そこには漆黒のドレスとマントを身に纏った、絶世の美女と謳われそうなほどの綺麗な女の人が静かに立っていた。
髪は群青色で腰まで伸びており、瞳はアーモンド型で黄金色。纏っているドレスの裾はあちこちにキラキラとした白い星屑が散りばめられている。同じ漆黒色のマントは、はためいているのに音一つしない。まるで宇宙の闇を織り交ぜて作ったような衣装だった。
あまりの美しさに一瞬見惚れてしまった大地とラビだったが、すぐに正気に戻り身構える。
女性は、いや、ガラスの魔女は、2人のことをまるで新しいおもちゃでも見るかのように興味深げに見つめる。だが、その表情は伺いしれないものもあり、強い緊迫感を覚える。
「お前がガラスの魔女だな!緑豊かだったこの星を、青いガラスに変えた張本人の!」
大地が威勢よく言うと、魔女は笑って頷く。
「ええ、そう。名前をベリタスと言うわ。よろしくね、大地くん、そしてラビくん。」
『?!』
「フフフ、そんな驚くことはないでしょ。あなたたちの会話を聞いていれば名前くらいわかるわ。」
そして、上方を見上げて言葉を続ける。
「でも穴の上の方々の名前は聞いていないのよね。教えてもらえるかしら?」
いつも名を問われたら自信満々に名乗るオセロとドミノだが、今回ばかりは声が出そうになかった。エメラの方も肩を震わせて口を手で押さえて、必死に悲鳴をあげまいとしている。その様子を見て、あらあらとベリタスと名乗る魔女は肩をすくめる。
「そんなに怖がらなくてもいいのよ?私は何も怒ってなんていないんだから。」
「けど、アンタ、煩いのが嫌いなんだろ?オレの声、相当騒々しかったと思うがな。」
ラビが、魔女の態度や言動からその意図を汲み取ろうと見据える。だが、ベリタスは本当に怒っている様子ではなかった。
「私は眠っているのを邪魔されるのが嫌なだけよ。煩いのや騒々しいのが嫌いなわけじゃないわ。かくいう私だって、物静かな性格ではなくてよ?」
長い髪をかき上げ、こちらに目線を配りながら言う。俗にいう、このような仕草を色っぽいと表現するのだろうが、大地とラビに、そんなことを気にしている余裕などなかった。
魔女から醸し出される独特の凄まじい魔法の力が、この辺り一帯を覆いつくしているのが感じとれる。
「寝てたわけじゃないのか?いつから起きて俺たちの会話を聞いていたんだ?」
大地が言葉を紡ぐと、ベリタスはそうねぇ、と額に指を当てて考える仕草をする。
「あなたたちがこの穴にロープを入れて、おっかなビックリ入ってくるあたりからかしらね。」
どうやらラビの大声で目覚めたのではなく、本当に大地たちが穴に入る少し前に起きたようだ。小さな欠伸を1つして、ベリタスはそれにしてもと大地とラビを見つめる。
「この魔力ガラスに挑戦しようとした者は大勢いたけれど、男同士のカップルはあなたたちが初めてよ。しかも、私の魔力ガラスを砕くまでとはいかなくても、溶かすだなんて大したものだわ。本当に相手のことを愛しているのね!」
大地は、またこの話題になるのかと少々うんざりする。この話題になるたび、溢れそうになる気持ちを必死に隠さなければならないというのに、もしも何かの拍子にラビにバレてしまったらどうしてくれるというのか。
取り敢えず、何かしらの否定の言葉を言おうとしたとき、ラビが大地よりも一足早く言葉を発した。だがその声色は、およそラビが発したとは思えないほど、氷のように冷たいものだった。
「ちげぇよ。」
淡々として答えるラビの、その声色には、何の感情も含まれていないようで、何だかラビらしくないと大地だけではなく、上で様子を見守っているオセロとドミノも不審に思った。
「考えてもみろよ、オレもコイツも男だぜ?男同士で好きだの愛してるだの、気持ち悪いんだよ。自分で言うのもなんだが、オレは生粋の女の子好きなんだ。それなのに、なんで男のコイツを好きになんてならなきゃいけねぇんだよ。」
「で、でも、あなたたち、親の反対を押し切って駆け落ちしたって……!」
エメラが上から、話が違うと声をかける。
「それはオレの親が、好きでもないやつとの婚約を無理矢理勧めてきたからだよ。だってソイツ、オレの半分くらいしか生きてねぇようなガキなんだぜ?恋愛対象として見れるわけねぇだろ?せいぜい、可愛い妹ってところだ。そんなのと結婚させられるくらいなら、コイツと駆け落ちした方がマシだと親に啖呵切って、家出したんだよ。もちろん、オレにそんな気はサラサラなかったんだけどな。」
やはり、ラビの様子がおかしい。話している間ずっと、声に抑揚がない。まるで、あらかじめ決められた台詞を棒読みしているかのような奇妙な違和感を覚える。そんなとき、ラビの目が大地に向いた。
「それにしてもよ、お前もお前だぜ大地。お人好し過ぎるにも程があるだろ。好きでもなんでもない、ましてや男のダチとの駆け落ち話に付き合うなんて、どんだけお優しいんですかね?」
大地は、なんだか段々と不気味になってきて、ラビから距離を取ろうと一歩、また一歩と後ろに下がる。が、ラビはそれを逃がすまいとするかのように、大地が下がるたびに迫ってくる。
「あっ、それとも何?もしかして、お前、オレのこと好きだったとか?それとも嘘の駆け落ちしてる最中に、いつの間にか本気になっちまってたってやつ?」
「ラビ、やめろ、こっちに来るな……それ以上言うな……!」
いくらラビらしくないとはいえ、好きになった相手から聞かされる心無い一言一言が、大地の胸に深く突き刺さる。
「ふーん…。でもだったらゴメンねー。オレ女の子が好きなの、男は興味ねぇの。っていうかさ、オレと大地って旅してるときも喧嘩ばっかりだったじゃねーか、どこに好きになる要素があったわけ?ねぇよな、そんなの。大体、男とかそういうの抜きにしても、大地となんてマジありえねぇよ。だって、オレ、大地のことなんか、大地のことなんか、大っ嫌いなんだからな!!」
最後の言葉には少しばかり感情が入っていたように思えた。だからこそ、いやそうでなくても、大地はもう立ってなどいられなかった。足から力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまった。なんで、こんな棒読みの台詞みたいな話し方になっているのか、なんのためにラビがこんなことを今更言っているのか、本当に心からそう思っているのか、全く理解が出来なかったし聞きたいこともいっぱいあったのだが…。
(やっぱり、好きになんて、なるんじゃなかった……。認めなければ、よかったのに……。)
生まれて初めて味わう失恋という、心に重くのしかかってくる、とてつもなく辛い、悲しい想いに囚われてしまった。
言い返せれば、よかった。俺だって女の子が好きなの、お前とのことはちょっとした同情からで全然本気なんかじゃねーから、俺だってラビのことなんか、大っキライなんだから……。
だが、そのどれもが、言葉として大地の口から出てくることはなかった。本心じゃなかったから、言えるはずもなかった。自分の気持ちに嘘をつくなど、大地にはどうしても出来なかった。きっとラビだってそうだ。あぁだからなのか…。
ラビは本当に、心からそう思っているのだ…。だからこんなにも簡単に言葉に出せるのだと、大地は思った。そしてまた泣きたくなって、もう何もかもが、どうでもよくなってしまった。
ラビはというと、最後の言葉を言いきった後すぐに俯いた。顔など上げていられなかったのだ。だから、大地がうずくまっていることも、その顔をこれ以上ない程に歪めて今にも泣き出しそうになっていることも気付かなかった。気付く余裕さえなかったのだ。
(ばーさんの嘘つき、ばーさんの嘘つき、ばーさんの嘘つき!!)
先程からラビは頭の中で、ずっとこの言葉を繰り返し続けていた。
そう、あれはまだ聖地ルナで魔法の勉強に明け暮れていた頃のこと。基本は母親であるサユリがラビの勉強を見てくれていたのだが、たまにV‐メイが勉強の指南役を買って出てくれたことがあり、そのときにラビは、たまたま読んでいた魔法書に載っていた魔法で気になった魔法があったのでV‐メイに聞いてみたのだ。
ーーーなぁ、ばーさん。ここに書いてある暗示魔法って何なんだ?
ーーー唐突だねぇ。なんだってそんな魔法が気になるんだい?
ーーーだってこの魔法の部分だけ、なんか二重に線が引いてあるからさ、なんなのかと思ったんだよ。
ーーーあぁ、この線はね、この魔法を使う場合は余程注意が必要だから気をつけろっていう警告を意味してるんだよ。
ーーー警告?!この暗示魔法って魔法、一体何なんだよ。
ーーー暗示魔法はその名の通り、相手を暗示にかけてこちらの意のままに操る魔法さ。操られている間は基本的に記憶も残らないし、感情さえもコントロールされてしまうから操られていることにすら気付かないこともある。かなり難易度の高い、それだけに危険が伴う魔法だよ。
ーーー危険?
ーーーいいかい、ラビ。人は誰しも皆心を、感情を持ってそれぞれ生きているんだ。心で感じる思いというものは、決して1つじゃあない。喜怒哀楽に恐怖といった五情から、慈しみや妬み、愛しさや切なさ、嫌悪や羨望など、一人一人が十人十色に様々な、複雑で推し量ることの出来ない沢山の感情を持って生きているんだよ。そんな人を、行動だけでなく心まで操るだなんて、本来ならとんでもないことだよ。
ーーーだったら、なんだってこんな魔法があるんだよ。
ーーーこの本に載っている魔法のほとんどは耳長族が戦争していたときに作られた、敵を殲滅させるためのものばかりなのさ。特にこの暗示魔法は、敵方に潜入したり、敵の情報を仕入れるときとかによく使われていたそうだよ。敵の間者を操り、敵の内部を探らせたり、裏切らせて内部の反乱を巻き起こしたりするといった具合にね。
ーーーとんでもねぇな…。えげつねーにも程があるぜ。
ーーーまぁ、戦争なんてものはそんなものさ。略奪に消耗、そして犠牲ばかりが増えていく……そこから生まれるものは何もないというのにね……。
ーーーオレたちは戦って勝って、このラビルーナに平和と安寧を取り戻したけどな。
ーーーまぁね。それに関してはアンタたちはよくやってくれたよ。だけど戦い合うということが、どれだけ悲しくて辛いものかってことは、実際に戦っていたアンタたちの方が、嫌という程にわかっていたんじゃないのかい?
ーーー……うるせぇな……。っていうか、本題!!本題からそれてるじゃねぇかよ!!
ーーーやかましい!!耳元でギャアギャア騒がないどくれ。
えっと、……あたしはどこまで話していたんだろうね?
ーーーズコッー!ばーさん、年で記憶力にガタきちまってるんじゃねぇだろうな!危険についてだよ!暗示魔法の何が危険なのかってことだよ!!
ーーー年は余計だよ。そうそう、暗示魔法はさっきも言ったように人の行動も心も操ることが出来るという、とてつもなく強い魔力を必要とする魔法なんだけど、操り過ぎたり、操る相手がもともと持っている感情とあまりにも真逆の感情にして操ろうとすると、暗示をかけた相手の心そのものを壊しかねないんだよ。もしも心が壊れてしまったら、その人はもう、どんな感情も持つことのない、ただ息をしているだけの廃人となりさがってしまう。まぁ、心が壊れる前に魔法を解くか解かれるかしてしまえば話は別だけどね。
ーーー心が壊れちまったら、もう何をしても、もとに戻らないのか?
ーーーそうさね……。いや、1つだけあるよ。暗示にかけた際の感情と真逆の感情を、その感情を抱いている相手の口から直接聞くことだよ。そうすれば、魔法は完璧に解けて、壊れた心はもとに戻る。
ーーーふぅん。なぁ、ばーさん。もしもだけど、この魔法を自分にかけて、自分の心が壊れちまったらどうなんの?
ーーー普通、こんな魔法を自分にかけようだなんて馬鹿はそうそういないだろうが、まぁ、もしそんなことがあっても、相手にかけた場合と変わりゃしないよ。呪文を唱えながら、相手の胸ではなく自分の胸に手を押し当てて、植え付けたい感情や行動を頭の中で言葉にすれば、それでかかるし、解呪方法も同じだよ。最も自分に魔法をかける場合は、相手にかける場合よりも余程魔力を消費するし、難易度も高いから、挑戦しようなんて物好きは滅多にいないだろうけどね。
(なにが、心も行動も操ることが出来る、だよ!!全然操れてねーじゃんか!!その上記憶も感情も、こちとらしっかり残っちまってるっての!!)
そう、ラビは自分に暗示魔法をかけていたのだ。魔女の気が、こちらから大地に逸れた一瞬の隙をついて。これ以上、大地と自分の関係をどうこう言われて、自分の気持ちが周りの人間に、ましてや大地にバレるなどということが万が一にもないように。
(バレたらもう、友達にだって戻れねぇ!それに、オレが大地のことを勝手に巻き込んだ挙句、本気で好きになっちまっただなんて、そんな迷惑にしかならねぇようなことで、大地を流させるわけにはいかねぇ!!)
お人好しで正義感溢れる大地のことだから、こっちの気持ちを知ったぐらいでは差別や拒絶などはしないだろう。けれど、それでもし、同情などというもので流されるようなことがあれば、大地の人生そのものに関わってくる。今度のことは、過去の笑い話程度にとどめておける範疇の出来事でなければダメなのだ。だからこそ、決して悟られてはいけない。そう思ってのことだった。
ラビが頭の中で言葉にした行動と感情は、2つだけ。
(大地との駆け落ちの関係を全面否定する。大地のことを大嫌いになる。)
ただの友だちと思う、なんとも思っていない、程度では生温いと判断し、ラビはあえて大嫌いと言葉にする。実際、頭の中に言葉を思い浮かべただけでも、かなり心が痛くなったのだ。半端な気持ちではすぐに魔法は解けてしまうとラビが懸念したのは、あながち間違いではないだろう。だが、スラスラと言葉は出るものの、操り人形のような抑揚のない棒読みになってしまったり、大嫌いなんて言葉では言いつつ、全くそんなこと思えていなかったりと、ラビの中で想定外のことが次々と起きていたのだ。心と言葉がチグハグで真反対で、もうどうにかなりそうだった。心は大地のことを、好きなままなのに、言葉は辛辣なことばかりをつらつらと述べる。下を向いたまま、棒読みのまま。
「なに、黙ってんだよ、大地。お前だってオレのことなんか嫌いだろ?前も言ってたじゃねぇか。オレのこと嫌いだったって。いくら仲間になったっていっても実際は、まだ嫌いなままなんだろ?オレが、お前を、嫌いなように。」
(やめろ!!やめろ!!やめろ!!)
心が、悲鳴を上げる。まるで、心臓を何かに握り潰されているような、強烈な痛みを感じて。
今まで上から様子を見ていたオセロやドミノが耐えきれずに大声を上げた。
「ヤメロ!ラビ!オメー本当はそんなこと思ってねぇだろうが!!自分に嘘を付くなんて、らしくねーぞ!!目を覚ませ、ラビ!!」
「ラビ、オメー、俺と食料と燃料の買い出しに行ったときに言ってたじゃねぇか!大地は、スゲェお人好しで、優しくて、仲間を大事にするやつだから、自分みたいなやつとは合わねぇかもしれねーけど、それでも一緒にいたいと思っちまうって!本当に嫌いだったら、そんなこと思うはずねぇだろ!!」
(オセロ!ドミノ!頼むから、それ以上、言わないでくれ!今のオレは、何を言うかわからねぇ!!)
魔法を解ければ良かったのだが、ラビは魔法を解く呪文をV‐メイに聞いておきながら、すっかり忘れてしまっていたのだ。まさか、こんなことになるとは露ほども思わずに。
「嘘なんかつくもんか。言っただろ。男同士で、好きだの嫌いだの。何血迷ったこと言ってんだよ。それにオレは、誰かと一緒にいたいと思ったことなんて一度もねぇ。仲間なんかいらねぇ。オレは、ずっと1人だ。今までも、今も、そしてこれからもな。」
(嘘だ!本当は嬉しかった!大地やガスに会えて、大事な仲間が出来て、母さんを見つけることが出来て、ラビルーナに行けて、本当に良かったって、思ってるんだ!それに、月面でオセロやドミノと過ごしていた時間だってオレにとっては大事な毎日だったんだ!オレには、大切なものが、守りたいものが、いっぱいあるんだよ!!)
「だから、もうオレに構うなよな。いい迷惑だ。」
(やめろ!!それ以上、喋るな、オレ!!)
ラビの心の声も虚しく、身体は全く言うことを聞かない。そして、ラビは大地の方を見た。大地はうずくまったまま動く様子がない。
(?!大地!!どうしたんだ、何で、どうして!!動けよ、何か言えよ、大地ー!!)
ラビの心の声は誰にも届かない。そして、身体は、勝手にラビの意志とは関係なく動いて大地の方に歩いていく。ラビは大地の目の前まで来ると、目線を合わせるようにしゃがみ込んで、大地の顎を無理矢理掴んで上向かせた。
(?!)
大地は、目に涙をいっぱいに溜めて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。ラビの言葉に、大地はこれ以上ないくらいに傷ついたのだと、ラビはこのとき初めて知った。
慰めの言葉をかけたかった。さっきのは全部嘘だと、嫌いなんかじゃない、本当は、好きで好きでたまらないのだと、涙を拭って震える身体を抱きしめて、そう伝えたかった。先程自覚したと同時に胸の奥底に秘めていこうと決めた想いを、もし伝えることが出来たのなら、叶わないからと逃げるのを止めて、真正面から向き合って、今すぐにでも伝えただろう。
けれど、それは叶わない。叶わなくなってしまった。文句は言えない。何しろ、この最悪な状況を作り出したのは、大地に想いが伝わってしまうことを、そのせいでこれ以上大地を振り回してしまうことを、大地と、友達にすら戻れなくなってしまうことを恐れて魔法に頼った、他の誰でもない、ラビ自身だったのだから。
「何泣いてんだよ?やっぱりお前、オレのこと好きとか?残念でした、オレは、お前のことなんか……。」
(やめろーーーー!!やめてくれ!!それ以上は!!)
ラビは、必死にそれ以上は言うまいと、口を閉じようとするが、身体は、口は、言葉は止まらない。
「お前なんか……大嫌いなんだからな!!」
パリンッ。
何かが、壊れた音がした。まるで、ガラスが割れたかのような、そんな音。それは、ラビの心が、壊れた音だった。
「…………ラビ?」
突然何も言わなくなってしまったラビを大地は見つめる。先程まで、あんなにつらつらと言葉を発していたというのに、最後の言葉を言った後、まるで、機械が止まったようにピタリと動かなくなってしまった。
「おい、どうしたんだよ、大丈夫か、ラビ?」
ラビの言葉に傷ついて悲しくなり、何もかもどうでもよくなってしまっていたのは事実だが、それよりも大地は、ラビの異常なまでの様子が心配になってきた。
ラビは目を見開いて、一点を見つめたまま動かない。表情は冷たいくらいの無表情で、大地は、邪動族に操られ、自分たちに襲いかかってきたときのラビを思い出した。そして、まさか、と思い、ベリタスの方を見た。
ラビはベリタスに操られて、こんなふうになってしまったんじゃないのか、大地はそう思ってベリタスを睨みつけたが、今まで一部始終を傍観していたベリタスは、静かに首を横に振った。
「私じゃないわよ。人を操る魔法なんて、私知らないもの。魔法をかけたのは、その子自身よ。まさか、あなたたちが魔法使いだったとは、気づかなかったわ。」
「ラビが、自分に魔法を……?なんで、そんなこと……!」
「さあ?そこまではわからないけど、その子、心が壊れちゃってるわ。生きてはいるし命に別状もないけれど、もう何も感じないし、何の感情も沸かないわね。ただ生きているだけの廃人になっちゃってるのよ。」
「そんな!!なんでだよ!!なんで、ラビ……!」
先程感じた失恋とは違う、絶望に似た思いが大地の胸に重くのしかかる。何も感じないなんて、何の感情も沸かないなんて、そんなのあんまりだと…。ラビが自分に魔法をかけた理由なんて大地にはわからないけれど、そうまでしないといけない何かがあったことだけは事実で、それに気付くことが出来なかった自分を、大地は責めた。
「ごめん、ラビ……。俺、自分のことばかり、自分だけが傷ついた気になって……。ラビのこと、ちゃんと見てれば、わかったはずなのに、何かが、おかしいって……わかったはずなのに!!」
溢れた涙が頬を伝う。後悔しても後悔しきれなかった。大地は、また同じことを繰り返してしまったと思った。
もう二度とラビを失いたくないと、目の前で連れ去られて何も出来ないのはもう嫌だと、そう思っていたのにと。次から次へと涙が溢れて止まらず、けれどそれを拭う気になどなれず、ただただ大地は泣いた。
と、ふいに誰かの手が大地の顔に触れた。
ハッとして顔を上げると、無表情のラビが自分を見つめていた。その手が、大地の頬に触れている。次第にラビの手は、頬から目元へとゆっくりと移っていき、大地の涙を、そっと指で拭った。
「?!」
大地は目を見開いた。心が壊れてもなお、ラビは自分の涙を拭ってくれるのか……。大地は、自分の中からラビへの想いが溢れてくるのを止められなかった。止めようとも思わなかった。その想いのままに、想いに導かれるかのように、大地はラビの頬を両手で優しく包み込んで、言葉を紡ぐ。
「ラビ。お前、やっぱりいいやつだな。何で自分に魔法をかけたのかは、サッパリわかんないけどさ、そんなこともうどうだっていい。たとえ、ラビが本当に俺のことを嫌いだったとしても、関係ないよ。だって、俺は…………。」
そこで1度言葉を区切り、深呼吸して、気持ちを落ち着かせてから、心の声を、言葉にして乗せた。
「だって俺は、ラビのことが、本当に大好きだから…!」
「大地!!」
「へっ?!」
大地は何が起こったのか、またしてもわからなかった。だって、いきなり虚ろだったラビの目に光が宿り、無表情だったラビの顔が一変したのだ。その上、今はラビに思いっきり抱きしめられている。大地の頭の中が大混乱するのも無理はない。
ラビはラビで、心が壊れた音を聞いてからは何も感じず、ただただ大地が泣き崩れるのを見ていただけだったのに、何故だか、その涙を拭ってしまいたい衝動に駆られるわ、大地の目にずっと見つめられていたいような気になるわで、何も感じないはずの心がまだ生きているかのような、不思議な感覚に陥っていたのだ。そして、ついさっきの大地の言葉。
それで完全に魔法が解けて、心が戻ったラビは勢いのままに大地を抱きしめたのだ。これ以上の幸せなどないのではないか。そう思いながら、ラビは大地を抱きしめる腕に、より力を込めた。
「ラビ!ちょっと離せよ!苦しいってば、ラビ!!」
「おぉ大地、ワリィワリィ。ついつい力が入っちまって。」
あまりの腕力の強さに、痛いを通り越して息が苦しくなってきてしまった大地はラビの肩を叩いて、離すよう叫ぶ。
ラビは悪いと言葉では言いつつ、全く反省していないようで満面の笑みを浮かべている。すっかりもとの調子に戻っている様子のラビを見て、大地はため息をつきつつもホッとする。何がきっかけかはわからないが、いつものラビに戻ってくれて、本当に良かったと。
大地がラビに微笑むと、ラビは大地の頬を、さっき大地がしてくれたように、両手で包み込む。そして、とろけそうな笑みを浮かべて、名前を呼ぶ。
「大地……。」
「?!ラビ、ちょっと、あの……!」
いきなり至近距離で名前を呼ばれて、微笑まれて。ドキッと心臓が大きな音を立てて、顔に熱が集まってきた大地は距離をとろうとするが、ラビの手を払いのけられる理由もなく。
ラビの顔がどんどん近づいてきて、完全にテンパった大地はラビの肩に手を置いて、それ以上は近づかないように制するのが精一杯だった。
「なんだよ、大地?」
制されて不貞腐れるように言うラビだが、大地はそれどころではなかった。
「なんだよじゃないだろ!!何しようってんだよ?!」
「ふーん。言わないとわかんねぇ?というか、言ったらさせてくれるのかよ?」
「だっ、だから、何を……。」
「……ワリィ、大地。オレ、さっきからずっと我慢してて、余裕ねぇんだよ。だから、今は黙っててくれ…頼むよ。」
「っ!!」
ラビの切なげな声に、大地はそれ以上何かを言うことができなかった。ラビがそれを肯定とみなして、大地の頬から背中に腕を回して引き寄せ、顔を傾けて近づいてくる。宇宙船でもこんなことがあった。だから、ラビが何をしようとしているのか、大地にはわかる。
だけど、自分はさっきラビに失恋したばかりではなかったのか、それにラビが自身に魔法をかけた理由についても何も聞けていないではないか。
言いたいことも聞きたいことも山ほどあったが、大地はそれらは全部、後で聞けばいいと思い、制するのを止めた。ラビの肩を押していた手から力を抜いて添えるだけにする。
好きな人が、こんなにも近くにいて、自分を抱きしめて、キスしようと顔を近づけてくるのを、止める理由などなかったからだ。ラビの瞳を見つめながら、大地も顔を傾けて自分からも近づく。心臓がドキドキと苦しいくらいに脈打つ。
そして2人の唇は、今度こそ、しっかりと重なり合った。柔らかいその感触に胸がいっぱいになる。熱に浮かされた顔が互いの瞳に映り込んで、たまらず2人は瞳を閉じた。互いの柔らかな唇の感触に、全ての神経を集中させる。
が、それもつかの間で。
「私、蚊帳の外みたいな扱い、かなり嫌いなのよね。」
『??!!』
ベリタスの声にビックリして、2人は慌てて唇を離し、またまた仰け反って、そのまま尻もちをついた。
すっかり忘れていたが、2人の傍にはベリタスが、穴の上にはオセロとドミノ、それにエメラがいたのだった。ベリタスは怒っているというよりは呆れ返っている様子で。オセロとドミノは顎が外れてしまったのではないかというくらいに、口をあんぐりと開けており、エメラは顔を、真っ青から真っ赤に変えて頬に手を当てている。
さすがにこの状況で、言い訳や誤魔化しなどが出来るわけもなく、かといって開き直ることも出来ず。尻もちをついたまま、ラビと大地は完全に固まってしまった。
ベリタスはため息をついてから、さてと、と言った。
「話を本題に戻すけど、あなたたち。このガラスの星をもとの緑の星に戻すために私と戦いに来たんでしょう?いいわ、相手になってあげる。私以外の魔法使いと一戦交えることが出来るなんて、これ以上面白い暇潰しはないもの。」
そう言い放つと、ベリタスは片腕を上げて小さく呪文を唱えた。すると、ガラスのつららが5本出現し、ラビと大地に向かって飛んできた。
「あぶねぇ!」
「いきなり何するんだよ!」
間一髪のところで避けたラビと大地は声を荒げる。
「戦いに来たくせに、いつまでもそんなところで呆けているあなたたちが悪いんじゃない。さあ、次行くわよ!」
ベリタスが呪文を唱えるたびにガラスのつららが出現し、飛んでくる。なんとかギリギリ避けられる速度ではあるが、これでは魔動王を呼び出す暇もない。そもそもこんな穴の中では魔法陣を描くことも出来ない。まずは穴の上に上がらなければと思うが、ガラスの壁はいくらロープを使ってもそんなに速くは登れないし、第一、背を向けて登ったりしたら、格好の的になってしまう。飛んでくるガラスを躱しながら、なんとかこの状況の打開策を考える大地とラビ。
そんなとき大地がガラスの床で足を滑らせ、転んでしまった。起き上がろうとするが足を捻ってしまったらしく、激痛が走る。
「っ!」
「大地!!」
ラビの声にハッとして顔を上げると、ガラスのつららがこちらに飛んでくるのが目に入った。痛む足に無理矢理力を入れ、身体を捻ってなんとか躱す。が、また次のガラスが飛んでくる。今度はとても避け切れそうにない、そう思ったそのとき、ラビが大地の前に立ち、呪文を唱えてシールドを張った。それでいくらかは防げたが、魔法のガラスの猛攻にはいつまでも耐え切れず、ラビは後方によろけて尻もちをついた。
「ラビ!」
「くそっ!」
ラビは尻もちをつきながらも、なんとかシールドを持ち堪えさせている。だが……。
「どうやら、ここまでのようね。」
ベリタスはニヤリと笑うと、呪文を唱える。すると、先程よりもずっと大きなガラスのつららが出現する。あれが飛んでくれば、さすがにシールドも突破されてしまう。
万事休すか。そう思ったとき。頭上から、黒い稲妻が飛んできて、ガラスのつららを打ち砕いた。
「っ!またあなたたちなの?!」
忌々しげに声を荒げてベリタスが上を見上げる。そして、上から人影が2人、穴の中に降りてきた。降りてきたその2人を見て、大地とラビは言葉を失う。もう二度と、会うことはないと思っていたのに。
「まさか、こんなところで光の戦士たちに会えるとはな。」
「本当、3年ぶりになるかしら。相変わらず元気な坊やたちね。」
「……なんで、オマエらが………?」
ラビが、なんとかそれだけ言葉にして言う。そして、大地が2人の名を呟くように言った。
「…シャマン……エヌマ………。」
かつて、ラビルーナを支配した邪動族で、そして激戦の末に負けを認めて、二度と月に来ることはないと言って、遠い遠い故郷の星に帰って行った邪動族のシャマンとエヌマ。久方ぶりの、思いも寄らぬ再会だった。