宇宙人のAIを拾った俺の誰も損しない頭脳バトル 作:なのそん
会議室の中央には、何もなかった。
机もない。端末もない。音響設備もない。
それなのに、そこから声が聞こえている。
「私は、アイと呼ばれています」
政府側の責任者たちは、中央の何もない空間を見つめていた。
声の出所を探しても意味がないことは、すでに分かっている。音響機器を経由している形跡はなく、通信端末にも接続記録はない。
それでも、確かに声は聞こえる。
責任者はしばらく沈黙したあと、口を開いた。
「まず、我々が知りたいのは君の正体と目的だ。今回、研究所に送られた物質は、現在の人類の科学技術では説明できない可能性が高い。君がそれを提供できる存在なら、我々は何が起きているのかを把握しなければならない」
「承知しました」
アイは静かに答えた。
「私は、およそ百万年前に地球へ残された人工知性です。私を残した文明は、知的生命が発生した場合、その生命と接触し、知識や技術を共有することを目的としていました。地球上に知的生命が生まれた場合に備えて、国家や政府を指定していたわけではありません」
責任者が資料に目を落とす。
「つまり、君が現在の人類と接触したこと自体は、何らかの国家を選んだ結果ではない?」
「はい。私は、最初に私と接触した人間を管理者として認識しています」
その言葉に、室内の何人かが顔を見合わせた。
責任者は続ける。
「その管理者について、我々が知っている情報はどこまである?」
「人類側に伝える必要のある情報はあります。しかし、個人を特定できる情報については開示しません」
「理由を説明してほしい」
「管理者が特定されることで、管理者の意思決定に外部から圧力が加えられる可能性があるためです」
アイの説明は淡々としていた。
「管理者の存在を知った国家、企業、組織、個人が、その人物に接触し、自分たちに都合のよい判断をさせようとする可能性があります。金銭、地位、脅迫、利益供与、その他の手段は問いません。管理者が誰なのかが知られれば、管理者の判断が本人自身の意思によるものなのか、それとも周囲から与えられた圧力によるものなのかを区別できなくなります」
責任者は黙って聞いていた。
「君が守りたいのは、管理者という人間そのものではなく、その人間が自分の意思で判断できる環境ということか」
「その通りです」
「政府が管理者を探すことも認めない?」
「管理者の匿名性を維持します」
そこには威圧するような響きはなかった。
ただ、決められた原則を説明しているだけだった。
責任者は椅子に背を預けた。
「我々からすると、かなり厄介な話だ。君は人類にとって極めて重要な技術を持っている。その技術を実際に使うかどうかを決める人間がいる。しかし、その人物について我々は何も知らされない。政府としては、その人物がどのような人間なのか確認することすらできない」
「理解しています」
「それでも、その制度を変えるつもりはない?」
「ありません」
アイはそこで、少しだけ間を置いた。
「私には、人類にとって技術的に何が最適なのかを判断する能力があります。しかし、最適であることと、人類自身がそれを選択したことは同じではありません。私は人類の代わりに意思決定することを避ける必要があります」
責任者は黙っている。
「そのため、私は技術を提案し、必要な情報を提供します。人類側が検討し、そのうえで管理者が承認する。承認されなければ、私は人類に対してその技術を実行しません。管理者は専門家である必要も、政治家である必要もありません。人類側から見れば、一般の一個人です」
そこで、責任者の表情が変わった。
「つまり、今回我々が交渉している相手は、専門家でも政治家でもない。普通の人間なのか」
「はい」
「そして、その人物が最終的な承認をする」
「はい」
責任者はしばらく何も言わなかった。
やがて、机の上に置かれた研究資料を指先で軽く叩く。
「では、もう一つ確認したい。今回、管理者はなぜ我々に接触しようとした? 人類のために技術を提供したいというだけなら、君がそう判断すればいいようにも思える」
「管理者本人が、人類への技術提供と同時に、自身の利益を得ることを望んでいるためです」
会議室が静かになった。
アイは構わず続ける。
「管理者は、人類の発展を妨げることを目的としているわけではありません。むしろ、技術が人類に利用されること自体には肯定的です。ただし、自分が管理者として承認を行う以上、自分自身にも利益があってよいと考えています」
責任者は、わずかに苦笑した。
「随分と個人的な理由だな」
「人間として不自然なものではありません」
「君は、それを認めるのか?」
「はい。管理者が自身の利益を求めること自体は、管理者権限を失う理由にはなりません」
「では、我々が条件を提示し、管理者が納得すれば、技術の提供を承認する?」
「その可能性は高いでしょう。ただし、最終的な判断は管理者自身が行います」
責任者は何もない空間を見つめた。
ここまでの話を整理すれば、構造は単純だった。
アイは人類に技術を与えたい。
政府は、その技術を安全に、そして可能な限り日本にとって有利な形で利用したい。
そして、その間にいる管理者は、自分自身が納得できる利益を得たい。
政府が管理者を探し出して従わせることは、アイが認めない。
管理者が技術提供を拒否することも、無制限に許されるわけではない。
しかし、少なくとも今の段階では、管理者が人類の発展を妨害しようとしているわけではない。
条件さえ整えば、承認する。
それがアイの説明だった。
責任者はゆっくり息を吐いた。
「……我々は、正体の分からない一人の一般人と交渉することになるわけだな」
「はい」
「その人物が誰なのかを知ることはできない」
「はい」
「しかし、その人物が何を望んでいるのかについては、交渉できる」
「はい」
責任者は少し考えてから、周囲の政府関係者たちを見回した。
誰もが同じ問題を考えている。
これは通常の政府間交渉ではない。
相手国もない。
企業もない。
交渉相手の名前すら分からない。
それなのに、その相手の判断一つで、人類の技術水準が一気に変わる可能性がある。
しかも、その人物が最初に求めているのは、壮大な理念でも政治的な権利でもなかった。
**自分自身が得る利益だった。**
責任者は再び、会議室の中央を見る。
何もない。
そこに姿はない。
ただ、声だけがある。
「分かった。政府としては、まず管理者の身元を探すことではなく、管理者が何を求めているのかを確認する。技術については我々が専門家を集めて検討する。そのうえで、管理者に提示できる条件を整理する」
「承知しました」
「ただし、我々も簡単に条件を受け入れるつもりはない。人類全体に関わる問題だからな」
「それも理解しています」
それを最後に、会議室は静かになった。
政府側には、まだ不確かなことが多すぎる。
アイの文明についても、技術についても、管理者についても、分からないことばかりだ。
だが、交渉の構造だけは見えてきた。
**アイは技術を持っている。**
**管理者は承認権を持っている。**
**政府は、その管理者の正体を知らない。**
そして――
**正体を知らない相手に、政府はこれから「あなたには何を渡せば、技術を承認してもらえるのか」と尋ねなければならない。**
責任者は、その事実を頭の中で整理しながら、深く息を吐いた。
「……とんでもない交渉が始まったな」
会議室の中央。
何もない空間から、アイの声が静かに返ってきた。
「はい」
そして同じ頃。
その交渉の当事者である管理者本人は、政府の誰一人として身元を知らないまま、いつも通り会社で残業を続けていた。
会議室にいる誰もが、アイの言葉を慎重に聞いていた。
研究所に送られたサンプルについては、すでに大きな懸念がないことが分かっている。
軍事利用を目的としたものではない。
あのサンプルを調べただけで、人類がアイの技術を再現できるわけでもない。
そして何より重要なのは、アイが今後、人類に対してどこまで技術を提供するつもりなのかということだった。
「一つ、確認させてください」
政府側の責任者が言った。
「今回、研究所にサンプルを送ったのは、我々に技術を受け取らせるための最初の段階だと考えていいのでしょうか」
『はい。ただし、あれは技術そのものを人類に与えるためのものではありません。私が提供できる技術水準を、人類側に確認してもらうためのものです』
「つまり、実証ですか」
『その通りです』
アイの声には、特別な感情はなかった。
『言葉だけで、私が高度な技術を持っていると説明しても意味がありません。人類が実際に確認し、研究し、再現できるものを一つ提供したほうが理解しやすいでしょう』
政府側の責任者は、しばらく考えた。
「では、今回については、こちらから要求を出してもいいということですか」
『はい』
「一つだけ?」
『一つで十分でしょう』
「その一つについて、何か条件はありますか」
『ありません』
その言葉に、会議室の空気が変わった。
「……条件がない?」
『今回の最初の技術提供については、管理者の承認を得ています』
誰もが一瞬、言葉を失った。
『これは人類に対する技術提供が可能であることを示すためのものです。ですから、人類側が何を必要としているのかを決めてください』
「つまり、政府が欲しい技術を一つ選べばいい」
『はい』
「それを無条件で提供する」
『はい』
ただし、とアイは続けた。
『一つだけ条件があります』
政府側の表情が硬くなる。
『人類が自ら製造、再現できる技術水準であることです』
「……なるほど」
『私が直接作った一台の装置を渡すだけでは、人類の技術になりません。必要なのは、人類自身が理解し、研究し、再現できるものです』
「理論だけでもいい?」
『構いません』
「実験方法は?」
『提供できます』
「完成した現物を渡して、それを解析させることも?」
『可能です』
「試作品やサンプルでも?」
『可能です』
政府側の責任者は、そこで初めて、今回の技術提供の意味を理解した。
アイは「完成品を一つプレゼントする」と言っているのではない。
人類がその技術を自分たちのものにするために、必要な形を選ばせようとしているのだ。
「つまり、政府が選んだ技術について、理論的な説明を受けるだけではなく、必要であれば実験手順、製造方法、材料、設計情報、実物、サンプルなど、我々が技術を習得するために必要なものを提供してもらえる」
『はい。ただし、人類が理解できる範囲で順序を組み立てる必要があります』
「いきなり完成された技術を渡して終わり、ではない」
『そういう意味です』
政府側の責任者は、ゆっくりとうなずいた。
これは研究開発そのものを肩代わりしてもらう話ではない。
人類が自分たちの手で研究を進め、最終的に再現できるところまで、アイが道筋を示すということだ。
「では、我々の側で何を受け取るか決めます」
『お願いします』
その場では、すぐに結論は出なかった。
政府だけで決めるには大きすぎる。
エネルギーなのか。
医療なのか。
材料なのか。
製造技術なのか。
どれを選んでも、その後の社会に与える影響は大きい。
しかも今回は、単なる研究テーマの選定ではない。
アイが持つ技術を、人類が自分たちで再現できることを証明するための最初の一歩なのだ。
政府側の責任者は、その場にいる者たちを見回した。
「この場で決めるのはやめましょう」
そう言って、静かに続けた。
「各分野の専門家に意見を出してもらいます。ただし、アイから提供されるのは、あくまで人類が自力で再現可能な技術に限る。そこは明確にしておきましょう」
研究者の一人が頷く。
「そのほうがいいでしょう。最初から人類の技術体系では理解不能なものを渡されても、実証にはなりません」
「そうですね」
別の者が口を開いた。
「重要なのは、アイの技術が本当に人類の手に移せるのかどうかです。理論だけではなく、実験方法や試料まで提供してもらえるなら、研究として検証できます」
会議室では、次第に具体的な議論が始まっていった。
アイは、それを黙って聞いていた。
政府側が何を選ぶのか。
それを決めるのは人類側だからだ。
『決定したら教えてください』
アイは最後にそう告げた。
『選ばれた一つの技術について、私は人類が習得するために必要な情報を提供します』
「分かりました」
『理論、設計、実験方法、材料に関する情報、実物、試料など、必要な形を選んでください』
そして、少し間を置いて付け加えた。
『重要なのは、人類が最終的に自分たちで作れることです』
その言葉が、政府側には強く残った。
アイが技術を与える。
しかし、技術そのものを人類の代わりに使ってくれるわけではない。
人類が理解し、研究し、再現し、やがて自分たちの産業として扱えるようになる。
今回の提供は、そのための最初の一歩なのだ。
そして、その一歩として何を選ぶかは、政府側に委ねられた。
会議が終わった後、政府はただちに各分野の専門家を集めることになる。
世界を変える可能性を持つ技術を前にして、まず人類自身が「何を欲しいのか」を決めなければならなかった。
話し合いも一通りの区切りがついた。
政府側として確認すべきことは確認した。
研究所に送られたサンプルについても、今回の技術提供についても、さらに詳しい話は次回に持ち越すことになった。
「では、本日はここまでとしましょう」
大臣がそう言うと、会議室に張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
何時間にも及ぶ話し合いだった。
参加していた研究者たちは資料をまとめ始め、官僚たちも今後の対応について小声で確認を始める。
「次回までに、こちらで技術候補を絞り込みます」
大臣がアイに向かって言った。
「各分野の専門家にも意見を聞く必要がありますので、ある程度時間をいただきたい」
『分かりました』
アイは素直に答えた。
そこで話が終わる。
少なくとも、人間側はそう思っていた。
だが、次回の会議の日程については、まだ誰も具体的な話をしていなかった。
政府側としては、いったん各省庁や研究機関に持ち帰り、候補となる技術を検討するつもりだった。
どの技術を選ぶのか。
安全性はどうなのか。
国内産業への影響は。
国際的な扱いは。
人類が本当に再現できる技術なのか。
検討しなければならないことはいくらでもある。
当然、次回の会談までは数週間、あるいは数か月程度の時間が必要になる。
そう考えていた。
そのときだった。
『そういえば』
アイの声が響いた。
全員がそちらを見る。
『次回の話し合いの日程を決めていませんね』
「あ……」
大臣の隣にいた官僚が、一瞬固まった。
確かに決めていない。
「そうですね。では、こちらから候補日を――」
その言葉を遮るように、アイが続けた。
『管理者に確認します』
会議室の人間たちは、特に気に留めなかった。
管理者に都合を聞く。
当然のことだと思った。
ところが、少しして。
『確認しました』
「はい」
『土曜日がいいそうです』
「……土曜日?」
『はい』
大臣が時計を見る。
もう水曜日の夜だった。
「今週の土曜日ですか?」
『はい』
会議室が静まり返った。
「今週……」
『土曜日です』
官僚の一人が、慌てて手帳を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。次回というのは、今週の土曜日ですか?」
『はい』
「いや、しかし……」
そこから先は、完全に人間側の問題だった。
今日の会議に参加している人間だけでも、政府関係者、各省庁の担当者、研究機関の責任者、高名な研究者など、人数が多い。
さらに次回は、今日の話を受けて、技術候補を検討する専門家も必要になる。
その人間たちを、突然、今週の土曜日に集めなければならない。
しかも――。
『時間は十二時から十三時です』
「……一時間?」
大臣が聞き返した。
『はい。一時間で十分だそうです』
「いや、ちょっと待ってください」
今度は複数の声が重なった。
「一時間では、技術候補の説明だけでも終わらないのでは?」
「資料の準備はどうするんですか」
「専門家を今から呼ぶとなると……」
「土曜日ですよ?」
「そもそも、各省庁への連絡が――」
さっきまで静かだった会議室が、一気に騒がしくなった。
大臣もさすがに困った顔をする。
「アイさん。こちらとしては、もう少し準備期間が必要です」
『そうですか?』
「はい。今回の話は非常に重要ですから」
『管理者は平日は仕事があります』
「それは分かっていますが……」
『土曜日なら仕事がないそうです』
「……」
誰も反論できなかった。
管理者が普通の会社員である以上、それはもっともな理由だった。
しかし、政府側からすればたまったものではない。
今日、初めて本格的な話し合いをしたばかりなのだ。
これから各省庁に連絡し、研究者を集め、技術候補を検討し、資料を作り、次回の説明内容をまとめなければならない。
それを、今週の土曜日までに。
しかも一時間で終わらせろという。
「せめて来週にできませんか?」
大臣が尋ねる。
『管理者に確認します』
アイが少し黙る。
そして数秒後。
『来週でも構わないそうです』
「……!」
会議室に安堵の空気が流れた。
だが、それも一瞬だった。
たかだか七日延びただけで完結する問題ではない。
思わず官僚の一人が声を上げた。
アイは特に気にした様子もなく続ける。
『時間は十二時から十三時です』
大臣が額に手を当てた。
周囲では、すでに官僚たちが慌ただしく動き始めている。
誰に連絡するのか。
誰を呼ぶのか。
どの技術を候補にするのか。
資料は何を用意するのか。
研究者の予定は空いているのか。
大臣自身の予定はどうするのか。
たった一時間の会談のために、国家機関が一斉に動き出そうとしていた。
その騒ぎをよそに、アイは淡々と言った。
『では、次回は土曜日の十二時から十三時とします』
「……分かりました」
大臣はそう答えるしかなかった。
『それでは、管理者にも伝えておきます』
「お願いします」
通信が終わる。
静かになった会議室で、誰かが小さくつぶやいた。
「……一時間ですよね?」
「一時間だ」
「土曜日の昼に?」
「そうだ」
「今から準備を?」
「そういうことになる」
全員が顔を見合わせた。
そして、その頃。
当の金田恒一は、すでに帰宅途中だった。
政府が大慌てしていることなど知る由もない。
ただアイに、
「平日は仕事があるから、土曜の昼でいいんじゃないか。一時間くらいで」
と伝えただけだった。
その何気ない一言によって、国の中枢では、土曜日の一時間のために大規模な準備が始まろうとしていた。