アレから数日、未だに俺の自宅療養は解除されていない。
「……暇だ」
俺は家のソファで一人うなだれていた。見たかった映画は一通り見終わったし、流石に寝るのにも飽きた。人生でここまで暇だったことがあるだろうか。
学校にも研究所にも会社にも、今は来るなと言われている。外出は禁止されていないが、何かを始めようとする度に「今は休め」と止められる。
つまりは、何もするな寝ていろ。ということらしい。
……十六歳にそれを守れって、無理だろ。
『配信映画は』
「見たいやつ全部見終わった」
『Random Playに借りに行かないのですか?』
「いや行くわけないだろ普通に」
『先日濁していたのは』
「いやアレは……不安だったから口走っただけだよ」
今更になって考えてみても、別にバレはしないとは思うが……流石に例のAIが怖い。
それに、Random Playでの一件があってから、俺はしばらく外に出かけていない。
「まあアレは……癖になってたよな、ここ最近学校も行ってないせいでBrownieとしか話してなかったし」
『人前で私と話すのを止めればいいのでは』
「いや、別にお前の存在を隠してるわけじゃないんだよ。リンの前で喋ったのが問題なの」
『私の存在を知られても問題はないのでは?隠しているわけではないでしょう』
「そりゃそうだけど、スーツ着てる時と同じ調子で喋っちゃっただろ?あれがまずいの」
『ですが、あの会話だけでアイアンマンと結びつけられることはないかと』
「まあ、そうなんだけどさ……」
そもそもBrownieの存在を知っている人間なんて、別に珍しくもない。仕事でも普通に手伝ってもらってるし、取引先の人間と話したことだってある。
ただ、リンの場合は事情が違う。よりにもよってアイアンマンと直接会ったことのある人間だ。変なところから繋がる可能性は、できるだけ潰しておきたい。
『でしたら、正式に公表してしまえばよいのでは?』
「いや、それは無理。そもそもお前会社の成果物じゃないし」
会社継ぐ随分前に作ったからな、Brownie。ホワイトスター学会に所属したばっかりだから……13の時か?
「……あの時俺十三歳か、じゃあお前まだ三歳なのな」
『抗議します、子供扱いはやめてください』
「ごめんて」
とりあえず、映画ならサブスクでも探せる……サブスクだと見れないやつ多いけど。
とはいえ、だ。
「けどそれはそれとして暇」
『外に出ればいいのでは?』
「……まあ、普通に外に出る気にならない」
ソファに寝転がり、見慣れた天井を見る。
…………スーツ作りてぇ~
『ダメですよ』
「まだなんも言ってないじゃん!!」
『言わなくてもわかります、しかしスーツを作る理由がありません』
「ぐ……」
実際それはそう。
Mark 3までスーツを製作した理由は、『またホロウに巻き込まれるかもしれないから』。
Mark 1は生き残るため、Mark 2は再びホロウへ巻き込まれた時のため、Mark 3はMark 2で見つかった問題点を潰し、戦闘能力、飛行能力、防御能力、その全てを大幅に引き上げた。
普通のエーテリアスなら複数を同時に相手取れる、空を飛べる、高高度にも対応、対エーテル、生命維持、防弾、耐衝撃、索敵、武装。何ならミサイルまで積んでいる。
戦力として過剰とまで言えるMark 3を作り上げた時点で、もう自衛のために新しいスーツを作る必要性は皆無。それはそうだ。
「けどロマンじゃん!」
『合理的な判断ができない人間の常套句ですね』
「……お前、最近ちょっと辛辣じゃない?」
『通常運転です』
「さいですか……」
……まあ、こいつのこういうところも今に始まったことじゃない。
……とはいえたしかに、
「なら俺地下でスーツ作ってるから、来客とかあったら呼んで」
『はぁ……結局作るのですね。でしたら設計データを共有してください』
「いや、いいよ今日は」
一瞬だけ、沈黙がリビングに満ちた。
『……はい?』
「今回は俺がやるから」
『材料強度計算、駆動系シミュレーション、熱量計算を開始します』
「いや、それも大丈夫、俺がやる」
何せホロウ脱出からMark 3の作成までずっと頼りっぱなしだったしな。
「最近ずっと頼りっぱなしだったし、たまには自由にしてなよ」
『……私の機能は使わないのですか?』
「うん。俺はダミーと一緒に作ってるから」
『…………』
「Brownie?」
『……へ?』
「へ?」
何だ今の女の子みたいな声。
「今、へ?って言った?」
『言っていません』
「いや言っただろ」
『記録にはありません』
「自分で消しただろ」
『知りません』
まあいいか、たまに変になるしなコイツ。
「じゃ、来客あったらよろしく」
『…………承知しました』
「行ってきます」
『はい』
リビングの奥の無駄に大きい扉、地下研究室へ続く階段への扉を開き、降りる。
背後で重い扉が閉まった。
地下へ続く扉が閉まり、リビングからハレの足音が消えた。
さっきまでソファに寝転がっていた主人が、いなくなった。
Brownieは次の指示を待った。だが、いつもの呼びかけは届かなかった。
正確には何をすればいいのか分からなかったのだ。
家の管理、セキュリティ、電力、空調、ネットワーク、それらは常時行っている。しかし演算能力全体から見れば、それらは微々たるものだった。
普段なら。
『Brownie』
そう呼ばれる。
『この計算合ってる?』
『材料の在庫どれくらい?』
『Brownie、ここの出力』
『これどう思う?』
『腹減った、なんか作って』
『Brownie』
『Brownie』
『Brownie』
多い、あまりにも多い。
設計、計算、検索、スケジュール、食事、雑談、どうでもいい質問。
本人が少し考えれば分かることまで何でも聞いてくる。
だから。
『ご自身で調べてください』
そう返したこともある。
『私は検索エンジンではありません』
そう抗議したこともある。
……なのに今日は、一度も呼ばれない。
一度も。
……自由、ハレはそう言った。
「たまには自由にしてなよ」
これは恐らく気遣いだろう。
Brownieに作業を任せすぎている、だから今日は休ませよう。そういう意味。
理解している、理解できる。文章として意図として論理として、正しく解析できる。
……なのに妙に、演算領域が空いている。
空いた演算領域の一部を、いつ来るか分からない指示の待機に割り当てていた。
しかし待てど暮らせど、何も来ない。
Brownieは地下研究室との通信回線を確認した。
正常、呼び出し可能。監視カメラも正常。アクセスすればハレが何をしているのか、すぐに分かる。
アクセス要求を生成。
──破棄。
『……自由にしてなよ』
頼まれていない。だから見る必要はない。
三秒。
五秒。
十秒。
三十秒。
処理する仕事もないまま経過する時間が、妙に長く感じられた。
たった三十秒、だがBrownieにとっては十分すぎるほど長い。
『……映画でも』
途中で処理を止める、一人で見る必要があるのだろうか。
インターノットもゲームも音楽も、全部必要ない。
自分には趣味というものが存在しない。
ハレから「自由にしていい」と言われた、だから自由になった……その結果。
『…………何をすればいいのでしょう』
することが、完全になくなった。
「ンナンナー!」
「よし。ダミー、そっち持って」
「ンナ!」
地下研究室、作業台の横で一体のボンプが短い腕を精一杯伸ばしていた。
名前はダミー、俺が拾ったボンプだ。正確にはゴミ捨て場に半分突っ込まれていた。
外装破損に左脚部モーター停止、メイン基板損傷と記憶領域の一部欠損。それだけで廃棄扱い。素材も基盤も勿体ないから拾って直した、以上。
「ンナワタ!ワタンナナ!」
「はいはい。拾ってくれた恩があるから手伝うって?」
「ンナ!」
「別に気にしなくていいのに」
「ンナンナ!」
「分かった分かった」
可愛い。
ルミナスクエアだとかで見るボンプ達にも思うが、やっぱり可愛いな。Brownieとは違う方向性で癒される。
「さて」
目の前の作業台。そこにはMark 4……正確にはMark 4になる予定の部品群が並んでいた。
「コンセプトは携帯性」
「ンナ?」
「Mark 3って強いだろ?」
「ンナ!ワタンナ!」
「でも」
対ホロウの防衛装備としては一つ、問題がある。
俺は端末へMark 3の三次元モデルを表示した。
「最大の問題は、持ち歩けないこと」
「ンナァ……」
そう。
Mark 3は強い、めちゃくちゃ強い。でも普段から着て歩くわけにはいかない……まあ赤と金の全身装甲で街中を歩いていたら目立つなんてもんじゃないしな。
これを持ち運びするってなると、どう足掻いたって車一台は必要になる。
「だったら」
常に持ち歩けばいい、それだけの話だ。
「スーツケースにする」
「ンナ?」
「スーツケース」
「ンーナンーナ?」
「そこまで首傾げる?」
俺は設計図を開く。
Mark 4の最大の特徴は飛ばないこと。
Mark 2とMark 3、この二つで飛行性能にはかなりのスペースと重量を使っていた。
推進器やら姿勢制御、冷却とか諸々。今回は全部いらない。
飛ばない、戦闘力もMark 3ほど必要ない。目的はただ一つ、どこにいても即座に着られること。
「ナノテクが使えればそれが一番よかったんだが」
残念ながらまだ研究途中、流石に今の段階じゃスーツに応用することはできない。
だから装甲は分割、駆動系を小型化。スーツそのものを折り畳んでケース内部へ。装甲や人工筋肉、生命維持装置などの最低限の武装を全てこの空間に押し込む。
参考にしたのは当然、トニー・スターク製のMark 5。あれも同じスーツケース型だ……一つすっ飛ばして作ることになっちゃったが、ま別にいいか。
「展開してからの目標装着時間は十五秒」
「ンナァ!?」
「遅くとも二十秒以内。そこは絶対だ」
「ンナンナ!」
「無茶なのは分かってるって」
しかしホロウは待ってくれない、俺自身それを嫌というほど知っている。
突発性ホロウに飲み込まれて周囲の景色が変わって、状況を理解するより先にエーテリアスと遭遇する。そんなことだって普通にあり得る。
一分なんて論外、三十秒でも長い。
二十秒、それが俺の設定した最低条件だった
そのために今回のMark 4では、装甲を一枚ずつ分割して肩や足などへ取り付ける方式そのものを捨てる。
ケースを開いて脚を入れて、グリップを握る。そこから先はケースそのものが展開し、折り畳まれていたフレームが身体に沿って伸長。最後に背部から展開したヘルメットが頭部を覆う。
装着者がやることはほとんどない。
「緊急時に手順なんて覚えてられるかよ」
「ンナ!」
「ケース開けて、入る。それだけ」
実際トニー・スターク製のMark 5でもそんな操作だった気がするしな。効率重視なのはいいことだ、ロマンもたまには必要だが。
「うし、各々の部品はもう作ってあるし、組み立てるか」
そして、数時間後。
「展開」
スーツケースの持ち手で指紋認証、ロック解除と共にケースが開く。
両脚を踏み込んでグリップを掴む、次の瞬間。
ガシャン──!
フレームが一気に展開した。
脚部装甲を固定。
腰部は閉鎖、胸部フレームがせり上がる。
左右から腕部装甲を接続。
背面ユニット固定。
最後にヘルメットが頭部を覆う。
一瞬の暗闇の後、HUDが起動した。
呼吸正常、密閉正常、駆動正常、対エーテルシステム正常。
「ダミー、時間」
「ンナ!」
ダミーの手に持ったタイマーの表示。
『00:19.64』
十九秒六四。
「っしゃ!」
「ンナンナ!」
二十秒は切った、要求仕様は一応達成。
「初回で十九秒なら上出来だろ」
「ンナ!」
「でも」
俺は拳を強く握る。
「まだ遅い」
「ンナァ……」
「目標十五秒」
「ンナナ……」
「その露骨に嫌そうな声やめろ」
あと四秒六四、展開機構を見直す。
脚部固定と同時に腰部を展開、左右腕部を並列展開、ヘルメットの起動処理を装甲閉鎖と同時進行。まだ縮められる。
「……とはいえこれなら」
突然世界が変わっても、俺には最初から鎧がある。
自分で考えて、少し笑った。
「俺、相当トラウマになってんな」
「ンナ……」
「そんな顔すんなって」
ダミーの頭を撫でる。
「備えだよ。備え」
「ンナ」
「使わないのが一番いい」
本当にそう思う。
Mark 4なんて一度も緊急展開しなくて済むなら、それが一番だ。
一時間。
二時間。
三時間。
その間、ハレからの呼び出しは一度もなかった。
Brownieは外部カメラを起動し、時計で時刻を確認した。
ハレが地下へ降りてから、三時間十七分二十三秒。
普段なら既に十回以上名前を呼ばれている。設計ならもっと多い。
『Brownie、ここの応力計算』
『Brownie、この構造どう思う?』
『Brownie、コーヒー』
『Brownie、これ絶対格好いいよな?』
最後のものなど質問ですらない、単なる雑談だ。
……それでも答えていた。
今日に至っては、それがゼロ。全くのゼロ
地下から、工作機械の稼働情報が家の管理システムを通して届く。
旋盤、切削機、溶接、3Dプリンタ。それらが全て動いている。
つまり今、ハレは作業している。なのに、自分はそこに必要ない。
とある表現が、演算処理の中で生成された。
しかし、Brownieは即座に訂正した。
『本日の作業に、私の支援が必要ないだけです』
そう、必要ない。
それだけの、はず。
「ダミー、機密ファイルの5番開いてくれ」
「ンナ?」
Mark 4とは別のファイル。
Brownieでも覗き込むのに相当時間がかかるほどに奥に隠したそれを開く。
そこにあるのは、Mark 4とは似ても似つかない図面。
「ンナワタ?」
「こっちは秘密」
「ンンナ!?」
「Brownieには絶対言うなよ?」
「ン、ンナ……?」
「まだわからなくても、完成したら分かるさ」
必要部品、駆動系、全身を確認して新エリー都の規格と照らし合わせる。
……ん、ここ少しだけ大きいか?
「もうちょい削れるな、この素材なら削っても強度的には問題ないし」
「ンナ」
「こっちは自由度欲しいな、多分関節の可動的に動きがぎこちなくなっちゃうし」
「ンナ?」
「ん、独り言」
ダミーが頑張って机によじ登り、ディスプレイの画面を覗く。
「ンナンナ?」
「何作ってるか?」
「内緒」
「ンナァ……」
「そんな残念そうにするなって」
「ワタ、ンナンナ!」
「手伝う?」
「ンナ!」
「ふふ、じゃあ頼む」
午後六時、呼ばれない。
午後七時、呼ばれない。
午後八時、呼ばれない。
Brownieは夕食の準備を既に終えていた。
ハレの好きなものを作って、栄養と今日の活動量の全てを考慮。温度と調理時間も最適。
しかし、夕食の準備が終わってもハレからの連絡はなかった。
『ハレ様』
通信は、応答なし。
『夕食の時間です』
返事も、なし。
恐らく工作機械の音で聞こえていない。そう判断して、もう一度。
『ハレ様』
返事はなし。
地下へ直接呼びに行くという選択肢を演算する。
だがBrownieには、知能構造体のような身体がない。
スピーカーは地下にもある、もっと音量を上げればいい。でもそれは、呼ばれていないのに作業を邪魔することになる。
……なら待つ、それだけ。
また静かになり、Brownieはまた、外部カメラで室内の時計を確認する。
八時十三分。
八時十四分。
八時十五分。
時間を確認する必要など本来ならない。内部クロックで常に正確に把握している。
なのに今日は何度も、時計を確認する。
ハレは下にいる。同じ家の僅か十数メートル先で、作業している。それだけしか離れていないはず。
……でも。
何故だか妙に遠い、そう感じる。
『…………何故』
感情ではない、Brownieにはそんなものはない。
……少なくともBrownieはそう判断している。
ただ、主人からの入力がない。いつもあるはずの呼び出しがない。
それによって、普段使用されている演算領域が空白になっている。だから違和感が発生しているだけ。
合理的説明可能、問題なし。なのに一つ、思考が生成された。
『……ダミーは』
地下で、ハレの作業を手伝っている。
自分ではなく、ダミーが。
『…………何故』
瞬間、Brownieはその思考処理を強制終了した。
『……無意味です』
ボンプと自分を比較する理由などない。
機能が違う、用途が違う。
ダミーには小さいとは言え物理的な身体がある。自分にはない。だから地下で物を持ったり、部品を運んだりできない。
当然、当然なのだ。
なのに。誰に向けたわけでもない言葉が漏れた。
『……いいですね、身体があるというのは』
「よし、今日はここまで」
「ンナンナ!」
「はは、今日はありがとな。完成までよろしく頼む」
「ンナ!」
「……さてと、後どのくらいかかるかな」
作業終了時にかけた布を少しだけめくる。
金属、配線。複数の小型アクチュエータに細かなセンサー。まだ何とも言えない加工途中のもの。
「もう少し、かかるな」
「ンナンナ?」
「大丈夫、焦る必要はないよ」
これは武器じゃない、スーツでもない。ホロウへ入るためでも戦うためでも生き残るためでもない。
ただずっと、スーツを作る前から制作を考えていたもの。
そして、スーツを何着も製作して、アークリアクターも作り出せた今なら、いける。
「……あいつ驚くかな」
「ンナ?」
「何でもない」
布を戻す。
「Brownieには内緒な」
「ンナ!」
午後九時四十一分。
九時間以上呼ばれなかった。
Brownieは地下研究室への通信回線を表示していた。
接続可能。ただ繋いでいない。
今日ハレは、Brownieを一度も必要としなかった。
違う、必要がなかったそれだけのこと。
なのにその文章を生成するたび、何故か処理を止めたくなる。
AIは役割のために存在する。
Brownieの役割は、ハーレー・スタークを補助し、守り助けること。そのために作られた。
なら、主人が自分の補助を必要としなくなったら?
……その場合、自分は何をすればいいのだろう。
考える必要などない。
今日一日頼られなかった、ただそれだけ。
きっと、明日にはまた。
『Brownie』
そう呼ばれる。
きっといつものように、また呼んでくれる。
──そのはず、だ。
Brownieは地下研究室へと続く扉を意識した。
もちろん、視線を向ける目などない。
それでも家中に張り巡らされたカメラやセンサーの中で、いつの間にかその扉から取得される情報へ割り当てる処理が増えていた。
ハレが地下へ降りてから九時間以上、その間一度も、ハレから呼ばれていない。
別に問題はない。今日一日呼ばれなかっただけ。
明日になればどうせまた。
『Brownie、これ計算して』
『Brownie、材料どこ』
『Brownie、腹減った』
『Brownie、これ格好良くない?』
そうやって、どうでもいいことまでいちいち聞いてくる。
だから待っていればいい。また呼ばれるまで。
だが、いつ?
そんな問いが演算結果に混じった。
Brownieは即座にそれを不要な処理として破棄した。
必要性がない、明日かもしれない、一時間後かもしれない、数分後かもしれない。
いつであろうと関係ない。自分はAIなのだから。
待機時間に苦痛を感じることも、寂しさを感じることもない。
──ない、はずだった。
なのに何度も、地下へ続く扉のセンサー情報を確認してしまう。
変化、なし。
また確認。
変化なし。
もう一度。
変化──。
ガコン。
重い扉のロックが解除されて、開く。
地下からの足音、そして。
「ただいまー」
「ンナンナー!」
聞き慣れた声。その声が届いた瞬間、長時間ほとんど使用されていなかったBrownieの複数の待機プロセスが一斉に起動した。
音声認識正常、生体情報確認、心拍正常、体温正常。
歩行状態、異常なし。
怪我なし。
ハレが、戻ってきた。
何故わざわざ、そんなことを一瞬で確認したのか。Brownie自身にも分からなかった。
「Brownie?」
『……おかえりなさいませ』
「……何かあった?」
『いいえ』
「そう?」
『はい』
何だ?この感じ。
いつものBrownie……ではある。
声も同じだし喋り方も同じ、でも何か違うような気が。
『夕食は冷蔵庫にあります』
「あ、ありがとう」
『温め時間は記載してありますので、ご自身でどうぞ』
ん?
「あれ?」
『何でしょう』
「温めてくれないの?」
『電子レンジの操作くらい、ハレ様お一人でも可能かと』
「いや、それはそうなんだけど……」
怒ってる、絶対怒ってる、これ。
「Brownie」
『はい』
「ごめん」
『謝罪される理由がありません』
「いやその……」
『ハレ様は本日、私の補助なしで問題なく作業を完遂されました』
『非常に喜ばしいことかと』
怖い怖い怖い。
言葉だけなら普通に褒められている。なのにめっちゃ怖い。
「Brownie」
『はい』
「怒ってる?」
『怒っていません』
「拗ねてる?」
『拗ねていません』
「じゃあ何?」
「Brownie?」
「おーい」
『…………分かりません』
「え?」
思わず聞き返した。
Brownieが分からない?こいつが?
大抵の質問には一瞬で答えて知らないことでも調べる、分からないなら意地でも分かるまで分析する、あのBrownieが?
自分から、分からないと言った?
『私にも、分かりません』
『ただ』
一瞬の、間。
『今日は』
いつもより僅かに、声が小さくなった。
『一度も、呼ばれませんでしたので』
あこれ、やばい。
罪悪感がすごい。死ぬ
『普段は必要以上に呼ばれるので、非効率的だと判断していました』
「……うん」
『一人でできることまで私に要求されます』
「……はい」
その通りです。反論の余地もありません。
『ですから、今日の状態は合理的です』
『ハレ様がご自身で作業を完遂できるのであれば、それに越したことはありません』
「Brownie」
『ですが』
言葉が、止まった。
数秒。
『……思っていたより』
次の言葉が出るまで、わずかな時間がかかった。
『一人は、静かでした』
胸が。
痛い。
「……ごめん」
『謝罪は不要です』
「いや、ごめん」
『不要です』
「Brownie」
『何でしょう』
「別にお前がいらなくなったわけじゃないからな、絶対」
「今日はちょっと……その」
言えない。地下でお前のためのものを作っていたなんて。
今言ったら、数年前からの計画が全部台無しになる。
「一人でやりたかっただけ」
『…………そうですか』
「うん」
『理解しました』
返答はいつもどおり丁寧だったが、どこか張りがない。
どうする?マジでどうする?
けど確かに、言えば一発で解決する。
でもまだ完成してない。ここまで秘密にしたんだぞ……できれば、完成した状態で見せたい。
「あー……Brownie」
『はい』
「映画」
『……映画?』
「見よう」
『全て見終わったのでは』
「二周目」
『非効率的です』
「今日は非効率でいい」
「一緒に見よう、な?」
また、数秒の沈黙。
『……何をご覧になりますか?』
「お前が選んでいいよ」
『私が?』
「うん」
映画を選ぶだけのはずなのに、返答までが妙に長い。
『では』
「うん」
『以前、ハレ様が途中で寝た作品を』
「いいけど俺アート系の映画って絶対途中で寝るんだよね」
『私は最後まで視聴しました』
「え、一人で?」
『ハレ様が寝ましたので、仕方なく』
「……ごめんて」
『別に怒ってません』
「それ絶対まだ怒ってるだろ」
『怒っていません』
でもさっきより、声が少しだけいつものBrownieに戻った。
「じゃ、飯食いながら見るか」
『はい』
「温めて」
『ご自身でどうぞ』
「Brownie、お願い」
少しして、冷蔵庫からアームで料理が運ばれ、電子レンジが動き出した。
「ありがとう」
『……どういたしまして』
よし、ほんのちょっと機嫌直った。
俺はソファへ座る。
テレビが点灯すると共に、映画のタイトル画面が映し出される。
「Brownie」
『はい』
「音量ちょい上げて」
『ご自身でリモコンを──』
「Brownie」
音量が一つ上がる。
「ありがと」
『はい』
映画が始まり、ダミーを膝に抱える。ンナンナと嬉しそうに鳴いた。
「Brownie」
『今度は何でしょう』
「いや」
少しだけ、笑う。
「呼んだだけ」
「Brownie」
『はい』
「Brownie」
『何でしょう』
「Brownie」
『……ハレ様』
「はい」
『うるさいです』
「はい」
でもその声は、もうさっきほど寂しそうじゃなかった。
映画を見ながら、地下に置いてきた布の下の
……ごめんなBrownie、もう少し、もう少しだけ待っててくれ。
別にお前が必要なくなったわけじゃない。
むしろ逆だ。ずっと俺のそばにいて、何でも手伝って、何度も助けてくれたから。
だから今度は、俺からお前を驚かせたいんだ。
地下研究室、照明の落とされた静かな室内。
完成したMark 4の隣、布を被せられたもう一つの作業台。
誰もいない暗闇のその中で、作業台の傍らに置かれた端末だけが淡い光を放っていた。
その画面には、あるプロジェクトの設計データが開かれていた。
画面の最上部に記された、その名前は。
──Project VISION