屋上を飛び出した俺は、広場に向かって一気に高度を下げた。視線の先では、あの白い人影が崩れたモニュメントから突き出た鋼材の上に立っている。
そいつを照準に捉えたところで、黄色い装甲に包まれた頭がクレタたちの方を向いた。足元の鋼材に片手をつき、膝を深く曲げる。
──まずい。
『対象、跳躍しました!』
「進路変更!狙いはクレタだ!」
鋼材を蹴った衝撃で、その下の瓦礫が弾けた。たったの一跳びで広場を横切った白い身体は、もう二人の目の前まで迫っている。
「間に合え……!」
両足の推進器を限界まで吹かす。加速の反動で背中が装甲の内側へ押しつけられ、視界の端では赤い警告灯が点滅した。だが今は確認している暇なんてない。
クレタがハンマーを持ち上げ、その横でグレースさんが銃口を向けたときには、白い腕がクレタの眼前で振りかぶられていた。
俺は右拳を引き、その一撃が振り下ろされる寸前、怪物の横合いへ斜めから突っ込んだ。
「──ッ、らあ!」
拳が横っ腹にめり込み、肘を押し戻されるほどの衝撃が肩まで突き抜ける。それでも推進器を吹かし続け、身体ごと拳を押し込んだ。
白い身体がくの字に折れ、そのまま真横へ吹っ飛んでいく。広場の中央で肩から敷石に叩きつけられると、砂埃を巻き上げながら何度も転がった。
俺は両手を前に突き出し、進行方向へ逆噴射をかける。踵が地面を擦る寸前でどうにか勢いを殺すと、すぐ後ろから声がした。
「なっ……何だお前!?」
振り返ると、クレタはハンマーを握ったまま目を丸くし、俺が浮かんでいる辺りを見上げていた。光学迷彩はまだ効いているが、この距離では輪郭の歪みまでは隠しきれない。
……まあそりゃ驚くよな、殴りかかってきた奴がいきなり真横に吹っ飛んだんだから。
「君、さっきの……!」
グレースさんがそう言った途端、耳元で警告音が鳴った。振り向くと、さっき殴り飛ばしたそいつが広場の中央で走り出す寸前のように四つん這いになっている。
両手を敷石についたまま、頭だけがぐるりと横を向いた。その先にいたのは、アンドーさんと重機たちだった。
「おい、そっちは……!」
白い指が敷石の縁に掛かる。そいつは腕で身体を引き寄せると、そのまま低い姿勢で駆け出した。長い手足で瓦礫を飛び越え、俺の方には目もくれず、まっすぐアンドーさんたちへ向かっていく。
「見境ねえのかよ、あの野郎……!」
慌てて肩部機銃の照準を合わせたが、そいつのすぐ後ろにはアンドーさんがいた。今撃ったらあの人まで巻き込んでしまう。
射線を確保しようと高度を上げると、アンドーさんは逃げるどころか片足を引いて腰を落とした。迫ってくるそいつに、左腕のドリルを向ける。
「来やがったな……行くぜ、兄弟!」
ドリルの回転音が一段と高くなった。怪物が飛びかかるのに合わせてアンドーさんも踏み込み、突き出された白い拳をドリルの先端で受け止めた。
ドリルと怪物の拳の間で火花が散り、アンドーさんの足が半歩ほど後ろへ滑る。
「ッ!」
思わず加勢に飛び込もうとしたが、押されていたのは一瞬だけだった。
「ぶちかますぞ、兄弟ッ!」
アンドーさんが腰を捻り、左腕を下から大きく振り抜いた。白い身体が宙に跳ね上がり、その肩越しに吹っ飛んでいく。
射線が開いた。
肩部機銃の照準を戻すと、そいつは空中で身を返し敷石に片手をついた。撃とうとした瞬間、その白い背中に巨大な影が落ちる。
『ねんねしとれや!』
俺が引き金を引くより早く、ハンスのでかい足が怪物を踏みつけた。鈍い音とともに敷石が割れ、足の下からはみ出した白い腕が一度だけ跳ねる。ハンスがさらに体重をかけると、舞い上がった砂埃にその指先まで隠れてしまった。
俺は機銃を向けたまま、少し高度を上げた。あいつがどちらへ抜け出しても、ここからなら見逃さずに済む。
「Brownie、今の映像で照合してくれ。あいつ一体何なんだ?」
『照合中です』
視界の端にウィンドウが開き、先程の映像が再生された。白い脇腹を走る金色の線も、黄色い頭部の中央に縦一筋に灯る紫色の光も、はっきり映っている。その隣には、比較用に呼び出されたエーテリアスの画像が次々と並んでいった。
手に入る限りのエーテリアスの資料は、どのスーツにも入れてある。ホロウの中で通信が途切れても、相手の特徴や狙いどころくらいはその場で調べられるようにしておきたかったからだ。
だから資料の数には結構自信があったんだが……候補の画像は表示されるそばから消えていき、ものの数秒で最後の一枚まで消えてしまった。
『一致する個体情報はありません』
「……一つも?」
『はい。保存されているどの分類にも該当しません』
あれだけ資料がありながら掠りもしない……まさか、新種だとでもいうのか?
眼下では、フライデーとグレーテルがハンスのそばへ寄ってきていた。ハンスの足は怪物を踏みつけた位置から動かず、少しも浮いていない。
あの大きさの重機が、思い切り体重をかけて押さえ込んでいるのだ。取り敢えずは安心だろう。
「……ん?なんだ、これ」
視界の端で、エーテル反応を示す数値が上がっていた。
……妙だ。あそこまでしっかり押さえ込んでいるのに、反応の数値だけが──
『対象のエーテル指数急上昇!危険域を突破します!』
「待て、まさか──」
スーツ越しでも耳を劈くほどの、甲高い咆哮が広場を貫いた。
ハンスの足の下から紫色の光が漏れ、足首を囲むように無数の結晶が突き出す。膝の継ぎ目に食い込んだ一本がさらに枝分かれし、瞬く間に胴体へと這い上がっていった。
『ッ!何だ!?』
フライデーが後退しようとしたが、脚が動かない。ハンスから伸びた結晶が足元に絡みつき、敷石に縫いつけられているのだ。隣でグレーテルも逃れようと機体を捻ったが、すでにその脚も捕らわれ、側面にまで紫色の枝が食い込んでいた。
「ハンス!フライデー!離れろ!」
アンドーさんの声が、結晶の噴き出す轟音に呑まれる。俺も咄嗟に掌を向けたが、狙いを定める間にも結晶は伸び続け、重機たちの姿を次々と覆い隠していった。
三台が完全に呑み込まれるまで、ほんの一瞬だった。絡み合った結晶はさらに膨れ上がり、巨大な繭のように広場にそびえ立っている。
「──そんな」
早く引きずり出さないと。
結晶の表面に照準を合わせ直したところで、その奥から重機たちの駆動音が重なって聞こえた。引き金に掛けた指が止まる。
下手に撃てば、中の三台にまで当たってしまう。
迷っている間にも、繭の奥で鋼材の軋む音が激しくなっていく。そこに悲鳴じみた機械音声が重なったかと思うと、次の瞬間、すべての音がぶつりと途切れた。
周囲が静寂に包まれる。
『エーテル活性、上昇が続いています』
「……なんだ、なんなんだよこいつは」
静寂を破ったのは、繭の奥から響くけたたましい駆動音だった。
「……ッ!?」
結晶に亀裂が走り、裂け目から鉄塊を思わせるほどに巨大な刃が突き出した。黄色い覆いの先で鋸歯が唸りを上げて回り、紫色の破片を撒き散らしながら繭を内側から切り裂いていく。
「──グレーテルのチェンソーだ」
自力で出てきたのか?そう思ったのも束の間、切り開かれた隙間から太い脚が伸び、足元の破片を踏み砕いた。
それは、ついさっき俺の目の前で怪物を踏みつけたハンスの脚だった。
その奥から、さらに三本の脚が結晶を押しのけて現れる。太さも装甲の形も揃っていない。見覚えのある関節や黄色い外装は、ハンスだけでなく、グレーテルやフライデーのものまで混ざっている。
四本の脚が踏ん張ると、その上に載った巨大な身体が結晶を突き崩して姿を現した。
三台の装甲が折り重なった胴体は横に広く、部品の隙間には黒い筋が幾重にも絡みついている。そこから左右へ伸びたものが、ゆっくりと持ち上がった。
右腕にあたる位置には、繭を切り開いたグレーテルの巨大なチェンソー。反対の左側にはフライデーの杭打ち器が繋がり、角張った黄色い機体の先から、黒い軸と赤黒い杭が突き出していた。
背中からは、黒い触手が尾のように長く伸びている。頭上へ反り返ったその先にくっついていたのは、ハンスの作業用アームだった。垂れ下がったケーブルが揺れ、先端の掴み具がゆっくりと開く。
そして、その巨大な身体の中央に、さっきの人型がいた。
白かった身体は黒く染まり、両腕を斜め上へ広げたまま左右の機械の内側に固定されている。胸から腹にかけては剥き出しで、まるで三台を繋ぎ合わせた機体に磔にされているようにすら見える。
そして、コアが頭部に露出したその姿は、間違いなくエーテリアスそのものだった。
「──ふざけんな」
あいつ、今の一瞬で三台とも自分の身体に取り込みやがった。
まるで粘土でも捏ね合わせるように、三台の機体を好き勝手に繋ぎ合わせて。
さっきまで喋って、動いて、一緒に戦っていたあいつらを、ただの部品みたいに──!
「Brownie、あの三台は」
『確認中──論理コアの反応を検出。三基とも残存しています』
視界の中で、巨大な身体に三つの光点が重なった。怪物がチェンソーを持ち上げると、そのうちの一つも一緒に動く。
「……まだ生きてる」
それなら、まだ助けられる。握り締めていた拳をゆっくりと開き、三つの光点の位置を確かめた。
「位置を追い続けろ、絶対に見失うな」
『了解、各兵装の射撃制御に反映します』
両肩の機銃が旋回し、腕部と背部の装甲が開く。三つの光点を囲むように射撃禁止を示す枠が重なり、俺はその位置と機体の輪郭を確かめながら、部品の隙間を繋ぐ黒い筋に狙いをつけていった。
左右の機械に両腕を固定された本体は、巨体の中央に剥き出しになっている。その黒い胸元にも照準を合わせ、引き金に指を掛けた。
「──ぶちのめすぞ」
引き金を引くと、両肩から細かな振動が伝わり、広場に銃声が降り注いだ。
「ハンス……?」
呼びかけても返事はなかった。クレタはハンマーを握ったまま、目の前の巨体を見上げる。見覚えのある装甲を目で追い、こちらに応える気配を探した。だが聞こえてくるのは、無理やり繋ぎ合わされた機体が軋む音ばかりだった。
もう一度名前を呼ぼうとして、喉の奥が詰まった。あの結晶に呑まれる直前まで、確かに話していたのだ。こんな姿になっても、まだこちらの声が聞こえているはずなのだ。
クレタはハンマーの柄を握り締め、今度こそ届くように声を張り上げた。
「……フライデー!グレーテル!返事しろ!!」
つい先程まで聞こえていた威勢のいい声も、どこか気取ったような声も、恋する乙女のような声も、今はひとつも聞こえない。代わりに響くのは、鼓膜を突き刺すような怪物の咆哮だけだった。
四本の脚のうち、ハンスのものと思われる一本が目の前で持ち上がった。いつもならその上にあるはずの胴体を探しても、見つからない。そこにあるのは、三台の装甲が入り混じった見知らぬ身体だけだった。
すぐ頭上で銃火が瞬き、クレタは反射的にそちらを見た。何もないはずの空間から弾丸が降り注ぎ、発砲のたびに肩に銃を載せた人型の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
さっき自分と怪物の間へ飛び込んできた、あいつだ。
「みんな、止まらないで!正面から離れるんだ!」
足元のイアスからアキラの声が飛んだ。その声に怪物へ目を戻すと、四本の脚を踏み締め、右腕のチェンソーを頭上に振り上げていた。
「っ、危ねぇッ!!」
クレタは咄嗟に横へ跳ぶ。たった今まで立っていた場所に刃が叩きつけられ、砕けた敷石の破片が頬を掠めた。
着地して振り向いたときには、怪物はもう右腕を持ち上げて敷石に食い込んだ刃を引き抜いていた。
「アンドー、右側へ回って!ベンさんはグレースさんの前に!」
「おう!」
「分かった!」
ベンがランマーを構え、グレースの前に出た。その大きな肩越しに銃を向けていたグレースが、ふと頭上を見上げる。クレタもその視線を追うと、銃火が瞬くたび、何もないはずの空中で景色が歪んでいた。
「あの光学迷彩……間違いない!さっき私を助けてくれた子だよ!」
「はあ!?なんでそいつがこんなとこにいるんだよ!?」
「私だって知らないさ!」
グレースはアンドーにそう言い返しながら、上空からの銃撃に合わせて引き金を引いた。数発の弾丸が巨体の中央に磔にされた黒い胴体に命中し、表面の一部を削り取る。それでも怪物は足を止めず、四本の脚で瓦礫の山を踏み潰しながらこちらに迫ってきた。
「──何だっていい!」
クレタはハンマーを握り直した。正体を問いただすのは後でもいい。今も頭上から怪物に向かって撃ち続けている。それだけ分かれば十分だった。
「アイツもあのバケモンとやり合ってんだ!助太刀するぞ!」
「押忍!」
右に回っていたアンドーが、低い姿勢から手前の前脚の継ぎ目へドリルを突き立てた。甲高い音とともに火花が噴き、目の前の巨体がわずかに傾ぐ。
残る三本の脚が踏ん張った隙に、クレタは反対側から胴の下へ飛び込んだ。ハンスの装甲、その縁にまとわりついた黒い組織目がけて、ハンマーを横薙ぎに振り抜いた。
「あいつらを、返しやがれ!」
黒い筋が潰れ、表面の結晶がぱらぱらと剥がれ落ちた。もう一発同じ場所を狙って柄を引いたところで、手元が急に暗くなる。
見上げると、ハンスの作業用アームが頭上を塞いでいた。背中から伸びた黒い尾が大きくしなり、その先についた掴み具が振り下ろされてくる。
「社長、下がれ!」
横から差し込まれたベンのランマーが、頭上でアームの一撃を受け止めた。重い衝撃が足元まで伝わり、ベンの足元で敷石が沈む。押し込まれて肘がわずかに曲がったが、ベンは両足を踏ん張り、そこで食い止めた。
「助かった!ベン!」
ベンの脇を抜けて振り返った直後、頭上であの人影の輪郭が揺らいだ。差し向けた掌から青白い閃光が走り、アームを繋ぎ留める黒い尾を直撃した。
衝撃で先端がわずかに浮いた隙に、ベンはランマーを突き上げた。そのまま掴み具を押しのけ、クレタの隣まで下がる。
「助かった……!」
隣でベンが息を吐いた。クレタが頭上へ目を戻したときには、援護者はもうそこにいなかった。推進器の光が弧を描いて巨体の脇を抜ける。怪物が四本の脚を踏み替えながら銃火を追えば、今度は反対側の肩口で火花が散った。銃声の切れ目には青白い閃光が飛び、装甲から突き出た結晶を撃ち砕いていく。
その破片を目で追っていると、グレースがふと銃口を下げたのが見えた。
「……あの子、機体を避けて撃ってる」
「助けられんのか!?」
「まだ分からない!でも見てくれ!あれだけ撃って、ハンスの脚には一発も当ててないよ!」
撃ち落とされた結晶のひとつが、クレタの足元まで転がってきた。その向こうに見えるハンスの脚には、確かに弾痕ひとつない。
顔も名前も知らない相手が、白祇重工の重機を傷つけまいとあそこまでしてくれている。それを見せられて、自分たちが先に助けるのを諦めるわけにはいかなかった。
「姉貴!どこなら叩ける!?」
「脚の内側!ハンスの装甲の上に黒いのが張りついてるだろう?そこなら駆動部を傷つけずに済む!」
クレタがアンドーに目をやると、彼はドリルを軽く持ち上げて応じた。そのまま怪物の正面へ走り込み、振り下ろされたチェンソーを横へかわす。
チェンソーが敷石にめり込むや、その上を覆う装甲を踏み台にして跳び、中央に剥き出しになった黒い腹へドリルを叩きつけた。
「おら、こっちだ!」
ドリルの先端が黒い表面を削り、怪物がアンドーを振り払おうと右腕を持ち上げる。その隙にクレタは前脚の内側へ滑り込み、付け根に絡みついた黒い筋の束に狙いを定めた。
「打ち、砕くッ!!」
ハンマーを打ち込み、引き抜く勢いで腰を回して、もう一度同じ場所へ叩きつけた。
柄を握る手に、硬いものが割れる感触が返る。頭上で前脚の関節ががくりと折れ、巨体の前半分が低く沈んだ。
「姉貴!今だ!」
身を引いた目の前で、グレースの電気グレネードが立て続けに炸裂した。脚の付け根に開いた傷がさらに広がり、体勢を崩した怪物の胸元を上空からの銃撃が捉える。巨体が初めて大きく傾いだ。
押せる。
そう思って踏み出した途端、中央の本体から伸びた黒い筋が、機械の隙間を伝って脚を這い下りた。
裂け目の両側に食い込むと、縮みながら傷口を引き寄せていく。敷石に散っていた結晶までが足元を滑り、たった今こじ開けた隙間に吸いついた。
「チッ、埋めやがった……!」
怪物が前脚を持ち上げ、クレタは咄嗟に後ろへ跳んだ。さっきまでいた場所にその足が叩きつけられ、敷石に亀裂が走る。割れ目からは紫色のエーテル結晶が次々と突き出し、こちらの足元へ向かって斜めに伸びてきた。
「クレタ!足元!」
アキラの声とほとんど同時に、結晶が顎先まで伸び上がった。クレタはそれをハンマーで叩き折り、横へ抜ける。少し先では、アンドーも腕で顔を庇いながら下がっていた。
怪物の背中で黒い尾がしなった。アンドーとの間を、ハンスの作業用アームが横薙ぎに通り過ぎる。
突き出た結晶が根元から薙ぎ倒され、瓦礫ごとグレースたちの方へ飛んでいった。その向こうでベンがランマーを横に構え、グレースとイアスを陰に入れる。大小の破片がランマーに当たり、立て続けに鈍い音を立てた。
「このままじゃ近づけねえぞ!」
「尾を振り切った後を狙おう!上から撃たれるとそっちを向く!その隙に回り込めるよ!」
ランマーの脇からイアスが顔を出した。その視線を追うと、何もない宙に青白い光が二つ灯る。揃って放たれた閃光が中央の本体を捉え、怪物の前脚が浮きかけるほど、巨体がぐっと後ろへ傾いた。
「クレタ、今!」
呼ばれたときには、クレタはもう走り出していた。後ろ脚で踏ん張る怪物の側面へ回り込み、持ち上がった右の前脚の装甲に足を掛ける。それに合わせてグレースの銃撃が頭上の結晶を砕き、チェンソーを支える肩口までの道が開けた。
クレタは装甲を蹴って跳び上がり、両手で握ったハンマーを大きく振りかぶる。
「おとなしく──土に還れ!!」
ハンマーが右腕の付け根を覆う黒い組織に深く食い込み、怪物が苦しげに身を捩った。振り回されそうになり、クレタは外装に両足を突っ張ってハンマーを引き抜く。
そのはずみで身体が宙に浮いた。足場を求めて片足を伸ばしたところで、反対側の左腕が持ち上がるのが見えた。
黄色い杭打ち器が巨体の前を横切り、足元へ回り込んできた。黒い軸の先にある赤黒い杭が、宙に浮いたままの自分へと向けられる。
「ッ──!」
咄嗟に足を引くと同時に、上空からの銃撃が左腕の付け根を覆う結晶を砕いた。
杭打ち器の動きが鈍った一瞬の隙に、クレタは脇の装甲を蹴って横へ飛んだ。遅れて突き出された杭が、身体すれすれを抜けていく。
着地の拍子に砂利で足を滑らせながらも、ハンマーを地面に突き立てて踏みとどまり、短く息を吐いた。
「……助けられてばっかじゃねえか」
息も整わないまま、仲間たちの方へ目を向けた。
正面で怪物の杭打ち器がアンドーのドリルを弾いた。踏ん張り損ねた彼に右腕のチェンソーが振り下ろされ、ベンがそこに割って入って、ランマーで刃を受け止めた。
「ぐっ……!」
ベンの膝が沈み、足が敷石の上をずるりと滑った。歯を食いしばって押し返そうとするが、今度は刃を持ち上げられない。
「二人とも、下がって!」
グレースが側面から黒い胴体へ電気グレネードを投げ込む。炸裂した閃光に怪物が身を捻った隙に、ベンとアンドーがどうにか刃の下から抜け出した。
下がってきたベンは、ランマーを構え直すだけで肩を大きく上下させていた。アンドーも膝に手をつき、荒く息を吐いている。援護を続けるグレースの銃口まで小刻みに揺れ、狙いをつけ直すのに時間がかかっていた。
誰にも、息を整える暇すらない。
クレタ自身も、息を吸っても吸っても足りなかった。握り直したハンマーが、さっきよりずっと重い。
このままじゃ、ハンスたちを助ける前にこっちが潰される。
「もう一回脚を崩すぞ!さっきと同じとこだ!」
「任せとけ、社長!」
クレタはアンドーと左右に分かれて踏み込んだ。怪物は迎え撃つように四本の脚を開き、低く身体を沈める。
だが、左腕の杭打ち器はこちらを向いていない。アンドーの方でもなかった。
杭の先が向いていたのは、足元の敷石だった。
「な──ッ!?」
杭が地面を打ち抜いた。突き上げられた敷石が裏返り、その下から土砂が噴き上がる。一歩先を走っていたアンドーの背中さえ、あっという間に見えなくなった。
「クソッ、見えねえ!」
「社長!どこだ!」
アンドーの声はすぐ近くから聞こえるのに、そちらへ伸ばした手に当たるのは吹きつける砂ばかりだった。目を開けていられず、腕で顔を庇った瞬間、頭上の銃声までふっと途切れる。
「クレタ、右──!」
振り向いたときには、土煙を裂いてグレーテルの巨大なチェンソーが目の前まで迫っていた。かわす間もなく、咄嗟にハンマーを身体の前へ滑り込ませる。
「──っ!」
直後、チェンソーの一撃でハンマーの柄が胸に叩きつけられ、肺から空気が一気に押し出された。
両足が地面を離れ、クレタの身体が真横に吹き飛ぶ。広場の端に並ぶ建物が目の前を流れ、傾いた視界に灰色の空が広がった。
自分が宙に投げ出されたのだと気づいたときには、グレースたちの姿はすでに遠く、小さくなっていた。
「く……そッ……!」
空中で姿勢を立て直すこともできず、クレタはエーテル結晶の塊へと吹き飛ばされていく。
背中が叩きつけられる寸前、何者かが結晶との間へ割り込み、クレタを抱き留めた。だが勢いまでは殺しきれず、相手は彼女を庇ったまま、背中から結晶へ突っ込んだ。
結晶が立て続けに砕け、抱き留められた身体にも衝撃が伝わる。痺れた指からハンマーが滑り落ち、破片の間を転がった。
「っ、てて……」
着地の衝撃が収まり、クレタは顔を上げた。
ちらつく光学迷彩の下から、分厚い装甲と機械の顔が浮かび上がる。青白い光を灯した胸と、銃を載せた肩。その姿は、クレタには軍用の知能構造体のように見えた。
相手は背中から薄く煙を上げながら身を起こし、クレタをそっと地面に下ろした。
「……助かった、ありがとよ」
機械の顔が小さく頷いたが、肩越しに見える細い煙はまだ消えていない。あれだけ派手に背中を打ちつけて、本当に平気なのか。もう一度声をかけようとしたところで、広場の方から立て続けに銃声が響いた。
クレタは近くに落ちていたハンマーを拾い上げ、砕けた結晶の間から仲間たちの様子をうかがった。土煙の向こうにベンの大きな背中が見え、その脇ではグレースが怪物に向けて撃ち続けている。
そしてその手前に、真っ白い巨体があった。
「……!」
ハンスたちが運んでくれたプロトタイプだ。エーテル結晶に囲まれながらも腰を落としたままで、機体が侵食されている様子はない。
「こいつなら……!」
プロトタイプなら、怪物とも正面から組み合えるかもしれない。
クレタは一歩そちらへ踏み出し、足を止めた。十年間も身動きひとつ取れず、ようやくモニュメントから引き離せたばかりの機体だ。今、操縦桿を握ったところで、果たして立ち上がれるのか。
だが、ためらう間にも広場からは銃声が響いてくる。グレースたちは、まだあの怪物と戦っている。正面から押しとどめられそうな機体は、目の前に座り込むプロトタイプだけだった。
「……頼むぜ」
クレタはハンマーを背負い直し、プロトタイプへ駆けた。機体の側面に手を掛けてよじ登り、薄暗い操縦席へ身体を滑り込ませる。操作盤の端には、さっき確認した小さな明かりがまだ灯っていた。
起動スイッチを押すと計器が端から順に灯り、座席の下でモーターが低く唸った。操縦桿を倒してもすぐには反応がなく、クレタは操作盤の表示に目を走らせる。
「……こっちか?」
手元のスイッチを切り替え、もう一度ゆっくりと操縦桿を倒した。足の裏から座席の背へ低い振動が伝わり、窓の外で白い指が動く。
クレタは前を向き、今度こそ操縦桿を深く倒した。持ち上がった作業装置が、行く手のエーテル結晶を根元から叩き砕く。
「……よし、いける」
プロトタイプが立ち上がるにつれて、窓の外の地面が遠ざかり、座席を伝う振動が強まった。クレタが操縦桿を握り直したとき、不意に整備場で聞いたハレの言葉が頭をよぎる。
──自律思考できるようになって人格を持った知能構造体は、人間とほとんど変わらないから。
思い返せば、ハンスは立派な漢になりたいと言い、グレーテルはビルへの恋を語り、フライデーは自分の意思で何かを守ろうとしていた。考え方も性格も違う三台が、人間のように自分の気持ちを言葉にしていた。
ハンス、グレーテル、フライデー。グレースたちは三台をそれぞれの名で呼び、三台もそれぞれの言葉で応える。クレタ自身もそのやり取りに加わり、何度も彼らの名前を口にしてきた。
「名前……」
崩れた足場を越えるように機体を一歩進めると、操縦席が揺れ、計器の隙間から何かがひらりと浮いた。クレタは反射的に片手で押さえ、指の下に覗いた顔に目を留める。
古い写真には、父と、父に抱き上げられて笑う幼い自分が写っていた。
「──名前」
写真を拾い上げた途端、幼い日の記憶が鮮明に蘇った。
今は操縦桿を握るこの手を、あの日は父の大きな手に預け、一緒に真新しい白い機体を見上げていた。
──クレタ、さあ、名前をつけてくれ!
写真の中の笑顔に、あの日の父の声が重なる。まだ動かない機体を前に、父は何かを嬉しそうに話していた。
その話が終わるのも待ち切れず、早く動かしてくれと繋いだ手を何度も引っ張ったことまで覚えている。
──名前を呼べばきっと、クレタの願いに応えてくれる!
その言葉が嬉しくて、白い機体に向かって何度も名前を呼んだ。父が頷くたび、もっと大きな声を張り上げた。その日の記憶とともに、自分が機体につけた名前も蘇ってくる。
「親父……」
クレタは写真の端をそっと撫で、操作盤の脇に挟んだ。窓の向こうではベンがランマーを構えて踏ん張り、その横へアンドーが並んでいる。グレースが二人に何か叫びながら、怪物へ銃を向けていた。
父がいなくなってからも、あの三人は何度となく自分の前に立ち、守ってくれた。クレタはその背中を見つめ、それから一度だけ写真に目を戻す。
「……もっかい、信じていいか?」
写真から目を上げ、両手で操縦桿を握り直した。三人のいる方へ機体を向け、ぐっと前へ倒す。足元で駆動部が唸り、地面を踏み締める重い振動が、座席を通して全身に伝わってきた。
幼い頃父の手を握って見上げていた白い機体が、今は自分の手に応えて動いている。その大きな腕も、力強く地面を踏む脚も、今なら仲間を守るために使える。
窓の向こうには、まだ怪物の前に踏みとどまる三人の背中があった。今度は、自分があいつらの前に立つ。取り込まれたハンスたちも取り戻して、全員で帰る。あの日の父の言葉に託す願いは、もう決まっていた。
──今度は、あたしが守る番だ。
「──行くぞ!ゲローイ!!」