ポケットモンスター ―頂への軌跡―   作:あああああ

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第7話 ふたりで強くなる

野生のポッポとの初めてのバトルから、一夜が明けた。

 

朝、レンが目を覚ますより先にヒトカゲはすでに起きていた。

 

寝床の上に座り、じっとこちらを見ている。

 

「……おはよう」

 

「カゲ!」

 

元気のいい返事が返ってきた。

 

昨日『たいあたり』を受けた肩は、父から大きな問題はないと診断されている。それでもレンはベッドから降りると、最初にヒトカゲの前へしゃがんだ。

 

「肩、見せて」

 

「カゲ?」

 

「昨日ぶつかられたところ」

 

ヒトカゲは素直に身体を向ける。

 

レンは腫れがないか確認し、軽く触れて反応を見る。

 

「痛い?」

 

「カゲ」

 

平気だと言いたげに胸を張る。

 

「じゃあ少し動かしてみて」

 

ヒトカゲが腕を回す。

 

特に動きがおかしい様子もない。

 

それでもレンはすぐに「よし、特訓だ」とは言わなかった。

 

「今日は軽めにしよう」

 

「カゲ!?」

 

「そんな驚く?」

 

「カゲ、カゲ!」

 

ヒトカゲは昨日の続きを今すぐ始めたいらしい。

 

「昨日初めて実戦したんだから、身体に疲れが残ってるかもしれないだろ」

 

「カゲ……」

 

「強くなるために練習するんだから、練習で身体を壊したら意味ないよ」

 

ヒトカゲは不満そうだったが、最後には渋々頷いた。

 

レンはそんな相棒の頭を撫でる。

 

「その代わり、今日は昨日のバトルを一緒に考えよう」

 

「カゲ?」

 

「俺だけじゃなくて、ヒトカゲも」

 

ヒトカゲが首を傾げた。

 

         ◇

 

朝食後。

 

庭へ出たレンは、地面に簡単な図を描いた。

 

ヒトカゲ。

 

ポッポ。

 

二匹の位置関係を石で表す。

 

「昨日、最初にポッポがこう来ただろ?」

 

レンがポッポに見立てた石を動かす。

 

「俺が『右へ避けろ』って言った。でも、お前はちょっと遅れた」

 

「カゲ……」

 

ヒトカゲの肩が落ちる。

 

「責めてるんじゃないよ」

 

レンはすぐに続けた。

 

「俺の指示も遅かった。それに初めて本気で向かってくる相手を見たんだから、怖くなるのも普通だよ」

 

「カゲ」

 

「大事なのは次」

 

二度目の『たいあたり』。

 

レンは石を動かす。

 

「このときは避けられた」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲの表情が明るくなる。

 

「なんでだと思う?」

 

「カゲ?」

 

当然、言葉で答えが返ってくるわけではない。

 

それでもレンは待った。

 

ヒトカゲは地面の石を見る。

 

ポッポ役の石。

 

自分役の石。

 

そして――ポッポ役の石をじっと見つめた。

 

「相手を見たから?」

 

「カゲ!」

 

「俺もそう思う」

 

最初は「攻撃される」ということそのものに意識を奪われた。

 

だが二度目は、ポッポを見ていた。

 

翼。

 

身体の向き。

 

飛んでくる軌道。

 

それを見たから避けられた。

 

「だったら、次は最初から相手を見られるようになればいい」

 

「カゲ……!」

 

ヒトカゲが真剣な顔で頷く。

 

レンは次に『かぜおこし』の場面を再現した。

 

「これはどうだった?」

 

「カゲ……」

 

ヒトカゲが腕で顔を覆う。

 

昨日、風へ耐えていたときの姿だ。

 

「強かった?」

 

「カゲ!」

 

かなり強く頷いた。

 

レンは笑った。

 

「俺も見てて分かった」

 

ただし問題は、強かったことではない。

 

あのときレンは、風が弱まるまで耐えさせてから『ひのこ』を撃たせた。

 

結果として成功した。

 

けれど、それが常に正解とは限らない。

 

もっと強い『かぜおこし』だったら。

 

相手が風を止めずに別の攻撃へ繋げてきたら。

 

そもそも耐えられないほどの攻撃だったら。

 

「耐える以外にも方法が欲しいな」

 

「カゲ?」

 

「例えば――」

 

レンが立ち上がる。

 

「風が真正面から来るなら、横へ逃げる」

 

庭を走り、横方向へ移動する。

 

「近くに岩があれば、その後ろに入る。地面が窪んでたら姿勢を低くする。相手が技を出す前に攻撃する方法もある」

 

「カゲ……」

 

ヒトカゲが真剣に聞いている。

 

「正解は一個じゃないんだ」

 

バトルは選択肢の積み重ねだ。

 

ゲームなら決められた技を選ぶ。

 

しかし、この世界では立ち位置も、地形も、攻撃の角度も、相手との距離も変化し続ける。

 

同じ『ひのこ』でも、真正面から撃つのと、相手の動く先へ撃つのでは意味が違う。

 

『ひっかく』も同じ。

 

ただ爪を振るうだけではない。

 

相手の攻撃を避けながら使うこともできる。

 

踏み込んで使う。

 

待ち構えて使う。

 

飛び込んで使う。

 

一つの技でも、使い方はいくらでもある。

 

「だからヒトカゲにも考えてほしい」

 

「カゲ?」

 

「俺が全部言うんじゃなくてさ」

 

レンはヒトカゲの目を見る。

 

「自分で見て、自分で考えて動いていい」

 

ヒトカゲは黙っている。

 

「もちろん、俺も指示する。お前から見えないものが俺には見えることもあるから」

 

トレーナーはバトル全体を見ることができる。

 

ポケモンは目の前の相手を最も近くで感じられる。

 

どちらか片方だけで戦うのではない。

 

「俺が考える。ヒトカゲも考える」

 

レンは拳を差し出した。

 

「二人で戦おう」

 

ヒトカゲはその拳を見つめ――。

 

「カゲ!」

 

こつん。

 

自分の拳を重ねた。

 

         ◇

 

その日から、練習内容が少し変わった。

 

レンが出す指示を減らしたのだ。

 

「始めるよ」

 

「カゲ!」

 

庭の反対側にはサトシが立っている。

 

その手には柔らかい練習用のボールがいくつも抱えられていた。

 

「本当に投げていいんだな?」

 

「いいよ。ただし顔を狙うなよ」

 

「分かってる!」

 

サトシが一つ目を構える。

 

ヒトカゲは少し腰を落とした。

 

「じゃあ――いくぞ!」

 

ボールが飛ぶ。

 

レンは何も言わない。

 

ヒトカゲは自分で軌道を見る。

 

身体を右へずらした。

 

ボールが横を抜ける。

 

「おお!」

 

サトシが目を輝かせる。

 

「もう一個!」

 

二球目。

 

今度は少し右寄り。

 

ヒトカゲは左へ避けた。

 

三球目。

 

低い。

 

跳ぶ必要はない。

 

足を少し引くだけで避ける。

 

レンは黙って観察していた。

 

(いい)

 

無駄な動きが減っている。

 

だが――。

 

「いくぞ!」

 

サトシが二つのボールを持った。

 

「え?」

 

レンが止めるより先に、二球を続けて投げる。

 

一つ目をヒトカゲが避ける。

 

その先へ二つ目。

 

「カゲ!?」

 

避けた方向へボールが来る。

 

「しゃがめ!」

 

レンが即座に指示する。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが身体を沈める。

 

頭上をボールが通過した。

 

「……サトシ」

 

「あ」

 

レンがじっと見る。

 

「二個投げるなら先に言って」

 

「ご、ごめん」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲまでサトシを睨む。

 

「悪かったって!」

 

サトシが両手を合わせる。

 

レンはため息をついた。

 

だが――。

 

今の動きそのものは悪くなかった。

 

一球目はヒトカゲ自身が判断した。

 

二球目はレンが補った。

 

(こういう感じか)

 

全部を指示する必要はない。

 

だが全部をヒトカゲへ任せる必要もない。

 

必要な瞬間だけ声を入れる。

 

「もう一回やろう」

 

「カゲ!」

 

「次は一個ずつな」

 

「分かってるよ!」

 

「本当に?」

 

「分かってるって!」

 

「カゲ」

 

「ヒトカゲまで疑うなよ!」

 

庭に笑い声が響いた。

 

         ◇

 

数日後。

 

今度は『ひのこ』の練習方法を変えた。

 

固定された的だけを狙うのではない。

 

父に手伝ってもらい、安全な練習場所へ簡単な移動式の的を用意した。

 

紐を使い、左右へ動かすことができる。

 

「カゲ……」

 

ヒトカゲの目が的を追う。

 

レンは隣に立っていた。

 

「撃っていいよ」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが『ひのこ』を放つ。

 

外れた。

 

的はそのまま動く。

 

「カゲ……!」

 

すぐ二発目を撃とうとする。

 

「待って」

 

ヒトカゲが止まる。

 

「今、的がいる場所を狙っただろ?」

 

「カゲ?」

 

「動いてる相手なら、技が届く頃にはそこにいない」

 

レンは的を動かす。

 

右から左へ。

 

「今じゃなくて――」

 

少し先を指差す。

 

「これから来る場所を狙う」

 

ヒトカゲが考える。

 

「やってみよう」

 

再開。

 

的が動く。

 

ヒトカゲが口を開いた。

 

だが、すぐには撃たない。

 

目で追う。

 

速度を見る。

 

そして――。

 

「カゲェ!」

 

『ひのこ』。

 

炎が飛ぶ。

 

的が進む。

 

その二つが交差した。

 

ボッ!

 

「当たった!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが飛び跳ねる。

 

レンへ走ってきて手を上げる。

 

ぱちん!

 

「今の感覚、覚えとこう」

 

「カゲ!」

 

偶然かもしれない。

 

それでも構わない。

 

一度できたなら、次は意識してできるようにする。

 

十回に一回なら、五回に一回。

 

五回に一回なら、二回に一回。

 

最後には、それを当たり前にする。

 

レンが考える育成とは、そういうものだった。

 

         ◇

 

『げんしのちから』については、さらに慎重に進めた。

 

毎日は使わせない。

 

数日置き。

 

体調がいい日に限る。

 

最初は石を浮かせるだけ。

 

次に飛ばす。

 

その次は一つの的へ集中させる。

 

「カゲ……!」

 

小石が震える。

 

浮かぶ。

 

以前はそれだけで数秒かかっていた。

 

今は少し早い。

 

「焦らなくていい」

 

「カゲ……!」

 

ヒトカゲが集中する。

 

レンはその様子を細かく観察する。

 

呼吸。

 

姿勢。

 

視線。

 

尻尾の炎。

 

発動前後の疲労。

 

何度も使わせれば、もっと早く上達するかもしれない。

 

だが身体がまだ幼い。

 

今必要なのは、短期間で完成させることではない。

 

これから何年も強くなり続けられる身体を作ることだ。

 

「今日はここまで」

 

「カゲ!?」

 

「成功したから終わり」

 

「カゲー!」

 

ヒトカゲが抗議する。

 

「もう一回やったら失敗するかもしれないだろ?」

 

「カゲ」

 

「成功した感覚を残して終わろう」

 

「……カゲ」

 

少し考えたあと、ヒトカゲが頷いた。

 

以前なら、ただ「もっとやりたい」と主張していただろう。

 

最近は、レンが止める理由そのものを理解しようとするようになっていた。

 

それもまた成長だった。

 

         ◇

 

そしてある日の午後。

 

「レン!」

 

庭へ駆け込んできたサトシが、いきなり叫んだ。

 

「バトルしようぜ!」

 

「誰と誰が?」

 

「オレとヒトカゲ!」

 

「どうやって?」

 

「…………」

 

サトシが止まる。

 

レンはヒトカゲを見る。

 

ヒトカゲもサトシを見る。

 

「カゲ?」

 

「……オレ、ポケモン持ってなかった」

 

「今気づいたの?」

 

「でもバトルしたい!」

 

「無理だって」

 

「じゃあ野生のポケモン捕まえる!」

 

「モンスターボール持ってないだろ」

 

「オーキド博士にもらう!」

 

「八歳じゃ正式なトレーナーじゃないんだから無理」

 

「うぅ……!」

 

本気で悔しがっている。

 

ヒトカゲがそんなサトシを見上げる。

 

「カゲ」

 

「ヒトカゲぇ……!」

 

「カゲ……」

 

何故か二人で分かり合っていた。

 

レンは呆れながらも、少しだけ笑った。

 

あと二年。

 

サトシもポケモンを持つ。

 

そして旅へ出る。

 

前世の記憶通りなら、その相棒は――。

 

(ピカチュウ)

 

ただし、それが絶対だとは考えない。

 

自分が存在している時点で、すでに前世で知っていた世界と完全に同じではない。

 

未来は変わる。

 

変わって当然だ。

 

それでも。

 

「サトシ」

 

「ん?」

 

「十歳になったらバトルしよう」

 

サトシの目が輝く。

 

「ほんとか!?」

 

「お互い自分のポケモンで」

 

「やる!」

 

サトシが拳を突き出した。

 

「絶対だからな!」

 

「分かってるよ」

 

拳を合わせる。

 

その下で。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲまで拳を出してきた。

 

「ヒトカゲも?」

 

「カゲ!」

 

「じゃあ三人で」

 

三つの拳が重なる。

 

サトシが笑う。

 

「絶対負けないからな!」

 

レンも笑った。

 

「こっちも負ける気ないよ」

 

「カゲ!」

 

その約束が果たされる日は、まだ少し先だった。

 

         ◇

 

それからさらに時間が流れた。

 

ヒトカゲが生まれてから、三か月。

 

身体つきは少しずつしっかりしてきた。

 

走る速度。

 

止まる技術。

 

身体の切り返し。

 

技の精度。

 

その全てが、孵化直後とは比べものにならない。

 

何より大きく変わったのは、レンとの意思疎通だった。

 

「ヒトカゲ」

 

「カゲ!」

 

朝。

 

レンが庭へ出る。

 

それだけでヒトカゲは何をするのか理解している。

 

今日は回避訓練。

 

レンは柔らかいボールを持った。

 

「始めるよ」

 

「カゲ」

 

一球目。

 

ヒトカゲが避ける。

 

二球目。

 

避ける。

 

三球目。

 

わざと避けにくい位置へ投げる。

 

ヒトカゲは身体を捻る。

 

それでも完全には避けきれない。

 

「カゲッ!」

 

ボールが肩へ当たった。

 

以前なら悔しがっていただろう。

 

だが今はすぐにレンを見る。

 

「今の、どうだった?」

 

「カゲ……」

 

ヒトカゲは自分が避けた方向を見る。

 

それから首を傾げた。

 

「最初の動きが大きすぎた」

 

レンが実際に動いて見せる。

 

「最初にここまで動いたから、次の逃げ道がなくなった」

 

「カゲ」

 

「小さく避けられる攻撃なら、小さく避ける」

 

必要以上に動けば、その分だけ次の行動が遅れる。

 

ほんの僅かな差。

 

今のヒトカゲには必要ないかもしれない。

 

だがレンが目指しているのは、ただ強いポケモンではない。

 

世界の頂点で戦えるポケモンだ。

 

ならば、いつか必要になる。

 

「もう一回」

 

「カゲ!」

 

レンがボールを投げる。

 

今度は最小限の動き。

 

頬のすぐ横をボールが通過する。

 

ヒトカゲはもう次のボールを見ている。

 

「いい!」

 

レンの声が飛ぶ。

 

ヒトカゲの口元が少し上がった。

 

         ◇

 

その日の夕方。

 

レンとヒトカゲは、以前ポッポと戦った草原を訪れていた。

 

特別な目的があったわけではない。

 

軽い散歩と、自然の足場に慣れるためだ。

 

夕日に照らされた草が揺れている。

 

「カゲ」

 

ヒトカゲが少し前を歩く。

 

以前よりレンとの距離を自然に意識するようになり、勝手に遠くへ行くこともない。

 

そんなヒトカゲが突然立ち止まった。

 

「どうした?」

 

「カゲ……」

 

視線の先。

 

一匹のポッポがいた。

 

レンも足を止める。

 

同じ個体か。

 

野生のポケモンには個体差がある。見た目だけで確実に判断するのは難しい。

 

しかし。

 

「ポッ」

 

ポッポもこちらを見た。

 

ヒトカゲの目が細くなる。

 

「カゲ……!」

 

尻尾の炎が僅かに大きく揺れた。

 

「もしかして、あのときの?」

 

「ポッポ!」

 

返事の代わりに、ポッポが翼を広げる。

 

ヒトカゲが一歩前へ出た。

 

レンを見る。

 

以前なら、すぐに戦おうとしていた。

 

今は違う。

 

まずレンへ意思を伝えている。

 

「戦いたい?」

 

「カゲ!」

 

レンはポッポを見る。

 

相手も逃げない。

 

「分かった」

 

レンも前へ出た。

 

「今度こそ決着つけよう」

 

「カゲ!」

 

ポッポが地面を蹴った。

 

速い。

 

『たいあたり』。

 

だが――。

 

レンは指示を出さなかった。

 

ヒトカゲはポッポを見ている。

 

距離。

 

速度。

 

軌道。

 

直前。

 

すっ。

 

身体を半歩だけずらした。

 

ポッポが横を通り過ぎる。

 

「ポッ!?」

 

以前のような大きな回避ではない。

 

必要な分だけ。

 

そして。

 

「今!」

 

その一言で十分だった。

 

ヒトカゲが反転する。

 

「カゲッ!」

 

『ひっかく』。

 

爪がポッポの背を捉えた。

 

「ポォッ!」

 

ポッポが体勢を崩しながらも羽ばたく。

 

空へ。

 

レンは追わせない。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲもその場で止まり、上を見る。

 

ポッポが翼を大きく広げる。

 

『かぜおこし』。

 

「ポォォ!」

 

強風が吹き荒れた。

 

以前なら耐えた。

 

だが。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが自分から走り出す。

 

真正面ではない。

 

横。

 

風をまともに受ける場所から外れようとしている。

 

レンの口元が上がる。

 

(覚えてた)

 

数日前に一緒に考えた。

 

耐えるだけが正解ではない。

 

ポッポが向きを変える。

 

風がヒトカゲを追う。

 

だが向きを変えながら『かぜおこし』を維持したことで、僅かに風が弱まった。

 

「ヒトカゲ!」

 

レンが叫ぶ。

 

それだけ。

 

細かな指示はしない。

 

ヒトカゲが振り返る。

 

口元へ炎が集まる。

 

レンと視線が重なった。

 

(今だ)

 

言葉にするより先に。

 

「カゲェッ!」

 

『ひのこ』が放たれた。

 

ポッポが移動しようとする。

 

しかし炎が向かったのは、ポッポがいた場所ではない。

 

その少し先。

 

「ポッ!?」

 

ボッ!

 

命中。

 

練習してきた先読み。

 

炎を受けたポッポの高度が落ちる。

 

「行け!」

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが駆ける。

 

ポッポも必死に羽ばたく。

 

再び高度を取ろうとする。

 

だが間に合わない。

 

ヒトカゲが地面を蹴った。

 

「カゲッ!」

 

跳ぶ。

 

爪を構える。

 

ポッポもただ攻撃を受けるだけではない。

 

翼を振る。

 

風。

 

空中でヒトカゲの身体が揺れた。

 

「カゲ!?」

 

このままでは『ひっかく』が届かない。

 

レンの頭が高速で回る。

 

距離。

 

高度。

 

ヒトカゲの体勢。

 

使える技。

 

『ひのこ』では間に合わない。

 

『ひっかく』は届かない。

 

なら。

 

「ヒトカゲ!」

 

一瞬だけ、視線が重なる。

 

「『げんしのちから』!」

 

「カゲ!」

 

空中。

 

足場がない。

 

集中する時間も短い。

 

それでも。

 

これまで何度も繰り返してきた。

 

ヒトカゲの周囲に、淡い光とともに岩石が生み出される。

 

以前のように、長い時間はかからない。

 

「カゲェッ!」

 

放つ。

 

岩石が飛ぶ。

 

「ポッ!?」

 

至近距離。

 

ポッポに命中した。

 

「ポォッ!」

 

ポッポが地面へ落ちる。

 

ヒトカゲも着地した。

 

少し体勢が崩れる。

 

だが転ばない。

 

すぐにポッポへ向き直った。

 

「カゲ……!」

 

息は荒い。

 

『げんしのちから』を使った影響もある。

 

それでも、その目はまだ戦っていた。

 

ポッポが身体を起こす。

 

翼を広げようとする。

 

しかし――。

 

「ポ……」

 

力が抜けた。

 

その場へ倒れる。

 

ヒトカゲはすぐには動かなかった。

 

本当に終わったのか確かめるように、相手を見ている。

 

数秒。

 

レンが静かに言った。

 

「……勝ったよ」

 

「カゲ?」

 

ヒトカゲが振り返る。

 

「俺たちの勝ちだ」

 

一瞬。

 

意味を理解したヒトカゲの表情が弾けた。

 

「カゲェェ!」

 

レンへ走ってくる。

 

「うわっ!」

 

勢いのまま胸へ飛び込んできた。

 

レンはなんとか受け止める。

 

「やったな!」

 

「カゲ! カゲ!」

 

「初勝利だ!」

 

ヒトカゲが両手を上げる。

 

レンも片手を上げる。

 

ぱちん!

 

乾いた音が夕暮れの草原へ響いた。

 

だが喜んだのは、ほんの少しだけ。

 

レンはすぐに倒れているポッポへ向かった。

 

「ヒトカゲ、ちょっと待ってて」

 

「カゲ?」

 

「相手の様子を見る」

 

近づき、状態を確認する。

 

意識はある。

 

大きな怪我もなさそうだ。

 

戦闘不能にはなったが、少し休めば飛べるようになるだろう。

 

レンは持ってきていた水と簡単な応急処置用品を取り出した。

 

ヒトカゲも隣へ座る。

 

「カゲ……」

 

さっきまで戦っていた相手を心配そうに見ている。

 

「大丈夫だと思う」

 

レンは優しく答えた。

 

「でも、戦って終わりじゃないから」

 

ヒトカゲがレンを見る。

 

「俺たちは強くなるために戦う。でも相手を傷つけたいわけじゃない」

 

「カゲ」

 

ヒトカゲは静かに頷いた。

 

しばらくすると。

 

「ポ……」

 

ポッポが目を開いた。

 

ヒトカゲが身構えかける。

 

だが攻撃はしない。

 

ポッポもヒトカゲを見る。

 

二匹はしばらく見つめ合った。

 

やがて。

 

「ポッ」

 

ポッポが小さく鳴いた。

 

「カゲ」

 

ヒトカゲも返す。

 

何を話したのか、レンには分からない。

 

それでも険悪なものではないことだけは分かった。

 

ポッポは立ち上がり、翼を動かす。

 

一度。

 

二度。

 

そして空へ飛び上がった。

 

夕日に向かって飛んでいく。

 

「カゲ!」

 

ヒトカゲが手を振る。

 

「ポッポー!」

 

遠くから声が返ってきた。

 

レンもその姿を見送った。

 

         ◇

 

帰り道。

 

ヒトカゲはずっと上機嫌だった。

 

「カゲ、カゲ!」

 

「分かった分かった。嬉しいのは分かったから」

 

「カゲ!」

 

何度目か分からない勝利の報告をされる。

 

レンも嬉しかった。

 

だが頭の中では、すでに今日のバトルを振り返っていた。

 

最初の回避。

 

自分で判断した。

 

『かぜおこし』への対応。

 

以前話したことを覚えていた。

 

『ひのこ』。

 

動いている相手の少し先を狙った。

 

最後の『げんしのちから』。

 

レンの指示を受け、短い時間で発動した。

 

どれも、突然できるようになったわけではない。

 

毎日の小さな練習。

 

失敗。

 

修正。

 

その積み重ねだ。

 

そして。

 

(俺も前より見えてた)

 

ヒトカゲだけではない。

 

レン自身も変わっていた。

 

最初のバトルでは、ポッポの動きに対応してから指示を考える場面があった。

 

今日は違った。

 

相手が何をしようとしているのか。

 

その次に何が起きるのか。

 

以前より早く見えていた。

 

知識だけではない。

 

実際にヒトカゲと戦った経験が、自分の中へ積み上がっている。

 

レンは隣を歩くヒトカゲを見る。

 

「俺たち、ちゃんと強くなってるな」

 

「カゲ?」

 

「まだちょっとだけだけど」

 

ヒトカゲが立ち止まった。

 

「カゲ!」

 

不満そうだ。

 

「ちょっとじゃない?」

 

「カゲ!」

 

「じゃあ、かなり?」

 

「カゲ!」

 

どうやらそれなら満足らしい。

 

「調子に乗るなよ」

 

「カゲー!」

 

レンは笑う。

 

その日の夕暮れ。

 

家へ続く道を、一人と一匹が並んで歩いていく。

 

世界最強など、まだ遥か遠い。

 

カントーの強豪トレーナー。

 

ジムリーダー。

 

四天王。

 

その先には、レンがまだ直接見たことすらないほどの強者たちがいる。

 

今のヒトカゲでは届かない。

 

今のレンでも届かない。

 

だからこそ――面白い。

 

今日より明日。

 

明日より、その次。

 

一つずつ積み上げればいい。

 

レンが目指しているのは、生まれた瞬間から完成された強さではない。

 

どこまでも伸び続ける強さだ。

 

ヒトカゲがレンを見上げた。

 

「カゲ!」

 

「ん?」

 

小さな拳が差し出される。

 

もうレンから求めたものではなかった。

 

ヒトカゲ自身からだ。

 

レンは笑い、自分の拳を重ねる。

 

こつん。

 

「次も勝とう」

 

「カゲ!」

 

二人で考え。

 

二人で鍛え。

 

二人で戦う。

 

タマゴから生まれたばかりだった小さなヒトカゲは、少しずつレンの相棒として歩き始めていた。

 

そしてレンもまた、知識を持っているだけの少年から、一匹のポケモンと共に成長するトレーナーへと変わり始めていた。

 

旅立ちの日まで、まだ時間はある。

 

その二年間が、自分たちをどこまで強くするのか。

 

レンにもまだ分からない。

 

ただ一つだけ確かなことがある。

 

今日の勝利は小さな一勝にすぎない。

 

それでも――。

 

世界の頂を目指す二人にとって、それは初めて自分たちの力で掴み取った、確かな勝利だった。

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