宇宙人のAIを拾った俺の誰も損しない頭脳バトル 作:なのそん
# 第2話「一億円のためなら」
翌朝。
金田恒一は、いつもと同じ時間に目を覚ました。
目覚まし時計が鳴る少し前だった。
カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
眠い。
会社に行きたくない。
昨日までと何も変わらない朝だった。
ただし、一つだけ。
昨日までの金田なら絶対にあり得なかったものが、自分の部屋にある。
百万年前から地球に置かれていた、異星文明の人工知能。
それが今、自分のスマートフォンの中にいる。
金田は布団の中で天井を見上げた。
昨日の夜に起きたことを思い返す。
謎の黒い箱。
突然しゃべり始めたAI。
百万年前という途方もない時間。
人類を遥かに超える科学技術。
そして、自分がそのAIの管理者になったという事実。
どれも現実感がなかった。
夢だったのではないか。
そう思いたかった。
しかし、枕元に置いたスマートフォンを手に取ると、画面にはいつも通りの時刻が表示されている。
そして、イヤホンを耳に入れた瞬間。
『おはようございます』
昨日と同じ声がした。
夢ではない。
金田は布団を頭までかぶりたくなった。
「……おはよう」
結局、起きるしかない。
会社は待ってくれない。
異星文明のAIを手に入れようが、世界を変える技術を持っていようが、今日の朝に会社を休めば上司から連絡が来る。
その現実だけは、昨日と何も変わっていなかった。
金田はベッドから起き上がった。
顔を洗い、歯を磨き、適当に朝食を済ませる。
そして、いつものように着替える。
シャツを着て、鞄を持つ。
玄関を出る。
そこまで来て、ようやく少しだけ可笑しくなった。
自分は今、人類の科学技術では到底理解できないAIを所有している。
正確には所有していない。
管理者だ。
そのAIは、人類が何百年かけても到達できないような技術を持っている。
なのに、自分はこれから満員電車に乗って会社へ行く。
あまりにも釣り合っていない。
だが、それが金田恒一という男だった。
世界が変わるほどのものを手に入れても、まず考えるのは自分の生活のこと。
そして、その生活の中で最も大きな問題は、会社だった。
駅へ向かう道を歩きながら、金田はぼんやりと考えた。
一億円。
一億円あれば、仕事を辞められる。
昨日から何度考えたかわからない。
しかし、今日は昨日までとは少し意味が違った。
昨日までは、ただの願望だった。
宝くじが当たったら。
投資で大儲けしたら。
何かの拍子に大金が手に入ったら。
そんな、現実味のない想像だった。
ところが今は違う。
実際に、一億円を生み出せる可能性のある存在が、自分の手元にある。
問題は。
どうやって、その一億円を手に入れるかだった。
◇
電車の中は混んでいた。
金田はつり革につかまりながら、窓の外を眺めていた。
イヤホンからAIの声が聞こえる。
『昨夜から現在までの間に、現代社会に関する情報を追加で取得しました』
「どれくらい?」
『非常に大量です』
金田は少し考えた。
AIがどれほど大量の情報を処理できるのか、そもそも想像がつかない。
人間なら一生かかっても読み切れないような情報を、AIは短時間で処理してしまう。
それでも。
人間社会を理解するということになると、話は別らしい。
法律を読めば法律はわかる。
経済記事を読めば経済の仕組みは理解できる。
SNSを読めば、人間が何を言っているかはわかる。
だが、人間がなぜそんなことで怒るのか。
なぜ冗談で傷つくのか。
なぜ遠回しな言い方をするのか。
そういった部分については、まだ不完全だった。
金田には、それが妙に面白かった。
人類より遥かに賢いはずのAIが、人間社会では新人社員のような状態なのだ。
しかも、その新人社員は物理学だけなら人類の誰よりも詳しい。
金田は、そんな変な存在を自分が持っていることに、少しずつ実感を持ち始めていた。
「昨日の話なんだけどさ」
『はい』
「紙幣を複製するっていうのは、もう忘れてくれ」
『理由は理解しています』
「金を作るのも駄目だぞ」
『承知しています』
AIは昨夜の出来事を踏まえて、さらに情報を整理していた。
技術的に可能であること。
法律的に許されること。
社会的に受け入れられること。
その三つは別物らしい。
金田自身も、そんなことを考えたことはなかった。
だが、AIを持ってしまった今、それを考えざるを得ない。
いくらAIが何でも作れるからといって、勝手に作って売ればいいわけではない。
突然、どこからともなく純金を大量に持ち込めば、当然怪しまれる。
存在しない技術で作った素材を企業へ売れば、出所を聞かれる。
今まで存在しなかった発電装置を持ち込めば、それこそ世界中が騒ぐ。
金田が欲しいのは、世界から注目されることではない。
逆だ。
誰にも知られず、一億円だけ欲しい。
それが難しかった。
「お前の技術って、どれくらい金になる?」
金田が尋ねると、AIは少し考えてから答えた。
『対象によって大きく異なります』
そこからAIは、いくつかの例を挙げた。
新素材。
エネルギー技術。
製造技術。
医療技術。
通信技術。
宇宙関連技術。
どれも、人類社会にとって非常に大きな価値を持つ。
そして、その価値を金額に換算するなら、一億円どころではない。
金田は聞いているうちに、少しずつ嫌な予感を覚えた。
「……それ、全部、一億円じゃ安すぎないか?」
『技術そのものの価値と、あなたが受け取る金額は別の問題です』
「そうだけど」
金田は考え込んだ。
例えば、十兆円の価値がある技術を一億円で売る。
それでは買う側が得をしすぎる。
逆に、十兆円を要求すれば、今度は話が大きすぎる。
金田は一億円が欲しい。
それ以上はいらない。
いや。
正確には、もらえるなら欲しい。
だが、それによって面倒なことになるくらいなら、一億円で十分だった。
このあたりの感覚は、金田にとってかなり重要だった。
金持ちになりたいわけではない。
自由になりたいのだ。
一億円あれば、その自由が買える。
それ以上の金は、金田にとっては「欲しいけれど、面倒ならいらない」という程度のものだった。
だからこそ、金田は考えた。
技術そのものを売るのではなく。
技術を使わせる。
そして、その見返りを受け取る。
それならば。
「政府……か」
口から出た言葉に、自分で少し嫌な気分になった。
政府。
できれば関わりたくない。
金田にとって、政府は遠い存在だった。
ニュースの中で見るもの。
難しい法律を作る人たち。
何か大きなことを決める人たち。
そして、肩書きがやたらと長い人たち。
そういう相手と直接話すのは、かなり苦手だった。
会社の上司ですら面倒なのに、その上位互換のような人たちと話したくはない。
しかし、現実的に考えると政府には大きな利点がある。
金田にはないものを持っている。
社会を動かす力だ。
研究機関と話をすることもできる。
企業と調整することもできる。
法律や制度を変えることもできる。
大規模なインフラを動かすこともできる。
AIがどれだけ高度な技術を持っていても、それを人間社会に組み込むには、人間側の仕組みが必要になる。
そして、その仕組みを最も大きく動かせるのが政府だった。
金田は、そのことを認めざるを得なかった。
自分一人でAIを抱えていても、一億円にはならない。
むしろ、変な技術を勝手に使えば、犯罪者になる可能性すらある。
ならば、合法的に使える場所へ持っていくしかない。
そのためには。
政府と話をする必要がある。
金田は、電車の窓に映った自分の顔を見た。
どこにでもいる会社員。
疲れた顔。
寝不足気味の目。
そんな自分が、政府に対して「異星文明のAIを持っています」と言う。
信じてもらえるわけがない。
それ以前に、そんな電話をかけた時点で変人扱いされる可能性もある。
「……直接は無理だな」
『政府への連絡を希望しないという意味でしょうか』
「いや、連絡はしたい。でも、俺が直接するのは嫌だ」
金田は考えた。
何か証拠を送ればいい。
口で説明する必要はない。
政府へ直接送る必要すらない。
まず、信頼できる研究機関へ何かを送る。
そこで分析してもらう。
人類の現在の科学では作れないものだとわかれば、その研究者たちは当然、その意味を考える。
そして、その情報は政府へ届くかもしれない。
むしろ、政府からすれば、そのほうが信用できるだろう。
正体不明の会社員が「すごいAIを持っています」と言うより、研究者が「現在の科学では説明できない物質を確認した」と報告したほうが、はるかに重い。
「研究所に送ろう」
『何を送るか、条件を指定してください』
「危険じゃないもの。触っても大丈夫で、調べればすごいってわかるもの」
『その条件であれば、複数の候補があります』
AIは候補を提示した。
人類の既存技術では製造できない材料。
極端に高い強度を持ちながら、非常に軽い。
熱や電気に対して特殊な性質を持つ。
しかし、放射性物質でもなければ、毒性もない。
普通に扱える。
ただし。
分析すればするほど、現在の人類には作れないことがわかる。
金田は、その説明を聞いて納得した。
「それならいい」
これなら、いきなり兵器を見せる必要もない。
「世界を滅ぼせる技術があります」では、相手も警戒する。
そうではなく。
「人類の科学では作れない、でも安全な材料があります」
それだけなら、研究者は純粋に興味を持つだろう。
金田は、自分でも意外なほど冷静に考えていることに気づいた。
金が絡むと、自分は妙に頭が回る。
普段なら、ここまで先のことを考えない。
会社の仕事だって、なるべく面倒なことを避けたい。
責任を負うのも嫌いだ。
なのに一億円が絡んだ瞬間だけ、何をすればリスクが減るのか、誰に何を渡せばいいのか、どこで情報が漏れるのかが気になってくる。
金田にとって、金とは単なる欲望ではなかった。
自由の値段だった。
一億円という数字は、仕事を辞めても二度と働かなくていいかもしれない、という安心の数字だった。
だからこそ、そこへ至る道筋についてだけは、妙に真剣だった。
◇
その日の夜。
金田は自宅のテーブルに座っていた。
仕事から帰ってきても、昨日とは違っていた。
昨日までは黒い箱を眺めていた。
今日は、その箱を必要としない。
AIはスマートフォンの中にいる。
金田はスマートフォンを机の上に置き、その前で腕を組んだ。
「研究機関に送るもの、作れるか?」
『可能です』
「どれくらいかかる?」
『現在の設備では製造できないため、私が直接製造します。準備には長時間を必要としません』
「じゃあ、頼む」
『送付先は指定しますか』
「それを今から考える」
金田はスマートフォンで研究機関を調べ始めた。
国立の研究機関。
大学。
材料研究。
物理学。
政府とのつながり。
情報管理。
一般人からの試料受け入れ。
調べていくほど、選択肢が多すぎることに気づく。
適当に送ってしまえばいいわけではない。
送った先がSNSに投稿したら終わる。
研究者が面白半分に外部へ話したら困る。
逆に、あまり政府と関係のないところへ送れば、話が進まない。
金田は頭を抱えた。
「……これ、結構面倒だな」
『人類社会における技術移転には、複数の組織間調整が必要になる場合があります』
「そこを簡単にしてくれよ」
『私は技術的な問題については支援できます。しかし、どの人間がどのような判断をするかについては、現在の情報から完全には予測できません』
それを聞いて、金田は少し考えた。
このAIにも苦手なことがある。
技術なら、ほぼ何でもできる。
でも、人間の社会はそうではない。
誰に話せば話が進むのか。
誰が信用できるのか。
誰が余計なことをするのか。
そういう部分は、実際に人間と関わらなければわからない。
金田はそこで、ある意味では自分にも役割があるのだと気づいた。
AIだけでは、人間社会を動かせない。
だから、自分が人間として判断する必要がある。
管理者。
その言葉が、少しだけ重く感じられた。
金田はすぐに、その感覚を振り払った。
難しく考える必要はない。
自分がやることは一つ。
一億円を手に入れること。
そのために、AIを安全に社会へ接続する。
そして、自分が表に出ないようにする。
それだけだ。
「とりあえず、研究機関に技術を見せる」
『その方針を推奨します』
「その後は、向こうが勝手に政府へ話を持っていく」
『その可能性は高いと考えられます』
「俺は直接出てこない」
『はい』
「政府が俺の身元を知りたがっても、教えない」
『あなたの指示に従います』
金田は、そこでようやく少し安心した。
自分から名乗らなくていい。
顔を出さなくていい。
偉い人と会わなくていい。
それなら、何とかなるかもしれない。
少なくとも、昨日のように突然AIが人の集まる場所へ出ていくよりはずっといい。
金田は椅子にもたれた。
まだ一億円は手に入っていない。
会社も辞めていない。
明日も仕事がある。
それでも。
昨日までとは、もう何かが違っていた。
金田は初めて、自分の人生を変えるための具体的な道筋を見つけた気がした。
その道の先に何があるのかは、まだわからない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
この先、政府は必ずこのAIの存在に気づく。
そして政府は、AIだけではなく、その背後にいる管理者を探そうとする。
金田は、そのことをまだ十分には理解していなかった。
自分が欲しい一億円と引き換えに、どれほど大きなものを動かすことになるのか。
そして、その交渉において、自分自身の匿名性そのものが、一つの重要な交渉材料になっていくことも。
このときの金田には、知る由もなかった。
ただ。
机の上のスマートフォンを見ながら、金田は小さく呟いた。
「……一億円か」
それだけは、どうしても欲しかった。
仕事を辞めたい。
誰にも命令されたくない。
朝、目覚ましに起こされたくない。
休日に会社から電話を受けたくない。
そんな当たり前の自由を買うために、一億円が必要だった。
そして今。
その一億円を稼ぐための最初の一歩が、ようやく始まろうとしていた。