ポケットモンスター ―頂への軌跡―   作:あああああ

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第27話 ポケモンひっしょうマニュアル

「……なあ、タケシ」

 

「何だ?」

 

「本当にこっちで合ってるのか?」

 

サトシの問いに、先頭を歩いていたタケシの足がぴたりと止まった。

 

レンも立ち止まって周囲を見渡すが、目に入るのは木々と草、それにところどころ地面から顔を出している岩ばかりだった。しばらく前から似たような景色が続いており、どちらから来たのかさえ少し怪しくなってきている。

 

「地図では……」

 

タケシが地図を広げると、カスミが横から覗き込んだ。

 

「ちょっと。さっきもそれ見てなかった?」

 

「見ていた」

 

「そのときは?」

 

「こっちだと思った」

 

「今は?」

 

「……少し自信がない」

 

「迷ってるんじゃない!」

 

カスミの声が森の中に響き渡る。

 

「だいたい、サトシが変な道に入るからでしょ!」

 

「何でオレのせいなんだよ!」

 

「『こっちの方が近そうだ!』って走っていったの誰よ!」

 

「だって道があったじゃん!」

 

「あれは獣道だったでしょ!」

 

「ピカ……」

 

ピカチュウがサトシの肩の上で困ったように鳴く。

 

レンはそんな二人に苦笑しながら足元へ視線を落とした。ヒトカゲとリオルも周囲を見回し、何か手掛かりがないか探している。

 

「二匹とも、何か分かる?」

 

「カゲ……」

 

「リオ……」

 

ヒトカゲは少し考えてから首を横に振り、リオルも同じように首を振った。

 

「まあ、そう簡単にはいかないか」

 

旅に出てから、レンは二匹に戦闘中だけでなく、普段から周囲を見るよう促している。

 

地形や天候、野生ポケモンの気配など、戦い以外でも観察する癖をつけてほしいからだ。

 

とはいえ、一度も通ったことのない森で正確な道まで分かるはずもない。

 

「とりあえず戻る?」

 

レンが提案すると、カスミがすぐにサトシを見た。

 

「どこまで?」

 

「……」

 

サトシが黙り込む。

 

「……分かんない」

 

「もう!」

 

再び怒鳴るカスミを横目に、レンは木々の隙間から空を見上げた。

 

太陽の位置、ここまで歩いてきた時間、地面の傾斜。それらを頭の中で組み合わせてみるが、現在地を特定できるほどの情報はない。

 

前世の知識があれば、この先でどんな出来事が起こる可能性が高いかは分かる。

 

だが、それで森の中の現在地まで分かるわけではなかった。

 

(こういうところなんだよな)

 

知識は便利だ。

 

けれど、それだけでは足りない。

 

レンが改めてそう感じていた、そのときだった。

 

「痛いです!」

 

森の奥から声が聞こえた。

 

全員の表情が変わる。

 

「今の!」

 

サトシが反射的に走り出そうとしたため、レンはすぐにその腕を掴んだ。

 

「待って。まず声の場所を確認してから」

 

「あ、ああ」

 

足を止めて耳を澄ませる。

 

すると、もう一度。

 

「もう勘弁してください!」

 

今度ははっきり聞こえた。

 

右前方。

 

「こっち!」

 

方向を確認すると、レンたちは一斉に声のした方へ向かった。

 

◇

 

木々の間を抜けた先には、少し開けた場所があった。

 

そこで目にした光景に、サトシが目を丸くする。

 

「な、何だあれ?」

 

一人の少年がランニングマシンの上を必死に走っていた。その周囲には何人かの少年少女が立ち、手に持った問題集のようなものを見ながら声を飛ばしている。

 

「ほら、もっと速く!」

 

「これくらいできなくてどうするの?」

 

「ポケモンゼミの生徒なら常識でしょ?」

 

「む、無理です!」

 

走っている少年は明らかに苦しそうだった。

 

額から大量の汗が流れ、呼吸も乱れている。

 

それを見たサトシの眉が吊り上がった。

 

「おい!」

 

「サトシ」

 

レンが止めるより早く、サトシは飛び出していた。

 

「何やってるんだ!」

 

ゼミ生たちが驚いて振り返る。

 

「誰?」

 

「関係ない人は入ってこないでよ」

 

「関係ある!」

 

「どこがよ」

 

「今できた!」

 

「無茶苦茶ね……」

 

カスミは呆れた顔をしながらも、サトシの隣へ並んだ。

 

「でも、これはちょっとやりすぎじゃない?」

 

タケシも少年の状態を確認し、表情を曇らせる。

 

「かなり疲れているな」

 

レンも少年を観察した。

 

汗の量。

 

荒い呼吸。

 

乱れた足運び。

 

昨日見たアキラのサンドとは明らかに違う。

 

アキラの訓練も厳しかったが、サンド自身が続ける意思を示していたうえ、身体にもまだ余裕があった。

 

今の少年には、その余裕がない。

 

「一回止めた方がいい」

 

レンが言うと、ゼミ生の一人が振り返った。

 

「え?」

 

「これ以上続けても効率が落ちるよ。もう足も乱れてるし、この状態じゃ問題を解くどころじゃない」

 

「でも、これは特訓よ」

 

「特訓だからって、疲れさせればいいわけじゃないよ」

 

レンの声は穏やかだったが、引く気はなかった。

 

「一度休ませた方がいい」

 

ゼミ生たちは顔を見合わせる。

 

すると、走っていた少年自身が苦しそうに口を開いた。

 

「もう……いいよ」

 

ようやくランニングマシンが止まった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

少年が膝に手をつくと、タケシがすぐに近づく。

 

「急に座り込まない方がいい。まず呼吸を整えろ」

 

「は、はい……」

 

しばらくして呼吸が落ち着くと、少年はレンたちへ顔を向けた。

 

「ありがとう。僕、ジュン」

 

「オレはサトシ!」

 

「ピカチュウ!」

 

「ピカ!」

 

「俺はレン。この二匹はヒトカゲとリオル」

 

「カゲ!」

 

「リオ!」

 

「私はカスミ」

 

「タケシだ」

 

簡単な自己紹介を終えると、サトシは改めて周囲を見渡した。

 

「それで、ここ何なんだ?」

 

「ポケモンゼミだよ」

 

ジュンが答える。

 

「ポケモンゼミ?」

 

「ポケモントレーナーになるために、色んなことを勉強する学校なんだ」

 

「学校……」

 

その一言だけで、サトシの表情が露骨に曇った。

 

「勉強しないとトレーナーになれないのか?」

 

「そうじゃないよ。でも、ここでいい成績を取れば、ポケモンリーグへの道が有利になるんだ」

 

「へえ……」

 

サトシはあまり興味がなさそうだったが、レンは逆に強く惹かれていた。

 

ポケモンの生態、タイプ、技、育成、バトル。

 

前世ではゲームやアニメを通して知った情報を、この世界ではどのように体系化し、学問として教えているのか。

 

それは純粋に気になる。

 

「中、見てもいい?」

 

レンが尋ねると、ジュンは頷いた。

 

「もちろん」

 

「おい、レン」

 

サトシが小声で呼ぶ。

 

「何?」

 

「勉強だぞ?」

 

「だから?」

 

「嫌じゃないのか?」

 

「別に」

 

「信じられない……」

 

「サトシが嫌いすぎるんだよ」

 

「勉強なんて旅に必要ないだろ!」

 

「じゃあ、さっき道に迷ったのは?」

 

「……」

 

何も言い返せなくなったサトシを見て、カスミが吹き出した。

 

「レンの勝ちね」

 

「うるさい!」

 

◇

 

ポケモンゼミの中にはいくつもの教室があり、黒板や教材にはタイプ同士の相性、ポケモンごとの特徴、技の性質など、様々な情報がまとめられていた。

 

レンはそれらを一つずつ眺めていく。

 

(面白いな)

 

前世で知っていたものと同じ部分もあれば、微妙に違う部分もある。

 

当然といえば当然だ。

 

ここはゲームではない。

 

ポケモンが実際に生きている世界なのだから。

 

「これは?」

 

サトシが一枚の教材を手に取った。

 

タケシが横から覗き込む。

 

「問題だな。『この状況で最も有効な攻撃を選べ』……」

 

「簡単じゃん!」

 

サトシは自信満々に答えた。

 

しかし、すぐにタケシが首を横に振る。

 

「不正解だ」

 

「何でだよ!」

 

「問題を最後まで読め」

 

「細かいんだよ!」

 

「そこが問題なのよ!」

 

カスミが怒鳴り、ピカチュウは机の上で楽しそうに笑っている。

 

「ピカピカ」

 

レンも同じ問題へ目を通した。

 

ゲームなら、答えを選ぶこと自体は難しくない。

 

ただ、実際のバトルを経験した今だからこそ、少し引っかかるものがあった。

 

「これ、問題としては正解が決まってるけど、実戦なら状況次第じゃない?」

 

「どういうことだ?」

 

タケシが尋ねる。

 

「相手との距離も書いてないし、フィールドも分からない。お互いがどれくらい疲れてるかもない。技を覚えてるからって、その瞬間にそれを使うのが一番いいとは限らないでしょ」

 

「確かにな」

 

タケシが改めて教材を見る。

 

レンは足元にいるヒトカゲへ視線を落とした。

 

「カゲ?」

 

例えば、昨日のハナダジム。

 

炎タイプのヒトカゲは、水タイプのスターミーと戦った。

 

単純なタイプ相性だけを見れば、ヒトカゲが不利だった。

 

それでも、実際のバトルでは勝った。

 

「こういう問題で基本を覚えるのはいいと思う。でも、実戦の答えまで一つしかないと思うのは危ないかも」

 

レンが教材を机へ戻したとき、その言葉を聞いていたらしい声が背後から飛んできた。

 

「随分偉そうなのね」

 

振り返ると、一人の少女が立っていた。

 

長い髪に、自信に満ちた表情。

 

周囲の生徒たちがすぐに反応する。

 

「セイヨさん!」

 

ジュンも姿勢を正した。

 

「セイヨ……?」

 

サトシが首を傾げるなか、少女――セイヨはレンの前まで歩いてきた。

 

「あなた、ポケモンゼミを馬鹿にしてるの?」

 

「してないよ。むしろ面白いと思ってる」

 

「だったら何?」

 

「書いてあることと、実戦で起こることが全部同じじゃないって言っただけ」

 

セイヨは少し不満そうに眉を寄せる。

 

「正確な知識を持っている方が、勝てる可能性は高くなるわ」

 

「うん」

 

レンが即答すると、今度はセイヨが目を瞬いた。

 

「……認めるの?」

 

「認めるよ。知らないより、知ってる方がいい」

 

それはレン自身が、誰より理解していることだった。

 

前世から持っているタイプや技、進化、ポケモンの特徴に関する知識。その全てに、これまで何度も助けられてきた。

 

知識は間違いなく武器になる。

 

「なら、私の言ってることが正しいじゃない」

 

「でも、武器を持ってるだけじゃ勝てない」

 

セイヨの表情が変わる。

 

レンは少し考えてから、昨日の戦いを例に出した。

 

「昨日、俺のヒトカゲは水タイプのスターミーと戦ったんだ」

 

「炎タイプで?」

 

「うん」

 

「不利じゃない」

 

「不利だったよ。でも勝った」

 

「……どうやって?」

 

「岩で水面を乱したり、煙で相手の位置を探したり、足場を使ったり。最後はヒトカゲ自身も判断して動いた」

 

セイヨは少し考え込む。

 

「それ、最初から全部決めてたの?」

 

「全然」

 

「え?」

 

「最初の作戦はあった。でも、実際に戦ってみたら予想と違うことも起きたから、その場で変えた」

 

「それじゃ計画通りじゃないじゃない」

 

「相手がこっちの計画通りに動いてくれるわけじゃないからね」

 

レンはヒトカゲとリオルを順番に見る。

 

知識を使う。

 

経験も使う。

 

それでも足りない部分は、目の前の相手を見ながら補っていく。

 

「最初に知識で考える。でも、戦いが始まったら目の前の相手を見る。俺はそうしてる」

 

「そうだ!」

 

それまで黙っていたサトシが勢いよく割り込んだ。

 

「バトルなんて、やってみなきゃ分からないんだ!」

 

「サトシの場合は、もう少し始まる前にも考えた方がいいけどね」

 

「何でオレだけ!?」

 

「そこはレンが正しいわ」

 

「カスミまで!」

 

二人が騒ぎ始めるなか、セイヨはサトシへ視線を移した。

 

「あなたもトレーナー?」

 

「もちろん!」

 

「バッジは?」

 

「二個!」

 

サトシが誇らしげに見せる。

 

セイヨは次にレンを見る。

 

「あなたも?」

 

「二個」

 

「ふうん……」

 

しばらく二人を見比べたあと、セイヨはモンスターボールを取り出した。

 

「なら、試してみる?」

 

サトシの目が一気に輝く。

 

「バトルか!?」

 

「ええ。カラカラ!」

 

セイヨがボールを投げると、白い光の中から頭に骨を被り、手にも骨を持ったポケモンが現れた。

 

「カラ!」

 

「よーし!」

 

サトシもピカチュウを見る。

 

「いくぞ、ピカチュウ!」

 

「ピカ!」

 

レンたちは少し離れ、二人のバトルを見守ることにした。

 

「レン」

 

開始前、サトシが振り返る。

 

「何?」

 

「今度は勝つからな!」

 

昨日のアキラ戦で敗れた悔しさは、まだ残っているらしい。

 

レンはそんなサトシへ笑い返した。

 

「じゃあ、ちゃんと相手を見て」

 

「分かってる!」

 

「ピカ!」

 

そして、バトルが始まった。

 

◇

 

「ピカチュウ、『10まんボルト』!」

 

「ピッカァァァ――!」

 

開始直後、ピカチュウの電撃が一直線に走る。

 

しかし、カラカラは慌てることなく骨を構えた。

 

「カラ!」

 

「そんな攻撃じゃ――」

 

余裕を見せるセイヨとは対照的に、サトシが途中で何かを思い出したように固まった。

 

昨日戦ったアキラのサンド。

 

同じ地面タイプ。

 

そして、電気技は効かなかった。

 

「そうだった!」

 

「遅い!」

 

カスミの突っ込みが飛ぶ。

 

「だったら、ピカチュウ! 『でんこうせっか』!」

 

「ピカ!」

 

すぐに切り替え、ピカチュウが地面を蹴る。

 

「カラカラ、迎え撃って!」

 

「カラ!」

 

振るわれた骨を、ピカチュウが横へかわす。

 

続く一撃も身を沈めて避けると、サトシが声を上げた。

 

「上だ!」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが跳躍し、カラカラの頭上を取る。

 

「そのまま行け!」

 

「ピカ!」

 

勢いを乗せた体当たりを受け、カラカラが数歩後退した。

 

「やった!」

 

「まだよ!」

 

セイヨもすぐに立て直す。

 

「カラカラ!」

 

「カラ!」

 

手に持っていた骨が投げられ、回転しながらピカチュウへ迫った。

 

「避けろ!」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが横へ跳び、骨をかわす。

 

だが、それで終わりではない。

 

投げられた骨が弧を描き、再びピカチュウの背後から戻ってくる。

 

レンは反射的に「後ろ」と言いかけたが、その声を飲み込んだ。

 

「ピカチュウ、後ろだ!」

 

サトシ自身が気づいたからだ。

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが身体を沈めると、骨が頭上を通り過ぎてカラカラの手へ戻った。

 

「危なかった……!」

 

サトシが息を吐く。

 

セイヨは少し驚いたようだったが、すぐ次の指示を出そうとする。

 

しかし、今度はサトシの方が早かった。

 

「ピカチュウ! 次に骨を投げたら、一気に行け!」

 

「ピカ!」

 

「え?」

 

カラカラが再び骨を投げる。

 

その瞬間、ピカチュウは骨をかわすだけでなく、そのままカラカラへ向かって駆け出した。

 

「カラカラ!」

 

骨が戻るまでの僅かな時間。

 

カラカラの手元には、いつもの武器がない。

 

「『でんこうせっか』!」

 

「ピカァ!」

 

直撃。

 

「カラッ!」

 

カラカラが吹き飛ばされ、セイヨの顔から余裕が消える。

 

「カラカラ、立って!」

 

「カラ……!」

 

ふらつきながらも、カラカラは立ち上がった。

 

サトシもすぐには攻め込まず、ピカチュウを見る。

 

「まだいけるか?」

 

「ピカ!」

 

「よし!」

 

短いやり取りを交わした二匹が、再びカラカラへ向き直る。

 

その姿を見ながら、レンは少しだけ笑った。

 

昨日のアキラ戦では、「相手を見て」とサトシへ伝えた。

 

今はもう、レンが細かく言わなくても、自分で相手の動きを見ようとしている。

 

「カラカラ、一気に決めるわよ!」

 

「カラ!」

 

セイヨの指示でカラカラが走り出し、骨を振りかぶる。

 

ピカチュウも正面から走った。

 

「正面からぶつかるな!」

 

サトシが叫ぶ。

 

「ピカ!」

 

衝突する直前、ピカチュウが横へ飛ぶ。

 

カラカラの骨が空を切った。

 

「今だ!」

 

ピカチュウがそのまま背後へ回り込む。

 

「『でんこうせっか』!」

 

「ピカ!」

 

「カラァ!」

 

背後から攻撃を受けたカラカラが地面を転がる。

 

今度は立ち上がらなかった。

 

「カラカラ!」

 

セイヨが慌てて駆け寄る。

 

「大丈夫?」

 

「カラ……」

 

カラカラが小さく鳴いた。

 

それを確認してから、サトシが拳を高く上げる。

 

「勝った!」

 

「ピカ!」

 

「やったな、ピカチュウ!」

 

サトシは駆け寄ってきたピカチュウを抱き上げた。

 

レンも二人のところへ向かう。

 

「よかったね」

 

「へへっ!」

 

サトシが得意げに笑う。

 

「ちゃんと相手を見ただろ!」

 

「うん。前よりずっとよかった」

 

「だろ! 今度はレンにも勝つからな!」

 

「そこまで話が飛ぶ?」

 

「目標は高い方がいいだろ!」

 

その言葉にレンは少し驚いたが、すぐに笑った。

 

「それは同意する」

 

少し離れた場所では、セイヨがカラカラを抱きながら、何かを考えるように黙り込んでいた。

 

◇

 

「納得できない」

 

しばらくして、セイヨがレンの前までやってきた。

 

「何が?」

 

「私はちゃんと勉強した。タイプも、技も、戦い方も覚えた。それなのに負けた」

 

レンはすぐに答えず、セイヨと腕の中にいるカラカラを見た。

 

「だから、勉強が無駄だったと思う?」

 

「……」

 

「俺はそう思わないよ。カラカラが地面タイプで、骨を使ってどう戦うのか知っていたから、さっきもちゃんと指示できたんでしょ?」

 

「そうだけど……でも負けたじゃない」

 

「知識があれば絶対に勝てるなら、みんな同じ答えを覚えればバトルをする必要がなくなるよ」

 

セイヨが黙り込む。

 

「サトシとピカチュウが、セイヨの予想通りに動かなかった。それだけだと思う」

 

「じゃあ、どうすればよかったの?」

 

「俺なら?」

 

「ええ」

 

レンは少し考えてから答えた。

 

「最初に作戦を立てる。相手の情報も、調べられるならできるだけ調べる。でも、バトルが始まったら、それだけに縛られないようにするかな」

 

「せっかく調べたのに?」

 

「捨てるわけじゃないよ」

 

レンは自分の頭を軽く指差した。

 

「全部持ったまま、目の前の相手を見る。知識は答えそのものじゃなくて、答えを見つけるために使うものだと思ってる」

 

セイヨはまだ完全に納得しているわけではなさそうだった。

 

それでも、先ほどまでとは違い、レンの言葉を真剣に聞いている。

 

「……あなたは、何を使って戦ってるの?」

 

「俺?」

 

「ええ」

 

レンは少し考える。

 

「知ってることと、今まで経験したこと。それから目の前の相手」

 

そこで一度言葉を切り、ヒトカゲとリオルへ視線を向けた。

 

「それと、この二匹が見てるもの」

 

「カゲ!」

 

「リオ!」

 

セイヨも二匹を見る。

 

「ポケモンが見てるもの?」

 

「俺より近くで戦ってるからね。俺には見えなくても、ヒトカゲやリオルには見えてるものがある」

 

だからこそ、レンは二匹にも考えてほしいと思っている。

 

トレーナーの指示を聞くだけではなく、自分でも相手を見て判断する。

 

「俺がいつも正しいわけじゃないから」

 

その言葉を聞いたセイヨは、少し驚いたようにレンを見つめていた。

 

◇

 

そんな話をしていた、そのとき。

 

「素晴らしい!」

 

突然聞こえた拍手に、全員が振り返る。

 

「誰!?」

 

サトシが叫ぶ。

 

「知識!」

 

ムサシ。

 

「経験!」

 

コジロウ。

 

「そして悪知恵!」

 

ニャース。

 

「最後だけ違うだろ!」

 

サトシが即座に突っ込んだ。

 

現れたのは、やはりロケット団だった。

 

しかも今回は、大きな機械まで持ち込んでいる。

 

「ここには優秀なポケモンがたくさんいると聞いたわ!」

 

「まとめていただいていく!」

 

「そしてニャーたちが天才になるニャ!」

 

「ポケモンを盗んでも頭はよくならないぞ!」

 

サトシが叫ぶが、ムサシは聞く耳を持たず機械を操作した。

 

「うるさい!」

 

次の瞬間、機械から大きな網が発射される。

 

突然の襲撃にゼミ生たちは混乱した。

 

「問題集にこんなのない!」

 

「どうすればいいの!?」

 

「当たり前だよ!」

 

レンの声が響く。

 

ゼミ生たちが一斉に振り返った。

 

「問題集に全部書いてあるわけない! 自分のポケモンと、今の相手を見て!」

 

セイヨの視線が腕の中のカラカラへ向かう。

 

「カラ……」

 

「今まで覚えたことを捨てなくていい!」

 

レンは続ける。

 

「知ってることを、今見えてるものに合わせて使えばいい!」

 

「今、見えてるもの……」

 

セイヨが周囲を見る。

 

迫る網。

 

それを撃ち出す機械。

 

ロケット団。

 

そして、自分のそばにいるカラカラ。

 

迷っていた目が、やがて一か所で止まった。

 

「カラカラ!」

 

「カラ!」

 

「網の端を狙って!」

 

カラカラが手にした骨を投げる。

 

回転しながら飛んだ骨が網の端へ命中し、その軌道を大きく逸らした。

 

「何!?」

 

ムサシが驚く。

 

「今だ!」

 

サトシが叫び、ピカチュウが前へ出る。

 

レンも同時に動いた。

 

「ヒトカゲ!」

 

「カゲ!」

 

「『かえんほうしゃ』!」

 

「カゲェェ!」

 

炎が機械の前方へ走り、網の射出口を焼く。

 

「熱っ!」

 

ムサシたちが慌てた隙に、レンは次の指示を飛ばす。

 

「リオル、右から回り込んで『メタルクロー』!」

 

「リオ!」

 

リオルが機械の側面へ回り込み、金属の光を纏った爪を振り抜いた。

 

大きな金属音とともに装甲が歪む。

 

「ピカチュウ、仕上げだ!」

 

「ピカ!」

 

サトシが腕を振り下ろす。

 

「『10まんボルト』!」

 

「ピッカァァァ――チュウ!」

 

電撃が機械全体を包み込み、大きな爆発が起こった。

 

「またこの展開!?」

 

「勉強しても避けられないのかー!」

 

「やな感じニャー!」

 

ロケット団の三人は、煙を引きながら空の彼方へ飛んでいった。

 

しばらくその姿を見送ったあと、カスミがぽつりと呟く。

 

「……あれは勉強しても避けられないんじゃない?」

 

「予測が難しすぎるからな」

 

タケシも真顔で頷く。

 

レンは二人を見て、思わず苦笑した。

 

「そこは俺も同意する」

 

◇

 

騒動が収まったあと、セイヨは自分の隣にいるカラカラをじっと見ていた。

 

「カラ?」

 

「さっき、私……自分で考えた」

 

レンが頷く。

 

「うん」

 

「問題にはなかった。でも、今まで勉強したことは使った」

 

「そうだね」

 

カラカラが骨を投げられること。

 

その軌道を調整できること。

 

網の端へ当てれば進行方向を変えられること。

 

それまで覚えてきた知識がなければ、あの場で思いつかなかったかもしれない。

 

「……少し分かった気がする」

 

セイヨが言う。

 

「全部じゃないけど」

 

「それでいいんじゃない?」

 

レンは笑った。

 

「俺だって全部分かってるわけじゃないし」

 

「あなたでも?」

 

「もちろん」

 

前世の知識があったところで、知らないことはいくらでもある。

 

むしろ、この世界を実際に歩き始めてから、知らなかったことの多さを何度も思い知らされている。

 

だからこそ、旅をする意味がある。

 

セイヨは少し考えたあと、僅かに笑った。

 

「次に会ったら、今度はあなたと戦う」

 

「カゲ!」

 

「リオ!」

 

レンが答えるより早く、ヒトカゲとリオルが反応した。

 

「二匹ともやる気になってるよ」

 

「望むところよ。絶対負けないから」

 

「俺たちも負けないよ」

 

そこへサトシが勢いよく割り込んでくる。

 

「ちょっと待てよ! その前にオレとの再戦だろ!」

 

「あなたには一回負けたから、そのあと」

 

「何でレンが先なんだよ!」

 

「強そうだから」

 

「オレだって強い!」

 

「ピカ!」

 

「はいはい」

 

また始まったやり取りにカスミが呆れ、レンたちも笑う。

 

そろそろ出発する時間だった。

 

◇

 

夕方。

 

ポケモンゼミを離れた一行は、今度こそ正しい道へ戻っていた。

 

「今度こそ合ってるんだろうな?」

 

サトシが尋ねると、タケシは地図を確認して頷いた。

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「今回はレンとも確認した」

 

「なら安心だ!」

 

「俺への信用とタケシへの信用の差、酷くない?」

 

レンが苦笑すると、カスミが肩をすくめる。

 

「さっき迷ったばかりだからでしょ」

 

「サトシが原因だ!」

 

「またオレ!?」

 

二人の言い合いを聞きながら、レンはヒトカゲとリオルと並んで歩いていった。

 

その日の夜。

 

野営地で食事を終え、サトシたちが休み始めたころ、レンは焚き火のそばで旅のノートを開いた。

 

昨日、アキラと出会ったあとに書いた言葉が目に入る。

 

違う育て方を見る。否定する前に、そのポケモンを見る。

 

レンはその下へ、今日感じたことを書き加えた。

 

知識は答えじゃない。答えを見つけるための武器。

 

書き終えてから、しばらくその一文を見る。

 

前世の自分は、ポケモンについて多くのことを知っていた。

 

タイプ、技、進化、育成、ゲームの仕組み、そしてアニメで起きた出来事。

 

その知識は今も間違いなく大きな武器になっている。

 

それでも旅に出てから、以前よりはっきり分かるようになった。

 

知っているだけでは、世界最強にはなれない。

 

目の前にいるポケモンは、ゲームの数値ではない。

 

「カゲ!」

 

声に気づいて顔を上げると、少し離れた場所でヒトカゲが昨日と同じ動きを繰り返していた。

 

一歩踏み込み、『きりさく』を放つ動作をしてから元の位置へ戻る。

 

そして、もう一度。

 

「またやってる」

 

レンが笑う。

 

その隣ではリオルも、自分の足運びから受け流し、『はっけい』へ繋ぐ動きをゆっくり確認していた。

 

昨日、アキラとサンドから見たものを、二匹なりに自分たちの戦いへ取り入れようとしている。

 

レンはノートを閉じて立ち上がった。

 

「ヒトカゲ」

 

「カゲ?」

 

「少しだけ『かえんほうしゃ』も確認する?」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲの顔がぱっと明るくなる。

 

「ただし十回じゃないよ。炎は三回だけ」

 

「カゲ……」

 

露骨に不満そうな顔をするヒトカゲに、レンは苦笑した。

 

「今日はかなり歩いたし、ロケット団とも戦ったでしょ。明日も旅は続くんだから、疲れを残すほどやらない」

 

ヒトカゲは少し考えたあと、納得したように頷いた。

 

「カゲ!」

 

「よし」

 

レンは周囲を確認し、炎が燃え移るもののない安全な方向を選ぶ。

 

十分に距離も取った。

 

「一回目」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが大きく息を吸い込む。

 

「カゲェェェ!」

 

放たれた『かえんほうしゃ』が、夜の暗闇を赤く照らした。

 

レンは炎をじっと観察する。

 

旅立った頃より太く、揺れも少ない。

 

明らかに安定している。

 

「いいよ。もう一回」

 

「カゲ!」

 

二発目。

 

今度は最初から最後まで、さらに安定した炎が伸びた。

 

「いいね」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲ自身も手応えを感じているらしく、嬉しそうに尻尾を揺らす。

 

そして三発目。

 

大きく吸い込んだ息とともに放たれた炎は、先ほどよりもさらに真っ直ぐ伸びていった。

 

「今日はここまで」

 

「カゲ!」

 

今度は素直に止まる。

 

レンはヒトカゲへ近づき、身体の様子を確かめた。

 

旅立った頃と比べると、腕や脚には少しずつ力強さが増し、身体全体もしっかりしてきている。

 

「ちゃんと成長してるな」

 

「カゲ?」

 

「いや、いい感じだよ」

 

頭を撫でると、ヒトカゲが嬉しそうに笑った。

 

「カゲ!」

 

その隣へリオルもやってくる。

 

「リオ」

 

「もちろん、リオルもね」

 

「リオ!」

 

まだ二匹とも進化はしていない。

 

それでも、旅立った頃と同じではない。

 

戦うたびに経験を積み、誰かと出会うたびに新しいものを吸収し、自分たちなりの強さを少しずつ形にしている。

 

レンには前世から持ってきた知識がある。

 

旅に出てから積み重ねてきた経験もある。

 

そして何より、自分と一緒に見て、考えてくれる二匹の仲間がいる。

 

なら、まだまだ強くなれる。

 

「明日も頑張ろう」

 

「カゲ!」

 

「リオ!」

 

焚き火の向こうで二匹の声が重なる。

 

世界の頂は、まだ遥か先にある。

 

それでもレンたちは、今日得たものを自分たちの力へ変えながら、一歩ずつその頂へ近づいていた。

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