ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
『えんまく』。
『きりさく』。
そして、『かえんほうしゃ』。
三つの新しい技を覚えたからといって、翌日からヒトカゲが三つの技を完璧に使えるようになったわけではない。
むしろレンにとっては、ここからが本当の育成だった。
技を出せること。
狙った場所へ当てられること。
動きながら使えること。
相手の攻撃へ対応しながら使えること。
そして、状況に合わせて自分で選べること。
その間には、大きな差がある。
「ヒトカゲ、始めるよ」
「カゲ!」
朝の庭。
レンの前には、父に手伝ってもらって作った簡単な練習場所が広がっている。
複数の的。
木箱。
小さな障害物。
地面には目印。
以前より複雑になった練習場の中央で、ヒトカゲが構えた。
「最初は自由」
「カゲ」
「全部自分で選んでいい」
ヒトカゲの目つきが変わる。
レンが仕掛けを動かした。
左。
一つ目の的が飛び出す。
距離は近い。
「カゲ!」
ヒトカゲが踏み込んだ。
『ひっかく』。
素早い一撃。
命中。
その直後、右奥で二つ目が動く。
遠い。
ヒトカゲが顔を向ける。
口元に炎。
「カゲッ!」
『ひのこ』。
炎が飛ぶ。
動く的の少し先を捉えた。
命中。
三つ目。
今度は木箱の陰から現れる。
ヒトカゲが走る。
「カゲ!」
『きりさく』。
鋭い爪が振り抜かれ、的が大きく揺れた。
だが。
「まだ!」
レンの声。
ヒトカゲが振り返る。
背後。
四つ目の的。
距離がある。
「カゲェ!」
即座に炎を吐いた。
『かえんほうしゃ』。
一直線に伸びた炎が的へ向かう。
しかし――。
「カゲ!?」
途中で炎が僅かに乱れた。
的の端を掠める。
ヒトカゲが悔しそうに歯を食いしばる。
「続けて!」
止まらせない。
失敗したあとにどうするかも練習だ。
最後。
五つ目。
二つの障害物の向こう。
ヒトカゲがすぐに走ろうとして――止まった。
「カゲ……」
レンは黙って見ている。
ヒトカゲは考えた。
障害物を回り込めば時間がかかる。
『ひのこ』では届きにくい。
『かえんほうしゃ』なら届くかもしれない。
だが、さっき外した。
『げんしのちから』は使える。
けれど発動には他の技より時間が必要だ。
ヒトカゲの目が細くなる。
そして。
「カゲ!」
黒煙が噴き出した。
『えんまく』。
「……!」
レンの口元が上がる。
ヒトカゲは煙の中へ入る。
姿が消える。
次の瞬間。
煙の右から――。
何も出ない。
「え?」
レンが一瞬そちらへ意識を向けた。
直後。
左。
「カゲ!」
ヒトカゲが飛び出した。
「そっちか!」
木箱を回り込み、的へ接近する。
「カゲェッ!」
『きりさく』。
ザシュッ!
命中。
「そこまで!」
ヒトカゲが止まった。
息を整えながらレンを見る。
「カゲ!」
自信満々だ。
レンは少し黙ってから。
「最後、すごくよかった」
「カゲ!」
ヒトカゲが駆け寄ってくる。
ぱちん!
ハイタッチ。
「『えんまく』で俺の視線まで誘導しただろ?」
「カゲ!」
やはり意図的だった。
「右から出ると思わせて左」
「カゲ!」
「いいな、それ」
レンはノートへ書き込む。
単なる目隠しではない。
煙の中でどちらへ移動したかを分からなくする。
そこから攻撃位置を変える。
実戦なら相手だけではなく、相手トレーナーの判断も遅らせられる。
「ただし」
「カゲ?」
「『かえんほうしゃ』はまだ安定してない」
「カゲ……」
「落ち込むところじゃないよ」
覚えたばかりなのだから当然だ。
『ひのこ』なら、走った直後でも比較的安定して使える。
『かえんほうしゃ』は違う。
長く強い炎を維持するため、姿勢と呼吸が乱れると精度が大きく落ちる。
「止まって撃つならかなり安定してきた。でも動いた直後はまだ駄目」
「カゲ」
「だったら、そこを練習する」
ヒトカゲの表情がすぐに変わった。
「カゲ!」
できない。
なら練習する。
二人にとっては、それだけのことだった。
◇
それからの日々。
レンは新しい技を単独で練習させるだけではなく、古い技との使い分けを徹底した。
「近い!」
「カゲ!」
『ひっかく』。
「近い、でも威力が必要!」
「カゲェッ!」
『きりさく』。
「遠い、すぐ撃つ!」
「カゲ!」
『ひのこ』。
「遠い、相手が止まった!」
「カゲェェ!」
『かえんほうしゃ』。
「隠れる!」
「カゲ!」
『えんまく』。
「時間がある、強く!」
「カゲ……!」
岩石が浮く。
『げんしのちから』。
ただ技名を叫び、出させるだけではない。
レンは距離や状況を変え続ける。
時にはわざと指示しない。
「…………」
ヒトカゲの前で的が動く。
「カゲ!」
自分で選ぶ。
『ひのこ』。
次。
近距離。
『ひっかく』。
さらに次。
二つ同時。
ヒトカゲは一瞬考え――。
「カゲ!」
『えんまく』。
まず視界を遮る。
煙の陰から位置を変え、一つ目へ接近。
『きりさく』。
その勢いのまま振り返り。
「カゲェッ!」
二つ目へ『ひのこ』。
「いい!」
レンの声が飛ぶ。
ヒトカゲは笑う。
技が増えた。
だが、本当に増えたのは技の数ではない。
選択肢だった。
◇
「なんで『ひのこ』も使ってるんだ?」
ある日の午後。
練習を見ていたサトシが尋ねた。
「『かえんほうしゃ』の方が強いんだろ?」
「基本的な威力ならね」
「じゃあ全部『かえんほうしゃ』でいいじゃん」
「よくないよ」
「なんで?」
レンはヒトカゲを見る。
「やってみようか」
「カゲ!」
まず的を近くへ置く。
「『ひのこ』!」
「カゲッ!」
ボッ!
ほとんど間を置かず炎が飛ぶ。
「次、『かえんほうしゃ』」
「カゲェェ!」
ボォォォッ!
こちらの方が明らかに強い。
「やっぱり『かえんほうしゃ』じゃん!」
「じゃあ次」
レンは的を横へ動かした。
素早く。
「ヒトカゲ、追いながら『かえんほうしゃ』!」
「カゲ!」
ヒトカゲが走る。
顔を向ける。
「カゲェェ!」
炎。
だが狙いが少しぶれる。
「今度は『ひのこ』!」
「カゲ!」
短く炎を放つ。
命中。
「……あ」
サトシが気づく。
「『ひのこ』の方が当てやすい?」
「今のヒトカゲならね」
レンは頷いた。
「『かえんほうしゃ』は強い。でも強い炎を長く維持する分、身体も使う」
「じゃあ『ひのこ』は?」
「すぐ出せる。動きながらでも使いやすい。疲れも少ない」
サトシが腕を組む。
珍しく真剣に考えている。
「強い技だけ覚えればいいってわけじゃないのか」
「俺はそう思ってる」
レンはヒトカゲを見る。
「昔から使ってる技には、昔から使ってる技の良さがある」
「カゲ!」
「じゃあ『ひっかく』も?」
「使うよ」
「『きりさく』あるのに?」
「使う」
レンは迷わない。
「どっちが必要か、その場で選ぶ」
サトシはしばらく考えていた。
やがて笑う。
「なんか難しいな!」
「最後それ?」
「でも面白い!」
レンも笑った。
それで十分だと思った。
サトシは理屈を全部覚えるタイプではない。
実際に自分のポケモンと旅を始めれば、自分なりの答えを見つけていくだろう。
レンとは違う答えを。
それでいい。
むしろ、その方がいい。
◇
新しい技の中で、最も早く戦術へ馴染んだのは『えんまく』だった。
レンとの相性がよかった。
「『えんまく』!」
「カゲ!」
黒煙。
ヒトカゲの姿が消える。
レンはすぐに声を出さない。
煙の中でヒトカゲ自身が動く。
右。
一歩。
二歩。
そこから急に左へ切り返す。
煙の外へ出る。
「カゲ!」
『ひのこ』。
命中。
「もう一回!」
次は違う。
黒煙。
ヒトカゲは煙から出ない。
「カゲ……!」
中から『げんしのちから』。
岩石が浮く。
そして――。
煙の中から飛び出した。
ドン!
的へ命中。
レンの目が輝く。
「それもいい!」
どこから攻撃が来るか分からない。
さらに。
「今度は俺が相手役やる」
レンが柔らかいボールを持つ。
「カゲ?」
「煙を使って俺の攻撃を避けて」
「カゲ!」
開始。
レンが投げる。
ヒトカゲが避ける。
二球目。
三球目。
追い込む。
ヒトカゲの後ろには木箱。
「カゲ!」
『えんまく』。
黒煙。
レンからヒトカゲが見えなくなる。
「なら――」
煙の右側へ投げる。
出てこない。
左。
投げる。
出ない。
「どこだ?」
その瞬間。
「カゲ!」
上。
「えっ!?」
ヒトカゲが木箱を踏み台にして跳び、煙の上から飛び出した。
着地。
「カゲ!」
得意げな顔。
レンは数秒固まり――。
「それ、自分で考えた?」
「カゲ!」
「……いいな」
レンは笑った。
平面だけではない。
上。
下。
障害物。
地形。
『えんまく』一つでも、まだまだ使い方がある。
「覚えとこう」
「カゲ!」
◇
一方、『きりさく』には別の課題があった。
威力が高い。
だからこそ、振りが大きくなる。
「カゲェッ!」
ザシュッ!
的へ深い傷。
だが。
「遅い」
「カゲ?」
「当たった後」
レンは指摘する。
「戻りが遅い」
『ひっかく』なら攻撃後すぐ次へ移れる。
『きりさく』は威力を乗せる分、僅かに隙ができる。
「相手を一発で倒せるならいい。でも耐えられたら?」
「カゲ……」
「反撃される」
ヒトカゲが的を見る。
「だから、当てるところまでが技じゃない」
レンが構える。
「当てたあとまで考える」
ヒトカゲが頷く。
「カゲ!」
もう一度。
踏み込み。
『きりさく』。
ザシュッ!
振り抜く。
そのまま身体が流れそうになる。
ヒトカゲが足を踏ん張った。
すぐ横へ。
「そう!」
次。
また『きりさく』。
今度は振り抜いた勢いを利用し、そのまま身体を回す。
「カゲ!」
次の方向へ。
レンが目を細める。
「今のいい」
完全に勢いを止めるのではない。
次の動きへ使う。
シバから教わった身体の使い方が、ここでも繋がっている。
「もう一回」
「カゲ!」
一度の成功を、偶然で終わらせない。
それが二人のやり方だった。
◇
そして『かえんほうしゃ』。
これだけは、レンも特に慎重だった。
威力が高い。
だからこそ、雑に使わせたくない。
「今日は三回」
「カゲ」
以前ならもっと使いたいと抗議しただろう。
今はヒトカゲも理解している。
一発目。
静止状態。
「カゲェェェ!」
炎が一直線に伸びる。
命中。
二発目。
短い走り込みのあと。
「カゲェェ!」
少し乱れる。
だが命中。
三発目。
方向転換の直後。
「カゲェェェ!」
炎。
的の端。
「カゲ……」
ヒトカゲが悔しそうにする。
「終わり」
「カゲ」
「でも前よりいい」
レンはノートへ書く。
方向転換後。
呼吸が乱れた状態。
それでも炎そのものは維持できた。
「今は命中率より、動いたあとでもちゃんと炎を維持できたことの方が大事」
「カゲ?」
「前なら途中で途切れてた」
ヒトカゲが少し考える。
そして。
「カゲ!」
表情が明るくなる。
「そういうこと」
レンは笑った。
できなかったことばかり見る必要はない。
できるようになったことも、きちんと見る。
それが次へ進むためには必要だった。
◇
そんな日々が続いた。
一か月。
さらに一か月。
レンは九歳の後半へ入った。
旅立ちの日は、もう遠い未来ではない。
家では少しずつ旅の準備について話す機会が増えていた。
衣服。
寝袋。
食料。
調理道具。
応急処置用品。
ポケモン用の食事。
地図。
予備の道具。
レンは父と一緒に必要な物を書き出す。
「持ちすぎれば歩く負担になる」
父が言う。
「でも足りないと困る」
「だから優先順位を決めるんだ」
「うん」
レンはノートへ書き込む。
バトルだけ強ければ旅ができるわけではない。
ポケモンの食事を管理する。
体調を見る。
天候を考える。
野営場所を選ぶ。
怪我をしたときに応急処置をする。
旅そのものを続けられなければ、世界最強など目指せない。
ヒトカゲも横から荷物を覗き込んでいた。
「カゲ?」
「それはキズぐすり」
「カゲ」
「こっちは包帯」
「カゲ?」
「それは俺の着替え」
「カゲ」
「興味なくなった?」
ヒトカゲが別の荷物へ移動する。
「分かりやすいな」
父が笑った。
レンも笑う。
けれど。
旅立ち。
その言葉を考えるたび、胸の奥が少し熱くなる。
もうすぐだ。
◇
その夜。
家の電話が鳴った。
「はい」
母が出る。
しばらく話したあと、こちらを向いた。
「レン」
「何?」
「お兄ちゃんから」
「シバおじさん?」
レンが立ち上がる。
受話器を受け取った。
「もしもし」
『久しぶりだな』
聞き慣れた低い声。
「久しぶり。どうしたの?」
『近いうちに、またマサラへ寄る』
「本当?」
足元にいたヒトカゲが反応した。
「カゲ?」
レンはすぐに笑う。
「ヒトカゲ。シバおじさん、また来るって」
「カゲ!」
ヒトカゲが跳び上がった。
そして次の瞬間。
何かに気づいたようにレンを見る。
「……気になる?」
「カゲ!」
言われなくても分かる。
「リオルも一緒?」
電話の向こうで少し間があった。
『ああ』
「カゲ!」
聞こえたらしい。
ヒトカゲの尻尾の炎が大きく揺れる。
『随分楽しみにしているようだな』
「ずっと再戦したがってたから」
『それは向こうも同じだ』
「え?」
『毎日鍛えている』
レンの表情が変わる。
以前会った時点でも、リオルは強かった。
あれから何か月も経っている。
シバのもとで修行を続けたのなら。
「……かなり強くなってそう」
『自分で確かめろ』
レンは笑った。
「うん」
そして少し考える。
「シバおじさん」
『なんだ』
「リオル、元気?」
『元気だ』
「そっか」
それだけ聞ければ十分だった。
『レン』
「何?」
『そちらも鍛えているんだろう』
レンはヒトカゲを見る。
「もちろん」
ヒトカゲが拳を握る。
「カゲ!」
『ならいい』
シバらしい短い返事。
「いつ来る?」
『数日後だ』
「分かった。待ってる」
通話を終える。
受話器を置いた瞬間。
「カゲ!」
ヒトカゲがレンの服を引っ張った。
「分かってるって」
「カゲ!」
「再戦したいんだろ?」
「カゲ!」
ものすごい勢いで頷く。
「でも今日は夜」
「カゲ」
「練習は明日」
「カゲ……」
「今からやらない」
「カゲー!」
レンは笑った。
◇
その夜。
ベッドへ入ったあとも、ヒトカゲはなかなか眠らなかった。
「カゲ……」
寝床の中で拳を握ったり、開いたりしている。
「リオルのこと考えてる?」
「カゲ」
「前はギリギリだったもんな」
最初の練習試合。
最後はヒトカゲが勝った。
だが圧倒したわけではない。
どちらが勝ってもおかしくなかった。
あれからヒトカゲは強くなった。
『えんまく』。
『きりさく』。
『かえんほうしゃ』。
以前にはなかった技も増えた。
基礎能力も上がっている。
けれど。
「向こうも強くなってる」
「カゲ」
「だから面白い」
ヒトカゲがレンを見る。
レンも笑った。
「勝とう」
「カゲ!」
「でも」
「カゲ?」
「新しい技を見せたいからって、全部無理に使おうとするなよ」
「……カゲ」
目が泳いだ。
「やろうとしてた?」
「カゲ」
「やっぱり」
レンは苦笑する。
「技が増えたから勝てるんじゃない」
ヒトカゲは黙って聞く。
「必要なときに必要な技を選べるから強いんだ」
『ひっかく』でもいい。
『ひのこ』でもいい。
新しく覚えた技を一つも使わず勝てるなら、それでもいい。
大切なのは技を披露することではない。
勝つこと。
そして、そのために二人で考えること。
「分かった?」
「カゲ!」
「よし」
レンが拳を出す。
ヒトカゲも小さな拳を合わせる。
こつん。
「おやすみ」
「カゲ」
灯りを消す。
暗くなった部屋。
少しして。
「……カゲ」
「ん?」
「カゲ、カゲ」
「明日の練習?」
「カゲ」
「午前は軽め」
「カゲ!?」
「数日後にバトルするかもしれないんだから、今から追い込みすぎない」
「カゲー……」
「おやすみ」
「……カゲ」
不満そうな声が暗闇に消える。
レンは目を閉じた。
数日後。
再びリオルが来る。
あの頃とは違うヒトカゲ。
あの頃とは違うリオル。
そしてレン自身も、以前とは違う。
技が増えた。
経験も増えた。
考えられることも増えた。
なら――。
次の戦いでは、どんなものが見えるのだろう。
レンは楽しみだった。
勝つことはもちろん。
自分たちがどこまで成長したのかを確かめることも。
そして、リオルがどんな成長を遂げたのかを見ることも。
数日後。
マサラタウンへ、一匹の青いポケモンが再びやって来る。
以前より強くなったヒトカゲと。
以前より強くなったリオル。
二匹の再戦。
そしてその再会は、レンとリオルの関係にも、以前とは違う小さな変化をもたらすことになる。