S.T.A.L.K.E.R. すばらしき開かれた世界で ~ZONEが日本にやってきた~ 作:廃墟ゲー大好き
無数の柴犬が一斉にネズミの群れへ躍りかかった。
牙と爪が乱れ飛ぶ激しい混沌――になるかと思いきや、柴犬たちの攻勢は極めて一方的だった。
ネズミが噛みつこうと飛びかかっても、その牙は空を切り、柴犬の姿が幻のようにかき消える。実体のない「分身」に惑わされ、混乱したネズミたちは次々と本物の柴犬の鋭い一撃を食らい、悲鳴を上げて逃げ惑いはじめた。
圧倒的な数の暴力と心理戦の前に崩壊したネズミの群れは、たまらず草むらの奥へと一目散に散っていく。
「す、すげぇ……」
佐藤が呆然と口を開けて佇んでいると、先ほどまで駐車場を埋め尽くしていた柴犬たちの像が、一瞬でぱちっとシャボン玉のように弾けて消えた。
残されたのは、中央にぽつんと立つ最初の一匹だけだ。
柴犬はフゥと一つ息を吐くと、クルリと佐藤の方を振り返った。
その瞳はどこか深く、まるでこちらの考えを見透かしているかのような不気味なほど落ち着いた知性を宿している。
『……くぅん』
先ほどまでの猛々しさが嘘のように、柴犬の喉から情けない音が漏れた。と同時に、そのお腹から『グゥ〜〜』と大きな鳴り響く音が届く。
「ん……お前、お腹空いてるのか?」
佐藤が声をかけると、柴犬は耳をぴんと立て、じっと佐藤の目を見つめ返してきた。言葉の意味をしっかりと理解しているような、絶妙な首の傾げ方だ。
(分身なんて大技を使ったら、そりゃ腹も減るか……)
佐藤は警戒を解き、慎重にリュックを下ろすと、先ほど景品交換所で手に入れたばかりの「ピリ辛ビーフジャーキー」の袋を取り出した。
ビリッと袋を破りかけたところで、佐藤の手がぴたりと止まる。
(……待てよ。これ、人間用のやつだ。塩分もスパイスもキツすぎるし、犬にあげたら体に悪いんじゃないか?)
手元のジャーキーと、お腹を空かせた柴犬を交互に見比べる。柴犬は期待に満ちた瞳でじっと佐藤の手元を見つめていた。
「あー、ごめんな、ちょっと待ってな。パチンコ屋の景品コーナーにペットフードがあったかもしれない。取ってくるから、ここで待っててくれ」
佐藤が語りかけると、柴犬は耳をぴんと立て、理解したかのように短く『くぅん』と鳴いてその場にちょこんと腰を下ろした。
佐藤はアルミパイプを握り直し、先ほど駆け抜けたばかりのバックヤードを通って、再びパチンコ屋の景品カウンターへと急いで戻った。アノマリーの放電に注意しながら棚を必死に漁ると、運良く端の方にドッグフードの小袋と犬用おやつのササミジャーキーを見つけることができた。
(逃げてたらどうしようかな……まぁ、それはそれでしょうがないか)
佐藤はできるだけ急いで裏口へ戻り、扉を押して駐車場へ飛び出す。
一瞬、置き去りにされたと思って逃げてしまったのではないかと不安が胸をよぎったが――柴犬は、佐藤が離れたときとまったく同じ場所、同じ姿勢で、じっと裏口のドアを見つめて待っていた。
「……本当に待っててくれたのか。お前、すごいな」
佐藤の姿を認めた瞬間、柴犬の尻尾がプロペラのように勢いよく回転を始めた。
佐藤は駆け寄り、犬用のササミジャーキーを開けて一枚手渡した。柴犬は佐藤の手から優しくジャーキーを食み取ると、ハフハフと嬉しそうに噛み砕いて平らげた。
「さっきは助かった、ありがとうな」
『ワンッ!』
「おかわりか? よしよし」
もう一枚差し出すと、柴犬は尻尾を先程よりも力強くぶんぶんと振って、美味しそうに平らげた。
食べ終えた柴犬は、佐藤の膝に頭をすり寄せてくる。その温かい温もりと柔らかい毛並みに触れた瞬間、佐藤の心から緊張の糸がふっと解けていくのが分かった。
「お前、一人なのか? ……よかったら、俺と一緒に来るか?」
問いかけると、柴犬はすっと体を引き、まるで「ふむ」と思考するように佐藤をじっと見つめた。
そして、一呼吸置いたあと、意を決したように誇らしげに『バウッ!』と短く吠え、佐藤の左脇へとついて歩く体勢をとった。
「決まりだな。よろしく頼むぞ、相棒」
不気味で狂ったこの世界で、佐藤は初めて心強い相棒を得たのだった。
パチンコ屋の裏口を後にした佐藤は、歩きながら足元の
(……そういえば、名前はどうしようか)
ずっと「犬」やら「相棒」やらで呼ぶのも味気ない。呼び名があった方が指示も出しやすいはずだ。うーんと唸って名前の候補をひねり出す。
「ポチ……いや、普通過ぎるな。ポティ? いや、そういうのじゃない。柴犬だし、シーバ? ……ちょっと安直すぎるか」
毛並みの色から連想してみる。
「食パン、むぎ、きなこ……うーん……」
どれもしっくりこない。なんだかペットショップの可愛い仔犬につけるような名前に思えてくる。今ここにいるのは、怪異のネズミを蹴散らし、分身のスキルまで使いこなし、頼りになる「相棒」なのだ。
(もっと強そうなのがいいよな。分身の術が使える犬、か……)
ふと、日本の古典的な忍者のイメージが頭をよぎった。
「分身が使えるなら、小太郎か?」
風魔小太郎。
忍びの名としては定番中の定番だが、どこか頼もしさとしっくりくる響きがある。
「よし……今日からお前はコタロウだ。どうだ?」
『ワン』
柴犬――コタロウは足を止め、満足そうに尻尾をひと振りした。どうやら気に入ってくれたらしい。
「よろしく頼むぞ、コタロウ。まずは現状の整理だ」
佐藤の当面の目標は、火災から奇跡的に無傷で残った自宅――コンテナハウスを拠点として確保し続けることだった。
(……だが、あのコンテナの周りが安全とは限らない。まずはコンテナハウスを中心に、ぐるりと半径数百メートルを周回して安全確認だ。ついでに使える物資がないか探索する)
計画を固めた佐藤は、アルミパイプを固く握り直した。
「行くぞコタロウ。周回ルートの警戒だ。変な奴がいたら教えてくれ」
『くぅん』
コタロウは鼻をヒクヒクとさせ、耳をピンと立てて佐藤の少し前方を歩き出した。
路地裏を抜けると、関東のベッドタウン特有のファミレス、ドラッグストア、コンビニと、リズムゲーをするかのようにチェーン店が並ぶ通りへ出る。
電波は相変わらず届かないが、遠くで時折「パチッ、パチッ」と空気が爆ぜるような放電音が響いていた。
(またあの音だ。でっかい雷の球が飛んでこないといいけど……)
自宅のコンテナハウスから二つ隣のブロックにあたる通りへ差し掛かった、その時だった。
『……グルルゥ』
先行していたコタロウが低く唸り、佐藤の前に立ち塞がるように身を低くした。
角の向こう――ドラッグストアのある方向を睨みつけている。
「……何かいるのか?」
佐藤は息を殺し、壁に身を寄せて角からそっと覗き込んだ。
「ハハハッ! おい、もっとガンガン叩けよ! 割れねぇぞこれ!」
「クソッ、強化ガラスかよこれ! バットじゃなくてバール持ってこいよ!」
ダボッとした服を着た金髪の男が、バールを受け取って振りかぶる。
直後、甲高いガラスの割れる悲鳴が路地に響き渡った。
ドラッグストアの入口前。金属バットやバールを手にした三人の男たちが、店舗のショーウィンドウを強引に叩き割っていた。
「よっしゃ、開いたぜ!」
「酒と水全部持っていこうぜ! スマホ通じねぇし、警察なんか来やしねぇよ!」
「店員いたらどーすんだ?」
「あー? ぶん殴りゃいいだろ? 2、3発殴りゃ静かになるって」
「若い女がいいなー! いたらみんなで遊ぼうぜ!」
「おーいいっすね~」
「酒とったら火つけようぜ。ショーコインメツってやつだよ」
「だな! さっすがルカっち、チョー冴えてんじゃん」
「リアルGTAだな。動画とっとこうぜ。そのうちネットも復活すんだろ」
「いいじゃん!! ぜってーバズるって!!」
下品な笑い声がドラッグストアの中に反響する。
佐藤が東日本大震災のニュースで見た「火事場泥棒」の光景――いや、それ以上にタチが悪い。
彼らは生存のためではなく、無法状態そのものを娯楽として消費していた。
(……半グレか。本当にこういう奴らが即座に出てくるんだな……)
佐藤は冷や汗を拭った。このドラッグストアはコンテナハウスから目と鼻の先だ。野放しにすれば拠点が見つかるのも時間の問題だ。
もし見つかったとして、手持ちの物資を分けた程度で大人しく引き下がるようには見えない。彼らにとっては、拠点を燃やすのも人間を痛めつけるのも、ゲーム感覚の「悪ふざけ」でしかないのだから。
(あんまり放っておきたくないけど……3対1で戦って勝てるわけない。けど――)
「やれるか、コタロウ?」
相棒に尋ねると、足元のコタロウが不敵にニヤリと笑った気がした。