ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
トキワシティを離れてしばらくすると、三人の前に広がる景色は大きく変わった。
背の高い木々が空を覆い、枝葉の隙間から差し込む朝日が地面にまだらな模様を描いている。街道よりも土と草の匂いが濃く、風が吹くたびに葉の擦れる音が森の奥まで伝わっていった。
トキワの森。
次の目的地であるニビシティへ向かうには、この広大な森を抜けなければならない。
「すっげえ! どこ見ても木ばっかりだ!」
先頭を歩いていたサトシが目を輝かせると、その肩に乗ったピカチュウも興味深そうに周囲を見回した。
「森なんだから当たり前でしょ」
すぐ後ろからカスミの呆れた声が飛ぶ。
「分かってるよ! そういう意味じゃなくて、なんかこう……冒険って感じがするだろ!」
「全然説明になってないわよ」
「うるさいな!」
朝から変わらず言い合う二人を眺め、レンは小さく笑った。
昨日まではサトシと二人で始まった旅だったが、今では黒焦げになった自転車の弁償を求めるカスミが加わっている。本人はあくまで「自転車を直してもらうまで」と言い張っているものの、少なくとも当分は一緒に行動することになりそうだった。
「ねえ、レン」
「何?」
カスミが隣まで来ると、前を歩くサトシを指さした。
「本当にあんたたち幼なじみなの?」
「そうだけど」
「どうして同じマサラタウンで育って、こんなに違うの?」
「おい! 聞こえてるぞ!」
サトシが即座に振り返った。
「レンは落ち着いてるのに、あんたは何か見つけるたびにすぐ走っていくじゃない」
「オレだって落ち着いてる!」
その直後、近くの茂みが揺れた。
「ポケモンか!?」
サトシが勢いよく駆け出す。
カスミが無言でレンを見る。
レンも無言で見返した。
少しして、茂みの向こうからサトシの声が聞こえてきた。
「……今のなし!」
「説得力なさすぎるわよ!」
「ピカ……」
ピカチュウまで呆れたように息を吐いた。
◇
森を進みながら、レンは周囲だけでなくヒトカゲとリオルの様子にも注意を向けていた。
二匹とも昨日の疲労はかなり抜けている。
それでも本格的な訓練を再開するつもりはなかった。
「ヒトカゲ、足元」
「カゲ」
ヒトカゲは前方に張り出した太い木の根へ視線を落とし、歩幅を調整して滑らかに乗り越える。
「リオルも前だけじゃなくて、上や横も意識して」
「リオ」
リオルが顔を上げた。
頭上の枝では野生のポケモンがこちらを窺い、少し離れた茂みからも小さな物音がする。リオルは一つだけに意識を集中させず、周囲を順番に確認した。
「そう。それでいいよ」
マサラタウンでも様々な場所で訓練してきたが、本当の旅では整った場所ばかりを歩けるわけではない。木の根や落ち葉、石、枝、視界を遮る草木など、森を歩くことそのものが経験になる。
技を何十回も使わせることだけが訓練ではない。
昨日は二匹とも相当な負担がかかっている。
ならば今日は、身体を戻しながら新しい環境に慣れることを優先する。
レンがそんなことを考えていると、前を歩いていたサトシが突然立ち止まった。
「……いた」
レンたちも足を止める。
「どうしたの?」
「静かに!」
サトシが声を潜めながら少し先を指さした。
草むらの近くに、小さな緑色のポケモンがいる。
頭には赤い触角。
「キャタピーだ」
レンが小さく呟く。
「野生のポケモン……!」
サトシの目が一気に輝いた。
「ピカ」
ピカチュウもキャタピーへ目を向ける。
サトシは腰からモンスターボールを取り出した。
「よし! 今度こそオレもポケモンを捕まえるぞ!」
その瞬間だった。
「いやああああああっ!」
カスミの悲鳴が森中へ響き渡った。
「うわっ!?」
サトシだけでなくキャタピーまで驚き、身体を縮める。
カスミはあっという間にレンの後ろまで下がっていた。
「む、虫! 虫ポケモン!」
「そんなに苦手なの?」
レンが振り返ると、カスミは本気で嫌そうな顔をする。
「そんなにって何よ! 虫よ!?」
「キャタピーだぞ?」
サトシが首を傾げる。
「分かってるわよ!」
「かわいいじゃん」
「どこがよ!」
サトシがキャタピーを見る。
キャタピーも不思議そうに身体を傾けた。
「ほら、かわいい」
「近づけないで!」
「まだオレのポケモンじゃないって!」
「だったら早くどこかへ行ってもらいなさいよ!」
「いや、捕まえる!」
「なんでよ!」
「オレはポケモントレーナーだからだ!」
妙なところで堂々と胸を張るサトシに、レンは思わず笑った。
しかし次の瞬間、サトシは本当にモンスターボールを構える。
「いけ、モンスターボール!」
「え、戦わないで――」
レンが言い終えるより早くボールが飛んだ。
キャタピーへ当たり、その身体が赤い光へ変わって吸い込まれる。
地面へ落ちたモンスターボールが揺れる。
一度。
二度。
三度。
やがて完全に静止した。
「……え?」
レンが瞬きをした。
投げた本人であるサトシも驚いている。
「捕まった……?」
「ピカ?」
サトシとピカチュウが顔を見合わせた。
次の瞬間。
「やったぁぁぁぁぁ!」
「ピカピカ!」
サトシがモンスターボールを高く掲げる。
「ポケモン、ゲットだぜ!」
その隣でピカチュウも片腕を上げた。
レンにとっては知っていた光景。
それでも、実際に幼なじみが目の前でやっている姿を見ると、前世で画面越しに見ていたものとはまるで違う。
「おめでとう、サトシ」
「おう!」
「まさか一回も戦わずに捕まえるとは思わなかったけど」
「これがオレの実力だ!」
「それはどうかな」
「なんでだよ!」
笑いながら言い返したサトシは、すぐにボールを開いた。
「出てこい、キャタピー!」
赤い光が地面へ集まり、キャタピーが姿を現す。
「キャタ!」
「いやああああっ!」
再びカスミが逃げた。
「だから出さないでって言ってるでしょ!」
「せっかく仲間になったんだからいいだろ!」
「虫ポケモンは駄目なの!」
「キャタ……」
嬉しそうだったキャタピーの触角が僅かに下がる。
キャタピーはカスミへ興味があるらしく、一歩だけ近づこうとした。
「キャタ?」
「こ、来ないで!」
カスミがさらに後退する。
キャタピーの動きが止まった。
その様子を見ていたレンは、少しだけ表情を変えた。
「カスミ」
「何よ?」
「苦手なのは仕方ないと思う。でも、キャタピー自身が悪いわけじゃないよ」
「……分かってるわよ」
カスミは視線を逸らした。
レンもそれ以上は言わない。
苦手なものを今すぐ好きになれと言うつもりはないし、キャタピーへ無理に近づけとも言えない。
サトシは少し考えたあと、キャタピーの前へしゃがんだ。
「気にするなよ」
「キャタ?」
「カスミは虫ポケモンが苦手なんだってさ。お前が嫌な奴だからじゃないから」
「キャタ……」
「これからよろしくな!」
サトシが笑う。
キャタピーは少し元気を取り戻したらしく、嬉しそうに鳴いた。
「キャタ!」
「ピカ!」
ピカチュウも肩から降り、キャタピーへ声をかける。
新しい仲間。
それも、サトシが初めて自分で捕まえたポケモンだ。
レンはその光景を静かに見守った。
◇
その夜、三人は森の中で野営することになった。
食事を済ませたレンはヒトカゲとリオルの食欲や動きを確認し、昼間の移動で疲労が戻っていないことを確かめた。二匹とも状態は良く、翌日からは少しずつ普段の訓練量へ戻しても問題なさそうだった。
サトシは初めて自分でポケモンを捕まえた興奮がなかなか冷めなかったものの、旅の疲れには勝てなかったらしく、横になるとほどなく眠ってしまった。
カスミも少し離れた場所で休んでいる。
レンが焚き火の状態を確認していると、小さな鳴き声が聞こえた。
「キャタ……」
少し離れた場所で、キャタピーが夜空を見上げている。
その隣にはピカチュウがいた。
「ピカ?」
「キャタ、キャタピー」
「ピカ……ピカピカ」
レンにはポケモンの言葉を人間の会話として完全に理解できるわけではない。
それでも、キャタピーが何を見ているのかは分かった。
月明かりの下。
木々の上を、一匹のバタフリーが飛んでいる。
「キャタ……!」
キャタピーは目を輝かせながら、空を舞うその姿を見つめていた。
いつか自分もあんなふうに飛びたい。
そう願っていることが、言葉が分からなくても伝わってくるようだった。
レンは二匹へ近づかなかった。
これは自分が割り込む時間ではない。
やがてバタフリーが月明かりの向こうへ消えると、キャタピーは名残惜しそうにその姿を見送った。
レンは眠っているヒトカゲとリオルへ目を向ける。
進化。
前世でゲームをしていた頃なら、決められた条件を満たせば起こるシステムだった。
しかし、この世界に生きているポケモンにとっては、それだけではない。
自分がどんな姿になりたいのか。
どこまで強くなりたいのか。
その意思も大切なのだろう。
いつかヒトカゲやリオルにも、その時が来る。
そのときは自分の都合だけで決めるのではなく、二匹自身の意思を確かめよう。
レンはそう心に決め、静かに目を閉じた。
◇
翌朝。
森の中を歩き始めて間もなく、サトシが再び足を止めた。
「いた!」
「今度は何?」
カスミが警戒する。
サトシが指さした先では、一羽のポケモンが地面へ降りて餌を探していた。
「ピジョンだ!」
レンも目を向ける。
淡い茶色の身体に、頭部の赤みがかった羽。
サトシはすぐモンスターボールを取り出した。
「よーし、昨日みたいに!」
「またいきなり投げるの?」
レンが声をかける。
「昨日捕まっただろ?」
「昨日うまくいったからって、全部のポケモンが同じように捕まるとは限らないよ」
「やってみなきゃ分からない!」
サトシはそのままボールを投げた。
しかし今度はピジョンが翼を広げ、飛んできたボールを簡単に弾き返す。
「うわっ!」
「ほら」
「まだだ!」
転がったボールを拾い上げたサトシは、今度こそピジョンを真剣に見据えた。
「だったら戦って弱らせてから捕まえる!」
「それならいいと思う」
「最初から教えてくれよ!」
「自分でやってみた方が覚えるでしょ」
「レン、たまに厳しくないか!?」
文句を言いながらも、サトシはすぐに次の行動へ移った。
「キャタピー、君に決めた!」
光の中からキャタピーが現れる。
「キャタ!」
やる気は十分。
だが、レンはピジョンとキャタピーを見比べた。
相性以前に、空を自在に飛べるピジョンと地上を這うキャタピーでは、機動力に大きな差がある。
「キャタピー、『いとをはく』!」
「キャタ!」
白い糸が放たれる。
ピジョンは翼を大きく羽ばたかせて横へ飛び、簡単にかわした。そのまま高度を上げると、急降下してキャタピーへ襲いかかる。
「避けろ!」
キャタピーは必死に身体を動かしたものの間に合わず、攻撃を受けて地面を転がった。
「キャタピー!」
「キャタ……!」
それでもキャタピーは立ち上がろうとする。
「もう一回――」
サトシは言いかけて、止まった。
傷ついたピカチュウを抱えて走った昨日の出来事が、頭を過ぎったのかもしれない。
「……戻れ、キャタピー」
「キャタ?」
「無理しなくていい。お前は昨日仲間になったばっかりだろ」
キャタピーは悔しそうにピジョンを見たものの、最後には頷いた。
「キャタ」
赤い光となってモンスターボールへ戻る。
レンは口を挟まず、その判断を見守った。
昨日までのサトシなら、意地になって続けさせていたかもしれない。
しかし今回は、自分で止めた。
サトシは肩にいる相棒へ目を向ける。
「ピカチュウ、力を貸してくれるか?」
「ピカ!」
ピカチュウが自分から地面へ飛び降りた。
ピジョンも翼を広げる。
「いくぞ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
ピジョンが先に飛び上がった。
サトシはその動きを追いながら叫ぶ。
「『でんきショック』!」
「ピカァ!」
電撃が走る。
しかしピジョンは上昇しながら進路を変え、電撃をかわした。そのまま旋回すると、鋭い勢いでピカチュウへ急降下してくる。
「速っ!」
サトシの反応が遅れる。
「ピカ!」
ピカチュウは自分の判断で横へ跳んだ。
直後、ピジョンが先ほどまでピカチュウのいた場所を通過する。
レンは黙って戦いを見ていた。
サトシの戦いだ。
危険になれば止める。
けれど、自分で考える機会まで奪う必要はない。
ピジョンが再び上昇する。
「また来る……」
サトシが呟く。
先ほどと同じように急降下してくるつもりなのだろう。
サトシはすぐ攻撃を命じなかった。
「ピカチュウ、今度は待つんだ!」
「ピカ!」
ピジョンが高度を落とす。
距離が縮まる。
「まだ!」
さらに接近。
サトシはギリギリまで引きつける。
「今だ、避けろ!」
「ピカ!」
ピカチュウが横へ跳ぶ。
ピジョンの攻撃が空を切った。
「そこだ! 『でんきショック』!」
「ピカァァァ!」
至近距離から放たれた電撃がピジョンを捉える。
「ピジョォ!」
地面へ落ちたピジョンへ向けて、サトシはすぐモンスターボールを投げた。
ボールが身体へ触れ、ピジョンを吸い込む。
一度。
二度。
三度。
静止。
「やったぁぁぁ!」
サトシが駆け寄り、モンスターボールを拾い上げた。
「ピジョン、ゲットだぜ!」
「ピッカ!」
ピカチュウも一緒に腕を上げる。
「見たか、レン!」
「見てたよ。おめでとう」
「今度はちゃんと戦って捕まえたぞ!」
「うん。それに、キャタピーを途中で戻せたのもよかった」
「え?」
「あのまま続けたら、キャタピーがもっと傷ついてた。捕まえたいって気持ちより、仲間の状態を優先できたんだから」
サトシは少し照れ臭そうに鼻の下を擦った。
「まあ、オレはトレーナーだからな!」
「まだ二日目だけどね」
「余計な一言つけるなよ!」
「でも、昨日よりはちょっとだけトレーナーらしくなったんじゃない?」
カスミも笑う。
「ちょっとだけってなんだよ!」
「ちょっとはちょっとよ!」
再び始まった二人の言い争いを眺めながら、レンはサトシの持つモンスターボールへ目を向けた。
ピカチュウ。
キャタピー。
ピジョン。
旅立ったばかりの頃は最初の一匹とさえ上手くいっていなかった幼なじみが、少しずつ本当のトレーナーになり始めている。
レンもヒトカゲとリオルを見る。
自分はサトシとは違う。
少なくともカントーでは、むやみに仲間を増やすつもりはない。
この二匹とどこまで行けるのか。
どこまで強くなれるのか。
まずはそれを確かめたい。
「カゲ?」
「リオ?」
「俺たちも負けてられないね」
「カゲ!」
「リオ!」
二匹から力強い返事が返ってきた。
◇
その日の午後。
森を進んでいた三人は、突然聞こえてきた騒がしい声に足を止めた。
「なんだかんだと聞かれたら!」
レンの表情が固まる。
「……また?」
「答えてあげるが世の情け!」
木々の向こうから姿を現したのは、昨日ポケモンセンターを襲撃したばかりの三人組だった。
ムサシ。
コジロウ。
そしてニャース。
「ロケット団!」
サトシが声を上げる。
「昨日吹っ飛ばされたばっかりでしょうが!」
カスミも呆れている。
「昨日の屈辱、忘れたとは言わせないわよ!」
ムサシがサトシを指さした。
コジロウも隣で頷く。
「我々が狙うのは、お前のピカチュウだ!」
「ピカ?」
「昨日の電撃は普通じゃなかったニャ! あんなピカチュウをボスに献上すれば、きっと大出世間違いなしニャ!」
サトシはすぐピカチュウの前へ立った。
「誰がお前らなんかに渡すか!」
レンも警戒しながらヒトカゲとリオルへ視線を送る。
「カゲ」
「リオ」
二匹もすぐに構えた。
昨日のような屋内ではない。
しかし、ここは森だ。
炎を好き勝手に使っていい場所でもない。
乾いた落ち葉や枝へ燃え移れば、ロケット団どころの話ではなくなる。
レンが周囲を確認している間に、ムサシとコジロウがそれぞれモンスターボールを投げた。
「いきなさい、アーボ!」
「ドガース、出番だ!」
「アーボ!」
「ドガース!」
サトシはピカチュウと一緒に前へ出る。
「よし、ピカチュウ!」
「待って、サトシ」
レンが止めた。
「何だよ?」
「相手はピカチュウを狙ってる。最初から正面に出したら集中して狙われるよ」
サトシがアーボとドガースを見る。
「じゃあ――」
腰のボールへ手を伸ばした。
「ピジョン、君に決めた!」
光の中から、捕まえたばかりのピジョンが飛び出す。
「ピジョ!」
「おお!」
サトシの表情が明るくなる。
「頼むぞ、ピジョン!」
だが。
「そんなポケモンで私たちに勝てると思ってるの?」
ムサシが笑った。
「アーボ、やっておしまい!」
「アーボ!」
「ドガースもいけ!」
「ドガース!」
二匹が同時に動く。
「ピジョン、上だ!」
サトシの指示でピジョンが飛び上がる。
地上から迫ったアーボをかわし、そのままドガースへ向かおうとした。
しかし。
「ドガース!」
ドガースの身体から濃い煙が広がった。
「何だ!?」
ピジョンの視界が塞がれる。
「ピジョ!」
「ピジョン!」
煙の中からアーボが飛びかかる。
ピジョンが弾き飛ばされた。
「くそっ!」
サトシが歯を食いしばる。
捕まえたばかり。
連携もまだ十分ではない。
「戻れ、ピジョン!」
赤い光がピジョンを包んだ。
「次は――」
サトシが別のボールへ手を伸ばす。
その手が止まった。
キャタピー。
先ほどピジョンとの戦いで傷ついたばかりだ。
「……駄目だ」
サトシはボールを握りながら呟いた。
「キャタピーはさっき戦ったばかりだ」
レンがサトシを見る。
ちゃんと覚えている。
「だったら俺たちも――」
レンが動こうとした。
そのとき。
サトシの腰にあるボールが揺れた。
「え?」
もう一度。
カタッ。
「キャタピー?」
サトシがボールを手に取る。
中から出たがっている。
「お前……戦いたいのか?」
ボールが再び揺れた。
サトシは迷う。
「でも、お前はさっき……」
レンもキャタピーの状態を思い出す。
ピジョンの攻撃を受けた。
ただし、サトシが早めに戻したため大きな怪我にはなっていない。
それでも。
決めるのはサトシだけではない。
「一度出して、キャタピーの様子を見よう」
レンが言った。
「無理そうならすぐ戻す。それでいいと思う」
「……分かった」
サトシがボールを開く。
「出てこい、キャタピー!」
「キャタ!」
姿を現したキャタピーは、真っ直ぐアーボとドガースを見た。
怯えていない。
むしろ。
戦う気だ。
「本当にいけるか?」
サトシが聞く。
「キャタ!」
力強い返事。
サトシの顔が変わった。
「よし。一緒にやろう!」
「キャタ!」
ムサシが鼻で笑う。
「そんなちっちゃな虫ポケモンで何ができるのよ!」
「やってみなきゃ分からないだろ!」
アーボが地面を滑るように迫る。
「キャタピー、『いとをはく』!」
「キャタピー!」
白い糸が勢いよく飛び出した。
アーボが避けようと身体を曲げる。
しかしピジョンほど速くはない。
糸が身体へ絡みつく。
「アーボ!?」
「今だ!」
キャタピーがさらに糸を重ねる。
「キャタ!」
アーボの動きが鈍る。
「ドガース、何してるの!」
コジロウが叫ぶ。
「ドガース!」
ドガースが前へ出る。
キャタピーへ迫ろうとした瞬間。
「キャタピー、横!」
サトシの指示に、キャタピーが身体を曲げて避ける。
完全には避けきれず、地面を転がった。
「キャタピー!」
「キャタ……!」
それでもすぐに身体を起こした。
レンはその姿を見つめる。
昨日捕まえたばかり。
さっきピジョンにも負けた。
それでも。
逃げようとはしない。
(強いな)
純粋な力ではない。
諦めない気持ち。
自分も役に立ちたいという意思。
それが強い。
「キャタピー!」
サトシが叫ぶ。
キャタピーが振り返る。
「もう一回いくぞ!」
「キャタ!」
「『いとをはく』!」
今度はドガースへ。
「ドガース、避けろ!」
コジロウが命じる。
しかしキャタピーは一発で狙わない。
一度目を外す。
ドガースが横へ動く。
そこへ。
「もう一回!」
二発目。
白い糸がドガースへ絡みついた。
「ドガース!?」
「やった!」
サトシが拳を握る。
ピカチュウも声を上げる。
「ピカ!」
カスミも驚いたようにキャタピーを見る。
「……やるじゃない」
キャタピーがその声に反応する。
「キャタ?」
一瞬。
嬉しそうな顔。
「よそ見するな!」
サトシが叫ぶ。
「キャタ!」
すぐ前を向く。
レンは思わず笑った。
「サトシ!」
「分かってる!」
アーボとドガース。
二匹とも糸で動きを制限されている。
サトシはキャタピーを見る。
「最後だ!」
「キャタ!」
「『たいあたり』!」
キャタピーが地面を蹴った。
小さな身体で。
一直線に。
まずアーボへ激突。
「アーボォ!」
続けて身体の向きを変える。
「もう一回!」
「キャタピー!」
ドガースへ。
激突。
「ドガァ!」
二匹がムサシとコジロウの方へ吹き飛ばされる。
「ちょっとぉ!」
「こっちに来るなぁ!」
四人がぶつかる。
ニャースも巻き込まれる。
「ニャァァ!」
レンがすぐサトシを見る。
「今!」
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
ピカチュウが前へ出る。
サトシが指を向けた。
「『でんきショック』!」
「ピッカァァァァ!」
電撃が走る。
ロケット団をまとめて包み込む。
「ぎゃあああああ!」
「また電撃ぃぃぃ!」
「やっぱりこのピカチュウ欲しいニャァァァ!」
爆発。
三人と二匹がまとめて空へ吹き飛んでいった。
「覚えてなさぁぁぁい!」
「絶対そのピカチュウを手に入れるぞぉぉぉ!」
「ニャァァァァ!」
声が遠ざかっていく。
森に静けさが戻った。
「……勝った」
サトシが呟く。
「キャタ」
「勝ったぞ、キャタピー!」
「キャタピー!」
サトシが駆け寄る。
キャタピーも嬉しそうに鳴いた。
「すごかったぞ! お前!」
「ピカピカ!」
ピカチュウも近づく。
そして。
カスミも。
少しだけ。
キャタピーの近くまで来た。
「……まあ」
キャタピーがカスミを見る。
「キャタ?」
カスミはまだ少し身体を引いている。
それでも。
今度は逃げなかった。
「ちょっとだけ、見直したわ」
「キャタ……!」
キャタピーの顔が一気に明るくなる。
その瞬間だった。
「え?」
キャタピーの身体が光り始めた。
「キャタピー!?」
サトシが驚く。
レンも目を見開いた。
白い光がキャタピーの全身を包み込む。
身体の形が変わる。
柔らかな幼虫の身体から。
硬い殻を持つ姿へ。
光が消えた。
そこにいたのは。
緑色の身体を持つポケモン。
「トランセル……!」
サトシがポケモン図鑑を向ける。
図鑑からトランセルの情報が流れる。
「進化した……」
カスミも驚いている。
「トランセル!」
サトシは大喜びで駆け寄った。
「すげえ! キャタピーがトランセルになった!」
「トランセル」
「おめでとう!」
「ピカ!」
ピカチュウも嬉しそうにトランセルへ近づく。
レンは少し離れた場所から、その姿を見ていた。
昨夜。
月明かりの下。
空を飛ぶバタフリーを見上げていたキャタピー。
いつか自分も。
そう願っていた。
その夢へ。
一歩。
近づいた。
レンもトランセルの前へしゃがむ。
「おめでとう」
「トランセル」
「昨日見てた姿まで、あと一つだね」
トランセルがレンを見る。
そして。
「トランセル!」
力強く鳴いた。
レンは笑う。
やはり。
進化は。
ただ強くなるためだけのものではない。
この子にとっては。
夢へ近づくための変化でもある。
「カゲ」
ヒトカゲがレンの隣へ来た。
「リオ」
リオルも。
レンは二匹を見る。
「二匹も、いつか進化したいって思ったら教えてね」
「カゲ?」
「リオ?」
「そのときは一緒に考えよう」
ヒトカゲは少し考えるように自分の手を見る。
リオルも静かに頷いた。
今すぐ答えを出す必要はない。
その時が来たとき。
自分たちで決めればいい。
◇
ロケット団との戦いを終えたあと、サトシはトランセルの状態を確認し、少し休憩を取ることにした。
レンもそれには賛成だった。
ヒトカゲとリオルは戦闘にはほとんど参加しなかったものの、森を歩き続けている。無理に先を急ぐ必要はない。
サトシはトランセルの隣へ座り、何度見ても嬉しいのか何度もその身体を眺めていた。
「なあ、レン」
「何?」
「トランセルって、次はバタフリーになるんだよな?」
「うん」
「そっか」
サトシはトランセルを見る。
「じゃあ、一緒にバタフリーまで強くなろうな!」
「トランセル!」
昨夜。
キャタピーが空を見上げていたことを。
サトシは知らない。
でも。
それでいいのかもしれない。
トレーナーとポケモンがこれから一緒に知っていけばいい。
やがて休憩を終え、一行は再び森の中を歩き始めた。
「次はどんなポケモンがいるかな!」
サトシが元気よく先頭を歩く。
「今度は見つけるたびに突っ走らないでよ」
「分かってるって!」
「さっきも同じこと言ってなかった?」
「言ってない!」
「言ったわよ!」
「ピカ……」
また始まった。
レンは苦笑しながら、ヒトカゲとリオルと一緒にその後を追った。
森の中をしばらく進んだ。
そのとき。
「待て!」
突然、聞き慣れない声が響いた。
サトシが立ち止まる。
レンも即座に周囲へ目を向けた。
木々の向こうから、一人の少年が姿を現す。
奇妙な甲冑。
腰にはモンスターボール。
その手には刀を思わせるものを持っている。
「……何、この人?」
カスミが眉を寄せる。
少年はまずサトシを見る。
肩のピカチュウ。
そして。
抱えているトランセル。
次にレンへ視線を移し、ヒトカゲとリオルを順番に見た。
「お前たち」
低い声が響く。
「ポケモントレーナーだな?」
「そうだけど」
サトシが答える。
少年は一歩前へ出た。
「どこから来た?」
「マサラタウン!」
その言葉を聞いた瞬間。
少年の目つきが変わった。
「マサラタウン……!」
「なんだよ?」
サトシが首を傾げる。
少年はサトシを真っ直ぐ指さした。
「待っていたぞ。マサラタウンから来る新人トレーナーを!」
「オレを?」
「勝負だ!」
突然の宣言。
しかし。
サトシの表情はすぐに変わった。
「ポケモンバトルか?」
「そうだ!」
サトシが笑う。
「だったら受けて立つ!」
「ピカ!」
ピカチュウも肩の上で声を上げる。
少年は満足そうに頷いた。
だが。
その視線は。
次にレンへ向けられた。
「お前もマサラタウンのトレーナーか?」
「うん」
「ならば、お前とも勝負する!」
「俺も?」
「当然だ!」
レンは少年を見る。
そして。
足元の二匹へ視線を落とした。
「カゲ!」
ヒトカゲはすでにやる気になっている。
「リオ!」
リオルも静かに重心を落とした。
レンは思わず笑った。
今日は身体を戻すことを優先していた。
しかし二匹の疲労はもうほとんど抜けている。
何より。
二匹自身が。
戦いたがっている。
「分かった」
レンは少年へ向き直った。
「二匹の状態を見ながらになるけど、それでもいいなら」
「構わん!」
少年は胸を張った。
「我が名はサムライ!」
トキワの森で。
サトシは初めて自分の手でポケモンを捕まえた。
ピジョンという新たな仲間を加え。
キャタピーは初めての大きな戦いを乗り越え、トランセルへ進化した。
そして今。
次に待っているのは。
トレーナー同士のポケモンバトル。
サトシは新たな仲間たちと。
レンはヒトカゲ、リオルと共に。
知らない相手との戦いへ挑もうとしていた。
トキワの森での冒険は、まだ終わっていない。