明日も、ダンジョンへ。   作:為書結依

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第16話 並んで歩く

 

 職人区の稽古場を出て、大通りへ向かいながら、自分の呼吸と足の運びを確かめていた。今朝もドランの木剣に遠慮はなかった。喉元へ伸びてきた突きを斜め横へ避けたものの、肩と脇腹には木剣が触れた鈍い痛みが残っている。

 

「動きながら整えろ」と頭の中で繰り返しながら、手を開いては閉じる。

 

 握りの感触は前より分かるようになったが、見て、考えてから身体を動かす癖は、そう簡単には抜けそうになかった。一度〈鈍色亭〉へ戻り、汗を拭いて革当てと剣を着け直した。腰の道具袋には、水筒、昼食用のパン、採取袋、雨具、手当てに使う布、それから予備の麻紐を入れる。

 

 部屋を出る前に机の花を見た。水は朝に足してある。花の面倒を見るっていうのは、これでいいのだろうか。

 

◆

 

 早い鐘が鳴ってから一刻ほど経つ頃、東門へ続く広場へ着いた。朝の光が城壁の切れ目から差し込み、門の周りを行き交う荷車や商人の影を長く伸ばしている。車輪が石畳を擦る音と、荷を確認する衛兵の声が重なっていた。人通りの邪魔にならない壁際に、エルザが立っている。

 

 手元の小さな懐中時計を見ていたが、俺に気づくと蓋を閉じ、鞄へしまってこちらへ歩いてきた。腰の短剣は、歩く邪魔にならない位置へきちんと固定されている。

 

「ノワールさん」

 

「おはようございます、エルザさん。待たせましたか」

 

「いえ。私も少し前に着いたところです。出発前の点検をしていました」

 

 最後の言葉が無ければ、男女の楽しい待ち合わせに聞こえる。

 

「今日は帳面を使った面接はありませんか」

 

 エルザの指が、鞄の留め具の上で止まった。

 

「……必要な内容は、頭の中に整理してあります。出発前の確認は、口頭で十分です」

 

「それは助かります」

 

「指定素材はアオゴケ三束、ニガキの若枝五本。目的地は東門外の林縁です。水、食料、ナイフ、採取袋、雨具、予備の紐、手当て用の布を持っています。短剣の状態も確認しました」

 

「俺も確認済みです。忘れ物があったら、エルザさんに借ります」

 

「それでは確認の意味がありません」

 

 迷いなく返された。やっぱり面白い人だ。思わず笑ってしまう。

 

「そうですね」

 

 エルザは俺の顔を見たあと、わずかに眉を寄せた。

 

「……今のも、冗談ですか」

 

「半分ほどは」

 

「残り半分が気になります」

 

 エルザが鞄を背負い直す。荷袋の下端が、短剣の柄へ触れた。

 

「その位置だと、抜く時に鞄が当たりませんか」

 

 エルザは右手を短剣へ伸ばしかけ、途中で止めた。鞄の肩紐を緩め、荷袋を左へ寄せる。それから周囲へ目を向け、人のいない壁側へ身体を向けて、短剣を途中まで抜いた。

 

「今度は当たりません」

 

「採取袋も、鞄の奥だと出すたびに下ろすことになります。俺は腰へ結んでいます」

 

 自分の袋を指で示すと、エルザは鞄から採取袋を取り出した。予備の紐を輪に通し、腰の左側へ結ぶ。数歩歩いてから、位置を後ろへずらした。

 

「この位置なら、短剣の動きも妨げません」

 

「俺は最初、剣と袋を同じ側へ付けていました。歩くだけで何度もぶつかりましたよ」

 

「こんなものだと思ってました。教えていただき、ありがとうございます」

 

 俺たちは冒険者証と依頼の控えを出し、東門の検問へ向かった。門の脇では、長槍を持った二人の衛兵が行き交う者を確認していた。髭を生やした衛兵が依頼の控えへ目を通し、俺たちを順に見る。

 

「石級の素材採取か。林の縁ならそう危なくはないが、奥へ入るなよ。野犬は一匹に見えても、近くに群れがいることがある。ホーンラビットも出る。追いかけて依頼の場所から外れるな」

 

「深部へ入る予定はありません。追跡もしません」

 

 エルザが淀みなく答えた。衛兵は冒険者証を返し、槍の柄を動かして道を空けた。重い門扉の間を抜ける。

 

 厚い城壁の影から出た途端、視界が大きく開いた。夏の空が街の屋根に遮られず広がり、乾いた風が草原を渡ってくる。街の音は、数十歩進むだけで背後へ薄れていった。代わりに聞こえてくるのは、草を踏む音と、二人分の装備が小さく擦れる音だった。

 

「……風が、思っていたより強いですね」

 

 しばらく歩いたところで、エルザが言った。片手で旅装の襟元を押さえている。整っていた前髪が風に崩れ、目へかかりそうになっていた。

 

「街道の周りに遮るものがありませんからね。林へ近づけば、少し弱くなると思います」

 

「資料には、平坦な移動路と書かれていました。間違いではありませんが、風については書かれていませんでした」

 

 エルザは足元の土を確かめるように、何歩か歩いた。

 

「実際に来ないと分からないことがありますね」

 

「俺は、分からないことが少しくらいある方が好きですね」

 

 分からないままなのは怖い。でも、確かめられる範囲なら、知らないものがある方が楽しい。

 

「分かっていることばかりだと安心ですけど、発見がないのはつまらないと思います」

 

 エルザは少し考え、それから小さく頷いた。

 

「そうかもしれませんね」

 

 歩く速さは、俺と大きく変わらなかった。硬い草を踏むたび、新しい革靴が小さく鳴った。

 

「ノワールさんは、この街へ来てどれくらいになるのですか」

 

「実は、まだ十日も経っていないんです」

 

「そうなのですか……もう少し長く冒険者をされているように見えました。周囲を見る時に、あまり迷いがないので」

 

「見てから動くのが遅いと、今朝も稽古で叩かれてきたところです」

 

「それでも、落ち着いて見えます」

 

「まぁ、歳を取っていますからね」

 

「ノワールさんは、私と同年代か、少し上くらいに見えますが」

 

「そう見えますよね」

 

 俺は苦笑しながらそれ以上は説明せず、前方へ視線を戻した。エルザも深掘りしなかった。

 

 五十歳の看護師だったことまで話す必要はない。

 

 歩いている間、エルザの足音がすぐ後ろから聞こえていた。歩調を緩めれば、同じように遅くなる。道の窪みを避ければ、同じ場所を通らず横へずれる。

 

 一人で歩く時ほど気楽ではない。ただ、後ろへ注意を向ける者がいるという感覚は、思っていたよりも心強かった。

 

◆

 

 東門から半刻ほど進み、街道を外れた林の縁へ着いた。木々はまだそれほど高くないが、低木と茂みが複雑に重なり、草原側からは奥を見通しにくい。湿った土と苔の匂いが、風の弱まった空気に混じっていた。木漏れ日が、倒木や石の表面へ斑に落ちている。

 

「では、まず俺が採取します。その間、周囲を見ていてもらえますか」

 

「承知しました。私は警戒と記録を担当します」

 

「風や葉の音で声が聞こえにくい時は、先に手を上げて合図します」

 

「手を上げてから、声をかける。このくらいでしょうか」

 

 エルザは確認するように、自分の手を胸の高さまで上げた。相変わらず几帳面だが、その仕草には幼さを感じさせる可愛らしさがあった。意識的であればあざとい。

 

「はい。十分です」

 

「分かりました」

 

 エルザは短剣の柄へ手を添え、俺より一歩後ろへ下がった。

 

 俺は倒木へ近づき、腰を落とす。湿った樹皮の表面に、薄緑色の苔が広がっていた。指先で触れる。水を含みすぎて泥のようになっている部分もあれば、日の当たる端で乾き、崩れやすくなっているところもある。適度な湿り気と弾力があり、黒ずんでいない部分を選んだ。土を軽く払い、採取袋へ入れる。

 

「同じ場所に生えていても、採らない部分があるのですね」

 

 背後からエルザの声がした。振り返ると、顔は俺の手元へ向いていたが、身体は茂みの方を向いたままだった。

 

「乾きすぎたものは砕けやすいですし、泥を含みすぎたものは傷みやすそうです。俺も、専門家に全部教わったわけではありませんが」

 

「資料には、日陰の倒木や石に生えるとしか書かれていませんでした」

 

「資料に全部書かれては、俺がエルザさんに知ったかぶりを出来なくて困ります」

 

 俺の軽口に、エルザの口元がわずかに緩んだ。

 

「……なるほど。現場で得る情報も、依頼の一部ということですね」

 

 俺はアオゴケを三束分集め、袋の口を縛る。

 

「次はニガキですね。候補を探してもらえますか。俺は周囲を見ながらついていきます」

 

「はい。資料では、葉の先端と枝の節、樹皮の色で見分けられるとあります」

 

 エルザは帳面を一度開いて絵を確かめ、低木の並ぶ方へ進んだ。二本を通り過ぎ、三本目の前で止まる。

 

「こちらが近いと思います。葉の先端が細く、節も資料の絵と一致しています」

 

 エルザは枝へ手を伸ばしかけ、その指先を止めた。葉の裏へ指を滑らせ、軽く擦って鼻先へ近づける。それから枝の節をもう一度確かめた。

 

「……違う」

 

 小さく呟き、もう一度葉の匂いを確かめる。

 

「匂いが弱いですね。それに、枝の節も少し違います」

 

「資料の絵だけでは、似て見えますね」

 

 エルザは頷き、隣の低木へ移った。葉の形と節を確かめ、今度は触れずに枝を示す。

 

「こちらはどうでしょうか」

 

 擦った葉から、青臭さに混じって苦みを思わせる匂いがした。枝は細く、指で曲げるとまだ柔らかい。

 

「これですね」

 

 ナイフを抜き、刃元を若枝の根元へ斜めに当てる。枝を潰さないよう一本を切り、切り口と葉を確かめてから採取袋へ入れた。刃についた汁を布で拭い、ナイフを鞘へ戻す。

 

 エルザは周囲へ視線を戻し、帳面へ短く何かを書きつけた。三本目を袋へ入れた時、離れた茂みが揺れた。葉が擦れ、乾いた枝が一本折れる。

 

 俺は手を上げた。エルザが帳面を閉じる。

 

「何かいます」

 

 声を抑えて伝え、剣の柄へ手を置いた。

 

 茂みの奥から、低い鼻息が聞こえた。葉を押し分けて現れたのは、頭に短い角を生やした大きな兎だった。普通の兎より二回りほど大きく、前脚を低くした姿勢でこちらを見ている。遅れて、左側の茂みも動いた。もう一匹いる。

 

 野生動物と対峙するのは初めてだった。子どもの頃に野良犬と出くわした時の緊張感に似ている。怖いはずなのに、足は竦まなかった。まだどこかで、ゲームの続きだと思っているのかもしれない。

 

「ホーンラビット、二匹です!」

 

 エルザの声が背後から届いた。

 

「追わずに離れましょう!」

 

「はい!」

 

 俺たちはホーンラビットへ正面を向けたまま、ゆっくり距離を取った。一匹目は動かない。だが、左側の一匹が地面を後脚で掻き、頭を低くした。戻る方向と重なっている。

 

「右へ移ります!」

 

「分かりました!」

 

 次の瞬間、ホーンラビットが跳んだ。短い角が、まっすぐこちらへ迫ってくる。足を止めるな。

 

 今朝のドランの声が頭へ残っていた。俺は左斜め前へ踏み出した。身体が開ききるより早く、角が右の革当てをかすめる。革の表面が引かれ、肩へ短い衝撃が走った。

 

 ホーンラビットは俺の脇を抜けて地面へ着き、前脚を踏ん張った。身体を反転させようとしている。俺の足も、まだ完全には整っていない。

 

 エルザが横から踏み込んだ。靴底が土を深く噛み、その一歩だけが急に鋭くなる。ホーンラビットが頭を返したところへ、エルザは短剣の刃を寝かせ、角の側面へ当てた。

 

 硬い音が鳴る。当たった瞬間、短剣を持つ腕がもう一段速く動き、ホーンラビットの頭と身体が外側へ流れた。土の上を一度転がり、茂みの手前で立ち上がる。

 

 エルザの着地した踵が湿った土で滑った。身体がわずかに傾き、すぐに一歩踏み直す。

 

「右が空きました。下がりましょう!」

 

 俺たちは開けた草地へ移動した。もう一匹のホーンラビットは追ってこない。流された方も鼻を鳴らし、こちらを見たまま数歩下がった。距離が開くと、二匹は続けて茂みの奥へ消えた。葉の揺れる音が遠ざかる。

 

 二匹は追ってこなかった。こちらも追う理由はない。俺は剣を抜ききらないまま、柄から手を離した。

 

「怪我はありませんか」

 

「ありません」

 

 エルザも短剣を下ろした。呼吸が速い。胸当ての上から胸元へ手を当て、息を整えている。

 

「ノワールさんは?」

 

「革当てをかすめましたが、大丈夫です。今朝よりは動けました」

 

「上手く避けていましたね」

 

「避けきれてはいませんけどね。エルザさんは上手く短剣で捌いてましたね」

 

「身体強化魔法を使ってました。踏み込む瞬間と、短剣を当てた瞬間だけ使うんです。長く続けるより、あの方が力の向きを合わせやすいので」

 

「短剣で倒すのかと思いました」

 

「討伐は依頼に含まれていません。それに、倒せると断言できる状況でもありませんでした」

 

「同感です」

 

 完璧な連携ではなかった。

 

 それでも、事前に決めた通り、無理に追わずに離れることはできた。

 

「少し待ってから、残りを採りましょう」

 

「はい。周囲を確認します」

 

 エルザは深呼吸を一つして、短剣を鞘へ戻した。

 

◆

 

 ホーンラビットが戻ってこないことを確認してから、残りのニガキを採った。規定量を集め終えた頃には、太陽が頭上へ近づいていた。採取袋の縁と指先についた泥を落とすため、魔法で水球を作り出し、指先へ沿わせるように動かして洗い流す。エルザが横から見ていた。

 

「水魔法で洗うのですか」

 

「ええ。魔法の練習にもなりますので使ってみました」

 

「戦闘以外にも使えるのですね」

 

「今のところは、こちらの方が得意です」

 

「便利だと思います」

 

 そう言いながらエルザは頷く。林の外まで戻り、街道と周囲を見渡せる場所へ腰を下ろした。持ってきたパンを二つに割ろうとしたが、乾いた表面がなかなか割れない。膝の上で力を入れると、ようやく鈍い音を立てて折れた。

 

 隣では、水魔法で手を洗ったエルザが両手でパンを持ったまま、しばらく表面を見ている。

 

「硬いですね」

 

「持ち歩くなら、柔らかい物より傷みにくいらしいです」

 

「合理的ではあります」

 

 エルザは端を小さく割り、水と一緒に口へ入れた。俺も真似をする。噛むほど小麦の味はするが、顎が疲れる。

 

「……エルザさんは落ち着いてますね」

 

「どういう意味ですか?」

 

「さっきも、あまり慌てていなかったので」

 

「……ノワールさんも冷静だったように見えましたが?」

 

「俺は、少し怖かったですよ」

 

「私もです。でも、ゲームですから」

 

 俺とは、少し意味が違うような気もした。詳しく聞く気にはなれなかった。エルザは水筒を置き、右の靴紐を結び直した。踵の辺りを指で押してから、足首を二度曲げる。

 

「靴も、次は少し調整します。平らな場所では問題ありませんでしたが、窪みへ入った時に踵が浮きました」

 

「今、痛むところはありますか」

 

「痛みはありません。擦れもないと思います。ただ、このまま長く歩けば出るかもしれません」

 

「靴擦れでも作ったら厄介ですからね、お互い無理はしないようにしましょう」

 

「はい」

 

 エルザは帳面を開いた。時刻、風、地面の状態、アオゴケ、ニガキ、ホーンラビット。細かな文字が何行も並んでいる。

 

「記録も、減らした方がよさそうです。警戒しながらでは、すべてを書けませんでした」

 

「マメに記録をしていますよね、感心します」

 

「後で読み返すと、その場のことが思い出せて便利ですよ」

 

 俺は書く方に集中してしまって、周りの情報が疎かになってしまうのでメモは苦手だ。職場で新人の頃、メモを取るふりをしていたことを思い出した。エルザは一行を指で隠して見直し、筆で横線を引いた。

 

「これでよし、です」

 

 満足そうに帳面を閉じる。靴は調整する。記録は減らす。次に持ってくるパンも、別のものを探してみよう。

 

 どれも今日の依頼を失敗にするような問題ではない。それでも、次に同じ道を歩くなら、今日より楽にできる。残りのパンを水で流し込み、俺たちは立ち上がった。

 

 帰り道は、行きよりも会話が少なかった。疲れているというほどではない。互いに周囲を見ながら歩き、時折、採取袋が脚へ当たる音や、靴底が土を踏む音だけが続く。

 

 話していなくても、隣から足音が聞こえる。それを気まずいとは感じなかった。東門で帰還を告げ、そのまま冒険者ギルドへ向かう。受付で採取袋を渡し、依頼の控えをカウンターへ置くと、ミラはアオゴケの湿り気と、ニガキの若枝の太さや切り口を確認した。

 

「どちらも指定された量があります。状態も問題ありません。共同受注の完了です。お疲れさまでした」

 

 エルザが鞄から帳面を差し出した。行程の時間、風向き、ホーンラビットに遭遇した場所まで、細かく書き込まれている。

 

「こちらも、参考までにご提出します」

 

 ミラは目を通し、困ったように眉を下げた。

 

「お気持ちはありがたいのですが、正式な報告として受理できるのは、依頼票にある項目までなんです。これは……」

 

 エルザは帳面へ目を落とし、ページの端を押さえた指を止めた。

 

「個人の記録として役立てられますね。次に同じ場所へ行く時にも使えると思います」

 

 俺がフォローすると、エルザは少し考えてから頷いた。

 

「……そうですね。無駄にはなりません」

 

 エルザが帳面を鞄へ戻す間に、ミラが確認を終えた依頼の控えをこちらへ返した。折り目を開くと、裏に書いた文字が表から透けている。エルザの視線が、紙の裏側で止まった。

 

「そちらも記録ですか」

 

「ああ……これは、食べたものの記録です」

 

「……食べたもの、ですか」

 

「ここ何日か、食べたものを余白に書いていたんです。エルザさんが言った通り、あとで見返すとその日のことが結構思い出せます。簡単な日記みたいなものですね」

 

 エルザは紙に並んだ食事の内容を見てから、自分の鞄へ入れた帳面へ視線を移した。

 

「用途は違いますが、ノワールさんも書き留めるのですね」

 

「人へ見せる予定はありませんでしたけどね……少し恥ずかしい気がします」

 

 自分で説明しているうちに、妙に恥ずかしくなって紙を折り直した。ミラが口元へ手を当てる。咳払いのような音が一つ聞こえたが、目は笑っていた。

 

 帳簿への記入が終わると、ミラは銅貨十二枚をカウンターへ置いた。俺たちは、決めていた通り六枚ずつに分けた。一人で依頼を終えた時より手元へ残る金は少ないが、その代わり採取中に背後を気にし続ける必要はなかった。ホーンラビットへ出会った時も、一人で二匹を見る必要はなかった。対価としては、悪くない。

 

 ギルドを出ると、昼を過ぎた日差しが石畳へ強く落ちていた。エルザは扉の前で立ち止まり、俺へ向き直った。

 

「ノワールさん。本日はありがとうございました。事前に決めた条件を守り、依頼を完了できました」

 

「こちらこそ。助かりました」

 

 エルザは頷いたが、その場を離れなかった。鞄の留め具へ置いた指先が、一度動く。

 

「あの……ノワールさん」

 

「はい」

 

「また同じような依頼がありましたら、私から声をかけてもよろしいでしょうか」

 

「ええ。俺も、条件の合う依頼を見つけたら声をかけます」

 

 エルザの目元がわずかに和らいだ。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って一度視線を落とし、すぐに姿勢を整える。

 

「今日の依頼は、実地の確認として有意義でした」

 

「俺は楽しかったです」

 

 エルザは口を開きかけ、止まった。

 

「……有意義でした」

 

「そうですか」

 

 エルザは一礼し、大通りの人の流れへ歩いていった。俺も遅れて〈鈍色亭〉へ向かう。二人分だった足音は、別々の方向へ離れていった。

 

 次に「二人以上推奨」の文字を見ても、最初から諦める必要はない。一緒に歩ける相手を、一人知っている。

 

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