ポケットモンスター ―頂への軌跡― 作:あああああ
リオルがレンの家へ顔を出すようになってから、五日が経った。
最初の頃はシバと一緒にやって来ていたが、三日目には朝になると一匹で庭へ姿を見せるようになり、今ではレンが外へ出る頃には、当たり前のようにヒトカゲと向かい合っている。
「カゲ!」
「リオ!」
「……朝から元気だな」
レンが庭へ出たときには、すでに競走が始まる寸前だった。
ヒトカゲとリオルが横一列に並び、互いを横目で見ている。
「俺が合図するまで走るなよ」
「カゲ」
「リオ」
二匹とも真剣だ。
レンは少し間を置き――。
「スタート!」
二匹が同時に飛び出した。
最初に前へ出たのはリオル。
小柄な身体を前傾させ、一歩一歩を無駄なく繋いでいく。
対するヒトカゲも遅くない。
半年間、走ることは徹底的に続けてきた。
以前のように力任せに地面を蹴るのではなく、一定の歩幅を保ちながら速度を上げていく。
庭の端。
置かれた目印を回る。
「カゲ!」
ヒトカゲが内側へ入った。
「リオ!」
リオルもすぐに対応する。
肩が並ぶ。
最後の直線。
二匹が同時に加速した。
「カゲェ!」
「リオッ!」
ゴール。
レンは二匹の位置を見比べる。
「……リオル」
「リオ!」
リオルが拳を握る。
「カゲー!」
ヒトカゲが悔しそうに叫んだ。
僅かな差だった。
ほんの半歩。
それでも負けは負けだ。
「カゲ!」
ヒトカゲがスタート地点を指差す。
「リオ!」
リオルもすぐに向かおうとする。
「待った」
二匹が止まった。
「カゲ?」
「リオ?」
「続ける前に休憩」
「カゲー!」
「リオ!」
今度は二匹同時に抗議してくる。
「二人になってから抗議の圧が倍になったな……」
レンはため息をついた。
縁側では、朝からその光景を眺めていたシバが腕を組んでいる。
「断ればいい」
「断ってるよ」
「なら問題ない」
「毎回二匹から睨まれる俺の気持ちも考えてよ」
シバは答えなかった。
「絶対面白がってるでしょ」
「気のせいだ」
レンにはそうは見えなかった。
◇
休憩に入ると、ヒトカゲとリオルは庭の木陰へ並んで座った。
レンが水を用意する。
ヒトカゲへ。
「はい」
「カゲ!」
次にリオルへ差し出した。
「リオ」
リオルは一瞬だけ水を見る。
それからレンを見る。
最初の二日ほどは、レンから直接何かを受け取ることを少し警戒していた。
今は違う。
「どうぞ」
「リオ」
素直に受け取った。
ほんの小さな変化。
だがレンは、それをわざわざ口にしなかった。
リオルが人間にどの程度近づきたいのか。
それはリオル自身が決めればいい。
レンは少し離れた場所へ座り、今日の走りをノートへ書き込んだ。
ヒトカゲは以前より曲がる際の減速が小さくなった。
リオルは加速そのものより、一定の速度を維持するのが上手い。
身体の使い方にも差がある。
ヒトカゲは前へ出る力が強い。
リオルは動作と動作の繋ぎが滑らかだ。
同じ距離を走らせても、鍛えられる部分は同じではない。
「何を書いている」
シバが後ろから覗き込んだ。
「二匹の動き」
「比べているのか?」
「比べてる。でも、どっちが上か決めたいわけじゃないよ」
レンはノートを見せる。
「同じ競走してても、走り方が全然違うから」
シバは黙って読む。
「ヒトカゲは一気に加速するのは得意。でも勢いが強いから、まだ細かい切り返しでは無駄がある」
「リオルは?」
「動きは滑らか。でも――」
レンは少し考えた。
「力を出し切ってない気がする」
木陰で休んでいたリオルの耳が僅かに動いた。
レンは気づかなかった。
シバだけがその反応を見る。
「なぜそう思う」
「昨日のバトル」
レンは答えた。
「リオルは身体をすごく綺麗に使ってた。でも綺麗に動こうとしすぎてる」
「ほう」
「シバおじさんの動きを見て覚えたんだと思う。すごく上手い。でも――リオルの身体なら、もっと違う動きもできるんじゃないかな」
シバの目が細くなる。
「例えば?」
「まだ分からない」
レンはあっさり答えた。
「だから見る」
知識があっても、見てもいないものを分かったふりはしない。
それは父からもシバからも教わってきたことだった。
「ヒトカゲの育て方をそのままリオルにやっても意味ないし、シバおじさんの動きをそのまま真似するだけでも、たぶん一番強くはならない」
「では、どうする」
「リオルが一番動きやすい形を探す」
その言葉に。
「リオ……」
小さな声がした。
レンが振り返る。
リオルがこちらを見ていた。
「聞いてた?」
「リオ」
リオルは水を置いて立ち上がる。
そのまま庭の中央へ歩いた。
「リオ!」
拳を構える。
「……何?」
シバが立ち上がる。
「試せ、と言っているようだ」
「俺が?」
「おそらくな」
レンは目を瞬いた。
自分はポケモンではない。
リオルと直接殴り合うことなどできない。
「どうすれば――」
「カゲ!」
ヒトカゲが立ち上がった。
「カゲ!」
胸を叩く。
「俺とヒトカゲで?」
「リオ!」
どうやらそうらしい。
レンは少し考えたあと、笑った。
「分かった」
ヒトカゲも嬉しそうに前へ出る。
「ただし、本気のバトルじゃない」
「カゲ?」
「リオ?」
「今日はリオルの動きを見る」
レンは二匹を見る。
「だから勝ち負けじゃなくて、いろんな動きを試そう」
ヒトカゲは少し不満そうだった。
リオルも同じ。
「なんでそこまで似てるんだよ」
シバが僅かに笑った。
◇
最初は単純な攻防から始めた。
ヒトカゲが攻める。
リオルが避ける。
「ヒトカゲ、『ひっかく』!」
「カゲッ!」
ヒトカゲが踏み込む。
右腕を振る。
リオルは半歩下がった。
爪が空を切る。
すぐにヒトカゲが追う。
二発目。
リオルが横へ。
三発目。
身体を捻る。
全て避けた。
「ストップ!」
レンの声でヒトカゲが止まる。
「カゲ?」
「リオル、もう一回」
「リオ」
「今度は避け方を変えてみて」
リオルが首を傾げる。
「今は全部、攻撃が来てから避けてた」
レンは自分で動いてみせる。
「もっと先に動いてもいい」
「リオ?」
「ヒトカゲが踏み込む前に、来る方向が分かったら?」
リオルが考える。
「もう一回」
ヒトカゲが構える。
「行くよ」
「カゲ!」
踏み込む。
その瞬間。
リオルが動いた。
まだ『ひっかく』は放たれていない。
だが、ヒトカゲの右肩が僅かに前へ出たのを見ていた。
左へ。
「カゲ!?」
ヒトカゲが爪を振る頃には、リオルはすでに攻撃線から外れている。
「そう!」
レンの声が飛ぶ。
「避けるんじゃなくて、外れる!」
「リオ!」
リオルの目が輝いた。
ヒトカゲも悔しがるより先に、楽しそうに笑った。
「カゲ!」
もう一度。
今度はヒトカゲも工夫する。
右腕を出すように見せ――途中で止めた。
「リオ!?」
リオルが先に動く。
「カゲ!」
ヒトカゲはその方向へ踏み込み直した。
「おっ」
レンが目を見開く。
フェイント。
教えていない。
ヒトカゲ自身が、リオルの先読みを逆手に取ろうとしたのだ。
「リオ!」
リオルもすぐに気づく。
踏み込んでくるヒトカゲに対し、今度は後ろへ下がらない。
身体を低くして横へ抜ける。
ヒトカゲの脇を通過。
「カゲ!?」
背後を取った。
「そこまで!」
二匹が止まる。
「……いい」
レンの頭の中で、いくつもの考えが繋がっていく。
リオルは反応が速い。
身体も柔らかい。
それなら正面から攻撃を受けて返すより、相手の攻撃線から外れながら懐へ潜る方が合っている。
シバのような完成された格闘術を、そのまま小さな身体で再現する必要はない。
リオルにはリオルの形がある。
「リオル」
「リオ?」
「今の動き、もう一回できる?」
「リオ!」
すぐに構えた。
◇
そこから練習は続いた。
ただし、レンは一つの動きを延々と繰り返させなかった。
ヒトカゲの攻め方を変える。
真正面。
横。
途中で止まる。
『ひっかく』を使わず接近だけする。
リオルにも自由に対応させる。
失敗も増えた。
読みが外れ、ヒトカゲの攻撃をまともに受けそうになることもあった。
そのたびにレンは止める。
「今のは早く動きすぎた」
「リオ……」
「先読みは当たれば強い。でも決めつけたら逆に危ない」
ヒトカゲを見る。
「さっきヒトカゲがやったみたいに、相手が途中で変えることもあるから」
「カゲ!」
得意げに胸を張る。
リオルが睨む。
「リオ……!」
「カゲ?」
「喧嘩するなよ」
二匹はすぐに視線を戻した。
次。
今度はリオルが最後まで見る。
ヒトカゲの肩。
足。
視線。
そして爪が動く瞬間。
最小限の動きで外れる。
「そう!」
レンが笑う。
「今の方がいい!」
「リオ!」
リオルも笑った。
その瞬間。
シバは何も言わず、レンを見ていた。
レンは気づかない。
ヒトカゲとリオルのことしか見えていなかった。
◇
休憩。
ヒトカゲとリオルが木陰へ倒れ込むように座った。
「お疲れ」
レンが水を渡す。
「カゲ」
「リオ」
二匹とも素直に受け取る。
レンも隣へ座った。
「面白かった」
「カゲ?」
「リオ?」
「同じことやってるのに、二匹とも全然違う」
ヒトカゲは強く踏み込み、攻撃へ勢いを乗せるのが得意。
リオルは細かい動きと反応に優れている。
ヒトカゲは攻めながら相手を崩す。
リオルは相手を見ながら隙を作らせる。
もちろん、今の時点で完全にそう決める必要はない。
成長すれば変わる。
進化すれば身体も変わる。
新しい技を覚えれば、戦い方の幅も広がる。
「だから今の形だけに縛らなくていい」
レンは二匹へ話す。
「今得意なことは伸ばす。でも別のことも試す」
「カゲ」
「リオ」
「その中から、自分が一番強くなれる戦い方を見つけよう」
二匹はレンを見ていた。
ヒトカゲには、もう何度も話してきたことだ。
しかしリオルにとっては違った。
シバの修行を見てきた。
真似した。
学んだ。
強くなった。
それは間違いではない。
だが。
――自分が一番強くなれる形。
リオルは自分の両手を見る。
握る。
開く。
もう一度、握った。
「リオ……」
◇
午後。
サトシがやって来た。
「よーし! 今日こそオレも特訓する!」
「何の?」
「トレーナーの!」
「だからポケモンいないだろ」
「ポケモンがいなくてもできることあるだろ!」
レンは少し驚いた。
以前なら「自分がポケモンになる」と言い出していたサトシが、珍しくまともなことを言っている。
「例えば?」
「……走る!」
「それトレーナーの特訓?」
「旅ではいっぱい歩くだろ!」
「まあ、それはそうだけど」
サトシは胸を張る。
「それに体力があった方がポケモンについていける!」
「それは正しい」
「だろ!」
「カゲ!」
ヒトカゲも賛同する。
「リオ」
リオルまで頷いた。
「よし!」
サトシが庭の端へ移動する。
「ヒトカゲ! リオル! 競走だ!」
「カゲ!」
「リオ!」
「待って」
三人が同時に止まる。
レンは呆れた顔をする。
「ヒトカゲとリオルはさっきまで練習してたんだから休憩」
「えー!」
「カゲー!」
「リオ!」
三方向から抗議された。
「増えた……」
レンが頭を抱える。
縁側で見ていたシバが静かに笑っていた。
◇
夕方。
シバとリオルが一度滞在先へ戻ったあと、レンは父と一緒にヒトカゲの身体を確認していた。
「疲労は?」
「いつもより少しあると思う」
レンが答える。
「今日はリオルとの練習が長かったから」
父はヒトカゲの脚や肩を確認する。
「明日は?」
「休養。散歩くらい」
「カゲ……」
「聞こえてるからな」
「カゲー……」
父が笑う。
「随分分かりやすいな」
「最近リオルまで同じ顔するようになってきた」
「いい相手なんだろう」
「うん」
レンは迷わず頷いた。
「ヒトカゲだけじゃ気づかなかったことがいっぱいある」
ヒトカゲにはヒトカゲの癖がある。
毎日一緒にいるからこそ、それが普通に見えてしまうこともある。
違う身体。
違う性格。
違う戦い方を持つリオルと比較することで、ヒトカゲの長所も課題も以前より見えるようになった。
「リオルにとっても、そうだといいけど」
父がレンを見る。
「そう思っているんじゃないか?」
「なんで?」
「嫌なら毎日来ないだろう」
「……確かに」
単純な話だった。
レンは笑う。
◇
翌朝。
予定通り、ヒトカゲは休養日。
軽く散歩をしたあと、庭でのんびり過ごしていた。
「カゲ……」
日なたで寝転がっている。
口では不満を言うくせに、休み始めれば気持ちよさそうにしている。
レンはその隣で本を読んでいた。
そこへ。
「リオ」
「ん?」
リオルが一匹で現れた。
「おはよう」
「リオ」
ヒトカゲも顔を上げる。
「カゲ!」
リオルが庭へ入る。
いつもなら、そのままヒトカゲへ向かう。
だが今日は違った。
レンの前で止まった。
「どうした?」
「リオ」
リオルが拳を構える。
「今日は休みだよ」
「リオ?」
「昨日かなり動いただろ?」
リオルは首を横に振る。
「リオ!」
まだできる。
そう言いたいらしい。
「できるかどうかじゃない」
レンは本を閉じた。
「休む日」
「リオ……」
明らかに不満そうだった。
ヒトカゲが寝転がったまま声を上げる。
「カゲ」
「リオ?」
「カゲ、カゲ」
何を言っているのか正確には分からない。
しかし。
「リオ……」
リオルはヒトカゲを見る。
それからレンを見る。
そして。
「リオ」
ヒトカゲの隣へ座った。
「……納得した?」
「リオ」
たぶん完全にはしていない。
それでも休むことにはしたらしい。
レンは笑い、本を開き直した。
しばらく静かな時間が流れる。
ヒトカゲは昼寝。
リオルは最初こそ落ち着かなさそうにしていたが、やがて木へ背を預けて目を閉じた。
レンは本を読みながら、時折二匹を見る。
何もしない時間。
戦わない時間。
強くなるためだけではない時間。
それも一緒に過ごす。
ふと。
レンの肩へ何かが触れた。
見る。
リオルだった。
眠っている。
身体が少し傾き、レンの肩へ寄りかかっていた。
「……リオル?」
反応はない。
完全に寝ている。
レンは動かなかった。
起こす必要もない。
少し離れた場所ではヒトカゲも眠っている。
その光景を、庭へ入ってきたシバが見た。
レンは人差し指を口元へ当てる。
「静かに」
シバが足を止めた。
リオルを見る。
それからレンを見る。
「珍しいな」
小さな声だった。
「何が?」
「そいつが人に身体を預けて眠るのは初めて見た」
レンがリオルを見る。
規則正しい寝息。
警戒している様子はない。
「疲れてるだけじゃない?」
「そうかもしれんな」
シバは否定しなかった。
だが、その目は穏やかだった。
レンもそれ以上考えなかった。
リオルが自分をどう思っているのか。
今すぐ答えを求める必要などない。
ただ――。
起こさないように、少しだけ身体の位置を調整する。
リオルが眠りやすいように。
それだけだった。
◇
数日後。
シバがマサラタウンを離れる朝が来た。
荷物は多くない。
元々、長く滞在する予定ではなかったらしい。
玄関前。
レンとヒトカゲ。
両親。
サトシも見送りに来ていた。
「もう行っちゃうのか?」
サトシが残念そうに言う。
「ああ」
「次は絶対オレともバトルしてください!」
「自分のポケモンを持ったらな」
「約束ですよ!」
「覚えていたらな」
「覚えててくださいよ!」
レンが笑う。
そして視線を下げた。
リオルがいる。
「リオルも行くんだよね」
「リオ」
当然だというように頷く。
少しだけ寂しい。
だが、引き止める理由はない。
リオルはレンのポケモンではない。
シバと共に来た。
なら、シバと共に戻る。
「ヒトカゲ」
「カゲ」
ヒトカゲが前へ出る。
リオルと向かい合う。
「カゲ」
「リオ」
しばらく見つめ合う。
そして同時に拳を出した。
こつん。
「カゲ!」
「リオ!」
次は負けない。
おそらく二匹とも同じことを言っている。
レンもリオルの前へしゃがんだ。
「楽しかったよ」
「リオ」
「また来たら一緒に練習しよう」
「リオ!」
「次はもっと強くなってるから」
「カゲ!」
横からヒトカゲが割り込む。
「お前も?」
「カゲ!」
「はいはい。二人とも強くなろうな」
レンが笑う。
リオルも僅かに口元を緩めた。
シバが歩き始める。
「行くぞ」
「リオ」
リオルも後を追う。
一歩。
二歩。
三歩。
だが。
途中で止まった。
「リオ?」
振り返る。
レンと目が合った。
「どうした?」
「リオ……」
数秒。
リオルは何も言わない。
やがて拳を一つ上げた。
レンは少し驚き――。
すぐに笑った。
自分も拳を上げる。
離れているため触れることはない。
それでも十分だった。
「またな」
「リオ!」
今度こそ、リオルはシバを追いかけた。
レンとヒトカゲは、その姿が見えなくなるまで見送った。
◇
マサラタウンを離れたあと。
山道を歩きながら、シバは前を行くリオルへ声をかけた。
「楽しかったか」
「リオ」
「そうか」
しばらく歩く。
「強くなりたいか」
「リオ!」
迷いのない返事。
「なら鍛えろ」
「リオ!」
それだけで話は終わるかと思われた。
しかしシバは、もう一つだけ尋ねた。
「レンはどうだった」
リオルの足が止まった。
「リオ……」
少し考える。
レン。
自分へ無理に触れなかった。
勝手に捕まえようともしなかった。
シバの動きを真似していた自分へ、間違っているとは言わなかった。
代わりに――。
自分が一番強くなれる形を探そうと言った。
休めと言われたときは腹が立った。
それでも翌日、身体が軽くなっていた。
ヒトカゲは強かった。
悔しい。
次は勝ちたい。
そして。
あの庭は――。
「リオ」
楽しかった。
シバは短く頷いた。
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
今はまだ、それでいい。
リオルはシバの後を歩き出す。
だが一度だけ。
遠くなったマサラタウンの方角へ振り返った。
◇
その日の夕方。
レンはヒトカゲと二人で庭にいた。
いつもと同じ場所。
なのに少しだけ広く感じる。
「静かになったな」
「カゲ」
「寂しい?」
「カゲ……」
「俺もちょっと」
ヒトカゲがレンを見る。
レンは笑った。
「でも、また会えるよ」
「カゲ」
「そのとき負けたくないだろ?」
ヒトカゲの目が変わる。
「カゲ!」
「じゃあ明日からまた頑張ろう」
「カゲ!」
拳を合わせる。
こつん。
レンはまだ知らない。
次にリオルと会うとき。
あの青いポケモンが、ただヒトカゲと再戦するためだけにレンの前へ立つわけではないことを。
そしてリオル自身も、まだ知らない。
強さを求めて歩き続けた先で、自分が誰と共に強くなりたいのか。
いつか、その答えを自分自身で選ぶ日が来る。
今はまだ。
ヒトカゲにとっては、再戦を約束した好敵手。
レンにとっては、数日間だけ一緒に鍛えた友達。
その距離でいい。
絆は、急いで作るものではない。
一緒に過ごした時間の中で、少しずつ積み重なっていくものだから。
レンとヒトカゲの旅立ちまで――あと一年余り。
頂へ続く道の上で生まれた新しい縁は、一度離れながらも、確かに未来へと繋がり始めていた。