ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
目覚まし時計が鳴るより少し早く、レンは自然と目を覚ました。
カーテンの隙間から見える空はまだ薄暗く、マサラタウンも静けさに包まれている。いつもなら、もう少し眠っていてもおかしくない時間だったが、今日だけは一度開いた目が再び閉じることはなかった。
「……今日か」
小さく呟くと、ベッドのすぐ隣から物音が聞こえた。
「カゲ……?」
ヒトカゲが眠そうに顔を上げる。
孵化した最初の夜から、ずっと変わらない距離だった。
レンが起きたことに気づいたヒトカゲは何度か瞬きをしていたが、やがて今日が何の日なのか思い出したらしい。眠気の残っていた目が一気に開いた。
「カゲ!」
「おはよう。分かったみたいだな」
「カゲ!」
ヒトカゲは勢いよく立ち上がった。
その姿を見て、レンも笑う。
「そうだよ。今日から旅だ」
二年前。
まだ卵だったヒトカゲに、レンは何度も旅の話をした。
世界にはたくさんのポケモンがいること。
いろいろな町があること。
強いトレーナーがいること。
そしていつか、自分は世界で一番強いトレーナーを目指して旅へ出ること。
返事など返ってこなかった。
それでも毎日のように話していた。
その日が、ようやく来た。
レンはベッドから降りると、昨日のうちに準備を終えた鞄を確認した。
「水筒、食料、応急処置用品、着替え、雨具……」
「カゲ」
ヒトカゲも横から覗き込んでいる。
「ノートもある。ヒトカゲの分も……大丈夫」
「カゲ!」
「よし」
鞄を閉じる。
これからは、この荷物を自分で背負って歩く。
レンは窓を開けた。
朝の冷たい空気が部屋へ流れ込み、ヒトカゲの尻尾の炎が僅かに揺れる。
見慣れたマサラタウンの景色がそこにあった。
今までは帰ってくることが当たり前だった場所。
今日からは違う。
ここから外へ出る。
「行こう、ヒトカゲ」
「カゲ!」
レンとヒトカゲは並んで部屋を出た。
◇
階下では、すでに両親が起きていた。
テーブルにはいつもの朝食が並んでいる。
旅立ちの日だからといって特別豪華なものではなく、レンがこれまで何度も食べてきた朝食だった。
それがかえって嬉しかった。
「おはよう」
「おはよう、レン」
母はいつもと変わらない声で迎えてくれた。
父はレンの鞄を見る。
「荷物は?」
「昨日確認した」
「応急処置用品は」
「入ってる」
「予備の――」
「それもある」
「ヒトカゲの――」
「ある」
レンが先回りして答えると、父が黙った。
母が笑う。
「あなた、昨日も三回確認してたじゃない」
「念のためだ」
「父さんの方が緊張してない?」
「していない」
即答だった。
けれど少し早すぎる。
「カゲカゲ」
ヒトカゲまで笑った。
「ヒトカゲ」
父がそちらを見る。
「カゲ?」
「お前まで笑うな」
「カゲ!」
朝食を囲む空気は、最後まで普段と大きく変わらなかった。
食べ終えたあと、父はヒトカゲの体調を確認する。
呼吸。
身体の張り。
尻尾の炎。
昨日は激しい練習を避けているため、疲労もほとんど残っていない。
「問題ないな」
「カゲ!」
「ただし、旅立ちだからといって初日から飛ばしすぎるな」
「カゲ」
「レンもだ」
「分かってる」
父は頷いた。
それからレンを見つめる。
「前にも言ったが、旅に出れば今までより判断が難しくなる。勝つために無理をしたくなる場面もあるだろう」
「うん」
「強くしたいからといって、無茶をさせるのは育成じゃない」
何年も前から教えられてきた言葉だった。
レンはしっかりと頷く。
「忘れないよ」
「ならいい」
今度は母がレンを見る。
「レン自身のことも忘れないでね」
「ちゃんと食べる。寝る。無茶しない。連絡できるときは連絡する」
「……全部言われた」
「何回も聞いたから」
母は苦笑した。
レンは鞄を背負う。
ヒトカゲも隣へ来た。
いよいよだ。
玄関へ向かおうとしたところで、母から呼び止められる。
「レン」
「ん?」
振り返る。
母は少しだけ迷ったあと、レンの頭へ手を置いた。
十歳になった。
それでも母にとっては、まだ息子なのだろう。
「行ってらっしゃい」
レンは笑った。
「行ってきます」
父とも拳を合わせる。
「見てこい」
「何を?」
「お前がずっと知りたがっていた世界をだ」
レンの目が少し大きくなる。
そして、力強く頷いた。
「うん」
ヒトカゲも二人へ向かって鳴く。
「カゲ!」
こうしてレンは、十年間暮らした家を出た。
◇
外へ出ると、朝のマサラタウンはまだ静かだった。
レンは研究所へ向かおうとして――ふと足を止める。
視線の先。
サトシの家。
「…………」
「カゲ?」
「ヒトカゲ」
「カゲ」
「サトシ、起きてると思う?」
ヒトカゲも家を見る。
少し考えてから。
「カゲ?」
首を傾げた。
「だよな」
何度も言った。
旅立ちの日は早く起きろ、と。
そのたびにサトシは胸を張っていた。
絶対に寝坊しない。
こんな大事な日に寝坊するわけがない。
昨日の夜、レンは念のため連絡することまで考えた。
しかし、やめた。
サトシ自身に任せることにした。
前世の記憶では、この日に何が起きるのかを知っている。
それでも、今の世界でも同じことが起こるとは限らない。
「……まあ、起きてるか」
「カゲ」
そういうことにして、レンは研究所へ向かった。
◇
オーキド研究所へ到着すると、博士はすでに準備を整えて待っていた。
「おお、レン。おはよう」
「おはよう、博士」
「カゲ!」
「ヒトカゲも元気そうじゃな」
「カゲ!」
何度も訪れた研究所。
けれど、今日はいつもと違って見える。
ここへ遊びに来たのでもなければ、ヒトカゲの健康状態を調べてもらいに来たわけでもない。
正式なポケモントレーナーとして、旅を始めるために来たのだ。
研究所へ入ると、博士が必要な手続きを説明してくれた。
トレーナーとして守るべきこと。
ポケモンセンターの利用。
野生のポケモンとの接し方。
捕獲やバトル。
各地に存在するポケモンジム。
そしてポケモンリーグ。
知っている内容も多いが、レンは最後まで真剣に聞いた。
前世の知識を、この世界の常識そのものだと思い込まない。
それは旅に出る前から決めていたことだ。
一通りの説明が終わると、オーキド博士が机の上に一つの機械を置いた。
「そして、これがレンのポケモン図鑑じゃ」
レンは両手で受け取った。
「……ありがとう」
何度見ても、不思議な気持ちになる。
前世では画面越しにしか存在しなかったものが、今は自分の手の中にある。
博士は続いて、いくつかのモンスターボールを用意した。
そのうち一つをレンへ渡す。
「さて。お前の場合、研究所から最初のポケモンを受け取る必要はない」
「うん」
「じゃが、その前に済ませることがあるのう」
レンも分かっていた。
隣を見る。
「カゲ?」
ヒトカゲが首を傾げる。
レンにとって、ヒトカゲはとっくに相棒だ。
卵だった頃から世話をして。
孵化した日から一緒に暮らして。
遊び。
鍛え。
戦ってきた。
しかし、これまではレン自身が正式なトレーナーではなかったため、ヒトカゲをモンスターボールで捕獲し、正式な手持ちとして登録したことはない。
今日。
それを行う。
レンはモンスターボールを手に、ヒトカゲの前へしゃがんだ。
「ヒトカゲ」
「カゲ?」
「確認させて」
今さら聞く必要などないのかもしれない。
けれど、レンは聞きたかった。
一緒にいることと。
トレーナーとポケモンとして旅をすること。
同じように見えても、レンにとっては少し違う。
「俺と一緒に旅してくれる?」
ヒトカゲがレンを見る。
「いろんなところへ行って、いろんな相手と戦う。楽しいことばっかりじゃないと思う」
「カゲ」
「強いやつもいる。負けることだってある」
ヒトカゲは黙って聞いている。
レンはモンスターボールを見せた。
「それでも俺と一緒に、世界で一番を目指してくれる?」
返事を待つ必要すらなかった。
「カゲ!」
ヒトカゲが満面の笑みで頷いた。
そして自分から拳を伸ばし、モンスターボールの中央へ触れる。
光が広がった。
ヒトカゲの身体が赤い光に包まれ、初めてモンスターボールの中へ吸い込まれていく。
ボールがレンの手の中で揺れた。
一度。
二度。
三度。
やがて、静かに止まる。
レンはしばらくそのボールを見つめた。
不思議だった。
捕まえたという実感は、あまりない。
ヒトカゲは昨日までだって相棒だった。
今日から突然そうなったわけではない。
ただ。
二年間積み重ねてきた関係に、新しい形が加わった。
「これで登録できる?」
「ああ」
オーキド博士が笑う。
「ヒトカゲは正式にレンの最初のポケモンじゃ」
「……そっか」
レンはモンスターボールを開く。
「出ておいで、ヒトカゲ」
光が弾ける。
「カゲ!」
現れたヒトカゲは、すぐにレンへ駆け寄った。
「これからもよろしく」
「カゲ!」
レンが拳を出す。
ヒトカゲも合わせる。
こつん。
二年前から何度も繰り返してきた、二人の合図。
正式なトレーナーとポケモンになっても、それは何も変わらなかった。
「ボールに戻る?」
「カゲ!」
ヒトカゲは首を横に振り、そのままレンの隣へ立った。
「だよね」
ずっと並んで歩いてきた。
旅に出たからといって、変える必要はない。
◇
その後、今日旅立つ新人トレーナーたちが次々と研究所を訪れた。
一人。
また一人。
それぞれが最初のポケモンを受け取り、期待に満ちた顔でマサラタウンから旅立っていく。
レンはヒトカゲと一緒に、その様子を見ていた。
やがて。
フシギダネが選ばれた。
ゼニガメも。
そして研究所で用意されていたヒトカゲも、新しいトレーナーと旅立っていった。
「…………」
レンは時計を見る。
予定の時間は、とっくに過ぎている。
「カゲ?」
「……来ないね」
「カゲ」
サトシが。
レンはサトシの家がある方向を見る。
前世の記憶が、嫌というほど蘇ってくる。
まさか。
いや。
でも。
ここまで来れば、ほぼ間違いない。
「本当に寝坊したのか……」
何度言ったと思っているのだろう。
むしろ、ここまで忠告されてなお原作通りに寝坊できるのは才能なのではないか。
そんなことまで考え始めた、そのときだった。
遠くから声が聞こえた。
「うわあああああああ!」
レンは額を押さえた。
「……来た」
「カゲ?」
研究所へ続く道を、サトシが全力で走ってくる。
髪は跳ね。
服装も慌ただしく整えたことが丸分かりで。
何より顔が必死だった。
「オーキド博士ぇぇぇぇ!」
「サトシ」
「レン!?」
レンを見るなり、サトシが驚く。
「なんでお前もういるんだ!?」
「時間通り来たから」
「…………」
「寝坊した?」
「…………ちょっと」
レンは時計を見る。
「ちょっと?」
「うるさい!」
「だから何回も言っただろ!」
「昨日楽しみすぎて眠れなかったんだよ!」
「それで寝坊したら意味ないじゃん!」
「分かってるよ!」
「カゲカゲ!」
ヒトカゲが腹を抱えるように笑う。
「ヒトカゲまで笑うな!」
さすがにレンも我慢できず、笑ってしまった。
◇
しかし、サトシにとっては笑い事ではなかった。
「博士! オレのポケモンは!?」
「それがじゃな……」
オーキド博士が困ったように頭を掻く。
サトシの表情が固まる。
「フシギダネは?」
「もう別のトレーナーと旅立った」
「ゼニガメ!」
「同じじゃ」
「じゃあヒトカゲ!」
反射的にサトシがレンの隣を見る。
「カゲ?」
「いや、レンのヒトカゲじゃなくて!」
「分かってるよ」
「研究所におったヒトカゲも、すでに旅立った」
「そんなぁぁぁぁぁ!」
サトシがその場へ崩れ落ちる。
レンは少しだけ同情した。
何度も忠告したので、かなり自業自得ではあるが。
「何か……何かいないんですか!?」
「うむ……」
オーキド博士が考え込む。
やがて。
「一匹だけ、おるにはおる」
サトシの顔が勢いよく上がった。
「本当ですか!?」
「ただし、少々問題があってな」
「何でもいいです!」
即答だった。
レンは思わず目を細める。
(言ったな)
博士が一つのモンスターボールを持ってくる。
「それじゃあ、出ておいで」
光が広がる。
そこに現れたのは。
黄色い身体。
長い耳。
赤い頬。
稲妻の形をした尻尾。
「ピカ……」
ピカチュウ。
レンは静かに息を吐いた。
何度も見た。
知っている。
サトシの相棒。
けれど、画面の向こうで見るのと、実際に目の前に立っているのとではまるで違う。
サトシの顔が輝いた。
「ピカチュウ!」
「ピカ」
ピカチュウがサトシを見る。
その顔には、好意らしきものがほとんどない。
レンは僅かに口元を引きつらせた。
「サトシ」
「なんだ?」
「いきなり触らない方が――」
「よろしくな、ピカチュウ!」
遅かった。
サトシが抱きつく。
ピカチュウの頬が光る。
「ピカァァァァ――チュウッ!」
「うわああああああ!」
激しい電撃が研究所を照らした。
ヒトカゲが驚いてレンの横へ飛び退く。
「カゲ!?」
レンも思わず一歩下がった。
やがて煙が晴れる。
そこには黒焦げになったサトシが倒れていた。
「……実物すごいな」
思わず漏れた。
「なんで……」
サトシが震えながら身体を起こす。
「なんで攻撃するんだよ……」
「ピカ」
ピカチュウはそっぽを向いた。
オーキド博士が苦笑する。
「少々、人間に慣れておらんところがあってな」
「それ先に言ってくださいよ!」
「問題があるとは言ったじゃろ」
「こういう問題だとは思わないですよ!」
レンは笑いを堪えられなかった。
「だから慎重にって言ったのに」
「笑うな!」
「カゲカゲ!」
「ヒトカゲも!」
ピカチュウだけが、騒ぐサトシを面倒そうに見ていた。
それでも。
レンは知っている。
この最悪に近い出会いから。
この一人と一匹は始まる。
ただ、その未来を教えるつもりはない。
絆は結果を知っているだけで手に入るものではないからだ。
サトシ自身がピカチュウと向き合い、ピカチュウ自身がサトシを見る。
そうして初めて生まれるものだ。
◇
サトシの手続きも終わり、二人はいよいよ研究所を出た。
外には両親たちやオーキド博士が見送りに集まっている。
ハナコは大量の荷物を抱えていた。
「サトシー! これも持っていきなさい!」
「母さん!? 多すぎるよ!」
「着替えでしょう、それから下着と――」
「みんなの前で言うなよ!」
「何恥ずかしがってるのよ」
レンはそのやり取りを見て笑った。
前世で見た光景とよく似ている。
けれど、同じではない。
自分がいる。
ヒトカゲもいる。
ほんの少しずつ。
知っている世界とは違う道が始まっている。
レンも両親の前へ立った。
「じゃあ、行ってくる」
母が頷く。
「行ってらっしゃい」
父もレンを見る。
「困ったら考えろ。それでも分からなければ、人に頼れ」
「うん」
「全部一人で解決する必要はない」
「覚えておく」
ヒトカゲも二人へ頭を下げる。
「カゲ!」
母がしゃがみ、その頭を撫でた。
「レンをよろしくね」
「カゲ!」
「俺がよろしくされる側なんだ」
「当然でしょう」
「カゲ!」
「ヒトカゲまで即答しないで」
最後まで変わらないやり取りに、レンは笑った。
そして。
今度こそ歩き出そうとした、そのときだった。
「待て」
背後から聞き覚えのある低い声が響いた。
レンの足が止まる。
「……え?」
振り返る。
道の向こうから、一人の大柄な男が歩いてくる。
「シバおじさん?」
四天王シバ。
そして、その隣。
「リオ!」
青い小さな身体が駆け出した。
レンより早く反応したのはヒトカゲだった。
「カゲ!」
二匹が互いへ向かって走る。
「リオ!」
「カゲ!」
道の中央で拳が重なった。
こつん!
久しぶりの再会。
ヒトカゲは嬉しそうだ。
リオルも笑っている。
「どうしてここに?」
レンが尋ねると、シバは隣のリオルへ目を向けた。
「こいつが来ると決めた」
「リオルが?」
「ああ」
シバはそれ以上説明しなかった。
レンはリオルを見る。
リオルもこちらを見ている。
前回の別れ際。
リオルはまだ答えを出していなかった。
シバと鍛えることも好きだった。
レンやヒトカゲと過ごす時間にも惹かれていた。
だから、誰も急がせなかった。
その答えを。
今日。
リオル自身が持ってきた。
シバが静かに口を開く。
「リオル」
「リオ」
「ここから先は、自分で伝えろ」
「リオ」
リオルが一歩前へ出る。
レンは動かない。
来いとは言わない。
自分と一緒に旅をしろとも言わない。
ただ待つ。
リオルがヒトカゲを見る。
「カゲ」
ヒトカゲは嬉しそうに拳を上げる。
けれど、リオルはまだ動かない。
一度だけ後ろを振り返る。
そこにはシバがいる。
山で傷ついていた自分を助けた人。
身体を治してくれた人。
自分が再び山へ戻ったあとも、戻ってきた自分を拒まなかった人。
そして、強さを教えてくれた人。
「リオ」
リオルがシバへ深く頭を下げた。
シバは静かに見つめ返す。
「決めたんだな」
「リオ!」
「なら行け」
その言葉に迷いはなかった。
リオルは顔を上げる。
そしてレンへ向き直った。
一歩。
また一歩。
ゆっくり近づいてくる。
やがてレンの前で止まった。
「リオ」
レンはしゃがみ、目線を合わせる。
「リオル」
「リオ」
「俺と一緒に来たい?」
「リオ!」
力強い返事だった。
レンは思わず笑う。
「そっか」
それ以上は必要なかった。
レンはオーキド博士から受け取ったモンスターボールを一つ取り出す。
手のひらに乗せ、リオルへ見せた。
「じゃあ、正式に俺の仲間になってくれる?」
「リオ!」
リオルは迷わず拳を伸ばした。
ボールの中央へ触れる。
光が身体を包む。
リオルがボールの中へ入る。
一度。
二度。
三度。
静止。
レンはボールを見つめた。
ヒトカゲとは違う出会いだった。
卵から育てたわけではない。
ずっと一緒にいたわけでもない。
最初はシバの隣にいた。
そこから何度も会い。
一緒に走り。
一緒に考え。
ヒトカゲと戦い。
別れ。
再び会った。
その時間の中で、リオル自身が決めた。
レンはモンスターボールを開く。
「出ておいで、リオル」
光が広がる。
「リオ!」
リオルが姿を現した。
ヒトカゲがすぐに駆け寄る。
「カゲ!」
「リオ!」
こつん。
二匹の拳が重なる。
昨日まではライバルであり、友達だった。
今日からは。
仲間でもある。
レンも二匹の前へ拳を出した。
「よろしく、リオル」
「リオ!」
「ヒトカゲも」
「カゲ!」
三つの拳が重なる。
「三人で強くなろう」
「カゲ!」
「リオ!」
その声を聞いていたサトシが我慢できなくなったように駆け寄ってくる。
「すっげえ! リオルもレンと行くのか!」
「そうみたい」
「最初から二匹いるじゃん! ずるい!」
「ずるいって何が?」
「オレなんてピカチュウとまだ全然――」
「ピカ?」
「いや、仲良くなろうとはしてるぞ?」
「ピカ」
「その顔やめろよ!」
リオルが不思議そうに二人を見る。
「リオ?」
ヒトカゲがリオルの肩へ手を置いた。
「カゲ」
「リオ……」
なぜか納得したように頷く。
「お前ら今絶対失礼な話しただろ!」
「カゲ?」
「リオ?」
二匹が揃って首を傾げた。
レンは吹き出した。
「息合うの早いな」
「笑うなレン!」
◇
出発する前に、レンはシバのところへ向かった。
「シバおじさん」
「なんだ」
「ありがとう」
シバは首を横へ振る。
「礼を言われることではない」
「でも、リオルを助けてくれたのはシバおじさんだから」
レンはリオルを見る。
「あのとき助けてくれてなかったら、俺はリオルと会えてなかった」
シバは少し黙った。
「そういう意味なら受け取っておこう」
「うん」
リオルもシバの前へ立つ。
「リオ」
シバがしゃがむ。
大きな手をリオルの頭へ置いた。
「俺から教えられることは、まだいくらでもある」
「リオ」
「だが、それだけが強さではない」
リオルが真剣に聞く。
「レンと歩け。ヒトカゲと競え。知らない相手と戦え」
シバの目がレンへ向く。
「そして、自分にとって一番強い形を探せ」
「リオ!」
力強く頷く。
「次に会ったとき、俺を驚かせてみろ」
「リオ!」
レンも頷いた。
「絶対強くなるよ」
「お前が強くするのか?」
シバの問いに、レンは一瞬考えた。
以前なら。
そう答えていたかもしれない。
けれど。
今は違う。
「一緒に強くなる」
「カゲ!」
「リオ!」
シバの口元が僅かに上がった。
「ああ。それでいい」
◇
そして。
ついにその瞬間が来た。
レンはマサラタウンの外へ続く道の前に立つ。
右側にはヒトカゲ。
左側にはリオル。
二匹ともモンスターボールには戻らず、レンと一緒に歩くつもりらしい。
少し前にはサトシがいる。
そのさらに前。
「ピカチュウ、待ってくれよ!」
「ピカ」
「一緒に歩こうぜ!」
「ピカ」
「なんでそんな離れるんだよ!」
「ピカ!」
「うわっ!」
ピカチュウはサトシとの距離を保ちながら歩いている。
あまりにも対照的だった。
レンは苦笑する。
「まずは仲良くなるところからだな」
「分かってるよ!」
「頑張れ」
「その余裕ある感じ腹立つ!」
「カゲカゲ!」
「リオ!」
ヒトカゲとリオルも笑う。
「お前らまで!」
レンは笑いながら歩き出した。
数歩進んだところで、一度だけ振り返る。
マサラタウン。
父。
母。
オーキド博士。
シバ。
ハナコ。
自分を育ててくれた人たちがいる。
ここで。
十年間。
レンは旅に出る準備をしてきた。
三歳で前世の記憶を取り戻した頃には、自分が本当にこの日を迎えられるのかすら分からなかった。
五歳で父から育成を学んだ。
六歳でシバから強さについて教わった。
サマーキャンプではセレナと出会った。
八歳で、一つの卵を拾った。
そして。
ヒトカゲと出会った。
リオルとも出会った。
二匹と一緒に考え、鍛え、戦ってきた。
その全てを持って。
今日。
ようやくスタートラインへ立った。
レンは大きく手を振る。
「行ってきます!」
「カゲー!」
「リオー!」
サトシも振り返る。
「オレも行ってきまーす!」
「ピカ」
ピカチュウも一度だけ振り返った。
そして、再び前を向く。
レンも前を見る。
どこまでも続く道。
この先に何が待っているのか。
知っていることもある。
知らないこともある。
知っていたはずの未来が変わることだってあるだろう。
それでいい。
前世の知識は使う。
けれど、答えにはしない。
自分の目で見る。
ヒトカゲの目で見る。
リオルの目で見る。
考えて。
選んで。
戦う。
レンは隣を歩く二匹へ目を向けた。
「ヒトカゲ」
「カゲ!」
「リオル」
「リオ!」
レンが拳を出す。
二匹も拳を重ねた。
「行こう」
一度息を吸う。
そして、ずっと胸の中にあった言葉を口にした。
「世界の頂まで」
「カゲ!」
「リオ!」
三つの拳が離れる。
レンは前へ踏み出した。
その隣をヒトカゲとリオルが歩き、少し先ではサトシがピカチュウを追いかけている。
ここまで積み重ねてきた日々は、決して長い旅の前座ではない。
その一日一日が、レンたちを今日の場所まで連れてきた。
けれど。
本当の冒険は、ここからだ。
ジム。
ポケモンリーグ。
まだ見ぬ強敵。
まだ知らないポケモン。
数え切れない出会いと戦いの先に、レンが目指す場所がある。
今はまだ遠い。
手を伸ばしたところで、到底届かない。
だからこそ、一歩ずつ進む。
一戦ずつ強くなる。
ヒトカゲと。
リオルと。
仲間たちと共に。
いつの日か、本当に世界最強と呼ばれるその日まで。
マサラタウンから伸びる道を歩きながら、レンは遥か先にある頂を見据えた。
少年と二匹のポケモンが刻む――『頂への軌跡』
その本当の第一歩が、今、始まった。