「───私のトゥインクル・シリーズでの夢は、これからも続きます。そして、新たな勝利の喜びを皆様と共にできる瞬間へと向かって、私は走り続けていきます。最後に、ご臨席を賜りました皆様のご健勝とご多幸を、そしてサトノグループおよびグループパートナー様のさらなる飛躍を心より祈念いたしまして、私からの挨拶とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました!」
東京都内にある、サトノグループが所有しているホテル。
その広々としたバンケットルームでは今、華やかに祝宴が催されている。
会場の中でも特に目を引くのは、壇上を彩る赤色の舞台幕と、「日本ダービー制覇記念祝勝会」と大きく記された吊看板。
その壇上でスピーチを終え、集まった人々へ深々と頭を下げているのは、カナリーイエローのロングドレスに身を包んだ主賓───サトノダイヤモンドである。
一瞬の静寂を置いてから、彼女に向けて会場いっぱいから盛大な拍手が送られる。
この場に集っているのは、その多くがサトノグループの関係者たちである。
そしてサトノダイヤモンドに代わってグループの会長が登壇し、祝いの言葉と共に乾杯の音頭を取った。
唱和する声を合図にして場内が和やかな雰囲気へと移り変わり、楽しげな歓談や笑い声で満たされていく。
長年に渡って待ち望まれてきた、サトノの悲願。
それがついに果たされたという喜びが、宴席の隅々にまで広がっていた。
◇ ◇ ◇
歓談がひと段落したところで、一旦席を外したサトノダイヤモンド。
ラウンジのソファに腰を下ろしてようやく肩の力を抜き、ひと息をつく。
主賓である彼女が少し離れるにあたって、その間の繋ぎ役を快く引き受けてくれたのは、カレンチャンとマヤノトップガンだった。
この祝勝会はサトノグループの関係者を中心とした内輪の席ではあるが、今回は彼女たち二人に加えて担当トレーナーも招かれている。
そのトレーナーの方はといえば、先ほどグループの上席陣から「少しこちらへ」と声を掛けられて別の部屋に移動している。
その際、何か失礼があったのではないかと動揺していたトレーナーの様子を思い出して、サトノダイヤモンドは小さく笑みをこぼす。
今どのような話がされているのかは分からないが、きっと悪い内容ではないはずだ。
「ダイヤ。ちょっとお隣いいかしら?」
そんなサトノダイヤモンドへ、不意に明るい声が掛けられる。
そちらへ顔を向けると、細身のフルートグラスを両手に持ってぱちりとウインクする、サトノクラウンの姿があった。
グラスの中で小さな泡を絶え間なく立ち昇らせているのは、ノンアルコールのスパークリングワインだろう。
「うん。大丈夫だよ、クラちゃん」
「よかった! それじゃ、お邪魔するわね」
片方のグラスをサトノダイヤモンドに手渡したサトノクラウン。
彼女は空いた手でスカートを軽く整えながら、隣へと腰を下ろす。
ドレスに身を包んだサトノダイヤモンドと、いつもの制服姿のサトノクラウン。
こうして並んでみると、二人の姿は対照的なものに映るかもしれない。
サトノダイヤモンドのドレスは、著名なファッションデザイナーとして活躍するサトノクラウンの長姉が仕立てたもの。
そしてこのドレスと同じ時期に、サトノクラウンのための一着も別に作られている。
シックな緋色を基調として大人びた気品を感じさせる、彼女によく似合うであろうドレスだ。
いつの日か、サトノクラウンがG1に勝利した祝宴でその姿を見たい───と、サトノダイヤモンドは願っていた。
「もう何度目か分からないけれど、改めておめでとう、ダイヤ。『夢』をテーマにしたスピーチも、壇上のあなたも堂々としていて素晴らしかったわ」
「ありがとう。あまり肩肘を張らないで、思ったことを素直に話すように……ってトレーナーさんに言われてたんだけど、ちゃんとできてたかな」
「なるほど。ダイヤの思いが私たちにも真っ直ぐ伝わってきたし、上手く実践できていたのでしょうね」
その後に付け足された「まあ、締めの挨拶だけはちょっと硬かったかもしれないけどね?」という彼女の軽口に、少し参ったような笑みを返すサトノダイヤモンド。
そして二人は、グラスを目の高さまで持ち上げてから口元へと運ぶ。
喉を潤したドリンクは、ノンアルコールながらもワインと同じ伝統的な製法で醸造されたことを感じさせる、芳醇かつ自然な味わいがした。
「───私ね、勇気を貰ったの。ダービーで悲願を叶えて、そして今は新しい夢に向かおうとしているダイヤに。これはもう私も負けていられないぞって、改めて思って。だから、決めたことがあるの」
「決めたこと?」
一口目としてはやや多めにグラスの中身を減らしたサトノクラウンが、ゆっくりと手を下ろしながら語り始める。
その口調こそ穏やかなものだったけれど、彼女の横顔に宿った並々ならぬ熱意を、サトノダイヤモンドは見逃さなかった。
「ええ。今年中にもう一度、私は香港で戦うわ」
「香港で……」
そこが彼女にとって特別な場所であることを、サトノダイヤモンドはよく知っている。
トレセン学園へ入学する前のサトノクラウンが長く滞在していた、第二の拠点といえる地。
そして彼女はおよそ一か月前、香港の
しかし持てる実力を十分に発揮できないまま、
だから香港は今の彼女にとって、悔しさが色濃く残る場所でもあるはずだ。
さらに詳しく話を聞いてみると、サトノクラウンが再び香港で戦うのは年末のG1レースになる予定だという。
開催地となるのは、彼女が直近で苦い敗戦を喫したばかりの沙田競馬場。
しかもその舞台には、世界各地から名だたる強豪たちが数多く参戦することが確実視されている。
再挑戦をためらってしまってもおかしくないほどに、厳しい条件ばかりが揃っているけれど───
「───だからこそ、だよね。クラちゃんならこの状況を、他の誰よりも力に変えられるもん。だから私も信じてるよ。クラちゃんの挑戦が、きっと成功するって」
「
サトノクラウンがソファから立ち上がり、サトノダイヤモンドへ真っすぐに向き合って力強く宣言する。
背筋をぴんと伸ばした彼女の勇壮な姿と、揺るぎない気高さに満ちたその言葉に、サトノダイヤモンドは思わず息を呑んだ。
───サトノクラウンは、サトノダイヤモンドから「勇気を貰った」と言っていたけれど。
これまでずっと勇気づけられてきたのは、サトノダイヤモンドのほうだって同じだ。
それは、今この瞬間も。
「聞いてくれて本当にありがとう、ダイヤ。……さてさて、私の話はここまで、っと。それじゃ満を持して今日の主役、ダイヤの話を聞かせてもらおうかしら」
熱い闘志をみなぎらせていた様子から一転、ふっと肩の力を抜いたサトノクラウンが、柔らかな笑みを浮かべながら再びソファに腰かけた。
そして、いかにも興味津々といった様子でサトノダイヤモンドに問いかけてくる。
「さっきのスピーチでも言ってたけど、次のG1をもう決めたのね」
「うん。たぶんその前に、レースを一つ挟むことになるけど───私は菊花賞に出るよ」
皐月賞、日本ダービーと続いてきたクラシック三冠における最後の冠、菊花賞。
クラシック級のウマ娘たちが挑むレースとしては最長となる、3000メートルの距離で行われる戦いだ。
それに加えて京都レース場の厳しい坂を二度も越える必要があり、スピード・パワー・メンタルの全てが満遍なく要求される。
古くから語り継がれてきたクラシック三冠の格言は、このレースをこう評している。
───「最も強いウマ娘が勝つ」と。
そんな菊花賞への出走をサトノダイヤモンドが選んだこと自体に、大きな驚きはないだろう。
総合力に優れ、長距離への適性も十分に備えている彼女が、菊花の冠を獲りにいくのは自然な選択といえる。
けれど、サトノダイヤモンドがずっと目指し続けてきたもう一つの夢───キタサンブラックとの対決を知る者であれば、その受け止め方は少しばかり変わってくる。
かつてのトゥインクル・シリーズにおいて今よりも王道的なものだった、ダービーウマ娘が次に向かうG1レースは菊花賞という路線。
しかし特に近年は長距離に対する適性の有無や、ウマ娘本人の希望といった理由から、別の道が選択されることも多い。
その代表的な選択肢として挙げられるレースは、秋の天皇賞や凱旋門賞。
そして9月の秋天には、ここまで春天を二連覇しており、春秋の天皇賞制覇を狙うキタサンブラックの出走が既に有力視されているのだ。
だからもう一つの夢を果たせる最短ルートが秋天への出走であることを、サトノダイヤモンド自身も考えなかったわけではない。
秋天ではなく菊花賞を選べば、キタサンブラックと戦えるのはおそらく年末まで待つことになるだろう、と。
「そうね、私もそれがいいと思うわ。やっぱりクラシック三冠は特別だし、ダイヤなら菊花賞でも勝てる。キタサンは有馬記念に間違いなく出てくるんだから、焦る必要なんてないもの」
とはいえ秋天ルートは「その選択肢もあった」という範疇に収まる話であり、サトノクラウンと同じように反応する者は多いだろう。
サトノダイヤモンドは近道を選ばなかっただけであって、遠回りをするのではない。
他の三冠レースと同じく、菊花賞はクラシック級のウマ娘にしか挑戦の機会が与えられない、一生に一度の特別な舞台なのだから。
「それに───菊花賞でもう一度、バニシングゲイザーさんと戦いたいんでしょう?」
そして、今のサトノダイヤモンドには菊花賞へ向かうべき明確な理由があることを、サトノクラウンはとっくに見抜いていたらしい。
確信を帯びたその問いかけに、サトノダイヤモンドは迷うことなく大きく頷いてみせた。
ここまでサトノダイヤモンドと激闘を繰り広げ、クラシックの二冠を分け合ってきたライバル、バニシングゲイザー。
彼女の陣営はダービーを終えてから間もないタイミングで、「次のG1は菊花賞」とメディアを通して明言している。
ダービーから菊花賞までの期間は5か月ほどあり、様々な選択肢を選べる時間があるのは彼女もまた同じだったはずだ。
それでも菊花賞へ向かうことを早くに公表した理由は、きっとサトノダイヤモンドへと向けたメッセージでもあるのだろう。
───菊花賞で、また戦おうと。
夢の舞台で勝利を掴んだサトノダイヤモンドは今、ようやく一歩を踏み入れたばかりの新しい世界に立っている。
その中で芽生えた思いを確かめるように、ゆっくりと言葉に変えていく。
「……ダービーに勝って、たくさんの人たちが喜んでくれた。『君こそが世代の頂点だ』って褒めてくれた人もいる。そう言ってもらえたのは本当に、とても嬉しかったけれど…………私は、これで自分が頂点に立てたとは思っていないんだ」
トゥインクル・シリーズを戦う者であれば誰もが目指す、世代の頂点という輝かしい称号。
決して軽々しく名乗れるものではないが、ダービーを制したウマ娘であれば、その称号を掲げることに誰も異を唱えはしないだろう。
だから今のサトノダイヤモンドが抱いている思いは、弱気なものとさえいえるのかもしれない。
それでもサトノクラウンが口を挟むことはなく、ただ穏やかな表情のまま、その言葉に耳を傾け続けている。
「もちろん、ダービーで私が勝った結果を誰にも譲るつもりはない。でも、自分の気持ちに嘘をつくこともしたくないんだ。皐月賞とダービーで、『最も速いウマ娘』がバニシングゲイザーさんだった事実から、私はもう目を逸らさない。そして───」
サトノクラウンには間違いなく分かっていたのだろう。
目の前にいるのが、決して弱気なウマ娘などではないことを。
そう確信させるのに十分なものが、今ここにある。
「───私、菊花賞でバニシングゲイザーさんと決着をつけたい。マックイーンさんやマヤノさん、キタちゃんが勝ったこのレースで。そしてもう一度あの子に勝って、私こそが『最も強いウマ娘』なんだって、心から言えるようになるんだ──────!」
次なる目標を語るその声と、真っすぐに未来を見据える瞳の中にある輝き。
サトノダイヤモンドはひとつの大きな願いを果たしたからといって、そこで立ち止まってしまうようなウマ娘ではないのだ。
彼女が放つ金剛石のような輝きは失われることなく、むしろ以前にも増して眩い煌めきを放っている。
東京レース場のターフの上、新しい世界へと踏み出したサトノダイヤモンドがそこで見据えた、自分がなりたかったもの。
それこそが、菊花賞をも制する「最も強いウマ娘」だったのだ。
微笑みながらサトノダイヤモンドを見つめるサトノクラウンが、その思いを言葉にすることはなかったけれど。
優しく、そしてどこか誇らしげなその眼差しの奥には、きっとこんな思いが宿っていたのだろう。
あなたはもう、誰よりも強くなれたんだよ、と。
───今よりも少し先と、そしてもっと先になる未来のお話。
逆境と挑戦の果て、サトノクラウンは香港と国内でG1レースを制し、彼女もついにG1ウマ娘として王冠を戴くことになる。
そしてこの栄光をサトノ家にもたらすのは、サトノダイヤモンドとサトノクラウンだけではない。
後の世代で彼女たちに続くように、サトノのウマ娘が燦然とG1の頂点で輝くのだ。
やがて完全に過去のものとして歴史に捨て置かれる、「サトノ家のウマ娘はG1で勝てない」というジンクス。
そのジンクスなき世界の幕が開けた今、サトノダイヤモンドが胸の中に抱くのはもうひとつの夢と、新たな宿命。
サトノダイヤモンドは、来るべき菊花賞を───バニシングゲイザーとの決着を、血が滾るような思いで待ち望んでいた。
☆ ☆ ☆
(……つ、強い! 本当にこれが四度も骨折して、長く休養していたウマ娘の走りなのか…………!)
トレセン学園の屋外、夕暮れ時の落ち着いた光が差し込んでいる練習場。
そこで今日のトレーニングメニューを締めくくる、
ダービー後の休養を終え、本格的なトレーニングを再開してから少し経ったこの日。
この瞬間まで行われていたのは、東条が別のチームと約束を取り付けていた合同練習だ。
そして疲労しているはずの身体でありながら、なお軽やかなステップでこちらへとやって来る、模擬レースの相手とは───
「───ふぅ、さすがに疲れた~っ! 本気で白熱しちゃったから、ボクもすっごくいい感じの調整ができたよ! キミのおかげだねっ♪」
今やトゥインクル・シリーズを語るうえでは外すことができないトップチームのひとつ、チームスピカの一員。
誰もが記憶に焼き付けた有馬記念での「奇跡の復活」、その後に四度目の骨折に見舞われ、長く休養していたウマ娘。
そして現在は中央トレセン学園の生徒会長として、ウマ娘たちを導く『帝王』───トウカイテイオーだった。
ドレスのデザインは、『ウマ箱3』の第1・第2コーナーを参考にさせていただきました。