明日も、ダンジョンへ。   作:為書結依

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第28話 値踏みの続き

 

 翌日。朝稽古で、またドランに止められた。今度は肩ではない。俺が前へ出たところで、木剣の先が胸当てへ触れている。

 

「……届いてないぞ」

 

「分かってます」

 

「分かってて出たのか」

 

「届かないので、近づこうと」

 

「だから打たれてる」

 

 言われてみれば、その通りだった。ドランは一度下がり、俺の木剣が届かないところへ立つ。

 

「来い」

 

「はい」

 

 今度は上体を倒さないよう気をつけながら前へ出た。一歩。ドランも一歩下がる。もう一歩。また下がる。

 

「……これ、いつまで追えばいいんです?」

 

「追うな」

 

「でも、届かないですよ」

 

「届かないなら斬るな」

 

「それだと逃げられませんか?」

 

「逃げるなら逃がせ」

 

 木剣の柄頭で額を軽く押された。

 

「相手が下がってるのに、自分から形を崩して追いかけるな。届く時に斬れ」

 

「……はい」

 

 分かったような、分からないような。少なくとも、届かせようとして前のめりになったら駄目らしい。

 

「今、半分しか分かってない顔してるな」

 

「本当ですか?」

 

 全部分かっていないのだから、どこが半分なのかは分からない。半分もわかったように見えてるなら良かった。

 

「……今日はそれでいい。さっさと行け」

 

 追い払われた。木剣を戻しながら、もう一度考える。届かないなら斬るな。言っていることは単純なのに、剣を持つとどうしても届かせたくなる。

 

 そこが、まだよく分かっていないところなのだろう。難しい。

 

◆

 

 商業区の外れ、卸問屋から預かった小さな荷を届け終え、俺とエルザはギルドへの帰り道を歩いていた。共用の縄に結ばれた革札が、道具袋の脇で小さく揺れている。銀灰色と暗い赤、二本の針。〈コンパス〉と名付けたばかりの名前には、まだどこか慣れなかった。

 

 エルザの耳の上では、リンが白と薄緑の光を畳み、いつものように髪飾りのように収まっている。大通りの角を曲がったところで、前方から見覚えのある一団が歩いてくるのが見えた。長い銀髪、片肩の翼を模した装飾。

 

 フィロスだった。三人の仲間を連れ、大通りの真ん中を堂々と歩いてくる。

 

 俺には見覚えがあった。だが、向こうにはないだろう。あの日、俺は路傍の石だった。

 

 案の定、フィロスの視線は俺の顔を素通りしかけた。だが、エルザの髪の上で止まった。

 

「……精霊?」

 

 その声に反応したのか、リンがふわりと浮き上がる。

 

 ちりん。

 

 フィロスの足が止まった。後ろを歩いていた仲間たちも、それにつられて立ち止まる。

 

「契約しているのか」

 

 視線は俺ではなく、エルザへ向いていた。

 

「……していません」

 

 いつもの問いにエルザが答える。

 

「召喚でもありません。リンが自分でついてきています」

 

「自分で?」

 

 フィロスがわずかに目を細めた。リンは気にした様子もなく、エルザの肩の近くを一度回ってから、また髪のそばへ戻る。フィロスの後ろにいた女性――以前も一緒にいた人が、少し驚いた顔をした。

 

「フィロス様。契約なしで人について歩く精霊って、かなり珍しいんじゃ……」

 

「見れば分かる」

 

 フィロスはそう言いながらも、さっきまでより明らかにエルザを見ていた。その視線は、エルザとリンの間を行き来している。

 

「……なるほど」

 

 フィロスが顎へ指を当てる。

 

「お前、ただの石級ではないようだな」

 

「石級冒険者のエルザです」

 

 エルザはいつも通り名乗った。

 

「そういう意味ではない」

 

 フィロスはリンへ一度目をやった。

 

「精霊が勝手についてくるなど、そうあることではない。何か理由があるのだろうな」

 

 エルザが一瞬だけ黙った。それから、静かに答える。

 

「私にも理由は分かっていません」

 

 ちりん。

 

 リンが鳴る。

 

「何て?」

 

 俺が小声で聞く。

 

「……『エルザ』」

 

「それだけ?」

 

「はい」

 

「言葉まで通じるのか」

 

「私には、です」

 

「ほう」

 

 今度こそ、露骨に興味を持った顔だった。だが、その視線が俺へ移った途端、いつもの調子へ戻った。

 

「で。その精霊使いと一緒にいる、お前は誰だ?」

 

「ノワールです。以前、一度お会いしています」

 

 フィロスが初めて、まともに俺へ視線を向けた。しばらく顔を見つめられる。居心地が悪い。

 

 フィロスが黙ったままでいると、仲間が何やら耳打ちをした。

 

「……ああ。石ころか」

 

「思い出してくれましたか」

 

「覚えていると思うな」

 

「ですよね」

 

 お仲間が覚えていてくれていただけですもんね。俺も道端に転がる石ころのことは覚えていないから仕方ない。エルザの髪のそばでリンが揺れる。

 

「しかし、妙だな」

 

 フィロスはエルザを見る。

 

「精霊に好かれている存在なら、もっと相応しい相手を選べそうなものだが」

 

 言いたいことは分かった。俺は横で聞いているだけなので、別に構わない。

 

「冴えない男の隣にいる理由が分からん」

 

「俺が冴えないのは否定しません」

 

「分かっているなら結構だ」

 

 フィロスは満足そうに頷いた。エルザの視線が俺へ向いた。少しだけ冷たい気がする。俺が何か間違えたのだろうか。

 

「精霊に選ばれるお前なら、もっと――」

 

「私はノワールさんと組んでいます」

 

 エルザが遮った。フィロスが口を止める。

 

「変えるつもりはありません」

 

 声は静かだった。エルザはそれ以上、何も付け加えなかった。フィロスはしばらくエルザを見ていたが、やがて肩をすくめた。

 

「好きにしろ」

 

 そして俺を見る。

 

「石ころに運が向いたことだけは認めてやろう」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めていない」

 

「そうでしたか」

 

 どこかで聞いたようなやり取りだった。フィロスは興味を失ったように前を向き、そのまま歩き出した。通り過ぎ際、さっきの女性が足を少し緩めた。

 

「すみません。フィロス様、ああいう言い方しかできなくて」

 

「ミレイ」

 

 前からフィロスの声が飛んでくる。

 

「今行きます」

 

 ミレイと呼ばれた女性は俺たちへ小さく頭を下げる。エルザはその背中を見ながら言った。

 

「もし悪気がないのでしたら、なおさら直した方が良いのではないでしょうか」

 

 ミレイは一瞬だけ困った顔をした。その反応を見たエルザは、そのまま言葉を続けた。

 

「あなたに言うことではありませんでした。申し訳ありません」

 

「いえ……私も、そう思います」

 

 小声でそう答え、仲間の後を追っていった。あの人も大変だな。フィロスたちが角を曲がり、姿が見えなくなる。

 

 少し歩いたところで、エルザが息を吐いた。

 

「……なんですか、あの勘違い男は」

 

 いつになく率直だった。

 

「色々と絡まれていましたね」

 

「私のことではありません」

 

 エルザが俺を見る。

 

「ノワールさんへの言い方です」

 

「ああ……俺はあまり気にしていませんけど」

 

「私が気にします」

 

 即答だった。俺は少し黙る。返事を探しているうちに、何を言っても軽くなりそうな気がした。

 

「……分かりました」

 

「はい」

 

 エルザはそれ以上続けず、いつもの歩調へ戻った。リンがフィロスの立ち去った方向へと漂う。

 

 ちりん。

 

「今のは?」

 

「『つよい』」

 

「それは誰のことです?」

 

 エルザがフィロスたちの消えた角を見る。

 

「さっきの男のことでしょう」

 

「ですよね」

 

 ちりん。

 

 もう一度、リンが鳴った。エルザが少し間を置く。

 

「……『へんなの』とも言っています」

 

「強いけど変なんですか」

 

 リンは俺のことも『へんなの』と言っていた。

 

「俺は彼と同じ評価ですか……」

 

 なんかいやだ。

 

「リン、俺は強いですか?」

 

 ちりん。

 

 エルザの肩が跳ねた。

 

「……エルザさん……?」

 

「……言えません……」

 

 エルザが強く首を振る。

 

「大丈夫ですよ、言ってください」

 

 俺は出来るだけ穏やかにエルザに語りかけた。

 

 沈黙が流れた。

 

 エルザは目線を逸らしながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「……『よわい』と……」

 

「ああ……」

 

 そのまま無言で歩いていると、リンが俺の方へ近づいてきた。

 

 ちりん。

 

「……ひょっとして慰めてくれてます?」

 

 俯きながら歩くエルザの口が開いた。

 

「……『いしころ』」

 

「……覚えなくていいですよ、それ」

 

 隣から、とうとう笑い声が聞こえてきた。俺たちはそのまま、ギルドへの道を歩き続けた。

 

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