みんなは曇らせが好き?私は大好きです。この話書くの筆が乗って仕方がねぇ状態でした。次話は書いたことのない戦闘シーンなので時間かかります。許して許して。あと短い時間でお気に入り登録してくれた人ホントにありがとう感謝感激雨アラモード
朝早くから、私は落ち着かなかった。目を覚ましてからというもの、部屋の中を何度も行ったり来たりしている。クローゼットを開けて、服を選ぶ。これがいいかなと思って着てみる。鏡を見る。やっぱり違う気がして脱ぐ。別の服を着る。また鏡を見る。そんなことを、もう何度繰り返したのか分からない。
「……忙しないなぁ」
さっき、お兄にもそう言われた。自分でも分かっている。今日は明らかに、いつもの自分ではない。でも、仕方ないやろ。だって――今日は、久しぶりにお姉に会えるのだから。
最後にちゃんと顔を合わせてから、どれくらい経っただろう。一年。たった一年なのか。それとも、もう一年も経ってしまったのか。私には、そのどちらにも感じられた。長かった。本当に長かった。
その間、何度もお姉のことを考えた。今、何をしているんやろ。ちゃんと食べてるんやろか。元気にしてるんやろか。私のことを、少しでも思い出すことはあるんやろか。そんなことを考えるたびに、胸の奥が少しだけ痛くなった。
それでも今日は。やっと会える。
私は鏡の前に立った。今日着る服は、お兄が買ってくれたばかりのものだ。私にとっては、とっておきの一張羅。少しだけ背伸びをした服。今日のために選んだ服だった。
「……似合ってるやろか」
鏡の中の自分に問いかける。当然、返事はない。私は少しだけ姿勢を正して、笑ってみた。
「……にこっ」
不自然。もう一度。
「……にこっ」
今度は少しだけ自然になった気がする。でも。
「……お姉の前やったら、ちゃんと笑えるかな」
急に不安になった。もし、会った瞬間に緊張してしまったら。声が震えたら。何を話せばいいのか分からなくなったら。泣いてしまったら。
そんなことを考えるだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
会いたい。でも、怖い。
その二つの気持ちが、ずっと胸の中でぶつかっている。それでも、会いたいという気持ちの方が、ほんの少しだけ強かった。
「何話そ……」
学校のこと。家のこと。最近遊んでいるゲームのこと。話したいことなら、いくらでもある。でも、それ以上に聞きたいことがあった。
お姉は、この一年間、何をしていたんやろ。どんな生活をしていたんやろ。何を食べて。誰と話して。どんなことで笑って。どんなことで泣いたんやろ。
お母さんから聞いた話では、お姉は自分で学費や生活費を稼いでいるらしい。きっと、私が知らないところで頑張っている。そのことを、直接聞いてあげたい。
「頑張ったね」
「偉かったね」
そう言ってあげたい。
そして、できることなら。私が知らない一年間のお姉を、少しでも知りたい。もっと、お姉のことを知りたい。
そう思っているうちに、時計の針は十時前を指していた。
「……そろそろ行こ」
私は鏡の中の自分に、最後にもう一度笑いかけた。今度は、少しだけ自然に笑えた気がした。
私は部屋を出る。お兄に「行ってきます」を言うために、リビングへ向かった。
「お兄、お姉のところ行ってくるね」
ソファに座って小説を読んでいたお兄が、顔を上げる。私を見るなり、一瞬だけ目を丸くした。それから、口元を緩める。
「おお」
「……?」
「えらい可愛くなったなぁ」
「……ほんま?」
「いつも可愛ええけど、今日はもっと可愛ええよ」
お兄は本気なのか冗談なのか分からない顔で、私を上から下まで眺める。
「これなら彩葉もイチコロや」
「もう、お兄!」
思わず頬が熱くなる。
「何言うてんの」
「いやいや、兄としての正直な感想や」
「……知らん」
私は恥ずかしくなって目を逸らした。お兄は笑っている。でも、きっと分かっている。私が緊張していることも、朝から何度も鏡を見ていたことも、笑顔の練習をしていたことも。たぶん、全部。
だからわざと、こんなふうに冗談を言っている。少しでも緊張をほぐそうとしてくれている。
「彼方」
不意に、お兄の声が少しだけ優しくなる。私は顔を上げた。
「頑張り」
「……うん」
「彩葉も、きっと分かってくれる」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「大丈夫や」
「……うん」
私は小さく頷いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関を出る。扉が閉まる。外へ出た瞬間、熱気が身体を包み込んだ。
「暑……」
思わず声が漏れる。今日は朝から茹だるような暑さだった。アスファルトが太陽の光を反射して、下からも熱が上がってくる。肌がじりじりと焼かれているような感覚。
いつもなら、こんな日に外を歩くのは嫌になる。なのに今日は、全く気にならなかった。身体が妙に軽い。胸の奥にある期待が、暑さすら吹き飛ばしているようだった。
「早く会いたいな……」
思わず呟く。
けれど、早く会いたいと思うほど、胸の奥が少しだけ怖くなる。
もし。
もし、お姉が私を見て嫌そうな顔をしたら。
もし、私のことを、もう必要ないと思っていたら。
そこまで考えて、私は首を横に振った。
「……大丈夫や」
お兄も言ってくれた。
大丈夫。きっと、大丈夫。
私は歩き出す。
お母さんに教えてもらった住所を頼りに、お姉の住んでいる場所へ向かう。歩いて二十分ほど。たった二十分。普段なら何とも思わない距離なのに、今日はその二十分がやけに長く感じた。
早く着きたい。
でも。
着いてしまうのが怖い。
そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、私は歩き続けた。
そして。
「……ここ?」
目の前に、一軒のアパートが見えた。
少し年季が入っている。壁はところどころ色褪せていて、階段には錆が浮いている。決して立派な建物ではない。言葉を選ばなければ、ボロアパートと呼んでもいいくらいだ。
でも。
「お姉、ここに住んでるんや……」
そう思った瞬間、不思議と、その建物が嫌いにはならなかった。
お姉が住んでいる。
ただ、それだけで。
私には十分だった。
錆びた階段を上る。一段。また一段。二階。教えてもらった部屋番号を確認する。
間違いない。
ここだ。
私は扉の前に立った。
心臓が、急にうるさくなる。
ドクン。
ドクン。
さっきまで歩いていたときよりも、明らかに速い。手のひらに汗が滲む。指先が冷たい。
インターホンはない。
だから、自分の手で叩くしかない。
私はゆっくりと手を上げた。震えている。
「……大丈夫」
小さく呟く。
「大丈夫や」
そして。
コン。
コン。
扉を二度ノックした。
たった二回。それだけなのに、まるで、自分の人生を左右する扉を叩いているような気がした。
中から物音がする。
何かを動かす音。
足音。
近づいてくる。
心臓がさらに速くなる。
そして。
ガチャ。
扉が開いた。
「うわぁー、可愛い子だ。どうしたの?」
最初に目に入ったのは、黒いTシャツを着た女の子だった。
私は一瞬、言葉を失った。
「……」
そして、その隣。見覚えのある顔。配信で何度も見た、お姉と一緒に活動している女の子。
「……かぐやちゃん?」
そして、その二人の後ろには――。
「…………」
部屋。
服。
空き箱。
飲み物の容器。
ゲーム機の周辺機器。
本。
何に使うのか分からないもの。
床に散乱した、ありとあらゆるもの。
「…………」
思考が止まった。
想像していたお姉の部屋とは、あまりにも違った。
「えーっと……?」
かぐやちゃんが私の顔を覗き込む。
「おーい?」
「…………」
「大丈夫?」
「…………」
「ねぇってば!」
「はっ!」
大きな声に、ようやく我に返った。
「す、すみません……」
慌てて頭を下げる。
「ぼーっとしてました」
「大丈夫?」
「はい」
私は深呼吸する。
「私は……お姉に……」
言葉が詰まる。
普段のお兄との会話ならしない、外向きの標準語を使う
「酒寄彩葉さんに会いに来ました。今はいないのでしょうか?」
かぐやちゃんが目を丸くする。
「え?」
そして。
「……妹!?」
「……はい」
「彩葉、妹なんていたんだ!」
彼女の表情が一気に明るくなる。
「可愛いー!」
「え?」
「彩葉に会いに来たんだよね?」
「はい」
「彩葉なら今、バイトしに行ってるよ。今日は午前中だけって言ってたから、もうちょっとで帰ってくると思う」
「そうなんですね」
「それまで私とお話しよ!」
「え?」
返事をするより早く、手を取られた。
「ちょ、あの……」
「ほらほら!」
そのまま部屋の中へ引きずり込まれる。
なんて自由な人なんや、この人は。
「適当に座って座って!」
「えっと……」
「なんのおもてなしもできない、映えない部屋ではございますが!」
両手を広げて。
「このかぐや、絶対に退屈はさせないから!」
私は言われるまま、床に正座した。
「あの……」
「ん?」
「突然来てしまって、ごめんなさい」
「全然いいよー」
「自己紹介もまだでしたよね」
私は背筋を伸ばした。
「私は酒寄彼方と言います。姉がお世話になっています」
すると、かぐやちゃんは少しだけ目を細めて笑った。
「彼方」
「はい」
「いい名前」
そう言って、彼女は手を差し出した。
「私はかぐや。よろしくね、彼方」
私は差し出された手を見る。どうすればいいのか分からず、一瞬固まった。
「……?」
「握手だよー」
「あ……」
私は手を差し出した。すると、彼女は私の手を両手で包み込んだ。
「よろしく!」
ぶんぶん。
思った以上の勢いで腕を振られる。
「……ふふ」
思わず笑ってしまった。
その握手には、言葉以上のものがあった。
――あなたに会えて嬉しい。
そんな気持ちが、手を通して伝わってくるようだった。
「えっと……かぐやさんですよね」
「うん」
「お姉と一緒に配信しているの、知っています」
「ほんと?」
「配信も拝見させていただきました。綺麗な人だと思っていました。それに、新規ファンの獲得数もすごい勢いだって……」
「えへへ」
彼女は照れながら笑う。そして、胸を張った。
「ま、私、天才美少女ですから」
「……」
確かに。
そう思ってしまった。
普通の女の子が言えば、嫌味に聞こえるかもしれない。でも、この子が言うと、不思議と嫌味に感じない。むしろ、妙に納得してしまう。
人を惹きつける力。
初対面の私ですら、ほんの数分で笑わされている。それは、努力だけでは身につかないものなのかもしれない。
――勝てへんな。
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「ねぇねぇ!」
「はい?」
「昔の彩葉のこと教えて!」
かぐやちゃんが身を乗り出す。
「私、ちょー気になる!」
「昔のお姉……ですか?」
「そう! どんな子だったの?」
私は少し考える。
そして、微笑んだ。
「分かりました」
「やった!」
「その代わり……」
私は彼女を見る。
「今のお姉のこと、教えてくれませんか?」
「もちろん!」
それから、私たちは、出会ったばかりだというのに、一人の人間について語り始めた。
不思議な時間だった。
お姉は優しい人だと言えば。
「それ、分かる」
かぐやちゃんは真顔で頷く。
音楽が好きだと言えば。
「彩葉、本当に凄いよね。作曲できるんだもん」
自分のことのように胸を張る。
なんでもできると言えば。
「確かに」
即答。
頑張り屋さんだと言えば。
「ちょっと心配になるくらいにね」
そう言って苦笑した。
私の知っているお姉。
そして、かぐやちゃんの知っているお姉。
同じ人なのに。
違う。
知らない。
私が知らないお姉が、どんどん出てくる。
「彩葉の作るパンケーキ、クソまずいよ」
「え?」
思わず聞き返した。
「水と粉って感じの味がする」
「……お姉、料理上手やったのに」
「うそ!?」
「本当です」
「じゃあ、料理だけ退化したんだ……」
二人で笑う。
「あとね、前にヤチヨのライブで号泣してた」
「えっ……」
そんな姿。
私の知っているお姉からは想像できない。
「それとね――」
かぐやちゃんは楽しそうに話し続ける。
その一つ一つが、私には新鮮だった。
知らなかった。
こんなお姉がいたんだ。
嬉しい。
もっと知りたい。
そう思う。
でも。
同時に。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
「一緒に寝てくれる」
「……え?」
思わず聞き返した。
「ここに住んでるんですか?」
「うん」
「……そうなんや」
お姉が。
この子と一緒に。
私の知らない場所で。
私の知らない時間を過ごしていた。
その事実が、胸に刺さった。
羨ましい。
その感情が、頭に浮かぶ。
私は、それをすぐに否定した。
そんなこと思ったらあかん。
かぐやちゃんは何も悪くない。
むしろ。
こんな私に優しくしてくれている。
なのに。
私は。
嫉妬している。
私の知らないお姉を知っている、この子に。
一緒に笑って。
一緒に過ごして。
お姉の隣にいる、この子に。
「……最低や」
小さく呟く。
「ん?」
「なんでもないです」
私は笑った。
作り笑い。
胸の中に、黒いものが広がっていく。
自分が嫌になる。
逃げたくなる。
この人から。
この部屋から。
そして。
こんな醜い感情を抱いている自分自身から。
「お姉はまだ帰って来ないようですし……」
私は立ち上がった。
「今日は、お暇しますね」
「えーーー!」
かぐやちゃんが露骨に残念そうな顔をする。
「もっとお話しようよー」
「ごめんなさい。もうお昼ですし、また今度伺います」
「また来てくれるの?」
「……はい」
「ヤッター!」
両手を上げて喜ぶ。
私は少しだけ戸惑った。
どうして。
そんなに喜ぶんだろう。
私が不思議そうに見ていたことに気づいたのか、彼女は笑った。
「私、彩葉のこと大好き」
「……」
「彼方も大好きでしょ?」
「……ッ」
「彩葉の話すると、顔色変わるんだもん」
彼女は楽しそうに笑う。
「大好きな人のこと話すの、楽しいよね。だから、もっと話してたいよ」
言葉が出なかった。
なんて眩しい人なんだろう。
好きだと。
大切だと。
そんな気持ちを、こんなにもまっすぐ口にできる。
私にはできない。
私は人を羨ましがって。
嫉妬して。
勝手に傷ついて。
そして、その感情を隠している。
「……では、失礼します」
私は笑った。
きっと。
上手く笑えていた。
そう思いたかった。
外へ出ようとした。
その瞬間。
ガチャリ。
玄関の扉が開いた。
「ただいま」
その声を聞いた瞬間。
世界が止まった。
「…………」
息が、できない。
ずっと。
ずっと聞きたかった声。
一年間。
何度も夢に見た声。
それが。
今。
すぐ目の前から聞こえた。
「……お姉」
自分でも驚くほど小さな声だった。
彩葉が顔を覗かせる。
そして。
私を見る。
一瞬。
彩葉の表情が固まった。
私も動けない。
目が合っている。
確かに。
目が合っている。
なのに。
怖い。
どうして。
会いたかっただけなのに。
さっきまであんなに会いたかったのに。
胸の奥で膨らんでいた「会いたい」という気持ちが、目の前の姉を見た瞬間、別の感情へと変わっていく。
怖い。
逃げたい。
でも。
逃げたくない。
ずっと会いたかった人だから。
だから。
ここにいたい。
けれど身体は、私の意思とは関係なく強張っていく。
指先が冷たい。
膝が震える。
喉が締まる。
息が浅くなる。
お姉の目が怖かった。
そこには。
私が期待していたものが、何もなかった。
「久しぶり」とか。
「元気だった?」とか。
「大きくなったね」とか。
そんな言葉を。
私は、どこかで期待していた。
もしかしたら。
笑ってくれるかもしれない。
抱きしめてくれるかもしれない。
昔みたいに。
そんな淡い期待を、私は捨てきれていなかった。
なのに。
お姉の顔には、驚きすらすぐに消えていった。
代わりに浮かんだのは。
冷たさだった。
まるで。
そこにいてはいけないものを見るような目。
「あ……」
声が震える。
「お、お姉……」
鏡の前で何度も練習した言葉。
話したかった学校のこと。
聞きたかった一年間のこと。
全部、頭から消えてしまった。
「……久しぶり」
声が震える。
「元気やった?」
彩葉は答えない。
ただ、私を見る。
その沈黙が怖かった。
数秒。
たったそれだけの時間なのに。
永遠みたいに長い。
そして。
「……なんで、いるの?」
その声は、驚くほど平坦だった。
「……え?」
聞き間違いだと思った。
だって。
私は。
お姉に会いに来た。
ただ。
それだけなのに。
「なんで、いるの?」
もう一度。
今度は、はっきり。
胸の奥が、ずきんと痛んだ。
「……お姉に、少しでも会いたくて」
どうにか言葉を絞り出す。
「少しでも……会いたくて」
それが私の精一杯だった。
会いたかった。
一年間。
ずっと。
だから。
せめて少しだけでも。
話したかった。
笑いたかった。
謝りたかった。
なのに。
「そうなら」
彩葉の声が落ちる。
「もう用事は済んだやろ」
「……」
何を言っているのか。
頭が理解することを拒んでいる。
「帰って」
「…………」
一瞬。
何も聞こえなくなった。
周りの音が全部消えた。
かぐやちゃんの声も。
外を走る車の音も。
自分の呼吸さえも。
ただ、その言葉だけが。
頭の中に残った。
――帰って。
「……あ」
声にならない。
胸の奥に。
何かが落ちた。
重い。
冷たい。
真っ暗な何かが。
「……なんで」
思わず漏れた。
彩葉は答えない。
「……なんで、そんなこと言うん?」
声が震える。
「私……」
言葉が続かない。
泣きたくない。
ここで泣いたら駄目。
せっかく会えたのに。
一年ぶりに会えたのに。
泣いたら。
また迷惑をかける。
だから笑わなきゃ。
いつもみたいに。
大丈夫なふりをしなきゃ。
「ごめんなさい……」
気づけば謝っていた。
何に対して謝っているのか。
自分でも分からない。
ただ。
お姉の顔を見ていると。
自分がここにいること自体が間違いだったように思えてしまった。
「急に来て、ごめんなさい」
「……」
「迷惑やったよね」
違う。
そんなことを言いたいんじゃない。
本当は。
会いたかった。
ずっと会いたかった。
お姉に謝りたかった。
そう言いたかった。
なのに。
口から出てくるのは謝罪ばかりだった。
「ごめんなさい……」
もう一度。
「ごめんなさい……」
目の奥が熱くなる。
視界が滲む。
泣くな。
泣いたら駄目。
お願いだから。
今だけは。
「……帰って」
その言葉が。
もう一度聞こえた。
その瞬間。
何かが完全に折れた。
「あ……」
足元から力が抜けそうになる。
私は慌てて手を握り締めた。
爪が掌に食い込む。
痛い。
でも。
その痛みのおかげで、立っていられる。
「……はい」
やっと。
それだけ言えた。
「……失礼します」
頭を下げる。
お姉の顔を。
もう一度見ることができなかった。
見たら。
きっと泣いてしまう。
私は玄関へ向かった。
「ちょっと彩葉!」
後ろから、かぐやちゃんの声がする。
「彼方、可哀想じゃん。なんでそんな怒ってるの?」
その声が聞こえる。
本当に優しい人。
私を助けようとしてくれている。
それが分かるからこそ。
余計に苦しくなった。
「いいんです」
私は振り返らない。
「かぐやさん、私、帰ります」
「でも……」
「ご迷惑、おかけしました」
扉を開ける。
外の熱気が身体にぶつかってくる。
けれど。
今は暑いのか寒いのかすら分からなかった。
階段を下りる。
一段。
二段。
三段。
足が震えている。
何度も踏み外しそうになる。
それでも止まれない。
止まったら。
ここで泣いてしまう。
お姉の前で。
だから。
逃げる。
ただ、それだけだった。
アパートを出る。
振り返れない。
振り返ったら。
まだお姉がいるかもしれない。
もしかしたら。
「彼方」
そう呼んでくれるかもしれない。
そんな馬鹿な期待をしてしまう。
だから。
振り返らない。
振り返って。
そこに何もなかったら。
今度こそ、本当に壊れてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
どこをどう歩いたのか分からない。気づけば、公園にいた。
ベンチに座る。
そして。
限界だった。
「……っ」
涙が溢れる。
止めようとしても止まらない。
手で拭う。
何度も。
何度も。
それでも、次から次へと溢れてくる。
「……なんで」
声が震える。
「なんでなん……」
自分でも。
何を責めているのか分からない。
お姉なのか。
自分なのか。
それとも。
過去なのか。
「会いたかっただけやのに……」
その言葉を口にした瞬間。
涙が一気に溢れた。
「ただ……会いたかっただけやったのに……」
一年間。
ずっと。
会いたかった。
嫌われているかもしれない。
怒っているかもしれない。
それでも。
一度だけ。
一度だけでいい。
ちゃんと顔を見て。
ごめんなさい。
そう言いたかった。
「お姉……」
名前を呼ぶだけで胸が痛い。
「……会いたかったよ」
誰もいない公園で。
私は子供みたいに泣いた。
「ずっと……会いたかった……」
なのに。
会えた。
やっと。
会えたのに。
私は。
「……帰って、って……」
その言葉を思い出すたびに、胸が締め付けられる。
私の存在そのものを。
拒絶されたような気がした。
お姉の人生に。
私はもう必要ない。
そう言われたような気がした。
「……私なんか」
言葉が漏れる。
「おらんほうが、ええんかな……」
そう呟いた瞬間。
自分で言った言葉が怖くなった。
「……違う」
否定する。
「違う……」
もう一度。
「……違う、はずやのに」
心のどこかでは。
その言葉を信じ始めていた。
そのとき。
「あっ! いた!!」
聞き慣れた声がした。
顔を上げる。
涙で滲んだ視界の向こう。
そこには。
「……かぐや、さん……?」
息を切らした彼女が立っていた。
髪が乱れている。
額には汗。
肩で息をしている。
きっと。
私を探して走ってきたのだ。
「もう……急に出てくから心配したよー!」
その声を聞いた瞬間。
また涙が出た。
「……ごめんなさい」
「だから謝らなくていいってば」
彼女はそう言いながら、私の隣にしゃがみ込む。そして、そっと手を握ってくれた。
「彼方」
「……はい」
「あのね」
彼女は、いつものように笑おうとして。
少しだけ困った顔をした。
「彩葉、彼方のこと嫌いなんかじゃないよ」
「……え?」
「私、彩葉に嫌なことしたことあるし、喧嘩みたいになったこともある。でも、あんな顔してる彩葉、私も初めて見た」
「……」
「だから、多分だけど」
彼女は首を傾げる。
「どうすればいいのか分からなかったんじゃないかな」
「……ほんまに?」
「あ、いや……勘だけどね」
涙がまた溢れた。
どうして。
どうして、この人は。
初めて会った私に。
ここまで優しくできるんだろう。
「どうして……」
「ん?」
「どうして、そんなに優しいんですか……」
かぐやちゃんは少し困ったように笑った。
「えー? 私、普通だよ?」
普通。
私には。
それが一番眩しかった。
「わーー、泣かないでよー」
「……ごめんなさい」
「だから謝らない!」
「……はい」
それでも。
彼女は手を離さなかった。
ずっと。
私が泣き止むまで。
隣にいてくれた。
◇ ◇ ◇
やがて、涙が少しずつ収まってきた。三十分くらい経っただろうか。かぐやちゃんが立ち上がる。
「私、もう帰らなきゃ」
「……はい」
「またね、彼方」
「……はい」
数歩進んでから。
「フー……あっちー!」
そんな声が聞こえた。
私は思わず少しだけ笑った。
「……ふふ」
彼女は振り返らず、そのまま帰っていった。
私は、その背中を見送る。
彼女は知らない。
今日。
彼女が私をどれだけ救ってくれたのか。
あの人の言葉が。
どれだけ私の心に残ったのか。
どれだけ。
私をこの場所に繋ぎ止めてくれたのか。
私は少しだけ軽くなった身体で、家へ戻った。
◇ ◇ ◇
家に帰る。玄関を開ける。
「……ただいま」
声に力がない。
お兄がすぐに顔を出した。
「彼方?」
私はお兄の顔を見た。
きっと。
今の私は酷い顔をしている。
目元は腫れて。
髪も乱れて。
朝とは別人みたいだ。
「……疲れたから、先寝るね」
「え?」
「ごめん」
それだけ言って。
私は自分の部屋へ逃げ込んだ。
お兄は追いかけてこなかった。
きっと。
何かあったことには気づいている。
でも。
何も聞かない。
それがお兄の優しさだった。
部屋の明かりをつける気力もない。
私はベッドの端に座る。
膝を抱える。
そして。
また涙が出た。
お姉と。
まともに話せなかった。
逃げた。
謝れなかった。
笑えなかった。
自分が嫌になる。
どうして。
もっと上手にできなかったんやろ。
もし。
もっと早く謝れていたら。
もし。
あの時間をやり直せていたら。
そんな「もし」が頭の中を埋め尽くす。
でも。
今日。
一つだけ。
良かったことがある。
かぐやちゃんに出会えたこと。
あの人は。
お姉の隣にいる。
お姉を理解している。
私の知らないお姉を知っている。
お姉を笑わせられる。
お姉が信頼している。
だったら。
お姉には。
かぐやさんがいる。
「……私なんて」
声が震える。
「必要ないよね」
そう思えば。
少しは楽になれる気がした。
お姉は一人で生きていける。
信頼できる人もいる。
私がいなくても。
大丈夫。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。
大丈夫。
お姉は大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
何度も繰り返す。
「大丈夫……」
言葉にすれば。
本当に大丈夫になれる気がした。
でも。
涙だけは止まらなかった。
「大丈夫……」
もう一度。
「大丈夫……」
その言葉を繰り返すほど。
胸の奥に空いた穴が、広がっていくような気がした。
「……大丈夫や」
お願いだから。
そうであって。
そうじゃないと。
私は。
どうしたらいいのか。
分からなかった。
コンコン。
扉を叩く音。
返事をする気力はない。
「入るで」
お兄の声。
扉が開く。
暗い部屋の中に、お兄が入ってくる。
そして。
私の顔を見た瞬間。
表情が歪んだ。
泣きそうな顔。
でも。
何も聞かなかった。
何も言わなかった。
ただ。
私の隣に座る。
その瞬間。
もう耐えられなかった。
「……ごめんなさい」
「……」
「お兄……ごめんなさい」
声が震える。
「私……上手にできんかった……」
涙が溢れる。
「お姉に……ちゃんと謝れんかった……」
お兄は黙っている。
「会いたかっただけやのに……」
私は、お兄の服を握る。
「……帰ってって言われた」
その言葉を口にした瞬間。
また涙が止まらなくなる。
「……怖かった」
初めて。
その言葉を口にした。
「お姉が……怖かった……」
お兄の手が、私の頭に触れる。
「……」
「私のこと……いらんって思ってるみたいで……」
「……」
「ごめんなさい……」
何度も。
何度も謝る。
何に対して謝っているのか、自分でも分からない。
ただ。
自分が悪いと思わなければ。
この苦しさを説明できなかった。
やがて。
泣き疲れた私は、お兄にもたれ掛かるようにして眠ってしまった。
お兄は、しばらく私を見つめていた。そして、起こさないように、そっと私をベッドへ寝かせる。布団を掛ける。最後に、私の頭を一度だけ撫でた。
「……おやすみ」
その声は。
眠っている私には届かなかった。
◇ ◇ ◇
夢を見る。
何もない世界。
その中で。
一人の女の子が泣いている。
長い金髪。
顔はぼやけている。
でも。
どこかで見た気がする。
「助けて……」
女の子が泣いている。
「誰か……いないの?」
私は、その子へ手を伸ばす。
以前なら。
ただ。
助けたい。
そう思っていた。
でも。
今は違う。
助けなければ。
そうしなければならない。
まるで。
強迫観念のように。
「待って」
私は手を伸ばす。
「一人にせえへんから」
彼女に笑ってほしい。
また。
あの太陽のような笑顔を見せてほしい。
あと少し。
あと少しだけ。
手を伸ばせば届く気がする。
だから。
私は手を伸ばし続ける。
届くかなんて分からない。
それでも。
伸ばす。
いつか届く、その日まで。
ずっと。
ずっと。
◇ ◇ ◇
――side 酒寄朝日
今日は、ずっと落ち着かなかった。
部屋の中を何度も歩き回る。スマホを見る。通知を確認する。何もない。画面を閉じる。数分後。また見る。
何もない。
「……大丈夫かな」
彼方が彩葉のところへ向かって、もう半日近く経つ。
上手くいっただろうか。
ちゃんと話せただろうか。
笑って帰ってきてくれるだろうか。
俺は、何度もそう願った。
頼むから。
上手くいってくれ。
そう祈るしかなかった。
ガチャリ。
重厚な扉が開く音。
玄関だ。
俺は反射的に立ち上がった。
「彼方?」
玄関へ向かう。
そして。
見た瞬間。
分かった。
「……」
朝とは違う。
明らかに。
表情が暗い。
目元は涙の跡で赤く腫れている。
足取りも、どこかふらついている。
俺は息を呑んだ。
最悪だ。
考えられる中で。
最悪の結果だった。
「彼方……?」
問いかける。
彼方は、俺の顔を見ようともしなかった。
「疲れたから……先に寝るね」
「え?」
「……ごめん」
それだけ。
俺の横を通り過ぎて。
部屋へ向かっていく。
「彼方」
呼んでも。
振り返らない。
俺は。
ただ、その背中を見送った。
兄として。
何かしなければ。
そう思う。
でも。
何をすればいい。
何を言えばいい。
俺の言葉で。
何ができる。
答えが出ない。
それでも。
放っておくことだけはできなかった。
彼方の部屋へ向かう。
扉の前に立った瞬間。
「……っ」
中から。
小さな泣き声が聞こえた。
嗚咽。
声を押し殺している。
俺は拳を握った。
中に入りたい。
抱きしめてやりたい。
大丈夫だと言ってやりたい。
でも。
俺の「大丈夫」に。
今。
どれだけの意味がある。
俺は。
何も知らない。
彼方が何を言われたのかも。
彩葉が何を考えているのかも。
だから。
何を言えばいいのか分からなかった。
中に入れない。
でも。
ここから離れることもできない。
彼方が。
今にも消えてしまいそうに感じた。
ここにいる。
ちゃんとここにいる。
そのことを確認するために。
俺は。
ただ扉の前にいた。
どれくらい時間が経っただろう。
やがて。
中から聞こえていた声が小さくなった。
寝たのか。
俺はノックした。
「彼方」
返事はない。
「……入るで」
扉を開ける。
部屋は暗い。
ベッドの端に。
彼方が座っていた。
膝を抱えている。
目元は赤く腫れている。
「……」
言葉が出なかった。
何を言えばいい。
気の利いた言葉も。
彼方を笑顔にするような慰めも。
何一つ思いつかない。
結局。
俺にできたことは。
隣に座ることだけだった。
しばらく。
二人とも何も言わなかった。
そして。
「……ごめんなさい」
彼方が呟く。
「……」
「お兄、ごめんなさい」
「彼方」
「私……上手にできんかった……」
俺は唇を噛む。
「お姉に……ちゃんと謝れんかった」
その言葉が胸に刺さった。
俺は今日ほど自分を殺してやりたいと思った日はない。
俺は
何も言えない。
妹が。
こんなに苦しんでいる。
なのに。
俺は。
何もできない。
やがて。
彼方は俺にもたれ掛かるようにして眠った。
俺はゆっくりと彼方をベッドへ寝かせる。布団を掛ける。そして、部屋を出た。
扉を閉める。
廊下に立つ。
「……なんで、こんなんなるねん」
拳を握る。
悔しい。
情けない。
兄なのに。
何もできない。
誰もいない部屋で自分の無力感だけが渦巻いていた
彩葉は普通に妹のことは好きです。私の推しなので嫌いにならないでください。
てかなんでかぐやこんなにイケメンになったんだ?
ヤチヨどこ行ったのいるんでしょ出てきて
本当に申し訳ないのですが内容を少し変更させてもらってます。本来ならKASENからのルートを考えてたのですが、自分の文才があまりになく戦闘描写が絶望的だったので別ルートを進もうと思います。それにあたって今回の話のラストシーン大幅に削除さしていただきました。