ウマ四駆 ─DIAMOND GAZER─   作:ヘリの準備

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 寮の門限はアニメとアプリで大きく異なるため、本作ではアプリ版の設定を採用しています。


第14話 飛べない翼

 皐月賞から十日後。

 初夏の香りを徐々に感じられるようになってきた、4月下旬のトレセン学園。

 黄金に輝く夕空の下のグラウンドで、自らが担当するウマ娘たちの走りを見守る人物がいた。

 サトノダイヤモンドの担当トレーナーである。

 

(ダービーまであと一ヶ月、私もできる限りのことをする。あの子にもう、あんな思いをさせないために)

 

 今なお鮮明に脳裏へ焼き付いている、皐月賞の最終直線での競り合い。

 サトノダイヤモンドが並びかけた瞬間にバニシングゲイザーが見せた、驚異的なトップスピード。

 長きに渡る特訓の末に編み出されたに違いないあの走りを、トレーナーとして予見することができなかった。

 

 バニシングゲイザーの前走から皐月賞まで長い間隔が空いていたことも、チームリギルが切り札を徹底して秘匿していたことも、結局は言い訳にしかならない。

 全てが終わった後に残されたのは、トレーナーとして担当ウマ娘を勝利へ導けなかった事実と、サトノダイヤモンドの夢をあの舞台で叶えられなかった悔恨だけだった。

 だからこそ次なる大一番、5月下旬の日本ダービーで起こり得る展開は、絶対に見誤ることが許されなかった。

 

(皐月賞でのバニシングゲイザーさんは、明らかに全力だったけど───)

 

 あのレースでバニシングゲイザーが全力を出し尽くしていたことは、共に走ったサトノダイヤモンドも「間違いない」と断言している。

 そしてトレーナーの目には、バニシングゲイザーがあれほどのスピードとパワーを発揮できる距離は2000メートルが限界であるように映っていた。

 一方でサトノダイヤモンドは中距離だけでなく、長距離で真価を発揮するステイヤーとしての資質にも優れたウマ娘だ。

 距離が伸びるほど有利に働くことは間違いないため、2400メートルの日本ダービーではサトノダイヤモンドが優勢だと考えることもできるだろう。

 

 しかしトレーナーは、あの一戦でバニシングゲイザーが底を見せたとは考えていなかった。

 

(楽観的に構えていたら絶対ダメだ。あれほどの隠し球がもうなかったとしても、あの子は必ずダービーにも適応してくる)

 

 皐月賞でバニシングゲイザーが見せた、ホープフルステークスまでとは明らかに異なる、電撃のような荒々しさを帯びた走り。

 あの爆発的な末脚以上にトレーナーが気になったのが、不可解なほどにぎこちなさが感じられたコーナリングだ。

 そしてレース映像を幾度も見返すうちに、一つの考えへと行き着く。

 あれこそが皐月賞という舞台に合わせてバニシングゲイザーが根本から作り上げた、「最適化した走り」だったのではないか、と。

 

 ならば日本ダービーの制覇を最大の目標として掲げる彼女が、その戦いに合わせて自らの走りを最適化してこないはずがない。

 そしてもし、いくら距離が伸びようとも、その条件に適応する走りを彼女が作り上げられるのだとしたら───

 バニシングゲイザーというウマ娘の脅威は、ダービーはおろか3000メートルの菊花賞でさえ衰えることはないだろう。

 

(だとしても、絶対に勝たせてみせる。この世代で誰よりも強いのは、ダイヤなんだから)

 

 皐月賞に敗れようとも、トレーナーの確信は決して揺るがない。

 そして二人の間には、願いを叶えた先にある未来を共に見るという約束がある。

 だからこそトレーナーとして、彼女を勝利へ導くことは絶対の使命だ。

 次のレースを終える瞬間にこそ、悔しさではなく歓喜を分かち合うために。

 

「───みんな、今日はここまで! 三人ともお疲れさま!」

 

 この時間までレーストラックで続けていた、担当ウマ娘たちの併走。

 そのラスト一本が無事に終わったのを見届け、トレーナーが声を張り上げてトレーニングの終了を告げた。

 それを受けてカレンチャンとマヤノトップガン、そしてサトノダイヤモンドの三人が駆け寄ってくる。

 

「ふぅ〜……最後の一本まで、ばっちり走れたね。今日のカレンたち、いっぱい頑張ったよね? お姉ちゃん♪」

 

「マヤは大満足だよーっ! お休み明けのダイヤちゃんもすっごくいい走りだったし、マヤも負けてられないなっ☆」

 

 さすがに疲れを滲ませながらも、明るく弾んだ表情を見せるカレンチャンとマヤノトップガン。

 戦いの舞台を今年からドリームトロフィーリーグに移した二人は、次のレースまではしばらく時間が空く。

 それでも彼女たちは、いつ本番を迎えても問題ないほど体調もやる気も充実している。

 ウマ娘を導く立場の者として情けない話かもしれないが、彼女たちの姿にトレーナーはこれまで幾度となく励まされてきた。

 

 

「……トレーナーさん、私…………」

 

 

 ───そんな二人の後ろ。

 サトノダイヤモンドが流れ落ちる汗を拭おうともせず、僅かに俯いて立っていた。

 

「ダイヤ、どうしたの?」

 

「…………いえ、何でもありません。本日もご指導、ありがとうございました」

 

 すぐ問い返したトレーナーに、サトノダイヤモンドが顔を上げてそう答える。

 

 彼女の体調に異変があるわけではない。

 もしその兆候が現れたならトレーナーは見逃さないし、即刻トレーニングを中止させている。

 だからサトノダイヤモンドの様子の原因は、身体ではなく心にある。

 そして今の彼女が抱えている思いが、トレーナーにはすぐに分かった。

 

(やっぱり、物足りないよね)

 

 ───サトノダイヤモンドの瞳に宿っているのは、意気消沈とはまるで逆の、炎のような輝き。

 表情には現れずとも、トレーニング後とは思えないほどに溢れ出る闘志が何よりも物語っている。

 彼女が口にしかけていたのが、「もう少しトレーニングを続けたい」という言葉だったことを。

 

 皐月賞を終えてから昨日まで、トレーニングの休止を余儀なくされていたサトノダイヤモンド。

 敗戦の悔しさを抱えたまま走れないこの期間は、彼女にとって辛いものだったに違いない。

 そして今日、久々に通常通りのトレーニングメニューを行ったことで、ウマ娘として持つ「もっと走りたい」という本能が色濃く現れたのだ。

 本来、モチベーションがあるのは歓迎するべきことなのだが……

 

(応えてあげたいのは山々だけど……今日はもう、無理をさせることは絶対できない)

 

 主に過度なトレーニングによって引き起こされる、オーバートレーニング症候群というものがある。

 これは本人のモチベーションが高いときほど注意が必要で、もし発症してしまうと最悪の場合、数か月に渡って心身の不調に苛まれることになる。

 特に競争ウマ娘として大きく成長を遂げる今は、トレーニングの負荷を慎重に見極めなければならない時期だ。

 そして練習を通常のメニューに戻したとはいえ、激戦の疲れもまだ完全には癒えていない。

 サトノダイヤモンド自身もそれをよく理解しているからこそ、自らの闘争心にストップをかけたのだろう。

 

「すみません、驚かせてしまいました。私は本当に大丈夫ですから、どうかお気になさらないでくださいね」

 

 カレンチャンとマヤノトップガンも心配そうに眼差しを向ける中、皆を安心させたいのだと分かる言葉をサトノダイヤモンドが伝えてくる。

 実際、彼女が勝手に自主トレに繰り出してしまう……といった方面での不安要素はない。

 サトノダイヤモンドは見かけによらず型破りな大胆さを持ってはいるが、それは約束を無断で破るような気質ではないからだ。

 そしてトレーナーにも、サトノダイヤモンドと確かな信頼を築けているという自負がある。

 

 

「───ダイヤ。今夜なんだけど、時間を貰ってもいいかな」

 

 

 だからこそ、トレーナーは行動することにした。

 サトノダイヤモンドの中で燻るフラストレーションを、少しでも和らげるために。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

(……やっぱり、心配させちゃったな)

 

 胸の内で膨れ上がった焦燥にも似た闘争心を、やはり誤魔化せなかったサトノダイヤモンド。

 皐月賞まではあれほど冷静でいられたというのに、今は次のトレーニングが、そして日本ダービーが待ち遠しくてたまらない。

 

 そんな中で彼女はトレーナーから、気分転換に少し二人で出かけないかと誘われる。

 皆を心配させてしまったことに申し訳なさを覚えながらも提案を受け入れ、ひと足先に身支度と夕食を済ませた。

 そして外出許可を取ってきたトレーナーの車に乗り、サトノダイヤモンドが連れてこられたのは───

 府中市内にある、とある大きな公園だった。

 

 日中は多くの人で賑わっていたであろうこの公園も、午後八時を目前にした今は、他に人の気配がない。

 夜になっても肌寒さをあまり感じなくなってきた時期ではあるが、疲れを残さないよう早めに戻るとトレーナーからは言われている。

 寮の門限もあるため、そう長く滞在することはできない時間だ。

 公園内にある終日営業の駐車場から続く街路灯の光に沿って、緑豊かな散歩道を進んでいくと───

 

 

「わぁ……綺麗、ですね」

 

 

 辿り着いた広場で二人を迎えたのは、円形の大きな水盤と、その中に作られた噴水だった。

 輪を描く配置で八本の水柱が立ち上り、照明の光に照らされた水流は淡く煌めいている。

 そしてその中心には銀色の巨大なモニュメントが一本、夜空へ向かって伸びていた。

 先端が二又に分かれた姿はまるで、夜の静寂の中で開いた若葉のよう。

 

「そうだね。特別なイベントがある日は噴水や散歩道がもっと派手にライトアップされて、人がいっぱい集まるんだ。けど、こうして静かに過ごせるのも私は好きだな」

 

 トレーナーの言葉に、サトノダイヤモンドも頷いて同意する。

 過去に彼女は国内外の壮大なウォーターショーを幾度となく目にしており、その度に深い感動を覚えてきた。

 けれど穏やかな光に包まれた憩いの場で、静かな水音を奏でるこの噴水にもまた、心を動かす確かな美しさがある。

 

 少しぼんやりと噴水に見入っているサトノダイヤモンドの隣で、トレーナーが鞄を開ける。

 中から取り出したのは小型の双眼鏡と、A4のコピー用紙に印刷された星図だった。

 星図には府中市内にある博物館の名前と、「四月の星空」というタイトルが記されている。

 それを見れば今日が新月であることと、この時期の府中で観測できる三等星までの星座が分かった。

 

「これは、天体観測を?」

 

「うん。本格的なものとはいかないけれど、今夜は星が綺麗みたいだから。去年の夏、自由研究でアドマイヤベガさんと星の観測をしたって話してくれたじゃない? 実は私も、彼女から色々と教えて貰ってたんだ。山奥まで行かなくても、この辺りには夜空を楽しめる場所があるって」

 

「アヤベさんに……なるほど、そういうことだったんですね」

 

 天体観測を趣味とし、トレセン学園でも屈指といえる星の知識を持つウマ娘───『煌めく一等星』アドマイヤベガ。

 栗東寮ではカレンチャンのルームメイトであり、その縁もあって、彼女とトレーナーがたびたび言葉を交わしていることはサトノダイヤモンドも知っていた。

 そしてアドマイヤベガが教えてくれた、初心者でも手軽に星を楽しめる場所の一つがこの公園なのだという。

 

「今日は空がとっても澄んでるし、新月だからね。星空指数もばっちりだったから、こんな日にはここからでも星がよく見えるよ。……って、全部アドマイヤベガさんからの受け売りなんだけどね」

 

 そう自嘲めいた調子で言いながら、トレーナーがサトノダイヤモンドにも双眼鏡と星図を手渡してくる。

 緑豊かな公園の中、空が大きく開けているこの広場から見上げた夜空には、肉眼でも分かるほど数多くの星が輝いていた。

 

「この季節は、まず東から南の空を見るのがお勧めなんだって。目印になる一等星から辿れば、色んな星や星座を見つけられるから」

 

 トレーナーが指し示した方角へ双眼鏡を向けると、白く澄んだ光を放つおとめ座の一等星、スピカを南東の空に見つけることができた。

 その輝きを起点にして続いていくのは、春の大三角と大曲線だ。

 スピカと共に大三角を形成するのは、しし座のデネボラと、うしかい座のアークトゥルス。

 そしてアークトゥルスから緩やかな曲線を描くように北へと向かうと、ひしゃくの形に並んだ北斗七星がある。

 あらゆる生命を正しい道に導くと古くより信じられてきた七つの星が、迷える者を見守るかのように瞬いていた。

 

 地上の明かりに霞むことなく、美しく煌めく星々。

 中央のレースに「トゥインクル・シリーズ」という名称が選ばれ、トレセン学園にある多くのチームが星にちなんだ名を持つのは、きっと人々がその輝きに憧れと夢を抱いたからなのだろう。

 

 そんな夜空を見上げるうちに、燻ぶり続けていた焦燥感がいつの間にか静まっていたことに気付いたサトノダイヤモンド。

 そして、胸の中に残った感情は───

 

「…………ごめんなさい、トレーナーさん」

 

 双眼鏡を下ろし、少しトーンを落として口にした言葉。

 それを聞いたトレーナーも、夜空からサトノダイヤモンドへと視線を移した。

 

「せっかく息抜きに連れてきてくださったのに、どうしても皐月賞で負けた時のことを思い出してしまって」

 

「……うん、やっぱり考えちゃうよね。実は私も今、あのレースのことを考えてたんだ」

 

 そう言って、苦笑いを向けてきたトレーナー。

 この人も同じだったんだ、と少しだけ気が楽になったサトノダイヤモンドは、胸の内にある思いを形にすることにした。

 

「あのレースで、私はバニシングゲイザーさんに追い付けませんでした。彼女は空の高くまで飛ぶように駆けていったのに、私にはそれができなくて……。絶対に勝ちたい気持ちは変わらないのに、私もあの高さに届くのだろうかと、心が揺らいでしまっているんです」

 

 気持ちを落ち着かせたことで言葉にできた、サトノダイヤモンドの不安。

 その感情をゆっくりと表に出していく彼女の姿を、トレーナーは静かに見守っている。

 強い心を持つ愛バが打ち明けた弱さを、受け止めようとするように。

 

「トレーナーさん。私は、バニシングゲイザーさんを超えられるでしょうか」

 

「勝てるよ。ダイヤなら、必ず」

 

 ライバルを超えられるかを問うたサトノダイヤモンド。

 そんな彼女に向けて、トレーナーは「勝てる」と答えた。

 

「ダイヤ。初めて会った日に伝えた、私があなたの走りに惹かれた理由を覚えてる?」

 

「……はい。まるで翼があるようで、それでいて───地に足のついた、私だけの走りを見たからだと」

 

「うん、私にはそう見えた。そして、その考えは今も変わってないよ」

 

 そう語るトレーナーの確信に満ちた表情も、初めて出会ったあの日から変わってはいない。

 だからこそ今の彼女が何を伝えようとしているのかが、サトノダイヤモンドにも分かった。

 

「翼があるからって、必ず『天翔けるウマ娘』や『正義のヒーロー』にならなきゃいけない訳じゃない。そしてバニシングゲイザーさんみたいに、空高くまで飛んでいく必要だってないんだよ。ダイヤの走りと未来は他の誰でもない、ダイヤ自身のものなんだから」

 

 かつてキタサンブラックが作る世界に目を奪われて、自分自身の走りに気付けなかった時も。

 そしてバニシングゲイザーに敗れ、彼女のように飛び立てなかったことで不安になっている今も、根本にあるものは同じ。

 相手を見つめることに懸命になるあまり、自分の姿が見えなくなってしまうことがあるサトノダイヤモンド。

 それは普段はあまり表立つ機会がない、悪い癖なのかもしれない。

 

(そうだ。この人が見つけてくれた、私だけの走りは───バニシングゲイザーさんとは、違う)

 

 そして今、迷子になりかけていたサトノダイヤモンドを、トレーナーは再び連れ戻そうとしている。

 あの日と同じように、未来を示す道しるべとなって。

 

「───ほら、見て」

 

 そう言ってトレーナーが指さした先にあるのは、淡い光に照らされた噴水の中央で高く伸びる、新芽のようなモニュメント。

 サトノダイヤモンドもそちらへ目を向けると、二又に分かれた頂点からいつの間にか水が流れ落ち始めていた。

 時間が経過すると演出が変化していく噴水で、水流がその姿を大きく変えたのだ。

 

 銀色のモニュメントから左右に流れ落ちる二筋の水と、ふわりと広がる細かな水しぶき。

 光を反射する無数の水滴は、その一粒一粒が小さな宝石のような輝きを散らしていく。

 そして、その輝きが描き出した光のアーチは───

 

 

「きっとまた、遠くを見て不安になることもあると思う。だけど、どうか忘れないで。私たちのすぐそばにある光だって、こんなにも綺麗なんだってことを」

 

 

 ───まるで星空の下で大きく広がる、翼のようだった。

 

 

「───はい。トレーナーさん」

 

 その言葉と共にサトノダイヤモンドは、皐月賞の最後に抱いた「自分も高く飛べたら」という思いと決別する。

 あの走りは、あくまでバニシングゲイザーのものだと分かったから。

 

 だから次は、自分だけの走りで彼女に勝つ。

 そしてその先に待つ夢を、必ずこの手で掴んでみせる。

 

 

「私はもう、迷いません。私自身の走りで───ダービーで、輝いてみせます!」

 

 

 見上げた先に広がる光の翼が、夜空へ羽ばたくことはないけれど。

 決して飛べない翼だって、こんなにも美しく輝いているのだから。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 トゥインクル・シリーズの最も熱い日は、5月の終わりに訪れる。

 レースに携わる者ならば、誰もが焦がれる最高の戦い。

 どれほど優れたウマ娘であろうとも、生涯にただ一度しか挑むことが許されない栄光の舞台。

 

 

 決戦の地は東京レース場。

 ───日本ダービーが、来る。

 




 作中の噴水は、府中市に実在するものを参考にさせていただきました。
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