ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
翌朝、まだ朝食まで少し時間があるというのにレンが目を覚ますと、すでにヒトカゲは起きていた。
「……早いな」
「カゲ!」
ベッドの横で待っていたヒトカゲは、レンが身体を起こした瞬間に嬉しそうに立ち上がった。
どうやら昨日の約束をしっかり覚えているらしい。
「もしかして、練習したくて待ってた?」
「カゲ!」
即答だった。
レンは眠気の残る目を擦りながら笑う。
「朝ご飯が先」
「カゲ……」
「そんな顔しても駄目」
昨日から何度目か分からないやり取りだった。
◇
朝食を終え、少し時間を置いてから二人は庭へ出た。
昨日のように技を使わせるための的も準備している。
しかしレンが最初に始めたのは、技の練習ではなかった。
「まず走ろう」
「カゲ?」
ヒトカゲが首を傾げる。
「『ひのこ』も『げんしのちから』も練習する。でもその前に、ちゃんと身体を動かせるようにならないと」
レンは庭へいくつか目印を置いた。
真っ直ぐ走る。
目印の前で止まる。
方向を変える。
また走る。
単純な動作を組み合わせただけのものだ。
「最初は俺と一緒にやろう」
「カゲ!」
レンが走り出すと、ヒトカゲも隣を走る。
最初の目印。
「止まる!」
レンは足を止めた。
ところがヒトカゲは勢いを殺しきれない。
「カゲ!?」
数歩余計に進んでから、ようやく止まった。
「やっぱりそこだな」
昨日の『ひっかく』でも同じ傾向が出ていた。
前へ進む力が強い。
その代わり、一度勢いがつくと身体を止めるのが苦手だ。
「もう一回」
「カゲ!」
何度か繰り返す。
最初はレンの声を聞いてから止まろうとしていたヒトカゲも、次第に目印そのものを見るようになった。
レンも指示のタイミングを少しずつ変える。
「止まれ!」
「カゲ!」
今度はぴたりとはいかなかったものの、最初より遥かに短い距離で止まった。
「いいね」
レンが手を上げる。
「カゲ!」
ぱちん!
いつものハイタッチ。
それから方向転換。
急停止。
短距離の加速。
軽い跳躍。
一つずつ確認していった。
途中で休憩を挟み、水分も取らせる。
ヒトカゲはもっと続けたそうだったが、レンはその要求には応じなかった。
「疲れてから無理に続けても、変な動きが癖になるだけだから」
「カゲ……」
「休むのも練習」
「カゲ?」
納得しているかは怪しい。
それでもレンが隣へ座ると、ヒトカゲも大人しく腰を下ろした。
レンはノートへ今日の動きを記録していく。
単純に筋力や持久力を伸ばすだけではない。
ヒトカゲ自身に、自分の身体を正確に理解させる。
どこまで踏み込めるか。
どれくらいの速度ならすぐ止まれるか。
跳んだあと、どう着地すれば次へ動けるか。
バトルでは技だけが飛び交うわけではない。
攻撃を避ける。
距離を詰める。
間合いを外す。
足場を使う。
技を放った直後の隙を消す。
その全てに身体の使い方が関係してくる。
(ゲームじゃ数字だった部分も、この世界じゃ全部動きになる)
素早さが高いから速い。
そんな一言では終わらない。
足の運び方。
重心。
視線。
反応。
判断。
そしてトレーナーとの意思疎通。
磨けるものはいくらでもある。
だから面白い。
レンがそんなことを考えていると、肩へ小さな手が触れた。
「ん?」
「カゲ!」
休憩は終わりだ、とでも言いたげにヒトカゲが立っている。
「もう元気になった?」
「カゲ!」
「じゃあ次は技をやろうか」
ヒトカゲの目が輝いた。
◇
最初は『ひっかく』。
ただ的を攻撃するだけではない。
レンはヒトカゲから少し離れた位置に立ち、合図を送る。
「右!」
「カゲッ!」
右側の的へ『ひっかく』。
「戻って、左!」
一度距離を取り、今度は左側へ。
「カゲ!」
爪が的を捉える。
「そのまま止まらない! 後ろ!」
「カゲ!?」
ヒトカゲが慌てて振り返る。
三つ目の的を見つけ、駆け出す。
最初はレンの指示についていくだけで精一杯だった。
だが、何度か繰り返すうちに変化が出てくる。
『ひっかく』を放った直後、ヒトカゲが自分から足を踏ん張った。
昨日のように身体が流れない。
「今のいい!」
「カゲ!」
褒められても、今回はレンのところへ戻ってこなかった。
代わりに次の的を見る。
レンはそれに気づいて笑う。
「じゃあ――左!」
「カゲッ!」
すぐに動いた。
(覚えてる)
昨日教えたことを、そのまま繰り返しているわけではない。
自分なりに使おうとしている。
レンが求めていた成長だった。
◇
『ひのこ』の練習では、最初から威力を上げようとはしなかった。
狙うのは、距離の違う三つの的。
「一番近いのから」
「カゲ!」
ヒトカゲが息を吸う。
「カゲェ!」
『ひのこ』が放たれる。
昨日よりまとまっているが、それでも的の端を掠める程度だった。
「次」
二発目。
今度は中心に近い。
「カゲ!」
ヒトカゲが嬉しそうに振り返る。
レンも手を上げかけたが、途中で止める。
「まだ終わってないよ」
「カゲ!」
ヒトカゲもすぐ的へ向き直った。
三発目。
少し離れた的へ『ひのこ』を放つ。
炎は届いた。
しかし距離が伸びたことで大きく散らばり、ほとんど威力が残っていない。
レンはそこで終了させた。
「近いところなら少し狙える。でも遠くなるとまだ難しいな」
「カゲ……」
「落ち込まなくていい。昨日は近い的にもまともに当たらなかっただろ?」
ヒトカゲが昨日のことを思い出す。
「カゲ」
「一日でちゃんと上手くなってる」
そう言って手を出す。
「カゲ!」
ぱちん!
ヒトカゲの表情が明るくなった。
◇
そして最後。
『げんしのちから』。
これだけは他の二つと扱いを変えた。
「一回だけ」
「カゲ?」
「まだ負担が大きいから。今日は一回成功したら終わり」
「カゲ……」
不満そうではある。
しかしレンが譲らないと知っているヒトカゲは、素直に的へ向き直った。
「昨日の感覚、覚えてる?」
「カゲ」
ヒトカゲが集中する。
地面の小石が震える。
昨日より早い。
「そのまま」
レンは急かさない。
一つ。
二つ。
三つ。
石が浮かぶ。
「狙って」
「カゲ……!」
ヒトカゲの視線が的へ向く。
「今!」
「カゲッ!」
石が一斉に飛んだ。
一つは外れる。
もう一つも地面へ落ちる。
しかし最後の一つが――。
コンッ!
的へ当たった。
一瞬の静寂。
ヒトカゲが目を見開いた。
「……当たった」
「カゲ?」
「当たったよ!」
「カゲ!」
ヒトカゲが飛び跳ねる。
そのままレンへ走ってきた。
レンも笑顔で手を出す。
ぱちん!
「昨日よりずっと良くなった!」
「カゲ! カゲ!」
「約束したもんな。自由に使えるようになるって」
「カゲ!」
まだ威力は弱い。
発動にも時間がかかる。
実戦で自在に扱える段階には程遠い。
それでも。
昨日できなかったことが、今日はできた。
その小さな成功を、レンは何より大切にした。
◇
そんな日々が続いた。
一日。
また一日。
レンはヒトカゲの身体の状態を見ながら、練習量を少しずつ増やしていった。
毎日同じことだけを繰り返すわけではない。
ある日は庭に障害物を置き、その間を走らせた。
別の日にはレンが柔らかいボールを投げ、ヒトカゲが身体を動かして避ける。
「右!」
「カゲ!」
「次、左!」
「カゲッ!」
最初はレンの指示を聞いてから動いていた。
やがてヒトカゲは、飛んでくるボールそのものを見るようになった。
レンが何も言わなくても避ける。
「そう。それでいい」
「カゲ?」
「全部俺が言うのを待たなくていいんだ。自分で分かることは、自分で動いていい」
ヒトカゲが考える。
次のボール。
レンは指示を出さない。
ヒトカゲは最後までボールを見て――横へ跳んだ。
避ける。
着地。
すぐレンを見る。
「正解」
「カゲ!」
嬉しそうな声が響いた。
レンが求めているのは、命令通りに動くだけのポケモンではなかった。
トレーナーとポケモン。
二人で考える。
レンが全体を見て戦術を組み立て、ヒトカゲも目の前の相手を見て判断する。
そして必要な瞬間だけ、レンの指示がヒトカゲの動きをさらに一段上へ引き上げる。
まだ理想には程遠い。
それでも、その形は少しずつ生まれ始めていた。
◇
数週間が経った頃。
レンとヒトカゲは家から少し離れた草原へ来ていた。
特訓だけが目的ではない。
いつも同じ庭で練習していては、足場や周囲の環境が固定されてしまう。
土。
短い草。
緩やかな傾斜。
小さな石。
自然の中には、庭にはないものがいくらでもある。
「今日はここを歩きながら、いろんな足場に慣れよう」
「カゲ!」
ヒトカゲは楽しそうだった。
レンの少し前を歩いては、気になるものを見つけて立ち止まる。
「遠くには行くなよ」
「カゲ!」
返事だけはいい。
もっとも、以前と違って勝手に遠くまで走っていくことはない。
レンが止まればヒトカゲも気づいて戻ってくる。
そんな小さな変化にも、積み重ねた時間を感じる。
しばらく歩いたところで、草むらが揺れた。
レンが足を止める。
ヒトカゲも同時に止まった。
「カゲ?」
一匹のポッポが草むらから姿を現した。
地面へ降り、何かを啄んでいる。
野生のポッポ自体は珍しくない。
レンもこれまで何度も見ている。
「邪魔しないように行こう」
「カゲ」
レンが少し離れて通ろうとする。
ヒトカゲも後についてきた。
その途中。
風に煽られた一枚の葉が、ヒトカゲの目の前を横切った。
「カゲ!」
反射的に追いかける。
「ヒトカゲ、待って」
ほんの数歩だった。
だが、その先にはポッポがいた。
ヒトカゲは葉へ飛びつき、前足で押さえる。
「カゲ!」
捕まえたことが嬉しかったのか、レンへ振り返った。
その直後。
「ポッポ!」
鋭い鳴き声が響く。
「カゲ?」
ヒトカゲが振り返る。
ポッポが翼を広げていた。
先ほどまで食事をしていた場所へ突然ヒトカゲが飛び込んできたことで、警戒しているらしい。
「ヒトカゲ、下がって」
「カゲ」
レンの声に従い、ヒトカゲが一歩下がる。
それで終わるかと思った。
しかしポッポの警戒は解けなかった。
「ポッ!」
地面を蹴る。
一直線に飛んできた。
(来る!)
「ヒトカゲ、避けろ!」
「カゲ!」
何度も繰り返した動き。
ヒトカゲはポッポから目を離さず、横へ跳んだ。
ポッポがすぐ横を通過する。
「カゲ……!」
ヒトカゲの表情が変わった。
怖がってはいない。
むしろ――目が輝いている。
レンには、その顔の意味がもう分かる。
「……戦いたい?」
「カゲ!」
迷いのない返事だった。
レンはポッポを見る。
ポッポも逃げようとはせず、少し離れた場所へ着地すると再びこちらを睨んでいる。
積極的に追い回してくるほどではない。
だが、ヒトカゲが引かなければ相手も引く気はなさそうだった。
レンは少しだけ考えた。
いつかは経験させる必要がある。
そして今のヒトカゲなら、最低限の基礎は身についている。
何より本人が望んでいる。
「分かった」
レンはヒトカゲの隣へ立つ。
「やってみよう」
「カゲ!」
「ただし危ないと思ったら、俺が止めるからな」
「カゲ!」
ヒトカゲが一歩前へ出た。
ポッポも翼を広げる。
レンの胸が高鳴った。
知識ならある。
バトルも数え切れないほど見てきた。
ゲームでも何度戦ったか分からない。
それでも。
自分がトレーナーとしてポケモンの隣に立ち、実際に指示を出すのはこれが初めてだ。
画面の向こうではない。
やり直しもない。
自分の判断一つで、ヒトカゲは攻撃を受ける。
(だからこそ、見る)
相手を。
ヒトカゲを。
周囲を。
全部見る。
「ポッポ!」
先に動いたのはポッポだった。
地面を蹴り、身体を前へ突き出す。
『たいあたり』。
「ヒトカゲ、引きつけて右!」
「カゲ!」
練習なら、すぐに避けていた。
だが今回は違う。
自分へ向かって本物のポケモンが突っ込んでくる。
一瞬だけヒトカゲの身体が強張った。
その僅かな遅れで、ポッポの身体が肩を掠める。
「カゲッ!」
ヒトカゲがよろめく。
「ヒトカゲ!」
倒れない。
足を踏ん張り、すぐにポッポを見る。
「大丈夫?」
「カゲ!」
強い返事。
尻尾の炎も弱まっていない。
レンは息を整える。
(練習と実戦は違う。当たり前だ)
ボールは自分を傷つけない。
野生のポケモンは違う。
それでもヒトカゲは逃げなかった。
むしろ一度攻撃を受けたことで、緊張が少し抜けたように見える。
ポッポが旋回する。
「また来る!」
「ポッポ!」
二度目の『たいあたり』。
今度はヒトカゲも相手を見ていた。
レンはぎりぎりまで待つ。
「左!」
「カゲ!」
ヒトカゲが跳ぶ。
ポッポが通過した。
完全に避けた。
「今だ、『ひっかく』!」
「カゲッ!」
ヒトカゲが着地と同時に踏み込む。
爪がポッポを捉えた。
「ポォッ!」
ポッポの身体が横へ流れる。
だが、倒れない。
すぐに羽ばたき、距離を取った。
「カゲ!」
初めて技を当てたヒトカゲが興奮したように声を上げる。
「まだ終わってない!」
レンの声で、ヒトカゲがすぐポッポへ意識を戻した。
次の瞬間。
「ポッポ!」
ポッポが激しく翼を羽ばたかせる。
空気が動いた。
(これは――)
「『かぜおこし』!」
強い風が正面から襲ってくる。
「カゲッ!」
小さな身体が押される。
ヒトカゲは腕を顔の前へ出し、必死に耐える。
「踏ん張れ!」
「カゲェ……!」
しかし相手は空中。
このままでは『ひっかく』が届かない。
『ひのこ』なら届く。
だが強風の正面から適当に撃っても、炎が散らされる可能性が高い。
レンは周囲を見る。
足場。
風向き。
ポッポの位置。
そして、ポッポが『かぜおこし』を使うために一定の位置で羽ばたいていること。
(ずっとは続かない)
なら――待つ。
「ヒトカゲ! 今は攻撃しなくていい! 低くなって耐えろ!」
「カゲ!」
ヒトカゲが姿勢を下げる。
尻尾を地面へつけないよう身体の向きを調整し、四肢へ力を込めた。
風が吹き続ける。
やがて。
ポッポの羽ばたきが僅かに弱まった。
「今! 『ひのこ』!」
「カゲェッ!」
ヒトカゲが顔を上げる。
口から放たれた火の粉が、弱まり始めた風の中を突き抜けた。
「ポッ!?」
『ひのこ』がポッポの翼を掠める。
致命的な一撃ではない。
だが、驚いたポッポの高度が落ちた。
レンは見逃さない。
「追いかけろ!」
「カゲ!」
ヒトカゲが走る。
ポッポが体勢を整えようと羽ばたく。
間に合うか。
いや――。
「そのまま跳べ!」
「カゲッ!」
これまで何度も練習した跳躍。
ヒトカゲが地面を蹴る。
「『ひっかく』!」
爪が振り抜かれた。
「ポォッ!」
命中。
ポッポが地面へ落ちる。
ヒトカゲも着地した。
だが攻撃の勢いが残っている。
以前なら前へ転がっていただろう。
「カゲッ!」
踏ん張る。
止まった。
レンの目が見開かれる。
(できた)
練習してきたことが、実戦でも出た。
ポッポが立ち上がる。
まだ戦える。
ヒトカゲも構える。
「カゲ……!」
息が少し荒い。
初めての実戦。
緊張。
運動量。
技の使用。
思っていた以上に体力を使っている。
一方のポッポも『ひっかく』を二度、『ひのこ』を一度受けている。
互いに余裕はない。
ポッポが翼を広げた。
ヒトカゲも前へ出ようとする。
その瞬間、レンは声を上げた。
「待って!」
「カゲ?」
ヒトカゲが止まる。
ポッポもすぐには動かなかった。
数秒。
睨み合う。
やがてポッポは一度大きく羽ばたくと、そのまま空へ上がった。
「カゲ!」
追いかけようとするヒトカゲ。
「追わなくていい」
レンの声に、足を止める。
「ポッポー!」
ポッポは上空を一度旋回した。
そして森の方へ飛び去っていく。
ヒトカゲはその姿が見えなくなるまで見つめていた。
「カゲ……」
「逃げたっていうより、もう十分だって思ったのかもな」
野生のポケモン同士なら、必ずどちらかが倒れるまで戦うわけではない。
互いに危険を感じれば引く。
今回は、そういう決着だったのだろう。
ヒトカゲは少しだけ納得できない顔をしていた。
「勝ちたかった?」
「カゲ」
「俺も」
レンは素直に答えた。
「でも初めてのバトルで、ちゃんと戦えた」
ヒトカゲを見る。
肩には最初の『たいあたり』が掠めた跡がある。
大きな怪我ではない。
それでも帰ったら父に診てもらった方がいい。
レンがしゃがむ。
「それに、練習したこともちゃんとできてた」
「カゲ?」
「二回目の『たいあたり』は避けられた。『ひっかく』のあとも止まれた。『ひのこ』だって当てた」
一つずつ伝える。
ヒトカゲの表情が少しずつ変わる。
「初めてなら十分だよ」
「カゲ……」
「でも」
レンが笑う。
「次は勝とう」
ヒトカゲの目が輝いた。
「カゲ!」
ぱちん!
二人の手が重なった。
◇
帰宅後。
父に診てもらった結果、ヒトカゲの肩は軽い打撲だけで済んでいた。
念のため今日はもう運動禁止。
そう告げられた瞬間のヒトカゲの落ち込みようは凄まじかった。
「カゲ……」
「今日は休み」
「カゲー……」
「明日元気に練習するために休むんだよ」
レンがそう言うと、渋々ながら納得した。
その夜。
レンは机へ向かっていた。
ノートの新しいページ。
一番上に書く。
初実戦――野生のポッポ。
そして、その下へ一つずつ記録していく。
最初の攻撃に対して身体が強張った。
二度目からは相手を見る余裕ができた。
練習していた回避は実戦でも使用可能。
『ひっかく』後の体勢は改善。
『ひのこ』は風が弱まれば空中の相手にも届いた。
空中の相手への対応手段はまだ少ない。
実戦では練習より体力の消耗が激しい。
『げんしのちから』は使用しなかった。
使おうと思えば指示できた。
だが今のヒトカゲには発動まで時間がかかる。
あの速度で動くポッポへ無理に使わせても、隙を晒す可能性の方が高かった。
覚えている技を全部使えばいいわけではない。
必要な技を、必要な瞬間に選ぶ。
それもトレーナーの仕事だ。
レンはペンを止める。
「……俺の方も反省点あるな」
「カゲ?」
寝床で休んでいたヒトカゲが顔を上げた。
「最初の『たいあたり』。避ける指示が少し遅かった」
レンはノートへ書き加える。
自分の判断が正しかった部分だけを記録するつもりはない。
ヒトカゲに課題があるなら、レンにも課題がある。
「もっと早く相手の動きを読めたはずだ」
「カゲ……」
「次は俺も上手くやる」
ヒトカゲが立ち上がり、レンのところへ来る。
そして。
こつん。
小さな拳がレンの腕へ触れた。
第5話の夜に交わした約束。
一緒に強くなる。
レンは笑った。
「そうだな」
拳を合わせる。
「二人で強くなるんだった」
「カゲ!」
世界最強を目指すレンにとって、初めての実戦は華々しい圧勝ではなかった。
攻撃を受けた。
指示も遅れた。
技も完璧ではなかった。
相手を倒し切ることもできなかった。
それでも。
レンには、その全てが嬉しかった。
知識の中にしかなかったポケモンバトルを、初めてヒトカゲと一緒に経験した。
失敗して。
考えて。
修正して。
次へ進む。
きっと、これからもその繰り返しだ。
「次は勝つぞ、ヒトカゲ」
「カゲ!」
レンが手を上げる。
ヒトカゲも迷わず手を伸ばした。
ぱちん!
二人にとって最初のバトルは、勝利では終わらなかった。
けれど――世界の頂へ続く道の上で、それは間違いなく最初の一戦だった。