ウイニングライブは、完璧といえる形で終わらない場合も多い。
レースを終えたその日のうちに行われる以上、ウマ娘たちが心身ともに万全であるとは言い難いからだ。
まだ多くの疲労が溜まっている脚で、勝利の興奮や敗北の落胆を抱いたまま、彼女たちは笑顔でステージの上に立つ。
ライブを見守る観客たちも、そのことをよく分かっている。
そしてレースの余韻をそのまま残した不完全さから生まれる、特別な瞬間があるのも確かだ。
たった一度の感動を見届けられるからこそ、ウイニングライブは大切な催しとして確固たるものになったのだろう。
けれどそれを承知したうえで、別の願いが生まれるのもまた自然である。
もしも彼女たちが万全の状態で、時間をかけて準備してきたものを余すことなく出し切った、完璧なライブをすることができたなら。
あのレースで心を震わせたウマ娘たちは、どんな輝きを見せてくれたのだろうと。
ウイニングライブは、あくまでレースと共にある一期一会の舞台。
だからレースの結果と同様、「もしも」の願いは決して叶わない。
それは凄まじい消耗戦の余波でウマ娘たちが例外なく疲れ切っていた、今年の菊花賞のウイニングライブもまた同じだ。
───それでも。
クラシックの三冠を分け合った二人が、何の憂いもない万全の状態で同じステージに立つ姿を見たいという、違った形の願いであれば。
今日、それが叶う。
冬の気配が少しずつ近づき始めてもなお、クラシックロードで繰り広げられた激戦の熱が冷めきらない、11月の上旬。
都内某所にある大型イベントホールで開催されるのは、チームリギルとサトノグループが合同で主催する、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドが主役の特別なライブイベント。
その幕が、もう間もなく開かれようとしていた。
☆ ☆ ☆
(やっぱり、すごい熱気だ。ファンの人たちがどれほど今日を楽しみにしてくれていたのか、ここまで伝わってくる)
舞台袖にまで届く客席のざわめきと、開演が近づくにつれて高まり続けていくファンの期待。
これに応えるには過去最高のパフォーマンスが必要であることを、バニシングゲイザーは確かに感じ取っていた。
今回のライブは長い期間をかけて告知されたものではなく、むしろファンにとっては急な開催だったといえる。
またセットリストも、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドが過去に披露した楽曲に限られることが周知されており、曲数は多くない。
それに加えて、このライブの模様は後日ネットで全編配信されることも発表されている。
これだけの条件が重なったのだから、現地へ足を運ばない選択をしたファンも、少なくはないはずだ。
それでもなお、チケットの抽選倍率はとんでもなく高かったという。
ファンの熱量はやはり凄まじく、それをバニシングゲイザーはこれまでのウイニングライブや感謝祭で、幾度も実感してきている。
そしてレース後の疲れがない万全の状態でステージに立つ、今日の自分たちに向けられている期待はさらに大きい。
だからこそ最高のライブにしたいという思いを、バニシングゲイザー自身も強く抱いていた。
今の彼女が着用しているのは「STARTING FUTURE」という名称で知られる、白を基調としたライブ用の衣装。
これをG1レースで勝負服として用いる者もおり、ウマ娘の力を引き出す役割と華やかさを兼ね備えている、特別な一着だ。
汚れひとつないその装いは、ステージの上に立てば鮮やかな輝きを照らし返すことだろう。
そして髪には、力を使い果たした末に帰ってきたオレンジ色のリボンが、再び結ばれている。
レースでの役目を終えた今も、それは彼女と共にここまで駆け続けてきた、かけがえのない証だった。
「───いよいよですね。皆さんのご期待に応えられるよう、私も頑張らないと」
そして、客席から伝わる思いを受け止めている者が、バニシングゲイザーの隣にもう一人。
共通のステージ衣装を纏い、背筋をすっと伸ばして呼吸を整えているウマ娘───サトノダイヤモンドである。
ステージの光を見つめる彼女の表情に、硬さはほとんど見受けられない。
その瞳に宿っているのは、これから始まるステージを心から楽しみにしているのであろう、明るい輝きだった。
「はい。でも、こちらにとっては責任重大です。ファンの人たちに加えて、あなたや
バニシングゲイザーが冗談めかしてそう言うと、サトノダイヤモンドはそちらへと視線を向け、少し不思議そうに瞬きをする。
そして上品に、けれど愉快そうな笑みを浮かべた。
「ふふ、そうですね。ご明察の通り、私を満足させるのは簡単ではありませんよ? 今日だって、最初から全力で行くつもりですから」
「それは私も望むところです。半端な気持ちでステージに立つつもりはありませんし、一曲目がいきなりあの曲ですしね」
クラシック期のレースが終わったのを契機に、バニシングゲイザーはサトノダイヤモンドと言葉を交わす機会がかなり増えていた。
サトノ家のお嬢様という生まれと気品ある外見、そしてレースでの美しくも強靭な走りから、彼女に対してバニシングゲイザーが抱いていたのは清澄で高貴な印象。
そして実際に話し込んでみれば、キタサンブラックやコパノリッキーから聞いていた通り、なかなかに面白い人でもあった。
こうした応酬を仕掛ければ積極的にノッて返してくれるし、興味の矛先を向けたものにはアクセル全開で突っ込んでいく大胆さもある。
そんな一面が直接見られるほど、サトノダイヤモンドとの距離が縮まったことを、バニシングゲイザーは少し嬉しく思っていた。
開演が目前となり、二人は改めてステージの方へと視線を向ける。
そこにはターフとは違い、勝敗を分かつゴールラインは存在しない。
それでもライトに照らされている眩しい場所は、間違いなく勝負の舞台である。
観客席で、この瞬間を待ってくれている人々がいる。
今は表から見えない場所に、力を尽くしてくれるたくさんの者たちがいる。
すぐ近くには、自分の全力に応えてくれると信じられる相手がいる。
だからこそ最高のパフォーマンスで、最高の輝きを届けたい。
そして、それを成し遂げることができたなら───ここにいるすべての者が、勝者だ。
「それでは行きましょうか。最後まで隣にいてくださいね、
「もちろん、引き離されずに着いていきますよ。
最後にもう一度だけ言葉を交わして、肩を並べた二人がステージの中央へ駆け出していく。
それと同時に、ステージいっぱいに溢れる光が一気にまばゆさを増した。
ラインアレイスピーカーから轟くのは、心の奥底に眠る衝動を呼び起こすようなギターのイントロ。
客席からの弾けるような歓声が、この曲を誰もが待ち望んでいたことを物語る。
それはクラシック三冠を戦ったウマ娘たちと、その激戦を見届けた者たちにとって、特別な意味を持つ一曲。
ウイニングライブでこの曲が披露されるのは、皐月賞と日本ダービー、そして菊花賞の三つのみ。
白熱のレースの記憶とともに、あの旋律が今、もう一度このステージに鳴り響く。
巨大モニターに映し出された、堂々たるその曲の名は───
☆ ◇ ☆ ◇
ウイニングライブでは、レースで上位に入ったウマ娘が歌とダンスの中核を担うが、特にこの曲のライブではその傾向が強い。
4着以下の者たちが務めるバックダンサーの配置が中心点から離され、不動のセンターに立つ1着のウマ娘が歌割りの大部分を占めるからだ。
観客の意識は必然的にセンターへと集中し、勝者の栄光を強烈に印象付けるライブとなる。
それだけにこの曲は「クラシック三冠に勝利した者だけが歌うのを許される」と称されており、あらゆるウマ娘にとって憧れの楽曲なのだ。
とはいえライブ用の楽曲にはあらかじめ複数の演出が準備されているものであり、それはこの曲も例外ではない。
今回のように特別なイベントでの披露や、ごく稀に起きる同着優勝といった状況に備えて、複数名が主役になる演出のパターンも想定されている。
そして今、ダブルセンターのステージで、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドがこの曲を共に歌う。
バックダンサーは存在せず、ウイニングライブとはかなり異なる形ではあるが、そこに大きな違和感はない。
クラシックの冠を手にした二人が並び立つこのステージには、見る者を惹きつけて離さないだけの十分な説得力があった。
『光の速さで駆け抜ける衝動は』
『何を犠牲にしても叶えたい強さの覚悟』
ギターの重低音と鮮烈なシンセサイザーが織り成す、重厚かつ疾走感のあるイントロが会場を駆け抜けた、その四拍後。
まずはバニシングゲイザーの歌声が先陣を切り、その勢いを引き継ぐようにしてサトノダイヤモンドの歌声が続く。
軽やかなステップで振り付けをこなしながら歌声のバトンを繋ぐ彼女たちの姿は、互いにスピードを高め合っていく二人の走者を思わせる。
『(no fear) 一度きりの』
『(trust you) この瞬間に』
『賭けてみろ 自分を信じて』
オレンジ色のステージライトが降り注ぎ、客席では赤や黄色といった暖色のサイリウムが大きく揺れている。
それらはまるで、クラシックロードにおける激戦の残り火を、この場所で形にしたかのような熱を持っていた。
天高くまで飛び立つ末脚、悲願に届いた金剛石の翼、そして原初的な生命の躍動───
あの瞬間に描かれた軌跡の名残が、光となってこの会場を満たしている。
『時には運だって必要と言うのなら』
『宿命の旋律も引き寄せてみせよう』
クラシック三冠を象徴する言葉が散りばめられているのが、この曲の特徴のひとつだ。
皐月賞を制する「速さ」、ダービーで頂点に辿り着くための「運」、そして菊花賞で求められる「強さ」。
三冠を戦い抜いてきた彼女たちの声が、その三つの言葉に確かな重みを与えていた。
『─────────』
サビへと飛び込む直前、ステージを満たしていた照明がすっと落とされる。
残された微かな光の中に浮かぶのは、次の一音を待つ二人のシルエット。
束の間の暗闇に包まれながら、来たるべき瞬間へと向けて、会場全体のボルテージが高まり続けていく。
そして溜め込んだ熱を一気に解き放つように、再びステージが照らし出される。
火花をイメージさせる光の粒が高々と噴き上がり、いよいよ最初のサビへと突入した。
『走れ今を まだ終われない』
『辿り着きたい場所があるから』
『その先へと進め』
真っ直ぐに鋭く伸びるバニシングゲイザーの歌声と、可憐さの中に力強さを宿すサトノダイヤモンドの歌声が、ぴったりと重なる。
ハードな旋律の中、二人が持つ異なる響きが共鳴し、ひとつの大きな奔流となって会場の隅々まで駆け抜けていく。
戦いの中ですべてをぶつけあった彼女たちが生み出す、鮮やかな調和がそこにあった。
『涙さえも強く胸に抱きしめ』
『そこから始まるストーリー』
親指と小指を伸ばした両手を組み合わせ、他の指は折り畳んで菱形の輪郭を作る。
この曲の振り付けにおける印象的なハンドサインであるが、掲げられたそれが何を表しているのか、明確な答えは存在していない。
ステージの上でウマ娘たちが作り上げてきたのは輝く魂の結晶か、それとも栄冠を彩る宝石か、あるいは新たな物語へと続く道標か───
果たしてどんな意味があるのかは、演じた者と目にした者、それぞれの心で見つけ出せばいいのだろう。
『果てしなく続く』
『winning the soul』
歌声がここで一度途切れ、ステージから客席へと押し寄せるのは重く鋭い間奏。
足裏に響く厚い低音の上を、エレキピアノが紡ぎ出すきらびやかな旋律と、空気を切り裂くようにかき鳴らされるギターが駆け抜ける。
畳み掛けるように迫ってくる曲調を、二人は小刻みなステップで乗りこなし、振り付けがさらに激しさを増した。
上半身を捻りながら腕を大きく振り抜き、最高潮を迎えていたはずの熱気をさらに煽り立てていく。
『──────掴め』
そして間奏を抜けて、二人の力強い歌声が再び会場いっぱいに響き渡る。
彼女たちは開いた右手を真っ直ぐに突き出し、未来で瞬く輝きを掴もうとするように、その拳を強く握り締めた。
『今を変えたいなら』
『描いた夢を未来に掲げ』
『恐れないで挑め』
固く結んだ拳を前へ掲げたまま、二人は魂の限りに歌い上げる。
クラシックの勝者がセンターとなって歌うこの曲は、求めるものを勝ち取るために挑み続ける戦士たちの歌でもある。
その拳と歌声が旗印となり、後に続く者たちに新たな道を指し示す。
『走れ今を まだ終われない』
『辿り着きたい場所があるから』
『その先へと進め』
曲を締めくくるラスサビの到来と同時に、彼女たちが片脚を前方へと振り抜く。
それは迷いを蹴り飛ばし、未来への扉を蹴り開くかのような一撃だった。
それが観客の心にも火をつけ、無数のサイリウムが燃え盛るように激しく揺れる。
『涙さえも強く胸に抱きしめ』
『そこから始まるストーリー』
勇壮な振り付けの中で、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドが真正面から向き合う。
互いの瞳を射抜くように真っ直ぐ見つめながら、彼女たちの口元には笑みが浮かんでいた。
このライブもまた、彼女たちにとってはひとつの戦いである。
その表情は、相手の全力に心から応えようとする、熱い誇りに満ちた戦士の表情だった。
そして二人は再び客席を見据え、ついに最後のフレーズへと踏み込む。
この曲の旋律には、終わりの見えない道を走り続ける者たちの魂が脈打っている。
たとえ敗北に打ちひしがれ、倒れ伏したとしても、物語は続いていく。
それが、彼女たちの───
ここまで駆け抜けてきた思いのすべてを声に乗せて、そのフレーズを歌い上げる。
残響を追うようにシンセサイザーが激しくアウトロを刻み、無数のムービングライトからは幾重にも光条が放たれる。
その中で二人は勢いを緩めることなく、疾走感ある振り付けを踊り抜く。
そして、最後の一音が空間へと溶けていった、その余韻を貫くように。
バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドがマイクスタンドを掴み取り、高々と掲げてみせた。
ほんの一瞬だけ訪れた、時が止まったかのような静寂。
そして次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が会場を満たし、足元から天井までを揺るがすほどの熱狂がステージへと押し寄せる。
それはまばゆい祝福となって、最高のパフォーマンスを届けた二人を包み込んでいった。
鳴りやまない歓声の中、ステージを染める照明がゆっくりと色彩を変え始める。
燃え上がるような輝きが柔らかなものへと移ろい、張り詰めるような熱気を解きほぐしていく。
きっと、この場にいる多くの者が忘れていたことだろう。
これが長いライブの締めくくりではなく、まだ一曲目に過ぎなかったということを。
それほどまでに濃密で、すべてを出し切ったかのような序章だったのだ。
だからここで一度MCを挟んで、呼吸を整えるのだろう───と。
そんな空気が広がりかけた、その時だった。
左右の舞台袖からステージへと駆け込んでくる、いくつもの影。
センターの二人と同じ衣装を纏い、次々と立ち位置へ散っていくのは、バックダンサーのウマ娘。
彼女たちは、今年の三冠レースでバニシングゲイザーやサトノダイヤモンドと競い合ったライバルたちだった。
クラシック期を強く意識したこの舞台を完成させられる者は、同じターフで戦った彼女たちをおいて他に存在しない。
バックダンサーが誰になるのか知らされていなかった観客たちが驚きでざわめき、やがて先ほどにも増して大きな歓声が上がる。
今日のライブは当初、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドの二人だけでやり通すか、あるいは現役ではないウマ娘にバックダンサーを依頼する方向で調整が進んでいた。
特別ライブの趣旨は、今年のクラシック三冠を手にした二人を主役とし、ステージの中央に据えるもの。
そのため他に加わる者がいれば必然的に、二人を引き立てる役割に最後まで徹することになる。
そしてこれは、主役と脇役を分かつ明確な根拠が存在するウイニングライブとは違う。
だからその役割を現役のウマ娘が行うのは、様々な観点から避けるのが無難だったのは事実だ。
けれど、そんな懸念を同期のライバルたちは跳ね除けた。
クラシック三冠での敗北を乗り越え、次の目標へと向かって進み始めた者がいる。
あるいは胸に残る悔しさに、今日を境に折り合いをつけようとする者もいる。
抱えている思いはそれぞれ違っていても、彼女たちは自らの意思でこの舞台へ立つことを決めたのだ。
次の曲のイントロが始まり、一斉に最初のステップを踏むウマ娘たち。
小休止など必要ないとばかりに、バニシングゲイザーとサトノダイヤモンドが躍動する。
そして拍子に合わせた鮮やかな足取りで、加わったウマ娘たちがその熱を一気に引き上げる。
本当のクライマックスがここから始まることを、この場にいる誰もが感じ取っていた。
───音楽は、まだ止まらない。
そして彼女たちの道もまた、どこまでも続いていく。
顔を上げたその先には、新たなスタートと、まだ見ぬ未来が待っている。
これからも彼女たちは、駆け続けていくのだろう。
この世界に二つとして同じもののない、それぞれの抜きん出る強さを胸に抱いて。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。