「──白祇重工が最初に開発した、知能重機の試作一号機?」
「ああ、正式な量産型が完成するよりもずっと前に作られた機体なんだ」
説明してくれたのはベンさんだった。
プロトタイプ。
白祇重工がまだ現在の規模になる前、先代社長のホルス・ベロボーグが開発に関わった最初期の知能重機。
現在使用されているハンスやグレーテル、フライデーの技術的な原型にあたる存在らしい。
「ただ、その機体は旧都陥落の時に行方不明になっているんだ」
「旧都陥落……」
その言葉を聞いて、思わず表情が曇った。
十一年前、俺が六歳だった頃に起きた大災害。新エリー都に生きる人間なら、知らない者はいないだろう。
俺自身もあの災害を経験している。幸いスターク家は大きな被害を受けずに済んだが、それでも当時の街の混乱は今でも覚えている。
「つまり、十一年間もホロウの中に?」
「可能性としては、そうなるな」
「……マジか」
十一年。
あんな場所で、そんなにも長く?
「けど、どうして今になって信号が?」
「それが分からないんだよ」
グレースさんが答えた。
「ずっと行方が分からなかった子なんだ、通信機能も停止しているものと思っていたんだけど……」
「……なるほど」
俺は再び画面へ目を向けた。
BLG prototype。
確かに、古い機体の識別コードとしたら珍しくない。
……しかし、今まで何の反応もなかった機体が、突然三台の重機へ信号を送った理由は分からない。
そもそも、どうやって十年間も稼働を維持していたのか。
ホロウ内部の高濃度エーテル環境に晒され続けているなら、通常の知能重機ではとっくに侵蝕限界を迎えているはずだ。
「……そういえば」
ベンさんが何かを思い出したように口を開いた。
「フライデーが、ホロウの中で妙なことを言っていたな」
「妙なこと?」
「ああ、自分には使命があるとか、何かを封じているとか……そんなことを話していたんだ」
「……封じる?」
「その時は、少し大げさな言い回しだと思っていたんだが……」
ベンさんはそこで一度言葉を切った。
「フライデーは、ホルスさんの名前まで出したんだ」
「……は?」
グレースさんが呆然と声を漏らした。
つい先ほどまで画面を熱心に覗き込んでいた彼女が、驚いたように顔を上げ、ベンさんを見つめている。
「ちょ、ちょっと待ってくれベン。今、ホルスさんって言ったのかい?」
「ああ。フライデーが言うには、ホルスさんから何かの使命を託されたらしいんだ」
「そんな……」
グレースさんは言葉を失い、ゆっくりとフライデーへ視線を向けた。
その表情からは、普段の余裕がすっかり消えている。いつもなら珍しい機械の話を聞いただけで目を輝かせる人なのに、今は目の前の情報をどう受け止めればいいのか戸惑っているようだった。
「プロトタイプから、ホルスさんの声が……?」
そう呟いたきり、グレースさんは黙り込んでしまった。
「……ホルスっていうと、確か」
聞き覚えのある名前に、俺はベンさんへ目を向けた。
「ああ。白祇重工の先代社長、ホルス・ベロボーグさんのことだよ」
「…………」
ホルス・ベロボーグ。確か、クレタの父親だったはずだ。
以前調べた白祇重工の資料にも、その名前が載っていたのを覚えている。
旧都陥落の前に失踪した人物、そして昔クレタから聞いた話によると……会社のお金を持ち逃げして消えた、という人。
それ以上の詳しい事情までは知らないが、少なくとも白祇重工にとって重要な人物であることは間違いない。
「……その名前まで出したってことは、やっぱりアイツが関係してるんだろうな」
クレタは腕を組み、険しい表情で画面を見つめた。
「けど、どうして今さら……」
その声には苛立ちだけでなく、どこか戸惑いのようなものも混じっていた。彼女としても、父親の名前が出てきたことに思うところがあるのだろう。
クレタは何かを考え込むように黙り込んでいたが、その表情からは何を思っているのかまでは読み取れなかった。
「……ハーレー君」
「はい?」
グレースさんが、いつになく真剣な声で尋ねてきた。
「この信号、本当にプロトタイプから送られたものだと思うかい?」
「……断言はできません」
俺は正直に答えた。
「識別コードだけなら偽装も可能ですし、受信した三台の記録から送信元を完全に特定することもできません。ただ……」
「ただ?」
「三台とも同じ形式の信号を受けてます。内容も単純な行動命令とは違う。むしろ、何かを伝えようとしているように見えるんです」
「……何かを伝える」
「ええ、まだ意味までは分かりませんけど」
少なくとも、悪意のある命令を送り込んで強制的に操った、というだけでは説明しきれない。
何しろ三台とも、それぞれ違う行動を取っている。
ハンスは立派な漢を目指し、グレーテルはビルに恋をして、フライデーは何かを封じようとしていた。
もし外部から一律に制御されていたのなら、こんなにも行動がバラバラになるだろうか。
……むしろ。
「誰かに呼ばれたかのような……」
「……呼ばれた?」
「……少なくとも俺にはそう見えます」
グレースさんはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと頷く。
「……そうか」
その声は、どこか嬉しそうだった。
解析結果を整理していると、クレタが声をかけてきた。
「……なあ、ハレ」
「ん?」
振り返ると、彼女は整備台に置かれたプロトタイプの古い資料を眺めていた。
「ちょっと聞いてもいいか?」
「いいよ、何?」
「……お前だったら、どうする?」
「……俺だったら?」
「ああ」
クレタは腕を組み、少し言葉を選ぶように続けた。
「お前も、グレースみたいに知能構造体を作ってるんだろ?」
「まあ、そうだね」
「だったら、お前の意見を聞いてみたいんだ」
そこで一度言葉を切り、クレタは俺へ向き直った。
「もし、自分が作った知能構造体が十年もホロウに取り残されてるって分かったら……お前ならどうする?」
「…………」
その質問には、すぐに答えられなかった。
十年もの間、ホロウの中に取り残される。
誰にも見つけてもらえず、助けを呼ぶこともできず、ただ一人で。
そんな状況を想像した瞬間、嫌でもあの時の記憶が蘇ってきた。
薄暗い空、歪んだ建物、どこからともなく聞こえてくるエーテリアスの咆哮。そして研究施設の中でBrownieから告げられた、あの数字。
──九十六時間。
エーテル侵蝕が危険域に達するまで、残された時間は僅か四日。
外にはエーテリアスが徘徊し、助けを呼ぼうにも通信は繋がらない。何もしなければ、自分もいずれエーテリアスになってしまう。
あの時は、いつ死んでもおかしくない状況が怖くて仕方なかった。必死に脱出する方法を考えながらも、誰か助けに来てくれないかと何度も願ったものだ。
……それが、十年。
たった数日でもあれほど辛かったというのに、その何百倍もの時間をあんな場所で過ごしていたとしたら。
──俺だったら、とても耐えられない。
「……ハレ?」
「あ、ごめん。ちょっと考えてた」
クレタの声で我に返る。どうやら、思っていた以上に長く黙り込んでしまっていたらしい。
クレタが怪訝そうに俺を見る。
俺は一度息を吐いてから、整備台の上に表示された三台の重機の記録へ目を向けた。
「……俺は、知能構造体も人間とそう変わらないと思ってる」
「……どういう意味だ?」
「もちろん、身体の構造も生まれ方も違うよ?それでも、自分で考えて何かを好きになったり、嫌がったり、誰かを大切に思ったりするようになったら……それって、もう単なる機械とは言えないだろ?」
クレタは黙って聞いていた。
「現にハンスは立派な漢になりたいって言ってたし、グレーテルはビルに恋をしてる。フライデーだって、何かを守ろうとしてたんでしょ?」
「……ああ」
「だったらそのプロトタイプにも、自分の意思があるのかもしれない」
十年もの間、何をしていたのかは分からない。
そもそも、今も正常に動いている保証なんてない。
それでも、もし。
もし、あの機体が本当に自分の意思で、三台へ信号を送っていたのだとしたら。
「……自律思考できるようになって人格を持った知能構造体は、人間とほとんど変わらないから」
俺はクレタを見た。
「俺なら、助けに行くと思う」
「…………」
しばらく、誰も何も言わなかった。
グレースさんも、ベンさんも、アンドーさんも、ただ静かにこちらを見ている。
「……そっか」
クレタが小さく呟いた。
「お前も、そう思うんだな」
「うん」
「……分かった」
彼女は短く頷き、もう一度プロトタイプの資料へ目を落とした。
その表情からは、何を考えているのかまでは分からない。
ただ、さっきよりも少しだけ、迷いが薄れたように見えた。
「……なあ、ハレ」
「何?」
「ありがとな」
「……え?」
「参考になった」
それだけ言って、クレタはベンさんの方へ歩いていった。
「……前から思ってたけど」
やっぱクレタ、俺よりずっと社長らしくて、すごいな。
それから数時間、俺はグレースさんと一緒に三台の重機のメンテナンスを行っていた。
ハンスはホロウ内を走り回ったせいで駆動系に負荷がかかっていたし、グレーテルは外装の一部に損傷が見られた。
フライデーに至っては元々の稼働時間が長かったこともあって、かなり念入りな点検が必要だった。
「ハンス、右側の駆動輪を少し回してくれる?」
『おう!オレちゃんに任しとき!』
威勢のいい返事とともに、巨大な駆動輪が勢いよく回り始めた。
「ちょ、ちょっと!もう少しゆっくり!」
『おっと、すまんすまん!ちょい張り切りすぎてもうたわ!』
……元気だなぁこの子。
俺は回転速度が落ちたのを確認すると、駆動輪の軸受けや内部機構に異常がないか、一つずつ点検していった。
「グレースさん、こっちの軸受け少し摩耗してますね」
「本当かい?……ああ確かに、交換した方がよさそうだ」
「予備部品あります?」
「もちろんさ!この子たちのためなら、いつでも修理できるようにしてあるよ!」
「流石ですね」
「ふふっ、褒めても何も出ないよ?」
そう言いながら、グレースさんは嬉しそうに交換部品を取り出した。
……何だかんだ、この人は本当に優秀な技術者だ。
少々変わっているというか、機械への愛情が強すぎるところはあるけど、その技術力は間違いなく一流だと思う。
それに、こうして一緒に作業していると、純粋に楽しい。
俺では思いつかなかったような機構を当たり前のように設計しているし、逆に俺が何か提案すれば、興味津々で話を聞いてくれる。
専門分野が違うからこそ、お互いに新しい発見があるのだろう。
……やっぱり、自分とは違う知識や技術を持った人と一緒にものを作るのは面白い。
「ところでハーレー君」
「はい?」
「今日はBrownieちゃんも一緒なんだろう?」
「……あー、はい」
『…………』
……あ、これ嫌な流れだ。
「せっかくだし、久しぶりに声を聞かせてもらえないかな?」
「えっと……Brownie?」
『現在、診断処理中です』
「……だそうです」
「そっかぁ、残念だなぁ……」
グレースさんは心底残念そうに肩を落とした。
……そこまで?
「まあ、今日は忙しいですし。また今度で」
「うん!その時は是非お願いするよ!」
……Brownie、絶対嫌がるだろうな。
作業が一段落した頃には、すっかり夕方になっていた。
「いやー、助かったよハーレー君!おかげで随分と作業が進んだ!」
「いえいえ、こちらこそ勉強になりました」
「今回の解析結果については、こちらでも引き続き調べてみるよ」
「お願いします、俺も何か分かったら連絡しますね」
「ああ、頼りにしているよ!」
グレースさんと握手を交わし、整備棟を出る。
外に出ると、アンドーさんとベンさんが何やら話し込んでいた。
「おっ、もう帰るのか兄弟!」
「はい、今日はありがとうございました」
「何言ってんだ!礼を言うのはこっちの方だぜ!」
アンドーさんは豪快に笑うと、俺の背中を軽く叩いた。
……いや、本人は軽く叩いたつもりなんだろうけど。
「うぐっ……!」
「あっ、すまねえ! 力加減間違えた!」
「だ、大丈夫です……」
背中に走った衝撃に、思わず顔をしかめる。
痛い。普通に痛い。
……いや、もしかして俺が貧弱すぎるだけなのか?
「アンドー、相手はまだ十六歳だ。もう少し加減してやってくれ」
「おう、悪い悪い!」
ベンさんが呆れたように言った。
……助かった。
「それで、クレタは?」
「ああ、社長なら今後の対応について話しているところだ」
「……そうですか」
恐らく、プロトタイプの捜索についてだろう。
クレタがどういう決断をするのかは分からない。
ただあの時の表情を見る限り、何もしないまま終わらせるつもりはなさそうだった。
「……じゃあ、俺はこれで」
「ああ。今日は本当にありがとう、ハーレー君」
「またな、兄弟!」
「はい、また!」
二人に手を振り、俺は保管エリアを後にした。
帰りの車内。窓の外では、夕暮れの新エリー都が流れていた。
高層ビル、行き交う車、街を歩く人々、いつもと変わらない光景。
俺はシートへ身体を預け、今日の出来事を振り返っていた。
「……俺と同じ、か」
『何がでしょうか?』
「プロトタイプのこと」
ホロウに取り残された知能重機。
十年前から行方不明。
今もどこかで稼働しているかもしれない。
……いや、もし本当に十年間、ずっとあそこにいたのだとしたら。
「……凄いよな」
『何がでしょう』
「十年だぞ?十年」
俺なんて、たった数日だった。
たった数日ホロウの中に閉じ込められただけで、あれほど取り乱した。
死にたくないと泣き叫び、必死に逃げ回って、挙げ句の果てには映画の技術を真似して鉄の鎧まで作った。
それが十年。
どれほど長いのか、想像もつかない。
「……まだ動いてるのかな」
『現時点では不明です』
「だよな」
そもそも、プロトタイプが本当に人格を持っているのかどうかも分からない。
ただの自律型重機かもしれない。
十年間、何かの命令を実行し続けているだけかもしれない。
それでも、あの信号。
三台を呼び寄せるように送られた、あのデータ。
それが、どうにも気になる。
「……Brownie」
『はい』
「今日の信号、もう一回見せて」
『表示します』
車内の端末へ、三台の重機から取得した通信記録が表示された。
ハンス、グレーテル、フライデー。
三台が受信した、同じ識別コードを持つ信号。
「……何か伝えようとしてるんだよな、これ」
『その可能性はあります』
「内容を復元できない?」
『通信データの一部が欠損しています。現時点では完全な復元は困難です』
「分かってる。だから、三台分を重ねてみよう」
『……詳細を』
「同じ発信元なら、共通する部分があるはずだろ?欠けてる箇所も別の機体のログで補えるかもしれない」
Brownieが記録を並べ直す。
三つの信号波形が重なり、共通する部分が抽出されていく。
……うん、やっぱり何かある。
「ここ、三台とも同じ周期で繰り返してる」
『肯定』
「単なる識別信号にしては長すぎるな……座標情報か?」
『解析を試みます』
「頼んだ」
俺は画面を眺めながら、もう一度考えた。
ホロウ内部から送られた信号。その信号を受け取って、三台の重機がホロウへ向かった。
普通なら故障だとか、外部からの不正な命令だとか、そういう可能性を疑うだろう。
実際、俺も最初はそう思った。
でも、もし違ったら?
もしあれが、命令なんかじゃなかったとしたら。
「……助けを呼んでた、とか?」
『可能性は否定できません』
「だよなぁ……」
自分でも、少々感情的な考え方をしている自覚はある。
根拠なんてまだほとんどない。ただどうしても、あの時の自分と重ねてしまうのだ。
ホロウの中で、誰にも届かない通信。
いつ来るかも分からない救助。
俺はあの時、外へ出るためにあらゆる手段を試した。
だったら、向こうだってそうしているのかもしれない。
「……俺も、助けてほしかったもんな」
『ハレ様?』
「いや、何でもない」
窓の外へ目を向ける。
夕暮れの空。
その向こうには、今日も巨大なホロウが存在している。
あの中に、まだ誰かがいる。
人間かどうかなんて関係ない。
助けを求めている存在がいるのなら。
俺にできることが、一つくらいあってもいいはずだ。
「Brownie、信号解析の優先度を上げて。帰ったら俺も手伝う」
『承知しました。ただし、ハレ様』
「何?」
『ホロウへの侵入を検討されているのであれば、反対します』
「……分かってるよ」
あんな場所、好き好んで入りたくない。
今だって怖いし、できることなら二度と近づきたくない。それは変わらない。
「俺が行かなくても、できることはあるだろ」
『……そうですね』
「少なくとも、あの信号の意味くらいは調べてやりたい」
俺が直接迎えに行く必要はない。
白祇重工の皆がいる。
俺は会ってないが、優秀だって言うプロキシもいる。
それに、救助へ向かう人たちのために、俺が技術的な支援をすることはできる。
だから。
「……何か一つでも、役に立てればいいな」
『了解しました。解析を継続します』
俺は頷き、再び画面へ目を落とした。
そこには、意味の分からない文字列と数値が並んでいる。
十年もの間、ホロウの中で何が起きていたのか。
プロトタイプは、今も動いているのか。
そして、あの信号で何を伝えようとしていたのか。
まだ分からないことばかりだ。
……でも、分からないなら調べればいい。
それが俺の仕事だ。
「さて……何を伝えようとしてるんだ、お前は」
誰に聞かせるでもなく呟き、俺は三台の通信記録をもう一度最初から読み始めた。
◇
白祇重工での整備作業が一段落した頃、アキラは預けていたイアスを引き取るため、再び保管エリアを訪れていた。
先ほどまでイアスを通して現場の様子を見ていたが、どうやら作業は無事に終わったらしい。
グレースに声をかけると、彼女は整備用端末から顔を上げ、作業台の脇を指し示した。
「やあプロキシ、君のおチビちゃんはあそこだよ」
「ありがとう、今日は随分と働いてもらったから、帰ったらちゃんと点検しておくよ」
「それなら私が見てあげようか?ついでに、前から気になっていた駆動系も──」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
イアスを抱き上げながら、丁重に断る。
彼女の腕を疑うわけではないが、どこまでが点検に含まれるのか、少しばかり不安だった。
グレースは残念そうにしたものの、すぐに端末へ視線を戻した。
その画面に並ぶ診断記録を見て、アキラはふと、先ほどの少年のことを思い出した。
「そういえばグレースさん、さっきまで一緒に作業していた少年について少し聞いてもいいかい?」
「ん? ハーレー君のことかい?」
「ハーレー……もしかして、ハーレー・スターク君?」
「おや、知っていたのかい?」
その返答に、アキラは少し驚いた。
イアス越しに見た少年の姿には、どこか見覚えがあった。少し前にリンが対応した客と似ている気がしていたのだが、画面越しだったこともあって確信は持てずにいたのだ。
「やっぱり彼だったのか……少し前にうちの店に来たお客さんでね、見覚えがあるとは思っていたんだけど……まさかここの技術者だったとは」
「ん?何を言っているんだい、彼はウチの技術者じゃないよ」
「え?」
予想外の返答に、アキラは思わず抱えていたイアスを持ち直した。
先ほど見た限りでは、少年は随分と手慣れた様子で整備を手伝っていた。グレースとも親しげだったし、共同開発という言葉も聞こえていた。
てっきり白祇重工に所属する技術者か、少なくとも関係会社の研究員だと思っていたのだが。
「彼はスターク・インダストリーズの社長さ。少し前からホロウ内で使う特殊作業用重機の共同開発をしていてね、その縁で今回も相談に乗ってもらったんだ」
「スターク・インダストリーズ……まさか、TOPSの?」
「そう、そのスターク・インダストリーズ。おや、そっちは知らなかったのかい?」
アキラは思わず言葉を失った。
スターク・インダストリーズ。
新エリー都を代表する巨大企業群、TOPSの一角を占める大企業だ。当然その名前くらいはアキラも知っている。
だが、まさかその社長があの少年だとは思いもしなかった。
ハーレー・スタークという名前自体はリンから聞いていたし、店の会員情報にも残っている。
けれど名字が同じだからといって、あの大企業の経営者だとは普通考えないだろう。
映画を借りに来た、少し機械に詳しい少年。
アキラにとって、ハーレーはそれ以上でも以下でもない、ただの客だったのだ。
「まああの年頃の男の子が社長だなんて、驚くのも無理はないね。私も最初はびっくりしたよ」
「それは、そうだろうね……」
「けどウチのおチビちゃんだって、同じくらいの年で社長をやっているんだよ?」
「まあ……それは確かに」
そう言われると、確かにすぐ近くに前例がいた。
納得できるような、できないような。
少なくとも、年齢だけを理由に否定するのはクレタにも失礼かもしれない。
そんなことを考えていたアキラだったが、そこで、もう一つ気になっていたことを思い出した。
「そういえば、彼は作業中に誰かと話していたよね。近くには誰もいないように見えたけど、遠隔で助手に手伝ってもらっていたのかな?」
「ああ、Brownieちゃんのことだね!」
グレースが勢いよくこちらを向いた。
その目には、先ほどまでとは明らかに違う輝きが宿っていた。
「Brownie?」
「ハーレー君が開発した人工知能さ!これが実に素晴らしい子でね、診断結果を整理するだけじゃなくこちらの会話を理解して、必要な情報を先回りして用意してくれるんだよ。それもただ指示に従っているだけじゃない、あの受け答えにははっきりとした個性がある!」
「なるほど。じゃあ、彼はそのAIと──」
「そう!しかもハーレー君の説明では設計段階では想定していなかった反応まで見せるようになったらしくてね!論理コアの学習過程を比較できればウチの子たちについても何か分かるかもしれないんだ。音声合成だって微妙な間の取り方が実に自然で──」
そこからしばらく、アキラが口を挟む余地はなかった。
人工知能の判断と感情表現の違い、学習によって生まれる個性、機械の身体が思考に与える影響。
話の半分ほどは何とか理解できたものの、残りはグレースの勢いに押し流されてしまった。
ただ、一つだけ分かったことがある。
どうやらグレースは、そのBrownieというAIを大層気に入っているらしい。
「一度ゆっくり話してみたいんだけどねえ、どういうわけか私が話しかけると処理が忙しくなることが多くて」
「それは……残念だね」
アキラは何となくその理由を察してしまった。
もっとも、本人に指摘するほどのことでもない。曖昧に相槌を打ちながら、彼は先ほど聞いた話を頭の中で整理していた。
……なるほど。そういうことだったのか。
アキラは、以前リンから聞いた話を思い出した。
ホロウで彼女を助けた謎の鉄人は、戦いながら姿の見えない誰かと会話していたらしい。
そして、店を訪れたハーレーも何かに話しかけるような素振りを見せていたという。
当時は、妙な共通点だと思ったものだ。
だが、彼が普段から人工知能を助手として使っているのなら、話は別だ。
独り言のように見えたものも、実際にはBrownieとの会話だったのだろう。機械に詳しい理由も、本人がそうした技術の研究開発に携わっていると分かれば納得できる。
そもそも何もない場所に話しかけていたというだけで、あの鉄人と結びつけるのは少々強引だ。
ましてや相手は巨大企業の社長である。わざわざ正体を隠してホロウで活動する理由も、アキラには思い当たらなかった。
……少し、リンの話に引っ張られすぎていたのかもしれない。
「今度お店に来たら、そのBrownieにも挨拶してみたいものだね」
「ぜひそうするといい!あの子は本当に、話していて飽きないからね」
嬉しそうに語るグレースに礼を言うと、アキラはイアスを抱え直した。
少年の意外な正体には驚かされたが、ひとまず疑問は解消した。
そう考えながら、アキラは白祇重工の保管エリアを後にした。