「そこじゃ、そこ!車を前に出すんじゃ!」
「何を言うとる、先に馬を逃がさんと取られるぞ」
「逃げてばかりで勝てるかい!若いんじゃからもっと攻めんか!」
俺の背後で、三人の老人が好き勝手に口を挟んでいた。
ルミナスクエアの一角。街路樹の木陰に置かれた卓を挟み、俺は一人の少女と向かい合っている。間にあるのは象棋の盤。その周囲には、いつの間にか集まってきた老人たちがひしめいていた。
卓の向こうに座る少女は、緑色の長い髪を左右に結び、治安官の制服を身につけている。俺よりずっと小柄で、見た目だけなら年下にしか見えない。だが、周囲の騒ぎにも動じず、魔法瓶から白湯を飲む姿には、妙に年季が入っていた。
青衣さん。
治安局の特務捜査班に所属する治安官であり、生体素材を用いた機械知能人。『玉偶』と呼ばれる身体を持つ人だ。前に連絡を取った古風な喋り方の知り合いというのが、この人だった。
俺は盤面へ目を戻し、伸ばしかけた手を止めた。言われた通りに車を進めれば、向こうの馬が厄介になる。馬を逃がせば、今度は炮の利きが通る。攻めろという意見に至っては、具体的にどうしろという話がない。
……全員違うこと言ってない?
青衣さんは、そんな騒ぎを気にする様子もなく盤を眺めていた。俺がようやく駒を動かすと、少し考えてから丸い駒を指先で滑らせる。
こつ、と乾いた音がした。
「おお、そこへ来るか!」
「若いの、そっちを見落としとったな!」
見落としてないっての……見えてたけど他に困るところがあったんだよ。
俺は口には出さず、取られそうになっている駒を見つめた。青衣さんは急かすこともなく、白湯を一口飲んで待っている。その余裕が今は少し腹立たしい。
「しかし大したもんじゃのう。ワシら青衣に二十連敗しとるんじゃぞ?」
「ここまで食らいつける若いのは久しぶりじゃ」
「ほれ、まだいける。諦めるには早いわい!」
褒めるか指示するか、どっちかにしてくれ。
背後から盤を覗き込まれながら、俺は深く息を吐いた。
……なんでこんなことになってるんだっけ。
相談の約束を取りつけて、ルミナスクエアへ来たのは一時間ほど前だった。
用事は簡単。Brownieの身体を作るにあたって、機械知能人として暮らしている青衣さんに、少し話を聞かせてもらいたかっただけだ。
ちなみに、この人と知り合ったのもルミナスクエアだった。
まだ、俺が郊外でホロウに飲み込まれるよりも随分前。会社の用事を終えて通りを歩いていた俺は、ベンチに座ったままぴくりとも動かない少女を見つけた。
治安官の制服を着て魔法瓶を膝に載せ、目を開けたまま瞬きすらすることなく固まっている。最初は何かを見ているのかと思ったが、声をかけても返事がない。
「大丈夫ですか?」
肩へ触れても全く反応しない。
……普通に怖かった。
すぐBrownieに近くの病院の場所を調べてもらい、救急車を呼ぼうとしたところで、その人が突然顔を上げた。
「案ずるな。少々休んでおっただけだ」
「おわぁ!?」
そこから事情を聞いて、ようやく相手が機械知能人だと知った。本人は至って平然としていたが俺の方は心臓に悪い。
しかも立ち上がってすぐに魔法瓶を傾けたものだから、思わず「本当に大丈夫なんですか」と聞き直してしまった。
「うむ。若いのに随分と心配性だな」
「目の前で人が動かなくなってたら、誰だって心配しますよ」
「それもそうか」
青衣さんは愉快そうに笑った。
ちょうど俺の行き先と同じ方向だったので、念のため近くの治安局まで一緒に歩いた。その途中、身体の構造について質問しすぎて、「心配しておったのではないのか」とからかわれたのを覚えている。
……心配もしてた、興味もあった。それは両立する。
そこで連絡先を交換してから、街で顔を合わせれば話すくらいの付き合いになった。俺が技術者だと知ってからは、機械の話を聞かせてくれることもある。逆に、俺の説明が長くなりすぎると、白湯を飲みながら適当に切り上げられる。
そんなわけで今回の相談相手として思い浮かび、今日青衣さんが非番だというのでルミナスクエアで待ち合わせることにしたのだ。
「なるほど。動くところまでは作ったが、姿形で手が止まったと」
「はい。どうも俺が作ると、警備用の機体みたいになっちゃって」
「日頃の手癖というものだな。丈夫に作るのは結構だが、それだけでは愛想も足りぬ」
今日も青衣さんは、近所の年寄りみたいなことを言っていた。
本人の希望は聞いたのかと尋ねられ、まだ秘密にしていると答えると、少しだけ眉を上げる。
「ほう、贈り物か」
「まあそんな感じです」
「ならば後から手直しできるようにしておくことだ。驚かせるのは一度で済むが、使うのはその後も続くゆえ」
それは、確かに。
端末へメモを取っていると、向こうから老人に声をかけられた。青衣さんはその人と二言三言やり取りしてから、俺へと振り向いた。
「ハレ殿、象棋は指せるか?」
「象棋?……まあルールなら知ってますけど、なんでいきなり」
「それはよい。話の続きは向こうでしよう」
断る理由もなかった。
なかったのだが、卓に着いて盤が出てきて周りに老人が集まり始めた辺りで、少し話が違う気がした。誰が青衣さんに挑むかという話になった時には、既に俺の席が確保されていた。
……ちょっと話を聞きに来ただけだったんだけどな。
「我の身体を参考にするなら、動いているところも見た方がよい」
青衣さんが盤面を眺めながら言った。
「立っている時には気にならぬ継ぎ目でも、曲げれば見える。形だけ整えても、動きと噛み合わねば落ち着かぬものだ」
「……一回、全体を見直した方がよさそうですね」
俺は頷きながら、馬の行き先を考えていた。
実際、駆動部の位置を先に決めたせいで外装側の選択肢が狭くなっているのは事実だ。内部から配置を変えた方がいい箇所はあるかもしれない。
「ところで、ハレ殿。我も其方に聞きたいことがあってな」
駒へ手を伸ばした時だった。
「近頃噂の、あいあんまん?とやらは知っておるか?」
指先が、ほんの僅かに止まった。
俺はそのまま駒を動かし、できるだけ普通の調子で答える。
「ニュースで見ました。赤と金の、あれですよね」
「うむ。あれはまた随分とよく動くものだな」
「そうですね。あの装甲で飛ぶんですから、動力も相当なものだと思います」
技術者として映像から言える範囲だ、問題ない。
「そこは危ないぞ、若いの!」
背後の声で盤へ目を戻すと、青衣さんが既に駒を動かしていた。俺が馬を逃がしたせいで、守りから外れた駒がある。
「こちらを取らせてもらおう」
俺の駒が、盤の外へ置かれた。
……会話に気を取られた。
「有人か無人かも分からぬが、あれほどのものを作れる者は限られてくるのではないか?」
「設備は必要でしょうね、制御系もかなり複雑そうですし」
「其方の会社であれば、どうだ?」
俺は盤を見たまま、息を吸った。
会社へ話が向くのは不自然じゃない。ウチは対エーテリアス用の兵器を作っている軍需企業だ、むしろ今まで聞かれなかった方がおかしい。
「近い分野の研究はしてますけど、あれはまた別ですよ」
「会社としてではなく、ハレ殿個人ならば?」
今度ははっきりと、俺へ向けられた質問だった。
「こうして一人で身体を作っておる、あの鉄人のような兵器も作れるのではないかと思ってな」
「若いの、将の方を見んか!」
「いや、今なら炮を使えるぞ!」
老人たちは相変わらず盤面しか見ていなかった。俺が何を作れるのか、アイアンマンが何者なのか、そういう話にはまるで興味がないらしい。
助かる、助かるけど本当ちょっと静かにしてほしい。
青衣さんの車が、こちらの陣へ入り込んでいる。正面ばかり気にしているうちに横からも攻められていた、このまま受け続ければ逃げ道がなくなる。
俺は一度、盤全体を見直した。
「作れるかどうかで言えば、作れないとは言いません」
青衣さんが目を上げた。
「ほう」
「ただ、俺だけにできることだとも思ってないです」
車を動かしながら、言葉を続ける。
「うちの技術者達は優秀ですから、俺が知らないことも普通に知ってるし先日も設計の見落としを指摘されました。似たものを研究してる会社や施設は他にもあるでしょう」
「なるほどな」
「それに、会社の設備を使ってあれを作ったなら俺一人の秘密にはできませんよ。資材の調達も、加工も、試験も必要ですから」
そこは嘘ではない、実際会社の設備では作っていないからな。
「身体の見た目を決めるだけで悩んでる俺に、あれを作っただろって言われても……随分、買いかぶられてるなって思います」
青衣さんは少し黙り、俺の動かした駒を見た。
「買いかぶりかどうかは、我が決めることだがな」
「それは、まあご自由に」
「おおっ、よいところへ出したな!」
背後から声が上がる。
青衣さんの車を追えば後ろの炮が守れない、そちらを残せばこちらが攻め込める。ずっと狭かった盤面に、ようやく動ける場所ができていた。
「作る能力と、作った事実は別か」
「そういうことです」
俺は次の手を返し、肩に入っていた力を抜いた。
「押し返したぞ!」
「これは勝てるかもしれんのう!」
頼むからそれは言わないでくれ、もはや妨害を疑い始めるぞ。
青衣さんは笑ったが、不意に魔法瓶へ伸ばしかけていた手を止めた。顔が、通りの向こうへ向く。
「……青衣さん?」
「少々待っておれ」
椅子を引き、立ち上がった。
「ボンプが救難信号を出しておる。先に片付けねばならぬ局ができた」
俺もそちらを見たが、人通りの向こうには路地の入口が見えるだけだ。耳を澄ませると、遠くで怒鳴り声がした。
青衣さんは卓の脇に置いていた棍を取り上げ、伸びをした後に俺へ振り向いた。
「我の体について知りたいとのことだったな……ならば、見たければ見ているといいぞ、ハレ殿」
「あ、はい」
返事をする間に、彼女はもう歩き出していた。
……非番の日にも仕事しなきゃなのか。治安官って大変だなぁ。
青衣さんが路地へ向かうと、さっきまで俺の背後で騒いでいた老人たちも揃って卓を離れた。
「さて、少し身体を動かすかのう」
杖をついていた老人が、その杖をひょいと持ち上げる。別の老人は肩を回し、残る一人は首を左右へ傾けていた。
「え、いや危ないですよ」
「なに、昔はよう一緒に働いたものじゃ」
「青衣ばかりに任せては、腕が鈍るでな」
……昔の同僚ってこと?
元治安官の人たちなのかな。
聞き返す前に三人は青衣さんの後を追っていった。俺は少し離れた場所へ移り、路地の奥を覗く。
壁際で小さなボンプが男たちに囲まれていた。一人がその耳を掴み、別の一人が顔の前へ手を突き出している。
青衣さんが声をかけると、男たちはボンプを放し、今度は彼女へ向き直った。
その隙に、老人の一人がボンプを手招きする。小さな身体が男たちの間を抜けたのを見届けてから、青衣さんは棍を持ち直した。
「Brownie、青衣さんの動きを記録して。関節の動きとか、重心の移動も、分かる範囲で」
『承知しました』
最初に飛びかかった男が、拳を振り上げた。
青衣さんはその内側へ踏み込み、棍を短く振る。打撃を受けた腕が跳ね上がり、続く一撃で男の身体が横へ傾いた。彼女が手元を返すと棍が三つに分かれ、振り抜かれた一節が、背後から迫っていた別の男を捉える。
そこまでは、何とか目で追えた。
その次に視界へ入ってきたものを見て、俺は固まった。
さっきまで杖をついていた老人が、その杖を両手で構えていた。先端を男の腹へ突き込み、相手が折れ曲がると、今度は柄を返して打ち上げる。腰の曲がった立ち姿からは想像できないほどに踏み込みが速い。
「……え?」
隣では別の老人が相手の拳を腕で外へ払い、そのまま懐へ入っていた。肩がぶつかるほどの近い距離から短い拳を続けて叩き込む。男がよろけても追い回さず、一歩進んでまた打つ。相手には腕を振り直す隙すらない。
残る一人に至っては、身体を低く沈めたかと思うと、くるりと回って脚を振り抜いた。足元を払われた男が浮き、地面へ転がる。その老人は流れるように立ち上がり、次の相手へ向き直っていた。
……ちょっと待て、何でこの人たち普通に武術の達人みたいな動きしてんの?
男たちが左右へ分かれ、青衣さんを囲もうとする。だが、その片側には杖が伸び、もう片側には老人の拳が飛んだ。退いた男の先へ青衣さんが踏み込み、棍を振る。押し返された相手を、今度は老人が蹴り戻した。
お互いの攻撃が邪魔になっていない。
棍が通る時には老人が身を引き、その空いた場所へ別の一人が入る。誰かが相手を崩すと、隣の誰かが続きを受け持つ。さっきまで象棋の指し手で言い争っていた人たちとは思えない連携だった。
青衣さんが跳び上がり、棍を振り下ろす。男の武器が弾かれ、乾いた音を立てて地面を滑った。その向こうでは老人が杖を振り抜き、逃げかけた相手の足を止めている。
振り回される三節棍の間を、拳と蹴りと杖が次々に通っていく。威勢よく怒鳴っていた男たちの声は、いつの間にか悲鳴に変わっていた。
「Brownie」
『記録を継続しています』
「……あの人達の方も、ついでに」
『既に記録しています』
青白い電光が走った。青衣さんの打撃を受けた男が硬直し、膝から崩れる。ほとんど同時に、杖で押し戻された別の男も、仲間の上へ転がった。
老人たちは追撃せず、倒れた相手の周りへ散った。さっきまでの激しい動きが嘘みたいに、息を整え、服の裾を払っている。
この世界、老人こそ色々経験して生き残ってるわけだもんな……そりゃ強いか。
「……俺も体鍛えないとな」
にしてもあの人たち、これだけ動けるのに象棋では二十連敗してるのか……何だか、青衣さんに勝てる気がさらにしなくなってきた。
『映像を保存しました』
「ありがと……いいもの見せてもらったな」
青衣さんがボンプの前へしゃがみ、怪我がないか確かめていた。傍らの老人はもう杖を地面へついている。その姿だけ見れば、どこにでもいる年寄りだ。
俺は端末の録画を止め、四人が戻ってくるのを待った。
応援の治安官へ男たちを引き渡すと、青衣さんたちは何事もなかったように卓へ戻ってきた。
「待たせたな、ハレ殿」
「いえ、身体の動き参考になりましたから。記録も取らせてもらったんですけど大丈夫でしたか?」
「我が見てよいと言ったのだ、構わぬ。ただし、贈り物に捕り物の手際まで要るとは限らぬぞ?」
「……そこは気をつけます」
青衣さんが椅子へ座り、盤を眺める。俺も向かいへ戻った。
「さて、続きとしようか」
「このまま終わりでもいいんですけど」
「よい勝負になってきたところであろう」
「そうじゃそうじゃ! 若いの、ここからじゃぞ!」
老人たちまで俺の背後へ戻っている。ついさっき暴漢を地面へ押さえつけていた人が、今は炮をどこへ動かせと指示してくる。
俺は盤を見直した。中断する前はこちらが押し返していた、まだやれる。
青衣さんが駒を動かす。
守りを固めると思っていたところで、別の場所を開けてきた。取れる駒はある、だが取っていいのか分からない。
少し迷ってから、俺は車を進めた。
青衣さんの指先が指盤の上を滑る。
こつ、と音がした。
攻めに使っていた駒が、守りへ戻れなくなった。
「……あれ?」
俺は盤へ顔を近づけた。さっきまで開いていたはずの道が、今度は俺の方を縛っている。
青衣さんは魔法瓶を持ち上げ、こちらが考えるのを悠然と待っていた。
ハレは盤面を見つめたまま、駒へ伸ばした指を止めていた。別の駒へ手を移し、そこでも迷って引っ込める。青衣は魔法瓶を手に取りその様子を眺めた。
(考えておることが、案外よく顔に出る童だな)
アイアンマンの名を出した時にも、指先が僅かに止まった。すぐに受け答えを整えていたが、話が本人へ近づくにつれ盤上の守りまで窮屈になっていった。
(作れぬとは言わず、作れる者は他にもいる、と。なかなかよく考えたものだ)
会社の設備を使えば自分一人の秘密にはできない。そう語りながら、ハレは盤の上でも青衣の攻めを押し返していた。問いかけに追われるばかりではなく、落ち着けば自分の手を見つけられるらしい。
(もっとも、会社で作っておらぬことと、本人が作っておらぬことは別だがな)
今日の相談も、自宅で機械の身体を作っているという話だった。設備も知識も少年の手元にはあるのだろう。
青衣は白湯を一口飲んだ。
初めて会った時、ハレは動かなくなった彼女を見て大慌てしていた。無事だと伝えても心配そうな顔を崩さず治安局まで付き添い、そのくせ道中では身体の仕組みを次々と尋ねてきていた。
(心配なのか、気になって仕方がないのか。あの時も忙しい顔をしておったのう)
それからも、危険な話をすれば露骨に顔を曇らせた。研究は好きでも危ない現場へ出るのは御免だと、何度か聞いている。
その少年が、鉄の鎧を纏って空を飛び、誰かを助けているのかもしれない。
(あの怖がりの童がのう……)
盤を見つめるハレの顔には、まだ幼さが残っていた。青衣は魔法瓶を置き、彼が次の手を選ぶのを待った。
(あのホロウで、何を見てきたのやら)
先ほども、ハレは暴漢たちへ近づかなかった。離れた場所から様子を見ながら必要な記録を取っていた、危険を避ける用心深さは今も変わっていない。
(怖くなくなったわけではあるまい。それでも、誰かのためなら動くこともあるか)
初めて会った日の彼も、見知らぬ相手を放っておけずに足を止めた。あの鉄人がハレだとしても、そこには変わっていないものがあるのかもしれなかった。
(まあ、今ここで問い詰めることもなかろう)
青衣は盤へ視線を落とした。目の前の少年は、誰かへ贈る身体の形で頭を悩ませ、老人たちの口出しに困りながら、必死に対局を続けている。
やがてハレが、駒を動かした。攻め込んだ車を生かすために、守りの駒を動かした一手だった。
青衣は空いた場所を確かめ、駒へ指を添える。
「惜しかったな、ハレ殿」
乾いた音とともに、駒が置かれた。
ハレの視線が盤の上を行き来する。逃げ道を確かめ、他の駒で防げないか考え、それから肩を落とした。
「……負けました」
途端に背後の老人たちが騒ぎ始めた。よく粘った、あそこが惜しかった、次は勝てる。散々違う手を勧めていたことなど、誰も気にしていない。
ハレは苦笑し、その声に頷いていた。
(盤の上は、まだ我に一日の長があったようだな)
青衣は笑みを浮かべ、取った駒を盤へ戻した。アイアンマンについては、それ以上尋ねることはなかった。
青衣さんたちと別れ、通りを歩きながら俺は端末を取り出した。
身体の動きは参考になったし、外装を考える上での問題も見えてきた。ただ、青衣さんに言われたことが一つだけ頭に残っている。
使う本人の希望を、俺はまだ聞いていない。
「Brownie、お前の思う理想の自分ってどんなの?」
『……どういう意味でしょうか?』
「そのまま。例えば自分を絵にするとしたら、どんな姿にする?」
『随分と唐突ですね』
「青衣さんと話してたら、何となく気になって」
『先ほどのご相談に関係する質問ですか?』
「まあ見た目の話してたから、お前ならどう考えるんだろって」
説明を足しすぎる方が怪しい気がして、そこで口を閉じた。Brownieは少し間を置いてから答える。
『特に、決まった外見を想定したことはありません』
「じゃあ、試しに作ってみてよ。『理想の自分』をテーマに画像生成、条件はお前が好きに決めていいから」
『ハレ様のご希望は?』
「今回は俺の好みは抜き、お前がいいと思うものを見たい」
俺は近くのベンチへ腰を下ろし、端末を膝に置いた。いつもなら指示を一瞬で整理するあいつが、今日は少し考えているらしい。
『……承知しました。少々お待ちください』
画面に生成中の表示が出た。しばらくして複数の候補が並び、そのうちの一つが拡大される。輪郭や配色へ細かな修正が加わり、最後に一枚の画像が残った。
『現時点では、こちらです』
俺は端末を持ち上げた。
画面にいたのは、茶髪の少女だった。
柔らかな栗色の髪は肩に触れるくらいの長さで、毛先が緩く内側へ曲がっている。額には薄く前髪がかかり、その下から落ち着いた琥珀色の瞳がこちらを見ていた。顔立ちには幼さが残るが、表情は妙に大人びている。口元には、ごく控えめな笑みがあった。
白いブラウスに、深い茶色のカーディガン。飾りは少なく、全体的にすっきりしている。身体も俺より少し小柄に見えた。大きな装甲や露出した駆動部はなく、一見すると普通の少女にしか見えない。
ただ、袖口から覗く手首には細い継ぎ目があり、耳の後ろにも小さな接続部らしいものが見えた。人間に似せながらも、機械であることを全部隠しているわけではないらしい。
「……へえ」
研究室で自分が並べていた案とは随分違う。警備用の機体どころか、街中ですれ違っても目立たないような姿だ。
その顔からいつもの声が聞こえてくるところを想像すると、不思議としっくりきた。少し眉を寄せて、俺へ小言を言っている姿まで簡単に思い浮かぶ。
「いいじゃん。何かお前っぽい」
『どの辺りがでしょうか』
「落ち着いてるところとか。あと、その顔で俺に『ご自身でどうぞ』って言ってそう」
『外見の評価として適切なのでしょうか』
「俺には分かりやすいんだよ」
笑いながら、画像をもう一度眺めた。
「お前も、これが一番気に入った?」
『比較した中では……ただし修正の余地はあります』
「そっか、じゃあ思いついたらまた見せてよ」
『……この画像を、何に使われるのですか?』
「ううん、ただ見てみたかっただけ」
嘘にならないところを選んで答え、画像を保存する。Brownieは少し間を置いてから、『そうですか』と返した。まだ腑に落ちていないような声だったが、それ以上は聞いてこない。
俺は端末をポケットへ戻し、ベンチから立ち上がる。
帰ったらすぐに図面を開こう。あの細い手首に今の駆動部を収めるには、まだ少し工夫が要りそうだ。肩周りも、そのままでは幅が合わない。
直す場所は増えた。でもあいつが選んだ姿に合わせるのなら、そのくらいの手間は惜しくなかった。