臆病者だから鉄を着ます   作:三世

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#7

「はぁ……」

 

 新エリー都、ヤヌス区、六分街。

 

 その一角に佇むビデオ屋──『Random Play』。

 

 ホロウから生還し、つい先ほどまでラーメンをおかわりするほどに上機嫌だった少女、リンは、今ではすっかりその面影をなくしていた。

 

 ソファへ深く身体を沈め、スマホを眺めながら長いため息を吐く。

 

「どうしたんだい?リン。さっきまでご満悦でラーメンを食べていたのに」

 

 隣に座る灰色の髪の青年──リンの兄であるアキラが声をかける。

 

「んー……さっき話したでしょ?私たちを助けてくれた知能構造体の人」

 

「ああ、ホロウ内で救助活動をしていたっていう。ニュースにもなってたな」

 

「そう!インターノットで調べてたんだけどさぁ……」

 

 リンは不満そうに頬を膨らませると、開いていたスレッドをアキラへ見せた。

 

「見てよこの評判!」

 

「……なるほど、これは」

 

「陰謀論ばっかり!酷くない!?」

 

 そこには、昨日六分街近郊に出現した謎の人型について、ありとあらゆる憶測が飛び交っていた。

 

『あれ絶対防衛軍の新型だろ』

 

『いや治安局。あんなの軍が持ってたらもっと騒ぎになってる』

 

『そもそもホロウが発生したタイミングで直ぐに現れたの怪しくない?』

 

『ホロウ発生の原因がアイツだった説』

 

『企業の実験兵器じゃね?』

 

『自作自演で救助活動して性能アピールしてるとかじゃね、TOPSならやりかねん』

 

 中には、映像を何十倍にも拡大して装甲の形状を分析している者までいる。

 

「絶対そういうのじゃないよ……あの人、ずっと市民を助けるために動いてたし」

 

「リンから聞いた話だけでも、悪意のある存在ではなさそうだけどね」

 

 アキラは画面をスクロールする。

 

「ただ、何者なのか分からない以上、こういう詮索が広がるのも仕方ないさ」

 

「それは分かるけど……」

 

「ビリーみたいなホロウレイダーの知能構造体じゃないのかい?別に珍しいわけでも無いだろう」

 

「ん~……」

 

 リンが眉を寄せて腕を組んだ。

 

「にしては、装備が強すぎた気がするんだよねぇ」

 

「強すぎた?」

 

「空飛ぶでしょ?手からビームみたいなの撃つでしょ?小型だけどミサイルまで撃ってたし、それなのに今まで全然話題にもなってなかったのって、なんか変じゃない?」

 

「……確かに」

 

 アキラの表情が少し変わった。

 

「そもそもあれほど細身の機体でそれだけの装備を搭載して、なおかつ高機動戦闘まで行ったというのは……性能面から考えても、かなり高水準だ」

 

「でしょ?」

 

 二人はただのビデオ屋店員ではない。

 

 伝説のプロキシ『パエトーン』。

 

 ホロウ探索のためにHDDをはじめ、大量の機材を扱いボンプを始めとする知能構造体にも日常的に触れている。

 

 だからこそ、あの赤と金の存在が単なる高性能知能構造体では説明しにくいことに気付いていた。

 

「にしても」

 

 アキラがスマホから妹へ視線を移す。

 

「その人について、やけに熱心に調べているんだね」

 

「……だって」

 

 リンがスマホを胸元へ下ろした。

 

「お礼、言いそびれちゃったから」

 

「……ああ」

 

「最後までずっと助けてもらってたのに、そのままどっか飛んで行っちゃったし」

 

「確かに僕としても、妹を助けてもらった以上一言くらいはお礼を言いたいところだね」

 

 アキラが小さく笑う。

 

「でも、名前も分からないんだろう?」

 

「……うん」

 

 リンは再び頬を膨らませた。

 

「聞いても答えてくれなかった。私はちゃんと名乗ったのに」

 

 その表情には先ほどまでとは違う、ほんの少しだけ寂しそうな色が混じっていた。

 

「……ほう?」

 

 アキラが別のスレッドを開くと、そこには様々な考察に混じってその知能構造体の名前を決めようという投稿があった。

 

「どうやらインターノットでは、『アイアンマン』という呼び名が広まり始めているみたいだね」

 

「……アイアン?」

 

 リンが眉を寄せる。

 

「いやあれ絶対鉄じゃないでしょ」

 

「まあ人は分かりやすい名前を好むものだから」

 

「アイアンマン……」

 

 口の中で転がす。

 

「アイアンマンさんか」

 

「さん付け?」

 

「恩人だし」

 

「律儀だね」

 

 リンはさらにインターノットを漁っていく。

 

 だがどれだけ調べても、分かるのは昨日の目撃情報ばかり。過去の活動記録は何もない。

 

「……Fairyに調べてもらおうか」

 

 アキラが言った。

 

「普通に検索するよりは何か分かるかもしれない」

 

「うん、お願いお兄ちゃん……あ、そういえば」

 

「?」

 

 リンが顔を上げた。

 

「あの人さ」

 

「うん?」

 

「なんか、誰かと話しながら動いてたように見えたんだよね」

 

「誰か?」

 

「ほら、戦ってる途中で独り言みたいに何か言ってて。そうすると動きが変わったり、装備が切り替わったりしてたの」

 

「音声操作じゃなくて?」

 

「最初はそう思ったんだけど……」

 

 リンが少し考える。

 

「多分アレ、誰かと会話してた」

 

「…………ホロウ内で?」

 

「うーん……なんていうか」

 

 リンは少し不安そうに兄を見る。

 

「お兄ちゃんがイアスと同期して、外からプロキシの仕事してる時みたいに」

 

「……なんだって?」

 

 沈黙。

 

 つい先ほどまで、ラーメンとビデオの話をしていたはずのビデオ屋に、不穏な空気が静かに満ちた。

 

     

◇

 

 ヤヌス区での共生ホロウの騒動から翌朝。

 

『──治安局は本日、六分街近郊で確認された人型知能構造体について、「当局が所有・運用する装備ではない」とする声明を発表しました』

 

「ですよね」

 

 ニュースを横目に見ながらも、トーストを齧った。

 

『──また防衛軍も同様に関与を否定。現在インターノット上で広がっている「防衛軍新型兵器説」についても──』

 

「そりゃそうだ」

 

 牛乳を飲む。

 

『なお、正体不明の人型については、救助された市民から「アイアンマン」と呼ばれていたとの証言も──』

 

「ぶっ!」

 

 牛乳を吹いた。

 

「ゲホッ!ゴホッ!」

 

『ハレ様』

 

「なんで!?」

 

『何がでしょう』

 

「なんでアイアンマンになってんの!?」

 

『昨夜からインターノット上で急速に定着しています』

 

「誰だよ最初に言った奴!」

 

『特定しますか?』

 

「……しなくていい」

 

 ……最悪だ。

 

 いや、別に嫌なわけじゃない。前世で好きだったヒーローと同じ名前で呼ばれると言うのは、嬉しいか嬉しくないかで言えばちょっと嬉しい……何ならかなり嬉しい。

 

 ……でもそれはそれとして、恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。俺なんかが「アイアンマン」を名乗っていいわけないだろ……

 

『なお、「中に人間が搭乗している」とする意見はごく少数です』

 

「……え?」

 

『現在最も支持されている説は、「高度な戦闘用知能構造体」です』

 

「…………」

 

 テレビを見ると、昨日の俺がそこに写っていた。

 

 赤と金の外装、空を飛んで、ビームを撃って、ミサイルを撃つ。

 

「……まあ」

 

 確かに、あんな装備持ってビュンビュン飛んでたら。

 

「ロボットに見えるか」

 

『正確にはパワードスーツです』

 

「分かってるよ」

 

 その時、チャイムが鳴った。

 

「ん?」

 

 こんな朝早くに誰だ。

 

『来訪者を確認』

 

「誰?」

 

『レイ長官です』

 

「…………」

 

 猛烈に嫌な予感がした。

 

     

◇

 

「本当に申し訳なかった」

 

「…………」

 

 頭を下げられた。

 

 深々と、それはもう見事なまでに。

 

「え、あの」

 

「私の判断が甘かった」

 

 顔を上げたレイ長官は憔悴していた。

 

 目の下には濃い隈、髪はボサボサで、顔色も悪い。明らかに寝ていない。

 

「安全性を確認した実証試験だと判断し、君を同行させた。結果として君を突発性ホロウへ巻き込んだ」

 

「いや、あれは誰にも予想できなかったですし」

 

「それでもだ」

 

 レイ長官は真っ直ぐ俺を見る。

 

「君は十六歳で、私は責任者だ」

 

「……はい」

 

「君を守る義務がある」

 

 ……まあ、それはそうかもしれないけど。

 

「だから謝らせてほしい」

 

 もう一度、深々と頭が下がる。

 

「本当に申し訳なかった」

 

「…………」

 

 ……困った。

 

 一言文句を言ってやりたいとは思っていたものの、別に俺はこの人を恨んでなんかいない。そもそも突発性ホロウなんて予測できるものじゃないんだから。

 

 ……それに。

 

「気にしないでください」

 

「…………」

 

「俺、生きて帰ってきましたし」

 

 別に死んでも恨むことはないと思うけど。なんなら寧ろ、Mark 1を作るきっかけになった訳だから、お礼を言いたいほどだ。

 

「そうか分かった。そうさせてもらう」

 

「…………ん?」

 

 さっきまで憔悴しきっていたのが嘘のように、一瞬でいつもの無表情に戻った。

 

「では、改めて。本当にすまなかった」

 

 レイ長官が頭を下げて、踵を返す。

 

「それじゃあ、しばらくゆっくり休め」

 

「あ、はい」

 

「学校側にも話は通してある」

 

「え」

 

「学会の研究所からも当面の出勤停止だ」

 

「は?」

 

「では」

 

 ドアが閉まり、靴の音が遠ざかっていった。

 

「…………」

 

 静かになった。

 

「…………Brownie」

 

『はい』

 

「普通さ、もうちょっと引きずらない?」

 

『「気にしないでください」と発言したのはハレ様です』

 

「いやそうだけどさ」

 

『レイ長官は要求に応じました』

 

「そうだけども!」

 

 何というか、こう……あまりにも素直すぎると、こっちが反応に困るのだ。

 

     

◇

 

 そして結果的に、俺は滅茶苦茶暇になった。

 

「…………」

 

 学校、来るな。

 

 学会の研究所、来るな。

 

 自宅、Brownieから休めと言われる。

 

 数週間の休養が、俺を暇という名の地獄に叩き落としていた。

 

「…………死ぬほど暇」

 

『休養とはそういうものです』

 

「暇!」

 

 くそ、こうなったら……

 

『Mark 4の設計は禁止します』

 

「……まだ何も言ってないだろ」

 

『思考パターンから予測しました』

 

 コイツ……そこまで進化してたのか、くそ。

 

「てか、なんでダメなのさ」

 

『飛ぶでしょう、絶対』

 

「…………」

 

 家にいてもする事もないから、仕方なく外へ出た。目的地はない。

 

 Brownieと話すため、耳に目立たないインカムを付けて歩く。

 

 適当に歩く、適当に飯を食う、店を見る、また歩く。

 

 そんなことをしているうちに、気付けば俺は六分街まで来ていた。

 

「…………」

 

 昨日俺が飛び込んだホロウ災害のすぐ近く。

 

 それでも街は普通だった。

 

 人が歩いている、店が開いている、ボンプが走っている、ラーメン屋からいい匂いがする。

 

「平和だな……」

 

『平和です』

 

 それが少し嬉しかった。

 

 昨日俺が助けた人たちも、こういう場所へ帰ったのだろうか。

 

「…………」

 

 また歩いて、そして一軒の店が目に入った。

 

「ビデオ屋?」

 

 店名は『Random Play』。

 

 ビデオとは今時珍しい……というか。

 

「まだあるんだな、こういう店」

 

『映像作品の物理メディア需要は現在も一定数存在します』

 

「へえ、なんか懐かしい感じするな」

 

 そういえば、俺が初めて「アイアンマン」を見たのも、家の近くのビデオ屋で借りたのがきっかけだったか。

 

「たまには、こういうのもいいかもな」

 

 ……少し、興味が湧いた。

 

 前世の映画、この世界の映画。文化は違っても、映画そのものは存在する。

 

「少し寄ってみるか」

 

 ドアを開けた。

 

「いらっしゃいませー!」

 

「どうも──」

 

 顔を上げる。

 

「…………」

 

「?」

 

「…………」

 

 青みがかった黒髪。

 

 謎の文字が書かれたTシャツ。

 

 見覚えのある、この顔。

 

「いらっしゃいませ?」

 

「…………」

 

 昨日の、ホロウ。

 

 一緒にいたプロキシ。

 

 俺に道を教えてくれた女の子。

 

 リンと名乗った、あの少女。

 

「────っ!?」

 

 叫びかけたのを寸前で飲み込んだ。

 

「お客さん?」

 

「……はい」

 

 危なっっっっっ!!

 

 叫びかけたんだけど!?

 

『心拍数上昇』

 

「黙ってくれ」

 

「え?」

 

「あ」

 

 リンを見る。

 

「……いや、何でもないです」

 

「……?」

 

 危ない。

 

 昨日はヘルメット越し、声もBrownieに少し加工させていた、当然顔は見られてない。

 

 大丈夫、バレない。絶対バレない……はず。

 

「えっと……何か探してます?」

 

「映画を」

 

「映画?」

 

「はい」

 

「ジャンルは?」

 

「……面白いやつで」

 

「広っ」

 

 リンがけらけらと笑った。

 

 普通だ。昨日あんな場所にいたとは思えない。

 

「初めてですよね?」

 

「はい」

 

「じゃあ会員証作ります?」

 

「お、お願いします」

 

 流れで会員証を作ることになってしまった。

 

「名前お願いします」

 

「ハーレー・スタークです」

 

「スタークさん……」

 

 リンの手が、一瞬だけ止まった。

 

「?」

 

「……いや」

 

 首を傾げる。

 

「どっかで聞いたような……」

 

「…………」

 

 え、これまずい?

 

『スターク家は著名です』

 

 あ、そっちね。会社の方か。

 

 ……いやどちらにせよバレるのは面倒だな。

 

「まあよくある名前なんで」

 

『虚偽です』

 

「黙って」

 

「……やっぱり誰かと話してる?」

 

「え?」

 

 リンがじとりとした目で俺を見る。

 

「今、黙ってって」

 

「…………」

 

「…………」

 

 やっべ、やった。

 

「……独り言です」

 

「……そう?」

 

「はい」

 

「ふーん……」

 

 視線が怖い。やめて、プロキシの観察眼で俺を見ないで。丸裸にしないで。

 

「はい、できました!」

 

「ありがとうございます!」

 

 会員証を受け取ると、即座に踵を返した。

 

「じゃ!」

 

「え、何も借りないの?」

 

「今日は下見なので!」

 

「そ、そう……」

 

 逃げた。

 

     

◇

 

 店を出る。

 

 早足で、とにかくあの店から距離を取る。

 

 五十メートルほど離れた地点で角を曲がって止まった。

 

「…………Brownie」

 

『はい』

 

「あの子、昨日の子だよな?」

 

『顔貌照合率99.8%。リン氏本人です』

 

「なんでいるの!?」

 

『自宅または勤務先だからでは』

 

「そういう意味じゃない!」

 

 あの子プロキシだぞ、見たことないレベルで正確にホロウの構造を読んでた。

 

 恐らく調査員と比べても遜色ない……と言うかめちゃくちゃ優秀な部類だと思う。

 

 それが、ビデオ屋?

 

「……表の仕事ってことか」

 

『可能性は高いと推測します』

 

「…………」

 

 俺は手の中の会員証を見る。

 

 Random Play、会員。

 

 ……ハーレー・スターク。

 

「……作っちゃった」

 

『はい』

 

「どうしよう」

 

『利用すればよろしいかと』

 

「そうじゃなくって」

 

 もう行かない?いやそれはそれで不自然か?

 

 ……別に不自然じゃない、そのはずだ。初めて入った客が二度と来ないなんてざらにある。接客業なら当たり前のことのはずだ。

 

「……忘れよう」

 

『了解しました』

 

「昨日のことも知らないってことで」

 

『はい』

 

「俺はただの客、赤と金の知能構造体なんかじゃない」

 

『はい』

 

「リンはただのビデオ屋店員」

 

『少なくとも表向きには』

 

「それ言うな……まあ事情があるんだろ、きっと」

 

 帰ろう。そう思って歩き出した、その時。

 

『ハレ様』

 

「何?」

 

『先ほどの店舗について、一点報告があります』

 

「…………何だよ、怖いな」

 

『店内滞在中、外部から当機への走査と思われるアクセスを検出しました』

 

 足が止まった。

 

「…………は?」

 

     

◇

 

 同じ頃、Random Play。

 

「……変なお客さんだったなぁ」

 

 リンはカウンターへ頬杖をついていた。

 

 ハーレー・スターク。自分より何歳か年下であろう少年。

 

 妙に挙動不審、時々誰もいない場所へ話しかけている。

 

「お兄ちゃーん」

 

「どうしたんだい?」

 

「さっきのお客さん、なんか変じゃなかった?」

 

「確か、スターク君?」

 

「そう」

 

 アキラが奥から出てくる。

 

「少し緊張しているようには見えたけど」

 

「だよね」

 

「リンを見て緊張したんじゃないかい?」

 

「何それ」

 

「さあ」

 

 アキラが笑う。

 

「それより珍しい名字だね。スタークか」

 

「私もどっかで聞いたことあるんだよねぇ……」

 

 その時、バックヤードから機械的な女性の声が響いた。

 

『マスター』

 

「Fairy?」

 

『先ほど来店した人物について、報告があります』

 

 兄妹の表情が、目に見えて変わる。

 

「何?」

 

『店内滞在中、未知の電子知性体からの通信を検出しました』

 

「…………」

 

 リンが固まる。

 

「電子知性体?」

 

『はい』

 

 アキラが目を細める。

 

「Fairy。詳細を」

 

『既知のネットワーク規格とは異なる独自プロトコルを使用。極めて短時間のため完全な解析には失敗しました』

 

「発信源は?」

 

『推定』

 

 一瞬の、間。

 

『先ほどの来店客──ハーレー・スターク氏の周辺です』

 

「…………」

 

 リンとアキラが、顔を見合わせた。

 

「お兄ちゃん」

 

「うん」

 

「あの人……」

 

 昨日、ホロウの中。赤と金の知能構造体は誰かと話しながら戦っていた。

 

 そして今日、突然現れた少年。

 

 彼も、誰もいない場所へ喋りかけていた。

 

「…………」

 

 リンは閉じたばかりの扉を見る。

 

「……まさか、ね」

 

     

◇

 

『外部アクセスは0.37秒。侵入には至っていません』

 

「相手は?」

 

『不明です』

 

「追えるか?」

 

『推奨しません』

 

「理由は」

 

『逆探知される可能性があります』

 

「…………そいつが、そんだけ優秀ってことね」

 

 ……最悪だ。

 

「そいつについて少しでもわかること、あるか?」

 

『能力は未知数。ただし』

 

「ただし?」

 

『私が検知するまで0.08秒でした』

 

「…………それ、めちゃくちゃ強いAIなんじゃ」

 

『通常の市販AIでは無いことは確かです』

 

 背中を嫌な汗が伝う。

 

 リン、プロキシ、ビデオ屋、そして正体不明のAI。

 

「…………Brownie」

 

『はい』

 

「昨日のニュースでさ」

 

『はい』

 

「俺が誰かと話しながら戦ってたって、映像から分かる?」

 

『映像のみでは断定困難です』

 

「リンは?」

 

『至近距離でハレ様の行動を観察しています』

 

「…………」

 

 ……終わったかもしれない。

 

「いや」

 

 まだだ、顔は見られてない。声は変えていた、体格もMark 3込みなら全然違う。俺とアイアンマンを繋ぐ証拠はない……はず。

 

「大丈夫」

 

『心拍数、毎分121』

 

「大丈夫」

 

『発汗量増加』

 

「大丈夫!」

 

『了解しました』

 

 俺は手の中の会員証を見る。

 

 さっきまではただのビデオ屋のカードだった。

 

 なのに今は、とんでもないものを手に入れてしまった気がする。

 

「……もう行かない方がいいかな」

 

『合理的です』

 

「でも急に行かなくなる方が怪しくない?」

 

『本日の来店が初回です』

 

「……いや、そうだけども」

 

『二度と来店しなくても不自然ではありません』

 

「そうなんだけど!」

 

 何だろう、それはそれでちょっと嫌だ。映画普通に見たかったし。

 

「…………はぁ」

 

 ……まあ、考えても仕方ないか。

 

「仕方ない、帰って映画でも観るか、サブスクで」

 

『賛成です。休養にも適しています』

 

「だろ?たまには普通の休日を──」

 

『なお、先ほどの店舗からメッセージが届いています』

 

「…………は?」

 

 なんで?一瞬しか話してないのに?

 

『会員登録時に記入した連絡先宛てです』

 

「……内容は?」

 

『読み上げます』

 

『〝スタークさん!さっきはありがとうございました!おすすめの映画を何本か選んだので、よかったらまた来てくださいね!〟』

 

「…………何これ」

 

『差出人、リン氏』

 

「…………」

 

『返信しますか?』

 

「……Brownie」

 

『はい』

 

「俺、しばらく家から出たくない」

 

『休養への意欲が確認でき、何よりです』

 

「……うるさい」

 

 ……どうやら俺の平穏な休日は、まだまだ遠いらしい。

 

 

 

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