ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
クチバシティの港に停泊する巨大な豪華客船を前に、レンは静かにその白い船体を見上げていた。
幾つもの窓が朝日を反射し、甲板にはこれから始まる船旅を楽しみにしている乗客たちの姿が見える。次々と荷物が運び込まれ、港には汽笛と人々の声が絶え間なく響いていた。
サントアンヌ号。
その名前も、この先に何が起こるのかも、レンは知っている。
船内へ集められた大勢のポケモントレーナー。
ロケット団による大規模なポケモン強奪作戦。
海上で遭遇する嵐。
そして――沈没。
昨日、クチバジムで三つ目のバッジを手に入れたばかりだというのに、早くも次の大きな事件が目の前まで迫っていた。
「すっげえなぁ!」
そんなレンとは対照的に、サトシは目を輝かせている。
「ピッカァ!」
肩の上のピカチュウも身を乗り出すように巨大な船を見上げた。
「こんな豪華客船、一度くらい乗ってみたいわね」
カスミも感心しているが、タケシは現実的だった。
「俺たちの旅の予算じゃ無理だろうな」
「えーっ!?」
サトシの肩が一気に落ちる。
「見るだけかよ!」
「当たり前でしょ。あんた、豪華客船を何だと思ってるのよ」
「船!」
「そういう意味じゃない!」
いつもの調子で言い合う二人を横目に、レンは足元へ視線を落とした。
リザードとリオルがいる。
昨日の時点で警戒するよう伝えてあるため、二匹ともサトシたちほど浮かれてはいない。
「リザ」
「リオ」
レンは小さく頷いた。
その時だった。
「そこのあなたたち!」
明るい声に振り返ると、派手な格好をした二人の少女がこちらへ近づいてくる。
レンは一目で分かった。
(来た)
変装していても知っている。
ムサシとコジロウだ。
「あなたたち、ポケモントレーナーでしょ?」
「そうだけど?」
サトシが答える。
「だったら、とってもラッキー!」
一人が何枚かの乗船券を取り出した。
「サントアンヌ号で開かれるポケモントレーナーのパーティーへご招待!」
「ええっ!?」
サトシの声が港中に響いた。
「これがあれば乗れるのか!?」
「もちろん!」
「しかも無料!」
「タダ!?」
サトシとピカチュウの目が同時に輝く。
カスミも乗船券を覗き込み、タケシまで興味を示していた。
レンだけが差し出された券を静かに見つめる。
これは罠だ。
ポケモンを持つトレーナーを船内へ集め、まとめて奪うためのロケット団の作戦。
ここで受け取らなければ、少なくとも自分は巻き込まれない。
だが――。
「レン?」
サトシが振り返る。
「行かないのか?」
おそらくサトシたちは、レンが断っても乗る。
ならば、事情を説明して止めるか。
ロケット団が襲ってくる。
嵐が起こる。
船が沈む。
そんな未来を突然語ったところで、なぜ分かるのかと聞かれれば答えられない。
それに、未来を知っている自分が同行すれば、少なくとも何も知らずに乗るよりは危険を減らせる。
レンは乗船券を受け取った。
「行くよ」
「よっしゃあ!」
サトシが拳を上げる。
「ありがとうございます」
レンが言うと、変装した二人は上機嫌に去っていった。
その背中を見送りながら、レンは考える。
ロケット団の襲撃には対処できる。
しかし、嵐そのものを止めることはできない。
だったら。
「みんな」
「ん?」
「船に乗ったら、非常口と甲板へ出る道くらいは確認しておこう」
カスミが首を傾げる。
「何で?」
「知らない船だからだよ。事故が起こらない保証なんてないし、迷ってから出口を探すより先に知っておいた方がいい」
タケシが頷いた。
「確かにそうだな。海の上なら余計に確認しておいた方がいい」
「レンって、こういうところ妙に慎重だよな」
サトシが笑う。
「慎重なくらいでちょうどいいよ」
レンも笑い返す。
ただし。
その言葉が単なる用心ではないことを知っているのは、レンだけだった。
◇
サントアンヌ号へ乗り込んだサトシたちは、豪華な船内を目にした途端に足を止めた。
高い天井から吊り下げられた照明が広いホールを照らし、テーブルには大量の料理が並んでいる。あちらこちらではトレーナー同士が交流し、ポケモンバトルや交換を楽しんでいた。
「すっげえええ!」
「ピカァ!」
サトシとピカチュウが真っ先に走り出す。
「料理もいっぱい!」
カスミまで目を輝かせた。
一方。
「綺麗なお姉さんもいっぱい……」
タケシは別の場所を見ていた。
「見るところそこ?」
レンが呆れる。
「大事なことだ」
真顔で返された。
レンは苦笑しながらも、すぐにはホールへ入らなかった。
甲板へ続く階段。
非常口。
救命ボートの位置。
自分たちがいる区画から外へ出るための道。
すべてを覚える必要はない。
だが、最低限の避難経路は頭へ入れておく。
リザードとリオルもレンについて歩いていた。
「リザード」
「リザ?」
「もし何かあっても、船の中では炎を使う場所をよく見ること。火事になったら大変だからね」
「リザ」
リザードが頷く。
炎技を封印するわけではない。
使う場所と威力を考えるだけだ。
「リオルも、人が多いから周りをよく見て」
「リオ!」
できる準備はする。
それ以上は、実際に何かが起きてから判断するしかない。
「レン! こっち来いよ!」
サトシの声が聞こえた。
「今行く!」
向かった先では、一組のトレーナーがバトルをしていた。
スターミー。
そして、ラッタ。
ラッタが鋭い前歯を見せながら飛び込み、スターミーへ強烈な一撃を叩き込む。
「スターミー!」
スターミーが倒れた。
「強い……!」
サトシの目が輝く。
レンはその表情を見て、これから起こることを察した。
「よーし!」
やっぱり。
「オレと勝負してくれ!」
サトシが前へ出た。
ラッタのトレーナーである紳士は、余裕のある笑みを浮かべる。
「もちろん。挑戦は歓迎しますよ」
「やった! バタフリー、君に決めた!」
モンスターボールから白い光が飛び出す。
「フリー!」
バタフリーが大きく翼を広げた。
レンはリザード、リオルと共に少し後ろへ下がる。
ここも覚えている。
ラッタが勢いよく跳び上がった。
「バタフリー、『たいあたり』!」
「フリー!」
空中で激突。
バタフリーが弾かれるものの、すぐに翼を広げて体勢を整える。
ラッタが再び飛び込む。
「避けろ!」
「フリー!」
バタフリーが上昇。
ラッタの鋭い前歯が空を切った。
「今だ! 『しびれごな』!」
「フリィィ!」
黄色い粉が降り注ぐ。
「ラッ……!」
ラッタの動きが鈍る。
「よし!」
サトシが拳を握った。
流れはバタフリーに傾いている。
ところが。
「そこまでにしましょう」
紳士がラッタを抱き上げた。
「え?」
「なかなか素晴らしいバタフリーです。今回は引き分けということで」
「まだ終わってないだろ!」
サトシは不満そうだが、紳士は笑顔のまま去っていく。
「フリー?」
バタフリーも少し納得していないようだった。
それでも、サトシが腕を伸ばすと嬉しそうに戻ってくる。
「強くなったな、バタフリー!」
「フリー!」
レンはその姿を静かに見つめた。
このあと。
サトシは一度、そのバタフリーを手放す。
知っている。
だからといって。
レンが先に答えを決めるつもりはなかった。
◇
サントアンヌ号がクチバシティを離れたころには、サトシたちはすっかり船旅を楽しんでいた。
「うまい!」
「ピカ!」
サトシが次々と料理を口へ運ぶ。
「ちょっと、食べすぎじゃない?」
カスミが呆れる。
「カスミだって食べてるじゃん!」
「私は普通よ!」
「どこが?」
レンも料理を食べながら、時折窓の外へ視線を向けていた。
今のところ。
海は穏やかだ。
「レン、さっきから外ばっかり見てるけど、船酔いか?」
タケシが尋ねる。
「いや、大丈夫」
「だったら食えよ!」
サトシが皿を差し出す。
「これ、すっげえうまいぞ!」
「それ、サトシが食べたいだけでしょ」
「バレた?」
「分かりやすすぎるよ」
その時。
「先ほどは素晴らしいバトルでした」
振り返る。
先ほどの紳士だった。
隣には女性がいる。
「なんて美しい――」
タケシが立ち上がろうとした瞬間。
カスミが無言で耳を掴んだ。
「いだだだだ!」
紳士は気にせずサトシへ話しかける。
「君のバタフリー、とても気に入りました」
「バタフリー?」
「そこで一つ提案があります」
レンは黙って見ていた。
「私のラッタと、君のバタフリーを交換しませんか?」
「交換?」
サトシが目を丸くする。
紳士はポケモン交換について説明し始めた。
自分が今まで育てたことのないポケモンと出会えること。
交換もトレーナー同士の交流の一つであること。
そして。
ラッタが強いこと。
サトシは迷っていた。
「ラッタ……強かったよな」
「ピカ……」
レンは口を挟まない。
「タケシ、どう思う?」
サトシが尋ねる。
「いいんじゃないか?」
タケシは紳士の隣にいる女性へ意識を奪われ、ほとんど考えずに答えた。
「じゃあ……やってみようかな」
サトシが決める。
リオルがレンを見上げる。
「リオ?」
レンは小さく首を振った。
サトシが自分で決めた。
なら。
その結果、何を感じるのかもサトシ自身のものだ。
交換装置へ二つのモンスターボールが置かれる。
機械が作動し。
二つの光が入れ替わった。
サトシの手元へラッタのボール。
紳士の手元へバタフリーのボール。
「これで交換成立です」
「おお……」
サトシはラッタのボールを見つめる。
だが。
その表情には。
どこか迷いが残っていた。
◇
しばらくして。
甲板ではサトシが一人、海を見つめていた。
「ピカ……」
隣にはピカチュウ。
手の中にはラッタのモンスターボール。
先にサトシを見つけたカスミが近づいていく。
「どうしたの?」
「……別に」
「別にって顔じゃないでしょ」
サトシは黙った。
しばらくして。
「バタフリー……大丈夫かな」
ぽつりと呟く。
「交換するときさ。いろいろ思い出したんだ」
サトシは海を見たまま続ける。
「最初はキャタピーだった。トランセルになって、バタフリーになって……いっぱい一緒に戦ってきた」
「ピカ……」
ピカチュウも静かに聞いている。
少し離れた場所から話を聞いていたレンは、それ以上近づかなかった。
もう。
答えはサトシの中にある。
なら。
今は自分で考えればいい。
その時。
船内から慌ただしい足音が聞こえた。
レンが振り返る。
(来る)
空気が変わった。
◇
大広間へ戻った直後。
扉が閉ざされた。
料理を運んでいた係員。
乗客に案内していた船員。
その何人もが一斉に服を脱ぎ捨てる。
現れたのは。
黒い制服。
胸に刻まれた赤い文字。
「ロケット団!?」
サトシが叫ぶ。
大勢の団員が広間を取り囲んでいた。
その前へ。
見覚えのある三人組が現れる。
「ムサシ!」
「コジロウ!」
「ニャース!」
「ふふふ……まんまと引っかかったわね!」
ムサシが笑う。
「この船に集まったトレーナーたちのポケモンは!」
コジロウが腕を広げる。
「全部ロケット団がいただく!」
「ニャー!」
団員たちが背負った吸引装置が一斉に作動する。
「きゃあっ!」
トレーナーたちの腰や鞄につけられていたモンスターボールが引っ張られ始めた。
「ピカ!?」
「ふざけるな!」
サトシがボールを押さえる。
レンはすでに動いていた。
「リザード、リオル!」
「リザ!」
「リオ!」
二匹が前へ出る。
「サトシ! ボールの中にいるポケモンを出して!」
「あっ、そうか!」
サトシがすぐに反応する。
「みんな、出てこい!」
次々と白い光が広がった。
フシギダネ。
ヒトカゲ。
ゼニガメ。
ピジョン。
「ダネ!」
「カゲ!」
「ゼニ!」
「ピジョ!」
サトシは続けてもう一つのボールを掴んだ。
「バタフリーも!」
投げる。
白い光。
「ラッタ!」
現れたのはラッタだった。
「……あ」
サトシが固まる。
「そうだった……」
バタフリーは。
もう自分の手持ちではない。
「サトシ!」
レンの声が飛ぶ。
「今は戦うよ!」
「……うん!」
サトシが顔を上げる。
「みんな! こいつらにポケモンを渡すな!」
周囲のトレーナーたちも我に返った。
「そうだ!」
「俺たちも戦うぞ!」
次々とポケモンが飛び出す。
広間は一瞬にして巨大な戦場へ変わった。
レンは周囲を見る。
人が多い。
テーブル。
カーテン。
料理。
炎を広範囲へ放てる環境ではない。
「リザード、まずは炎なしで行く!」
「リザ!」
リザードが勢いよく踏み込む。
ロケット団のラッタが飛びかかってきた。
「右へ避けて『きりさく』!」
「リザ!」
身体をずらし、相手の横を取る。
爪が振り抜かれた。
「ラッ!」
ラッタが弾き飛ばされる。
その向こうでは、別の団員が吸引装置をこちらへ向けようとしていた。
「リオル!」
「リオ!」
リオルが『でんこうせっか』で飛び出す。
「装置の管を狙って『メタルクロー』!」
「リオッ!」
鋼の力を纏った爪が吸引管を切り裂いた。
「うわっ!?」
吸引が止まる。
「リザード、もう一台!」
「リザ!」
リザードが走る。
装置を背負った団員が慌てて逃げようとする。
「前へ回り込んで!」
リザードが加速。
逃げ道を塞ぐ。
「リザ!」
団員が立ち止まった。
「今!」
リザードが腕を振る。
『きりさく』。
狙ったのは人間ではない。
装置の管。
爪が接続部分を切断する。
吸引が止まった。
「よし!」
「リザ!」
リザードが牙を見せて笑う。
クチバジムではリオルへ出番を譲った。
その分まで暴れるつもりらしい。
「右から来るよ!」
「リザ!」
リザードが振り返る。
ロケット団のポケモンが突っ込んでくる。
今度は周囲に人がいない。
後ろにも燃え移る物はない。
「『ほのおのキバ』!」
「リザァ!」
牙に炎が集まる。
相手の攻撃を横から噛み止め、その勢いのまま身体を捻った。
「リザ!」
相手を投げ飛ばす。
「いいよ!」
レンが次の相手を探す。
だが。
リザードはすでに見つけていた。
「リザ!」
「分かってるね!」
リザードが駆け出す。
レンは思わず笑った。
ヒトカゲだったころより。
確実に視野が広くなっている。
自分が指示する前から。
次に危険な場所を探している。
それなら。
「任せる!」
「リザ!」
リザードが自分で判断して走る。
一方。
リオルの周囲には複数のロケット団員のポケモンが迫っていた。
「リオル、『みきり』!」
「リオ!」
肩。
脚。
視線。
攻撃へ移る前の僅かな動きを読む。
一匹目。
身体を沈めて回避。
二匹目。
横へ。
三匹目の攻撃には。
「『しんくうは』!」
「リオ!」
空気の刃。
相手が吹き飛ぶ。
「そのまま前!」
リオルが駆け抜ける。
「『はっけい』!」
「リオッ!」
掌底が吸引装置へ叩き込まれた。
機械が大きくへこみ、動作を止める。
「やった!」
その横ではサトシたちも戦っていた。
「ピカチュウ、『でんきショック』!」
「ピッカァァ!」
電撃が走る。
フシギダネの『つるのムチ』。
ゼニガメの『みずでっぽう』。
ヒトカゲの『ひのこ』。
タケシのイシツブテも前へ出る。
そして。
周囲のトレーナーたちも続いた。
「俺たちも行くぞ!」
「ポケモンを取られてたまるか!」
何匹ものバタフリーが飛び上がる。
ピジョンたちが翼を広げる。
ピカチュウたちの頬から電気が弾ける。
レンは全体を見る。
最初は混乱していた。
だが。
戦える。
「飛べるポケモンは上から! 吸引装置を先に止めればボールを奪われなくなる!」
近くのトレーナーが振り返った。
「分かった!」
「ピジョン、上から行け!」
「バタフリー、『しびれごな』!」
粉が降り注ぐ。
ロケット団員たちの動きが止まる。
「今だ!」
サトシが叫んだ。
何匹ものピカチュウが前へ並ぶ。
「みんなで一気に行け!」
強烈な電撃が一斉に走った。
「うわああああっ!」
ロケット団員たちがまとめて吹き飛ばされる。
さらに複数のピジョンが風を巻き起こし、残った団員たちを押し返していく。
ムサシとコジロウ、ニャースまで巻き込まれた。
「ちょっとぉぉぉ!」
「作戦がぁぁぁ!」
「ニャアアアア!」
ロケット団が船外へ吹き飛ばされていった。
「やったぁ!」
大広間に歓声が上がる。
サトシがピカチュウを抱き上げた。
「やったな!」
「ピカピカ!」
リザードもレンのところへ戻ってくる。
「リザ!」
その顔には。
どうだった。
そう書いてある。
レンは笑いながら拳を差し出した。
「最高だったよ」
「リザ!」
リザードが拳を合わせる。
リオルも隣から拳を伸ばした。
「リオ!」
「リザ!」
二匹が拳を合わせる。
レンも嬉しかった。
リザードは確実に成長している。
進化によって増した力だけではない。
周囲を見て。
自分で考え。
必要な場所へ動いた。
その成長を。
もっと伸ばしていきたい。
だが。
サトシだけは。
完全には喜んでいなかった。
手の中にあるラッタのボールを見つめている。
「……バタフリー」
小さく呟く。
先ほど。
無意識に呼ぼうとした。
戦う時。
頼ろうとした。
それほどまでに。
バタフリーはサトシにとって当たり前の仲間になっていた。
「レン」
「うん?」
「オレ……バタフリーを取り戻したい」
レンは微笑んだ。
「なら行こう」
「うん!」
サトシが走り出す。
◇
そのころには、外の海は急速に荒れ始めていた。
レンたちは大広間を離れ、先ほどの紳士を探す。
やがて。
「いた!」
サトシが駆け寄った。
「お願いします!」
紳士が振り返る。
「君は……」
「ラッタを返します! だから、バタフリーを返してください!」
紳士は少し驚いた。
サトシは続ける。
「ラッタが嫌なわけじゃないんです。でも……オレ、バタフリーと別れたくないって分かったんです」
ピカチュウもサトシの隣に立つ。
「ピカ!」
紳士はしばらくサトシを見つめたあと。
静かに微笑んだ。
「分かりました」
「本当ですか!?」
「ええ。そこまで大切に思われているのなら、その方がいいでしょう」
「ありがとうございます!」
交換装置へ。
再び二つのモンスターボールが置かれる。
その時。
船が大きく揺れた。
「うわっ!?」
レンが壁へ手をつく。
(始まった)
一度。
二度。
揺れが大きくなる。
窓の外では波が激しく船体へ叩きつけていた。
「急いで!」
レンが言う。
交換装置が作動する。
光が行き交い。
やがて。
サトシ側へ一つのボールが戻ってきた。
「バタフリー!」
サトシがボールを取る。
「戻ってきた!」
「ピカ!」
その瞬間。
船全体を巨大な衝撃が襲った。
「うわあああっ!」
船体が大きく傾く。
サトシの手から。
モンスターボールが滑り落ちた。
「あっ!」
ボールが床を転がっていく。
「バタフリー!」
サトシが追いかける。
「サトシ!」
レンが叫ぶ。
「待って!」
カスミ。
タケシ。
ピカチュウ。
全員が追う。
レンも走り出した。
これも。
知っている。
このままでは。
逃げ遅れる。
「サトシ、早く!」
「分かってる!」
サトシがボールへ手を伸ばす。
あと少し。
だが船が再び傾いた。
ボールがさらに先へ転がる。
「くそっ!」
「サトシ!」
レンが追いつく。
「俺が支える! 取って!」
「分かった!」
レンが壁際の手すりを掴み、反対の手をサトシへ伸ばす。
サトシがその腕を掴み。
身体を伸ばす。
「あと……ちょっと……!」
指先。
届いた。
「取った!」
サトシがボールを掴む。
「戻るよ!」
レンが腕を引く。
サトシが立ち上がる。
今なら。
まだ。
間に合う。
そう思った。
直後。
警報が船内へ響いた。
『乗客の皆様! ただちに救命ボートへ避難してください!』
「やっぱり……!」
カスミの顔色が変わる。
「沈むの!?」
「甲板へ!」
レンは即座に走り出す。
「さっき確認した道を使う!」
「そうか!」
タケシも理解する。
事前に確認しておいた。
だから。
迷わない。
「こっち!」
レンが先頭を走る。
リザードが横につく。
リオルは最後尾へ回り、カスミたちがついてきていることを確認していた。
「リオ!」
「全員いる!」
タケシが答える。
通路の先。
大勢の乗客が甲板へ向かっている。
「押さないで!」
「順番に!」
船員たちが誘導していた。
レンたちもその流れへ加わろうとする。
その時。
大きな波が船を横から叩いた。
船体が。
一気に傾く。
「きゃああっ!」
カスミが足を滑らせる。
「カスミ!」
タケシが腕を掴む。
サトシも壁へ叩きつけられそうになった。
「ピカ!」
ピカチュウが肩へしがみつく。
レンは手すりを掴んだ。
「リザード!」
「リザ!」
リザードがレンの服を掴む。
リオルも床へ爪を立てるように踏ん張った。
「みんな大丈夫!?」
「なんとか!」
サトシが答える。
船が少し戻る。
「今のうちに行く!」
再び走る。
だが。
前方から悲鳴が聞こえた。
揺れで荷物が崩れ、通路の一部を塞いでいる。
「通れない!」
「どうする!?」
レンは障害物を見る。
大きな棚。
完全に道を塞いでいるわけではないが、そのままでは子供一人が通れる程度の隙間しかない。
『げんしのちから』ではない。
そんな使い方をする技ではない。
「リザード、一緒に押すよ!」
「リザ!」
レンが棚へ手をかける。
リザードも横から両腕を当てる。
「せーの!」
「リザァ!」
力を込める。
重い。
船が傾いているせいで、余計に動かしにくい。
「俺もやる!」
タケシが加わる。
「リオ!」
リオルも押す。
「もう一回!」
全員で力を込める。
棚が。
少しずつ横へずれた。
「通れる!」
「先に乗客を!」
近くにいた人たちが次々と抜けていく。
「ありがとう!」
「助かった!」
最後の人が通った。
「俺たちも!」
レンたちも隙間を抜ける。
リザードが最後に通る。
「リザ!」
「ありがとう」
頭を撫でる。
「でも止まらないよ!」
「リザ!」
走る。
甲板まで。
あと少し。
レンには分かっていた。
知っていたからこそ。
早く動けた。
避難経路も確認した。
ロケット団が動く前から警戒した。
サトシがバタフリーを取り戻すことも。
船が沈むことも。
全部。
知っていた。
それなのに。
「――っ!」
船が。
これまでとは比較にならないほど大きく傾いた。
床が。
横へ消える。
「レン!」
サトシの声。
身体が浮いた。
壁へ。
投げ出される。
「リザ!」
リザードがレンへ手を伸ばす。
「リオ!」
リオルも跳んだ。
レンは咄嗟に腕を伸ばした。
指先が。
リザードの手に触れる。
だが。
勢いが強すぎる。
「リザッ!」
リザードごと。
飛ばされる。
「くっ……!」
レンは空中で身体を捻った。
リザードを抱き寄せる。
背中から。
壁へ叩きつけられた。
「がっ……!」
息が抜ける。
視界が揺れる。
少し離れた場所で。
サトシ。
カスミ。
タケシ。
ピカチュウ。
リオル。
次々と壁へ投げ出されていく。
「リオ……!」
リオルが立とうとする。
レンも手を伸ばす。
「リオ……ル……」
声が。
うまく出ない。
船体が軋む。
遠くで何かが壊れる。
水の音。
警報。
悲鳴。
すべてが混ざり合っていく。
(知ってた……)
レンの意識が薄れていく。
危険が来ることも。
船が沈むことも。
知っていた。
だから。
できるだけ準備した。
それでも。
未来を知っているだけでは。
何もかも思い通りにはできない。
リオルが。
必死にこちらへ手を伸ばしている。
腕の中では。
リザードがレンを守ろうとするように身体を起こそうとしていた。
「……大丈夫……」
誰に言ったのか。
自分でも分からない。
「まだ……終わって……ない……」
そこで。
レンの意識は途切れた。
◇
荒れ狂う海。
巨大な波の中。
サントアンヌ号が大きく傾いていく。
救命ボートへ避難した乗客たちは、離れていく船を不安そうに見つめていた。
さらに一度。
大波が船体へ直撃する。
ついに。
サントアンヌ号が完全に転覆した。
そして。
ゆっくりと。
海の中へ沈んでいく。
船長は救命ボートの上から、その光景を見つめていた。
乗客は避難した。
そう思っている。
しかし。
船内には。
まだ残されていた。
レン。
サトシ。
カスミ。
タケシ。
ピカチュウ。
リザード。
リオル。
そして別の場所には。
ムサシ。
コジロウ。
ニャース。
誰にも気づかれないまま。
サントアンヌ号は暗い海中へ沈んでいった。
海面には、荒れた波だけが残った。