S.T.A.L.K.E.R. すばらしき開かれた世界で ~ZONEが日本にやってきた~ 作:廃墟ゲー大好き
スタンプ地帯を離れた佐藤とコタロウは、手近なコインパーキングへと足を向けた。
駐車場に置かれていた数台の乗用車は、どれも窓ガラスが叩き割られ、車内が激しく荒らされている。すぐ脇の自動販売機も、バールのようなものでこじ開けられ、中の釣り銭と商品が根こそぎ持ち去られていた。
「おうおう、荒んでんなぁ~」
佐藤は呆れたようにうそぶいた。
わずか一日のうちに、法も警察も機能しない無法地帯へ変貌してしまった街の姿がそこにあった。
だが、ひとりと一匹にとっては、この程度のこと気にしてはいられない。
「ふむ……」
ドアが半開きになった軽ワゴンの様子を見てみると、ドアがこじ開けられたものの、ガラスは無事。
スライドドアを閉じれば、巨大ネズミの襲撃を避けるには十分だろう。
「ほら、いったいった」
「わう!」
コタロウを先に滑り込ませ、佐藤も滑り込むように乗り込む。
スライドドアを静かに閉めると、外の不穏な気配が一段遠のいた。
「よし……ここで一息つくか」
佐藤はポケットの「クリオネ」から、小分けのキャンディとキャラメルをいくつか滑り出させた。ついでに防災袋から取り出した干し肉の小片を、膝の上でしっぽを振るコタロウに分け与える。
飴を噛みしめると、糖分と疲弊した身体へ染みわたっていった。
腹ごしらえをしながら、佐藤は防災袋から手のひらサイズの携帯ラジオを取り出した。
このラジオは、レンタルコンテナの備蓄の中にあったものだ。
音量ツマミをカチリと回し、ボリュームを極限まで絞って電波を探す。
万が一にも、音で異形や暴徒を呼び寄せるわけにはいかない。
ザー……ッと、低いノイズが聞こえてきた。
チューニングダイヤルを慎重に回すと、雑音の奥から切迫したアナウンサーの声が拾えた。
『――繰り返します。現在、都内全域において、異常な現象が報告されています。また、危険な生物も多数確認されています。警察および自衛隊が対応にあたっていますので、都民の皆様は、警察や自衛隊の指示があるまで決して屋外へ出ず、頑丈な建物内で待機してください――』
女子アナウンサーの声は微かに震えており、時折、原稿をめくるガサガサという雑音や、スタジオ奥の怒号のようなものが混じっている。
『……なお、〇〇地区および〇〇消防署管内におきましては、現在、救急車の派遣が困難な状態となっております。重傷者の方は……(ノイズ)……各自で安全を確保しつつ……』
「各自で安全を確保、か」
佐藤はポツリと呟いた。
アナウンサーは慎重に言葉を選んではいるが、要するに「助けは来ない」と言っているようなものだ。
警察や消防による救助など、当面期待できないことがはっきりした。
さらにダイヤルを回してみると、公共放送以外のローカル局のものと思われる放送も拾えた。
『――こちらAFN Tokyo 周波数810。横田エアベースより放送。……(ザー)……本日午後……全米主要都市でも同様の現象が発生しており、米大統領は非常事態宣言を……』
途切れ途切れの音声が示す現実は残酷だった。この異常は日本だけのものではない。地球規模で何かが起きて、世界が崩壊し始めているのだ。
「警察も打つ手なし、米軍もパニック……完全に世界ごと詰みかけてるな」
佐藤は溜息を吐き、ラジオの電源を切った。
絶望的なニュースではあったが、不思議と焦りはなかった。
どこからも助けが来ないなら、かえってやるべきことが定まったといえる。
パーカーのポケットの中にある「お守り」と「クリオネ」を使いこなし、コタロウと一緒に自分の足で生き残るしかない。
「さて……腹も膨れたし、これからどう動くか考えないとな」
佐藤はシートの隙間に挟まっていた一枚の写真に目を留めた。どこかの家族が笑顔で旅先に並ぶ、少し色褪せたL判のプリントだ。
「……」
若々しい夫妻が子供を連れて、妻は赤子を抱いている。
佐藤は写真をシートの奥に押し込んだ。
それに対し、どこか仄暗い喜びを感じている自分がいたからだ。
(ざまあみろ……そしてようこそ、って感じか?)
はぁ、と重たい吐息が漏れる。
二十歳の春、両親を事故で同時に失った。学費が払えず大学を中退し、残ったのは奨学金という名の借金だけ。
三十歳の今、恋人も作れず、日銭を稼ぐために自転車を漕ぎ回る毎日。世界はいつだって自分に不条理で、自分だけが理不尽な不幸の底に取り残されていると感じていた。
だが、つい先日。これまでの常識――何事もない毎日。布団に入って目が覚めれば、昨日と同じ明日がやってくるという幻想は、等しく叩き潰された。
佐藤はこれを知っている。
二十歳の春、以前に体験済みだから、今の状況にさほど心が揺れていない。
『お前たちにも、ようやくわかったか。』
「平和で幸福な世界」が壊れ、自分から全ての可能性がなくなったあの日。
あの写真の家族も、昨日を境に自分と同じ地獄に引きずり下ろされたのだと思うと、頭の芯まで打ち震えるような歪んだ快感が彼をよぎっていったのだ。
世界は等しく開かれた。
多くの人にとってはマイナスだが、佐藤にとっては元からと言える。
(はっ、最低の野郎だな)
佐藤は無作為な悪意を抱く自分自身に、猛烈な吐き気がした。
自己嫌悪とは一度招き入れるとなかなか帰らない面倒くさい客のようなものだ。佐藤はその嫌味ったらしい客にぬるい茶でも出すような心持ちで、息を吐いた。
(……まぁいいさ。俺の正確が歪んでるのは、今に始まったことじゃない)
いまさら聖人君子になれるわけもない。他人の不幸をどこかで喜び、そんな自分にヘドが出ながら、それでも命惜しさに這いつくばる。
それが自分というくだらない男の限界だった。
不幸を呪い、他人をねたみ、世界の崩壊にすら救いを見出そうとする嫌な奴。
けれど、どれだけ捻くれてみせても、胸の奥底で消えてくれない感情があった。
(……それでも、一人になりたくないのか)
惨めだった。
他人を蔑んでも、その他人を求める心が無視できない。
(……近くの小学校、避難所になってたりしないかな。あそこなら体育館も頑丈だし、生き残りが集まっているかもしれない。危険は承知の上だ。だが、遠目から様子を見るくらいなら――。)
佐藤は右ポケットの中にある「お守り」の冷たさを確認すると、小さく息を吐いて軽ワゴンのドアを静かに開けた。
「行こう、コタロウ」
「わう!」