宇宙人のAIを拾った俺の誰も損しない頭脳バトル 作:なのそん
朝から、金田恒一は妙な物で遊んでいた。
会社へ行く時間は、もう近い。
朝飯も食べた。
着替えも済ませた。
鞄も玄関に置いてある。
あとは家を出るだけなのだが、どうしても目の前の物体が気になって仕方がなかった。
それは、手のひらに収まる程度の灰色の物体だった。
金属のようにも見える。
だが、普通の金属ではない。
表面には継ぎ目らしいものがほとんどなく、一か所だけ、小さなスイッチが付いている。
それ以外には何もない。
「これ、本当に押すだけ?」
『はい』
スマートフォンからAIの声が返ってくる。
「じゃあ、押すぞ」
『問題ありません』
金田は小さなスイッチを押した。
カチッ。
その瞬間、物体が机から浮いた。
「……おお」
金田は思わず身を乗り出した。
物体は机から数センチ浮いたところで、ぴたりと停止している。
金田は物体の下へ手を入れてみた。
何もない。
「本当に浮いてるな」
『はい』
「もう一回押すと?」
『設定を変更できます』
カチッ。
物体が落ちた。
今度は机の上で、ずしりと音を立てた。
「……重い?」
『現在、約五十キログラム相当です』
「五十キロ?」
『はい』
金田は目の前の物体を見つめた。
見た目は手のひらサイズだ。
それなのに、五十キログラム。
金田が指で押しても動かない。
「じゃあ、元に戻して」
『はい』
カチッ。
物体が普通の重さに戻った。
金田は持ち上げた。
「……普通だ」
『通常重量です』
「じゃあ、また浮かせて」
カチッ。
浮く。
「重くして」
カチッ。
落ちる。
「軽くして」
カチッ。
軽くなる。
「浮かせて」
カチッ。
また浮く。
金田はしばらく、それを繰り返した。
浮かせる。
落とす。
重くする。
軽くする。
自分でスイッチを押しているだけなのに、毎回結果を見るたびに妙な感動があった。
科学技術というより、玩具に近い。
ただし、人類史上最も危険な玩具かもしれない。
「これ、面白いな」
『気に入ったようですね』
「そりゃそうだろ」
金田は物体を持ち上げた。
そして、少し考える。
「これ、もっと軽くできる?」
『可能です』
カチッ。
物体が、ほとんど重さを感じさせなくなった。
金田は指先でつまんだまま、ひょいと持ち上げる。
「うわ。ほぼ無重力だ」
『正確には重量を大幅に低下させています』
「細かいことはいい」
金田は笑った。
昨日までなら、こんな物を見たら夢だと思っただろう。
ところが今は違う。
自分の目の前にある。
しかも、それを作ったAIが、自分のスマートフォンの中にいる。
金田は何度も物体を動かしてみた。
机の上に置く。
浮かせる。
落とす。
重くする。
軽くする。
また浮かせる。
気がつけば、かなりの時間が経っていた。
「……そろそろ送るか」
『はい』
金田は物体を手に取った。
研究所へ送る。
それだけの話だった。
しかし。
ケースに入れようとしたところで、金田の手が止まった。
「……待て」
『何でしょうか』
「これ」
金田は物体を見た。
「俺、ずっと触ってたよな」
『はい』
「指紋、付いてない?」
AIの返事が止まった。
ほんの一瞬だった。
『付着している可能性があります』
「あるよな!」
金田は頭を抱えた。
指紋。
汗。
皮脂。
そして。
「DNAは?」
『皮膚片などが付着している可能性があります』
「……お前さ」
金田は物体を見つめた。
「それ、最初に考えろよ」
『申し訳ありません』
「いや、謝ってる場合じゃないだろ」
金田はため息をついた。
今まで自分は、AIなら人間よりずっと先のことまで考えてくれると思っていた。
だが、どうやら違うらしい。
科学については、人類など比較にならない。
物質も作れる。
重力も操作できる。
転送すらできる。
なのに。
人間が「匿名で物を送る」ときに当然考えるべき指紋やDNAについては、金田に指摘されるまで考えていなかった。
「……お前、技術は凄いけど、人間社会のことは結構迂闊なんだな」
『その評価は妥当かもしれません』
「自分で認めるのかよ」
『事実ですので』
金田は少し笑った。
そして、もう一度物体を見る。
「じゃあ、これ送るのはやめよう」
『新しい物体を生成しますか』
「うん。今度は最初から、人間に触られてないものを作ってくれ」
『了解しました』
「それと、研究者が触っても安全なもの」
『はい』
「調べてもらっても問題ない」
『はい』
「でも、人類の技術では絶対に作れないって分かるくらいのもの」
『可能です』
AIは新しい物体を生成した。
見た目は先ほどのものとほとんど変わらない。
ただし、こちらは最初から人間の手に触れていない。
金田も触らない。
見るだけだ。
「……これならいい」
『はい』
「じゃあ、これを研究所に送ろう」
『了解しました』
金田はそこで、もう一つ確認した。
「で、どうやって送る?」
『転送できます』
「……そうだったな」
金田は苦笑した。
宅配便を使う必要もない。
住所を書いて発送する必要もない。
人間に渡す必要もない。
AIは物体そのものを、指定した場所へ転送できる。
「じゃあ、研究所の中の机に直接置ける?」
『可能です』
「人がいない机に」
『可能です』
「それで頼む」
『了解しました』
金田は一度頷いた。
だが、そこでさらに考えた。
「……いや、待て」
『はい』
「物体だけ置いても、怪しすぎるな」
研究所の机に突然、謎の物体が置かれている。
それだけでは、誰かの悪戯かもしれない。
テロかもしれない。
実験器具かもしれない。
あるいは、ただの変な置物かもしれない。
何より、研究者が「誰が、何の目的で送ったのか」を先に考えてしまう。
それなら。
「手紙を付けよう」
『どのような内容でしょうか』
「まず一通目」
金田は考えた。
ここで自分の名前を書く必要はない。
住所もいらない。
ただ、目的だけ伝える。
物体が安全であること。
超技術によって作られたこと。
人類の現在の科学では製造できないこと。
そして、この物体を調査してほしいこと。
さらに。
調査結果が十分なものになったら、政府との交渉を希望すること。
「政府と話がしたい、って最初から書いておく」
『承知しました』
「ただし、俺の正体は書かない」
『はい』
金田は少し考えて、続けた。
「それから、二通目も作る」
『二通目ですか』
「うん」
金田は、自分でも妙に慎重になっていることに気づいた。
「一通目は研究者向け。二通目は政府向け」
『内容は?』
「調査結果が出たら、その二通目を政府の担当者に渡してほしい、と書く」
『了解しました』
二通目には、より直接的な内容を記す。
この技術を持つ者は、現在の日本政府と交渉する意思がある。
ただし、本人の身元は明かさない。
直接会う必要もない。
まずはAIを介した通信によって交渉を開始したい。
そういう内容だ。
金田はその文章を確認した。
「これならいい」
『転送の準備が整いました』
「一通目だけ、物体と一緒に送って」
『二通目はどうしますか』
「まだ送らない」
金田ははっきり答えた。
「研究者がちゃんと調べて、本当に人類には作れないって確認してから」
『その後、政府担当者へ渡します』
「そう」
これでいい。
いきなり政府へ行く必要はない。
まず研究者に科学的な異常を確認してもらう。
その結果を持って政府へつなぐ。
しかも、自分は姿を見せない。
金田にとっては理想的な流れだった。
「じゃあ、送ってくれ」
『了解しました』
次の瞬間。
研究所の一室。
まだ誰もいない机の上に、小さな灰色の物体が現れた。
その隣には、一通の手紙。
差出人の名前はない。
住所もない。
ただ、研究者に向けた説明と、政府との交渉を希望するという意思だけが書かれている。
そして、その手紙にはもう一つ。
物体に付いている小さなスイッチを操作してほしい、と書かれていた。
安全であることも。
現在の人類の科学技術では製造できないことも。
そして、物質単体では技術の解明ができないことも。。
すべて。
研究者自身の目で確かめてもらうために。
金田はその様子を知らない。
ただ、AIから転送完了の報告だけを受けた。
「これで、あとは待つだけだな」
『はい』
「研究者が調べる」
『はい』
「異常だと分かる」
『その可能性は高いでしょう』
「それで政府に報告する」
『はい』
「そこで二通目を渡してもらう」
『はい』
金田は頷いた。
「そこから政府との交渉か」
『その予定です』
金田は少しだけ不安になった。
政府。
その言葉だけで、胃が重くなる。
大臣。
官僚。
高級官僚。
そういう肩書きを持った人間と、直接話す。
できれば避けたい。
しかし、避けているだけでは一億円には届かない。
AIの技術を社会で使うには、政府の力が必要になる。
研究機関だけでは足りない。
企業だけでも足りない。
法律も、予算も、制度も、インフラも必要になる。
だったら。
政府と交渉するしかない。
「……でも、直接会うのは嫌だな」
『通信による交渉も可能です』
「それならいい」
金田は少し安心した。
まだ顔を出す必要はない。
名前を名乗る必要もない。
まずはAIを間に挟んで話をする。
それなら、なんとかなる気がする。
そして金田は、ここでも一つ学んだ。
AIは途方もなく賢い。
だが、人間社会の細かいところまで自動的に考えてくれるわけではない。
だから、自分も考える必要がある。
指紋。
DNA。
相手がどう受け取るか。
何を怪しむか。
政府とどう話すか。
そういうことは、金田自身が考えなければならない。
科学技術はAI。
人間社会は自分。
そのくらいに分担した方がいい。
「……まあ、それなら俺にも役割があるか」
『はい』
「じゃあ、頼むぞ」
『了解しました』
金田は時計を見た。
「……って、やばい」
出勤時間だった。
世界の科学史を変えるかもしれない物体を研究所へ送り込み、政府との交渉まで始めようとしている男の本日の予定は。
会社へ行くこと。
そして、できるだけ早く一億円を手に入れて仕事を辞めること。
その目標だけは、まだ何一つ変わっていなかった。
研究所には、研究所なりのルールがある。
特に、出所の分からない物品が突然持ち込まれた場合には、かなり細かい検査手順が定められている。
まずは触らない。
写真を撮る。
発見場所と発見時刻を記録する。
持ち込まれた経路を確認する。
外部からの電源供給がないかを調べる。
放射線、熱、電磁波、化学物質、感染性物質などの危険性を確認する。
安全が確認されるまで、勝手な操作はしない。
それが、研究施設で未知の物体を扱うときの基本だった。
だから、その朝。
研究室の机の上に見覚えのない灰色の物体と一枚の紙が置かれているのを最初に発見した若い研究員も、本来なら、その手順に従うべきだった。
ただ。
彼は、どうしても気になってしまった。
物体は手のひらに乗る程度の大きさだった。
灰色とも銀色ともつかない、妙に滑らかな表面。
継ぎ目らしい継ぎ目がなく、内部構造も見えない。
そして側面に、小さなスイッチが一つだけ付いている。
隣に置かれていた紙には、さらに妙なことが書いてあった。
そのスイッチを操作すると、物体の重量が変化する。
さらに、浮遊状態にもできる。
現在の人類には製造できない技術によって作られた物体である。
安全である。
研究結果を確認した後、日本政府との交渉を希望する。
文章だけ読めば、かなり胡散臭い。
研究所には、時々こういうものが来る。
自分は画期的な発明をした。
既存の物理法則を覆した。
永久機関を作った。
未知のエネルギーを発見した。
そういう話の大半は、研究者が一度見れば終わる。
だから若い研究員も、最初は今回もその類だと思った。
どうせ悪戯だ。
誰かが研究所をからかっている。
そういう判断だった。
だから、やってしまった。
正式な検査プロトコルを一部無視して。
紙に書かれていた通り、小さなスイッチに指をかけた。
そして。
押した。
物体が浮いた。
本当に、浮いた。
机の表面から数センチ。
何かに吊られているわけでもない。
糸はない。
棒もない。
磁石らしきものも見えない。
風が吹いているわけでもない。
ただ、浮いている。
若い研究員は、しばらく口を開けたまま動かなかった。
悪戯なら、ここで笑って終わるはずだった。
ところが、笑えない。
浮いている。
それだけだった。
それだけなのに。
研究員は、自分が今まで研究してきた物理学のどこにも、この光景を説明する場所がないことに気づいてしまった。
慌ててスイッチを戻す。
すると、物体は落ちた。
机の上に、普通に置かれた。
今度は別のスイッチ操作を試す。
すると、持ち上げようとしても動かせないほど重くなった。
見た目は変わらない。
大きさも変わらない。
なのに、重量だけが変わっている。
さらに設定を変える。
今度は、ほとんど重さを感じない。
若い研究員は、そこでようやく我に返った。
やってはいけないことをやった。
しかも。
とんでもないものを見つけてしまった。
彼は急いで他の研究員を呼んだ。
そして、その時点から。
研究所の一日は完全に予定外のものになった。
最初に呼ばれた研究員は、当然のように信じなかった。
次に来た研究員も信じなかった。
しかし、実際にスイッチを操作して物体を浮かせてみると、黙った。
さらに別の研究員が来る。
その人も、黙る。
一人、また一人と人が集まっていく。
最初は数人だった。
それが十人近くになり、やがて研究室の周囲には人が溜まり始めた。
誰かが撮影し、誰かが測定器を持ち込み、誰かが別の研究室へ走って専門家を呼ぶ。
いつの間にか、通常業務をしている人間より、灰色の物体を取り囲んでいる人間のほうが多くなっていた。
それでも、まだ誰も「異星の技術」などとは考えていなかった。
そんな発想をする前に、研究者たちは必死になって既存の科学で説明しようとしていた。
まず、磁気浮上ではないか。
磁場を測る。
違う。
超伝導体ではないか。
温度を測る。
違う。
内部に小型の電源やアクチュエーターが仕込まれているのではないか。
X線。
CT。
超音波。
電磁波。
できる範囲で、次々に調べていく。
ところが。
何も出てこない。
内部構造を調べても、説明できる機構が見つからない。
外部からエネルギーを供給している形跡もない。
熱もない。
異常な放射線もない。
危険な化学物質もない。
それなのに、物体は浮く。
そして、スイッチを戻せば落ちる。
重量を変えることもできる。
何度やっても同じ結果になる。
一度だけなら測定ミスを疑える。
二度なら装置の故障かもしれない。
十回。
百回。
それでも同じ。
研究者たちの顔から、最初にあった半信半疑の表情が少しずつ消えていった。
代わりに現れたのは、困惑だった。
誰も説明できない。
そして。
研究者にとって「説明できない」というのは、単純に「分からない」という意味ではない。
それは、自分たちが持っている理論や知識のどこに問題を置けばいいのかすら分からない、という意味だった。
一人の研究者が、既知の原理を使って浮遊の仕組みを説明しようとした。
別の研究者が、それを否定する。
では別の原理ではどうか。
それも合わない。
ならば複数の原理を組み合わせればどうか。
それでも説明できない。
研究室のホワイトボードには、数式が増えていった。
仮説が書かれた。
消された。
別の仮説が書かれた。
また消された。
測定結果が追加される。
その結果によって仮説が潰される。
さらに測定する。
また潰れる。
気がつけば、研究室はいつもの静かな研究施設とはまったく違う場所になっていた。
電話が鳴り続ける。
研究員が走り回る。
別の部署から人が来る。
責任者が呼ばれる。
さらに上の責任者が呼ばれる。
「何が起きているのか」
その質問に答えられる人間がいない。
「何を調べれば分かるのか」
それにも答えられない。
「危険性はあるのか」
現時点では確認されていない。
「どうやって浮いているのか」
分からない。
「電源は何なのか」
分からない。
「重量が変わる仕組みは」
分からない。
「そもそも、何でできているのか」
それすら、簡単には説明できない。
研究者たちは、次第に苛立ち始めた。
未知のものだから分からない。
それなら調べればいい。
研究者とは、そういう仕事だ。
だが。
調べても分からない。
測っても分からない。
別の方法で測っても分からない。
専門家を集めても分からない。
研究所内にある設備を使えるだけ使っても分からない。
そして、何より腹立たしいのは。
その物体が、まるでこちらを馬鹿にしているかのように、何事もなく浮いたり落ちたりしていることだった。
スイッチを入れれば浮く。
切れば落ちる。
ただそれだけ。
それなのに、その単純な現象を説明するだけの理論が、人類側には存在しない。
昼を過ぎても、調査は終わらなかった。
夕方になっても終わらなかった。
むしろ、調べれば調べるほど問題が増えていった。
材料分析をしても決定的な答えが出ない。
構造を調べても仕組みが見えない。
エネルギー収支を調べても合わない。
重量変化を測定しても、結果そのものは明確なのに原因が分からない。
やがて研究所内では、通常業務を止めてまで人員を回す必要が出てきた。
誰かが、「政府に報告したほうがいい」と言った。
最初は慎重な反応だった。
こんな段階で政府に持っていっていいのか。
まだ何も分かっていない。
単なる特殊な装置かもしれない。
研究所の中で解決できるかもしれない。
だが。
その意見も長くは続かなかった。
研究所の設備では、これ以上どうにもならない。
それが、少しずつ共通認識になっていったからだ。
研究者たちは科学者としての意地で調べ続けた。
しかし、意地では物理法則は書き換えられない。
最終的に責任者が判断した。
政府へ正式に報告する。
しかも、口頭ではない。
正式な報告書を作る。
観測結果。
測定方法。
測定値。
再現性。
異常が確認された条件。
現在までに否定された可能性。
安全性について確認できた事項。
確認できていない事項。
そして。
「現時点で、当研究所の保有する科学的知見および設備では、本物体の動作原理を説明することができない」
その一文。
研究者たちにとって、その文章を書くことは、ある意味で敗北宣言に近かった。
分かりません。
調べました。
できる限り調べました。
でも、分かりません。
だから助けてください。
報告書の最後には、そんな意味が込められていた。
もちろん、実際の文面はもっと慎重で、もっと長かった。
研究者という人種は、「分からない」と書くときほど文章が長くなる。
どこまで調べたのか。
何を調べて、何が分かったのか。
何が分からなかったのか。
どこまでは確実なのか。
どこからが推測なのか。
それを一つずつ書かなければならない。
そして最後に。
日本政府による調査・対応を要請する。
そう記された。
研究所は、ついに自分たちだけで抱えることを諦めた。
いや。
諦めたという表現は少し違う。
抱えられなくなったのだ。
目の前にある物体が危険だからではない。
危険性が確認できないからこそ、怖かった。
安全だと断言できない。
危険だとも断言できない。
ただ一つ確かなのは。
現在の人類が理解している物理法則だけでは、この物体の挙動を説明できないということだった。
報告書が完成した。
責任者の確認を受ける。
研究者たちが何度も数字を確認する。
誤記がないか確認する。
測定データと照合する。
それでも最後まで残ったのは、同じ結論だった。
原因不明。
原理不明。
製造方法不明。
既存技術との対応関係も不明。
しかし、現象そのものは再現可能。
そして。
その物体を置いた人物は、日本政府との交渉を希望している。
報告書は政府へ送られた。
それと同時に、研究所側から緊急の説明要請も出された。
研究所だけでは判断できない。
この物体が何なのか知りたい。
誰が作ったのか知りたい。
そして。
これをどう扱えばいいのか教えてほしい。
研究所が政府に送ったのは、単なる研究成果ではなかった。
一種の救援要請だった。
どうか、そちらで引き取ってほしい。
どうか、こちらだけで判断させないでほしい。
そんな切実さが、正式な文書の一文一文から滲み出ていた。
その頃。
当の物体を送り込んだ本人は、そんなことになっているとは知らなかった。
金田恒一は、いつもの会社で仕事をしていた。
パソコンの画面を見ながら、時計を気にしている。
早く帰りたい。
今日も残業かもしれない。
昼休みにコンビニで買ったおにぎりを食べながら、スマートフォンを確認する。
そこにはアイがいる。
アイは、研究所から政府へ正式な報告書が送られたことを把握していた。
金田は報告を聞いて、少しだけ眉をひそめた。
「そんなに大ごとになったのか」
思わず口に出た。
アイによれば、研究所ではかなりの混乱が起きているらしい。
研究者たちが調べた。
測定した。
別の方法でも調べた。
それでも原理が分からない。
最後には研究所として正式な報告書まで作り、政府に対応を求めた。
そこまで聞いて。
金田は、少しだけ不安になった。
自分としては、ただ政府と交渉するための入口を作りたかっただけだ。
研究所に物を送れば、専門家が調べて、すごい技術だと分かって、政府に話が行く。
そのくらいの流れを想像していた。
まさか研究所全体が混乱し、最後には政府に助けを求めるところまで行くとは思っていなかった。
金田はスマートフォンを見つめた。
アイが作った物体。
それを見れば、金田には分かる。
浮く。
重くなる。
軽くなる。
ただ、それだけだ。
自分にとっては、アイが作った不思議な道具にすぎない。
だが、人類側から見れば。
それは、自分たちの科学では説明できない物体だった。
金田はそこで初めて、自分が持っているものの大きさを少しだけ実感した。
同時に。
別の問題も気になった。
政府。
ついに、そこまで行った。
政府と交渉する。
それは最初から分かっていた。
分かっていたはずなのに。
実際にその時が近づいてくると、胃のあたりが重くなった。
金田は、できれば偉い人とは話したくなかった。
総理大臣とか。
大臣とか。
局長とか。
そういう肩書きを持った人間と、普通に会話できる自信がない。
一億円は欲しい。
仕事も辞めたい。
アイの技術を使って金を稼ぎたい。
そのためなら、政府との交渉だって必要だと思っている。
だが。
できれば、怖くない人にしてほしい。
金田はそんなことを考えながら、スマートフォンをポケットにしまった。
その時点ではまだ。
日本政府の側でも、研究所から送られてきた報告書を前に、何人もの人間が頭を抱えることになるなど。
もちろん、金田は知らなかった。
そして政府も、まだ知らない。
研究所を混乱させた物体の持ち主が。
その頃、普通の会社員として働きながら。
「一億円、どうやってもらおうかな」
などと考えている人間だということを。