長かった自宅療養が、ようやく終わった。
「……自由だぁ!」
『おめでとうございます。なお、復帰初日から予定が詰まっていますので、自由時間はほとんどありません』
「…………」
……前言撤回、自由じゃなかった。
久しぶりに袖を通したスーツの襟を直しながら、俺は目の前に表示された予定表を眺める。午前中は経営会議、午後は研究開発部門との打ち合わせ、その後は新規事業の検討会議。何なら昼食の時間まできっちり決められている。
「……俺、まだ十六歳なんだけど」
『存じています』
「学生なんだけど」
『存じています』
「労働基準法とか……」
『新エリー都の法制度に照らしても、経営者としての業務を一律に禁止するものではありません』
「ちくしょう」
『なお、療養中に延期された案件が二十三件ございます』
「……もう既に帰りたいな」
『まだ出発すらしていませんが?』
……社長って大変だな、いや俺が社長なんだけど。
もっとも、普段から会社の経営に直接口を出すことは少ない。経営については信頼できる役員たちに任せているし、俺自身は研究開発に専念していることがほとんどだ。
というか、十六歳のガキが巨大軍需企業の経営を全部仕切るとか、普通に考えて無理だろ。
もちろん重要な決定には参加するし、最終的な責任は俺にある。だが、餅は餅屋という言葉もある。俺が下手に口を出して現場を混乱させるより、優秀な人間に任せた方がずっといい。
……その優秀な人間たちに、今日はちょっと無茶を言うつもりなんだけど。
「さて、行くか」
『車両の準備は完了しています』
「ありがと。ダミー、留守番頼むな」
「ンナンナ!」
玄関で見送ってくれるダミーの頭を撫で、俺は久しぶりの出勤へと向かった。
スターク・インダストリーズ本社。
新エリー都でも有数の規模を誇る軍需企業の本社ビルは、相変わらず無駄に立派だった。
全面ガラス張りの高層建築、厳重な警備、専用の研究開発棟まで併設された巨大施設。何処となく規模を小さめにした「スターク・タワー」に見えなくもない。
……毎回思うんだけど、これ維持費いくらかかってるんだろうな。その辺の管理は完全に任せちゃってるからわからんが。
「おはようございます、社長!」
「おはようございます、お身体はもう大丈夫なんですか?」
「おはよう。うん、もう問題ないよ。心配かけてごめんね」
エントランスを歩けば、あちこちから声がかかる。
警備員、受付、事務員、研究員。顔を知っている人間もいれば、正直名前を覚えきれていない人間もいる。
それでも、俺の顔を見て安心したように笑ってくれるのは嬉しい。
「社長!お帰りなさい!」
「ただいま……って、何その書類の山」
「社長の確認待ちです!」
「復帰初日なんだけど!?」
「皆さん、待ちかねていましたので!」
「もうちょっと遠慮してくれてもいいんだよ!?」
……まあ、元気そうで何より。
そんなやり取りをしながら役員会議室へ向かうと、既に主要な役員たちが揃っていた。
「お、来たな。お坊ちゃん」
「その呼び方やめてって何回言えばいいの?」
「十六歳のうちは諦めろ」
そう言って笑ったのは、恰幅のいい中年男性だった。
スターク・インダストリーズ副社長。俺の両親の代から会社を支えてきた古参役員で、経営実務の大部分を取り仕切っている人物だ。
通称、ハッピー。
……ちなみに本名ではない、本名はハロルド・ピロー。
俺が小さい頃、彼の本名を聞いて「ハッピーじゃん!」とか言って勝手につけたあだ名、それが何故か社内で定着してしまった。
本人は最初こそ嫌がっていたものの、今では普通に返事をする。慣れって怖い。
「療養中くらい大人しくしてろと言ったはずだが?」
「大人しくしてたよ」
「地下の工作機械が連日稼働していたという報告を受けているが」
「……Brownie?」
『私は何も申し上げておりません』
「じゃあ誰!?」
「お前の家の電力使用量を見れば分かる」
「そこまで見てんの!?」
「社長の健康管理も仕事のうちだ」
「副社長ってそこまでするもんなの……?こわ……」
ハッピーは呆れたように肩をすくめると、俺の隣の椅子を引いた。
「まあいい。無事に戻ってきたならそれでな。で、今日は何を持ってきた?」
「……何か持ってきた前提なのね」
「お前が自分から経営会議に出席すると言い出す時は、大抵ろくでもないことを考えている」
「ひど」
「褒めてるんだ」
「嘘つけ」
……まあ、今回に限っては正解なんだけど。
俺は席に座ると、会議室の中央にある大型ディスプレイへ資料を送信した。
「じゃあ、始めようか」
「──大型発電施設の建設を提案します」
会議室が静まり返った。
ディスプレイに表示されたのは、巨大な円筒形の設備を中心とする発電施設の完成予想図。
地下深くまで伸びる基礎構造。何重にも配置された安全隔壁。冷却設備、送電設備、制御棟。そして、その中央に据えられた巨大な反応炉。
アークリアクター。
俺の胸で青白く輝いている、あの装置だ。
ただし、今回のものは桁が違う。
「……社長、確認させてください」
最初に口を開いたのは、技術開発担当の役員だった。
「こちらは、新型のエーテル発電設備という認識でよろしいのでしょうか?」
「いや、エーテルは使わない」
「……はい?」
「燃料は別のものを使う。ホロウから採取する必要もないし、エーテル活性にも左右されない。もちろん、ホロウの近辺に建設する必要もない」
その瞬間、会議室がざわついた。
「待ってください。エーテルを使わずに、これほどの出力を?」
「理論上の話ではないのですか?」
「燃料の供給はどうするのです?」
「そもそも、この規模のエネルギーを安全に制御できる保証が……」
当然の反応だ。
この世界のエネルギー産業は、エーテル資源を中心に成立している。
ホロウという危険な存在が、同時に莫大な資源の供給源でもある。それが新エリー都の経済を支え、企業を成長させ、都市を維持している。
そんな世界で、ホロウに頼らない発電技術を持ち出したらどうなるか。
……当然、困惑するだろう。
「燃料供給については既存の工業流通網を利用できる。主要材料の調達先も確保可能だし、運転に必要な消耗品も特殊なものじゃない。安全性については多重停止機構と独立冷却系を設ける予定だよ」
「しかし、実証実験すら行われていない技術に、これほどの予算を投入するのは……」
「実証は済んでる」
「……え?」
俺は胸元を指さした。
「これ」
襟元から僅かに覗く青白い光を指差した。
「小型の試作機だけど実際に動いてる。俺がホロウから脱出できたのも、こいつのおかげだ」
もちろん、すべてを説明するつもりはない。
胸のアークリアクターについても、会社側には既に存在を報告している。ただし、局所エーテル誘導装置と組み合わせて使用していたことなど、公開していない情報もある。
今回提出した資料も、技術の根幹に関わる部分は必要な範囲に留めている。
「小型機での稼働実績はある。出力特性も安定してるし、理論上は大型化できる。もちろん、実際に建設するとなれば追加検証は必要だけどね」
「ですが、社長。仮に成功したとして、既存のエーテルエネルギー事業との競合は避けられません」
「むしろ競合してもらわないと困る」
「……それは」
「新しい選択肢を作るんだ。今のエネルギー産業を全部潰すつもりはない。でも、今現状のエネルギー産業の……ホロウがなければ電力を確保できないって状況は、どう考えても健全じゃない」
会議室の空気が重くなる。
技術的な問題だけじゃない。
エーテル関連企業との取引関係、TOPS内部の力関係、既存事業への影響。考えなければならないことは山ほどある。
そして何より、この計画はあまりにも大きすぎた。
「……私は反対です」
一人の役員が口を開いた。
「技術的な可能性は否定しません。しかし、実用化までに必要な投資額が不透明です。成功したとしても、既存の市場が受け入れる保証はありません」
「私も慎重に進めるべきだと思います」
「少なくとも、現段階で建設を決定するのは時期尚早では?」
反対意見が続く。
……うん、まあそうなるよね。俺だって逆の立場だったら同じことを言うと思う。
十六歳の社長が突然、既存のエネルギー産業をひっくり返すような新技術を持ち込んできたんだ。しかも、本人はそれを本気で実現できると思っている。傍から見たら、相当な無茶振りだろう。
さて、どう説得したものか。そう考えていた、その時だった。
「──俺は賛成だ」
低い声が会議室に響いた。
ハッピーだった。
「……ハッピー?」
「ただし、いきなり商用設備を建設することには反対だ。まずは実証炉だな。建設費用には上限を設け、段階ごとに審査する。それならどうだ?」
「……え、いいの?」
「お前ができると言うなら、できるんだろう」
「いや、そんな簡単に信じていいの?」
「今まで何度も見てきたからな。お前が無理だと言われたものを作るところを」
ハッピーはそう言って笑った。
「それに、俺はお前の親父さんから会社を預かってる。俺の役目は、お前が本気でやりたいことを、頭ごなしに潰すことじゃない」
「…………」
「もっとも、失敗したら俺が真っ先に説教するがな」
「……それは嫌だなぁ」
思わず苦笑する。
すると、先ほどまで反対していた役員たちの間で、再び小さな議論が始まった。
「副社長がそうお考えなら……」
「段階的な投資であれば、リスクを抑えられるかもしれません」
「実証炉に限定するなら、検討の余地はありますね」
「技術開発部門としても、社長の提示されたデータは非常に興味深いものです」
……おい、さっきまでの反対意見はどこ行った……いや、分かるけどさ。
ハッピーは会社の古参役員であり副社長、経営陣の中でも特に強い影響力を持っている。彼の意向を無視できない役員は多いし、彼と歩調を合わせることで利益を得る人間もいる。
つまり、派閥の都合というやつだ。
……大人の世界って面倒臭いな。
もっとも、これで全員が心から賛成してくれたわけじゃない。実際、予算や安全性についての懸念は残っているし、技術部門からも追加の検証を求められた。
……しかしそれでも、計画を前へ進めるための承認は得られた。
「それでは、大型アークリアクター実証炉の開発計画について、予備調査および基本設計の開始を承認するということでよろしいでしょうか」
議長役の役員が確認する。
反対は、なかった。
……よし、第一関門突破。
「……これは、凄いものだな」
会議終了後。
役員たちが退出した会議室で、ハッピーはディスプレイに残された設計図を眺めながら呟いた。
「これは、謂わば未来の……いや、エーテルを必要としない点では、異世界の技術と言える」
「…………」
……正解、実際異世界の技術だし。
「……ホロウに依存しないと成立しない世の中じゃダメですよ。いずれ破滅が待ってます」
「……だな」
ハッピーは短く頷いた。
ホロウは資源をもたらす、だが同時に人を殺す。
エーテルによって繁栄しているこの都市は、その繁栄を維持するために、常にホロウという危険な存在と隣り合わせでいなければならない。
俺は、それがどうしても気に入らなかった。
……いや、正確には怖かったんだと思う。
ホロウに飲み込まれ、いつ死ぬかも分からない場所で過ごした。あの時の恐怖は、今でも鮮明に覚えている。
エーテル資源が必要だからといって、そんな場所へ人間が入り続けなければならない。それが当たり前の世界。
そんなもの、いつか限界が来るに決まっている。
もちろん、アークリアクター一つで全てが解決するわけじゃない。エーテルにはエネルギー以外の用途もあるし、ホロウそのものが消えるわけでもない。
それでも、少なくとも電力くらいは、ホロウに頼らず供給できるようにしたい。
……最初は、少し抵抗があった。前世の知識を使って、この世界で利益を上げることに。
アークリアクターは俺が一から思いついた技術じゃない。原型は、別の世界の天才が生み出したものだ。
俺が作ったものは、この世界の材料や技術に合わせて再設計したものとはいえ、その発想の根本にはトニー・スタークがいる。
それを自分の会社の製品として売り出すというのは何だか、他人の発明を横取りしているような気がしていた。
でも、そんなことを気にしていたら、何も変わらない。
俺一人がアークリアクターを作れたところで、それが世の中に広まるわけじゃない。大量の資材を調達し、施設を建設し、安全性を検証し、電力網へ接続し、継続的に運用する。
それには会社が必要だ。
金も、人も、設備も、信用も。俺一人じゃ到底足りない。
だったら、使えばいい。
スターク・インダストリーズの資金も、設備も、人材も、TOPSの一員という立場も。
使えるものは全部使ってやる。
そうじゃなきゃ、この世界はいつまでもホロウに依存したままだ。
「……それで、お前はどこまでやるつもりだ?」
「まずは実証炉を完成させる。安定稼働できることを証明して、そこから商用化に向けて動く」
「最終的には?」
「……新エリー都の電力供給の一部を、アークリアクターに置き換えたい」
「一部、か」
「いきなり全部は無理だよ。送電網も改修しなきゃいけないし、既存の事業者とも調整が必要だし」
「随分と現実的だな」
「俺を何だと思ってるの?」
「生まれた頃から物を分解しまくるクソガキだよ」
「……否定できねぇ」
ハッピーは愉快そうに笑うと、俺の肩を軽く叩いた。
「技術のことはお前に任せる。金と人のことは俺に任せろ」
「……頼りにしてる」
「おう、任せとけ」
……本当に、親父がこの人を信頼してた理由がわかるな。
それから数日後、俺は郊外にあるスターク・インダストリーズ所有の技術実験場を訪れていた。
兵器の性能評価や新素材の耐久試験に使われている広大な敷地。その未利用区画に、今回の実証炉を建設する予定だった。
「社長、安全距離を考えると、予定位置をもう少し外側へ移した方がよいかと」
「いや、内側へ寄せよう。既存設備からは離したいけど、敷地の端ギリギリだと事故の影響が外へ出る。外周にも緩衝帯を残しておきたい」
「なるほど……配置案を修正します」
主任技術者が端末を操作すると、立体図面上の反応炉が移動した。その周囲に安全隔壁、冷却設備、変電設備が配置されていく。
「冷却系は独立したものを二系統。非常用電源も別に用意しよう。片方が止まっても、安全停止まで持っていけるようにしたい」
「承知しました。制御系についても、負荷変動への応答を考えると分離した方がよさそうですね」
「うん。今回は小型化を優先しなくていいから、安全性と整備性を重視して」
……何だかんだ、こういう時間が一番好きだ。会議室で予算や経営方針について話すより、技術者たちと図面を囲んでいる方がずっと楽しい。
設計を確認していた若い技術者が、少し遠慮がちに手を挙げた。
「社長、一つ質問してもよろしいでしょうか。この反応炉、小型機と比較して出力密度をかなり低く設定していますよね。もっとコンパクトにできるのでは?」
「できるよ。ただ、持ち運べるようにはしたくない」
小型リアクターを大量に作るのが効率的には最高なんだが……いかんせん小型化すると盗まれやすい。実際、映画でもよく盗まれては悪さに使われてたし……
盗むのが技術力の低い子悪党程度だったらまだいい。しかし、もしTOPSの他企業や、大規模な犯罪組織にでも盗まれて兵器に組み込まれでもしたら……この技術のせいで大勢死ぬ可能性だってあり得る。
「なるほど……盗難対策、ですか」
「そう、小さければ隠せるし兵器にも組み込みやすい。今回必要なのは、街へ安定して電力を送る設備だから」
胸にある第二世代アークリアクターと比較すれば、今回の設計は性能を抑えてある。重要な部分の構造も変えて、資料をそのまま縮小しただけでは小型機を再現できないようにした。
それで悪用を完全に防げるとは思っていない。それでも、最初から最高性能の動力源を広めるよりはいい。
まあ技術を盗まれないのが一番なんだが……TOPSの過激派達ってほんとにしつこいからな……技術流出がありえないとも言い切れない。
「それと、安全審査は設計チームとは別に通してほしい。俺が作ったからって、無条件に信用しないでね」
「社長がそれをおっしゃいますか」
「自分の設計だからこそ、見落とすんだよ」
笑い声が上がったところで、別の技術者から整備車両の動線について指摘が入った。隔壁の位置を調整し、配管の経路を見直す。俺が気づかなかった問題に、現場をよく知る人間が解決策を出してくれる。
地下研究室なら、思いついたものをすぐ形にできる。でも大勢で作るものには、それとは違う面白さがあった。何より、完成した後も俺一人に頼らず動かし続けられる。それがこの計画には必要だった。
「よし。今日の案を各部門で検討して、問題があれば遠慮なく戻して。スケジュールも無理には詰めないでね」
「社長もお願いしますよ」
「……俺、そんなに信用ない?」
主任技術者は笑うだけで答えてくれなかった。
図面を閉じる前に建設予定地へ目を向ける。今は何もない土地だが、ここにホロウから採掘したエーテルを使わず街へ電力を送り続ける設備が建つ。
まずは一基。うまくいけば、次へ進める。
「……楽しみだな」
「はい?」
「いや、何でもない」
俺は笑って、修正された図面へ目を戻した。
帰宅して夕食を済ませると、俺は地下研究室へ向かおうとした。
「Brownie、しばらく下にいる。急ぎの連絡だけ回して」
『……本日も、私の補助は不要ですか?』
扉へ伸ばしていた手が止まる。いつもならすぐに予定や注意事項を読み上げるところなのに、今日は返事まで少し間があった。
「うん。昨日の続き、ちょっと進めたくて」
『測定結果の整理や、設計の検証だけでもお手伝いできますが』
「いや、今日は大丈夫」
『そうですか』
短い返事の後、何も続かなかった。つい先日丸一日あいつを呼ばずに作業して、寂しい思いをさせたばかりだ。理由を説明できないとはいえ、また同じことをするのは気が引ける。
「二時間で戻るよ。終わったら、上で一緒に何か見よう」
『作業の進捗によって延長される予定ではありませんか?』
「今日は延長しない」
『では、二時間後にお知らせします』
まだ、どこか気乗りしないような声だった。俺は扉を開けかけてから、もう一度足を止める。
「連絡以外でも、話しかけてくれていいからな」
『作業の妨げになるのでは』
「ならないよ。返事が遅れることはあるかもしれないけど」
少し待つと、スピーカーから小さく返事があった。
『では、そのようにします』
地下へ降りた俺は、作業用端末を立ち上げた。設計資料を置いている端末はネットワークから切り離してあるが、上と話すための音声回線は繋いだままにしておく。
ダミーが運んできたトレーから小さな駆動部を取り、固定具へ取り付ける。ケーブルを接続して試験プログラムを走らせると、組み上げた機構がゆっくり動いた。始動は滑らかだが、停止する直前に僅かな振動がある。
Mark 4の展開機構は、もう完成している。今いじっているこれは、スーツに取り付けるための部品ではない。
作業用端末に、プロジェクト名が浮かび上がる。
──Project VISION
今、俺が作っているのは──Brownieの身体だ。
スマホに収まっていた頃から、ホロウで一緒に死にかけた時も、自宅へ戻ってからも。あいつはずっと俺を手伝ってくれていた。計算も、設計も、命綱だった侵食対策も、Brownieがいなければ到底間に合わなかっただろう。
ただ、何をするにも端末や設備を通さなければならない。家の中ならアームを動かせるし、スーツに接続すれば外の景色も見られる。でも、あいつ自身が好きな場所へ行って、好きなものに触れられるわけじゃない。
だったら、そうできる身体を作ってやろうと思った。
本人にはまだ何も言っていない。完成したものを見せて驚かせたかったからだが……そのために寂しい思いをさせているのだから、我ながら本末転倒だった。
「……にしても、プロジェクト名はもうちょっと考えた方がよかったかな。まんますぎる」
Project VISION。その名の由来はもちろん、アベンジャーズの一員であり人工生命体でもある、あのヴィジョンだ。
一応ウルトロンという候補もあったが……自我を持つAIの身体を作る計画に人類滅亡を企てた奴の名前を付けるのは、流石に縁起でもないのでやめた。
……もっともヴィジョンという名前も、最近印象が悪くなってしまったが。
原因はヴィジョン・コーポレーション。つい先日、地下鉄改修工事でとんでもない不祥事を起こした建設会社だ。
立ち退き費用を浮かせるために、住民が残っている区域をそのまま爆破解体しようとしていたらしい。コスト削減のためなら人命すら切り捨てるという、企業として以前に人間として終わっている連中だ。
「……あの社長、やたらゴマすってくる小さいオッサンだったけど、まさかここまでクズとはな」
以前、仕事の関係で一度だけ顔を合わせたことがある。妙に腰が低く、こちらの機嫌を取ろうと必死だったのを覚えているが、今思えばあれも俺がTOPSの人間だったからだろう。ヴィジョンはTOPS入りを狙ってたらしいからな。
その点で考えると、同業他社でも白祇重工は随分とまともだ。社員のクセこそ強いが、少なくとも信用はできる。
……約一名、ウチのBrownieに異常な興味を示す人がいるけど……まあ、あの人は悪意があるわけじゃないし、許容範囲内だろう。
「……完成したら、あの人には絶対見せられないな」
間違いなく目を輝かせて飛びついてくる。下手すれば身体の構造を隅々まで調べさせてくれとか言い出しかねない。
そんな光景を想像して苦笑しながら、俺は作業台へ向き直った。
「ダミー、試験片取って」
「ンナ!」
差し出された薄い板を、組みかけの手に挟ませる。指が閉じた瞬間、表面に浅い折り目がついた。
「……まだ強いな」
圧力の検出値を調整し、もう一度試す。今度は保持する前に滑り落ちた。紙も、食器も、工具も扱うとなれば、ただ強く掴めればいいわけではない。接触した位置と力のかかり方を確認しながら、指ごとの補正値を少しずつ変えていく。
何度か調整を繰り返していると、壁のスピーカーから声がした。
『ハレ様』
「ん?」
『室温が少し下がっています。空調を調整してもよろしいですか?』
「うん、お願い」
『承知しました』
空調の音が僅かに変わった。俺は画面の数値を確認しながら、ふと時計へ目を向ける。地下へ降りてから、まだ二十分も経っていない。
「Brownie、上では何してる?」
『明日の予定を確認しています』
「それ終わったら、後で見るやつ選んどいて。今日は途中で寝ないから」
『……前回も、そのようにおっしゃっていましたが』
「今回は保証する」
『では、長すぎない作品にします』
さっきより少し話しやすくなった声に、俺も肩の力を抜いた。
試験片を傷つけずに保持できたところで測定結果を保存し、今度は外装の設計図を開く。画面には、まだ色のついていない人型の立体図が表示された。
内部構造はかなり形になっている。駆動系も電源も、整備のための接続部も配置できた。残る問題は実物を組みながら詰めていけるが、見た目だけは一向に決まらなかった。
「……何か違うんだよなぁ」
正面から眺め、横へ回して、少し離して見る。肩の幅を狭めると頼りなくなり、外装の曲面を増やすと、妙に飾り立てた感じになる。
スーツなら俺の身体に合わせればよかった。見た目だって俺が格好いいと思うものにすればいい。
だが今回はBrownieが使う身体だ、俺の好みだけで決めてしまっていいのか、手を加えるたびに迷う。
しかも、今の姿はカッコよくはあるが少し威圧感がある。武装を積んでいるわけでもないのに、配色次第ではそのまま警備用の機体として売れそうだった。
「何でこうなるんだ……」
「ンナンナ」
「丈夫にはしたいけどさ、外歩くだけで周りに警戒されるのは嫌だろ」
顔の造形に手をつけたところで、さらに困った。視覚センサーや音声出力の位置なら決められる。それをどう見せるかとなると、途端に手が止まる。人間に近づけるべきなのか、機械らしさを残すべきなのか。その辺りも俺には判断がつかなかった。
人間に似せた形のモデルと、ほぼ警備用機体のモデル。二つの候補を並べ、ダミーへ画面を向ける。
「どっちがいいと思う?」
「……ンナ」
迷いなく左、人間の造形に比較的近づけたものを指した。
「理由は?」
「ンナンナ!」
「不気味て、かっこよくはあるだろ……」
どうにもボンプ達の価値観では配線ガッツリ系は不気味に映るらしい……かっこいいのに。
抗議するように腕を振るダミーの頭を撫で、画面へ向き直る。
本人に聞けば済む話ではある。ただ、できれば最初は完成した姿を見せたい。外装を後から交換できるようにするとしても、適当に選んだものを渡すのは嫌だった。
こういうことは実際にその身体で暮らしている人に聞いた方がいいのかもしれない。整備性や耐久性だけでなく、普段どこが気になるのか、周りからどう見られるのか。設計資料には載っていない話もあるはずだ。
とはいえ……ウチの社員に知能機械人はいないからな……
そこまで考えて、ふと思い出した。
「……ああ、いたじゃん」
ルミナスクエアで随分前に知り合った、機械知能人の治安官。
あの人なら様々な意見を聞けるかもしれない。俺は端末を手に取り、連絡先を開いた。
『ハレ様。あと三十分です』
文章を打ち始めたところで、Brownieの声がした。
「分かってる。もう加工は終わりにしたよ。ちょっと連絡したら上がる」
『……作業は、順調ですか?』
俺は作業台に並んだ部品を眺めた。あいつに見せられるようになるまでは、まだ少しかかりそうだ。
「うん。手間取ってるところもあるけど、ちゃんと進んでる」
『そうですか』
「映画、選べた?」
『はい。二本まで絞りました』
「じゃあ、上で一緒に決めよう」
『承知しました』
設計図を保存して閉じ、連絡先を開く。夜分の連絡を詫び、外装について相談したいことと、都合が合えばルミナスクエアまで伺いたい旨を、簡潔に書き添えた。
「……あの人、喋り方がやけに古風だから、こっちもつい丁寧に書いちゃうんだよな」
一度読み返し、送信を押した。