ポケットモンスター ―頂への軌跡―   作:あああああ

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第10話 旅立ちまで、あと一年

シバとリオルがマサラタウンを離れてから、季節が一つ巡った。

 

レンは九歳になった。

 

十歳の誕生日を迎え、正式にポケモントレーナーとして旅へ出られるようになるまで、あと一年。

 

幼い頃には遠い未来に思えていたその日は、もう手を伸ばせば届きそうなところまで近づいている。

 

けれど、レンの日常そのものが大きく変わったわけではなかった。

 

朝。

 

まだマサラタウンの多くの家が静かな時間に、レンはヒトカゲと庭へ出る。

 

「体調は?」

 

「カゲ!」

 

「脚は?」

 

ヒトカゲがその場で軽く跳ねる。

 

「カゲ!」

 

「昨日走ったところ、痛くない?」

 

「カゲ!」

 

元気いっぱい。

 

尻尾の炎も安定している。

 

レンはヒトカゲの身体を一通り確認すると、準備運動を始めた。

 

ヒトカゲも横で身体を動かす。

 

「今日は予定通り、軽めにするよ」

 

「カゲ」

 

以前なら不満そうな声が返ってきたところだが、今のヒトカゲは素直に頷く。

 

休む意味を理解したからだ。

 

もちろん、だからといって特訓が嫌いになったわけではない。

 

「その代わり、午後はバトル」

 

「カゲ!?」

 

尻尾の炎が大きく揺れた。

 

「分かりやすいなあ」

 

「カゲ!」

 

レンが笑う。

 

今日の午後。

 

オーキド博士の協力で、近所のトレーナーと練習試合をすることになっていた。

 

野生のポケモンとは何度も戦った。

 

リオルとも戦った。

 

だが、正式なトレーナーから指示を受けて戦うポケモンを相手にする機会は、まだ多くない。

 

旅へ出れば状況は変わる。

 

ジム。

 

大会。

 

旅先で出会うトレーナー。

 

野生のポケモンとは異なる戦い方をする相手がいくらでもいる。

 

だからレンは、この一年でできるだけ多くの経験を積みたいと考えていた。

 

「カゲ!」

 

「楽しみ?」

 

「カゲ!」

 

「俺も」

 

レンはそう答えた。

 

そして――。

 

「絶対勝とう」

 

「カゲ!」

 

二人の拳が重なった。

 

         ◇

 

午前中の練習は、言葉通り軽いものだった。

 

ただし、内容は以前より遥かに複雑になっている。

 

庭にはいくつもの的が置かれていた。

 

固定されたもの。

 

左右へ動くもの。

 

高さが違うもの。

 

レンはその中央にヒトカゲを立たせる。

 

「始めるよ」

 

「カゲ!」

 

最初の的が動く。

 

レンは指示しない。

 

ヒトカゲが見る。

 

右へ移動。

 

速度は一定。

 

「カゲ!」

 

『ひのこ』。

 

炎が的そのものではなく、その少し先へ飛ぶ。

 

動いてきた的が炎と重なった。

 

命中。

 

すぐに二つ目。

 

今度は高い位置。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが顔を上げる。

 

炎を吐こうとして――止めた。

 

レンは何も言わない。

 

ヒトカゲが走る。

 

距離を縮める。

 

近づいてから。

 

「カゲェ!」

 

『ひのこ』。

 

命中。

 

レンの口元が上がった。

 

(いい)

 

遠距離から無理に狙わなかった。

 

今の『ひのこ』で命中させやすい距離まで、自分から移動した。

 

三つ目。

 

ヒトカゲの背後。

 

「カゲ!」

 

音で気づく。

 

振り返る。

 

だが、的はすでに動いている。

 

ヒトカゲは『ひのこ』を使わない。

 

追う。

 

速度を上げる。

 

距離が縮まったところで――。

 

「カゲッ!」

 

『ひっかく』。

 

的を捉える。

 

「そこまで!」

 

レンの声でヒトカゲが止まった。

 

「カゲ!」

 

「今の良かったよ」

 

レンが手を上げる。

 

ぱちん!

 

「特に二個目」

 

「カゲ?」

 

「遠くから無理に撃たなかっただろ?」

 

「カゲ!」

 

「それでいい。技を使えるからって、すぐ使う必要はない」

 

覚えている技を、ただ順番に出す。

 

そんな戦い方をレンは求めていない。

 

必要なら使う。

 

必要がなければ使わない。

 

攻撃する。

 

避ける。

 

待つ。

 

距離を変える。

 

相手に攻撃させる。

 

その全てが戦術になる。

 

「今度は俺が指示する」

 

「カゲ」

 

ヒトカゲが元の位置へ戻る。

 

「ただし――」

 

レンは笑った。

 

「わざと変な指示も出す」

 

「カゲ?」

 

「俺が間違うことだってあるから」

 

ヒトカゲが目を丸くする。

 

「俺の指示が絶対に正しいと思ってほしくない」

 

レンは真剣に言った。

 

トレーナーは戦場の外から全体を見られる。

 

だがポケモン本人にしか見えないものもある。

 

死角。

 

距離感。

 

身体の状態。

 

目の前に迫る攻撃。

 

一瞬の違和感。

 

「危ないと思ったら、自分で変えていい」

 

「カゲ……」

 

「でも俺にも、お前から見えないものが見える」

 

レンは自分とヒトカゲを交互に指した。

 

「だからお互いに見る」

 

「カゲ!」

 

「やってみよう」

 

練習再開。

 

最初の的。

 

「『ひのこ』!」

 

「カゲェ!」

 

命中。

 

二つ目。

 

ヒトカゲから遠い。

 

「『ひっかく』!」

 

「カゲ!?」

 

ヒトカゲがレンを見る。

 

届くはずがない。

 

「カゲ!」

 

使わなかった。

 

代わりに走る。

 

距離を詰める。

 

「正解!」

 

レンが叫ぶ。

 

ヒトカゲの顔が嬉しそうに緩んだ。

 

その一瞬。

 

三つ目の的が動く。

 

「カゲ!?」

 

「油断しない!」

 

ヒトカゲが慌てて向き直る。

 

「カゲ!」

 

今度は自分で『ひのこ』。

 

炎が飛ぶ。

 

しかし慌てたせいで外れた。

 

「カゲ……」

 

「今のも勉強」

 

レンは責めない。

 

「一個成功したからって、そこで終わりじゃない」

 

「カゲ」

 

ヒトカゲが真剣に頷いた。

 

失敗。

 

修正。

 

成功。

 

また失敗。

 

それでいい。

 

旅立つ前に失敗できるなら、その方がいい。

 

本当に重要な戦いで同じ失敗をしなければいいのだから。

 

         ◇

 

練習を終えたあと、レンはノートを開いた。

 

ヒトカゲも隣から覗き込む。

 

「今日は……」

 

文字を書きながら口にする。

 

「動く相手への『ひのこ』はかなり安定」

 

「カゲ!」

 

「近距離への移行判断もよかった」

 

「カゲ!」

 

「褒められてるからって毎回胸張らなくていいよ」

 

「カゲ?」

 

「まあいいけど」

 

レンは次を書く。

 

「成功した直後に注意が切れることがある」

 

「カゲ……」

 

胸がしぼんだ。

 

「でも前より減ってる」

 

「カゲ!」

 

また張った。

 

「忙しいな、お前」

 

レンは笑った。

 

最後に『げんしのちから』。

 

以前より発動は明らかに速くなった。

 

岩石を一つずつ動かすだけでなく、複数をある程度まとめて操ることもできる。

 

それでも、レンは使用回数を抑えている。

 

理由は単純。

 

まだ負担が大きいからだ。

 

「『げんしのちから』は今日はなし」

 

「カゲ」

 

「午後バトルだから、体力残しとこう」

 

「カゲ!」

 

納得は早かった。

 

以前なら「使いたい」と駄々をこねていたところだ。

 

レンはノートを閉じた。

 

「成長したな」

 

「カゲ?」

 

「なんでもない」

 

頭を撫でる。

 

ヒトカゲは気持ちよさそうに目を細めた。

 

         ◇

 

昼食を終え、十分に休んだあと。

 

レンとヒトカゲはオーキド研究所近くの広場へ向かった。

 

「レン!」

 

聞き慣れた声。

 

「やっぱり来たか」

 

「当たり前だろ!」

 

サトシが走ってくる。

 

「レンのバトルだぞ! 見ないわけないだろ!」

 

「自分の練習は?」

 

「今日は見て勉強する!」

 

「珍しくまともだ」

 

「なんだよそれ!」

 

「カゲカゲ」

 

「ヒトカゲまで笑うな!」

 

いつものやり取りをしながら広場へ入る。

 

そこではオーキド博士が待っていた。

 

そして、その隣には一人の少年がいる。

 

レンたちより少し年上。

 

十二歳ほどだろうか。

 

その足元には一匹のポケモン。

 

茶色い身体。

 

首元を覆う白い毛。

 

大きな耳。

 

「ブイ!」

 

イーブイ。

 

レンは目を細めた。

 

可愛らしい外見。

 

しかし、立ち方がいい。

 

周囲へ興味を向けながらも、トレーナーから離れすぎない。

 

何度もバトルを経験している。

 

そう感じた。

 

「紹介しよう」

 

オーキド博士が言う。

 

「こちらはユウト。近くの町から来たトレーナーじゃ」

 

「ユウトです」

 

少年が頭を下げる。

 

「よろしく」

 

レンも返す。

 

「レンです」

 

ユウトがヒトカゲを見る。

 

「そのヒトカゲが博士の言ってた子?」

 

「そう」

 

「ブイ」

 

イーブイもヒトカゲを見る。

 

「カゲ」

 

視線がぶつかる。

 

一瞬でヒトカゲの表情が変わった。

 

「カゲ!」

 

「ブイ!」

 

互いにやる気らしい。

 

「ユウトはすでに正式なトレーナーとして旅を始めておる」

 

オーキド博士が説明する。

 

「まだ一年ほどじゃがな」

 

レンは少し驚いた。

 

なら、最低でも一年近い実戦経験がある。

 

「相手として不足はないじゃろう」

 

「むしろありがたいです」

 

レンが答える。

 

自分より経験のある相手。

 

望むところだ。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲも同じらしい。

 

ユウトが笑う。

 

「聞いてた通りだ。バトル好きなんだね」

 

「かなり」

 

「こっちもだよ」

 

「ブイ!」

 

イーブイが一歩前へ出た。

 

         ◇

 

広場の中央。

 

レンとユウトが向かい合う。

 

ヒトカゲ。

 

イーブイ。

 

互いの距離は十分。

 

サトシは少し離れた場所から見ている。

 

「レン!」

 

「何?」

 

「絶対勝てよ!」

 

「言われなくても」

 

「カゲ!」

 

レンとヒトカゲの返事が重なった。

 

オーキド博士が審判役を務める。

 

「双方、準備はいいか?」

 

「はい」

 

「いつでも」

 

「カゲ!」

 

「ブイ!」

 

オーキド博士が手を上げる。

 

「では――始め!」

 

先に声を上げたのはユウトだった。

 

「イーブイ、『でんこうせっか』!」

 

「ブイッ!」

 

速い。

 

レンの予想よりも遥かに。

 

イーブイの身体が一気に加速する。

 

(来る!)

 

「ヒトカゲ、見ろ!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが構える。

 

左右どちらへ避けるか。

 

レンは指示しない。

 

イーブイが迫る。

 

ヒトカゲが右へ動いた。

 

しかし――。

 

「そのまま追え!」

 

「ブイ!」

 

イーブイが方向を変えた。

 

「カゲ!?」

 

(追ってくる!)

 

野生のポッポとは違う。

 

トレーナーがいる。

 

一度避けられたなら、次の指示が飛ぶ。

 

「前へ!」

 

レンが叫ぶ。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが後ろではなく前へ出た。

 

「え?」

 

ユウトの表情が変わる。

 

イーブイとヒトカゲの距離が急激に縮む。

 

ぶつかる直前。

 

「横!」

 

「カゲッ!」

 

ヒトカゲが身体をずらす。

 

「ブイ!?」

 

至近距離。

 

『でんこうせっか』の勢いが強い分、イーブイも急には止まれない。

 

「『ひっかく』!」

 

「カゲ!」

 

爪が横から命中する。

 

「ブイッ!」

 

イーブイが地面を滑る。

 

「よし!」

 

サトシが叫んだ。

 

だが。

 

「まだ!」

 

レンはヒトカゲへ注意を促す。

 

「イーブイ、止まって! 『スピードスター』!」

 

「ブイ!」

 

イーブイが踏ん張る。

 

すぐに星型の光が放たれた。

 

「カゲ!?」

 

複数。

 

避ける方向を探す。

 

「走れ!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが横へ走る。

 

しかし光が軌道を変える。

 

追ってくる。

 

(『スピードスター』……!)

 

ゲームでの性質を思い出す。

 

だが知識だけに頼るな。

 

実際に見る。

 

光はヒトカゲを追尾している。

 

完全に振り切るのは難しい。

 

「ヒトカゲ、止まって!」

 

「カゲ!?」

 

「『ひのこ』!」

 

ヒトカゲが急停止。

 

振り返る。

 

「カゲェッ!」

 

炎を正面へ放つ。

 

『スピードスター』と『ひのこ』がぶつかる。

 

小さな爆発。

 

煙が広がった。

 

「うおお!」

 

サトシが身を乗り出す。

 

ユウトも驚いた顔をする。

 

「技をぶつけた……!」

 

レンは煙を見る。

 

(まだ)

 

イーブイが見えない。

 

だからヒトカゲにも攻撃させない。

 

「動かない。音を聞いて」

 

「カゲ」

 

ヒトカゲが集中する。

 

煙の向こう。

 

足音。

 

右。

 

ヒトカゲの耳が動いた。

 

レンにも聞こえた。

 

「来る!」

 

煙を突き破り――。

 

「ブイッ!」

 

イーブイ。

 

『でんこうせっか』。

 

「カゲ!」

 

だが今度はヒトカゲも反応した。

 

レンが指示するより先に身体を低くする。

 

イーブイが頭上を通る。

 

「カゲッ!」

 

ヒトカゲが爪を振る。

 

しかし。

 

「跳べ!」

 

ユウトの声。

 

イーブイがさらに跳ねた。

 

爪が僅かに届かない。

 

(上手い!)

 

ユウトも見ている。

 

ヒトカゲの反撃を予測していた。

 

「イーブイ、そのまま後ろへ!」

 

「ブイ!」

 

ヒトカゲの背後へ着地。

 

「『たいあたり』!」

 

「ブイッ!」

 

「ヒトカゲ!」

 

振り返る。

 

間に合わない。

 

ドンッ!

 

「カゲッ!」

 

まともに受けた。

 

ヒトカゲが前へ転がる。

 

「ヒトカゲ!」

 

レンの胸が跳ねる。

 

だが。

 

「カゲ……!」

 

すぐに手を地面へつく。

 

立ち上がった。

 

「大丈夫?」

 

「カゲ!」

 

尻尾の炎が強く揺れる。

 

まだやれる。

 

レンは息を吐く。

 

(焦るな)

 

今の攻防。

 

自分たちだけが工夫しているわけではない。

 

相手も考えている。

 

こちらが対策すれば、その対策へさらに対応する。

 

(これがトレーナー戦)

 

楽しい。

 

レンの口元が自然と上がった。

 

「カゲ?」

 

「ごめん」

 

ヒトカゲを見る。

 

「楽しくなってきた」

 

一瞬。

 

ヒトカゲも笑った。

 

「カゲ!」

 

同じらしい。

 

ユウトも気づいた。

 

「まだ笑えるんだ」

 

「もちろん」

 

レンはイーブイを見る。

 

「ここからでしょ」

 

「そうこなくちゃ!」

 

ユウトも笑う。

 

「イーブイ!」

 

「ブイ!」

 

再び『でんこうせっか』。

 

「ヒトカゲ!」

 

レンは相手を見る。

 

速い。

 

真正面。

 

だが先ほどと同じではない。

 

イーブイは途中で進路を変えられる。

 

なら――。

 

「動くな!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲがその場に残る。

 

「え?」

 

ユウトが僅かに驚く。

 

イーブイが迫る。

 

まだ。

 

まだ。

 

「今、『ひのこ』!」

 

「カゲェ!」

 

真正面。

 

近距離から炎が放たれる。

 

「横へ!」

 

「ブイ!」

 

イーブイが急旋回。

 

避ける。

 

レンはそれを待っていた。

 

「追わなくていい!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲは『ひのこ』を動かそうとしない。

 

イーブイが炎から外れた方向。

 

その先へ――走る。

 

「なっ……!」

 

ユウトが気づく。

 

「イーブイ、止まれ!」

 

だが『でんこうせっか』の速度が乗っている。

 

急停止には僅かな時間が必要。

 

ヒトカゲはすでにそこへ向かっていた。

 

「カゲ!」

 

二匹の距離が縮む。

 

「『ひっかく』!」

 

「カゲッ!」

 

命中。

 

「ブイッ!」

 

イーブイが弾かれる。

 

「続けて『ひのこ』!」

 

「カゲェ!」

 

炎。

 

「イーブイ、避けて!」

 

「ブイ!」

 

転がりながらも身体を捻る。

 

完全には避けられない。

 

炎が身体を掠める。

 

「ブイ……!」

 

イーブイが着地する。

 

息が荒くなっている。

 

ヒトカゲも同じ。

 

互いに何度も攻撃を受けている。

 

「カゲ……!」

 

「ブイ……!」

 

それでも目は死んでいない。

 

レンは考える。

 

『ひっかく』。

 

『ひのこ』。

 

そして――。

 

『げんしのちから』。

 

まだ使っていない。

 

ユウトも知らないはずだ。

 

切り札にできる。

 

だが、ただ撃つだけでは『でんこうせっか』で避けられる可能性が高い。

 

(止める)

 

イーブイの動きを。

 

完全にではなくていい。

 

一瞬でいい。

 

「イーブイ、『スピードスター』!」

 

来た。

 

星型の光が飛ぶ。

 

「ヒトカゲ、前へ!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが走る。

 

「え!?」

 

サトシが驚く。

 

攻撃へ自分から向かっている。

 

「右!」

 

ヒトカゲが一発を避ける。

 

「左!」

 

二発目。

 

避ける。

 

だが残りが追う。

 

「そのまま!」

 

「カゲ!」

 

一発が肩を掠める。

 

「カゲッ!」

 

止まらない。

 

「イーブイ、『でんこうせっか』!」

 

「ブイ!」

 

イーブイが走る。

 

互いに接近。

 

ユウトは正面衝突を狙った。

 

レンは違う。

 

「ヒトカゲ!」

 

「カゲ!」

 

視線が合う。

 

それだけでヒトカゲが僅かに速度を落とした。

 

イーブイが迫る。

 

「ブイッ!」

 

直前。

 

「下!」

 

ヒトカゲが身体を沈める。

 

イーブイが頭上を通過する。

 

だが今回は『ひっかく』ではない。

 

ヒトカゲは地面へ両足をつけたまま、力を集中させた。

 

「『げんしのちから』!」

 

「カゲェェ!」

 

地面が震える。

 

岩石が浮かぶ。

 

「何!?」

 

ユウトが目を見開く。

 

イーブイはまだ着地した直後。

 

『でんこうせっか』の勢いを殺しきれていない。

 

「放て!」

 

「カゲッ!」

 

複数の岩石が飛ぶ。

 

「避けろ!」

 

「ブイ!」

 

一つ目。

 

避ける。

 

二つ目。

 

身体を捻る。

 

しかし三つ目。

 

ドンッ!

 

「ブイッ!」

 

命中。

 

さらに。

 

ドンッ!

 

四つ目。

 

イーブイの身体が地面を転がった。

 

「イーブイ!」

 

ユウトが叫ぶ。

 

イーブイは起き上がろうとする。

 

「ブ……イ……」

 

前脚をつく。

 

立つ。

 

しかし身体が揺れる。

 

「ブイ……」

 

再び膝をついた。

 

オーキド博士が状態を見る。

 

数秒。

 

「そこまで!」

 

レンはすぐに力を抜いた。

 

「勝者、レンとヒトカゲ!」

 

静寂。

 

そして。

 

「勝ったぁぁぁ!」

 

サトシの叫びが響いた。

 

ヒトカゲが振り返る。

 

「カゲ……?」

 

レンも一瞬だけ動かなかった。

 

初めての、正式なトレーナーとの練習試合。

 

一年の実戦経験を持つ相手。

 

そして。

 

勝った。

 

「ヒトカゲ!」

 

レンが両手を広げる。

 

「カゲェ!」

 

ヒトカゲが走ってくる。

 

飛び込む。

 

「やった!」

 

レンが抱き止める。

 

「カゲ! カゲ!」

 

「勝ったぞ!」

 

「カゲ!」

 

ぱちん!

 

いつものハイタッチ。

 

だがヒトカゲはそれだけでは足りなかったのか、もう一度。

 

ぱちん!

 

「二回やるの?」

 

「カゲ!」

 

「じゃあもう一回!」

 

ぱちん!

 

二人で笑う。

 

サトシが駆け寄ってくる。

 

「すっげえ! すっげえよレン!」

 

「ありがとう」

 

「最後の何だよ! こう、岩がバーッて!」

 

「『げんしのちから』」

 

「ヒトカゲってそんな技使えるのか!?」

 

「この子はね」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが得意げに胸を張る。

 

         ◇

 

喜ぶのはそこまでだった。

 

レンはすぐにヒトカゲの状態を確認し、それからユウトと一緒にイーブイのところへ向かった。

 

「大丈夫?」

 

「ブイ……」

 

イーブイはすでに身体を起こしていた。

 

疲れてはいるが、大きな怪我はない。

 

「負けたな」

 

ユウトが苦笑する。

 

「ブイ……」

 

イーブイが悔しそうに耳を伏せる。

 

ユウトはその頭を撫でた。

 

「でもいいバトルだった」

 

「ブイ」

 

レンは少し迷ってから口を開く。

 

「ありがとうございました」

 

「こっちこそ」

 

ユウトが手を差し出す。

 

レンも握った。

 

「正直、博士から聞いたときはもっと簡単に勝てると思ってた」

 

「俺、まだ正式なトレーナーじゃないから?」

 

「うん」

 

あっさり認めた。

 

「でも強いね」

 

レンは少し考える。

 

「ヒトカゲが強いんです」

 

「カゲ!」

 

「それだけじゃないと思うけど」

 

ユウトが笑う。

 

「次は負けないよ」

 

「俺たちも」

 

レンも笑った。

 

「次はもっと強くなってます」

 

ヒトカゲとイーブイも向かい合う。

 

「カゲ」

 

「ブイ」

 

鼻先を軽く近づける。

 

先ほどまで本気で戦っていたとは思えない。

 

レンはその姿を見て、少しだけ笑った。

 

         ◇

 

夕方。

 

家へ帰ったレンは、いつものようにノートを開いた。

 

今日のバトル。

 

イーブイ。

 

『でんこうせっか』。

 

『スピードスター』。

 

『たいあたり』。

 

そしてユウトの指示。

 

一つずつ思い出す。

 

「カゲ」

 

ヒトカゲも横に座っていた。

 

「今日、一番危なかったのどこだと思う?」

 

「カゲ?」

 

レンは紙の上へ簡単に位置関係を書く。

 

「俺はここ」

 

最初の『でんこうせっか』。

 

一度避けたあと、追撃された場面。

 

「野生のポケモン相手だと、一回避けたらそのまま通り過ぎることが多かった。でも今日はユウトさんがすぐ次の指示を出した」

 

「カゲ」

 

「俺たちも同じことできるようにしたい」

 

一つの指示で終わらない。

 

『ひっかく』。

 

当たった。

 

終わり。

 

ではない。

 

当たった直後に次を見る。

 

外れたなら、そこからどうするか。

 

相手が避けたなら、その動きを利用できないか。

 

攻撃の前から、その次を考える。

 

レンはノートへ書く。

 

一手ではなく、その先を見る。

 

「これだな」

 

「カゲ?」

 

「次の課題」

 

レンはヒトカゲを見る。

 

「一個先じゃない」

 

二手。

 

三手。

 

それでも足りないかもしれない。

 

相手も考える。

 

こちらも変える。

 

その場で組み立て直す。

 

レンが目指す戦い方は、最初から完璧な作戦を用意して、それを押しつけるものではない。

 

相手を見て。

 

ヒトカゲを見て。

 

戦場を見て。

 

変化し続ける。

 

「もっと速く考えられるようになりたい」

 

「カゲ」

 

「お前も」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが拳を出す。

 

レンも合わせた。

 

こつん。

 

「まだ強くなれる」

 

「カゲ!」

 

         ◇

 

数日後。

 

レンとサトシはオーキド研究所の裏にある丘へ来ていた。

 

ヒトカゲも一緒だ。

 

夕暮れ。

 

遠くにはマサラタウン。

 

さらにその向こうには、まだ見ぬ旅路が続いている。

 

「あと一年か」

 

サトシが言った。

 

「うん」

 

「長いなー」

 

「すぐだよ」

 

「一年だぞ?」

 

「今まで九年待ったんだから」

 

「そう言われると短いかも」

 

サトシが草の上へ寝転がる。

 

「オレ、最初のポケモン何にしようかな」

 

レンは横を見る。

 

ついに、その話を現実として考え始めたらしい。

 

「フシギダネもいいし、ゼニガメもいいし、ヒトカゲもいいよな!」

 

「カゲ!」

 

自分の名前が出て、ヒトカゲが反応する。

 

「でもレンがヒトカゲだからなー」

 

「同じでもいいんじゃない?」

 

「うーん……」

 

サトシが悩む。

 

レンは何も言わなかった。

 

前世の記憶なら知っている。

 

サトシは寝坊する。

 

三匹はすでに他の新人トレーナーに選ばれている。

 

最後に残った一匹。

 

ピカチュウ。

 

最初はサトシの言うことを聞かない。

 

けれど、やがて誰よりも強い絆で結ばれる。

 

(でも――)

 

本当にそうなるのか。

 

分からない。

 

自分という存在がいる。

 

ヒトカゲもいる。

 

すでに前世で知っていた歴史とは違うことが起きている。

 

だから。

 

「ちゃんと早起きしろよ」

 

レンはそれだけ言った。

 

「当たり前だろ!」

 

サトシが勢いよく起き上がる。

 

「人生で一番大事な日に寝坊するわけないだろ!」

 

レンは無言になった。

 

「なんだよ?」

 

「いや……」

 

「なんだよその顔!」

 

「別に」

 

「絶対なんか思ってるだろ!」

 

「カゲカゲ!」

 

ヒトカゲが笑う。

 

「ヒトカゲまで!」

 

丘の上に三人の声が響いた。

 

         ◇

 

帰る頃には、空は赤く染まっていた。

 

サトシが少し前を歩いている。

 

「早く旅したいなー!」

 

「走ると転ぶよ」

 

「大丈夫だって!」

 

直後。

 

「うわっ!」

 

「言ったそばから……」

 

幸い転ばなかった。

 

ヒトカゲが笑っている。

 

「カゲ!」

 

「笑うな!」

 

レンも笑いながら、その後ろを歩く。

 

あと一年。

 

それまでに、どこまで強くなれるだろう。

 

ヒトカゲの身体はこれからさらに成長する。

 

使える技も増えていく。

 

戦い方も広がる。

 

レン自身も、もっと学べる。

 

もっと実戦を経験できる。

 

リオルとも、きっとまた会う。

 

そして十歳になれば。

 

マサラタウンの外へ出る。

 

トキワシティ。

 

ニビシティ。

 

ハナダシティ。

 

その先にある、広い世界。

 

ジムリーダーたち。

 

強豪トレーナーたち。

 

四天王。

 

チャンピオン。

 

さらに、その先。

 

前世で知っている強者たちを思い浮かべるだけで、胸が高鳴る。

 

だが。

 

レンは隣を見る。

 

「カゲ?」

 

ヒトカゲが見上げる。

 

今、一番大切なのは遠い未来の強敵ではない。

 

今日できなかったことを、明日できるようにする。

 

その積み重ね。

 

「ヒトカゲ」

 

「カゲ?」

 

「明日も頑張ろう」

 

「カゲ!」

 

「でも朝は軽め」

 

「カゲ!?」

 

「今日バトルしただろ」

 

「カゲー!」

 

「駄目」

 

「カゲ!」

 

「抗議しても駄目」

 

そのやり取りを聞いたサトシが振り返る。

 

「じゃあオレが代わりに特訓する!」

 

「何の?」

 

「走り込み!」

 

「それならいいんじゃない?」

 

「よーし! 家まで競走だ!」

 

「カゲ!」

 

「ヒトカゲは今日は走らない!」

 

「カゲ!?」

 

サトシだけが駆け出していく。

 

ヒトカゲが追いかけたそうに足踏みする。

 

レンはその肩へ手を置いた。

 

「明日」

 

「……カゲ」

 

「約束」

 

拳を出す。

 

ヒトカゲは少し不満そうにしながらも、自分の拳を重ねた。

 

こつん。

 

旅立ちまで、あと一年。

 

レンには前世から持ち越した膨大な知識がある。

 

けれど、それだけで頂へ行けるとは思っていない。

 

知っていることと、できることは違う。

 

できることと、勝てることも違う。

 

だから学ぶ。

 

試す。

 

失敗する。

 

考える。

 

そして、ヒトカゲと一緒に強くなる。

 

世界最強という途方もなく大きな夢へ向けて。

 

レンとヒトカゲに残された、旅立ちまでの一年が始まった。

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