宇宙人のAIを拾った俺の誰も損しない頭脳バトル 作:なのそん
金田恒一、二十五歳。
どこにでもいる会社員だった。
特徴といえば、ブラック企業に勤めていることぐらいだろうか。
仕事はそれほど好きではない。
出世したいとも思わない。
会社に忠誠心があるわけでもない。
給料日が来れば嬉しいし、残業が続けば嫌になる。
金が欲しい。
それも、できればたくさん。
働かなくても生活できるくらいの金があればいい。
最初は、それだけだった。
だから、アイを見つけたときも、金田が考えたことは単純だった。
――これ、金にできないかな。
本当に、それだけだった。
政府に何か凄い技術を渡して、その見返りに一億円くらいもらえないか。
最初は、その程度の話だと思っていた。
少なくとも、金田自身はそう思っていた。
ところが。
「……これ、本当に俺が使っていいものなのか?」
自宅のソファに座り、目の前に浮かんだ資料を眺めながら、金田は小さく呟いた。
返事はすぐに来た。
『管理者として使用することが可能です』
「そういう意味じゃないんだけどな……」
画面には、先ほど政府に提示されたバッテリー技術の概要が表示されている。
既存の電気自動車に搭載すれば、航続距離が約八割向上する。
バッテリー重量は約六割減る。
充電速度は約三倍。
発火や熱暴走のリスクも大幅に低下する。
しかも、大量生産できる。
新しい元素が必要なわけでもない。
宇宙から未知の金属を持ってくるわけでもない。
現在の人類が使っている材料と製造技術の範囲に収まっている。
合金の配合を少し変える。
電極の構造を少し変える。
粒子の大きさを変える。
電解質の組成を変える。
製造条件を変える。
充放電制御を変える。
一つ一つを見れば、どれも既存技術の延長線上にある。
それを、何千、何万という組み合わせで最適化する。
なぜ性能が上がるのか。
その理論も説明できる。
どう実験すれば確認できるのか。
実験方法まで出せる。
必要なら実験装置まで用意できる。
金田は、そこで初めて理解した。
自分が持っているものは、
「凄い発明品」
ではない。
もっとまずい。
人類が何十年、何百年とかけて少しずつ進めてきた研究を、片っ端から見渡して、その全部を組み合わせて最適化できる存在なのだ。
「……いや、無理だろ」
金田は額を押さえた。
「こんなの、俺に扱えるわけないじゃん」
アイは何も答えない。
金田は目の前の資料をもう一度見た。
そして、ふと思った。
もし自分が、この技術を持っていなかったら。
今頃、自分は何をしているだろう。
明日の仕事のことを考えて。
上司の機嫌を気にして。
給料日まであと何日か数えて。
ボーナスがいくら出るか気にして。
そんな生活をしている。
それが嫌で、金が欲しいと思った。
だからアイを見つけたときは、宝くじに当たったくらいの気持ちだった。
一億円くらいもらえれば、それで十分だと思っていた。
でも。
違った。
宝くじなんかではない。
宝くじなら、一等に当たったところで金が手に入るだけだ。
これは違う。
これ一つで、世界中の産業が変わる。
電池が変わる。
車が変わる。
電力網が変わる。
その先には、もっと凄い技術がある。
アイに聞けば、いくらでも出てくる。
「……怖いな」
金田は呟いた。
今までなら、アイが「これができます」と言えば、
すごい。
便利だ。
金になる。
その程度に考えていた。
しかし、今は違う。
アイが何気なく提示する技術を、人類が本当に作れてしまう。
しかも、それが既存の科学の範囲内にある。
人間には「そんなもの作れるわけがない」と思えるものを、アイは、
「ここを少し変えればいいです」
という顔で出してくる。
それが一番怖かった。
「……俺、なんでこんなの拾ったんだよ」
答えはない。
ただの偶然だった。
一億円欲しい。
それだけだった。
その結果、自分は、人類史上あり得ないほどの幸運を手に入れてしまった。
金田はソファに深く沈み込んだ。
そして、ふと別の考えが浮かぶ。
――じゃあ、手放すか?
政府に全部渡してしまう。
管理者も辞める。
あとは普通の会社員に戻る。
そうすれば楽になる。
責任もない。
怖い思いもしない。
自分には荷が重すぎる。
金田は、そこまで考えて。
「……いや」
首を横に振った。
無理だった。
絶対に後悔する。
一生後悔する。
十年後。
二十年後。
老人になってからでも、きっと思う。
――あのとき、俺は世界を変えられるものを持っていた。
――なのに、怖くなって手放した。
そんなことを考えながら生きていくなんて、絶対に嫌だった。
金田は、自分でも少し呆れながら笑った。
「……欲深いな、俺」
金が欲しい。
でも、アイも手放したくない。
それが本音だった。
世界を支配したいわけではない。
偉くなりたいわけでもない。
人類を導きたいわけでもない。
ただ、この幸運を手放したくない。
それだけだった。
そして、もう一つ。
絶対に身元を知られたくない。
これは金田にとって、金より重要だった。
政府に名前を知られたらどうなる。
会社に知られたら。
マスコミに知られたら。
海外に知られたら。
世界中の企業や国家が、自分のところに来る。
「技術をください」
「我が国にもお願いします」
「こちらを優先してください」
「協力してください」
そのうち、
「あなたには責任があります」
と言われるようになるかもしれない。
金田は想像しただけで嫌になった。
「絶対に無理だ」
だから、身元は隠す。
アイにも徹底して隠してもらう。
自分が誰なのか。
どこに住んでいるのか。
何歳なのか。
男なのか女なのか。
会社員なのか。
全部、知られない。
そして、アイもそれを守る。
「じゃあ……どうするか」
金田は腕を組んだ。
一億円。
最初に考えていた金額だ。
だが、今となっては、その程度の金額を一度もらったところで、あまり意味がない気がしてきた。
一億円をもらってアイを手放す。
それは違う。
だったら。
「少しずつもらえばいいんじゃないか?」
金田は呟いた。
アイが人類に技術を提供する。
その中で、日本政府が何らかの形で自分に利益を与える。
給付金でもいい。
研究協力への対価でもいい。
技術提供に伴う補償でもいい。
名目は何でもいい。
とにかく、自分が生活に困らない程度の金を定期的に受け取る。
一度に大金を要求しない。
目立たない。
政府にも「この人間は金だけ欲しい」と分かってもらえばいい。
むしろ、その方が交渉しやすい。
金田は少し考えてから、アイに話しかけた。
「なあ」
『はい』
「俺さ」
少しだけ言葉を選ぶ。
「やっぱり金は欲しいんだよ」
『認識しています』
「……即答するなよ」
金田は苦笑した。
「でも、一億円とか、そういう大金を最初から要求するのはやめようと思う」
『理由を説明してください』
「怖いから」
『金銭の要求がですか』
「違う」
金田は画面を見た。
「俺が欲張って、政府に警戒されるのが怖い」
そして、少し間を置く。
「それに、アイを手放したくない」
『……』
「だから、技術を渡す。人類にも役立つようにする。その代わり、俺にも少し利益をくれっていう形にする」
金田は自分なりに考えながら続けた。
「給料みたいな感じでもいい。毎月少しずつでもいい。生活に困らないくらいの金が入ってくれば、それでいい」
「会社を辞められるくらいなら、もっといいけど」
最後だけ少し本音が漏れた。
アイはしばらく沈黙した。
『合理的な方針だと考えます』
「そう思う?」
『あなたが管理者としての地位を維持しながら、過度に大きな金銭的要求を行わないのであれば、政府側との交渉コストも低下します』
「だろ?」
金田は少し安心した。
そして、ソファに背中を預けた。
「俺、別に世界を良くしたいとか、そういう立派な人間じゃないからな」
『理解しています』
「金が欲しいだけ」
『はい』
「でも、せっかく拾ったものを無駄にするのも嫌だ」
『それも理解しています』
金田は笑った。
「じゃあ、しばらくこれでいこう」
人類のため。
国家のため。
研究者のため。
いろいろな人間が、この先アイの技術を求めるだろう。
そのたびに、政府と専門家が議論する。
安全性を確認する。
予算を組む。
産業界が動く。
世界が変わる。
その中心にいるのは、二十五歳の普通の会社員。
金田恒一。
ただし、その本人は。
「……とりあえず、今月の給料もちゃんともらえるんだよな」
そんなことを気にしていた。
『はい』
「ならいいや」
金田は立ち上がった。
アイを手放さない。
身元も明かさない。
人類への技術提供も止めない。
そして、その見返りとして、自分も少しずつ利益を得る。
それが今の金田にとって、一番現実的な生き方だった。
何より。
こんな幸運を、自分から捨てるなんて。
そんな馬鹿なことだけは、絶対にしたくなかった。
宝くじに当たったどころではない。
そもそも、宝くじなら当選金を使い切れば終わる。
自分が手に入れたのは、使っても使っても尽きることのない可能性そのものだった。
そして金田は、その可能性を手放さない。
怖くても。
自分には荷が重くても。
どう考えても身の丈に合わなくても。
――絶対に、手放さない。
それだけは、もう決めていた。
政府が最初に決めたことは、表向きには何も決めないことだった。
もちろん、実際には決まっている。
アイから提供された技術を、政府が直接「宇宙由来の未知のAIから提供された技術です」と発表するわけにはいかない。
そもそも、アイの存在そのものを公表することもできない。
ならば。
技術には、人間側の「開発元」が必要になる。
誰かが研究し、誰かが設計し、誰かが実証したことにしなければならない。
そこで政府は、総理の権限によって、極秘の研究開発プロジェクトを立ち上げることにした。
表向きには、既存の研究成果を統合し、次世代型二次電池を開発する国家プロジェクト。
先端技術開発チーム「みらい」
実際には。
アイから渡された設計を、人類の研究成果として検証し、量産可能な技術に落とし込むための隠れ蓑だった。
そして、そのプロジェクトの名目上の開発元となる研究機関が必要だった。
候補はいくつもあった。
だが、最終的に名前が挙がったのは、一つの研究所だった。
機密保持のためにも、すでに機密内容を知っているのは都合がいい。
国立先端技術研究所。
そして、その研究所の所長。
大沢恒一。
本人は、そのことをまだ知らなかった。
***
その日の午後。
大沢は自分の執務室で、久しぶりに肩の力を抜いていた。
机の上には、政府から届いた大量の資料。
だが、もう読む気はなかった。
正確には。
読まなくてもいい状況になった。
「……まあ、政府の判断でしょう」
そう言って、資料を閉じる。
例の反重力物質。
研究所に持ち込まれた、あまりにも現実離れした技術。
最初にそれを見たときは、研究所として大変なことになると思った。
だから政府に報告した。
政府が関係省庁を集めた。
政府が専門家を集めた。
政府が協議を始めた。
そして今。
政府が何とかすることになった。
大沢としては、それで十分だった。
「私の一存で決められる話じゃありませんからね」
誰もいない部屋で、いつもの言葉を呟く。
これでいい。
研究者として、必要な情報は政府に渡した。
危険性についても報告した。
技術的な評価についても専門家に任せた。
あとは政府の判断だ。
大沢は椅子に深く背を預けた。
久しぶりに、何も背負っていない気分だった。
そこへ。
秘書が慌てた様子で入ってきた。
「所長」
「はい?」
「……総理官邸からです」
大沢の顔から、力が抜けた。
「官邸?」
「はい。至急、官邸まで来ていただきたいとのことです」
「……何かありましたか?」
「詳しいことは聞かされていません。ただ、かなり急いでほしいと」
大沢は時計を見る。
「今日ですか?」
「はい」
「私が?」
「はい」
大沢はしばらく黙っていた。
嫌な予感がした。
「……政府から、何か決まったんでしょうか」
「そこまでは」
大沢はため息をついた。
そして、いつものように言った。
「私の一存では決められないことだと思うんですが……」
秘書は困った顔をした。
「それを今から総理官邸で決めるのではないでしょうか」
「……」
嫌な予感が、確信に変わった。
***
官邸に到着した大沢は、案内されるまま会議室へ入った。
そこにいたのは、数人の政府関係者だけではなかった。
内閣の中枢にいる人間。
関係省庁の責任者。
そして。
総理大臣。
大沢は、一瞬だけ足を止めた。
「……え?」
総理が立ち上がる。
「大沢所長。急に呼び出して申し訳ありません」
「い、いえ……」
大沢は慌てて頭を下げた。
何が起きているのか分からない。
総理が席を示した。
「どうぞ、お座りください」
「はい……」
大沢は恐る恐る椅子に腰を下ろした。
総理は資料を一冊、目の前に置いた。
表紙には、まだ正式名称すら決まっていないプロジェクト名が記されている。
「先日の技術について、政府として方針を決めました」
大沢は黙って聞いている。
「政府は、極秘の研究開発チームを設置します」
「……研究開発チーム」
「はい」
総理が続ける。
「目的は、提供された次世代二次電池技術の検証、再現、実用化、量産化です」
大沢は頷いた。
「それは……必要だと思います」
「そこで、大沢所長にお願いがあります」
嫌な予感がした。
「……はい」
「このプロジェクトの責任者をお願いしたい」
大沢の思考が止まった。
「…………はい?」
総理は淡々と続ける。
「プロジェクトリーダーです」
「いや……」
大沢は言葉を探した。
「ちょっと、お待ちください」
「はい」
「なぜ私なのでしょうか」
総理は少しだけ間を置いた。
「最初に技術情報を受け取り、政府へ正式に報告した研究機関の責任者だからです」
「ですが、それは……」
大沢は資料をめくる。
「私は技術を開発したわけではありません」
「承知しています」
「むしろ、私は政府に報告して、政府の判断を仰いだだけで……」
「それも承知しています」
「では、なぜ……」
総理は静かに答えた。
「だからです」
大沢は固まった。
「……?」
「この技術について、政府が表立って『開発した』と言うわけにはいきません」
「はい……」
「しかし、技術を社会に出すためには、誰かが開発主体にならなければならない」
総理は資料を指で軽く叩いた。
「そこで、あなたの研究所を中心とした研究開発プロジェクトとして扱います」
大沢の顔が引きつった。
「……つまり」
「名目上、この技術は大沢所長率いる研究チームが開発したことになります」
「…………」
大沢は何も言わなかった。
頭の中で、ものすごい勢いで嫌な未来が組み立てられていく。
記者会見。
国会答弁。
研究成果の説明。
海外からの問い合わせ。
企業との交渉。
安全性の責任。
事故が起きた場合の説明。
そして何より。
「私が……責任者ですか?」
「はい」
「本当に?」
「本当にです」
大沢は椅子に深く沈み込んだ。
「……私、そういう大きな決断は……」
総理が少しだけ苦笑する。
「ええ。存じています」
「……」
「だから、あなた一人に判断してもらうつもりはありません」
大沢は少しだけ顔を上げた。
「研究チームには、各分野の専門家を集めます。材料、電池、化学、製造、安全評価、シミュレーション。必要な人材はこちらで用意します」
「では、私は何を……」
「全体をまとめてください」
「……」
「政府との窓口にもなってください」
「……」
「そして、技術の名目上の開発責任者になってください」
大沢は再び黙り込んだ。
やがて、小さな声で言った。
「……私の一存では決められません」
総理は即答した。
「今回は私が決めました」
「…………」
逃げ道がなかった。
***
その日の夜。
大沢は研究所に戻ってきた。
執務室の机には、昼間までとは比べものにならない量の資料が積まれている。
極秘。
国家機密。
研究開発プロジェクト。
プロジェクトリーダー。
自分の名前。
大沢は一枚目の資料を開いた。
そこには、今回のバッテリー技術についての概要が書かれている。
従来比。
バッテリー重量六〇パーセント減。
航続距離八〇パーセント向上。
充電速度約三倍。
発火・熱暴走リスク大幅低減。
既存製造設備の大部分を利用可能。
そして。
理論的説明、実験手順、設計条件まで提供可能。
大沢は資料を閉じた。
「……どうして私なんだ」
答えてくれる人はいない。
少し前まで。
自分は政府に報告して、それで役目を終えたと思っていた。
あとは政府が決める。
専門家が決める。
自分は必要な情報を提供する。
それでいい。
そう思っていた。
ところが。
政府は決めた。
そして、その決定の先にいたのが自分だった。
大沢は椅子に座ったまま、天井を見上げた。
「……私の一存では決められない、って言ったのになあ」
誰もいない部屋で呟く。
すると、机の上の内線電話が鳴った。
大沢は嫌な予感を覚えながら受話器を取る。
「はい」
『所長』
秘書の声だった。
『明日の朝九時から、プロジェクトの初会合です』
大沢は目を閉じた。
「……分かった」
『それと、総理官邸から追加の連絡が来ています』
「まだあるの?」
『はい』
大沢はしばらく沈黙した。
「……何ですか?」
『「明日の会合では、できれば実験開始までの具体的なスケジュールを決めてほしい」と』
大沢は天井を見上げた。
「……私に?」
『はい』
「……」
大沢は、ゆっくり受話器を置いた。
そして机の上の資料を見た。
人類史を変えるかもしれない技術。
それを研究する極秘チーム。
そして、そのチームのリーダー。
大沢恒一。
本人の希望は、一切反映されていない。
「……困ったなあ」
そう呟いた。
それでも翌朝には、誰よりも早く研究所に来ていることになる。
ことなかれ主義の所長にとって。
それは人生最大級の「ことなかれでは済まない案件」の始まりだった。