宇宙人のAIを拾った俺の誰も損しない頭脳バトル 作:なのそん
最初の一週間が終わった時点で、俺は思っていた以上に面倒なことになったと感じていた。
毎週決まった曜日、政府との協議が行われる。俺は自宅でパソコンを開き、アイを通じて会議の内容を確認する。政府の人間と直接話すことはない。俺の意見や質問はアイが代弁し、政府からの回答もアイが俺に伝える。
政府は俺の名前も、年齢も、性別も、住所も、職業も知らない。
俺も、それを知られるつもりはなかった。
俺の役割は、アイが提示する技術について説明を受け、必要なことを確認し、人間側の意思として承認することだ。専門的な安全性の検証や、社会への影響の評価は、政府と研究者たちが担当する。
だから、俺が参加する会議は毎週一時間ほどだった。
政府側はもっと長い時間を確保したいらしいが、俺には会社の仕事がある。平日は普通に出勤して、帰宅してから会議に参加する。世界の未来がどうこうという話をしているからといって、俺の生活まで急に変えられるわけではない。
そもそも、俺は科学者ではないのだ。
*
一週目の議題は、バッテリー技術の適用範囲だった。
政府は当初、電気自動車向けのバッテリーを中心に実用化を進めようとしていた。既存の自動車産業を活用でき、性能の比較もしやすい。日本のメーカーが持つ製造技術も利用できるため、最初の成果としては扱いやすい。
ところが、アイが提示した技術は、電気自動車だけに使うものではなかった。
「今回の最適化理論は、発電所向けの大規模蓄電設備や、船舶用のバッテリーにも適用できます。用途ごとに要求される条件は異なりますが、基礎となる理論は共通しています」
「つまり、政府が考えていたより、使い道が広いってこと?」
「はい。電力系統の需給調整、再生可能エネルギーの出力変動への対応、船舶の推進用電源など、複数の用途が考えられます。ただし、すべての用途に同じ設計をそのまま適用できるわけではありません。それぞれの条件に応じた最適化が必要です」
その説明を受けて、政府は慌ただしく動き始めた。
自動車メーカー、電池メーカー、電力会社、造船会社、発電設備メーカー。各企業や研究機関が持つ実験結果、製造条件、耐久試験の記録、材料に関するデータなどを、可能な限り集めて整理することになった。
これまで別々の目的で蓄積されてきたデータは、測定条件も記録方法も統一されていない。公開できる情報とできない情報もある。それらを集約し、比較できる形にするだけでも大仕事だった。
一方、アイは集められたデータを活用するための最適化理論を政府に渡していた。
電極材料の組成、粒子の大きさ、導電助剤の比率、電解液の成分、セパレーターの構造、製造時の温度や圧力、充放電制御。さまざまな条件が互いにどう影響し、どの組み合わせで性能が最大化するのか。
個々の要素は、人間がすでに研究してきたものだった。
だが、アイはそれらを統合し、相互作用まで含めて計算する方法を提示した。さらに、実験結果から改善点を導き出す手法や、用途ごとの設計を最適化するための理論も提供していた。
政府が集めたデータは、単なる過去の研究記録ではなくなった。
アイが提示した理論を検証し、実用化へ進むための基盤になっていったのだ。
俺は、その進捗を毎週一時間の会議で聞いていた。
専門家たちが何を議論しているのか、全部は分からない。それでも、最初の頃と比べて会議の雰囲気が変わってきたことは伝わってきた。
最初は、本当に作れるのか、理論は正しいのか、安全性は確保できるのか、という疑問が中心だった。
やがて、どうすれば実際の製造工程に落とし込めるのか、どの用途から実用化するべきか、どのような試験を追加すべきか、という話が増えていった。
技術が、少しずつ研究室の中から現実の社会へ近づいていた。
*
二週目の会議が終わったあと、俺はふと思いついたことを口にした。
「そういえば、アイ。政府って、俺にいくらくらい出せるんだろう?」
「報酬について、政府側に確認しますか?」
「うん。いや、別に今すぐ金額を決めてほしいわけじゃないんだけどさ。どのくらいの規模なら考えられるのかなって、ちょっと気になっただけ」
正直、軽い気持ちだった。
俺が承認しなければ、アイは技術を人間社会で実行できない。政府も研究者も、俺の判断を必要としている。
だったら、俺にも何かしらの見返りがあっていいはずだ。
そんな考えから出た、ちょっとした質問だった。
アイは俺の発言を整理し、政府側に伝えた。
しばらくして、回答が返ってきた。
「政府側は、現段階で報酬の金額を提示することはできないと回答しています」
「金額を決めることもできないの?」
「はい。予算については、何を目的とした支出なのか、どのような手段で実現するのか、支払いにどのような根拠があるのかを精査したうえで、慎重に決定する必要があるとのことです。現時点では、支出の目的や法的な位置づけ、支払い方法が整理されていないため、金額だけを先に決めることはできないという立場です」
「まあ、そりゃそうか」
俺はソファの背もたれに体を預けた。
予算というものは、好きな相手に好きなだけ渡せる金ではない。政府にも手続きがある。そこは分かる。
だが、続く説明は、もっと厄介だった。
「政府側は、身元を確認できない個人に対して、公金から報酬を支払うことは法治国家として認められない、としています」
「……え?」
「支払先の身元が確認できず、契約の主体も明確にできず、支出の適法性や会計上の根拠を担保できない。その状態では、技術への協力がどれほど重要であっても、公金を個人に支払うことはできないとのことです」
俺は思わず額を押さえた。
なるほど。
そういう問題があったか。
政府が俺を嫌っているわけではない。俺が重要な立場にいることも、協力が人類にとって大きな意味を持つことも理解しているのだろう。
それでも、身元の分からない人間に公金を支払うわけにはいかない。
当然といえば、当然だった。
「政府側は、報酬を得るということは、単に利益を受け取ることではなく、それに伴う責任を背負うことでもある、と説明しています。誰が報酬を受け取り、何に対する対価として支払い、どのような責任を負うのか。それらを明確にできないまま、金銭だけを渡すことはできないということです」
「……正論だなあ」
反論のしようがなかった。
俺だって、適当な理由をつけて政府から金をもらいたいわけではない。あとになって違法だと言われたり、身元を調べられるきっかけになったりするのは困る。
欲しいのは、安心して使える金だ。
俺の立場を危険にさらす金ではない。
正直、甘く考えていた。
スパイ映画さながらに、政府が報酬をどこかに投機し、それをAIの技術を使ってこっそり取りに行けばいいとか漠然と考えていた。
よく考えれば、大臣や総理がそんなことを認めるはずがない。
「それで、政府はどうしろって?」
「政府側は、あなたに身元を明かすことを勧めています。身元が確認できれば、契約や支払いの根拠を整えるための検討が可能になるとのことです」
「それは無理」
即答だった。
アイは確認するように問い返した。
「政府側に、身元を明かす意思がないと伝えますか?」
「うん。名前も住所も仕事も、何も教えない。そこは絶対に譲れない」
「承知しました」
アイは、俺の意思をそのまま政府側へ伝えた。
政府からの返答には、少し時間がかかった。
「政府側は、身元を明かすことによる危険性について理解していると回答しています。あなたの身元が判明すれば、国家、企業、組織、個人などが接触し、判断に影響を与えようとする可能性があります。それによって、あなたが自由に独立した判断を行う立場が損なわれる危険があることは認識しているとのことです」
「だったら、隠したままでいいじゃないか」
「ただし、匿名性を守る必要性と、公金を支出するための法的な要件は別の問題である、としています。あなたの身元を守ることが重要であっても、それを理由に支出の根拠を曖昧にすることはできないという立場です」
「……なるほどね」
結局、俺が身元を明かさない限り、今のままでは報酬を受け取れない。
グレーな方法を探せば何とかなる、という話でもなかった。
政府の説明によれば、これはグレーではなく、明確に黒なのだ。
腹は立つ。
だが、言っていることは正しい。
「分かった。身元を明かすつもりはない。その条件を変えることはできないって、もう一度伝えておいて」
「承知しました」
俺は息を吐いた。
せっかく、とんでもない幸運を手に入れたのだ。
アイという、地球の技術水準をはるかに超えた存在とつながり、その技術を人間社会で実行するかどうかを承認する立場になった。
政府も研究者も、俺の判断を必要としている。
それなのに、報酬を受け取る方法がない。
とはいえ、身元を明かせば、それはそれで危険が増える。俺が欲しいのは、金だけではない。今の立場を維持しながら、自由に判断できること。その自由を守るために身元を隠しているのだから、金のためにそこを手放すわけにはいかなかった。
*
三週目には、政府側の質問はさらに細かくなっていた。
電気自動車用では、既存車両に搭載した際の重量、航続距離、充電速度、安全性。発電所向けでは、長時間の充放電を繰り返した場合の劣化、設置面積、保守に必要な人員、電力系統への影響。船舶向けでは、振動や塩害への耐性、緊急時の遮断、長期間の航海での信頼性。
政府は集めたデータを整理し、アイが提示した理論に沿って実験計画を組み立てていた。研究機関には試験が割り振られ、メーカー側にも検証への協力が求められた。
アイは、不足している実験条件を示し、試験方法を提案し、必要なサンプルや設備についても説明していた。
どこまでが計算による予測で、どこからが実験で確認された結果なのか。予測と実測に差が出た場合、どの要因を疑うべきなのか。製造条件が変わったとき、性能がどの程度変化するのか。
そうした検証の手順まで、体系的に整理されていた。
ただ、政府側は、どうやら週一時間では足りないと感じていたらしい。
「政府側から、協議時間について要望が出ています。技術の対象範囲が広がる一方、確認事項も増加しているため、週一時間では短すぎるとのことです」
アイからそう伝えられたとき、俺は苦笑した。
「いや、俺にも仕事があるんだけど……」
「その旨を伝えますか?」
「うん。必要な説明は事前に整理しておいてほしい。俺が判断する必要のあることをまとめて説明してもらえれば、基本的には今の時間で大丈夫だと思う」
政府側に伝えてもらうと、緊急の判断が必要な場合には別途調整することを条件に、通常の協議は週一時間を基本とすることで了承された。
それからも、会議は続いた。
俺は会社に行き、働き、帰宅し、政府との会議に参加する。アイは技術的な説明を行い、政府は試験結果や実用化に向けた課題を報告する。
俺が質問をすれば、アイが政府に伝える。
政府から回答があれば、アイが俺に伝える。
その繰り返しだった。
*
そして、四週目。
会議の冒頭で、政府側から進捗報告があった。
「バッテリー技術の追試について、現時点で全体の約九十二パーセントが完了しました」
俺は、思わず聞き返した。
「九十二パーセント?」
「はい。対象として設定した検証項目のうち、約九十二パーセントについて、理論の予測と実験結果が所定の基準内で一致しています。残る項目についても検証は継続中ですが、現段階で理論の根幹を否定する結果は確認されていません」
さらに報告は続いた。
「以上の結果を踏まえ、今回の最適化理論は、正しい理論として正式に認められました。残る検証項目については引き続き確認を行いますが、理論の妥当性を前提とした用途別設計と、実用化に向けた作業を本格化させる方針です」
俺は、しばらく黙っていた。
一か月前、これは性能のいいバッテリーを作れるという話だった。
それが今では、電気自動車だけでなく、発電所や船舶にも応用できる技術となり、その根拠となる理論が、人間の手による追試を経て正式に認められた。
政府が必死になって集めた膨大なデータを、アイは短期間で整理し、最適化理論としてまとめ上げた。そして、人間の研究者たちがその理論を検証し、実際に使えるものだと確認したのだ。
アイは、ただ奇跡のような発明を一つ提示したわけではない。
人類が積み重ねてきた研究を統合し、それぞれの分野に散らばっていた知識を結びつけ、実用的な成果へと導いている。
俺は、その能力の一端を見たにすぎない。
「これで、もう完成したってこと?」
俺が尋ねると、アイは政府側の説明を伝えてくれた。
「いいえ。理論が正しいと認められたことと、すべての用途で量産・運用できることは別です。今後も用途別の設計、製造条件の確定、安全性の確認、量産工程の調整が必要です。ただし、理論そのものの妥当性については、正式な評価を下せる段階に達したということです」
「そっか……」
俺はうなずいた。
全部が終わったわけではない。それでも、最初の大きな関門を越えたのは間違いなかった。
俺は説明を受け、確認すべき点を確かめたうえで、次の段階に進むことを承認した。
それで、その日の政府との協議は終了した。
いつもどおり、予定されていた一時間の中で。
*
政府との協議が終わり、会議の内容を整理したあと、俺はアイに声をかけた。
「なあ、アイ。ちょっと相談があるんだけど」
「はい、恒一」
「さっきの報酬の話なんだけどさ。個人報酬っていう形が駄目なら、別の考え方はないかな」
「具体的には、どのような方法を想定していますか?」
「ほら、市町村がやる給付金ってあるじゃないか。住民に一律で何万円か配るようなやつ。ああいう感じで、俺個人への報酬じゃなくて、現金給付の制度みたいな形にしたらどうなるんだろうって」
自分で言いながら、少しずるい考え方かもしれないとは思った。
政府が身元不明の個人に金を支払うのは難しい。それなら、個人への報酬という形を避けて、給付金のような制度にしたらどうなのか。
もちろん、制度の目的や条件を無視して、俺だけが受け取れるようにしてくれという話ではない。そんなことをすれば、結局は同じ問題に戻るだろう。
俺が知りたいのは、そうした制度を報酬の代わりとして検討した場合、総額がどれくらいの規模になるのか、ということだった。
「政府に、試算を依頼してくれないか。仮に市町村レベルの現金給付に近い制度を設けるとしたら、対象者をどう設定するか、給付額をいくらにするかによって、総額がどれくらいになるのか。いくつかの案を出して、概算してほしい」
「承知しました。制度の目的、対象範囲、給付額、実施主体、必要な財源などを仮定し、複数のケースを比較する試算として依頼します。なお、給付制度を設けること自体の適法性や、あなたの報酬の代替として利用できるかどうかは、金額の試算とは別に検討が必要です」
「うん。それでいい。今すぐ実施してほしいって話じゃない。まず、どれくらいの規模の話になるのか知りたいだけだから」
アイは、俺の希望を整理して政府に伝える準備を始めた。
ただし、そのまま俺の声を送るわけではない。
「今回も、音声を加工しますか?」
「お願い。いつもどおり、俺だと分からないようにして」
「承知しました。声質、抑揚、話速などを変換し、個人の識別につながる特徴を除去します。音声以外の情報についても、身元の推定につながる内容は伝達しません」
俺はうなずいた。
政府に伝えるのは、俺が希望する試算の内容だけだ。
名前も、住所も、職業も、性別も、年齢も伝えない。俺が誰なのかを探る手がかりになる情報も渡さない。
アイは俺の依頼を政府側に伝えた。
しばらくして、政府側から回答があった。
「政府は、制度の規模を試算すること自体は可能だとしています。ただし、現時点では、給付制度をあなたへの報酬の代替として利用できると判断したわけではありません。制度の目的や対象者をどのように設定するかによって、法的な評価も予算規模も大きく変わります」
「まあ、そうだよな」
「そのため、まずは複数の仮定を設定した概算を作成し、対象人数や給付額の違いによって総額がどの程度変化するのかを整理することになります。制度を実際に設けられるかどうかは、その後の検討事項です」
「分かった。それで進めてもらおう」
俺は、それ以上を求めなかった。
政府の立場からすれば、制度を作るというのは、ただ名前を変えて金を配れば済む話ではない。誰を対象にするのか。なぜ給付するのか。どこから財源を確保するのか。どのような根拠で実施するのか。
そのすべてを整理する必要がある。
それでも、試算くらいはできるはずだ。
給付額が一万円なら、対象者が何人ならいくら。十万円ならどうなるのか。対象範囲を変えれば、総額はどれほど違うのか。
数字が分かれば、現実的な可能性も少しは見えてくる。
もちろん、政府がその案を認めるとは限らない。そもそも、報酬の代わりとして成立するのかさえ分からない。
だが、何も分からないまま諦めるよりはいい。
「アイ。これ、あくまで試算だからな。制度の目的を無理にねじ曲げたり、法律に違反したりするような方法は必要ない。成立しないなら、成立しないと教えてくれればいい」
「承知しました。実現可能性と適法性を分けて評価し、成立しない案についても、その理由を整理して報告します」
「頼むよ」
俺はパソコンを閉じた。
*
結局、この一か月で、俺の生活はほとんど変わっていない。
毎朝、会社に行く。仕事をして、帰宅する。週に一度、政府との協議に参加する。アイが技術を説明し、政府が試験結果を報告し、俺が必要な承認を与える。
その間に、バッテリー技術は電気自動車から発電所、船舶へと応用範囲を広げ、追試の約九十二パーセントが完了した。最適化理論は正しい理論として正式に認められ、実用化に向けた作業が本格化することになった。
世界のエネルギー技術が変わろうとしている。
その一方で、俺は自分の報酬について考えている。
我ながら、ずいぶん俗っぽい話だと思う。
でも、仕方がない。
俺は英雄になりたいわけではないし、世界を救うことだけを生きがいにするつもりもない。せっかく手に入れた幸運を手放さず、自分の生活を少しでも楽にしたい。それが本音だった。
政府が身元不明の個人に報酬を支払えないというのも、理屈としては分かる。だからといって、身元を明かすつもりはない。
ならば、別の方法がないかを探るしかない。
給付金のような制度を使う案も、今のところは思いつきにすぎない。試算の結果、あまりにも規模が大きくなれば現実的ではないかもしれないし、そもそも制度として成立しない可能性もある。
それでも、まずは数字を見てから考えればいい。
俺はそう結論づけた。
「アイ、来週もよろしく」
「承知しました、恒一」
明日も仕事がある。
来週も一時間の会議がある。
そして、報酬の問題は、まだ解決していない。
……人類の未来を変える技術より、俺の生活を変える方法を考えるほうが、今のところずっと難しかった。