翌日、朝食を済ませた俺は自室の机で昨日の通信記録を眺めていた。
ハンス、グレーテル、フライデー。三台が受信した信号を並べ、欠けている部分を補いながら繰り返し現れるデータを探していく。
昨晩の時点では、発信元の識別情報と幾つかの共通する処理しか分からなかった。通信規格が古いことに加えて、ホロウを通ってきたせいか受信内容には欠損も多い。文字列として取り出せた部分だけを読んでも断片的すぎて意味が繋がらなかった。
それでも受信の順序を整理してみると、一台だけ明らかに様子が違っていた。
「フライデーの記録、他より随分多いな」
『最初に信号を受信した機体です、受信状態も他の二台より良好だったと考えられます』
「それだけじゃなくて……ここ、受信した後に送り返してる」
画面の一部を拡大する。
短い送信記録の後に再び外部からの受信、その後にも同じようなやり取りが何度か続いていた。
「単なる受信確認?」
『一部は該当します、ただしそれ以外のデータも含まれています』
「ってことは、一方的に呼ばれただけじゃないのか」
他の二台の記録も開いてみる。こちらにも返信した形跡はあるが、フライデーほど長くは続いていない。途中で受信が途切れたのか、それとも最初から送られてきた内容が違ったのか……少なくとも、三台が全く同じものを受け取ったわけではなさそうだ。
椅子へ背中を預け、昨日ベンさんから聞いたフライデーの話を思い返した。
使命があるとか、何かを封じているとか。それにホルスさんの声を聞いたとも言っていたらしい。
その時は随分と大仰なことを言う重機だな、くらいにしか思っていなかった。何しろ、他の二台がビルに恋する重機と漢の道を追求する重機なのだ。もう一台くらい癖の強い奴がいたところで、今更驚くことでもない。
けれど、意味の分からない発言だからといって元になった情報まで意味がないとは限らない。
「そういえばフライデーは『封印を固めろ』って言われたとか、そんな話だったよな」
『はい、昨日の会話記録にも残っています』
「そこ、もう一回聞かせて」
Brownieがベンさんの説明を再生する。
俺は机へ肘をつき、今度は一言ずつ確かめるように聞いた。確かに、フライデーは何かを封じることを自分の使命として語っていたらしい。
……単なる厨二病の妄言にしては、嫌に具体的だ。
ベンさんたちが詳しく尋ねてもはっきりした説明は返ってこなかったという。ただ、本人の中では何かをしなければならないという意識だけは強く残っていたようだ。
「そもそも、ただの妄想でホルスさんの名前が出るか?」
『既存の社内資料から取得した可能性はあります』
「それはそう……でもプロトタイプとの通信を受けた直後なら、そっちに名前が含まれてたと考える方が自然だ」
俺は画面へ向き直った。
昨日は三台の共通点を探していた。同じ発信元だと分かった以上、そこに異変の原因があると思ったからだ。
だがフライデーの発言を調べるなら、見るべきは他の二台との違いかもしれない。
「Brownie、他の二台との共通部分はいったん除外。フライデーだけが受け取った情報を出して」
『表示します』
「送信した方も、一対ずつ応答の順番に並べてほしい」
画面が切り替わる。
文字化けしたようなデータの列、その合間に旧式の重機用制御規格に似た記述があった。
昨日預かった整備資料を開き、通信形式を照合していく。使われているのは今の重機にも一部残っている古い規格だ。ただ、同じ識別番号でも割り当てられている処理が違う。
最新の資料では作業完了を示す項目が、古い資料では機体の状態照会になっていた。
「新しい方で読むから、意味が通らなかったのか……」
『当時の規格との差分を反映します』
幾つかの項目が、意味を持つ情報へと変わった。
状態照会、機体出力、作業装置の種別。
それに対してフライデーが送ったのは、自分の仕様とその時点での稼働状態だった。
つまり、プロトタイプはフライデーに何ができるのかを尋ねていた。
「彼が杭打ち機だって分かったから、呼んだ?」
続く受信記録を開く。
保持機構の負荷、固定位置のずれ、繰り返される補強要求。
その下に、不完全な状態報告があった。
『
「……
『該当箇所が欠損しています。名称、形状ともに復元できません』
「その前後は」
『保持状態の悪化、外部からの補強を要求。同一内容が複数回送信されています』
指が止まった。
俺は一度最初の記録まで戻った。読み違えているかもしれない。古い規格への置き換えが正しくても、前後が欠けていれば意味を取り違えることはある。
だが、どこから読み直しても要求している作業は変わらなかった。
自分の故障を直してほしいなら、修復を求めるはずだ。動けないから迎えに来てほしいなら、牽引でも運搬でもいい。
けれどこいつが求めているのは、補強だった。
何かを、今の場所に固定するための。
「……これ、自分の修理を頼んでるんじゃないのか?」
『機体の損傷報告は含まれています、ただし復元できた範囲に修理や回収の要求はありません』
「損傷してるのに?」
『はい。補強要求が繰り返されています』
昨日、俺はプロトタイプも迎えを待っているのかもしれないと考えた。
長い間ホロウに取り残されて、ようやく外に声が届いたのだと。だから、あの三台を呼んだのだと思っていた。
でも、もし違ったら。
外へ出られない理由が、故障だけではなかったとしたら。
俺は、活動継続と記された項目へ目を戻した。
「……封印を固めるって」
……もしかしたら、プロトタイプは何かを押さえ込むためにあそこを離れられないんじゃないか?
そう考えれば補強を求めている理由も分かる。今も押さえ続ける必要があって、それが自分だけでは難しくなってきている。だから杭を打てるフライデーを呼んだのだとしたら。
何を押さえているのかは分からない。崩れかけた設備かもしれないし、危険な機械かもしれない。ただ、手を離すわけにはいかない何かが、そこにある。
それでも、助け出すつもりで機体だけを引っ張れば、今まで保たれていたものが崩れる可能性はある。
──グレースさんたちは、それを知っているのか?
「ッBrownie!グレースさんに電話!」
呼び出し音を聞く間にも、連絡先の一覧を開く。
グレースさん、クレタ、アンドーさん、ベンさん。
順番にかけ直したが、誰一人として繋がらなかった。
『各端末とも応答がありません、最終通信地点は昨日の工事現場付近です』
「現場に問い合わせてもう出発したか聞いてくれ」
返答を待つ間、解析結果をまとめて四人へ送る。
──プロトタイプを動かさないでほしい、あの機体は何かを封じている可能性がある。
根拠になった通信箇所を添付し、まだ仮説だと書き加える。断言できるほどの情報はないが、それでも回収する前に確認してもらう理由にはなるはずだ。
送信済みの表示を睨んでいると、Brownieが口を開いた。
『確認が取れました。皆様は今朝プロトタイプの回収に向かわれています』
俺は額を押さえた。
間に合わなかった。
いや、まだ回収前かもしれない。今頃は場所を探している途中で、機体に触れてすらいない可能性だってある。
なら、今からでも伝えられれば。
「現場から、中にいる人たちへ連絡する方法は?」
『通常の回線では接続できません、現場側でも帰還時の連絡を待っている状況です』
「そっか……」
ホロウの中へ入った途端、外と簡単には連絡が取れなくなる。それは俺だってよく知っている。
知っているからこそ、手元の端末でできることが急に少なくなったのが分かった。
外から連絡がつくのを待つか。
……いつまで?
あの人たちが帰ってくるまでか、それとも何かを引きずり出してしまうまでか。
「現場の人には連絡がつき次第伝えてもらって、治安局にもこの解析結果を送ってくれ」
『承知しました』
ひとまず、伝えるべきことは送った。現場の判断はグレースさんたちに任せて、今は返事を待とう。
現場へ行くのは専門家の仕事だ。俺はプロキシじゃないし、ホロウでの救助経験だって胸を張れるほどあるわけじゃない。位置記録があるからといって、あの場所を自由に歩き回れるわけでもない。
それに、今回の推測が外れている可能性もある。
グレースさんがとっくに同じことへ気づいていて、必要な対策まで済ませているのかもしれない。余計な心配だったと笑われて終わるなら、それが一番いい。
俺は送ったメッセージを開き直した。
既読は、まだついていなかった。
「……一言、伝わるだけでいいんだけどな」
プロトタイプを動かす前に周囲を調べてほしい、彼が何を支えているのか確かめてほしい。
たったそれだけの話なのに、今は声を届けることすらできない。
思わず椅子から立ち上がりかけ、また座る。
……行きたくない。
あの空も、どこへ続くか分からない道も、姿を見ただけで足が竦む怪物も。一度自分から飛び込んだとはいえ、できれば二度と近づきたくなかった。
スーツがあるから大丈夫だと素直には思えない、あの中で怖かったのはエーテリアスだけじゃないのだ。
帰り道が分からなくなること、通信が途切れること、何かが起きても助けを呼べないこと。
ここにいれば、そんな心配をする必要はない。
けれど画面に並ぶ連絡先を見ていると、昨日の整備棟の声ばかりが浮かんできた。
俺の背中を叩いて笑ったアンドーさん、帰り際まで気を遣ってくれたベンさん、重機を見上げていたグレースさんと、少しだけ表情の和らいだクレタ。
皆が無事に戻ってくるのを待つ。できることなら、今だってそうしていたい。
けれど、事情が変わった。
このままでは、彼らが危険に気づかないまま進んでしまうかもしれない。警告が届かない以上、ただ帰りを待っているわけにはいかなかった。
……正直、あの場所には二度と入りたくない。
それでも、彼らを助けるために俺ができることがあるなら、行くべきだと思う。
「Brownie、昨日の重機の位置記録、持ってるよな」
『はい。しかし、安全な進入経路を保証するものではありません』
「分かってる。今朝、皆がホロウに入った場所も確認できる?」
『現場へ照会します』
俺は端末を握り直し、椅子から立ち上がった。
「俺もホロウに行く。まずは入口まで向かって、移動中も通信を試してみる。連絡が取れなければ、中に入って皆を探す」
『接近する途中で、皆様と連絡が取れた場合は?』
「まずは警告を伝える。それで済むなら引き返すけど、助けが必要ならそのまま向かうよ」
自分からホロウに入ろうだなんて、少し前の俺なら絶対に考えなかっただろう。
今だって怖いし、できることなら誰かに任せたい。
けれど、何も知らないまま危険に飛び込もうとしている人たちを、見て見ぬふりはできなかった。
『承知しました、周辺情報と退避に必要な記録を整理します』
返事を聞いて、自室を出た。
地下へ向かう途中でも端末は手放せなかった。通知が来ていないか、画面を何度も確かめる。
誰か一人でも読んでくれれば、それで済む。
そう思ったが、研究室へ着くまで新しい通知は一つも来なかった。
扉を開けると、格納架の赤と金が目に入る。
俺はそちらへ伸ばしかけた手を止めた。
……もしアイアンマンが白祇重工の救援に現れたら、怪しまれるに決まってる。
白祇重工が今日ホロウに入ることを、どうして知っていたのか、どうしてプロトタイプについて知っているのか。
今緊急時とはいえ、昨日話を聞いて帰ったばかりの俺と結びつけられるのは避けたい。
姿を見せずに連絡だけできればいいが、そんなに都合よくいく保証もない。いざ助けが必要な時に目立つからと動けなくなるのはもっと困る。
隣の格納架へ目を向けた。
「──Brownie、Mark 2を出せ」
『装備更新後、実戦での運用は行っていません』
「試験は済んでる、外部スピーカーを切っておけば声も分からない」
照明が点き、銀色の装甲が浮かび上がった。
最初に組んだ時のMark 2とは、もう随分違っている。背部と肩には追加装備が収まり、装甲の内側には熱を逃がすための機構と光学迷彩の制御系を組み込んであった。
もともとはMark 3を作る過程で試した装備を使わなくなった機体へまとめ直したものだ。動作確認を重ねるうちに、気づけば随分と物々しい姿になってしまった。
赤と金ほど目立たない、とは言いきれない。ぶっちゃけMark 3よりゴツいし。
……まあ、見えなければ同じだろう。
『光学迷彩は発砲および急激な姿勢変化によって補正に乱れが生じます、完全に視認を防げるものではありません』
「なるべく遠くから済ませるよ……
格納架の脇へ回り追加装備の固定状態を確かめる。肩部の旋回範囲、背部の接続部、弾薬の残量。画面上では正常でも自分の手で触れておきたかった。
「照準補助は?」
『使用可能です、射線上の障害物と保護対象の位置を継続して確認します』
「重機も対象に入れて、特に通信装置と論理コアの周辺」
『設定しました』
画面に機体各部の確認結果が並んでいく。
推進器、姿勢制御、装甲の気密、侵蝕対策。どれも正常。
一通り見終えたはずなのに、俺はもう一度上から表示を追った。
『ハレ様』
「……何?」
『機体に異常はありません』
「うん。分かってる」
答えてから、自分が同じ項目を二度確認していたことに気づいた。
端末を置き、手のひらをズボンで拭う。少し汗ばんでいた。
「念のためだよ」
『はい』
Brownieは、それ以上何も言わなかった。
格納架が開き、足を入れる位置まで装甲が展開する。
目の前にある銀色の装甲を見つめる。
Mark 2なら、ホロウの中でも十分に戦える。自分で設計した機体だからこそ、何ができて、どこに限界があるのかもよく分かっている。
それでも、怖くないわけじゃない。
俺は装甲に手を置き、Brownieに話しかけた。
「まずは皆を見つけて、危険を知らせる。それで無事に引き返せるなら、それが一番いい」
『既に危険な状態に陥っていた場合は、如何いたしましょう』
「その時は俺が援護する。何があっても、全員無事に帰ってもらうんだ」
『承知しました。ただし、戦闘は必要最小限に留め、退避を最優先とします』
「うん、それで頼む」
深く息を吸い、もう一度スーツを見上げた。
ここでいくら考えていても、皆に警告は届かない。助けに行くと決めた以上、もう迷っている時間はなかった。
「……頼んだぞ、Mark 2」
一歩、機体へ踏み込む。
脛から腰へ、冷たい装甲が身体を包んでいった。背部の固定具が閉じ、肩の追加装備が所定の位置へ持ち上がる。
視界の端に、その輪郭が映った。
映画で見た姿とは正確には色も細かな形も違う。それでも、今のこいつには別の名前の方が似合う気がした。
「……いや、『ウォーマシン』」