ウマ四駆 ─DIAMOND GAZER─   作:ヘリの準備

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 勝負服は、ミニ四駆としてのバニシングゲイザーのデザインを強くイメージしました。


第10話 ホープフルステークス

「まあ! バニちゃん、ついに完成したんですね~。とても似合ってて素敵ですよ♪」

 

 さまざまな大行事を控える年末へ向けて、慌ただしさを増し始めた11月下旬の中央トレセン学園。

 トレーニング開始前のウマ娘たちが集うリギルのミーティングスペースで、明るく言葉を紡いだグラスワンダーだけでなく、誰もが視線を向けているものがある。

 それはバニシングゲイザーが着用してお披露目している、格式あるレースへ臨むウマ娘のために仕立てられた特別な衣装───勝負服だ。

 

 機能性を重視したその装いは、トップスからボトムスまで白を基調としてまとめられている。

 航空機やロケットを思わせる無機質な鋭さを備えながらも、随所に走る鮮やかな青のストライプが、風を切って駆け抜ける姿をイメージさせる。

 

 トップスの左右に配されたガンメタル色の装飾は、戦闘機のエアブレーキを模したもの。

 エンジン出力を落とすことなく機体を精密に制御するその機構は「スピードブレーキ」とも呼ばれる、まさに戦いのための装備である。

 無論、この服にそのような機能が備わっているわけではない。

 それでもこの意匠には、スピードを緩めず限界を攻めるレース展開も辞さないという、明確な意志が込められている。

 

 機能的な構造の中にあって異質さを感じさせる、留め具としては大ぶりな金色のボタン。

 当初はこれもガンメタルで仕上げる予定だったが、試走を重ねた末にこの色へと変更された。

 その輝きがバニシングゲイザーの直感を研ぎ澄まし、刻々と移り変わるレースの状況を素早く捉えさせる。

 

 そして特に目を引くのが、オレンジ色であしらわれた二種類のエンブレム。

 一方には三つの星が並び、もう一方には牙を剥く狼の姿が描かれている。

 三つ並んだ星が意味するのは、バニシングゲイザーがこれまでトゥインクル・シリーズで積み重ねてきた勝ち星だ。

 その周囲には十分な余白が残されており、これからも勝ち星を増やしていくという、揺るぎない決意を表していた。

 

「ありがとうございます、グラスワンダー先輩。皆さんのご協力のおかげで完成させることができました」

 

 6月のメイクデビューで初勝利を挙げるよりも前から調整が進められていた、バニシングゲイザーの勝負服。

 早い時期から準備を始めた理由は、身に着けるものによって走りが変わるバニシングゲイザーにとって、勝負服はレースの結果を左右する極めて重要なものだからだ。

 無数にある選択肢から様々な素材や意匠を試し、その効果を一つひとつ確かめながら手探りで進めてきた調整。

 それは通常よりも遥かに多い手順を経る必要があったため、勝負服として形になるまでに膨大な工程を要していた。

 

 それでも今日、こうして完成の日を迎えることができた。

 東条とデザイナーの尽力、そして試走に付き合ってきたリギルのウマ娘たちの協力があってこそ、辿り着けた成果だった。

 

「おお、ゲイザー君! その白き勝負服が宿す理性と情熱のコントラスト、それに同調して昂った君の闘気……素晴らしい! まるでボクという恒星の輝きを受けて瞬く、満天の星の光のようだ!」

 

「……ええ、恐れ入ります。先輩にそうおっしゃっていただけるとは恐縮ですね」

 

 高らかに歌い上げるような調子でそう語ったのは、『覇王』テイエムオペラオーだ。

 彼女の芝居がかった振る舞いと大仰な語り口は、リギルの面々にとってはもはやお約束となっている。

 これにはバニシングゲイザーもすっかり慣れており、実際にはさほど恐縮することもなく、さらりと言葉を返している。

 ───もっとも、テイエムオペラオーが誰かを評するとき、その言葉が決して的外れではないことも確かだった。

 

 勝負服はウマ娘に不思議な力をもたらす衣装として知られ、古くから特別なレースのために仕立てられてきた。

 これを纏うことでウマ娘たちは秘めた力を限界まで引き出し、それぞれの願いと誇りを懸けて走る。

 そうして幾つもの名勝負を生み出し、これまでの歴史を鮮やかに彩ってきたのだ。

 

 そして今のバニシングゲイザーから放たれているのは、テイエムオペラオーが語った通り、勝負服との同調によって高められた鮮烈な闘気。

 眩いほどの気迫に満ちたその姿は、この場にいるウマ娘たちの闘争心までも強く刺激していた。

 

「───実はこれから、屋内練習場のほうで試走をする予定なんです。もしよろしければ、どなたかお付き合いいただけませんか?」

 

 だから、そんな空気の中で発されたバニシングゲイザーの言葉に、すぐさま反応する者がいた。

 

「それ、あたしが参加しても良いかしらバニちゃん? チョベリグな勝負服が完成したあなたの、初陣のお相手をするんだもの。お姉さんもトップギアで張り切っちゃうけど、大丈夫?」

 

 真っ先に一歩前へ進み出たのは、『スーパーカー』マルゼンスキーだった。

 陽気で後輩の面倒見がよく、走ることを誰よりも楽しむ、気さくで優しいウマ娘である。

 そんな彼女に対してバニシングゲイザーは不思議と波長が合い、頼れる先輩として慕っている。

 

 そして稀代の逃げウマ娘として知られるマルゼンスキーの実力は、あまりにも圧倒的なもの。

 その隔絶した速さゆえに、本来の脚質に関係なく逃げを選択せざるを得なかったのではないか……とさえ、ファンの間で語られるほどに。

 そんな彼女がバニシングゲイザーの闘気に触発されて覗かせた凄みが、この場の熱気をさらに高まめていく。

 

「もちろん、望むところです。これまで先輩たちにたくさん揉まれてきましたから、今さら黒星を恐れはしません。───それに今の私、そう簡単に負けるつもりはありませんよ?」

 

「ふふっ、言ったわね? ならお互いアクセル全開で、アゲアゲにフィーバーしちゃいましょ♪」

 

 それに負けじと強気な言葉を返したバニシングゲイザーに、マルゼンスキーも楽しげに応じる。

 ───イケイケでオドロキ桃の木なレースになることに、間違いはナッシングである。

 

「ゲイザー、私も付き合おう。お前がその勝負服に着(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)という結果にならぬよう、徹底的に鍛えてやるから覚悟しておくといい」

 

「オウッ、二人とも抜け駆けは無しデス! ゲイザーとのエキサイティングなレース、ワタシも混ぜてクダサーイ!」

 

 マルゼンスキーに続いて、『女帝』エアグルーヴと『最強マイラー』タイキシャトルも名乗りを上げる。

 そして、彼女たちだけでない。

 バニシングゲイザーを囲むウマ娘たちは皆、今にも勝負を始めようとするかのような、好戦的な表情を浮かべている。

 ナリタブライアンなど、有無を言わさずに練習場への移動を始めようとしているほどだ。

 

「……まったく、仕方ない。お前たちのトレーニングメニューを少し変更する。各自、移動の準備に移るように」

 

 そして、やれやれといった様子でひとつ息をついた東条がそう指示を出した。

 もっとも、この場にいる彼女の担当ウマ娘たちは全員、今日は屋内練習場でトレーニングを行う予定になっていた。

 おそらく東条は、こうなることを初めから見越していたのだろう。

 

 

 ───来月に迫るのは、これまでトゥインクル・シリーズで三戦三勝のバニシングゲイザーが臨む初のG1レース、ホープフルステークス。

 その前哨戦が、非公開練習とするには惜しすぎる豪華なメンバーたちによって、熱く行われれようとしていた。

 

 

 

 

 

「……えーと、ごめんなさいリッキー。あなたはこっちに残って特別メニューです。もうジュニア優駿が近いんですから、やってもらうことがたくさんありますよ?」

 

「───え゛っ!?」

 

 ……そして、東条の担当ウマ娘たちにしれっと混ざろうとしていたコパノリッキーが、「そ、そんなぁ~!!」と叫びながら桐生院に連行されていく。

 その姿を、バニシングゲイザー他数名が手を合わせて見送ったのであった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

GI

ホープフル

ステークス

中山 芝 2000m

 

 

 

 中山レース場、メイン11R(レース)。

 中距離のジュニア王者決定戦、ホープフルステークス。

 

 ジュニア級の集大成として12月にまとまって開催されるG1レース群は、ひとつの到達点であると同時に、翌年のクラシック戦線を占う登竜門としても大きな役割を持つ。

 中でもこのレースは、クラシック三冠の初戦である皐月賞と完全に同じコースで開催されるため、その意味でも注目度が高い。

 

『希望に満ちた18人のウマ娘が集い、未来を導く新たな星が生まれるこのレース! 人々の心を掴んで魅了する、一番星として輝くのは誰か! ホープフルステークスが間もなく始まります!』

 

(そうか───これが、G1レースなんだ)

 

 ゲートインを目前に控えた、やや曇った空のターフ。

 ウマ娘たちを待ち構えるように据えられたゲートがあるのは、ホームストレッチ右端のポケット地点。

 そこでバニシングゲイザーが一度足を止め、自分が立っている場所を改めて見渡す。

 これまでモニター越しやスタンド席でしか見ることができなかった、G1レースの世界を。

 

 一周がおよそ1700メートルとなる、中山レース場の内回りコース。

 2000メートルを走るこのレースでは、スタンド正面のホームストレッチを二度駆け抜けることになる。

 これまで出走してきたレースのファン投票ではいずれも一番人気として推され、このホープフルステークスでも圧倒的な一番人気となったバニシングゲイザー。

 そんな彼女を応援する声が、これまでで最も大きく聞こえてくる。

 12月の寒空の中でも体の芯から熱いものがこみ上げてくるのは、ウォーミングアップをしっかり行ったことだけが理由ではなかった。

 

 けれど今、バニシングゲイザーの全身を震わせてくるものがある。

 このG1の世界で、冬の冷えた空気よりも遥かに痛く感じているもの。

 それはフルゲート18人立てとなったこのレースで戦う、17人のライバルたちの視線。

 ───そしてその中に宿る、鋭利なほどに研ぎ澄まされた気迫だった。

 

 ここまで三戦三勝、このレースに勝てばURA賞の最優秀ジュニアウマ娘に選出されることがほぼ確実と目されているバニシングゲイザー。

 ファン投票の結果にも現れているように、この舞台でも際立って高い実力を持つと目されているウマ娘。

 その快進撃を、他の者たちがただ黙って見ているはずがない。

 ここに立つライバルたちは皆、バニシングゲイザーに対抗する策を、そして自分こそがジュニア王者になるのだという決意を持ってきているに違いなかった。

 

 ───今後のレース、お前は全員からマークされるものと思え。

 メイクデビューに勝って以降、東条から幾度となく言われてきたことだ。

 それを想定した練習は十分に重ねているし、しかもその主なトレーニング相手は、泣く子も黙るリギルの先輩たちだ。

 だから怖いものはないと心のどこかで思っている自分がいたことを、バニシングゲイザーは否定することができない。

 そして、その考えは大きな間違いだったのだ。

 

 本バ場へ入ってからゲートインまでにある幾らかの時間で、バニシングゲイザーは間違いなく、出走ウマ娘たちからの視線を誰よりも集めていた。

 それに目が合うと、彼女たちは正々堂々と競い合うアスリートにふさわしい、友好的な言葉をかけてくる。

 互いの健闘を誓い合う、美しいワンシーンだ。

 

 しかし、彼女たちの目が───バニシングゲイザーを射抜かんばかりの鋭い視線が、その胸の内にある思いをはっきりと物語っている。

 どれほど泥臭くなろうと、絶対にお前を倒すと。

 お前が手を伸ばしている勝利を、お前ごと掻っ切ってでも奪い取ってやるのだと。

 

 危険信号を鳴らす、バニシングゲイザーの本能。

 彼女たちは間違いなく、これまで出会ってきたどのウマ娘よりも恐ろしい。

 

 

 バニシングゲイザーは改めて思う。

 これが、G1レースなのだと。

 

 

『各ウマ娘、続々とゲートに収まっていきます。さあ注目の一番人気、11番バニシングゲイザーも今、ゲートへと入りました!』

 

 ゲートインしても、まだ完全には収まらない身体の震え。

 その正体はやはり恐怖なのか、それともG1という舞台に立った武者震いなのだろうか。

 バニシングゲイザー自身でさえ、はっきりと答えは分からない。

 

 けれど。

 

(───構わない。どちらでも)

 

 スタートの体勢に入る前、バニシングゲイザーは自身の勝負服に刻まれた、オレンジ色のエンブレムへと視線を落とす。

 そこに描かれた狼は、彼女が抱き続けてきた願いを象徴するものだった。

 

 ───狼という生き物は警戒心が強く、むやみに危険へ身を晒す生き物ではない。

 それでも縄張りを侵されたときは、群れと居場所を守るために勇気を持って戦うのだ。

 自分もまた、そんな狼のように強く戦いたい。

 その願いこそが、バニシングゲイザーというウマ娘の根幹にある。

 

 かつて、心の奥に巣食う恐怖に怯え続けていたバニシングゲイザー。

 あの時に立ち向かった障壁は、これまでの人生で最も大きなものだった。

 そしておそらく、これから先もそれを超える恐怖に出会うことはないだろう。

 ならば、今の自分がここで竦んでいては、きっと昔の自分にすら笑われてしまう。

 

(……うん。それはやっぱり嫌だな)

 

 そう胸の内で呟いたバニシングゲイザーは、小さく笑みをこぼしてから改めてスタートの体勢を整える。

 意識を向けるのは、もう間もなく開かれるゲート、ただ一点のみ。

 そしてスタートの直前、最後に心へ宿ったのは、きっと大丈夫だという静かな安堵だった。

 

 ───だって今の自分は、戦うことができているのだから。

 

 

 そしてゲートが開け放たれ、最初の一歩を踏み出すその時には。

 

 体の震えはもう、ぴたりと止まっていた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

『さあ綺麗に揃ってスタートしました18人のウマ娘! まずは先行争いですが……おっと、バニシングゲイザーがハナを切った! バニシングゲイザー先頭! これは予想外の幕開けです!』

 

 このレースに懸けるウマ娘たちの思いが、形になったかのように。

 誰一人として出遅れることなく、ホープフルステークスが幕を開けた。

 

 トゥインクル・シリーズで使用されるレース場で、最大級の高低差を誇る中山の急坂。

 それがスタートの直後から待ち受けるこのコースでは、最序盤のポジション争いも必然的に熾烈なものとなる。

 その中で真っ先に先頭へ躍り出たウマ娘───バニシングゲイザーの姿に、スタンドの観衆からは悲鳴にも似たどよめきが上がった。

 

 中山の2000メートルは、クラシック級以降のレースであればスピード勝負になりやすい。

 しかしまだ成長の途上にあるジュニア級ウマ娘たちにとって、ホームストレッチの急坂を二度も越えなければならないこのコースは過酷だ。

 それに加えて最終直線が短く、最後方から先頭に追いつくのも難しいため、ホープフルステークスは速さ以上に持久力が問われるレースとしての傾向が強い。

 そしてこの前提条件に噛み合った脚質として、先行や差しが有利というのが認知されている。

 

 バニシングゲイザーがこのレースで一番人気に推されたのは、過去三回の公式戦で先行が一度と差しが二度という、これまでの戦い方を考慮された部分も大きい。

 実際、彼女は先行から中団付近でじっくり脚を溜め、勝負どころで抜け出す形で勝利を重ねてきた。

 だからこそ、この大舞台でいきなり先頭へ立った彼女の走りを見て、観衆が「バニシングゲイザーが掛かった」と思うのも無理はない。

 

 けれど。

 このターフを駆けるウマ娘たちにとって、それは違った。

 

(───やっぱり、驚いてはくれないか!)

 

 最初の坂を越えてスタンド前を通過したバニシングゲイザーが、右回りの第1コーナーに差し掛かるところでうかがった、後続のウマ娘たちの様子。

 スタンドの反応とは対照的に、彼女たちのほとんどが「想定通り」と言わんばかりに冷静さを保っている理由は明白だ。

 

 今年デビューしたウマ娘の中で、今や一躍注目を集める存在となったバニシングゲイザー。

 その皮切りとなったリギルの選抜テストは、トレセン学園内のオープンな場で行われていた。

 それをはじめとして、学園に所属するウマ娘やトレーナーたちには、バニシングゲイザーが逃げにも追い込みにも転じ得ることを知る材料が、既に十分すぎるほど揃っていたのである。

 だから選抜テストのような、脚質だけで意表を突く戦いはもうできない。

 

 それでもこれまでの公式戦で先行と差しの印象を強く残し、なおかつ今回どの脚質で来るのかを絞らせなかった効果は大きい。

 バ群の先行から中団にかけては、多くのウマ娘たちがセオリー通りに構えている。

 その中には、バニシングゲイザーがこの位置に来るならマークする、という作戦を立てていた者も少なくない。

 トゥインクル・シリーズは、あくまで真剣勝負の場。

 抜きん出た力を持つウマ娘がいるなら、勝つためにその一人を徹底的にマークする作戦も肯定される。

 そしてバニシングゲイザーは逃げという脚質を選ぶことで、そうした狙いの多くをかわすことに成功していたのだ。

 

 ホープフルステークスという舞台では不利な選択かもしれないが、このレースで勝つためには最も勝算が高い脚質。

 それこそが、バニシングゲイザーと東条が逃げを決断した理由だった。

 

 しかし後続のウマ娘たちが、この状況で勝つためのプランを準備していないはずもない。

 彼女たちはバニシングゲイザーを射程に収めたまま、前へ前へと圧をかけ続けている。

 優位な位置で脚を溜め、来るべき勝負どころを静かに待っているのだ。

 その瞬間が訪れれば力を一気に解き放ち、容赦なく襲い掛かってくるだろう。

 

 そして、このレースは単騎逃げではない。

 バニシングゲイザーをマークしている存在も、すぐ近くにいた。

 

『第2コーナーを回り依然として先頭はバニシングゲイザー、すぐ後ろにはリバイバルリリックが続きます! 3番手から4番手にフリルドレモン、パンパシフィック───』

 

 ───リバイバルリリック。

 バニシングゲイザーと同じメイクデビューに出走してゲートインに手間取り、逃げウマでありながらスタートで大きく出遅れたことで、レースでの存在感を早々に失ってしまったウマ娘だ。

 そんな彼女が未勝利戦からの二連勝を経て、このG1の舞台に立っている。

 そして今、他の誰よりもバニシングゲイザーの脚と精神に重い圧力をかけ続けていた。

 

 レース前に感じた危険信号とは比較にならないほどけたたましく、バニシングゲイザーの本能が警鐘を鳴らしてくる。

 先頭を譲るなと、あのウマ娘から逃げろと。

 しかし白い勝負服に埋め込まれた金色のボタンの輝きが、今にも弾けそうな衝動をぐっと抑え込む。

 ───ここで無理に競り合えば、確実にゴールまで脚が持たない。

 客観的なその事実を、研ぎ澄まされた感覚で掴み取る。

 

 だからバニシングゲイザーは、たとえ先頭を譲ることになっても構わないと、ペースを抑えることを選択した。

 逃げという脚質を選んだのは脅威から逃れるためではなく、最後まで戦って勝利を手にするためだ。

 その強い意志で、暴走しかけた本能を制御する。

 そして、それを受けてリバイバルリリックが───追い抜こうとはして来ない。

 あくまで二番手に留まり、背後から徹底してバニシングゲイザーをマークし続けるつもりらしい。

 

(まったく…………手ごわいな、本当に!)

 

 改めて背後を確かめたバニシングゲイザーに、剥き出しの闘争心を宿した表情が浮かぶ。

 こうなったら一度抜かれたほうが遥かに戦いやすかったが、今のバニシングゲイザーはリバイバルリリックに風除けとして利用されている状態である。

 このレースで最も手強い相手は間違いなく、彼女だ。

 

『さあ第3コーナーに入りました! 先頭のバニシングゲイザー、中山のコーナーを完全に攻略しています! リバイバルリリックも譲らず先頭を脅かす立ち回りだ! フリルドレモン、バイトアルヒクマもピッチを上げてきた!』

 

 第3コーナーへ突入したウマ娘たちの前に、残り600メートルを示す標識が迫ってくる。

 レースはいよいよ終盤の勝負に移り、ここまで続いてきた駆け引きの様相が変わった。

 たったの310メートルしかない最終直線でスピードを出し切るのが難しいことを睨み、この早いタイミングで全体のペースが一気に上がる。

 

 中山レース場の内回りはコーナーが小回りで、速度を保ったまま進入すると外へ膨らみやすい。

 スピード寄りの装身具(セッティング)のバニシングゲイザーがこれほどの勢いで飛び込めば、以前なら軌道を乱した不安定なコーナリングになっていただろう。

 しかし今の彼女はほとんど速度を緩めることなく、内ラチ沿いの最短距離を正確になぞっている。

 勝負服に備わるエアブレーキの意匠が、本当に作動しているのではないか───そう思わせるほどに鋭い、攻撃的なコーナリングだ。

 

 最短の軌道を乱れなく進み、余計な動きを徹底して削ぎ落とした走りが、スタミナの消耗を抑える大きな助けにもなっている。

 まるで「攻撃は最大の防御なり」という言葉を、本来とは異なる形で体現するかのように。

 この走りを大きく支えている装身具(セッティング)が、両足首に巻かれた黒いアンクレットだ。

 もともと柔軟性が高いバニシングゲイザーの足元へさらなる安定感をもたらし、乗用車のアクティブサスペンションさながらに、ギリギリの軌道での力強い走りを支えている。

 

 これはもともと「ダート適性を高められないか」という動機で、その兆しがある装身具(セッティング)を研究する過程で偶然発見されたものだった。

 芝を主戦場とするバニシングゲイザーにとって、さほど意味がないと思われた方向への探究心。

 それが生み出した思わぬ収穫であり、そんな研究を認めてサポートした東条による成果でもあった。

 

『さあ第4コーナーからラストスパートに入っていきます! 中からポルカステップが上がってきた! 外からはビアンコグリモア! しかし先頭はまだバニシングゲイザーだ! どこまで持つのかバニシングゲイザー!』

 

 早いタイミングでのペースアップが響き、最後の直線を前にして全員のスタミナが容赦なく削られている。

 それでも彼女たちは少しでも有利な位置を確保しようと、限られた力を振り絞ってさらに速度を上げる。

 そして激しいポジション争いを繰り広げながら、一斉にホームストレッチへとなだれ込んでいった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 割れんばかりの大歓声に包まれる、超満員のスタンド。

 もはや予想など関係ないとばかりに、極限の世界で戦うウマ娘へありったけの応援を送る観衆たち。

 スタンドの正面、まるで悪魔のようにそびえ立つ中山の急坂を越えれば、栄光のゴールが待っている。

 

 ここまで来れば、あとはどれだけの力を残しているかの勝負だ。

 そしてこのレースを戦うウマ娘たちはみな、まさに今という瞬間を制するために走ってきたのだ。

 

 セオリー通りに好位を保ち、先頭へ絶えずプレッシャーを与え続けてきた者がいる。

 このままでは勝てないと直感し、想定していたよりも早くスパートを仕掛けた者もいる。

 そして己の末脚を信じ、最後の直線にすべてを懸けた者がいる。

 

 だが、『中央』の校訓が物語っているように。

 勝負の世界とは、非情だ。

 

『中からビアンコグリモアが来た! バイトアルヒクマも追い上げる! リバイバルリリックも懸命に粘っている! そして先頭のバニシングゲイザーは───まだ勢いが衰えない!? 後続の末脚にも引けを取らない! 差が詰まらないぞ!』

 

 最後に立ちはだかるこの急坂で、先頭を逃げ続けてきたバニシングゲイザーに、誰一人として追いつけない。

 溜め込んできた力をぶつけているのに、他の誰よりも消耗しているはずのウマ娘との差を埋めることができない。

 

 悪魔のようなこの急坂が、今だけはもっと続いてくれ───という、誰かの願いはどこにも届くことはなく。

 坂を乗り越えてしまえば、もうゴールまで100メートルほどの距離しか残されていない。

 

『坂を越えてなお逃げるバニシングゲイザー! リバイバルリリックはここで一杯か! ビアンコグリモアも猛追しているが追いつかせない! 1バ身半の差が果てしなく遠い! 何という強さだ! これが次世代のウマ娘の走りなのか!!』

 

 懸命に追いすがる者たちがいる。

 勝負の行く末を察して、悲痛な声を上げる者もいる。

 そして、何が悪かったのだろうかと、自らに問いかける者もいる。

 

 ───その答えは、残酷なほどにシンプルなものだった。

 

 このレースでバニシングゲイザーが選んだ装身具(セッティング)の軸となるのは、青いリボンと、緑と黄色のブレスレット。

 これはメイクデビューと全く同じ組み合わせであり、スピードを重視しつつパワーにも配慮した構成である。

 つまり、ある程度はス(・)ピ(・)ー(・)ド(・)を(・)犠(・)牲(・)に(・)し(・)て(・)い(・)る(・)今の走りは、本来であれば逃げよりも先行に適したものだ。

 

『今、バニシングゲイザーが──────』

 

 結局のところ、このレースで勝敗を分けたものとは。

 末脚の温存を見据える走りであってもなお、このレースで逃げという脚質を選択できてしまったほどに。

 

 

 バニシングゲイザーというウマ娘が、ただ強かったのだ。

 

 

『──────ゴールイン! 1着は、バニシングゲイザーだああああっ!!』

 

 

 中山レース場を揺るがす、爆発的な歓声。

 そこにあるのは勝者と敗者の明暗がくっきりと別れる、戦いの世界。

 その世界で力の限りを尽くして走るウマ娘たちは、人々の心を魅了する星々となる。

 

 

 未来を導く一番星を決めるレース、ホープフルステークス。

 クラシックロードの始まりを誰よりも眩しく照らし出す、中距離ジュニア王者。

 その新たな輝きが、今ここに生まれた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 もうすぐ迎える新年に向け、年越しの準備が粛々と進んでいる中央トレセン学園。

 そのトレーナー寮の一室で、ダイニングテーブルいっぱいに新聞が広げられていた。

 どの紙面でも、昨日のホープフルステークスが大きく取り上げられている。

 数々の見出しが躍る中で特に目を引くのは、大手スポーツ紙の一面を飾った「次世代マシン、バニシングゲイザー」の文字だった。

 

 逃げでも圧倒的な強さを見せたことで一般にも広く知れ渡った、バニシングゲイザーの多彩な脚質。

 それを最新鋭の自動車に搭載されたエンジンになぞらえ、レース実況で飛び出した「次世代のウマ娘」という言葉と結びつけて生まれたのが、この「次世代マシン」という呼び名である。

 ジュニア級の戦いは、早熟なウマ娘が勝ちやすいことは否めない。

 それでも、彼女ならばクラシック級でも間違いなく主役の座に立つだろう───と、その記事は結ばれていた。

 

 とはいえトゥインクル・シリーズでは、クラシック級に進んでから急激に実力を伸ばし、それまでの勢力図を一変させるウマ娘も珍しくない。

 特にクラシックの祭典である日本ダービーの制覇を掲げるウマ娘は、バニシングゲイザー以外にも数多く存在する。

 デビュー当初からクラシック戦線を本番と見据えて力を蓄えてきた者たちが、牙を剥くその時を虎視眈々と待っているのだ。

 

 

「やっぱり、バニシングゲイザーさんは強い。彼女に勝つためにはきっと、私も───」

 

 

 新聞の広げられたダイニングテーブルの席についている、一人のウマ娘。

 その瞳は正面にあるテレビへと向けられ、録画されたホープフルステークスの映像を何度も繰り返し追っている。

 

 

 11月のメイクデビューで勝利し、ホープフルステークスと同日に行われた昨日のレースで早くも2勝目を挙げたウマ娘───サトノダイヤモンド。

 彼女もまたクラシックの頂点を、そして目の前に映し出されるライバルの存在を、静かに見据えていた。




>大ぶりな金色のボタン
 ミニ四駆としてのバニシングゲイザーに搭載されている、フロント部分の衛星通信システム。
 これによりコースコンディションやレース状況を正確に把握し、走りを最適化することが可能。
 本当に通信してしまうとトゥインクル・シリーズのルール的にアウトと思われるので、今作では「直感を研ぎ澄ます」という設定に。

>黒いアンクレット
 四つのタイヤで独立して作動するアクティブサスペンション。
 先輩機のバックブレーダーから受け継いだその機能に独自のエアブレーキを合わせ、コーナリングをさらに進化させた。
 市販されたミニ四駆では実際に可動こそしないが、その形状は本体のデザインにしっかりと残されている。
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