女服の上に、泡狐竜の薄紅の鱗と淡い青の甲殻を重ねる。大きなリボンを結び直し、最後に壁の太刀を取る。
針妙丸が、棚の上から小さな手を伸ばした。
「ほら。シビレ罠と、麻酔玉」
霊夢の手のひらに、折り畳まれた鉄の罠と、白い粉の詰まった丸い玉が二つ、ころりと乗せられた。
「二つしかないんだからね。外したら、承知しないよ」
「……分かってるわよ」
「本当に分かってる?捕獲は、罠に掛けて麻酔玉を二つ。二つとも当てなきゃ眠らない。一つあたりの濃度、効果量は決まってる。一つでも外したら、そこでおしまいなんだからね」
霊夢は、小人の真剣な顔を見下ろす。それから、麻酔玉を二つ、そっと腰袋にしまった。
「――はいはい。帳面、合わせといてあげるわよ」
「当たり前でしょ」
針妙丸は腕を組んで、偉そうに胸を張った。
~博麗神社 裏の森~
―――神社の裏手から、森へ入る細い道がある。
霊夢にとっては、薪を拾いに行く道だ。茸を採りに行く道でもある。春には筍、秋には栗。賽銭の少ない神社の台所を、半分くらい支えている森だった。
その森の入口で、華扇は足を止めた。
「霊夢。今日は、いつものように走っていかないこと」
「走らないわよ。面倒だもの」
「では、何から始める?」
霊夢は眉を寄せた。それが修行の問いだとすぐに分かった。
「……荷車が蹴られた所を見る」
「よろしい」
華扇は満足げに頷き、霊夢は小さく舌打ちした。
参道の脇の、森へ続く斜面の手前に、壊れた荷車が残っていた。
参拝客が、供え物の団子や酒を積んで引いてきた小さな荷車だ。横倒しになって、片側の車輪が外れている。荷台の板が一枚、真ん中から割れていた。
霊夢は、割れた板の前にしゃがみ込んだ。
板の表に、跡が付いていた。二つ並んだ、深い爪の跡。どちらも同じ深さで、同じ向き。間隔は霊夢の手のひら一つ分。
「……両足で、一遍に蹴ってる」
霊夢は呟く。片足で蹴ったのなら、跡は一つだ。両足で、跳びながら蹴り下ろした。そうでなければ、この形にはならない。
「では、どうやって跳んだのかしら」
華扇が、荷車の周りの地面を指した。
落ち葉の上に、足跡が点々と続いていた。三本指の、鳥竜らしい足跡だ。ただ、並び方がおかしい。二つ並んだ足跡があって、次の足跡までが、やけに遠い。大人が三歩歩いても届かないほど離れている。
そして、その二つの足跡の間の土に、ぽつんと一つ、丸い穴が空いていた。
足跡ではない。指の跡がない。ただ、こぶしほどの太さのものを、真上から土に突き立てたような穴だった。
霊夢は、その穴をじっと見た。理屈より先に、何かが分かる気がした。
――杖、みたいなものか。
「――尻尾で跳んでるのね」
口に出してから、自分で少し驚いた。華扇がほう、と小さく息を漏らす。
「なぜ、そう思ったのかしら」
「足跡が二つで、穴が一つ。足で着いて、尻尾で突いて、また跳んでる。……勘よ」
「勘でも、見てから出た勘なら、それは見立てよ」
華扇は、それ以上は何も言わなかった。霊夢は、褒められたのかどうか分からないまま、立ち上がった。
荷車の脇の藪に、竹の皮の包みが散らばっていた。団子の包みだ。中身はなく、皮だけが裂けて落ちている。その周りに、もっと小さな足跡が、いくつも重なっていた。大きいのが一つと、小さいのがたくさん。
「群れね。親玉と、子分」
「――ねえ、霊夢さん」
あうんが、森の入口の楓の枝を見上げていた。
霊夢の頭より少し高い枝に、何かが引っかかっていた。黄色い、フワフワとしたものだ。羽毛のようにも見えるが、手に取ると、羽にしては固い。細かな鱗が、羽の形に並んで生えているのだ。
「頭の飾りが擦れたんでしょう」
華扇が言った。
「その高さを跳び越えようとして、引っかけた。……あの高さまで跳ぶのよ。気を付けなさい」
萃香が、瓢箪の栓を抜いた。
「どれ。答え合わせを兼ねてちょいと見てこようかね」
萃香の小さな体が――ふわりとほどけた。薄い霧になって、森の奥へ流れていく。霊夢は、霧が木々の間に溶けていくのを見送った。
しばらくして、霧が戻ってきた。もう一度萃香の形になると、萃香は少し顔をしかめていた。体へ戻る一瞬が、いつも少しだけ苦しそうに見える。
「奥の沢の手前が、ざわついてる。獣が騒いだ後の匂いがするね。どこに何頭、までは分かんないけど」
「十分よ」
華扇の左肩から、久米が舞い上がった。木々の梢の上へ出て、ゆっくりと輪を描き始める。
一行は、森の奥へ進んだ。
奥へ行くほど、森は静かになっていった。さっきまで梢で囀っていた小鳥の声が、ふっと途切れる。落ち葉を踏む音だけが、やけに大きく聞こえた。
倒木を越えた先で、華扇が手を上げた。全員が足を止める。
木々の間に、開けた窪地があった。
――そこに、群れが居た。
赤と緑の、鮮やかな鳥竜だった。人の腰ほどの丈で、細い首と、太く発達した後ろ脚。尻尾は体と同じくらい長い。『マッカォ*3』の群れだ。六、七頭が、窪地の真ん中に転がった山葡萄の蔓に群がって、熟れた実をついばんでいた。
その群れの真ん中で、ひときわ大きな一頭が、跳ねていた。
跳ねていた、としか言いようがなかった。長い尻尾を真下に突き立て、その尻尾だけで体を支えて、ピョン、ピョンと弾んでいる。赤と緑の体は子分たちの倍ほども大きい。頭には、羽のような黄色いトサカが扇のように広がっていた。弾むたびに、トサカがふわりと揺れる。
長は尻尾で弾みながら、窪地の端の倒木に近付いた。そして、クルリと身を翻すと、両脚で倒木を思い切り蹴りつけた。
ゴッ――と鈍い音がした。
倒木の腐った皮が剥がれ、中から白い虫がぼろぼろと転がり出る。子分たちが、我先にと虫に群がった。長は誇らしげにトサカを広げ、また尻尾で弾み始めた。
「……遊んでるのかしら、あれ」
霊夢が呟くと、華扇が首を横に振った。
「餌を探しているの。蹴って木を割って、子分に食べさせている。……荷車を蹴ったのも、同じ目的よ。中に、甘い匂いのするものがあったから」
霊夢は、長の脚を見た。太く、引き締まっている。荷台の板を割った脚だ。それから、長の背中の向こうを見た。窪地の奥、沢へ下る斜面の途中に、大きな岩の割れ目がある。その前の地面だけ、落ち葉が掻き寄せられて、丸く窪んでいた。
「あそこが寝床?」
「おそらく」
華扇が、腰の剣にそっと手を置いた。
「霊夢。捕獲の手順を言ってみなさい」
「……弱らせる。罠に掛ける。玉を二つ」
「弱らせ方が足りないと、麻酔は効きかない。しかし弱らせすぎれば、死んでしまう。――その間で止めるのです」
華扇の声は、静かだった。
「弱ってくると、あの子は必ず寝床へ帰ろうとする。脚を引きずり、トサカを畳む。そうなったら、追いかけてはいけません。――先回りよ」
華扇は霊夢達を見回す。
「萃香、あなたは手加減を。魅魔は、大技を撃たないこと。あうんは、前衛として蹴りを盾で受けて。霊夢は――」
「斬りすぎない、でしょ」
華扇は、小さく微笑んだ。
「よろしい」
霊夢は、窪地の縁から跳び降りた。
子分たちが、一斉に顔を上げた。甲高い鳴き声が、森に響く。
〈キャッ、キャキャッ!〉
長が、尻尾で一際高く弾んだ。宙で身を翻し、霊夢を見下ろす。黄色いトサカが、ばっと逆立った。
長が落ちてくる。
尻尾で地面を突き、その反動でもう一度跳ぶ。今度は真っ直ぐ、霊夢に向かって。両脚の爪が、陽を弾いて光った。
――蹴りだ。
霊夢は横へ跳んだ。長の両脚が、さっきまで霊夢の居た落ち葉を蹴散らす。着地した長は、尻尾で弾んで、またすぐに跳ぶ。速い。足で走るより、ずっと速い。
二度目の蹴りの前に、大きな影が割り込んだ。
「――通しませんよ!」
あうんが、大盾を正面に構えていた。岩竜の岩殻を張った、ゴツゴツとした大盾だ。長の両脚の蹴りが盾を打ち、ゴンッ、と岩を叩いたような音がした。あうんの体が、落ち葉の上を滑って半歩下がる。
それでも、あうんは倒れなかった。
長は、盾を蹴った反動で、また宙に跳ね上がった。尻尾で着地し、首を傾げる。蹴っても倒れない相手を、不思議そうに見ていた。
霊夢は、その一瞬に踏み込んだ。
太刀を抜く。泡狐竜の曲線を写した刀身に、薄紅と淡い青の泡のような紋が浮く。狙うのは脚だ。斬り落とすのではない。腿の外側を、浅く。
一太刀。刃が赤と緑の鱗を裂き、泡が弾けた。長がよろめき、尻尾で体を支え直す。
子分のマッカォたちが、霊夢の周りに群がってきた。一頭が、横から蹴りかかってくる。
「おっと、そっちは私が相手だよ」
萃香が、霊夢の脇に飛び込んできた。
担いでいたのは、大きな槌だった。苔むした茶色の甲殻を重ねた、骨と殻の塊のような槌頭。その両脇から、曲がった角のような飾りが突き出している。柄からは三本の鎖が垂れ、先に丸と三角と四角の分銅が揺れていた。年老いた尾槌竜の尻尾から打ち出した槌――萃鬼鎚『伊吹颪』。
萃香は槌を振り上げ、子分の足元の地面を思い切り叩いた。
ドンッ、と地面が揺れる。落ち葉が舞い上がり、子分たちが驚いて跳ね散った。槌は、一頭も打っていない。地面を叩いただけだ。
「ほらほら、手加減してるだろう?」
「地面を割らないで、萃香!」
華扇の声が飛んだ。萃香は「割ってないよ、ちょっとへこんだだけさ」とヘラヘラ笑う。
長が、また跳んだ。
今度は霊夢ではなく、あうんの方へ。真上から、尻尾で弾んだ勢いを乗せて、両脚を叩きつけてくる。あうんが盾を頭上に掲げる。蹴りが盾の縁を打った。
あうんの膝が、がくりと折れた。
「あれ……?」
あうんの目が、くるくると回っていた。盾ごしに衝撃で頭を揺さぶられたのだ。足がもつれて、フラフラと横へ傾く。
長が、尻尾で弾んで、もう一度跳ぶ。――目を回したあうんに向かって。
その時、白銀の影が、あうんの前に滑り込んだ。
――華扇だった。包帯の右腕に括り付けた小さな盾を斜めに構え、長の蹴りを受け流す。蹴りの勢いを殺さず、横へ逸らすだけ。長は盾の面を滑って、あらぬ方向へ着地した。
華扇の左手には、磨き上げた鋼の鱗を重ねた細身の剣が握られていた。脱ぎ捨てられた鋼龍の殻を、何か月もかけて磨き直した剣――鋼龍剣盾『風導』。
華扇は、剣を握ったまま、腰袋から小瓶を一本抜いた。片手で栓を弾き、目を回したあうんの口元へ瓶を当てる。
「飲みなさい。ゆっくり」
あうんが、こくこくと喉を鳴らし、回っていた目が少しずつ止まっていく。
霊夢は、その手際を横目で見ていた。剣を抜いたまま、盾で受け、瓶を出し、飲ませる。剣を収める暇もない。それなのに、どの手も止まっていない。
――これが片手剣の特徴であり、強み。
霊夢の太刀では、ああはいかない。
魅魔が、ふわりと宙に浮かんでいた。
手にしているのは、三日月を戴いた杖のような得物だった。盾と剣を合わせた形。刃と盾の面は、鏡のように磨かれた白銀。柄巻きだけが、黒ずんだ皮で巻かれている。死をまとう龍の亡骸から得た、盾斧――屍套盾斧『黄昏』。
魅魔は剣で、跳ねる子分を一頭、軽く払った。払っただけで、斧には変えない。
「大技は撃つなとは、退屈だねぇ」
「――退屈なら、子分を散らしておいてくれる?」
「はいはい」
魅魔は気のない返事をして、それでも子分の群れの間を、ヒラヒラと漂い始めた。悪霊が近付くと、子分たちは悲鳴を上げて逃げ散る。理由は分からないが、怖いものは怖いらしい。
霊夢は、改めて長と向き合った。
長は尻尾で弾みながら、霊夢の周りを回っている。右の腿の傷から、細く血が流れていた。弾むたびに、右脚の着地だけが、ほんの少し遅れる。
――あそこだ。
霊夢は待った。長が跳ぶ。両脚が迫る。霊夢は、半歩だけ左へずれる。蹴りが袖をかすめる。着地の瞬間、右脚が遅れる。
霊夢の太刀が、右の脛を浅く払った。
〈キュッ……!〉
長が、尻尾で弾み損ねた。
体が傾き、落ち葉の上に片膝をつく。慌てて尻尾を突き立て、立ち上がる。だが、弾み方が低くなっていた。さっきまで梢に届きそうだった跳躍が、今は霊夢の頭ほどの高さにも届かない。
黄色いトサカが、少しずつ、畳まれていく。
長の口の端から、細く涎が垂れていた。
「霊夢」
華扇が、低く呼んだ。
「見えているわね」
「……見えてるわよ」
霊夢は、太刀を下げた。
長は、霊夢を見た。それから、窪地の奥を見た。沢へ下る斜面の、岩の割れ目の方を。
長は、子分たちに短く鳴いた。
〈キュイ……キュイッ〉
子分たちが、散り散りに森の奥へ逃げていく。長だけが、右脚を引きずりながら、尻尾で小さく弾んで、窪地の奥へ向かっていった。岩の割れ目の前の、落ち葉を掻き寄せた寝床の方へ。
霊夢の足が、一歩、前へ出かけた。
「追ってはいけません」
華扇の声が、霊夢の足を止めた。
「今追えば、あの子は寝床を捨てて逃げる。逃げた先で、また誰かの荷車を蹴る。……先回りです。あの子が眠るのを、寝床で待ちましょう」
霊夢は、拳を握った。それから、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かったわよ。待てばいいんでしょ、待てば」
~博麗神社 裏の森の奥 岩の割れ目~
―――先回りの道は、沢沿いだった。
窪地を大きく迂回して、沢へ下りる。水の音が足音を消してくれる。沢の岩を伝って上流へ。久米が梢の上で輪を描き、時々、短く鋭く鳴いて方角を教える。長はまだ、窪地の奥をのろのろと進んでいるらしい。
沢の岸から斜面を這い上がると、目の前に岩の割れ目があった。
寝床は、思っていたよりずっと小ぢんまりとしていた。
岩の割れ目の前に、落ち葉と枯れ草を掻き集めて、丸い窪みが作ってある。窪みの縁には、齧り尽くした獣の骨が何本か。割れ目の奥の暗がりには、山葡萄の房がいくつもしまい込まれていた。殆どが、まだ青い。熟れるのを待っているのだろう。
窪みの底には、黄色い羽のような鱗が、何枚も落ちていた。トサカから抜け落ちたものだ。古いものも、新しいものもある。
「……何年も、ここで寝てるのね」
霊夢が呟くと、華扇が頷いた。
「だから、誘導しても戻ってくる。ここが、あの子の家なのだから」
「なら、移すのは可哀想じゃない」
口に出してから、霊夢は少しだけ驚いた。そんなことを言うつもりはなかった。
華扇は、霊夢の顔を見た。それから、ゆっくりと首を横に振った。
「えぇ、可哀想なことです。でも、ここは神社の裏で、参道のすぐ脇。この子がここに住み続ける限り、いつか誰かが、子供が蹴られた程度では済まない怪我をする。そうなれば――次は、討伐の依頼が出ます」
霊夢は、黙った。
「捕まえて、人の来ない森へ移す。生きて、新しい寝床を作る。それが、この子に残された一番いい道です」
華扇は、そう言って寝床の窪みの縁にしゃがみ込んだ。
「霊夢。罠はどこに置くつもり?」
霊夢は、寝床を見回した。窪みの真ん中。長が眠る場所だ。けれど、寝ている所の真下に罠は置けない。置けば、気付かれる。
長が起きて、最初に足を下ろす所。
霊夢は、窪みの縁の、沢の方を向いた側を指した。
「――あそこ。起きたら、まず沢の方へ水を飲みに行く気がする」
「なぜ、そう思ったの?」
「さっき、涎を垂らしてたでしょ。喉が渇いてるのよ。……それと、勘」
華扇は、少しだけ笑った。それから、霊夢が指した場所の落ち葉を、手で払った。
「場所はいい。でも、ここは落ち葉が厚すぎるわ。罠の脚が沈んで、上手く開かない。……もう半歩、こちら。土が固い所に」
霊夢は、針妙丸から渡された罠を腰袋から取り出した。折り畳まれた鉄の枠を開き、地面に据える。爪のような金具を土に噛ませ、留め具を外す。罠の上に、落ち葉を薄く撒いて隠した。
それから、全員で寝床から離れた。
風下の岩陰に、霊夢と華扇が。少し離れた倒木の陰に、あうんと萃香。魅魔は、岩の上にふわりと浮いて、ほとんど気配を消していた。
――待った。
木々の間を、風が渡っていく。沢の水音だけが聞こえる。霊夢は、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえるのに気付いた。待つのは、苦手だ。
やがて、落ち葉を踏む音がした。
ガサ。ガサ。間を置いて、トン。尻尾で地面を突く音だ。ガサ。ガサ。トン。
長が、窪地の方から現れた。
右脚を引きずっている。尻尾で弾むのも、もうやめていた。尻尾を杖のように地面に突いて、体を支えながら、一歩ずつ歩いている。黄色いトサカは、すっかり畳まれて頭に張り付いていた。
長は寝床の前で立ち止まり、鼻をひくつかせた。
霊夢は息を止めた。
長はしばらく辺りの匂いを嗅いでいた。風は、長の方から霊夢の方へ吹いている。こちらの匂いは、向こうへは届かない筈だ。
長は、寝床の窪みへ入った。
くるりと一度回り、落ち葉の上に体を横たえる。長い尻尾を体に巻き付け、首を尻尾の上に乗せる。目が、とろりと閉じていく。
やがて、寝息が聞こえ始めた。
クゥ、クゥ、と細く、規則正しい寝息だった。尻尾の先が、時々ぴくりと動く。夢でも見ているのかもしれない。
「……寝たわね」
霊夢が囁くと、華扇が頷いた。
「眠っている間に、体は少しずつ治っていきます。長く寝かせれば、それだけ元気になる。……長く待つことはできません」
「起こすの?」
「起こし方が大事よ。驚かせれば、あの子は跳んで逃げ、罠の上を跳び越えてしまう。……だから、そっと起こす」
華扇は、足元の小さな栗を一つ拾った。それを、霊夢の手に乗せる。
「寝床の、沢と反対の側へ。あの子の頭の後ろへ、落としなさい。音のする方から離れようとして、沢の側へ起き上がる筈よ」
霊夢は、栗を指先で摘んだ。
狙いを定める。周りの音が、すうっと遠のいていく。沢の音も、風の音も。見えるのは、寝床の奥の、落ち葉の一点だけ。
栗を――放った。
栗は弧を描いて、長の頭の後ろの落ち葉に、カサリと落ちた。
長の目が、パチリと開いた。
首を持ち上げ、音のした方を振り返る。何も居ない。長は、ゆっくりと体を起こした。尻尾を地面に突き、音から離れるように、沢の側へ――跳んだ。
霊夢の息が止まった。
長は歩かなかった。尻尾で地面を突いて、跳んだのだ。弱っていても、跳ぶ癖は抜けていなかった。低く、短く、それでも罠の真上を、越えて――右脚が、ズルリと滑った。
傷ついた右脚では、着地を支えきれなかった。長の体が傾き、罠の手前に落ちる。落ちて、慌てて踏ん張ろうとした左脚が、落ち葉の下の鉄の枠を、踏んだ。
バチッ、と青白い光が弾けた。
〈ギュッ、ギュギュッ……!〉
長の体が、硬直した。罠から迸る痺れが、脚から体へ駆け上がっていく。長は首を振ろうとして、振れない。尻尾を突こうとして、突けない。
「――今です、霊夢!」
華扇が叫んだ。
霊夢は、もう岩陰から飛び出していた。腰袋から白い玉を一つ掴み出す。走りながら、長の顔めがけて投げる。
玉は長の鼻先で割れた。白い煙が、ブワリと長の顔を包む。長が煙の中で、くしゃみのような音を立てた。
瞼が、半分落ちる。
――でも、まだ足りない。まだ、眠っていない。
霊夢は、二つ目の玉を掴んだ。
手のひらの中の玉が、やけに重く感じた。最後の一つだ。これを外せば、罠の痺れが切れる。長は逃げる。もう二度と、この寝床には戻らないかもしれない。そして、どこか別の参道で、また誰かの荷車を蹴る。
――『外したら、承知しないわよ』
同居人の小人の偉そうな顔が、頭に浮かんだ。
霊夢は、足を止めた。
走りながら投げるのをやめた。立ち止まって、見る。煙の向こうの、長の顔。痺れて震えている鼻先。半分落ちた瞼。
――狙うべきは、あそこ。
投げた。
二つ目の玉は、長の額の真ん中で割れた。
白い煙が長の頭を丸ごと包み込む。
長の瞼が、ゆっくりと落ちた。痺れて強張っていた体から、スウッと力が抜けていく。首が垂れ、トサカが落ち葉の上に広がった。長い尻尾が、ダラリと地面に伸びる。
罠の光が消えた。
長は、罠の上に横たわったまま、動かなかった。
霊夢は、その場に立ち尽くしていた。
寝息が聞こえた。
クゥ、と細く、深く。さっきの眠りよりも、ずっと深い寝息だった。
華扇が、岩陰から歩み出てきた。長の傍に膝をつき、首筋にそっと指を当てる。それから、半分開いた口元に、手のひらを翳す。
「……息は深い。脈も、落ち着いている」
華扇は、包帯の右腕で長の尻尾をそっと持ち上げた。霊夢の胴ほどもある太い尻尾が、驚くほど軽々と持ち上がる。尻尾の付け根に、霊夢の付けた浅い傷が二つ。それ以外に、深い傷はない。
「――捕獲成功です」
華扇は、霊夢を振り返った。
「よく、立ち止まったわね」
霊夢は、空になった腰袋を見下ろした。
「……二つしかなかったのよ。外したら、針妙丸に何言われるか分かんないじゃない」
倒木の陰から、萃香がカラカラと笑いながら出てきた。あうんが、大盾を背負い直しながら、そっと長の顔を覗き込む。
「眠ってますね……」
「起こすんじゃないよ、あうん」
岩の上から、魅魔の声が降ってきた。いつの間にか、岩の上に腰掛けて、長の寝顔を見下ろしている。
「せっかく霊夢が、二つとも当てたんだからさ。……ま、見てなかったけどね、何も」
「見てたでしょ」
「さあねえ。忘れちまったよ」
魅魔は、とぼけた顔で肩をすくめた。
萃香が瓢箪の酒を一口あおり、それから、ふっと体をほどいた。小さな萃香が、五人、六人と、落ち葉の上に現れる。どれも手のひらほどの大きさで、どれも同じように頬が赤い。
「さて、運び出しだ。参道に会館の荷車が来てるはずだよ」
小さな萃香たちが、ワラワラと長の体の下に潜り込んだ。華扇とあうんが前脚の方を、霊夢が尻尾の方を持つ。眠った長の体は、ズシリと重かった。
華扇は、運び出す前に、長の頭の傍で、短く手を合わせた。
霊夢は、それを黙って見ていた。それから、少しだけ迷って、自分も片手だけ、胸の前に立てた。
~博麗神社 母屋の縁側~
―――夕暮れの縁側に、茶の湯気が立っていた。
参道の脇で待っていた会館の荷車は、眠った長を乗せて、もう人里へ下りていった。荷車を曳くアプトノスの背で、長はずっと寝息を立てていた。人里の生態研究室で脚を測られた後、人の来ない原野の奥の森へ移されるのだという。
霊夢は縁側に腰を下ろし、両手で湯呑みを包んでいた。
隣には、華扇が座っていた。膝の上の皿には、人里の茶屋の饅頭が三つ。依頼の報告ついでに、華扇が自分で買ってきたものだ。神社の茶菓子は、とっくに萃香と魅魔が食べてしまっていた。
「……で、修行はこれで終わり?」
「今日の分は、終わりよ」
「今日の分は、ね」
霊夢は湯呑みを傾けて、渋い顔をした。華扇は、饅頭を一つ、上品に二つに割った。
「霊夢。今日、あなたは何回立ち止まった?」
「……知らないわよ」
「荷車の前で一回。あの子が寝床へ戻る時に一回。最後の玉を投げる前に一回。三回です」
華扇は、割った饅頭の片方を霊夢の皿に置いた。
「三回とも、立ち止まって、見てから動いた。勘だけで動いたことは、一度もない」
霊夢は、黙って饅頭を見下ろした。
「勘を捨てろと言っているのではありません。あなたの勘は、私より遥かに鋭い。でも、見てから出た勘は、より外れにくい。……事実として、今日のあなたの勘は一度も外れなかった」
霊夢は、饅頭を口に放り込んだ。甘い。少しだけ、甘すぎるくらいだった。
「……次は、もっと上手く居留守を使うわ」
「あうんに頼む限り、無理でしょうね」
華扇がクスリと笑った。
参道の方から、竹箒の音が聞こえてくる。あうんが、夕方の掃除をしていた。霊夢と目が合うと、あうんは箒を抱えたまま、ぺこりと頭を下げた。
「霊夢さん、次も嘘はつけません!ごめんなさい!」
「はいはい。分かってるわよ……」
屋根の上から、カラカラと笑い声が降ってきた。萃香が棟に寝そべって、瓢箪を傾けている。その隣で、魅魔が逆さまに浮かんで、夕焼けを眺めていた。
「いやぁ、いい肴だったねぇ。霊夢が立ち止まって玉を投げるところなんて、そうそう見られないよ」
「見てたのね、やっぱり」
「見てないよ。私は霧になって寝てたからさ」
「霧になって寝る鬼が、どこに居るのよ」
「ここに居るさ」
魅魔が、逆さまのまま口を挟んだ。
「私は見てたよ。……あれ、見てなかったんだっけ。どっちだったかね。忘れちまった」
「都合のいい物忘れね」
霊夢がぼやくと、悪霊と鬼は顔を見合わせて、同時に笑った。
縁側の端の柱の陰から、小さな影が帳面を抱えて歩いてきた。針妙丸だった。自分の体ほどもある帳面を、よいしょ、と縁側の板の上に広げる。
「霊夢。帳面付けるわよ」
「……どうぞ」
「シビレ罠、一つ使用。残り、なし。捕獲用の麻酔玉、二つ使用。残り、なし」
針妙丸は、小さな筆で帳面に線を引いた。それから、顔を上げて、霊夢をじっと見た。
「二つとも、当たったんだね」
「当たったわよ」
「ふうん」
針妙丸は、それだけ言って、帳面の一番下の行に、何かを書き足した。霊夢が覗き込むと、そこには小さな字で、こう書いてあった。
「――ちょっと」
「当たり前でしょ。使ったら、補う。帳面が合わないと、次に困るのは霊夢なんだから」
針妙丸は腕を組み、偉そうに胸を張った。霊夢は報酬の袋を懐の上から押さえて、深い溜め息をついた。
華扇が、残りの饅頭を一つ、針妙丸の前にそっと置いた。小人の体には、自分の頭ほどもある饅頭だった。
「よく、帳面を付けているわね。あなたのおかげで、霊夢は玉の数を間違えずに済むわ」
針妙丸は、目を丸くした。それから、顔を赤くして、そっぽを向いた。
「……べ、別に。家賃代わりだから」
夕陽が、鳥居の向こうの空に沈んでいく。神社の裏の森から、ねぐらへ帰る鳥の声が聞こえてきた。今朝は静かだった森に、いつもの声が戻っていた。
鳥居の上で、大鷲の久米が、一声高く鳴いた。
「さて。私はそろそろ山へ戻ります」
華扇が立ち上がった。
「霊夢。来週も来ますからね」
「――来週は、居ないわよ」
「では、居ない霊夢に会いに来ます」
華扇は穏やかに微笑んで、石段を下りていった。規則正しい、迷いのない足音が、だんだんと遠ざかっていく。
霊夢は、その背中を見送りながら、最後の饅頭の欠片を口に入れた。
――博麗神社には、今日も頼んでいない客が集まる。そして居留守は、大抵上手くいかない。
マッカォとかいう序盤も序盤で出る癖になんか強いやつ。
『茨木華扇』
所属:人里ギルド
役職:妖怪の山に屋敷を構える仙人
武器:鋼龍剣盾『風導』(片手剣)
防具:鋼龍装【茨華】
『伊吹萃香』
所属:人里ギルド
役職:博麗神社に入り浸る鬼
武器:萃鬼鎚『伊吹颪』(ハンマー)
防具:尾槌装【百鬼】
『魅魔』
所属:人里ギルド
役職:博麗神社に居着いた悪霊
武器:屍套盾斧『黄昏』(チャージアックス)
防具:屍套装【久遠】
『少名針妙丸』
所属:博麗神社(ハンター登録なし)
役職:神社の手伝い。装備の繕いと狩具小屋の帳簿付け