ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
「……なあ、タケシ」
「何だ?」
「本当にこっちで合ってるのか?」
サトシの問いに、先頭を歩いていたタケシの足がぴたりと止まった。
レンも立ち止まって周囲を見渡すが、目に入るのは木々と草、それにところどころ地面から顔を出している岩ばかりだった。しばらく前から似たような景色が続いており、どちらから来たのかさえ少し怪しくなってきている。
「地図では……」
タケシが地図を広げると、カスミが横から覗き込んだ。
「ちょっと。さっきもそれ見てなかった?」
「見ていた」
「そのときは?」
「こっちだと思った」
「今は?」
「……少し自信がない」
「迷ってるんじゃない!」
カスミの声が森の中に響き渡る。
「だいたい、サトシが変な道に入るからでしょ!」
「何でオレのせいなんだよ!」
「『こっちの方が近そうだ!』って走っていったの誰よ!」
「だって道があったじゃん!」
「あれは獣道だったでしょ!」
「ピカ……」
ピカチュウがサトシの肩の上で困ったように鳴く。
レンはそんな二人に苦笑しながら足元へ視線を落とした。ヒトカゲとリオルも周囲を見回し、何か手掛かりがないか探している。
「二匹とも、何か分かる?」
「カゲ……」
「リオ……」
ヒトカゲは少し考えてから首を横に振り、リオルも同じように首を振った。
「まあ、そう簡単にはいかないか」
旅に出てから、レンは二匹に戦闘中だけでなく、普段から周囲を見るよう促している。
地形や天候、野生ポケモンの気配など、戦い以外でも観察する癖をつけてほしいからだ。
とはいえ、一度も通ったことのない森で正確な道まで分かるはずもない。
「とりあえず戻る?」
レンが提案すると、カスミがすぐにサトシを見た。
「どこまで?」
「……」
サトシが黙り込む。
「……分かんない」
「もう!」
再び怒鳴るカスミを横目に、レンは木々の隙間から空を見上げた。
太陽の位置、ここまで歩いてきた時間、地面の傾斜。それらを頭の中で組み合わせてみるが、現在地を特定できるほどの情報はない。
前世の知識があれば、この先でどんな出来事が起こる可能性が高いかは分かる。
だが、それで森の中の現在地まで分かるわけではなかった。
(こういうところなんだよな)
知識は便利だ。
けれど、それだけでは足りない。
レンが改めてそう感じていた、そのときだった。
「痛いです!」
森の奥から声が聞こえた。
全員の表情が変わる。
「今の!」
サトシが反射的に走り出そうとしたため、レンはすぐにその腕を掴んだ。
「待って。まず声の場所を確認してから」
「あ、ああ」
足を止めて耳を澄ませる。
すると、もう一度。
「もう勘弁してください!」
今度ははっきり聞こえた。
右前方。
「こっち!」
方向を確認すると、レンたちは一斉に声のした方へ向かった。
◇
木々の間を抜けた先には、少し開けた場所があった。
そこで目にした光景に、サトシが目を丸くする。
「な、何だあれ?」
一人の少年がランニングマシンの上を必死に走っていた。その周囲には何人かの少年少女が立ち、手に持った問題集のようなものを見ながら声を飛ばしている。
「ほら、もっと速く!」
「これくらいできなくてどうするの?」
「ポケモンゼミの生徒なら常識でしょ?」
「む、無理です!」
走っている少年は明らかに苦しそうだった。
額から大量の汗が流れ、呼吸も乱れている。
それを見たサトシの眉が吊り上がった。
「おい!」
「サトシ」
レンが止めるより早く、サトシは飛び出していた。
「何やってるんだ!」
ゼミ生たちが驚いて振り返る。
「誰?」
「関係ない人は入ってこないでよ」
「関係ある!」
「どこがよ」
「今できた!」
「無茶苦茶ね……」
カスミは呆れた顔をしながらも、サトシの隣へ並んだ。
「でも、これはちょっとやりすぎじゃない?」
タケシも少年の状態を確認し、表情を曇らせる。
「かなり疲れているな」
レンも少年を観察した。
汗の量。
荒い呼吸。
乱れた足運び。
昨日見たアキラのサンドとは明らかに違う。
アキラの訓練も厳しかったが、サンド自身が続ける意思を示していたうえ、身体にもまだ余裕があった。
今の少年には、その余裕がない。
「一回止めた方がいい」
レンが言うと、ゼミ生の一人が振り返った。
「え?」
「これ以上続けても効率が落ちるよ。もう足も乱れてるし、この状態じゃ問題を解くどころじゃない」
「でも、これは特訓よ」
「特訓だからって、疲れさせればいいわけじゃないよ」
レンの声は穏やかだったが、引く気はなかった。
「一度休ませた方がいい」
ゼミ生たちは顔を見合わせる。
すると、走っていた少年自身が苦しそうに口を開いた。
「もう……いいよ」
ようやくランニングマシンが止まった。
「はぁ……はぁ……」
少年が膝に手をつくと、タケシがすぐに近づく。
「急に座り込まない方がいい。まず呼吸を整えろ」
「は、はい……」
しばらくして呼吸が落ち着くと、少年はレンたちへ顔を向けた。
「ありがとう。僕、ジュン」
「オレはサトシ!」
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
「俺はレン。この二匹はヒトカゲとリオル」
「カゲ!」
「リオ!」
「私はカスミ」
「タケシだ」
簡単な自己紹介を終えると、サトシは改めて周囲を見渡した。
「それで、ここ何なんだ?」
「ポケモンゼミだよ」
ジュンが答える。
「ポケモンゼミ?」
「ポケモントレーナーになるために、色んなことを勉強する学校なんだ」
「学校……」
その一言だけで、サトシの表情が露骨に曇った。
「勉強しないとトレーナーになれないのか?」
「そうじゃないよ。でも、ここでいい成績を取れば、ポケモンリーグへの道が有利になるんだ」
「へえ……」
サトシはあまり興味がなさそうだったが、レンは逆に強く惹かれていた。
ポケモンの生態、タイプ、技、育成、バトル。
前世ではゲームやアニメを通して知った情報を、この世界ではどのように体系化し、学問として教えているのか。
それは純粋に気になる。
「中、見てもいい?」
レンが尋ねると、ジュンは頷いた。
「もちろん」
「おい、レン」
サトシが小声で呼ぶ。
「何?」
「勉強だぞ?」
「だから?」
「嫌じゃないのか?」
「別に」
「信じられない……」
「サトシが嫌いすぎるんだよ」
「勉強なんて旅に必要ないだろ!」
「じゃあ、さっき道に迷ったのは?」
「……」
何も言い返せなくなったサトシを見て、カスミが吹き出した。
「レンの勝ちね」
「うるさい!」
◇
ポケモンゼミの中にはいくつもの教室があり、黒板や教材にはタイプ同士の相性、ポケモンごとの特徴、技の性質など、様々な情報がまとめられていた。
レンはそれらを一つずつ眺めていく。
(面白いな)
前世で知っていたものと同じ部分もあれば、微妙に違う部分もある。
当然といえば当然だ。
ここはゲームではない。
ポケモンが実際に生きている世界なのだから。
「これは?」
サトシが一枚の教材を手に取った。
タケシが横から覗き込む。
「問題だな。『この状況で最も有効な攻撃を選べ』……」
「簡単じゃん!」
サトシは自信満々に答えた。
しかし、すぐにタケシが首を横に振る。
「不正解だ」
「何でだよ!」
「問題を最後まで読め」
「細かいんだよ!」
「そこが問題なのよ!」
カスミが怒鳴り、ピカチュウは机の上で楽しそうに笑っている。
「ピカピカ」
レンも同じ問題へ目を通した。
ゲームなら、答えを選ぶこと自体は難しくない。
ただ、実際のバトルを経験した今だからこそ、少し引っかかるものがあった。
「これ、問題としては正解が決まってるけど、実戦なら状況次第じゃない?」
「どういうことだ?」
タケシが尋ねる。
「相手との距離も書いてないし、フィールドも分からない。お互いがどれくらい疲れてるかもない。技を覚えてるからって、その瞬間にそれを使うのが一番いいとは限らないでしょ」
「確かにな」
タケシが改めて教材を見る。
レンは足元にいるヒトカゲへ視線を落とした。
「カゲ?」
例えば、昨日のハナダジム。
炎タイプのヒトカゲは、水タイプのスターミーと戦った。
単純なタイプ相性だけを見れば、ヒトカゲが不利だった。
それでも、実際のバトルでは勝った。
「こういう問題で基本を覚えるのはいいと思う。でも、実戦の答えまで一つしかないと思うのは危ないかも」
レンが教材を机へ戻したとき、その言葉を聞いていたらしい声が背後から飛んできた。
「随分偉そうなのね」
振り返ると、一人の少女が立っていた。
長い髪に、自信に満ちた表情。
周囲の生徒たちがすぐに反応する。
「セイヨさん!」
ジュンも姿勢を正した。
「セイヨ……?」
サトシが首を傾げるなか、少女――セイヨはレンの前まで歩いてきた。
「あなた、ポケモンゼミを馬鹿にしてるの?」
「してないよ。むしろ面白いと思ってる」
「だったら何?」
「書いてあることと、実戦で起こることが全部同じじゃないって言っただけ」
セイヨは少し不満そうに眉を寄せる。
「正確な知識を持っている方が、勝てる可能性は高くなるわ」
「うん」
レンが即答すると、今度はセイヨが目を瞬いた。
「……認めるの?」
「認めるよ。知らないより、知ってる方がいい」
それはレン自身が、誰より理解していることだった。
前世から持っているタイプや技、進化、ポケモンの特徴に関する知識。その全てに、これまで何度も助けられてきた。
知識は間違いなく武器になる。
「なら、私の言ってることが正しいじゃない」
「でも、武器を持ってるだけじゃ勝てない」
セイヨの表情が変わる。
レンは少し考えてから、昨日の戦いを例に出した。
「昨日、俺のヒトカゲは水タイプのスターミーと戦ったんだ」
「炎タイプで?」
「うん」
「不利じゃない」
「不利だったよ。でも勝った」
「……どうやって?」
「岩で水面を乱したり、煙で相手の位置を探したり、足場を使ったり。最後はヒトカゲ自身も判断して動いた」
セイヨは少し考え込む。
「それ、最初から全部決めてたの?」
「全然」
「え?」
「最初の作戦はあった。でも、実際に戦ってみたら予想と違うことも起きたから、その場で変えた」
「それじゃ計画通りじゃないじゃない」
「相手がこっちの計画通りに動いてくれるわけじゃないからね」
レンはヒトカゲとリオルを順番に見る。
知識を使う。
経験も使う。
それでも足りない部分は、目の前の相手を見ながら補っていく。
「最初に知識で考える。でも、戦いが始まったら目の前の相手を見る。俺はそうしてる」
「そうだ!」
それまで黙っていたサトシが勢いよく割り込んだ。
「バトルなんて、やってみなきゃ分からないんだ!」
「サトシの場合は、もう少し始まる前にも考えた方がいいけどね」
「何でオレだけ!?」
「そこはレンが正しいわ」
「カスミまで!」
二人が騒ぎ始めるなか、セイヨはサトシへ視線を移した。
「あなたもトレーナー?」
「もちろん!」
「バッジは?」
「二個!」
サトシが誇らしげに見せる。
セイヨは次にレンを見る。
「あなたも?」
「二個」
「ふうん……」
しばらく二人を見比べたあと、セイヨはモンスターボールを取り出した。
「なら、試してみる?」
サトシの目が一気に輝く。
「バトルか!?」
「ええ。カラカラ!」
セイヨがボールを投げると、白い光の中から頭に骨を被り、手にも骨を持ったポケモンが現れた。
「カラ!」
「よーし!」
サトシもピカチュウを見る。
「いくぞ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
レンたちは少し離れ、二人のバトルを見守ることにした。
「レン」
開始前、サトシが振り返る。
「何?」
「今度は勝つからな!」
昨日のアキラ戦で敗れた悔しさは、まだ残っているらしい。
レンはそんなサトシへ笑い返した。
「じゃあ、ちゃんと相手を見て」
「分かってる!」
「ピカ!」
そして、バトルが始まった。
◇
「ピカチュウ、『10まんボルト』!」
「ピッカァァァ――!」
開始直後、ピカチュウの電撃が一直線に走る。
しかし、カラカラは慌てることなく骨を構えた。
「カラ!」
「そんな攻撃じゃ――」
余裕を見せるセイヨとは対照的に、サトシが途中で何かを思い出したように固まった。
昨日戦ったアキラのサンド。
同じ地面タイプ。
そして、電気技は効かなかった。
「そうだった!」
「遅い!」
カスミの突っ込みが飛ぶ。
「だったら、ピカチュウ! 『でんこうせっか』!」
「ピカ!」
すぐに切り替え、ピカチュウが地面を蹴る。
「カラカラ、迎え撃って!」
「カラ!」
振るわれた骨を、ピカチュウが横へかわす。
続く一撃も身を沈めて避けると、サトシが声を上げた。
「上だ!」
「ピカ!」
ピカチュウが跳躍し、カラカラの頭上を取る。
「そのまま行け!」
「ピカ!」
勢いを乗せた体当たりを受け、カラカラが数歩後退した。
「やった!」
「まだよ!」
セイヨもすぐに立て直す。
「カラカラ!」
「カラ!」
手に持っていた骨が投げられ、回転しながらピカチュウへ迫った。
「避けろ!」
「ピカ!」
ピカチュウが横へ跳び、骨をかわす。
だが、それで終わりではない。
投げられた骨が弧を描き、再びピカチュウの背後から戻ってくる。
レンは反射的に「後ろ」と言いかけたが、その声を飲み込んだ。
「ピカチュウ、後ろだ!」
サトシ自身が気づいたからだ。
「ピカ!」
ピカチュウが身体を沈めると、骨が頭上を通り過ぎてカラカラの手へ戻った。
「危なかった……!」
サトシが息を吐く。
セイヨは少し驚いたようだったが、すぐ次の指示を出そうとする。
しかし、今度はサトシの方が早かった。
「ピカチュウ! 次に骨を投げたら、一気に行け!」
「ピカ!」
「え?」
カラカラが再び骨を投げる。
その瞬間、ピカチュウは骨をかわすだけでなく、そのままカラカラへ向かって駆け出した。
「カラカラ!」
骨が戻るまでの僅かな時間。
カラカラの手元には、いつもの武器がない。
「『でんこうせっか』!」
「ピカァ!」
直撃。
「カラッ!」
カラカラが吹き飛ばされ、セイヨの顔から余裕が消える。
「カラカラ、立って!」
「カラ……!」
ふらつきながらも、カラカラは立ち上がった。
サトシもすぐには攻め込まず、ピカチュウを見る。
「まだいけるか?」
「ピカ!」
「よし!」
短いやり取りを交わした二匹が、再びカラカラへ向き直る。
その姿を見ながら、レンは少しだけ笑った。
昨日のアキラ戦では、「相手を見て」とサトシへ伝えた。
今はもう、レンが細かく言わなくても、自分で相手の動きを見ようとしている。
「カラカラ、一気に決めるわよ!」
「カラ!」
セイヨの指示でカラカラが走り出し、骨を振りかぶる。
ピカチュウも正面から走った。
「正面からぶつかるな!」
サトシが叫ぶ。
「ピカ!」
衝突する直前、ピカチュウが横へ飛ぶ。
カラカラの骨が空を切った。
「今だ!」
ピカチュウがそのまま背後へ回り込む。
「『でんこうせっか』!」
「ピカ!」
「カラァ!」
背後から攻撃を受けたカラカラが地面を転がる。
今度は立ち上がらなかった。
「カラカラ!」
セイヨが慌てて駆け寄る。
「大丈夫?」
「カラ……」
カラカラが小さく鳴いた。
それを確認してから、サトシが拳を高く上げる。
「勝った!」
「ピカ!」
「やったな、ピカチュウ!」
サトシは駆け寄ってきたピカチュウを抱き上げた。
レンも二人のところへ向かう。
「よかったね」
「へへっ!」
サトシが得意げに笑う。
「ちゃんと相手を見ただろ!」
「うん。前よりずっとよかった」
「だろ! 今度はレンにも勝つからな!」
「そこまで話が飛ぶ?」
「目標は高い方がいいだろ!」
その言葉にレンは少し驚いたが、すぐに笑った。
「それは同意する」
少し離れた場所では、セイヨがカラカラを抱きながら、何かを考えるように黙り込んでいた。
◇
「納得できない」
しばらくして、セイヨがレンの前までやってきた。
「何が?」
「私はちゃんと勉強した。タイプも、技も、戦い方も覚えた。それなのに負けた」
レンはすぐに答えず、セイヨと腕の中にいるカラカラを見た。
「だから、勉強が無駄だったと思う?」
「……」
「俺はそう思わないよ。カラカラが地面タイプで、骨を使ってどう戦うのか知っていたから、さっきもちゃんと指示できたんでしょ?」
「そうだけど……でも負けたじゃない」
「知識があれば絶対に勝てるなら、みんな同じ答えを覚えればバトルをする必要がなくなるよ」
セイヨが黙り込む。
「サトシとピカチュウが、セイヨの予想通りに動かなかった。それだけだと思う」
「じゃあ、どうすればよかったの?」
「俺なら?」
「ええ」
レンは少し考えてから答えた。
「最初に作戦を立てる。相手の情報も、調べられるならできるだけ調べる。でも、バトルが始まったら、それだけに縛られないようにするかな」
「せっかく調べたのに?」
「捨てるわけじゃないよ」
レンは自分の頭を軽く指差した。
「全部持ったまま、目の前の相手を見る。知識は答えそのものじゃなくて、答えを見つけるために使うものだと思ってる」
セイヨはまだ完全に納得しているわけではなさそうだった。
それでも、先ほどまでとは違い、レンの言葉を真剣に聞いている。
「……あなたは、何を使って戦ってるの?」
「俺?」
「ええ」
レンは少し考える。
「知ってることと、今まで経験したこと。それから目の前の相手」
そこで一度言葉を切り、ヒトカゲとリオルへ視線を向けた。
「それと、この二匹が見てるもの」
「カゲ!」
「リオ!」
セイヨも二匹を見る。
「ポケモンが見てるもの?」
「俺より近くで戦ってるからね。俺には見えなくても、ヒトカゲやリオルには見えてるものがある」
だからこそ、レンは二匹にも考えてほしいと思っている。
トレーナーの指示を聞くだけではなく、自分でも相手を見て判断する。
「俺がいつも正しいわけじゃないから」
その言葉を聞いたセイヨは、少し驚いたようにレンを見つめていた。
◇
そんな話をしていた、そのとき。
「素晴らしい!」
突然聞こえた拍手に、全員が振り返る。
「誰!?」
サトシが叫ぶ。
「知識!」
ムサシ。
「経験!」
コジロウ。
「そして悪知恵!」
ニャース。
「最後だけ違うだろ!」
サトシが即座に突っ込んだ。
現れたのは、やはりロケット団だった。
しかも今回は、大きな機械まで持ち込んでいる。
「ここには優秀なポケモンがたくさんいると聞いたわ!」
「まとめていただいていく!」
「そしてニャーたちが天才になるニャ!」
「ポケモンを盗んでも頭はよくならないぞ!」
サトシが叫ぶが、ムサシは聞く耳を持たず機械を操作した。
「うるさい!」
次の瞬間、機械から大きな網が発射される。
突然の襲撃にゼミ生たちは混乱した。
「問題集にこんなのない!」
「どうすればいいの!?」
「当たり前だよ!」
レンの声が響く。
ゼミ生たちが一斉に振り返った。
「問題集に全部書いてあるわけない! 自分のポケモンと、今の相手を見て!」
セイヨの視線が腕の中のカラカラへ向かう。
「カラ……」
「今まで覚えたことを捨てなくていい!」
レンは続ける。
「知ってることを、今見えてるものに合わせて使えばいい!」
「今、見えてるもの……」
セイヨが周囲を見る。
迫る網。
それを撃ち出す機械。
ロケット団。
そして、自分のそばにいるカラカラ。
迷っていた目が、やがて一か所で止まった。
「カラカラ!」
「カラ!」
「網の端を狙って!」
カラカラが手にした骨を投げる。
回転しながら飛んだ骨が網の端へ命中し、その軌道を大きく逸らした。
「何!?」
ムサシが驚く。
「今だ!」
サトシが叫び、ピカチュウが前へ出る。
レンも同時に動いた。
「ヒトカゲ!」
「カゲ!」
「『かえんほうしゃ』!」
「カゲェェ!」
炎が機械の前方へ走り、網の射出口を焼く。
「熱っ!」
ムサシたちが慌てた隙に、レンは次の指示を飛ばす。
「リオル、右から回り込んで『メタルクロー』!」
「リオ!」
リオルが機械の側面へ回り込み、金属の光を纏った爪を振り抜いた。
大きな金属音とともに装甲が歪む。
「ピカチュウ、仕上げだ!」
「ピカ!」
サトシが腕を振り下ろす。
「『10まんボルト』!」
「ピッカァァァ――チュウ!」
電撃が機械全体を包み込み、大きな爆発が起こった。
「またこの展開!?」
「勉強しても避けられないのかー!」
「やな感じニャー!」
ロケット団の三人は、煙を引きながら空の彼方へ飛んでいった。
しばらくその姿を見送ったあと、カスミがぽつりと呟く。
「……あれは勉強しても避けられないんじゃない?」
「予測が難しすぎるからな」
タケシも真顔で頷く。
レンは二人を見て、思わず苦笑した。
「そこは俺も同意する」
◇
騒動が収まったあと、セイヨは自分の隣にいるカラカラをじっと見ていた。
「カラ?」
「さっき、私……自分で考えた」
レンが頷く。
「うん」
「問題にはなかった。でも、今まで勉強したことは使った」
「そうだね」
カラカラが骨を投げられること。
その軌道を調整できること。
網の端へ当てれば進行方向を変えられること。
それまで覚えてきた知識がなければ、あの場で思いつかなかったかもしれない。
「……少し分かった気がする」
セイヨが言う。
「全部じゃないけど」
「それでいいんじゃない?」
レンは笑った。
「俺だって全部分かってるわけじゃないし」
「あなたでも?」
「もちろん」
前世の知識があったところで、知らないことはいくらでもある。
むしろ、この世界を実際に歩き始めてから、知らなかったことの多さを何度も思い知らされている。
だからこそ、旅をする意味がある。
セイヨは少し考えたあと、僅かに笑った。
「次に会ったら、今度はあなたと戦う」
「カゲ!」
「リオ!」
レンが答えるより早く、ヒトカゲとリオルが反応した。
「二匹ともやる気になってるよ」
「望むところよ。絶対負けないから」
「俺たちも負けないよ」
そこへサトシが勢いよく割り込んでくる。
「ちょっと待てよ! その前にオレとの再戦だろ!」
「あなたには一回負けたから、そのあと」
「何でレンが先なんだよ!」
「強そうだから」
「オレだって強い!」
「ピカ!」
「はいはい」
また始まったやり取りにカスミが呆れ、レンたちも笑う。
そろそろ出発する時間だった。
◇
夕方。
ポケモンゼミを離れた一行は、今度こそ正しい道へ戻っていた。
「今度こそ合ってるんだろうな?」
サトシが尋ねると、タケシは地図を確認して頷いた。
「ああ」
「本当に?」
「今回はレンとも確認した」
「なら安心だ!」
「俺への信用とタケシへの信用の差、酷くない?」
レンが苦笑すると、カスミが肩をすくめる。
「さっき迷ったばかりだからでしょ」
「サトシが原因だ!」
「またオレ!?」
二人の言い合いを聞きながら、レンはヒトカゲとリオルと並んで歩いていった。
その日の夜。
野営地で食事を終え、サトシたちが休み始めたころ、レンは焚き火のそばで旅のノートを開いた。
昨日、アキラと出会ったあとに書いた言葉が目に入る。
違う育て方を見る。否定する前に、そのポケモンを見る。
レンはその下へ、今日感じたことを書き加えた。
知識は答えじゃない。答えを見つけるための武器。
書き終えてから、しばらくその一文を見る。
前世の自分は、ポケモンについて多くのことを知っていた。
タイプ、技、進化、育成、ゲームの仕組み、そしてアニメで起きた出来事。
その知識は今も間違いなく大きな武器になっている。
それでも旅に出てから、以前よりはっきり分かるようになった。
知っているだけでは、世界最強にはなれない。
目の前にいるポケモンは、ゲームの数値ではない。
「カゲ!」
声に気づいて顔を上げると、少し離れた場所でヒトカゲが昨日と同じ動きを繰り返していた。
一歩踏み込み、『きりさく』を放つ動作をしてから元の位置へ戻る。
そして、もう一度。
「またやってる」
レンが笑う。
その隣ではリオルも、自分の足運びから受け流し、『はっけい』へ繋ぐ動きをゆっくり確認していた。
昨日、アキラとサンドから見たものを、二匹なりに自分たちの戦いへ取り入れようとしている。
レンはノートを閉じて立ち上がった。
「ヒトカゲ」
「カゲ?」
「少しだけ『かえんほうしゃ』も確認する?」
「カゲ!」
ヒトカゲの顔がぱっと明るくなる。
「ただし十回じゃないよ。炎は三回だけ」
「カゲ……」
露骨に不満そうな顔をするヒトカゲに、レンは苦笑した。
「今日はかなり歩いたし、ロケット団とも戦ったでしょ。明日も旅は続くんだから、疲れを残すほどやらない」
ヒトカゲは少し考えたあと、納得したように頷いた。
「カゲ!」
「よし」
レンは周囲を確認し、炎が燃え移るもののない安全な方向を選ぶ。
十分に距離も取った。
「一回目」
「カゲ!」
ヒトカゲが大きく息を吸い込む。
「カゲェェェ!」
放たれた『かえんほうしゃ』が、夜の暗闇を赤く照らした。
レンは炎をじっと観察する。
旅立った頃より太く、揺れも少ない。
明らかに安定している。
「いいよ。もう一回」
「カゲ!」
二発目。
今度は最初から最後まで、さらに安定した炎が伸びた。
「いいね」
「カゲ!」
ヒトカゲ自身も手応えを感じているらしく、嬉しそうに尻尾を揺らす。
そして三発目。
大きく吸い込んだ息とともに放たれた炎は、先ほどよりもさらに真っ直ぐ伸びていった。
「今日はここまで」
「カゲ!」
今度は素直に止まる。
レンはヒトカゲへ近づき、身体の様子を確かめた。
旅立った頃と比べると、腕や脚には少しずつ力強さが増し、身体全体もしっかりしてきている。
「ちゃんと成長してるな」
「カゲ?」
「いや、いい感じだよ」
頭を撫でると、ヒトカゲが嬉しそうに笑った。
「カゲ!」
その隣へリオルもやってくる。
「リオ」
「もちろん、リオルもね」
「リオ!」
まだ二匹とも進化はしていない。
それでも、旅立った頃と同じではない。
戦うたびに経験を積み、誰かと出会うたびに新しいものを吸収し、自分たちなりの強さを少しずつ形にしている。
レンには前世から持ってきた知識がある。
旅に出てから積み重ねてきた経験もある。
そして何より、自分と一緒に見て、考えてくれる二匹の仲間がいる。
なら、まだまだ強くなれる。
「明日も頑張ろう」
「カゲ!」
「リオ!」
焚き火の向こうで二匹の声が重なる。
世界の頂は、まだ遥か先にある。
それでもレンたちは、今日得たものを自分たちの力へ変えながら、一歩ずつその頂へ近づいていた。